北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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七十七話。特に何があるわけでもないが、ここまで続いてきたことに自分ごとながら驚いてます。
何より驚きなのは毎日投稿がそこそこ続いていることですが。

なっとうごはん様、評価ありがとうございました。


退避

親は戦場の盤上戦闘において、養父は戦場の盤外戦闘において、自身は戦場の別個の戦闘において、こいつはもしかしたら無敵なのではないか、と思われている呂布は、潁川郡の地を踏むのは二回目である。

 

一度目は、李師が放り込まれた洛陽の牢獄を叩き壊そうとして徒歩で西進していた時。

二度目は、今。

 

一度目は司馬家八令嬢と涼州三明に物理的な力によって止められてしまったが、二度目の今は最早阻める者は居なかった。

 

「それにしても、何かしらの因縁すら感じるな、これは」

 

西平・父城・臨潁の三城を囮として使うにあたり、民間人を敵軍に気づかれぬように許へと撤退させよ。

中々に無茶振りなこの命令が、李師の曹操軍としての初めての仕事であった。

 

籠城戦となれば、その災禍は民間人にも及ぶ。易京の様な規模の違う城郭都市ならばともかく、西平・父城・臨潁の三城のような小城ではその可能性が高い。

それを慮っての、一時退去だった。

 

「……因縁?」

 

「私の初陣は民間人の退去でね。上官が戦に負けた挙句に逃げてしまったから、物資や家財を運ぶ余裕すら持たせてあげることができなくて、随分と恨まれたもんだよ」

 

だが現在は、家財や物資を運ぶ余裕すら持たせてあげることに成功している。

命あって物種というが、その後に命を繋いでいくためには家財や物資が必要なのだ。

 

そこらへんをわからなかった辺り、嘗ての李師は些か以上に箱入りであったと言える。

まあ、彼が暮らしに苦労しない都暮らしではなく、そのことがわかっていたとしても家財や物資の持ち出しは不可能だっただろうが。

 

「……そのあと、は?」

 

「自腹で補償した。殆ど自業自得だが、呂氏春秋を買う為に貯めていた金やら、報奨金やら給料やらが吹き飛んだよ」

 

祖母にそれとなく諭されて補償した結果、彼の私財は払底した。だが、その分の名声と華雄と張郃からの忠誠心を手に入れている。

後者はともかく、名声よりも呂氏春秋が欲しかった李師は、その噂を聴くたびに呂氏春秋を思い出しては給料から生活費を差っ引き、指折り数えて金を貯めていたのであるが。

 

「……災難。でも、自業自得」

 

「本当にね」

 

赤兎馬に乗った呂布を隣に、武装された蒼緑の馬車に乗った李師は溜息を付いた。

 

彼にして見れば軍という存在は民間人の暮らしを守る為にある。呂布もこの価値観を共有している。

だからこそ、このような会話が出てきた。本来ならば『命があり、見捨てられなかっただけマシ』で済んでしまうのである。

 

それが辺境の現状だった。その頃の李師は都上がりで知らないことだったが。

 

「……逃げた上官は?」

 

普通敵前逃亡は死罪なのだが、一応形式だけ止めた李師に思いっ切り囮にされた挙句捕虜にされたのである。

自分の行動で破滅の道を歩み始めたとはいえ、可哀想にとしか言いようがなかった。

 

「上官は民間人を守る為に犠牲になったのだ……と、言うことになった。というか、した。多分昇進したんじゃないかな」

 

「……物は言いよう」

 

「然り」

 

彼の上司は都に栄転し、執金吾にまでなっている。

それはその上司が無能ではないことを示しているし、李師の適当な報告書が一人の潰されかけた未来を救ったことも示していた。

 

潰れそうなところを利用したのも、この男であるということを無視すればただの善人である。

 

「それにしても、恋。恋が敵だったら、どう動く?」

 

「……恋なら、逃げる」

 

「どうして?」

 

「兵力で負けてる。それに、もう北から引き離した」

 

ただの武力バカではないことを示しつつ、呂布はくるりと横を向いた。

 

「兵力差を覆すのは、異常なこと。嬰は?」

 

「私も逃げる。戦略目的を達成した以上、留まっている理由がない。更には、恋の言った通り大軍に寡兵が勝つのは異常なことだ」

 

「……これ、演技?」

 

「まあ、だろうね。こちらが決戦を辞さないような風を出して、敵を退かせる。戦略的勝利を納めれば、戦術的に血を流さずに済むことの一例かな」

 

戦略的勝利は、既に収めている。しかし、敵も戦略的に目的を達成している。

痛み分けという形になるが、李家軍という盾が曹操軍のものになってしまったことを見れば、曹操軍の勝ちだった。

 

戦術レベルの戦いは発生せず、直接に刃を交える為に必要な小規模な戦略的勝利は曹操軍の物、それを誘発した中規模な戦略的勝利は荊州軍の物、北と南で挟み撃ちされている現状に一石を投じるという大規模な戦略的勝利は曹操軍の物である。

 

中規模な戦略的勝利を確実に維持する為には、荊州軍はここで退くしか方策はなかった。

更には、ここで戦術的勝利を納めても戦略的には何にもならない。

 

「……着いた」

 

「民間人を優先させ、吾が軍は城外で一時的に待機」

 

比較的黄巾の乱において戦果に包まれなかった河北の大都市易京並かそれ以上に繁栄している許昌に着き、李師は馬車の中で一息つく。

潁川郡は黄巾の乱において壊滅的な打撃を被った土地だった。

 

現在の李師の政治的な幕僚となっている低コスト建設が大好きな劉馥、低コスト農業が大好きな韓浩と言った面々は潁川郡の戦乱を避けて平穏な土地に逃げてきた口である。

 

潁川郡出身の名士と言えば、曹操軍で言えば、新進気鋭の荀彧、程昱、郭嘉等三人と、後は一昔前とは言え李瓔。劉備軍は諸葛亮や龐統などの荊州名士が中核になっており、孫策勢力は潁川から逃げた人材と揚州名士。

 

他の土地にも逃げてきた潁川名士が居り、その質の高さと量の豊富さは嘗ての潁川の教養的な意味での繁栄を思わせた。

そして、主要なメンバーが軒並み曹操に仕えている辺りに、彼女の蒐集癖の貪欲さを伺わせる。

 

「収容完了」

 

「ご苦労様、副司令官」

 

冀州豪族と冀州名士、更には并・涼州の辺境での叩き上げの連合軍が李家軍。

潁川名士と地方の有力者、叩き上げの連合軍が曹操軍。

荊州名士と幽州の在野の人材の連合軍が劉備軍。

揚州豪族の連合政権が孫家。

 

一番名士を優遇しているのが曹操軍であり、中途半端が劉備軍、豪族を優遇しているのが孫家だった。

結果として李師の抜けた公孫瓚軍は、豪族の連合政権としての堅さをより増している。異物が取り除かれた為に結束が増したパターンである。

 

「仲珞」

 

「うん?」

 

声をかけられるまで気配がないことに定評がある夏侯淵に後ろから声をかけられ、李師はふらりと振り向いた。

許昌の門でずっと待っていたのだとしたら暇なのだろうし、機を見て来たのならば流石と言える。

おそらくは、後者であろうが。

 

「お前、敵は退くと思っているだろう」

 

「ああ。君は違うのかい?」

 

「いや、全く同意見だ。しかし、いつになく吾が軍は消耗していることを考えると、信じ切る気にもなれん」

 

左腕を切り落とした挙句に入ってきた新参者にはわからない実感を論理に乗せて、夏侯淵はポツリとこぼした。

 

「と言うと?」

 

「何処かの誰かさんが、強烈な一撃を三回連続で叩き込んでくれたお陰で、常設の十三個のうち三個が再建中、三個が練成中。実質的に精鋭と呼べるのは七個軍団、八万四千人しかいないのだからな」

 

「なるほど。ただ削る為だけに仕掛けてくる可能性も、あるのか」

 

「そうだ」

 

被害を被ったが現役兵で補充された第一に、そもそも無傷の第四・第五。夏侯淵の第十一・第十二、元李家軍の第十、李家軍の第十三。理想的な練度を持っているのがこの辺りであり、他は訓練中であったり新兵が多かったりと問題がある。

無事な二個軍団が動かせない以上、質と量をかけた稼働戦力としては荊州軍と殆ど同一であると言ってよかった。

 

「今更言うまでもないが、準備を怠るなよ」

 

「怠らない、怠らない」

 

「で、被害は?」

 

逃亡兵やら何やらの実数を掴む為にも、更には他の軍団の再建が終わった後の補充の為にもその問いを投げた夏侯淵の耳を驚かせる報告が、李師の口から放たれた。

 

「零。なし。私は逃げるのは巧いんでね」

 

「敵に出会さなかったのか?」

 

「敵の射程外から一方的に射撃したら逃げてくれた。嬉しいことさ」

 

強弩も強化複合弓も射程に秀でた武器であり、李家軍の鎧は軽く丈夫である。理論上はそれを活かせば損害はゼロにできるが、それには入念な索敵と適切な判断力が必要不可欠だった。

 

必ず敵に見つかる前に見つけ、敵が攻める前に攻めなければならない。そして、追撃を喰らわないように迅速に逃げなければならない。口にするには簡単だが、これが常にできれば奇襲という戦法は生まれないであろう。

 

「民を率いていたのに、よくやれたな」

 

「率いる前に一部隊に奇襲を仕掛けて、偽情報をばら撒いておいた。それで一箇所に集めて誘導し、笊になった警備網を悠々突破できた―――つまり、道を貸してもらったのさ。私が并州から董仲頴の治める司隷に援軍に言った時と、タネは同じだね」

 

「使い回しとは、強かなものだ」

 

ゲリラ戦や兵站破壊作戦を行わせたら恐らく天下無双の指揮官である李師の原点は、民間人を率いての撤退戦である。

 

如何に敵を誘導するか。

如何に敵と出会さないか。

如何に敵を無傷で叩くか。

 

この難しい宿題を上官からパスされたが故に、彼の行軍や撤退戦、守勢に於ける用兵は攻勢よりもなお一層秀でていた。

 

故に、彼女が三日後に与えた命令は極めて適正を心得たものだったと言えるだろう。

即ち、敵の補給部隊の撃滅である。




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