北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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七手

目の前で、百人隊二つがぶつかり合い、絡み合う。

演習故に矢は使えないが、だからこそ乱戦になった時の指揮振りを試されるというような側面をもつこの実戦演習は、『費』の旗の百人将の勝ちで終わった。

 

これで、三位決定戦は終わりである。

 

「次は?」

 

「王双隊と文淑隊ですな。まあ、決勝まで残ったのは自明の理、と言ったところでしょう」

 

「身びいきありで?」

 

「身びいきせずとも自明の理は自明の理です」

 

攻撃の王双、守りの文淑。

李家軍の幹部が目を掛け、育てている片方が攻め抜いて勝つか、もう片方が守った末に粘り勝つか。

それは、華雄と趙雲の代理戦争のような様相を呈してきていた。

 

「華雄はどう思う?」

 

「まだ勝てないと思われます。誰かが手綱を取らなければ、好き勝手攻めて攻勢限界に達してしまいますから、勝ち目は無いとは言えませんが、あるとも言えません」

 

嘗ての猪突猛進ぶりからは想像もつかない冷静な分析に、張郃の眠たげな目が感心に染まる。

李師の人材育成は、ただ教えるだけではない。指揮に従わせ、命令を実行させる内に自然と学ばせるような、自分で自分を変更させていくような方策も、彼は好んで用いていた。

 

「星は?」

 

「文淑は攻勢に転ずる時節を逃し、遅れることがありますので、底を突かれれば危ういでしょうな」

 

彼女らしく短所と長所を見極めたような分析に僅かな笑みを見せつつ、李師は少し頷く。

彼は祖母ほどではないが、人を見抜く目に長けていた。

 

それは教育を一人一人その人用に変えていけるという柔軟性と相俟って、彼の教師としての適性を確実に高めている。

李師は、自分がわかる範囲であればその才能を見抜くことができた。この場合は政治であり、戦術眼であり、戦略眼であった。

 

「まあ、王双も文淑も晩成する。今は拙くても寧ろ当然と言うものさ」

 

「わかりますので?」

 

「まあ、早熟か晩成か、後は平均か、くらいにはね」

 

因みに人物鑑定の適切さと厳しさから『登竜門』と謳われた李師の祖母、李膺は何歳で全盛期、何歳で落ち目になるかまでを当てることができた。

 

政治・人物鑑定では全く勝てないと断言できる、一昔前の怪物であろう。

その怪物を一面では遥かに超えているのが、李師という男なのだが。

 

「李師様、私はどれですか?」

 

素直で率直な華雄の問いに触発される形で噴出した疑問と、それに伴って李師に集中した八つの瞳に肩をすくめ、李師は隣で矛を構えて微動だにしない呂布を抜いた四人の評を述べた。

 

「何故だか知らないけど、私が見たところ君たちは軒並み晩成型だよ。文和は死ぬまで智恵が衰えないだろうし、儁乂は更に円熟味を増すだろう。星は元々悪かった性格がさらに悪化して手が付けられなくなるだろうし、華雄は角が取れて攻防における柔軟さが増すと、思う」

 

「……恋は?」

 

「全盛期がわからないから例えようが無い」

 

「じゃあ、あんたはどうなの?」

 

賈駆の問いに対して少し困ったような表情を浮かべた李師は、帽子を外して何度か首元を扇ぐ。

言い難いのか、言いたくないのかはわからないが、彼にとってあまりよろしくない評であろうことは確かだった。

 

「私ではなく、祖母曰く、七十前半まで伸びて、そこから五年維持できて低下していくらしい。今はまだ、若造だね」

 

「では、向こう四十年はあなたの天下、ということですかな」

 

「四十年も経てば私を超える用兵家などごろごろ産まれるし、育つさ」

 

明らかに何の確証もない適当な予測に対してやり返したのは、いつもの如く賈駆であった。

 

「三百年経ってやっと現れるかどうか、よ。あんたみたいなのがそうホイホイと産まれるわけ無いでしょ?」

 

「何故、三百年?」

 

「古学では三で一周り、百で永遠。永遠が三順しても出てこない、ってことよ」

 

なるほど、と納得してみせた華雄と、教養の豊かさに舌を巻いた趙雲とは違い、この時の李師は予言の場面に出会したような奇妙さに包まれていた。

 

「あるかもね」

 

「何が?」

 

「いや、三百年後の話さ」

 

王双が圧し、文淑が退がる。

じわじわと変わっていく戦況を見下ろしながら、李師はポツリと呟いた。

 

「……あのね。今のは皮肉よ?」

 

「知ってるさ。だけどこう、有り得そうじゃないか?」

 

この会話から約三百年後である西暦484年に、彼と同レベルの戦術能力を持つ女性が産まれる。

弓も馬も剣もてんで駄目で、一戦士としては使えないというところまで共通している彼女は、白一色の軍を率いて中華を駆け抜け勇名を馳せ、『今仲珞』と謳われることになるのだが、そんなことは今の世の人々で知る人は一人を除いていなかった。

 

そしてまた、このことに関して考える時間を、天はこの時李師に与えなかったのである。

 

「り―――嬰様!」

 

李師こと李瓔の名の瓔と、真名の嬰は発音的には共通していた。

未だに尊敬する主君の真名を呼ぶことに慣れていない周泰がそれを口に出そうとすると字を除いたフルネームを呼んでいるような錯覚がある。

 

そんなどうでもよいことを考えていた李師は、次の報告を聴くにあたってその暇な時特有の無駄な思考の泡を弾かれることとなった。

 

「李傕と郭汜の連合軍がこちらに向かってきています。李傕は武関方面から、郭汜は涼州方面からこちらへと進んでおり、潼関で合流するつもりのようです」

 

「思ったより速かったな。本軍と北軍と南軍は?」

 

「本軍は虎牢関で、北軍は壷関で足止めされています。南軍は目下捜索中です」

 

攻めを苦手とする北軍が最初の関門で邪魔されており、本軍は流石の進行速度で洛陽の喉元まで剣を突きつけている。

 

報告出来なかった南軍は、梁近辺を相変わらずの快速で駆けずり回っていると、周泰は推測していた。

だが、隠密は考えを述べることを求められない限りは現実のみを報告すればよい。考えという名の幻想は伝えるべき現実を曇らせてしまう。

 

その隠密の心得を忠実に実行している周泰は、李師が打った手を知っていた。

彼女は工兵部隊の長でもあるからである。

 

「君は北軍と本軍の姿を見たのは?」

 

「十日前になります」

 

「砦の破壊は?」

 

「九つの砦は全て、九割までならば破壊し終えています。今撤収させても、砦としての役割は期待できません」

 

李師は、長安を陥としてから数日経つと、何を思ったか計一万四千の兵が守っていた長安から潼関に掛けての九つの砦を、『今の内に壊しておこうかなぁ』とか言いつつ、兵器と奇襲でもってまともな被害すら出さずに全て陥落させ、その破壊を命じた。

と言うよりも、その砦を構築していた木や石をバラして長安の復興に回してしまっていた。

 

実質的に、郭汜が逃げ込んだ敵の潼関からこちらの最西端の拠点である長安まで遮るものはなく、よって攻め込まれれば一気に長安での決戦となる。

このことを危惧し、『使える砦はないか?』というような質問だということを予想しつつ現実を答えた周泰であるが、自分の報告に対する李師の反応に意表を突かれた。

 

「なるほど、なら問題はないな」

 

「は、はい?」

 

意表を突かれた周泰を見て、李師は少し首を傾げる。

彼としては、防御施設を壊すからにはそれなりの算段を構築した上での判断であると思っていたし、そのことを皆が勘付いていると思っていた。

それを今更首を傾げられ、逆に驚いたと言うのが本音であろう。

 

「れーん」

 

「……?」

 

おいでおいでと手をこまねき、李師は元々近くに居た呂布を更に引き寄せた。

半ば己の役割を解している呂布は、頭の中で次なる戦いへの編成を終え、ぽつりと訊ねる。

 

「先手、叩く?」

 

「うん。明日、王双、文淑の百騎ずつに、君の赤備えから二百騎。五百騎で敵が集合する機を狙って叩いてきてくれ」

 

「わかった」

 

粛々と命令を受諾して連れてきた自らの軍千人の元へと去っていこうとする呂布に右手を掴まれて引き摺られながら、李師は残った諸将に割りと陽気に声を掛けた。

 

「まあ、手は打ってあるし、今打った。経過も確認したし、不安はほぼほぼ無い。いつも通り、死なない程度に頑張ろう」

 

戦う前よりも勝った後の方が疲れ、うんざりしたような顔をしている。

趙雲によくそう言ってからかわれる彼は、今回も今回とてその例外から外れてはいなかった。

 

ずりずりと引き摺られるように呂布に付いていく李師は、ちらりと後ろを確認して諸将が自軍の元へと帰ったのを確信して、深くため息をついた。

 

(経過を確認したのが十日前と言うのはいい。計算通りだし、うまくいっているといえるだろう。だが、それからがわからないと言うのが若干不安だ。もっと逐次的に、見た時にすぐ伝わるような報告機構があれば、と思うのは求め過ぎというものだな)

 

そんな便利アイテムや便利スキルを保持していない彼としては、周泰が集めてきた情報を自らの推論で埋めていくという難題に挑み、完遂せねばならない。

 

戦略面では勝てない、と言うどうしようもない状態から脱却し、戦略面は任せ切りでいい、と言うところまで改善されている。

つまり、李師の推論が二割ほど間違っていても曹操の戦略が補ってくれるのだ。

 

だが、だからと言ってそれに胡座はかけない。二割ほどの余裕があるならば、自分がいつも通り推論を完成させれば死傷者はその二割分だけ減るだろう。

より完成度を極め、純度を高めればそれ以上も狙えなくもない。

 

環境的な変化でも、彼が目指す所は『なるべく戦わずして勝ち、戦うとしても死者を減らす』ということである。いくら戦略戦術を高めても死者零人と言う完成に辿り着けていない以上、彼の頭脳的苦労はちっとも減らなかった。

 

(明命はよくやってくれている。最善を尽くしてくれているのだから、私としても七手読みで止まっているわけにも行かないか……)

 

愚将は目の前の事象すら読み切れず、凡将は目の前の事象の対処に汲々とするあまり次を読めない。

良将は一手先を読むことができ、名将は二歩先を行く。

後は完全に状況と運、その場の閃きに頼り切ることになるが、李師は基本的には七手先まで読めた。

これは曹操や夏侯淵や龐統と同一であり、この域にまで達した将が相対せば、後は精度と密度と視野の広さ、読み違えた時の応急措置の巧みさと決断の速さが勝負を分ける。

 

李師は精度と応急措置が巧みであり、曹操は密度と視野の広さで他を圧す。夏侯淵は決断の速さと精度に秀でている。

 

ここから一歩先に踏み出そうとは思っていなかったし、そうする気もなかった。

 

「恋。私が勝てば、平和が到来するのは早くなるかな?」

 

「……少なくとも、敗けるよりは」

 

早くなる。

そう暗に含めた呂布の言葉に対して、李師は己の額に手を当てることで応えた。

 

「…………恋。業腹だが、この一戦だけ、私は味方を生かすことと同じ階梯で敵を殺す為の策を考えてみることにするよ。正直今までもそうしてきたが、これを受け入れた上で更に深めていこうと思う」

 

「……恋も目の前の敵を殺してる時、兵を用いて殺すことを考えられる。

二つのことをこなすのは、恋も出来た。嬰は、もっと広くなれると、思う」

 

不器用ながら懸命に応援してくれている呂布を愛おしく思いつつ、李師は取っていた帽子を頭にのせる。

 

「嬰は、生かすことも、できる。きっと、殺すことを考えた分だけ、生かすことも巧くなる。恋とは、そこが違う」

 

自分は人を生かす為に殺すのではなく、殺す為に殺している。

その自覚がある呂布は、少し李師に嫌われることを覚悟で差異を述べた。

 

生かそうとする李師と、殺そうとする呂布。両者がやっていることに変わりはないが、姿勢が違えば結果も異なる。

 

そう言いたげな呂布の頭を撫で、李師は少しの寂寥と温かな愛情を込めた瞳で彼女を見、言った。

 

「恋も、殺すことで多くの者を生かせているさ。私としてはこんなことを君に言いたくないし、巻き込んでしまった自分を正直殺してやりたいが、将となればそれを受け入れてしまう罪深い人間だ。それに比べれば恋は遥かにマシだし、少なくとも殺すだけの人間じゃあ、ないよ」

 

「巻き込まれてない。自分から足を踏み入れた。嬰は、抱え込みすぎ」

 

「それは、言われた」

 

「なら、直す」

 

今にも空に飛んで行ってしまいそうな凧を離そうとしない子供のように、恋は李師の手を掴み続ける。

 

世界の何物よりも何者よりも、呂布はこの温もりが好きだった。




信奈で山崎の戦いを書いてる人居ないかなーと思ってハーメルンで検索したら、居ないんですね。

誰か書いてくれないかなー(露骨なチラ見)

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