北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

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今回のテーマ:分進合撃による包囲殲滅


合撃

李傕・郭汜の連合軍に呂布が与えた恐怖と言うものを、李師は過少に見積もっていた。

これに関しては『読み切れないとは珍しい。案外抜けている』とも言えるし、『実際に相対して初めてわかることだ』とも言える。

 

この場合の前者は彼の敵となり、まだ呂布との対戦経験がない龐統がこれにあたり、後者は李師の管制下におかれた呂布による突撃という恐怖体験を味わった曹操や荀彧、夏侯淵などがこれにあたるだろう。

 

とにかく、李師は檀石槐の突撃の恐ろしさは知っていても呂布の突撃の恐ろしさは知らなかった。

この二人の突撃の恐ろしさは殆ど等号で結んでも良いものであったが、李師からすれば呂布は可愛い娘でしかない。

 

戦場には出るし、最前線にも出る。しかし、刀槍は振るえないし弓も引けないから指揮に専念する、というのが李師のスタンスである。

 

本人としては、味方を効率的に殺して敵を破るという職業上、刀槍が振るわれ、流れ矢が飛び交うところに出るべきだという自覚があった。

が、それは流石に自重していた。

 

自衛能力が欠如している男が前線に来られても足を引っ張るだけだし、足を引っ張るならまだしも死ねば全軍が崩壊しかねない。

 

その感覚が、彼にはあった。

これは彼に敵対する者にとっては、苦戦を招く原因となる。殺せば戦が勝ちで済む敵が分厚い障壁に守られているからである。

 

だが、しかし。

 

彼が戦死したりということが起こった後に、対象の生命活動が停止するまで活動を停止しない赤くて三倍な無双武将に執拗なストーキングをされることを考えれば、あながち不幸とも言えないのが敵対者たちの不幸だった。

 

閑話休題。

 

兎に角彼には、恐怖がわからない。というより、呂布を目にして怖いと思ったことがない。

呂布が反抗期に入れば即死レベルだと言う程の実力差がありながら、その実力差が広大過ぎていまいちその凄さや怖さがわからない。

 

これは彼にとって今までプラスに働いてきたが、今回ばかりは読み違いを招いた。

 

「……何故通りかかっただけで崩れかけるんだ?」

 

「怖いからですよ」

 

貴重なツッコミ役である趙雲が前線に居る以上は、華雄が貴重な常識枠として振る舞うより他にない。

 

華雄はそもそも常識外の住人である趙雲がツッコミ役であることがおかしかったのだ、と思わないでもなかったが、彼女も充分に常識外の住人である。

 

いつものように、見えないところでブーメランが華麗に宙を舞っていた。

 

「怖い?」

 

左眉を顰めて首を傾げ、李師は本気で訝しむ。

呂布が突っ込んでくるのは、彼にとって仔犬がじゃれついてくる程度の恐怖しかない。つまり、その行動に恐怖などはないと言ってもよい。

 

「何が?」

 

故に、李師はまるで理解できないような体で華雄に問うた。

騎馬隊が突っ込んでくるのは怖い。後方で指示をしている自分でも怯むのだから、前線で受け止める兵たちの恐怖ときたらその比ではないだろう。

 

だが、その恐怖を克服、あるいは呑み込んで戦うのが兵という職業である。彼はそんな兵という職業を好ましい目で見れなかったが、好ましくないだけで敬意はあった。

 

その敬意が、肩透かしを喰らった気分である。

もっとも、肩透かしを喰らっても嫌悪はない。むしろ、それが人として当然だという、当然なものを見たような納得があった。

 

「呂布の突撃は怖いですよ。実際喰らってみると、なおわかるとは思いますが」

 

見ているだけでも通じてくるものがある、と言いたいのだろう。

突撃専門の将である華雄が言うと、何やら説得力があった。

 

「誰に似ている?」

 

「理不尽さは檀石槐に。精妙さは李師様に」

 

なるほどなぁ、と理解できるところもある。

李師が思わず黙ってしまう程に華雄の説明は妥当であり、よくよく見ればそれに似ていた。

 

可愛い娘でしかない、という個人の感覚に囚われていたが、檀石槐の突撃を強かに喰らい続け、受け流し続けた李師としては『檀石槐に理不尽さが似ている』と言われるのが一番理解が及ぶ。

 

恐怖と、畏怖。檀石槐の突撃にはあれには敵わない、と思わせるものがあった。

 

「…………深いね、君の評は」

 

「はい?」

 

「いや、何でもない」

 

華雄としては、深いと言われた理由がわからない。見たままを言っただけだからである。

 

だが、見たままを言われたとわかっているだけに、李師には感じ入るものがあった。

直線的な評価には、屈折した玄妙さが潜む。

 

理屈というものが屈折しているならば、真実も屈折としている。

しかし、真理はつねに直線的なのだ。

 

到底戦の最中に考えることではないが、彼は何やら思うことがあった。

 

逆に言えば、である。

この戦の序盤はそんな風に彼が己の内面に己の思考を埋没させても対処し切れるほどに内容というものが薄かった。

 

薄くした、と言うのが正しい。

が、敵も敵で様子見に徹するようなところがあった。李師という不敗の将の名声が、西涼出身の単純な猛将たちに無用なしがらみを与えている。

 

李傕と郭汜からすれば、汜水関で大軍を寡兵で鮮やかに破った彼の魔術を見ていた。そしてこの二人も、その時は勇戦した。

 

董卓の為でも漢の為でもなく、ただ西涼が得た権力の保全の為に。

 

だからこそ、わかっている。

李師が何も考えないで寡兵で野戦を挑んでくるとは考えられない、と。

 

ならば余計な小細工をせずに、正攻法で攻めろと言う意見もあった。

だが、李傕と郭汜は正攻法で攻めて敗けた袁紹という先例を知っている。そう軽々と攻め手に打って出ることができない。

 

「おかしいな。全く動かないというのは」

 

「悪い方向の読みが当たりませんね」

 

「うん。二回繰り返せば流石に乗ってくると思ってたんだけどね」

 

流石に疲れたのか、或いは飽きたのか。

緊張が持続しない猛将タイプの華雄は、床几にペタリと腰掛けて首を捻る。

 

悪い方向の読みが当たらず、良い方向に進んでいる。

これまで楽な戦を経験していない李師としては、これはいっそ不気味にすら思えた。

 

「主。よろしいか?」

 

訪ねてきたのは、これから敵陣に三度目の挑発を仕掛ける予定の趙雲。字は子龍。真名は星。

 

李師が様々な場面で起点にしてくる李家軍でも屈指の曲者であり、屈指の良将でもあった。

その用兵は攻防の柔軟性に富む、などと後世評されることになる。

 

が、李師からは『あらゆる場面で使えて、しかも目立った不得意がなく、失態もない。例え劣勢になり敗けたとしても、次の策に敵を引き摺り込める』と褒められた。

要は使い勝手のいい将なのである。どこで投入しても、まともに指揮系統が通じている間は攻めの起点にも守りの起点にもできる。

 

潰されると痛いが、潰される前に逃げるので完全に潰されることがない。

趙雲の有能さと使い勝手の良さに胡座をかくと足元を掬われるかもしれないため、李師はそこまでは頼らなかった。

 

彼としては、あくまで起点となる武将の一人である。

 

「やぁ。私の読みも衰えたと思わないかい?」

 

「引退はなりませんぞ」

 

「あぁ、そう。で、何用かな?」

 

趙雲は、李師を見た。

少し、違和感がある。この男に限って手を抜いたということはない。

 

つまり、何をしようとしているのではないかという懸念がある。

この懸念は、彼が凡将ならば疑念になるが、経歴上も実質的にも不敗であるから懸念で収まる。それどころか、何をする気かわからないという楽しみがあった。

 

「……何をなさるつもりかはわかりませぬが、三回目の挑発に掛かりますか?」

 

「いや。今度はわざと引きつけてくれ」

 

「と言われると?」

 

「つまり、釣ろうとしてくれ。釣れなかったら引き返して更に釣ろうとしてくれ。もういい時間だし、これをすれば、おそらくは勝てる」

 

釣り出したから、勝てるというものではない。釣り出してもその釣り出した一部から全面攻勢を招いて波に飲み込まれるが如く敗ける、ということもあり得た。

 

だが、この釣りの名手であり、その効果と限界を知っている男が勝てると言うのだ。

 

「では、やりましょう」

 

「苦労をかけるね」

 

「ならばいずれ、形で報いてくだされ」

 

李師が『私自ら下車し、君の手をとって迎えたら充分かな』などと訊き、趙雲が『帝王になったあなたにならば、是非そうされたいものですな』などと返す。

 

つまるところはいつもの会話を交わしながら、二人は別れた。

 

趙雲の兵が機敏に敵陣を強襲し、わずかに蹴散らしてすぐに退く。

 

今まで繰り返されてきた行動を仕掛け、趙雲はわざと疲れを見せたように反応を鈍化させた。

それに食い付いた前線の部隊を釣り出し、趙雲は更に退く。

 

釣り出せた部隊が帰れば、追撃する。

 

「手加減はしてやるから、本気でかかってこられよ」

 

本当に彼女がそう敵に向かって言ったのかは定かではないが、この時の戦いぶりはまさにそうであった。

 

かかっては退き、かかっては退く。

敵の鼻先を引っ掻いて逃げ、後ろを見せたら蹴りを入れる。

 

異様な苛つきを与えるこの戦法に関しては、趙雲はこの世で他の追随を許さぬ程に巧みだった。

性格と能力が噛み合っているとしか言いようがない強さが、彼女にはある。

 

「そら、追え!」

 

退けば叩き、掛かれば退く。

敵の動きに合わせた巧妙な用兵に、李傕と郭汜も苛立ちを隠せなかった。

 

と言うよりも、この二人は当事者ではないから耐えていた。だが、前線の将たちの針でつつかれ続けた神経が、既に限界を迎えようとしていたのである。

 

「そろそろ、でしょうなぁ」

 

心の底から意地の悪い笑みを浮かべ、趙雲は指揮杖代わりの槍を振った。

 

僅かに深追いし、釣りだす。

退き、叩く。

 

その行動を繰り返そうとし、趙雲は敵の動きを読み切った指示を下した。

 

敵はこちらの動きを読んでいる。攻勢に出てくることは間違いがない。敵の背を追えば、後続が側面に出てきて半包囲されることは間違いがない。

ならば、そうされよう。そうされて、逃げる。そして敵の攻勢を招く。

 

李師の本陣に敵が迫ることになるが、それくらいは計算していよう。

 

「さて、逃走開始と洒落込みますかな」

 

包囲された瞬間、趙雲は馬首を返して一目散に引き返した。

その本気の逃走に釣られ、雪崩れを打つようにして李傕・郭汜の連合軍は追撃を開始する。

 

李傕と郭汜は李師の不動を促す心理的陥穽へ、その兵と配下の指揮官たちも李師の攻撃誘発の心理的陥穽に嵌っていた。

 

彼の八手読みは僅かな嬉しい誤算を招いたものの、だいたい巧く行っていると言って良いだろう。

そんなことは、彼ともう一人、さらにあと一人にしかわからない。

 

その『もう一人』が、悠々と馬に鞭を打って潼関方面より進撃していた。

 

「軍団を三方に分けて、分進合撃による包囲殲滅。広大な戦略だが、成功率が指揮官個人の指揮能力に依存しているな、これは」

 

「秋蘭様、そんな悠長に喋っている場合ではないと思うのですが……」

 

「だが、戦術的には指揮官個人の指揮能力に依存した作戦を立てない仲珞が、戦略となると変わる。これは私としては興味深い」

 

ともすれば各個撃破の対象となりかねない。

李師が全面攻勢を招き、その攻勢をさらりさらりと凌いでいる。

 

自軍からすればこのような場合は寧ろ不意をつきやすい。しかし、誰もが寡兵でこの大軍の攻勢を凌げるわけではない。

 

(敵が有能で仲珞が無能ならば、私たちは逆に強襲されているかもしれん。まあ、そうさせなかったのが仲珞の腕なのだろうがな)

 

そんなことを思いつつ、夏侯淵は鏑矢を番えた矢を引き絞る。

 

一瞬の後のための後、遙か前方に向けて、放った。

 

『攻撃開始』

 

その命令を示す音を鏑矢が鳴る。

 

「君にしては遅かったな、妙才」

 

「持ち堪えると踏んだからこそだぞ、仲珞」

 

互いの声は聴こえずとも、何となくこの二人の間には通じていた。

 

三軍包囲の二軍目。

 

半包囲態勢をとるべく、李師と夏侯淵は翼を巧妙に拡げはじめた。




原作は違いますが軍記物としては似たような新作も投稿致しました。
そちらも読んでいただけると幸いです。

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