北の盾たる己が身を 作:黒頭巾
「暇ですなぁ」
「戦で忙しないよりは、ずっとマシさ」
諸葛亮率いる荊州軍の中央部を突破し、追撃してきた一翼を強奪を終えた宛からの一軍と呂布の左翼、李師の本隊で壊滅させた李師は、なんとなく閉じ込められたような感じのある現状の打破への道を探っていた。
宛を奪うことは敵の糧道の元を絶ったということに他ならない。だが、宛は敵の勢力に挟まれている。
北には李傕・郭汜の旧董卓軍の勢力が犇めき、南と東は先に交戦した劉備軍を擁する劉表軍。西には劉焉軍。一軍を食わせるためには過分な程の食料と養う為の剣や弓矢には事欠かないが、連絡線が機能していないのが問題だった。
「私は祭りが好きでしてね。安泰もよろしいが敵中に居る以上は戦を交えたいと思うのですよ」
「君は気楽でいいねぇ」
「細かく考えることは、あなたに任せているのでね。何せ、右腕ですので」
李師は明後日の方向を向いて溜息を付く。
布陣している敵の後方の城を奪い、更には退路も残してやった。
軍学的に正当さと戦略的な優位を尊ぶならば退却を選ぶだろうし、退却をすれば曹操軍がここまで進撃してくる。
「そう巧くいきますかな?」
「前方に敵、後方に敵を抱えた、ないしは対峙している味方。この状態で退却せずに前進すれば、待っているのは死さ。背水の陣とも、言えなくもないが」
背水の陣は、敵に策略がないとわかっているときにのみ使える死力を振り絞らせる戦法なのだ。
李師が前回とった戦法の師は、韓信である。
本隊で敵の出撃を誘い、少数の一隊で敵の出撃拠点を陥落させる。
井陘の戦いにおける戦い方を抽出し、応用したのが博望の戦いであった。
要は敵を城から引き離して空き家を奪うという、調離虎山の計である。
「あなたはやったでしょうが」
「あれは退却方向に敵が立ち塞がっていただけだよ。寧ろ後退に類する行為だと、言えるだろうね」
「物はいいようですなぁ……」
兵法の初歩を極めて芸術的にやってのけた李師は、城について物資の確認と分配を賈駆に、軍事関連の全権を血が騒いでいるままの趙雲に、城の固めを審配に預け、周泰にこの宛城が陥落した要因を広めるようにと指示を下し、寝た。
戦争した後、李師はとてつもなく眠くなる。呂布は腹が減る。趙雲は血が騒ぎ過ぎる。
故に李師は果実を二つ程胃に入れて糖分を補充した後に三日三晩の間一回も起きることなく惰眠を貪り、呂布は三斤の肉と四斤の雑穀を平らげて李師の寝室に護衛も兼ねて引き篭もった。
敵の約三分の一強を壊滅させた別方面に狂った力を持つ二人がその機能を完全に停止させていたとき、諸葛亮は諸城の固めと内通者の炙り出しに腐心している。
宛城が陥落したのは、内通者が居たから。
その事実を周泰によって広められた諸葛亮は内部調査に乗り出さなければならなかったし、宛に居を構えた戦略兵器と戦術兵器の父娘に対しての備えを再編しなければならなかった。
細かいことまで自分でやる諸葛亮の性格を読み切っていた李師は、情報を広めることで確実に諸葛亮の動きを止めることができると確信を持っていたのである。
だからこそ、彼は今の今まで爆睡して英気を養っていたと言えた。
「明命は?」
「宛の陥落を味方に伝えに行きましたぞ。援軍の派遣も、同時に」
「援軍?」
どうにも寝起きで頭が回り切っていないと見える李師の惨状に頭を抱え、趙雲は語尾に呆れを含めて優しく諭した。
「夏侯妙才率いる友軍が、近くに居りましょう」
「援軍かぁ。行くのはともかく、もらうのは初めてかもしれないな」
「…………」
趙雲は、そう言えばそうだと思い直して押し黙る。
李家軍の、というよりも李師の基本的なスタンスが不本意ながら刻み込まれた『孤軍奮闘』である以上は、援軍をもらえる―――直接的なものにしろ、間接的なものにしろ―――のは、珍しい。
「兵法に曰く、籠城戦というものは後詰めがあってこそ、だと言う。私はもっぱら籠城戦を得意としてきたが、その原則にことごとく反してきた訳だな。今思えば、の話ではあるが」
「仕方ありますまい。環境に恵まれなかったのですから」
その環境の恵まれなさと原則を無視せざるを得ない苦しい状況下で、よく不敗を貫けたものだと、趙雲は珍しく真面目に感心した。
劣悪な環境に変な形で能力が適応し切ってしまったのがこの李師であり、だからこそ思っていることとやれることが食い違う。
戦術で戦略は覆せないと、李師は思っている。しかし、何回か覆している。
籠城戦は後詰めがないと勝てないと、李師は思っている。しかし、敗けたためしがない。
「恵まれてはいたと思うけどなぁ」
「嘘をおっしゃいますな」
「傍から見たらそうなのかも知れないがねぇ」
胡座を掻き、李師は城壁に背を凭れ掛けさせて目を瞑った。
彼の計算では、諸葛亮はまだ動かない。と言うより、城攻めをしようとはしないだろう。
李師が籠城戦に平均以上の定評を持っている指揮官だということを、諸葛亮は知っている。そのことを李師は知っていたから動かなかったし、諸葛亮も彼に予想されていることを承知で動かなかった。
ここで動かないのが、諸葛亮だと言えるであろう。珍しく博打を打って敵を撃滅しようとしたらあべこべに三分の一を叩き潰された揚げ句城を落とされ、軍需物資を根こそぎ奪われる。
この状態でもう一度賭けに出る、諸葛亮ではなかった。
「警戒は続けつつ、明命を待とう。あぁ、明命が居ないのだから、警戒はより厳重に、ね」
「委細承知。お任せあれ」
警備・諜報の要である周泰が居なければ、必然的に他の城郭守備兵の負担が増す。
更には、野戦に撃って出るという選択肢がなくなっていた。
「と言うよりも、単騎で敵の勢力圏を突破していけるのかね?」
「やれると言ったからには、やれるのでは?」
「私としては、もちろんそうなって欲しいが……」
その頃、周泰は馬にも乗らずに単身で敵の勢力圏を横断している。
赤兎馬に乗るならばともかく、普通の馬に乗るくらいならば走った方が速いという駿足の持ち主である周泰は、追手を物理的に振り切り、槍を使って河を跳び越しながら先を急いでいた。
そんな彼女が得意とするのは接近しながらの居合であり、踏み込んだ瞬間には斬られていると言われるほどの精度と速度を誇っている。
幼い頃からの子飼いというべきこの二人は、共に秀でた所を伸ばされ、欠点を咎められることもなく成長していった。
結果、身体能力や適性が一方面に特化してしまったと言えよう。
これは彼にとって本意ではなかった。
知識を授けて能力を伸ばすのは選択肢を増やすことに繋がると思っているから、『血腥い教師などは無用無益で有害でしかない』と悟りつつも教えているのに、結果としてその行く先を狭めている気がしてならない。
教え子がそう選択したとはいえ、その一因を作ったのではないか、という忸怩たる思いが、彼の中には常にある。
「……娘同然の教え子を、戦場に送り出す教師ほど、度し難い存在はない。そうは思わないかい?」
「そう言えば、北伐で名を上げ、追放処分される前は教師でしたな」
「だからこそ、『李師』の名で通っている。痴がましいと思わないでもないのだけどね」
華雄、司馬懿、周泰、張郃、呂布。
司馬徽の教導が李師のそれを手本にしたものであることを考えれば、諸葛亮、龐統らもそうであろう。
ともあれ彼の教導の手腕は祖母譲りだと言って、遜色はなかった。
「恋」
「……?」
「私は、君の道を狭めたかな?」
「……元々、一本道」
そこそこ気を使い、呂布は李師の問いを受け流す。
道を狭めたことは、確かだ。なにせ李師を死なせたくない、自分より早く死んで欲しくないという思いが呂布の道を決めたし、その為の手段たる武力も、武術書から無駄な虚飾を省いて要点を抜き出し、無理なく無駄なく呂布を理屈で以って育て上げた李師による所が大きい。
放っておいても強くなったであろうが、怪物が化物になるには李師の一押しがあらねばならなかった。
その点では、狭まったとも言えるのだが。
「嬰と、同じ。才能が、道を決めた」
「そうかぁ……」
望まれていない才能などほとほと余計なものだな、と李師は慨嘆した。
自分の軍才は心の底から要らないし、棄てられるならば棄ててしまいたい。
才能というものに人生が左右されるのは仕方ないとしても、それで決められるのはよろしくない。
「まあ、常人からするならば才能がある、ということはやっていて楽しい、やっていて苦痛ではない、ということと等号で結ばれるものです。左右されるのは仕方ないことでしょう」
全身レバー。
後世そうやってネタにされるほど、趙雲はクソ度胸に恵まれた豪胆な人間であった。
趙雲は、李師が一日目の戦いをダラダラとこなしている間に予め上から縄をたらさせて自身を含んだ全軍の半数を登らせている。
内と外からの奇襲によって一気に陥とすというのが、彼女に授けられた策だった。
どのくらいかと言われれば、この宛 城攻略において、城内で混乱を自ら起こしながら平然と城の中で職務に精励していた程に、である。
唯一混乱を起こさない、と決めた東門の門番を副官と共に務めていた彼女は、慌てて逃げてきた城主にこう問われた。
『叛乱か』、と。
それに対して彼女は、少しも慌てずにニヤリと不敵な笑みを浮かべてこう返したのである。
『敵襲だよ』、と。
これはもう天性、敵をだまくらかしたり危険の中に身を置いて力戦奮闘することに特化しているとしか思えなかった。
「君は楽しいのかい?」
「己の働きで勝ちを掴むのも勿論楽しいですが、何よりあなたの作戦が戦えば戦うほど精度と修正力を増していくのを見るのが楽しいですな」
李師深くため息をつき、肩を落とす。
宛城は、静かに佇んでいた。