北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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逆手

「李家軍……では、なく。第十三軍団は無事でしょうか?」

 

「戦をしている以上、無事ではないだろうな」

 

僅かに苦笑し、夏侯淵は典韋の発言をひとまず受け流した。

考えを纏めるまでもなく、彼女は李師に信頼をおいている。やれると言ったからには、やってのける男であると。

 

「奴はそもそも、やると言ったからやれるのではない。やれるからやると言うのだ。勝算のない戦いから逃げ、勝ち目が出てきてから戦いを始める男だからな。こちらが職務を全うしている限りは、むざむざやられはしまいよ」

 

「敵は兵站を幾度となく切られれば、必ず大規模な補給部隊を囮とした決戦を挑みます。勝ち目があろうとなかろうと、作戦目的を達成させる為には挑まざるを得ない、ということになるのではありませんか?」

 

面白げな光を漂わせた夏侯淵の琥珀の瞳が典韋の矮躯を優しく撫でる。

教育しがいがあるし、教育の結果が出つつある。

 

人を育てるのは面白いものだ、と。夏侯淵はそのような面白味を感じていただけだったのだが、どうやら典韋には伝わらなかったらしかった。

 

「す、すみません!」

 

「何故謝る?」

 

「出過ぎたことを、言いました」

 

「出過ぎていない。流琉の言うことは全く正しいし、聴くべき点を含んでいる。だが、一層分だけ、浅いな」

 

作戦目的を達成させる為には『せねばならない』。

そんな強制力を持つ条件を、李師が放置するわけがない。必ずこれを利用して、敵を殻から引き摺り出す。

 

「……と、言いますと?」

 

「この場合、結果は同じだ。しかし、主導者が逆だろう」

 

「諸葛亮が誘き寄せられ、李師殿が誘き出す。だけど―――」

 

それは、作戦目的にそぐわない。

李師の作戦目的は、あくまでも兵站線の切断の筈だ。

その思考の枷に囚われた典韋を、夏侯淵は優しく諭す。

 

「流琉。何故兵站を狙うのだと思う?」

 

「それは、敵を餓えさせる為です」

 

「では、何故兵站線を断つ?」

 

それは、敵を餓えさせる為。

同じ答えを求めるほど、自分の主は愚かではないことを典韋はよくよく承知している。

 

常識というものから半歩ズレて歩くのが李瓔という男なのだと、典韋は目の前の名将から聴いたことがあった。

それを、踏まえれば。

 

「兵站線を断つのは、線を束ねた出発点が城という殻を被っているから。そしてその殻を破れない理由は、多数の軍兵がその中に居るから……」

 

「つまり?」

 

「宛という殻を、攻め落とす気なのですか?」

 

「攻め落とすことは、しまい。何らかの小細工で殻を内部から突き破らせる。その為に距離を稼ぎ、時間を稼ぐ。仲珞の考えはそんなところだろう」

 

「……秋蘭様は、最初からわかっていたのですか?」

 

「わかったのは途中からだ。取り返しがつかないということも、同時にわかってしまったがな」

 

一気に送らねば、経済が破綻する。

一気に送れば、釣り出される、

 

生真面目に、自分の能力を誇張することなく適切に、あけすけに見せる。

一言で言えば『迷宮』とか『複雑』とかで言い表せる彼女の性格は、このような誇張を嫌い単純さと真実を好む面も持ち合わせていた。

 

「野戦で相対するときは、敵が一万から一万五千。仲珞が五千。二倍から三倍なら、奴ならば何とかできるだろう」

 

この一言で雑談を終えて、夏侯淵は目前の敵に絶えず揺さぶりをかける作業に戻った。

 

(あくまでも、これは予想だ)

 

明敏な指揮を執りながら、夏侯淵の頬が自然と緩む。

 

(一体、どちらが釣り上げたのか、だな)

 

友が齎す戦の結果が、今はただただ楽しみだった。

一方でその頃、李師こと李瓔も似たようなことを言っている。

 

趙雲が居ない、ということは、荊州軍の中で既成事実となっていた。

趙雲にあの派手な白装束を脱がせ、指揮を執る時は一般兵の如き鎧装備に甘んじている。

 

基本的にこの世界の指揮官という類の人間は、独特な衣装を好む。

呂布は弱点である腹が剥き出し、趙雲は蝶の翅の如き紋様の袖が特徴的な白装束。李師は足首までの長い脚絆と、深緑の上着に深緑の帽子。

 

これら三人の衣装に防御性能が皆無なことは言うまでもないが、とにかく見れば一発でわかるのが、著名な将帥の内で暗黙の了解となっていたのである。

 

「一大兵站基地である宛から、敵はこの博望を通って対陣している自軍へと送り届ける。周泰の報告で裏付けが取れた以上、これは既成事実だと思っていい」

 

審配と田予と呂布を前に、李師は田予が作ったおおまかな地図を広げて論じていた。

これからの作戦説明、と言うべきであろう。

 

「敵の旗は、諸葛、張。諸葛亮、あとは張飛が出張ってきている。いわゆる、義勇軍の頃からの古参の二人だね」

 

「能力に見合っての差配なのでしょうか?」

 

すっかり病床に伏してしまった劉表の後を継いでいるのは劉備なのだ。

自然とその母体である義勇軍の構成員たちは出世を重ねているし、若手を抜擢したりもしている。

 

李師の不安はその抜擢された若手の中にとんでもない計算違いを引き起こすだけの能力を持った人間がいることなのだが、荊州は平和な土地だった。基本的に戦は起きない為、訓練を見るより他にない。

 

計算違いを引き起こしても対応可能なように、余白を残しておくことでしか対応はできなかった。

 

「やはり人として、苦楽を共にしてきただけに身内びいきがあることはあるだろうけど、この大陸でも屈指の将であることは確かだよ」

 

「では、第十一軍団(夏侯淵)と対陣している龐統、関羽あたりも、ですか?」

 

「そういうことになる。が、龐統らは対した問題じゃあない。我々として前から進んでくる敵を何とかすればいいわけだ」

 

この一見楽観が過ぎるように聴こえる発言を窘めたのは、意外にも田予である。

今まで李師の言葉を問いによって確認していた審配は上司に忠実すぎるところがあり、反対意見を叩きつけるよりは命令を粛々と実行に移す。

 

戦場においては得難い剛直さだと言えるが、ともすれば佞臣と取られかねないところが、彼女にはあった。

 

「ですが、夏侯淵殿の第十一軍団と第十二軍団、残してきた我が軍の半数を合わせても四万に満たない数。一軍をもって夏侯淵殿を封じ、余力を以ってこちらの後背を突く、というようなことに、なりはしませんか?」

 

「敵は居て七万。兵力差は二倍だ。

私は何とか出来た。曹孟徳も何とかした。妙才なら何とかするだろう」

 

殆ど無邪気なまでの圧倒的な信頼が、この作戦の前提にある。

気が合うから、というよりは、同質・同量の信頼と信用を互いに置いているからこその、リンクぶり。

その後幾つかの質疑と作戦の公開を経て、五千弱の李家軍は博望に布陣した。

 

博望。

周囲に山、森を完備した平野地帯であり、豊かな自然を持つ火計にうってつけの地形である。

李師が陣取った箇所はよく生い茂った森が拓かれた平野部であり、お誂え向きの野戦場だとも言えた。

 

「敵軍、我が軍前方二十里まで進出しつつあり」

 

そう知らせたのは、その快足で物見に行っていた周泰である。

彼女は李師の耳目であり、彼女なしでは李師は常に正しい判断を下せる、とはいかなくなるであろうことは必定だった。

 

「輜重は?」

 

「目算ですが、七万の兵が二ヶ月は食べていける分の量が積まれているものと考えられます」

 

「偽装だね」

 

「は?」

 

あまりにも瞬速の看破に、思わず自分を殺したくなる程の粗相をおかしてしまった周泰が自己嫌悪に陥っている間に、李師はご丁寧に解説を述べる。

 

諸葛亮は慎重派の指揮官であり、戦歴を見るに、奇策も使うが賭けを好まない。そんな彼女が戦うとわかっていてそんな大荷物を持ってくるはずがない。

 

持ってくるにしても、自分たちを駆逐するのと補給を行うのを同時にこなそうとは思わないだろう。戦略目的を二つ抱えるというのは、相当に無理のあることなのだ。

そして、彼女は明確にこちらの撃滅を目指している。他にも道はあるのにもかかわらず、態々博望を選んだのがその証拠だった。

 

「……博望にこなかったら、どうなさるつもりだったのですか?」

 

「宛をとるだけ、かな。少なくとも短期的に前線に兵糧や軍需物資が行き渡ることになり、戦略的には負けていた」

 

「この博望での迎撃は、博打だったのですか?」

 

「ああ」

 

周泰の驚き混じりの問いに、李師は平然と頷いた。

 

諸葛亮であれば念入りに諜者を放ち、敵の位置を掴んでからそこに布陣をする。

 

李師と、諸葛亮。よく似た戦い方をする二人の、大きな差異がこの一時に現れていた。

 

李師は平然と投機的な手を打ち、八割の技巧と二割の運で成功させる。

諸葛亮は、投機的な手を嫌う。堅実に攻め、五割の技巧と五割の理論で成功への道に自分を乗せる。

 

どちらが良い指揮官であるかは定かではないが、大軍で寡兵を討つ指揮をするならば諸葛亮が、寡兵で大軍を穿つ戦をするならば李師に適性があった。

 

「さて、陣地構築は?」

 

「完成しています。いつ攻められても応対できるかと」

 

「では、待機。来たら迎撃してやるとしようか」

 

そのまま寝てしまいそうなリラックスぶりを示す李師を見て、傍らに立つ呂布と目を合わせ、肩をすくめる。

 

剛胆というかなんというか、へんに図太いところがあるのもまた、李瓔と言う男の一側面だった。


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