北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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二将争覇(壱)

夏侯淵。

李瓔。

 

どちらも弓兵・弩兵を基幹にした軍を持ち、苛烈な攻撃よりも慎重な戦を好む、犠牲を少なくすることを心掛けるような指揮官である。

それであるが故にどちらも猛攻を避けて様子見に徹し、二刻経った頃にはどちらも望まない微量ながら消耗戦のような様相を呈していた。

 

「どうにも戦局は動きそうもありませんが、どうします?」

 

「どうするもこうするもないさ。こちらは上、向こうは下。このまま射撃戦を続けても、陣の配置的にこちらが有利だし、防備用の柵と壁を張り巡らせているからこちらから動く必要もない。ここは待つことだ」

 

数個の丘陵の上に土壁と柵の陣地を構築することによって地形的な優勢を得る。

矢や弩を放つには、必然的に見上げて撃つよりも見下ろして撃った方が効率的だった。

 

李師は地形と工兵を最大限に活用し、野戦の枠を借りた要塞戦のような守りの戦を行っている。

 

李師が守りの戦にかけては当代切っての名将であることを、夏侯淵も知っていた。

野戦と言えば姉の破壊力を存分に利用できると判断していたが、こうなった以上は要塞に対する攻略戦と見て思考を切り替えるより他にない。

 

二刻で敵の優位点を看破し、夏侯淵はさらさらと軍を退く。

 

「敵は複数の陣地を有機的に結合させ、どこを攻めても射線を三本交錯させるような仕組みとなっている。流石は仲珞。見事なものだ」

 

「要塞を攻略するには普通一点に集中させ、一点から全体を崩すこと。敵は全体の陣地に万遍なく兵力を置かねばならず、こちらは集中させることができるというのが有利な点だけど……」

 

要塞を攻略するには三倍の兵力が必要。

敵は約三万、こちらは約七万。空中から敵要塞を俯瞰できない夏侯淵と荀彧とすれば、一度攻めないと構造はわからない。構造がわかった以上は対策を立てるべきだが、李師の非凡さがこの陣地群に現れていた。

 

要は、一箇所の陣地にかかる兵は面として限られているので、兵力差が活かし切れないのである。

もっと言えば、昼夜を問わず攻め入ることしか兵力の使い道がない。

 

「実戦指揮は平凡だけど、陣地建設の腕は見事なものじゃない」

 

「その平凡な指揮で二倍の兵力差をかすり傷一つ負うことなく撥ね返していることにこそ、私は瞠目すべきところがあると思うが」

 

床几の肘掛けに左腕を置き、夏侯淵は思考を巡らせた。

敵の思考と動向を読み、更にはそれが繋がる戦略思考を読み解かねばならないのである。

 

「……どう、するかな」

 

「どうもこうも、一点に集中して攻めればその点においては三面の攻撃を以って相対されるのだから、全戦線にわたって攻勢を仕掛ければいいんじゃない?」

 

「その通りだ」

 

あっさりとそれを認め、夏侯淵は更に脳に血を廻す。

一点集中による全体の崩壊を誘発させることを定石とするならば、その定石を派手に叩き壊してきたのがこの陣地構築だった。

 

つまるところ李師は、敵に愚策を取ることを強いている。強いていると言うよりは、愚策を良策とならしめている。

 

荀彧の発想転換の柔軟さも、彼女が凡百の徒ではないことを示していた。

普通ならば一息に一点から全体を崩すべく攻めかかり、強かな打撃を喰らっていても、おかしくはない。

 

(一点を集中して攻めるのが、何故良いか。それは敵が面を守らねばならず、その力が均一になっていることが前提としてある)

 

だが、分散して万遍なく配置されている筈の力が一点に集約して用いられれば、それは即ち攻勢に対して攻勢を以って相対していることになる。

 

更に地形は一方的に李師に味方している、というよりは李師が味方にしているのだから、兵力の優位さを有効に使えないことを加味すれば有利は李師の方にあることは間違いがなかった。

 

李師の巧妙さの第一は間違いなく心理洞察の深さと広さであるが、第二はその力を集中させること、第三は地形と設営を戦術に組み入れることの巧みさであろう。

 

(つまるところ兵力の優位さを完全に、とはいかずとも四割ほど活かす為には全面にわたって攻勢を仕掛けるより他にない、ということか)

 

後の先をとられた。

こうならない為に迅速に進軍してきたものの、李師はそれすらも計算に入れてきたのだろう。

 

この己の迅速さは、一度見せた。一度見せたものを計算に入れないはずがない。

 

「なあ、秋蘭」

 

「何だ、姉者」

 

「陣地からの射撃は無視してしまって、この際敵の牙門旗目掛けて全軍で突撃してしまえばいいのではないか?」

 

これがもっとも、李師の恐れるところであった。

彼女等の兵は後詰もあり、補給の宛もあろうが李家軍は現在補給の宛がない。

 

突撃してくれば、必ず被害が出る。

敵は更に数倍単位で多量な血を流すであろうが、李家軍としてはそんな消耗戦よりも限られた戦力を使い回して何とか敵に対抗しなければならなかった。

 

この『敵にも犠牲を与えるが味方には更に数倍の血を流させる』という一見としての愚案が、こと李師を踏み潰すことに関しては正しかったのである。

全体としての被害は敵味方ともに増えていたかもしれないし、ここに居る全員が各所の陣地から包囲網を敷いた敵に殲滅されていたかもしれないが、李家軍に一撃で致命傷を負わせることは確実だった。

「それではこちらの被害は二万に上ることになっても一万を下ることはないのよ。確実に敵将の首を取れるのならともかく、初期から仕掛けるにはあまりにも投機的すぎるでしょう。それに陣地を無視して突撃したら包囲殲滅の網にかかるじゃない。馬鹿なの?」

 

「何だとぉ!?」

 

「姉者。兵に対して死ねということが吾々の仕事ではあるが、全軍の半分かそれ以上を死者に変え、その更に半分を負傷者に変えてまで敵に勝つことはあまりよろしくはなかろう。別な解決策もだろうし、何よりここで殲滅しきらねばならない、ということでもない。吾々としては彼にここを通してもらい、更に易京を明け渡してもらえばいいのだからな」

 

夏侯惇にとっての戦いとは単純である。自身そのものも主たる曹操の刃に過ぎず、その刃は敵を斬り裂けば良い物だった。

しかし、その刃は常に主の腰にあるものではない。

 

夏侯惇は決して敵を舐めているわけではない。この敵が屈指の用兵家であり、それを打ち破れば天下への道が明確になる。

ならば自分自身を使い潰しても、敵の胸に刃を突き立てればそれで良かった。

 

「そういうものか」

 

「そうだ。有能な敵は、味方にすれば心強いものだしな」

 

「男をぉ!?」

 

うーむと言う伸びた返事と共に頷いた夏侯惇と相反するような悲鳴を上げた荀彧をチラリと見て、夏侯淵は髪に隠された眉を顰める。

この矮躯の軍師は、この固定観念を捨て去ればまた一皮むけるだろうに、と夏侯淵は感じていた。

 

「嫌よ、そんなの!

ただでさえあの全身精液男が居るのに、華琳様の元にまた男が増えるなんて、耐えられないわ!」

 

「じゃあ私が貰う。それなら文句はないだろう」

 

顰めた眉がピクリと上がり、冷徹な思考回路に熱が走る。

別に彼女の偏見を否定し切るわけではないし、寧ろそう言われている北郷には哀れみが湧くが、一緒くたにしては欲しくなかった。

 

「それなら。責任持って管理してね」

 

「それと」

 

「な、何よ?」

 

髪に隠された方の眼が尋常ではない覇気と妖気を放っていることに怯みつつ、荀彧は辛うじてそう返す。

才能においては認めることは認めているが、彼女の中での常識的に受け入れることを八割方否定しているのが彼女の過欠だった。

 

「全身精液男とやらと仲珞を一緒にしないでもらおうか。前者もそこまで言われるほどのことはしていないし、後者はそもそもそのようなこととは無縁な性格なのだからな。

そも、貴官の側に居た男がそうであったからと言って全ての男に才能がないと判断するのは視野狭窄もいいところだぞ」

 

にこやかに笑って釘をどころか槍を刺して、夏侯淵は続いての思案に戻る。

後の先をとった仲珞は、こちらの行動を制限してきた。故にこの局面では一先ず鎖に繋がれて、はいはいと従うしか無いだろう。

 

しかし、全体的に彼が何を目指して易京からこの高陽くんだりにまで来たのか。それを解明し、適切な手を適切な時機に打てば主導権を奪い返せるはずだった。

 

「敵の狙いは、何だと思う?」

 

「か、各個撃破か兵站線の切断じゃないの?」

 

あるにはあるが使い慣れず、表に出し慣れないこともあって曹操より僅かに出力において劣る覇気を余すことなく叩きつけれられ、完全に怯んでいた荀彧に何事もありはしなかったとばかりに話しかけ、返ってきた答えに首を傾げる。

 

「だが、各個撃破とは基本的には兵力が同等か敵が勝る時にこれを策を以って裂き、自軍以下となった敵を討ち破っていく。これが定石だし、吾々を各個撃破したいならばもっと別な策を弄してくるのではないか」

 

「なら、閉鎖して守りに入った要塞からは出撃しにくいということで今の内に兵站線を脅かす。だからここで主力部隊を引きつけている、とか?」

 

「有り得ることだ」

 

一人で何でも決め過ぎると配下や僚友がやる気を無くすよ、と李師に言われたこともあって夏侯淵は心理戦に徹し、荀彧という偏見と頑固ささえなければ完璧な軍師に実際の戦闘において目指すところの意見を聴き入れていた。

 

「私直卒の三軍団の内、第十一軍団を兵站の警護に回そう」

 

「一軍団を回すの?」

 

言外にやり過ぎではないかと咎める荀彧に対して首を振り、夏侯淵は静かにこれに答える。

 

呂布や華雄、張遼と言った破壊力を持ち合わせる諸将が襲撃してきた場合では一軍団(一万二千人)でなければ抗し切れない、と。

 

この時点で戦線に参加しているのは六軍団。その内五個が夏侯淵の指揮下にあり、夏侯惇の黒一色に統一させられた鎧を纏う一軍団がこれに加わっていた。

 

第八、第九は夏侯淵の指揮下にあって両翼の如き役割を果たし、直卒の三軍団の内第十は荀彧に任せ、第十一は兵站警護、第十二は変わらず。

 

戦略予備一軍団、兵站警護一軍団。残りの四軍団で、この陣地群を攻略せねばならない。

 

「兵力の集中が地形的にも、また陣地の配置的にも効率的ではない以上、全体的に攻勢を掛ける。点ではなく、面でな。

第八軍団は敵最左翼の陣地を、第九軍団は第八軍団と隣接する陣地を攻めよ」

 

第八軍団の指揮官たる諸葛誕と第九軍団の指揮官たる毌丘倹が謹んでこれを受け、五千人足らずが守る陣地に攻勢をかける。

敵が凡戦という形をとり、こちらに徹底して情報を与えてこない以上は予測のしようがない。

 

「なお、第十軍団は予備隊とし、私の直卒軍団も同様とする。下手に二軍を複合させれば、混乱をきたすことにもなりかねん」

 

常の心理戦においては主導、戦闘においては受動というスタンスを忠実に履行している李家軍に対し、第一次攻撃が開始された。


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