北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
「敵、混乱しています」
二回目の斉射で全軍を三分の一にまで撃ち減らされた第九軍団の様相を、物見の兵は単純ながら的確に表した。
敵は混乱している。或いは、潰乱しつつある。
「子龍、出撃。だが、いつでも退けるように手緩く攻めるんだ。恐らくは第七軍団辺りが猛進してくる。猛進してきたら一旦退き、止まった辺りでもう一度吠え掛かれ」
「なるほど、意地の悪い」
「君に感化されたのさ」
皮肉気な笑みを浮かべる趙雲に皮肉を返しながら、李師は呂布を隣に立たせて下の光景を見下ろした。
夏侯淵に忠告されたが、呂布が居れば問題はなかろうという判断である。
戦争には滅法強いが本体はそうでもないというのは、この時代において特異と言える特徴だった。
女性社会の影響を色濃く受けて将軍は女性なので、強い。
男の将も基本的には一兵卒からコツコツと成り上がったクチなので、強い。
初めて戦った頃から指揮官だった彼には必要とされなかった武勇だが、この時代においてはほとんど必須の物だったのである。
「……子龍、じゃれかかった」
「そうだな……と、来たな」
隣の呂布の的確な表現に苦笑しつつ、趙雲隊に横撃を食らわせようとする敵には強弩群で牽制の一撃を喰らわせていく。
数回の牽制と掃滅の後に、李師は目標の敵が来るのを悟った。
威圧するように光る、黒。
曹操軍どころか中華でも最強の攻撃力を誇る、第七軍団である。
「よし、銅鑼を」
「はっ」
田予に指示を出した後、戦場においても良く響く銅鑼の騒がしい音が響いた。
「さて、続いて吾々の得意技でも見せてやるとしますかな」
「逃げる振り、ですか?」
「その通り」
あの黒猪が相手では、逃げる芝居も命懸け。
そんなことを思いつつも、趙雲隊はじゃれかかった相手から離れ、騎兵の機動力を活かして素晴らしい速度で逃げ始める。
それを受けた夏侯惇は、別に趙雲隊の殲滅が目的ではない為にその逃走を黙認した。
そしてすぐさま、負傷者の収容と残兵の牽引にかかる。
その時を見計らって、趙雲隊は再び押し出した。追ってこないのを織り込み済みにしておいた彼女の指揮の元、趙雲隊は手馴れた動作で速やかに反転を成功させる。
「そら、吠え掛かれ!」
その吠え声は、馬蹄と矢とが付随していた。
『深入りはしない』という無用な自重からとどまったが為に守備に弱いという欠点を曝け出し、趙雲隊の馬蹄と矛先にかかって陣を乱す。
この脆さには、負傷者の収容と残兵の牽引ということに意識を割いてしまったいた事が大きく関係していた。
「怯むな、反撃しろ!」
だが、夏侯惇も並の将帥ではない。総合的に見るならば趙雲を凌駕する練達の指揮官である。
各部隊を奮起させることによって趙雲隊と本隊との間に隙間を作り、すぐさま陣形を再編。
その攻撃力を逆撃に乗せて趙雲隊に叩きつけんとした。
「副司令官。退かせてくれ」
「はっ」
その準備を終える三寸前に、李師が動いた。届くまでに一寸、趙雲隊が動くまでに一寸。
的確に機を見ていた彼の命令は、極めて精密な形で実を結ぶ。
夏侯惇の第七軍団が、あと僅かで届く位置に逃げ去ってしまった趙雲隊に釣られて突出してしまったのでる。
「全隊右回頭。味方に射殺されては洒落にもならん」
「例の、踊りですか……」
飽き飽きするほどやらされたのだから、少しは役に立てなければ採算に合わない。
要塞の強弩群の射線ギリギリで左に逃げたり右に逃げたりとを繰り返してきた李家軍には手慣れた、そして吐き気がする程に繰り返さねばならなかった行動は、趙雲の命令一つで整然と実行された。
そこに取り残されたのは、突出した第七軍団だけである。
「今だ、撃て!」
趙雲隊の動作で敵を巧みに誘引してのけた李師は、するどくその命令を下した。
これからの野戦で、あの第七軍団は脅威となる。その脅威を何とかする術を彼は思いついていたが、自軍より大きいのならばその方法を使っても甚大な被害を出すことは避けようがなかった。
両翼から攻城隊が出た時、彼が真っ先に思いついたのが無傷の中央部の最先鋒たる夏侯惇を誘引する。これであった。
「第二射、装填完了」
「目標変更。李の旗の敵、第二軍団」
「目標変更、了解致しました」
第六軍団は三分の一程の被害を負いながら素早く退き、その隙を縫って第六軍団が近づいて負傷兵の回収と残兵の牽引を果たしている。
彼のやるべきことは追い打ちによって更に敵を打ち減らすことよりも、趙雲隊の帰還を援護することだった。
「狙点、固定」
「撃て」
元々退きつつ趙雲隊の帰還を阻害する動きをしていただけに、第二軍団が負った被害は軽い。
それでも指揮官の李典としては追撃と阻害行動を止める充分な理由になり得る。
第一に、味方の士気が下がっていた。機を見て逃すこと無き敵の将帥が友軍を機械的に殺戮している様を見て悠々と構え、更に猛進できるほど兵は強くなかったのである。
この戦いにおける被害は甚大だった。死者こそ五千あまりと多くないものの、重軽傷者は実に一万二千人にのぼっている。
毌丘倹が死傷者織り交ぜて三分の二をこの戦いで運用することが不可能になり、夏侯惇も死傷者織り交ぜて三分の一が運用不可。
他の軍をポツポツと被害を受け、一回の総攻撃によるものとは思えないほどの被害が、曹操軍には出ていた。
その報告を受けた曹操は既に認識していた情報不足と言うものの恐ろしさよりも、敵将の巧妙過ぎる機を視る目に対して高揚と興奮を隠し切れていない。
あの将が欲しい。力づくでもこちらに加えたい。
初めてナマで見た彼の用兵に対して思うところがそれであったところに、彼女の人材に対する執着が伺える。
「司馬家と言い、李家と言い、何故手に入らない者が尽く次子で、それも天下に冠たる才能の持ち主なのかしら」
「次子は嫡子に振り回され、思慮深くならざるを得ません。智者が多いのも、そこら辺に理由があるのではないでしょうか」
天下に冠たる才能の持ち主なのかまでは、わからない。しかし、この世界における現在の法則としては次子が思慮深い人物であることが多かった。
例えば、絶賛ニート中の病弱な司馬家八令嬢の一人もその頭の回転の速さと慎みの深さで知られている。
字は仲達。次子だった。
後は、呉の孫策の妹、孫権。彼女も内政を良くし、軽率な行動を取らないことで知られている。
字は仲謀。次子だった。
最後に、目の前の魔的な威力を持つ要塞を作り上げた当代切っての用兵巧者にしてニート志望。
字は仲珞。次子である。
あと、次子の証である『仲』こそ付かないものの、夏侯淵。双子の妹ということになる彼女も次子だった。
「仲珞、孫権、司馬懿。嫡子、或いは長子に注目が行くのがこの世の常ですが、案外と次子も侮れません」
「貴女も次子だけどね、秋蘭」
孫権はともかくとして、名の『瓔』は木と首飾り、真名の『嬰』はそのまま首飾り、なら連想に従って首飾りに使う『珞』に次子の証である『仲』を付けて終わりでいいや、と李師は字を決めている。
司馬懿にしても姉が『達』を付けているから一文字確定。次子だし弟子でもあるし、師匠に倣って『仲』でも付けるか、と決めていた。
そして罪深いことに、この時点で三女から八女は字に『達』を使わねばならないことが確定する。
更には長子であることを示す『伯』、次子であることを示す『仲』と姉二人が使ってきた為に三子であることを示す『叔』、『季(四子)』『顕(五子)』『恵(六子)』『雅(七子)』『幼(末っ子)』と続けざるを得なくなった。
つまり訳すと司馬家の一郎、司馬家の次郎という捻りも無い字を使わざるを得なくなったと言える。
ともあれ、そんな適当なネーミングセンスしか持たない次子軍団には珍しく、夏侯淵の字は妙才。姓の夏侯と並べると口に出して言いたくなるほどの優れた語感を持つ字である。
姉の夏侯惇の字は、元譲。
夏侯元譲と、夏侯妙才。
ネーミングセンスと言う努力では身につかない技能を生まれつき高水準で持ち合わせていたとしか思えない素晴らしすぎる字の選び方であった。
「なるほど、そうでした」
そんなこんなで、自分が夏侯惇の妹であることはともかく、次子であることを忘却しがちな彼女である。
その忘却をそのまま言い表すわけにもいかず、彼女は一先ず流すことにした。
彼女とその姉のネーミングセンスは素晴らしいが、彼女の同門である夏侯覇らはそうでもなかった。
例の生まれた順を示す一字に、権。それで全てを片付けたのである。
捕捉だが、曹操の字は孟徳。孟は長子を表すから、彼女は長子であることがわかる。
彼女の次子ならば違う字になっていたのであろう。次子なのに孟徳という字を己に付けるのは、些か以上に社会の規範を逸脱していると言えた。
「まあ、次子問答はもういいわ。被害は?」
「二回の斉射で攻城部隊第一陣の内、兵員約八千が死傷。同時に出撃してきた敵の迎撃に向かった第七軍団が四千あまりの死傷を、救出に向かった第六軍団が無傷で負傷者の収容に成功いたしました」
ほとんど反射的に叩きに向かってしまった第七軍団(夏侯惇)の判断は正しかったであろう。
頼みの綱の攻城兵器が破壊され、たったの一斉射で軍の三分の一が物言わぬ骸と成り果てた。この状況に置かれて半ば恐慌状態にあった軍団を二回目の斉射が襲い、更には趙雲隊が城門を開いて突出。
毌丘倹の第九軍団はまともに刃を交える前に壊滅の危機に接していたのである。
それの救ったのが、夏侯惇の第七軍団の猛進だった。
夏侯惇が先頭に立って進んで来るにつれて趙雲隊は素晴らしい逃げっぷりを見せて第九軍団(毌丘倹)から去る。
これを夏侯惇が牽引するように退かせようとしたところに趙雲隊が引き返してきてもう一度突っ掛かり、守勢に弱いという弱点を的確についた後に、城からの銅鑼で再び退く。
態勢を整えるまでの時間を的確に読んでの退却命令に従い、趙雲隊はさらさらと退きはじめた。
結果的に夏侯惇は李師が教唆し、趙雲が実行した『あと一歩』の策に引っかかったのである。
「一万七千人が死傷と言うのはやはり、痛いわね」
「情報と言うものを過小に見積もりすぎたのでしょう。幸いにも半数以上が負傷で留まっておりますし、力攻めは避けられた方が良いかと」
「ええ」
さて、次はどうするか。
攻城戦という奇策の入れる余地のない戦いは、一日という時間を瞬く間に溶かしていった。