北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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俯瞰

戦闘一日目の、夕刻。

 

北郷一刀は、微妙な違和感と歯痒いような思いを抱いていた。

やれるべき手は打った。だが、未来を知っているという程度で、同時代の将を―――戦略的にはともかく戦術的には―――悉く打ち倒してきたあの化物じみた名将に食い下がれるかどうか不安だったのである。

 

彼は未来を知っているということを甘く見ていた。即ち、その破滅的な威力を軽視し、相手が受ける衝撃を軽視していたのである。

 

彼にはこの戦いの詳細な経過は見えない。だが、ターニングポイントはわかる。そして、結末もわかる。

だからこそ、彼は苦悩していた。

 

「華琳」

 

「何かしら?」

 

疲弊し、戦線が凹凸と亀裂を生じていたが為に収集と補填を計ったのは、敵も同じ。

謂わば、明日の朝までのほんの僅かな休息と言うべき時間である。

 

その時間にまで戦の話題を持ち込むことは彼としては本意ではなかったが、どうしても聞いておきたいことがあった。

 

「敵は何をやってたんだ?」

 

「左翼の戦線を乱戦状態に、正面の戦線では一部を突出させ、退かせという行動の繰り返しで硬直化させる。その上で右翼から半包囲しようと攻勢をかけてきたのよ」

 

右翼の指揮官は張遼。後に左右大将と謳われる張郃・張遼の片割れ。

勿論これは、北郷一刀が知っている歴史であってこの世界の歴史であるとは限らないが。

 

まあ何はともあれ、この時点でも張遼は攻勢と騎兵の統率にかけてはこの時代屈指の指揮官であることに変わりはない。

 

「正直なところ、これは読めていたわ。張郃は攻勢と言うよりは守勢からジワジワと圧していく型の指揮官だし、正面の敵は最初はともかく途中からは派手さが目立った。一番地味に見えた右翼が、本命だと」

 

「それこそが陽動、ということは?」

 

「あるかも、しれない。だけど、こちらと違って敵は兵数に限りがあるし、公孫瓚勢力を救うにはこの戦線を一日でも速く、一人でも犠牲を少なくして勝たなければならないのではないかしら。

それに、敵は目一杯にこの狭い道を使い切って布陣している。当然それは包囲作戦を前提にしたものだと考えるべきだわ」

 

それはそうだと、北郷一刀もそう思う。しかし、どうにも解せなかった。

 

いや、自分の歴史の知識が案外宛てにならないことは知っている。夏侯淵は忠実な臣下だし、反董卓連合軍の董卓側に曹操が参加した。この戦いが起こる時にせよ、十年単位のズレがある。

そして、この時点で鍾会や毌丘倹が居る。何よりも主要武将が女である。

 

夏侯淵の件で『最終的な帰結点を鵜呑みにした上で人を見るべきではない』とわかり、反董卓連合軍の件で『別に歴史の知識が絶対というわけではない』と、北郷一刀にはわかっていた。

 

易京道の戦い。曹操対李師の最初の戦いであり、赤壁と並ぶ曹操の珍しい敗北の一つ。

徐栄と対戦した反董卓連合軍での戦い、馬超と対戦した渭水の戦い、周瑜と対戦した赤壁の戦いと並び、『曹操の戦術ドクトリンは迂回急襲。正面切っての戦いは苦手』と言われるようになった一因である。

 

「それに、中央突破を狙ってきたら来たでこちらもやりようがあるでしょう、一刀。春蘭が予備で暇を持て余しているのは、その為なのだから」

 

「なるほど」

 

遊兵を作らず、暇を持て余している隊を敵の戦術への対策に使う。

兵力差というものを活かしきっているのが、曹操の曹操たる所以だった。

しかし、この活かしきっていることはその反面、職人的な巧妙さとは無縁になっている。曹操も決して、この職人的な巧妙さで李師に負けるものではない。

 

だが、曹操は技巧と技巧を戦わせるよりは己の優位を活かし切ることを選んだ。

戦略的には真っ当であるが、戦略的な真っ当さが戦術的な勝利に直結するとは限らない。北郷一刀はそこまではわかっていなかったが、素人だからこそ『大軍で技巧を踏み潰す』という戦法が何やら良い物には見えなかったのである。

その大軍が大軍で有るが故の攻勢の単純さと守勢の重厚さを逆用されるのではないか。

 

その無形の不安が、彼の更なる個人プレーを生んだ。

あくまでも基本戦略に適った形であるが、その独走ぶりは見る者が見たならば眉をひそめざるを得ないものであったろう。

 

結果的にその所為で李師の脅威に抗し得なくなれば、北郷一刀は非難を免れない、どころでは済まない。

成功したとしても、北郷一刀に対しての賞賛は表立つことはない。

 

謂わば何の利益もない行動であった。

 

 

だが 北郷一刀が演義と言うレンズで拡大し、実際に見て幻影を膨らませてしまった当人こと李師は、その『大軍が大軍で有るが故の攻勢の単純さと守勢の重厚さ』を逆用するどころかそれに圧倒されてしまっていたのである。

 

「人的な損害は?」

 

「……三千。なんとまぁ、拙い戦いをしてしまったことか」

 

「物的な損失はね。三分の一よ、三分の一。矢が三分の一も消えたの。後の残りは五十万本。一年近くかけて弩と弓に使う矢を統一し、粗悪品も利用する為に連弩も作ったわ。でも、もう籠城戦に切り替えても三ヶ月は保たないの。わかる?」

 

「わかるさ。元々今日明日で正面の敵の決着をつけ、その後に南門から出て妙才を叩く。矢は保つという計算になっているだろう?」

 

「それはそうよ。でも、今日は全く勝てるような気配がなかったじゃない」

 

「ああ。今日は決着をつける気がなかったからね」

 

呂布が七回出撃したものの、鍾会も巧みな指揮で戦列を再編。維持し続けていた。

彼が中央部の曹操隊に至るまでは第六軍団(鍾会)と第十軍団(荀彧)、どこから降ってくるかわからない第七軍団(夏侯惇)、後は曹操の親衛隊をどうにかせねばならない。

第二軍団(李典)と夏侯淵が残していった第十一軍団が左翼、第三軍団(于禁)、第九軍団(毌丘倹)、第一軍団(楽進)が右翼を務めている。

 

第九軍団(毌丘倹)は先の攻城戦で大被害を被ったために、第一軍団(楽進)が追加で右翼部隊に籍を移していた。

 

「ともあれ、二日目だ」

 

彼は真の意味での全知全能を備えた神ではなく、自分の全知全能を尽くしてこの絶望的な戦いに活路を見いだそうとしている。

これまでの戦いで作戦が概要を読み取られていることなど、李師が知り得ることではなかった。

 

李師は、これまでで現れている敵の行動から事象を読み取るより他に、未来を知覚する術を持たなかったのである。

 

「……それにしても、ギリギリの賭けだな」

 

「いつになく弱気ですなぁ、主」

 

「いつになく絶望的な状況だからね、子龍」

 

唐突に背後に現れた趙雲の白い装束の袖と肩とに血が点々と微細な斑模様を作っていた。

神速の槍技は、間合いに入った瞬間に敵の急所を抉る。切断するのではなく突くのだから、べっとりと返り血が付くはずもない。

 

故に、優美な三叉の槍を振るって暴れ回ったあとの趙雲の服は、決まってこのような斑模様に染められていた。

 

「取り敢えず、生還おめでとう」

 

「当たり前です。私はこんな鉄火場ではくたばりません。床の上で布団にくるまりながら、孫に『やっと厄介払いできる』と泣いて喜ばれながら死ぬと決めておりまして」

 

がっしりと握手するほど感傷的でもなく、それほど暇でもない李師と趙雲は適当な場所に腰を下ろす。

李師は頭が、趙雲は腕が疲れ切っていた。

 

「この戦いは、至難ですな。だからこそ面白いとも言えますが」

 

「いつになく趣味が悪いじゃないか、子龍」

 

趙雲がこんなことを口にしてしまうあたり、敵の手強さが伺える。

これまで戦ってきた相手とは格が違う、攻めと守りの質と密度の濃さ。それが趙雲を疲労させていた。

 

それに敢えて突っ込むことなく、酒を一杯注いでやる。

それを渡した後に同時に飲み干し、趙雲は殆ど同時にニヤリと笑った。

 

「いつになく絶望的な状況だからこそ、それを覆すのを見物する楽しみがありまして」

 

「見物、か。私が愚痴を付いているのがそれほど見ていて楽しいかね」

 

「如何にも楽しい。命を懸けてやろうと思うほどには、貴方は己の義務に忠実な方ですからな」

 

疲労を余裕と皮肉の笑みで覆い隠しながら、趙雲は愛槍龍牙を肩に掛ける。

 

「主。良い機会であることですし、私の真名を捧げさせていただきます」

 

「随分、唐突だね」

 

「まあ、この戦いが今までのものとは違うということを、この身で知ってしまったもので」

 

苦笑しつつ、趙雲は、背中を見せたままに真名を告げた。

それに対して李師は、静かに己の真名を預ける。

 

「では」

 

「ああ」

 

さらりとした別れの挨拶を交わし、趙雲は己の隊に戻った。

 

疲労の色が濃い各指揮官の脳裏に過ったのは、一つである。

 

負けないことを目指す籠城戦ならばともかく、勝つことを目指す野戦はそう長くは保つものではない。

 

二日目までしか、実力の全てを発揮できない、と。

 

そして、二日目。血を血で洗うような激闘と評された、易京攻防戦の終幕までの道を、両軍は加速度をつけて下りはじめた。

 

 

「我が方の兵器が?」

 

「はい。敵がやけに前線を上げて来たのは、昨夜の内に行われた作業を邪魔されない為かと」

 

二日目の朝を迎え、全軍に飯を食わせた曹操は、改めて敵陣を見て臍を噛んだ。

完全に、敵に利する行動をとってしまった。それが一局面においては必要であり、兵の犠牲を減らす為のものであったとしても、である。

 

「射撃開始!」

 

「撃て」

 

曹操と李師が殆ど同時に射撃命令を下し、二日目にして最終日の幕は上がる。

この時点で李師がとったのは、如何にも彼らしい作戦だった。

 

「敵の射撃、殆ど即席陣地にて防ぐことが出来ています!」

 

伝令の喜ぶような報告を聴き、田予は軍の運動を統御しながらその沈着な眉をピクリと上げて驚きの声を上げる。

 

「初めから野戦を挑まなかったのには兵力の漸減の他に、これもあったのですか」

 

「そういうこと。敵の遺棄した兵器までも利用して、何としても敵の攻勢を防ぐんだ」

 

元々、両翼を含んだ最前線は一日目の開戦時よりも随分上がった。

このこともあり、更には一日目の記憶から必然的に曹操軍は苛烈に攻め立てざるを得なかった。

 

「敵の軽騎兵部隊、吾が軍左翼方面の間隙に回り込みつつあります」

 

「こちらも成廉、魏越、曹性、樊稠の四戦隊の出撃用意。差し当たって最大戦力を叩きつけたいところだが、一先ずは曹性と樊稠の両戦隊で迎撃させてくれ」

これも一応は李師の計算通りだが、李師の計算を超えるだけの鋭さと破壊力を、遺棄した兵器の隙間に曹操は叩きつけてきたのである。

「李典隊より、軽騎兵部隊が急進!」

 

「そら来た。向こうはそりゃあ一万ほど軽騎兵が居るかもしれないが、こちらにはなけなしの二千しかいないんだぞ、全く……」

 

前回の戦闘で、李家軍の二千からなる軽騎兵部隊は千八百にまで減っていた。

一方で敵の一万からなる軽騎兵部隊は二千人程減っていたが、これは兵の強さもさることながら、成廉が考案した『天地人』制の功績が大きい。

 

騎射担当を一人、馬上戦闘担当を二人。馬上戦闘担当の一人が正面から牽制し、敵の背後にもう一人が回り込む。

戸惑ったところを後方から騎射担当がとどめを刺す。謂わば、総数では勝てないから一対一からなる微小な戦闘単位を三対一に持ち込むことで何とか勝とうという苦肉の策だった。

 

「どうなさいます?」

 

「仕方ない。成廉、魏越の両戦隊を迎撃に向かわせてくれ。ただし、迎撃だ。こちらの射線に誘引して、戦力低下を防ぎながら敵の迂回行動を阻害するんだ」

 

両翼に遺棄された兵器を並べて簡易の防壁とした李家軍に対し、兵力差を全力で叩き付けてくる曹操軍。

三刻におよんだ射撃戦の後に、正面の敵に李師が返しで叩き付けたのは火力だった。

 

彼の直接指揮する中央部を急進、左翼を徐々に上がらせ、右翼を防衛に専念させたのである。

 

「鍾会の部隊に、射撃を集中せよ」

 

この命令が、序盤の防戦の終わりを告げていた。

 




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