北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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不戦

西暦190年の夏。

易京攻防戦から宛迎撃戦に至るまでの一連の戦争から一年のモラトリアムをおくことで内政機関を充溢させた曹操は、許昌に荀彧と程昱を残して司隷へと発した。

 

北回りに鄴から林慮へ侵入する曹操軍の先鋒は夏侯惇。中軍は曹操。後軍に徐晃。軍師は郭嘉。

 

正面の陳留から中牟へ侵攻するのは于禁・楽進・李典の三羽烏。

 

南回りに宛から梁へと向かうのは、都督夏侯淵の三軍。先鋒は李瓔、中軍は夏侯淵、後軍は毌丘倹と諸葛誕。

 

威風堂々たる軍勢は陳留で一旦集結し、それぞれの拠点に進軍。各自報告を送って日時を定め、敵が北の国境へと異民族討伐に行ったところに一斉になだれ込むと言う恐ろしいまでの正攻法である。

 

この正攻法を李師が立案し、なおかつ実行できるというところに、彼の本道が正攻法型の将であるということが表れていた。

そもそも袁家自体が正攻法を得意とするのだから、この特徴を血筋的に考えればなんのおかしさもない。

 

だが、出生と血筋を塗りつぶした経歴だけ見るとおかしいと思えるあたりに、李師の異常性が伺える。

 

何せこの男、全体兵力で勝った試しがない。勝っていた時もあったが、自分が担当した戦線では負けていた。

その癖、彼のみがマトモに戦えていたのだが。

 

「戦争に臨むことに関してはまっったく、嬉しくないが、あれだね。己が信じて止まない兵力差絶対の法則を適応できるのは嬉しいね」

 

「どの口が言うのやら」

 

尽く兵力差を引っくり返して勝ってきた男が言うと、信憑性がないというレベルではない。最早冗談にまで昇華されていそうな気すらする。

ツッコミ役と化してきた趙雲が皮肉たっぷりな口調でツッコミ、呂布が無言で首肯した。

 

李師はそのことに軽くショックを受けつつ、賈駆が整備した軍事用道路をガラガラと進む己の四輪車の肘掛けを人差し指でタンタンと鳴らす。

 

馬に乗れない、という李師の弱点を補強しているのがこの四輪車であり、馬車だった。

 

「それにしても、あれですな。軍事用道路というものは整理するまでは面倒ですが、してしまえば極めて有用なものですな」

 

趙雲も、この宛迎撃戦の後に工兵を用いて態々作ったこの道路の有用性を認めている。何せ、明らかに軍の足が速いのだ。

 

夏侯淵も李瓔も行軍の迅速さには定評のある指揮官だから、極めて速く見える。

しかし、別に急がせているという訳ではなかった。だが、明らかに速くなっているのである。

 

「当たり前じゃない。ボクは必要なとき以外は無駄なことはしないし、する気もないんだから」

 

「……矛盾してる」

 

「していないわよ。やっていること全部が必要なことだったら、角が立つし警戒を生むでしょ?

必要なときとそれ以外を見極めて無駄なことと有用なことを判断してやっていくの。それがまあ、保身ね」

 

呂布の明確なツッコミに対し、苦労人ならではの智恵を披露する賈駆は、軍事用道路の出来栄えを見て少し誇らしげに胸を張っていた。

 

何だかんだで、この賈駆も内政屋。己の有能さと先見の明が証明されて、嬉しくなかろうはずがない。

 

親の許可を得て従軍を許可された王双を連れ、先陣を意気揚々と務めている華雄。

それに後軍として残りの三千の指揮を預かっている張郃を除いた幹部たちが招集されている李師の本軍にて、李師は影に溶け込みそうな程に存在感が希薄な副司令官に声をかける。

 

「副司令」

 

「はっ」

 

「予定通りに、頼むよ」

 

「お任せを」

 

審配と淳于瓊が易京付近でお留守番しているが故に計七千しかいない李家軍は、田予の巧みな指揮でするすると間道へと三つに分かれて姿を消していく。

 

華雄、張郃、李師。

 

三者に率いられた軍は、目的地たる梁に着く前に忽然とその姿を消した。

 

「秋蘭様!」

 

「何だ、流琉」

 

李家軍から百里程離れてゆるゆると進んでいく夏侯淵の本軍一万五千に、その報告が届いたのは三刻後のことであった。

 

「索敵に出していた斥候から、李家軍が忽然と消えてしまったと言う報告がやってまいりました。行軍速度を速めた可能性もあるので更に範囲を拡げさせていますが……」

 

「無用だ。はじめた、ということは最早奴らは見つからないだろう。すぐに探して見つかるほど容易い相手ならば、昨年あれ程の苦戦はしなかった。

こうなれば予定通り、我らはただひたすらに梁に敵の眼を張り付ければいいのだ」

 

あくまでも典韋は幹部ではなく、護衛を兼ねた副官のようなものである。

割りと上下関係の区切りに厳しい夏侯淵は、毌丘倹や諸葛誕くらいにしかこの事を伝えてはいなかった。

 

「事前に連絡があったのですか?」

 

「あった。だが、今ということまで決まっていたわけではなかった」

 

だからこそ、夏侯淵はゆるゆると、更にはより防御的な隊列を取って進んでいたのであろう。

 

そのことに得心し、典韋は一つ頷いてその場から下がった。

 

梁の城まではもう、五十里もない。

北に戦力が分散しているとはいえ、李傕らの長安政権もいい加減気づいている筈である。

 

「さて、被害を避けて楽に勝つか」

 

残りの五十里を一日で詰め、陣地を構築。

梁の城を遠巻きに囲い、夏侯淵は敵を緩く締め付け始めた。

 

城を攻めず、心を攻める。敵は西涼出身者が多く、守城の経験者が少ない。

原野での勇者は、壁内でその活発性を負の方向に向けることが多々あるのだ、と。

 

二十そこいらで初めて城の守りの任を与えられ、のべ七十の城と陣地を一つの失陥すらさせること無く、更には民に危害を加えることなく守り切った守城戦の雄と話している内に、夏侯淵が気づいたことだった。

 

彼が大枠としての攻め手に出たのは宛を獲る時だけ。後は徹底的に相手を叩き出すことに注力している。

 

本人に面と向かって言ったら、史書では『何々被攻。不抜』の六文字一行で終わる程度のことさ、と言うに違いないが、非攻不抜の男、と言って良かった。

 

「さて、どう攻めるのやら」

 

そこが、気になる。

宛は内部潜入させてからの撹乱、それ以降は正攻法。

奇策というほどの奇策が無いのが城攻めであるが、その過程には奇策が織り込まれる余地があった。

 

人が死ぬことに対して楽しみにするのは不謹慎だ、と李師に言われかねないが、どうにも楽しみですらある。

 

圧倒的な、そして血生臭い現実を料理していくのが戦であるが、李師の戦は血抜きされている、と言うのか。

一種の現実ではあるが、現実ではないような気もする魔術的な面があるのだ。

 

本人からすれば、甚だ不本意であろう。

 

その不本意に染まった憮然とした面を想像することの容易さに、夏侯淵は意地悪く笑いを零した。

 

 

一方、今回も奇策を用いることを期待されている李師はというと、予め採るべき道決めていたこともあり、迅速な行軍で一路子午谷を目指している。

 

「何故子午谷なのですか?」

 

七千の軍の分散進撃。

やれると思い、何回か易京で試したことを実地でなお試している李師は、この時初めて設定した目的地の意義を訊かれた。

 

質問者は先行して索敵と警戒を行い、逐次帰ってきては報告してくれている周泰である。

別に遠いことに対して文句を言うわけではないが、ふと気になったという体であった。

 

「それはまあ、いきなり長安を狙えるからかな」

 

要は速さだよ、と。

周泰自身も身に沁みて解っている速さの重要さを李師が重要視した結果、こうなったのだろう。

 

周泰が納得したのをチラリと横目で見て、趙雲は口の端を皮肉げに上げて問いを投げた。

 

「ですが、長安は敵の本拠地です。いきなり攻めかかるのは無謀に類することではありませんかな?」

 

「星。私は楽して勝ちたい。だから一々支城や関を攻めて勝つよりも本拠を直撃した後に降伏させた方がいい、と思ったのさ」

 

「ですが、敵も異民族の来襲があったとはいえ、都を空にはしますまい。現にそれなりの、つまるところは二、三万の守兵が居るとの情報もありますぞ」

 

「星。二万六千人の守備隊が居るのは私も知っている。それなりに手は打ったし、味方を最大限に利用できたという確信があって子午谷を目指しているんだ。まぁ、苦労はさせないよ」

 

また何かやったのか。

趙雲の顔がその呆れとも感心とも取れるものへと変化し、への字に結んだ口元から溜息が溢れる。

 

その溜息は目の前で種明かしをされないとわからない自分の不甲斐なさに向けたものでもあった。

 

それを知ってか知らずか、呂布は趙雲の方を向いて声をかける。

 

「……子龍」

 

「何ですかな?」

 

「……長安は、都。物資が入りやすいように、道が整備されてる」

 

誰でもわかっている知識を訥々と話す呂布に、趙雲はしばしの思案の後に問いを返した。

 

「…………それがどうかなされたので?」

 

「物資が入るなら、人が入る。人が入るなら、情報も入る。情報が入るなら、流すこともできる」

 

極めて常識的な思案と確固たる前提を積み上げて、呂布は李師の戦略を読み切っていたのである。

奇策とは結果的に見たものであり、実のところ李師は真っ当な判断と手段しか取っていないことを、呂布はよくよく知っていた。

 

「……戦の要は、情報。一片の流言や虚報は、巧く使えば三軍に勝る。個人の武とか戦術は、これに勝てない」

 

「よくわかってるね、恋」

 

「ん。常識」

 

常識の範疇の外に居る二人が常識を語っている途上。

集合地が、見えてきた。


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