北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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幕間

この人は変な人だ、と。常々呂布は思っていた。

ぽけーっとしているが決して馬鹿ではない呂布にとって、彼の側で護衛として働いている時に聴く言葉や会話の一つ一つが、彼女の糧になっていたのである。

 

あくまで、彼が施した教育は漢に帰化させる為の洗脳的なものではなく、君たち鮮卑族から見たらおかしいだろうけど、という認識を挟んだ上でのものでしかなかった。

 

李家軍の内部において異民族、特に鮮卑や烏丸は多いが、その多くが漢に帰化している。と言うよりも、周りの漢人に合わさなければ生きていくことが難しかった。

 

しかし呂布は、基本的には野放しに育っている。

それは個人の資質を尊重する保護者がそのスタンスを貫き、色々選択肢を与えることしかしていない結果なのだが、彼女はあくまでも漢民族的な視点しか持たない李家軍の他の諸将とは違っていた。

 

彼女は、生まれた土地で育まれた風土を己の人格形成に役立てていたのである。

 

或いは彼女がこの中で一番異端な考えを持っていたのかもしれない。

保護者の李師に忠誠心と言うものが微量しかないことと、そもそも忠誠心などと言うものの概念が無い鮮卑の血を引いた彼女には、忠誠心という存在を理解することが困難だった。

 

忠誠心などと言う仰々しさと華美に満ち溢れた単語が、彼女が保護者たる李師に付き従う理由ではない。それは、忠誠心と言うものを理解していないにも関わらず、そのことだけはわかっている。

 

城壁をアテもないようにふらふらと徘徊する李師にトコトコと着いて行きながら、呂布はぼんやりとそんなことを考えていた。

 

「恋。易京要塞は強大無比な要塞だ」

 

「……うん」

 

「僅かばかりながら自給自足もできるし、街も囲い込んでいるから矢にも苦労しない。資材も潤沢だし、兵糧も向こう三年は保つ。敵が仕掛けてきても正面から陥ちることはないだろう」

 

「……うん」

 

誰もがわかり切ったことから話を切り出す時、大抵彼は何かしくじっている。

そのことをよく知っている呂布は、大人しく聴き役に徹することにした。

 

「しかしだね。この難攻不落は大きさに支えられ、内部は敵が侵攻しにくいようになっている訳だ。大きければつまり、その、あれだ」

 

「……迷った?」

 

「いやぁ、こう……私が方向音痴なわけではない、ハズだ。敵軍の侵入に備えて道を複雑にしたのが私のまともな方向感覚を狂わせているんだろう」

 

「……迷った。わかってた」

 

語尾から疑問詞が取れ、断定形へと変化する。

呂布は、案外容赦が無かった。

 

「どこ、行くの?」

 

「兵站統括府」

 

「……何で、階段登ったの?」

 

「いや、角を曲がったら部屋がなかったからさ……」

 

兵站統括府には李師はよく顔を出す為、出発点である自室から角を一つ曲がって直ぐのところに、わざわざ方向音痴を慮って作られた。

なのに真逆に曲がってしまうこの体たらく。

 

生活に必須とされる能力の適性が皆無というよりも、絶無と言って良いであろう。

 

「ま、まあ。とにかく案内を頼む」

 

「……こっち」

 

方天画戟を振り回す時に滑らないように、弓を引く時に指が切れないように。

くるくると器用に包帯で巻かれた褐色の手が李師の竹簡より重いものを持ったことがないような手を掴み、引っ張った。

 

自分の城で、それも己が縄張りをした城で迷子になる人間もそうはいないだろう。

ある意味貴重な才能の持ち主であり、手を離したらふらふらとどこへやら行ってしまいそうな保護者を、呂布は懸命に牽引した。

 

「ここ」

 

兵站統括府、軍事統括府、技術統括府、諜報統括府。

四つ府の長の城内でのヒエラルキーは李瓔に次ぎ、それぞれ賈駆、趙雲、馬鈞、周泰が長官を務めている。

 

今回用のあるのは、兵站統括府であった。

 

「迷ったでしょ」

 

「否定はしない」

 

開口一番、賈駆は彼の自室から歩いてすぐの兵站統括府内でそう問いただす。

彼女が李師呼び出したからこそ、牽引しながら―――というより、頭以外無用なこの男を運んで来てくれた呂布に対しての感謝があった。

 

「奉先、お疲れ様」

 

「……」

 

フルフルと無言で首を横に二回振り、呂布はいつもの護衛としての待機状態に戻る。

ぽけーっとしているようにしか見えないが、全方向からの奇襲に備えるならば意識を一点に集中させていてはとっさに反応することができないという合理的な理由からの態度だった。

 

「で、これから敵はどう来ると思うの?」

 

「そういう兵站統括長官の賈文和殿はどう考えているんだい?」

 

待機状態になった呂布から目を逸らし、

賈駆は目の前の茫洋とした男にこれからの展望を問い質す。

彼女としては、これからの展望の見立てがなければ易京内の生産工廠をどう動かしていいかわからなかった。

 

賈駆は勝運が無い為に廃業したものの、元軍師である。これからの展望を読むくらいならば勝運のなさは関係ない。

決定的なところで不確定要素で読み違えたり、不運で作戦の根底をひっくり返されたりするだけで、彼女自身は洞察眼に優れていた。

 

「土竜戦法か、一隊を以って本拠の薊を突くか、じゃない?」

 

「私も同意見だ。しかし、前者は考慮に入れなくとも問題ない」

 

怪訝な面持ちをする賈駆は、この易京と言うとし全域に張り巡らされた水路を思い浮かべ、笑う。

なるほどという思いが、強かった。

 

「易河を引き込んでおいてよかったよ。敵の土竜戦法に対して頭を悩ませすに済むからね」

 

「長期の籠城の為の生活用排水路がうんたらかんたらと言っていたのに、結局は軍事にも利用する辺り流石、と言っておくわ」

 

「ありがとう」

 

経済担当の賈駆の皮肉なのか褒めているのかわからない一言を好意的に捉えて返事を返し、李師は自分の思考の卑しさにため息をついた。

兵の生活環境を整えてやらなければ、士気は維持できない。城というものがそうやすやすと陥ちるものではない以上、内部の反乱と兵の士気を維持するのが守将である彼の役目である。

 

籠城戦とは如何に士気を低下させないかというのが、命題なのだ。

その思考と民の生活環境の改善とを合併させてしまった己の卑しさに辟易しながら、更に一つため息をつく。

今のところは士気は維持できているし、上昇させることもできた。

 

だが、彼には先行きが不安でしかないのである。

 

「別に政治が出来ないわけでもないのならば、なおさら。なおさら、独立なされれば如何です?」

 

どこから来たと言いたい程の穏行の見事さで、趙雲はするりと現れた。

彼には別に曹操や夏侯淵のように構想力と実行力に富んだ有能な政治家としての才幹はない。

 

しかし、案外その面の才能もないこともないのではないかと、趙雲はこの頃思っている。

そもそも血筋的に言うなれば李家は文武両道と言っていいし、袁家は内政畑。才能が血筋で決まるとは思えないが、決まる可能性があると考えれば武と文が三対七くらいになる方が正しい在り方だった。

 

それに、彼は馬鹿ではない。賈駆の内政手腕に全てを預けてしまっているから目立たないが、時々漏らす言葉にはその道のセンスも感じられていたのである。

 

「今日も元気だね、子龍。私としては喜べばいいのか、虚しさを抱けばいいかわからないな」

 

「えぇ、お陰様で無傷の帰還でございますとも」

 

いつも通りの、皮肉の応酬。

 

易京攻防戦の戦勝から一夜が明け、彼の配下の高級士官たちはぼちぼち起き始めていた。

趙雲は割りと早起きな質である為、ここまでふらりと顔を見せに来なかったことが不思議だと言える。

 

「あと、私に政治の才能は無いよ。言うこととできることには、一千里からの距離がある」

 

ともあれ李師は趙雲が自分に政治的センスを見定め、期待しているような思惑をなんとなく察していた。

その上で彼は彼自身の信条を守る為に、それとなく諭す。彼自身、自分の才能と言うものを認めたくないと思っているのである。

 

軍事的才能と、曲者に対して特効を持つ人徳、高貴な血筋と高い名声に、民の支持。

乱世に名を為そうとしている人間ならばどれか一つでも欲しいと足掻く物を備えておきながら、彼はそれを無視していた。

 

大量虐殺に秀でた才能を持っていても何も誇れはしないし、曲者を引き寄せたいとも思わない。高貴な血筋はもう仕方ないが、高い名声など災いを呼ぶものでしかない。大量虐殺者が民の支持を受けるなど、ただの笑い草だろう。

 

自分が殺した他人の血と屍の上に作った支持など、彼にとっては恥でしかなかった。

 

「あと、主。馬鈞殿の新発明。連弩改三とかいう代物の配備がようやく完了しましたぞ」

 

「ああ、ご苦労様」

 

連弩というものを発明したのは、幽州にいた頃の諸葛亮。

それを五倍の性能にしてやると豪語した馬鈞が二次改装したものを連弩改、元戎と呼ばれる自動装填装置が付いた代物を付けたのが連弩改二である。

 

この連弩は凄まじく、一点集中射撃には向かない物の防御用としては文句のない性能だった。

ただし、乱戦に弱い。すぐに壊れる。

 

その弱点を何とかしたのが、この改三だった。

 

彼女は配備されていた弓を複合合成弓にして再配備し、城に床弩を設置し、強弩の射程を強化し、連弩を改良し、鎧の防御力を増加させている。

他にも水車や新式の織機などを考案し、河北の経済の中心地となりつつある易京から得られる利益の二割を投入しているだけの働きは、していた。

 

「まぁ、それは宜しい。今日は如何がなさいますので?」

 

「打って出る。曹兗州殿は軍を下げた。こちらの展開もしやすいというものだし……そうだな。やりようによっては更に地の利も得ることができる」

 

「地の利?」

 

易京要塞前方には先日の攻防戦で戦死した五千人あまりの屍はない。大軍を擁している敵からすれば、屍であれ何であれ展開を妨げるものは排除しておきたいのであろう。

 

そう、趙雲は考えていた。

 

「……残骸?」

 

「その通り。さあ、出撃だ

左翼は張儁乂、右翼は張文遠。恋は中央部、子龍は本軍として私の直属に。麴義は左翼に展開して張儁乂の助力を頼む」

 

易京要塞は道を塞ぐように広がり、築かれている。

道の幅はちょうど三万から四万の軍を展開するのに適したものであり、元々地の利は防衛側にあった。


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