北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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迫撃

「鍾会の部隊に、射撃を集中せよ」

 

第六軍団は、思い返してみると不運なことこの上ない軍団であった。

指揮官の鍾会は決して無能ではなかったが、相対する指揮官が悉く彼女の能力を上回る。即ち、ことあるごとにしてやられていた。

 

今回の命令にしてもそうである。李師の下した命令は単純なものであったが、叩きつけられた火力とその火力を叩きつける投射速度は尋常でなかった。

 

「密集するな!」

 

一刻の内に天頂方向と前方からのべ五万の矢を叩きつけられ、鍾会軍は戦列を乱して後退する。

密集隊形を崩して散開し、射撃による被害を防ごうとしていた。

 

その判断は正しい。固まっていては弩による射撃の餌食になるだけだし、ここで突破されても敵が第二陣の突破に要する時間の間で軍を再編し、後方を扼してやる自信が、彼女にはある。

だが、そんなことなど李師はとうに読んでいた。敵が有能であると言うのは、一日目で嫌というほどに知っていたのである。

 

「恋、東から五番目、深さは三番目。そこが指揮の中心点だ」

 

巧みに散開しながらも、部隊の統一性を失わない第六軍団の核がどれであるか、李師には見ることができた。

そして、そこに自軍における最大戦力を投擲したのである。

 

「敵、赤備え。猛進してきます!」

 

「五百から更に百単位の少集団に分かれ、敵の突撃を受け流せ!」

 

その指示が伝達される前に、それを聴いた副官が目の前まで迫る赤備えを見て『間に合いません』と返す前。

 

選りすぐりの千騎からなる呂布が、視界に入った。

 

「居た」

 

その呟くような声を聴いた瞬間、鍾会は剣を抜いて呂布に斬り掛かる。

獰暴なる巨獣に補足され、追い詰められたかのような。底冷えのする殺気に当てられてしまったのである。

 

結果的に、その一撃は防がれることは無かった。かと言って、呂布の肉体に傷を作ったわけでもなかった。

 

「弱い」

 

殷周の伝説にしても、光武帝の伝説にしても、強者とされる武人は敵と打ち合う。何合、十何合分の体力を使い、敵を見定めてからそれに合わせた一撃を喰らわせるのである。

だが、呂布はそんなものは体力の浪費でしかないと断じていた。

 

彼女が目指すのは多対一における強さでもなければ、勿論一対一における強さでもない。

不特定多数にいつ、どのような方向から襲われても何とかなる強さである。それには量を物理的に捌いていく速さが必須だった。

 

天下無双など、通過点に過ぎない。結果的に一対一において不敗であっても、目的を達成できねば意味はない。

 

武人として道を歩む者ならば誰もが羨む才を持ちながら、呂布はそれに対して誰よりも無頓着だったと言えるであろう。

ともあれ、保護者の方は如何に敵を効率的に殺戮していくかということを突き詰めてしまい、被保護者の方は如何に敵を迅速に処理していくかということを突き詰めてしまった。

 

彼女がこの開戦してから二刻という短時間で既に五十人の命を天に還していることも、その特徴が表れている。

 

「敵将鍾会、呂奉先殿が捕えたり!」

 

鳩尾に方天画戟の石突を叩き込まれて気絶した鍾会を縛り上げた高順が高らかに音声を張り上げ、全軍に動揺が奔る。

攻勢に転じてからたった二刻で、敵の第一陣を突破したのか。

李師は、攻勢が下手なのではなかったか。

 

敵味方は等しくそのような思いを抱いたが、別に鍾会が捕虜になった瞬間に第一陣が突破された訳ではなかった。

総攻撃を命令し、それが結果として第六軍団の秩序無き潰走に繋がったのは午前九時十三分のことだったのである。

 

「敵陣、突破ぁ!」

 

歓喜と達成感に満ちた伝令の報告を聴きても、李師は表情を弛めなかった。ノリが悪いとか、兵卒のこの感情について嫌悪を示したとかそういうことではなく、単純に軍を引き締め直さねばならなかったからである。

 

「直ぐに次の敵が来るぞ」

 

その一言で狂騒のような歓喜の渦が収まったところに、彼の統率力の高さがあった。

要は、兵の一人一人に至るまで『この人の作戦に従っていたら間違いはない』と言う信仰を集めうることに成功していたのである。

 

名将という称号が味方に何らかの、即ち『不敗』や『常勝』などの信仰を抱かせる者に対して与えられる以上、これはこの戦場にいるどの指揮官にも言えることだった。

 

「軍旗確認。敵、荀彧隊。吾が軍の接近に伴い円形陣を編成しつつあり」

 

「両翼を延ばして三面包囲。距離は詰めずに、射撃に専念して敵の厚みを減らす」

 

「呂布様、成廉様、魏越様、帰還なされました!」

 

「待機。その三隊はまとめて運用する。両翼は?」

 

「依然、硬直状態にあります」

 

その報告を聴いて続行するようにと指示を出し、李師が一息ついた瞬間。

戦局は再び鳴動する。

 

「敵、荀彧隊の一部が突出。吾が軍の正面を攻撃しております。恐らくは中央突破狙いですが、一部ならばじきに攻勢限界点に達します。無視なされますか?」

 

「荀彧はそれをこそ望んでいる。私と前に対局したことを逆用して、呼び水ではないと偽装しようとしているのさ」

 

前回の戦闘とは、高陽の戦いを指す。

この戦いで荀彧は今と同じく迎撃の任務に付き、攻勢に転じて趙雲・呂布・華雄に包囲された末に敗れていた。

 

同じ様な演出をしてやれば、今度は別な手を使うか、或いは違う手で来るのかで戸惑いを生む。

それが、荀彧の仕掛けた罠だった。

 

「なるほど、心理的な罠ですか」

 

「そういうこと。ならばこちらは迎撃の斉射の後、全軍反転。趙雲を殿にして陣形を維持したまま、易京方面へ逃走する」

 

「逃走、ですか?」

 

「そう。ただし、ゆっくりと。しかも、整然と」

 

反計、と言うのか。敵の仕掛けた罠と類似型の物を、李師は荀彧に投げ返す。

恐らく、敵の突出は本気だった。李家軍を圧し戻し、攻勢を断念させる。或いは副次的に突破も目論んでいるかもしれない。

 

詰まるところ、李師は一見退路がなさそうな罠に嵌められていた。

進めば崩せず、止まれば断たれ、退けば撃たれる。軍隊の行動が極論を言えば『進む』『止まる』『退く』しかない以上、李師の選択はないに等しい。

 

「選択肢はない。だが、敵の選択肢を潰してやればどうかな」

 

進めば崩せずは、敵が円形陣をとっているから。

止まれば断たれは、中央突破をされるから。

退けば撃たれるのは、敵が後背に追撃を掛けてくるから。

 

それら三種を何とかする術を、李師は咄嗟に思いついたのである。

 

「李家軍、退いていきます!」

 

「追撃を―――」

 

これを見た荀彧は、『退けば撃つ』を実行に移そうとした。実際に、紡錘陣形に再編を終えているあたり、彼女は優秀な統率力を有している一軍に相応しい将帥であると言える。

しかし、自分が利用した『先の戦いの記憶』が、彼女に牙を剥いていた。

 

殿、趙雲。

追っていった結果、どうなったか?

 

ここで自分が突破されれば、本当に後がない。

 

「いや、突出部隊を収容して円形陣に再編して防御を固めなさい」

 

「敵、突出部隊を一翼で包囲!」

再編が四割まで終わりかけ、突出部隊を収容しようとした瞬間に、荀彧の元に急報が入った。

 

 

「呂布隊、全速で突入してきています!」

 

 

一翼包囲と急進。この時一翼包囲を実行したのは麴義である。騎兵と歩兵が乱雑に戦い合う乱戦に引き摺り込み、時間稼ぎと混乱に徹していた張郃が指示通りに差し向けた部隊であった。

 

部隊としての破壊力ならばともかく、個人としての強さでは比類なき呂布である。その推進力と突破力は凄まじく、忽ちの内に荀彧の本営に迫った。

この時李師も趙雲隊を前進させており、完全に攻撃に専念している。

 

この機を待っていた者が二人居る。一人は謂わずとしれた曹操である。

彼女は自ら右翼の指揮に乗り出し、張遼隊を一部隊に一部隊をぶつけて僅かに左斜め後ろ、即ち中央部の方へ後退させ続けると言う巧妙にして精緻な指揮ぶりを見せた。

 

これにより、張遼率いる右翼部隊を徐々に左へ、左へと誘引していたのである。

 

これにより、お得意の迂回急襲が可能となった。

しかも、計算通りの完璧なタイミングで。

 

「春蘭。あなたは中央部から右回りに迂回して敵右翼の横腹を突き抜け、そのまま敵中央部を打ち砕き、敵将を捕えて私のところへ運んで来なさい」

 

この命令を受けた夏侯惇は、やっと出番が来たかと勇躍し、右側面に回り込んでいた。

張遼は、この迂回してきた第七軍団に思いっきり横腹を突かれかけていたのである。

 

この迂回に目敏く気づいた張遼は、李師に問うた。

 

ここで自分が食い止めた方がいいか、右翼部隊は回避に専念した方がいいか。

食い止めれば、確実に張遼は死ぬ。それほど桁の違う攻撃力を持っていることを、この場の誰もが知っていた。

 

だが、その死の未来を前提に張遼は問うたのである。

 

『敵も下がるだろうから、呼吸を合わせて回避に専念せよ』

 

李師からの命令はこれだった。つまり、中央部が壊滅する羽目になる。

張遼からすれば、これは予想外だった。

 

中央部が曹操まで後一歩にまで迫っている以上、自分がこの破壊力を引き受けて減衰させた上で右翼部隊の指揮権を趙雲なりに渡し、呂布隊のみで突破させるべきだ、と。

そういう指示が出されるであろうことを彼女は―――変な言い方になるが―――期待していた。

 

だが、指示はそれとは間逆である。

 

「どうされますか?」

 

「もっかい訊き返す暇はないし、ここは策があることを期待して退くっきゃ無いやろ」

 

このような半信半疑の体でも、張遼の指揮は冴えていた。

彼女は敵の右翼部隊と呼吸を合わせて自軍を件の陣地にまで後退させることに成功したのである。

 

一先ずこれで、右翼部隊の危機は去った。そして危機が形を為したのような軍団は、矛先をそのままに標的を李家軍本営へと向けた。

 

「張遼隊には躱されたが、問題ではない。吾等が本営を直撃すればいいのだ。本営が躱しても、乱戦となっている左翼部隊は躱すことはできん。一翼が崩れたならば、そこから半包囲してやればいい。

吾等の矛先で何を砕こうが、砕けば即ち吾等の勝ちだ!」

 

夏侯惇率いる第七軍団の前には、李師・趙雲・呂布の三者が率いる本軍が、紡錘陣形で横腹を晒したままに横たわっていた。

 


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