北の盾たる己が身を   作:黒頭巾

98 / 101
包囲

二方面からの包囲を受けた現時点において、李傕と郭汜はようやく自分たちが時間稼ぎに踊らされていたことを自覚した。

今まで薄々と感じながら、呂布という間近の恐怖に囚われるあまり気づけなかったことに、包囲という恐怖に殴りつけられたことによって気づかされたのである。

 

だが、その自覚は些か以上に遅かったと言わざるを得ない。

戦場で包囲を担当していた夏侯淵と李師が言葉にしなかったそれを、とどめとばかりに来襲した三番目の軍の指揮官が思わずと言った形で口にした。

 

「無能者ね、反応が鈍いわ」

 

天に靡く曹の一文字。

配下の二将が完成させた器に蓋を被せるように、曹孟徳は翼を広げた。

 

これを見て、李師は勝利を確信した。この状態から引っくり返すのは、如何な名将でも不可能であろう。

李師は包囲網を縦に拡げつつ、華雄に出撃を命じた。

 

実質、包囲網の中にあって脱出すべく獣の如く暴れている敵に対して、これがトドメとなるはずである。

 

「味方は完璧な包囲網を完成させつつあります。どうやら、勝ちましたようで」

 

それに入れ替わるように、開戦より今まで延々と戦い続けていた趙雲隊が李師の本陣の直衛に入った。

 

趙雲は、戦況の報告と直衛に入る旨を伝えに来た、という形である。

 

「これで私がヘマをしても、中華でも三指に入る戦術家の二人が何とかしてくれる。やっていることは不快だが、仕事が楽になるのはいいことだ」

 

「ヘマをしてみますか?」

 

適確な指揮で包囲を維持し、縮めることで敵を追い込んでいく。

鮮やかすぎる包囲戦に瞠目しながら、趙雲はいたずらっぽく眉を顰めてそう問うた。

 

ここで包囲網を崩してしまえば、面白いことになる。つまるところ、李家軍以外の一軍に内部で暴れている西涼兵たちの破壊力を叩きつけてやれば、思わぬ波乱が起こりうるであろう。

「しないつもりだけどね」

 

その返事を受けて意を翻し、趙雲は己の問いの受け取り方を変えれば、その意味の取れる問いに誘導させた。

現時点においてゴリ押す気は、彼女にもない。

 

しないつもり、と言う返答は、彼がその誘導に引っかからなかったことを示していた。

 

「いや、そうではなく」

 

日常生活に於いてならばともかく、戦場で指揮権を握っているあなたにヘマと言うものがあるのか。

やるのか、ということではなく、あるのか、という問いのつもりにする。

 

それを受けて少し笑った李師の眼は、やはり侮れない。

侮ったこともないが、そのことを再認識しつつ趙雲は釣られて僅かに笑った。

 

だが、それを言っても恐らくこの男は謙遜をする。

そのことをわかっている趙雲は、一時的に口を噤んで前方を見やった。

 

「それにしても、呂布はよくやっているのではないですかな。戦い方は鮮やか、何よりも隙がありません」

 

「まあ、そうかな」

 

恋はよくやる。

そのことは、李師にはわかっていた。

その戦いぶりには趙雲が評したように鮮やか且つ隙がない、何よりも敵を死なせないで敵を最大限無力化するという手腕に長けている。

 

攻は己の武勇を活かし、防は己の指揮能力を活かして戦っているあたり、優秀な将であると言えた。

 

「君は恋を見て、どう思う?」

 

「李家軍の後継者として、充分な能力だと思いますが」

 

「能力、ね」

 

地雷を踏んだかな、という感覚がある。

趙雲はその踏んだ箇所はわからないものの、踏んだことはわかっていた。

 

「まだ、不足ですかな?」

 

「いや、有り過ぎる。強すぎるんだ」

 

恋は、強すぎる。

李師は心の中でそう呟いた。

 

彼女には隙がある。が、秀でたところが複数あるが故にその致命傷を隠せてしまう。

 

指揮能力も武力も、呂布という存在を構成するに不可欠な要素なのだ。

別に李師は殊更娘の美点を欠点とする気はないが、強すぎるとは思っていた。

 

「強すぎる、とは?」

 

「恋は武において並ぶ者が居ない。戦術家としても数年すれば私を越えるだろう。だから、傍から見たら強過ぎる。勿論、その強さに比例して弱いところもあるんだが、私にしか見せたことがないからね」

 

ため息をつくような語調である。

 

つまるところ、李家軍とは李師の強さと弱さのアンバランスさに惹かれ、支えてやろうという者達の成長によって力を増してきていた。

呂布は最初からその隙がない。弱さもあるが、それは李師にしか見せないのだから傍から察しようもない。

 

「本質的に孤独を好む型、だと?」

 

「と言うより、拒絶され続けてきたから拒絶されるのが怖いんだと思う。私は初めて恐れもしなかった肯定者で、同類でもあるから強みも弱みも見せてくれるが、他の人間にはそうもいっていないようだし」

 

自己承認欲求が弱く、依存性が高い、とでも言うのか。

自分の存在を支え、肯定してくれた人間にどっぷり漬かって、最終的には盲目的になってしまうようなところがある。

 

その盲目の果てに何があるのかを考えず、その承認してくれた存在に一途に尽くす。それは賞すべき一途さと言えないこともないが、呂布の場合はその果てに自分の破滅や他者の破滅があろうが構わず驀進してしまえるところに危うさと危険性がある。

 

依存性が高い人間は『依存している人間』と『自分』以外どうでもいい、と考えがちだが、呂布の場合は『依存している人間』さえ無事なら何であろうがやってしまいそうなところがある。

 

「恋は、義父離れができていない」

 

そう結論づけ、李師は戦とは別なことに頭を悩ませ始めた。

 

「それにしては、盲目的ではありませんな」

 

「私が堕落したらそれは私ではないんだよ、と言っているからね。それでも依存している感じは隠し切れていないけど、諌めてはくれている」

 

李師と呂布の関係を李師側から見れば、依存を解くにはどうすればいいのか、という題目にここ八年間挑戦し続け、敗れつつけるだけの人生である。

 

「どうすればいいかな」

 

「否定しまえばよろしいのでは、とも思いますが……」

 

趙雲には、先のことが容易に見えた。

まず、何故捨てられたかを後ろからとことこと必死について回って訊こうとするだろう。

 

それが駄目となれば、捨てられた仔犬のようにどうすればいいのかわからなくなって、無茶に無茶を重ねる。

 

無茶に無茶を重ねても死なないから、どんどんその無茶はエスカレートし、結果的に何が起こるかはわからない。

 

ともかく、依存を一方的に断ち切ってもすぐに別な依代を探せる程に呂布が器用でも移り気でもない以上、切るのは得策とは言えなかった。

 

「駄目でしょうな」

 

「だろうね。だから困ってる。と言うより、一度しようと思って本人に言ってみたんだよ。

結果的には捨てられた仔犬のような戸惑った目を向けられて、私にはできないことがはっきりした」

 

「あれですな。攻撃力も防御力も桁外れなのにも関わらず、全くこちらに害を及ぼさずに全自動で敵を殺し、身を守ってくれるのです。外すことができないことくらい我慢しなされ」

 

「人の娘をそんな物騒なものに例えないでくれるかな。それに、別に我慢ってほどのこともないんだよ?」

 

「我慢云々はともかく、あってると思いますがね」

 

話しながらも、指揮能力は全く衰えない。

華雄が敵を真っ二つに引き裂いているのを眺め、その半分に射撃を集中させる。

 

まるで軍が己の手足の延長であるがごとく操る李師は、とても頭の中で娘の将来を案じている父親であるとは思えなかった。

 

「勝ちましたな」

 

念を押し、もはや決定的となった勝利を、趙雲は敢えて口に出す。

味方の軍を使ったとはいえ、李師が目の前のことに拘泥することなく広域で作戦を練って戦えるということを発見したのは、趙雲にとっての楽しみが増えたことを示していた。

 

「……そうだねぇ」

 

相変わらず、憮然としている。

 

これほど見事に、鮮やかに勝っておきながら、全く嬉しさや達成感をあらわにしない男も珍しい。

 

人を殺すという事に対する嫌悪感に、その類いの達成感が勝てないからこんな微妙な表情になっているのだろう。

作戦を立てるときは嬉々としているあたり、戦術家としてありがちな芸術家気質であることは間違いない。

 

自分の作品を作ることには無心と才能の限りを尽くすことができるが、その作品が他人に害を及ぼすということを感じると自己嫌悪に陥ってしまう。

 

(面白い方だ)

 

憮然としている体を勝利が決定し、過去の勝利となる最後まで憮然とした面持ちを崩さない李師の顔を見て、趙雲は槍を肩に担いで笑っていた。

 

奇妙な人間というものは、同じく奇妙な性格をした誰かしらに好かれる傾向にあるらしい。

 

そんなブーメランなことを、趙雲は茶を飲んでいる李師の顔を見ながら考えている。

このブーメランな気質はどうしようもないが、それにしても見事過ぎるほどに己の手元に返ってきていた。

 

「主も、ほとほと面倒くさい性格をしておりますな」

 

「君ほどじゃあないさ」

 

潰走していく敵の追撃を許可することを求めた華雄にそれを任せ、彼はさっさと翼を広げた軍を縮めて集結させる。

まだ油断はしていないことが、この一動作にも表れていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。