北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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今回のあらすじ:呂布は、突撃を繰り出した!


突撃

「どうですか?」

 

曖昧な問いの中に僅かな焦燥を混ぜて、諸葛亮は収集をつけるまでもなく整った前線から呼び出した張飛に問うた。

戦いは既に一日を経て、二日目へと突入している。一万五千の軍は、五千足らずの軍とまともに戦えてすらいなかった。

 

指揮官を呼び出せる程度には収拾をつけるまでもないのに、まともに戦えてすらいない。

 

この矛盾の発生源は、李師のとった戦法にあった。

 

「敵は柵と土塁から矢を撃ってくるだけだし、挑発しても乗ってこないのだ」

 

「……困りましたね」

 

この一日半、李家軍はいつの間にやら築いた陣地に引き篭もって雨のように矢を降らせることに徹している。

無論こちらも矢を射てはいるが、疲労も溜まるし、何より時間経過とともに味方が死んでいくという凄惨な光景に耐性のない新兵が主力なだけに、時間経過での消耗は精神面においても肉体面においても劉備軍の方が多量だった。

 

「いつの間にあんなものを?」

 

「戦闘に使う兵と、工作兵を兼ねた兵を従軍させているのではないでしょうか」

 

これは事実であって事実でない。現在展開している李家軍の内、二千人は後方支援集団である。

つまり、編成的には工作兵が四割。戦闘員が六割なのだ。

 

左翼に千、中央に千、右翼に千。防壁があるとは言えども、ぺらぺらにも程がある、一点集中で攻撃されれば負けの博打のような布陣。

それを、李師はこの時とっている。

だが、諸葛亮がそんな内情を一々知っている訳ではない。そもそも連弩という兵器を惜しみなく使っていることもあり、矢の数で敵の数を測る、ということもできないのだ。わかる訳もなかった。

 

「野戦陣地の攻略を急がせましょう。あれをどうにかして誘引すれば数の優位を活かせます」

 

「遠距離射撃戦は、終わりなのだ?」

 

「そうなります。敵の備えは応急的なもので、配置と構成の鬼畜ぶりに反して耐久性は脆いので、五千の歩兵に工兵を護衛させて破壊しましょう」

 

この動きを、李師は僅かな誤差はあれど読み取っている。

もう少し早いと思っていたのが、肩透かしを食らった格好であるが。

 

「恋に連絡。半ばまで崩された時を見計らい、敵の破壊部隊を食い破れ、と」

 

「機に関しては委任する、でよろしいのですか?」

 

「恋が指揮官をやるといったからにはそれくらいはする。元々悪運と機の洞察に関しては私を超えるんだ。うまくやるさ」

 

敵に損害を与えるというよりは味方の損害を防ぐ陣地構築と『この手の戦』に慣れているが故に、李家軍の死傷者は百に満たない。

 

別に敵を殺したからといって有利になるような状況ではないが、被害の少なさは李師を安堵させ、安堵した己を憮然とさせるに充分だった。

 

「予想より被害が少なくてよかった、という言葉ほど指揮官の根性の悪さがにじみ出る言葉はないな」

 

「何故ですか?」

 

「人が死ぬのを見過ごしている。わかっていてなお殺している。こう思った人間がろくな死に方をしないことは請け負いだ」

 

勝っているのに何故か落胆したように、あるいは失望したように、つまりは憮然としたように前面の戦局を見る李師を横目で見やり、田予はへんてこな、しかし己の才幹を余すところなく使い、欠点を補充してくれる主を補佐すべく隷下の伝騎に指示を下す。

 

このような愚痴が敵にでもなく、実行者たる部下にでもなく、それを命じた主にでもなく、ただ彼自身にのみ向けられているあたり、彼の内向的な性格をよく示していた。

 

田予が後に書き残すことになる、そして極めて的を射ている一文である。

 

「副司令」

 

「はっ」

 

「左翼の恋が陣地から出たら、吾々は審配を先手にして速やかに撃って出る。右翼にも伝令をやっていてくれ」

 

何をする気か皆目検討をつかないが、構想能力を欠きながら実行能力のみを持つ人間が疑いを立てるほど馬鹿なことはない。

これまでの実績と信頼とで、田予は整然とその指示に従った。

 

「撃って出た後は、各自いつでも戦線を纏められる程度に、自らの裁量で動くようにと」

 

「拝命しました」

 

この頃には、呂布に下した指示が彼女のもとに渡っている。

この指令を受けた呂布は一つ顎に手を当て、極一般的な矢による防戦をこなしていた。

 

その気になれば呂布が敵の工兵の指揮官を射抜けることを加味すれば、これは虎が獲物に向かって跳躍する時を待っているが如き有り様だとわかるであろう。

 

ともあれ呂布は、陣地がその機能を失う僅か前、半壊するまでひたすら待った。

 

そしてその時に、中央と右翼が盾を構え、陣地から出て攻撃に転じたのである。

 

この形勢の急激な変遷によって生じた敵の心理的動揺と、心理的動揺によって生じた意識の空白を、呂布は見逃さなかった。

 

半分壊した陣地を全壊させるか、味方の掩護に回るか。

散々に悩まされた陣地を半分壊したからこそ敵が悩んだ、間は三秒。

 

「突撃」

 

その隙を致命傷にすべく、呂布は半秒とかからずに決断した。

 

簡潔な命令は、より一層簡潔な結果を生む。

工兵部隊を守っていた歩兵は自らの守りたる土塁を迂回して急襲した呂布隊千に左脇腹から槍を突き刺され、右肩に貫き通されて壊滅した。

 

連絡系統を物理的に破壊され、心理的空白を突かれ、飛翔するが如く迅速な騎射を三度にわたって喰らった五千は、主将と中級指揮官を七人、下級指揮官を十五人喪い、指揮系統が再建できなくなるまで踏み潰され、二千にまで躙り減らされて敗走する。

 

「馬速を落として追撃。敗走する敵を盾にして、矢を除ける。敵陣に着いたら殺してもいい」

 

敵を盾にして、更なる戦果を上げる。

黄巾討伐で李師が見せたのと殆ど同じ戦術を、呂布はところを変えて再現してみせたのだ。

 

呂布は簡単そうに見えて凄まじい難易度を誇る、突撃という戦術の名手だった。

敵の弱いポイントを探り、それを超える破壊力で抉る。

 

先ず探ることが困難であり、破壊力を集約させるのも至難である。

しかし呂布は破壊力にかけては大陸一の戦闘能力を持っていたからこれで代用できたし、何よりも天性、機というものが肌でわかった。

 

養父は敵陣の隙が見え、義娘は機がわかる。

養父は機を作る為の隙を作ることができ、義娘はその機を極めて効率的に活用する。

 

卓越した馬術で、千騎は敗走する二千人に殆ど密着するほど接近した。

 

「弓構え、箭番え。遥か前方に射ち下ろす」

 

前方に居る生物は、全て敵。

故に、呂布隊には誤射というものが存在しない。全力で敵を狙えば、誰かしらが死ぬ。

 

東洋のヘラクレスとでも言うべき万能の武器適性を持つ呂布も、ここぞとばかりに敵の中級指揮官を狙撃することに注力した。

 

中級指揮官を殺せば、小隊を踏み潰していくだけで片付く。

殺しやすく、なるのだ。

 

「弓から戟に持ち替え。もう、突き殺していい」

 

未だに秩序を保っている敵に接触する寸前に、呂布は矢と弓を背にある筒に戻して赤兎馬と自分の腿に挟んでいた方天画戟を手に取った。

 

馬上の乱戦で、南の兵は北の兵に敵わない。

南船北馬、という奴である。

 

騎馬民族たる鮮卑・烏丸とそのハーフで構成された呂布隊を相手にするのは、劉備軍では荷が勝ちすぎた。

 

敵の騎兵を十秒と経たない内に二十人余りを叩き落とす。

次いで歩兵を赤兎馬で轢き殺し、踏み潰し、圧し殺す。

更には方天画戟で斬り殺し、突き殺し、裂き殺す。

 

瞬く間に百を超える屍が量産され、そして攻勢限界点が見えてきた。

 

「退く」

 

「えぇ?まだやれますよ?」

 

こちらも既に二十人程を血祭りに上げている成廉が訝しげに問い掛け、三騎一組で敵を還付無きまでに叩きのめしていた他の騎兵たちも訝しげに、今まで背中しか見せていなかった呂布を見た。

 

「……いいから、退く」

 

「はい、了解」

 

説明も何もない撤退命令に従い、呂布隊は敵の右半身に背骨が砕けるほどの一撃を加えて、未練タラタラに引き揚げた。

この撤退命令が数秒遅れていたら、呂布隊は諸葛亮が急場で作り上げた重層的な罠の中に引きずり込まれていただろう。

 

一連の突撃で敵を半死半生に追い込んだ呂布も見事であるし、慌てずに罠を構築して包囲殲滅しようとした諸葛亮も尋常なものではなかった。

 

されど、今回はそれを眼だけで文字通り見抜いた呂布に軍配が上がったといえる。

 

結局敵の一翼を完全に崩壊させるには至らず戦線を三里ほど下げて立て直した。

 

勝負はまだまだこれからであり、今は体力を使うような場面ではない。

そのことを、呂布は敏感に感じていた。

 

「……これ以上の攻撃は無用。三里下がって戦線を立て直す」

 

「了解」

 

勝負はまだまだこれから。

おそらく嬰は、この後動く。

 

呂布の確信に近い予想はこの後、見事に報われることになった。

 

 


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