北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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保身

李師来たれり。

その報告を受けた豪族たちは、皆一様に戦慄した。

 

李師と言えば戦ってこの方負けたことがないという不敗の男である。

 

更にはその配下にはその槍技から『神槍』の渾名を献られ、『進むも退くも自在なり』と謳われた局地戦における戦術の名手、趙雲。

 

矛は交える前に、弓は弦を引く前に、討たれるという天下無双の『人中』、呂布。

 

異様なまでの粘り腰と決して戦局を投げ出さない敢闘精神に、堅牢極まりない守りと隙無き攻めが持ち味の『袁家の宿将』、張郃。

 

粘りには欠けるものの、常軌を逸した勇猛と異常なまでの闘争心で敵陣を打ち砕くまで止まらない、『李家の斧鉞』、華雄。

 

先行して入った二人と、荊州軍主力撤退したこと契機に宛に入った二人。

分裂した張遼・麴義、易京を守る淳于瓊等の欠員は居るものの、そこらに割拠するだけの豪族が敵う相手ではなかった。

 

呂布隊のみが赤であるものの、濃緑の甲と戎服を着たこの一軍団は充分に豪族たちを威嚇するに足る効果がある。

 

 

名前だけで勝てるようになったら、楽でいい。

 

 

そういう思考から李家軍と言うものの中核は生まれた。

それが今ようやく実を結び、李師はまさに向かう所敵無しの快進撃を続けていたのである。

 

命令が彼の元に届いた次の日には宛周辺の二城は陥落、それ以後も南方の最前線における一大拠点となった宛を審配に任せて順調に北進していただけに、この報告は曹操を驚かせた。

 

「第十三軍団の動きが止まった?」

 

「はっ。西顎、雉周辺の六城を十日の内に陥落させ、あと一歩のところで宛以北が平定されるというところで、進軍が停止しましてございます」

 

自身も前線に出て指揮を執るタイプの君主である彼女は、李師が博望で諸葛亮の処理速度をその執拗なまでの兵站破壊によって低下させている時には既に夏侯淵と合流している。

結果的には敵が見事な逃げっぷりを見せて退き始めたものの、夏侯淵が常に優位に戦局を進められたのは彼女の来援がほぼ確実視されていたか、と言うのが大きかった。

 

「桂花」

 

「はい、華琳様」

 

元々曹操軍が北上したのは公孫瓚に恨みがある訳ではない。

彼女は単純に、南北に挟まれている状況の打破を目指したかった。

 

先ず、曹操軍の支配領域は徐州、豫州、青州、兗州に、冀州の半分。

所謂中原という地域を占めているのだが、一方で北に公孫瓚、南に孫策と劉表、西に李傕等を抱えている。

 

単純な面積で言えば曹操軍の支配領域は孫策が殆ど手中に収めようとしている揚州や、劉表の手にある荊州の半分程でしかない。

黄巾賊や流民、更には元々の人の多さがあって農業生産高はこれら二州を圧倒するが、三面を囲まれていてはどうにも身動きが取りづらいというのが本音だった。

 

西は内乱の一歩手前と言った状態だが、自分が軍事行動を起こす素振りを見せると途端に固まる。

 

南の二州の内、揚州は孫家と袁家と豪族が三つ巴の戦いを繰り広げているからこちらに手出しはしてこないが、荊州は劉表を中心に纏まっており、劉表の慎重だが好機とあらば突いてくる狡猾さもあって侮れなかった。

 

北は割りと好戦的な夏侯淵に『内から崩すこと』を勧められ、天の御使いに名指しで配下に加えることを勧められる李師が居る。

 

勢力と勢力との争いで保っている均衡を個人が支えていたことが驚きであるが、このような事情から曹操軍は冀州制圧にも全軍を出動させることは出来ず、結果的に何もしなかった公孫瓚に冀州の半分を渡してやることとなった。

 

だが、このまるで誰かが誂えたような天秤が壊れる。

その兆候はあったとはいえ、劉表が病床に伏してしまったのである。

 

これを逃さず、曹操は北伐を開始して、負けた。

南方に蠢動する敵勢力に気をとられたとはいえ、巧妙な野戦陣地によって数敵優位をほしいままにしていた自軍が負けたことに変わりはない。

 

この野戦陣地の見事さと、退き際の鮮やかさ。

 

曹操は南方に蠢動する敵を見過ごし、或いは領土の過半を失うとしてもこれを叩き、屈服させる為に殆ど全軍を動員し、戦術的にまたもや敗けた。

だが、李師はあっさりと抵抗を諦めたのである。それは彼女の戦略が李師に抵抗を諦めさせるほど秀逸なものだったこともあるし、何よりも彼が敢闘精神豊富な将らしい将ではなかったからであった。

 

李師は『曹操が出てきたからには南はなんとかケリをつけたのだろう』と考えていたし、事実それはその通りだった。だが得た安全とは短期決戦におけるものであり、彼が亀のように引き篭もって劉表なりに後方をつくように諭せば打開可能なものでしかない。

 

あくまで指揮官としての彼に外交までやれというのは酷な話であったろうが、賈駆あたりに頼んだならばよっぽど巧く話をつけられていただろう。

そうすれば、易京には未だ公孫の旗が掲げられていたかも知れない。

 

曹操が李師と直接戦う前から得ていた戦略レベルの一勝が、戦いを経て、敗戦を経てもなお機能していたのである。

 

そしてそのことを、曹操が最もよく知っていた。だからこそ、この疑問は謂わば必然性を帯びて荀彧に投げられた。

 

「……李師は、こんなところで止まる男ではないでしょう。何故、半月で八城を陥とした程度で止まったのかしら?」

 

城とは平均的な能力の将が同数で攻めれば陥ちることは先ず無く、三倍で漸く陥ちる。

平均以上の将が二倍で攻めかかって苦戦しつつも二ヶ月程度で陥とし、三倍ならば一ヶ月以内に陥とすであろう。

名将ならば、更に速くなることはおかしくない。

 

だから曹操は、移動も含めて二日に一城と言うスピード狂の如き速度で李師が城を立て続けに八つ抜いても、激賞はすれども驚きはしない。

 

寧ろ、兵馬を疲れさせることなく運用する腕には感嘆すら憶える。

だが、半月間ひたすら引き篭もると言うのはどうにも解せないと言うのが心情だった。

 

「華琳様、あの男は城攻めは宛が初めてだと聴きます。幾ら野戦や防衛戦が巧みであろうと、やはり人には得手不得手があるもの。次の城を陥とす手立てが見つからず、攻めあぐねているのではありませんか?」

 

初陣は撤退戦、次は一敗地にまみれた漢の大侵攻作戦における殿、次は檀石槐との野戦と守城戦が五十数回にも及び、漢将としての最後の一戦で攻めに転じ、檀石槐を撃破。

その後は敵に策を用いて兵を用いずに瓦解させ、牢屋に叩き込まれて放逐。

 

公孫瓚の麾下ではもっぱら防衛戦と守城戦、迎撃戦を主とし、攻めに転じたことは数える程もない。

 

初の城攻めで立て続けに八つ抜くということもあまり無いが、百回近く戦ってきて城攻めが初めて、と言う将も中々いないであろう。

 

「……攻めあぐねる程の城に出くわして、正直に攻めあぐねる程、李師は素直な男かしら?」

 

「では、調略に精を出しているのでは?」

 

極めて真っ当な答えを返す荀彧と、どうにもしっくりこない曹操が頭を悩ませていると、横から怜悧な声音が正解を告げた。

 

「援軍を待っているのですよ、華琳様」

 

「援軍?」

 

「ええ。正確に言えば、外様ではない援軍です」

 

怜悧な声音の主こと夏侯淵は、友への僅かな苦笑と共に説明をはじめた。

 

新参者があまり目立っては同僚との協調性を乱し、いずれは公孫瓚勢力にいた頃と同じような末路を辿ることが確定である。

 

その辺りを加味し、李師は曹操の一族を旗頭にしていき、自身の功を譲るつもりだと、夏侯淵は考えていた。

 

「李師らしからぬ政治的配慮ね。あの男、政治もできるのかしら?」

 

「これは賈駆の知恵でしょう。苦労人ですし、その辺りには過敏でない程度に鋭利な神経を持っております」

 

主に兵站に主眼を置いて戦う李家軍に、明確な枷をつけることなく好き勝手やらせることができ、なおかつ破綻が無かったのは賈駆の力によるところが大きい。

 

そのことだけでも曹操の眼鏡に適うのには充分であったが、更に巧妙な政治的配慮を行えるとあらば会ってみたいという気持ちが強くなってきてた。

 

「……では、子脩を行かせましょう」

 

子脩。姓は曹、名は昂。子脩は字である。

若すぎる程に若い曹操には頼りになる血族として曹洪、曹仁等がいるが、この曹昂は直接血の繋がった妹であり、彼女が殊の外可愛がっている将帥見習いであった。

 

曹一族の証と言うべき金髪を持った彼女は、曹操より三歳ほど若い。

援軍を率いさせるには若すぎるが、幼いが故に女尊男卑の思想に染まり切っていない。更には性質は素直であり、李師の用兵を尊敬する所が厚かった。

 

主従ともに気を使い合った結果、夏侯淵が三万の兵を率いて宛近郊まで送り、監軍兼護衛として典韋をつけられた曹昂率いる一万の兵は宛に到着することになる。

 

曹昂と典韋は、宛に到着して賈駆の歓待を受けた時に背筋に寒い物を感じたものの、特に不快感を覚えることなく彼女の苦労人故の細やかさを併せ持つ歓待を受けていた。

 

ただ、何故か漠然とした不安感がある。

そのことを勘付いたのは、魯陽付近の前線に出ており、挨拶の為に引き返すように賈駆から勧告を受けた李師だった。

 

「何かやったのかい?」

 

「何もやってないわよ。ボクは歓待しただけ」

 

「じゃあ、私の所為かな」

 

「そうじゃない?」

 

政治的配慮が足りないにも程があり、公孫瓚勢力に居た頃にはその足りなさが積もりに積もり、賈駆でも打破できない程に深い溝ができてしまっていた李師である。

 

その鈍感さを改善させることは不可能に近いにしても、賈駆は何とかテコ入れをしていかなければならなかった。

実際、李師が波に乗って計三週間で宛以北の平定を終えようとした時も慌てて待ったを掛け、調略に切り替えさせている。

 

この戦線での軽快な一勝が、後に災いを呼びかねない。

 

そこらへんの感覚が、まるごと欠如しているのだ。

 

故に賈駆の反応は、至極当然な風諫と言うべきものであろう。感覚が欠如しているならば、少しずつ埋めて行くしかなかった。

 

「で、どうすればいい?」

 

「援軍を連れて、城を陥とす。でも、できればトドメは譲ってやった方がいいわ」

 

「バレないように?」

 

「バレないように」

 

「楽な戦だからいいが、こういう保身の為の工夫で戦いを長引かせることはしたくないな」

 

「保身の為の工夫をしなかったら冗談抜きで戦乱が三十年は長引くの。我慢しなさい」

 

「私がそれ程の存在かなぁ……」

 

自分の能力と名声に興味がなく、したがって無関心である。

賈駆の謀臣としての働きは、宛の戦いから始まったと言って良かった。


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