北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
「義勇軍?」
「……ん。会う?」
「会うだけなら何の害もない。無視すれば関係に齟齬を生ずる。会ったほうがいいんじゃないかな?」
李師は『今更義勇兵がなんのようだと言うのか』とでも言うような懐疑的な発声をした名目上の総大将である公孫越にそう提案し、字を仲圭とする彼女は懐疑を僅かに収めて頷いた。
呂布は、別に反論することなくそれに首肯を返す。
会うだけなら何の害もないと言うが、会った者がこちらに対して一方的な敵意を持っていたら、それは害になるだろう。
そんな簡単なことがわかっているのか、いないのか。軽く欠伸をしているその姿からは何も読み取れることはなかった。
暫くその場でぼーっと考えていた恋は、思考を打ち切る。
これまでもこれからも、目に見える害意は自分が砕き、目に見えない害意は彼が何とかしてくれるのだ。
それに、これでは単なる杞憂に過ぎない。最初から疑ってかかるのもよろしくはないだろう。
「……会う」
「ありがとうございます!」
公孫の旗。恐らくはそれにつられてきたであろう義勇兵の長は、嬉しさを顕にして呂布の後へ続いた。
その後ろからは、黒髪と赤髪。あと二人の幼女。
呂布はその野生の肉食獣のような鋭敏な勘で以って、己の後ろについてくる五人の実力を読み切る。
一人目は、一般人より少し強い程度。二人目は、強いには強いが苦戦するほどではない。三人目も同じで、四人目五人目は恐らく李師と同じかそれ以上の武技しか持たない。つまり、鎧袖を一触させるまでもなく対処することができた。
二人目と三人目が同時にかかってきたら攻めあぐねるだろうが、それも李師を背後に抱えていたらの話である。
今の時点では背中を見せていても充分に余裕があった。
「……こっち。公孫仲圭が待ってる」
「総大将は紅蓮ちゃん?白蓮ちゃんは?」
「……公孫伯圭は来てない」
まさかの呼び捨てに鼻白む様子も見せず、桃色の髪をした少女は白蓮と紅蓮と―――即ち、公孫姉妹の真名を口にする。
この事で、呂布は彼女が公孫姉妹の知り合いであることを脳に保管した。
何故か、真名は知っていること自体は許される。そうでなければ人前で連呼できないし、使い道がほとんどなくなってしまうから、なのだろう。
故に、呂布は真名を預けたり預けられたりしていない公孫姉妹の真名を知識としては知っていた。
一人目と二人目までが案内した幕舎に入った当たりで、ようやく彼女は安心する。
彼女としては、李師と呼ばれている家族を護れればそれで良い。他のことに頓着することは無いし、頓着しなかった結果どうなろうがそれは彼女の良心が悔やむことにはなり得ないのだ。
公孫越がどうなろうが、知ったことではないのである。
それだけに、この三人目四人目五人目の行動が謎だった。
「あの、李仲珞さんはどこにいらっしゃいましゅか?」
「……何で?」
この二人が幕舎の前で止まっていることを考えれば、割りとすぐに導き出すことが出来る結論である、李師への用事。
それを予想していた呂布は、すぐさま問いを返す。
それに答えたのは、三人目の武人然とした黒髪の女性だった。
「彼女等は李師殿の友の弟子らしく、彼を尊敬するところが篤い。どうか会わせてやってはもらえないだろうか」
「…………恋が決めることじゃない」
「それは当然だ。だから、伺いを立てていただきたい」
親しい仲になるとムキにもなりやすいが、見ず知らずの相手の前で感情を爆発させるほど、黒髪の女性は子供ではない。
今回別に腹に据えかねることがあるわけでもなかったが、その見ず知らずの人間に対する丁寧さをいかんなく発揮したと言っても良いであろう。
呂布は、彼女等三人を取り敢えず彼の起居する幕舎の前まで連れていって、問うた。
「……名前、は?」
敢えて幕舎の前で名を問うたかと言われれば、その声色を李師に効かせるべきだろうと思ったからである。
彼は一挙手一投足から心理と性格の洞察を始め、それらが積み重ねるにつれてその精度を高めるといった心理把握の技術があった。
一方はハキハキとした、もう一方はどこかに怯えのある声色であることを彼に訊かせ、呂布は幕舎の中へと足を踏み入れる。
「知り合い?」
「知り合ってはいない。が、知ってはいると言ったところか……まあ、通してくれ」
「……ん」
頷き、幕舎の内部と外を区切っている垂れ幕を、呂布は静かに脇に寄せた。
「……入ってもいいのか?」
「……いい」
諸葛亮、龐統の順で幕舎の中へと入った後、黒髪の武人が己の愛用であろう青龍偃月刀を呂布に向かって預けるように突き出す。
呂布は腰に剣を佩いているものの、長物を持っているわけではない以上、招待された彼女もまた持っている訳にはいかないと感じたらしかった。
「預けてもよろしいだろうか?」
「……うん」
青龍偃月刀を預かった後に丸腰になった黒髪の武人に己の佩剣を渡し、いつもの定位置ではなく不思議そうに剣を受け取った彼女の横に立つ。
それは呂布なりに、その礼儀と気配りに敬意を表した形でもあった。
「私は関羽。字は雲長。貴殿は?」
そのことに気づいた黒髪の武人が名を尋ねようとし、先んじて自ら名乗る。
呂布もそれに応えるように名を告げた。
「……呂布。字は奉先」
主のおもり同士が名を交わし合っている間、幼女二人と男一人の間は沈黙が空間を占領している。
一方は師から聴いた話と外見がかけ離れていることに戸惑いながらも尊敬の念を薄らせることなく佇んでおり、一方は何を話したらいいかわからないというような社交性の無さを露呈させていた。
「……さて、伏龍・鳳雛と謳われた君たちの師匠とは司馬徳操で間違いないかな?」
「ひゃ、ひゃい!」
髪を掻き上げるように手を動かしながら、最低限の情報を確認した李師はぼんやりと思考の海へと身を埋め始めていたのであろう。
その次に言い放った言葉は、外見と中身がかけ離れていることを百万遍の言葉よりも如実に伏龍鳳雛の二人に示した。
「……ここに居るということは、冀州というところまでは読めていたのかい?」
なんの脈絡もない言葉に、関羽は一瞬頭を傾げる。
呂布はいつもの如くぼんやりとしており、諸葛亮と龐統はハッとしたような表情でその驚きを顕にしていた。
冀州が最終決戦の地になる。だからこそ、劉備率いる義勇兵五百はあちらこちらに赴かずこの場を固守することで諸将の集結と会合を待っていた。
「……はい」
とても神算鬼謀たる予測の正確さを併せ持つ指揮官とは思えない温和な、悪く言えば覇気も押し出しの良さもない顔を見上げ、恥じたように俯く。
ここで諸葛亮は、一回傍らに座る龐統を見てから頷いた。
(こちらを見くびっていたことを恥じた、か。明敏だが人の感情に疎い、と言ったところだろう。司馬徳操は教育者ではあるがその性質は雑味のないところを好む。
まあ、限られた人員の中で学べばそうなるな)
司馬徳操の水鏡女学院は、人の住まぬ湖畔のほとりにある。
それは一種の人材の純粋培養を助け、一方で頭でっかちになる可能性をも助けてしまう。
別に彼女らが頭でっかちである訳ではないし、司馬徳操は頭でっかちになることを防ごうとするだろうが、学び舎から出たら即戦力として数えられるのかと訊かれれば疑問符が残った。
並みの智謀の士ならば才能の差で押し切れるから問題はないが、経験を積むことで彼女らの才能を追い越したらならば、話は別だろう。現に己はそれほど誇れる才も持たないが経験によってその差を補えているはずなのだから。
そして恐らく、智慧に優れるがその使い方と配慮を知らない。百戦錬磨の智者であったならば、己の感情の挙措を読ませない筈だった。
俯いたことでこちらを噂だおれだと感じ、それを恥じたことが。
傍らに座る龐統を見たということは自信をなくしたのか、主導性を取ることに確信を失ったのか、諸葛亮よりも龐統が優れており、それが諸葛亮の自覚するところなのか。
どちらにせよ、諸葛亮の人物鑑定眼は今の時点では外見というものに先入観を抱くらしい。
一動作の積み重ねで、心理はさらさらと読み取れる。日常生活に於いてはともかく、戦場にあって心理戦で敵を嵌めてきた百戦錬磨の元征北将軍の本領発揮だといえるだろう。
「うーん、黙られてはこちらも覚りようがないな。用というのは何だい?」
「……李仲珞殿の、目指すべきところを聴きに参りました」
「そんなに畏まらなくても、良いんだけどね」
「いえ、自分より優れた智者に会う場合は敬意を払えと師から言われているので、どうかご容赦くださると幸いです」
どうにも敬語というのに慣れない李師は、ぽりぽりと頭を掻きながら胡座から右の膝のみを立てた。
諸葛亮が敬意を払うならば相当だと、僅かな信頼をいだき始めた関羽の眉がぴくりと上がる。
認めた人間には基本的に本質的な性格である甘さが目立つ関羽に眉をひそめられるほど、彼は行儀が悪かった。
「……目指すべきところ、ねぇ」
言っていることは朧気にしかわからないものの、何やら彼の能力が優れているらしいということはわかる関羽が、その見透すような眼差しと侮られがちな風貌に隠された智慧がわかってしまった諸葛亮と龐統が。
呂布以外の視線が集まったことに対して困ったような顔をして頭をかくと、李師は常日頃思っているところをぽつりと吐露する。
「私はまあ、一定の平和かな。次代の子等が私みたいに敵に勝つ浅ましい策を練らずに済む、何年何十年かの平和」
「永遠では―――」
殆ど反射と言った様子で口を開いた関羽に視線が集中し、彼女は顔を赤くして縮こまった。
彼女の中には、彼女の主である桃色の髪をした少女の理想がある。
それは『みんなが笑って暮らせる国』と言う、目の前の彼と類似したものだった。
違いと言えば、桃色の髪をした少女が範囲を、彼は時期を明確に指定していることであろう。
「永遠ではない。と言うよりも、私たちは永劫生き続けられはしないし、平和を完璧に維持する制度を作れたとしても、それは時の経過と共に劣化するだろう」
「……すみません」
余計な口を挟んだことを反省しつつ、どこか永遠の平和というものを諦められない自分が居る。
そのことを自覚し、丁寧に説明してくれたことに感謝しながらも、関羽は理性と本能の間で悩んでいた。
「謝ることはないさ。疑問というものは抱いた瞬間に氷解させなければ、蟠りを生むものだからね」
ひらひらと手を振りつつ、李師は最後までなんの感情の変化も見せることなく温厚柔和な表情を崩していない。
本来彼が血の気が多い訳でも、他者に積極的に関わろうとしない質でもない為、内心が読みにくいというのもある。
しかし、今の時点では腹の探り合いでは彼に一日の長があることは確かだった。