それではさっそく、どうぞ!
白い煙幕の只中。
「『天使の鎖』とはなんだ?」
クレハは斉藤の目を見据えて問いかける。
それに、斉藤は何の感情も読み取れない表情で返す。
「…天使の鎖、とは?」
その問いに、クレハは黙ったまま、間髪入れずにセーラー服のリボンに手をかけ、しゅるりと解いて躊躇わず制服の前を開けた。
「何をして……これは…………」
驚いた斉藤の目が一瞬見開き、クレハの胸にあるものに釘付けになる。
下着で少し隠れているものの、はっきりと見える、白い肌に広がる黒い呪詛。
よく見ればそれは、胸の一点、ちょうど心臓のある辺りから広がっている。
そして、さらによく見ればそこには、
「天使……ですか……」
翼を広げた天使が、鎖に全身を拘束されている姿に見える黒い刻印が刻まれている。
クレハの全身に回っている呪詛は、まるで、この鎖が伸びて重なりあったもののようで。
クレハは口を開く。
「マリアはこれを、『それは天使を縛る鎖の呪いだ。貴女達の命が、天使の現界を阻んでいる』と言っていた」
続けて、問う。
「天使とはなんだ?」
「さあ、それは私にも___」
クレハは斉藤の視線の一瞬の揺らぎを見た。
こいつは何かを知っている。
そう判断したクレハは片手でナイフで斬り掛かる。
と、見せかけて、もう片方の手に、氷の日本刀を瞬時に形成して、斉藤の胸に突き出した。
心臓に、届く。
しかし、そこで信じられないことが起こる。
「おおっと、これはちょっと危なかった」
おどけたようにそう言いながら斉藤は、なんと、素手でその日本刀を指で挟むようにして止めたのだ。
いくら呪術があるとはいえ、明らかに人間の所業ではない。
と、そこで、真昼が私達の横を、ひょい、ひょいっと後方へと、舞うように下がっていく。
そしてにっこり笑うと、
「あなたが好きよ、グレン」
グレンを見つめてそう言った。
「これは本当の気持ち。だから、あなたが私を欲しがってくれるまで……その日まで、待ってるね」
そして彼女は、煙幕の向こうへと消えていく。
続いて斉藤も、刀を掴んだまま、少し疲れたような顔で、
「だいぶ、予定は狂っちゃいましたが、まあ、おおむねいいでしょう。あ、もしもあなた方から《百夜教》にコンタクトを取りたい時は、以前に私と会ったときに一緒にいた、あの少年が通っている孤児院の院長に伝えてください。百夜孤児院__どうせあなたは、その場所を知っているでしょう?」
「…………」
「そうすれば、私に繋がります。では、そろそろ私もこれで」
そう言って、斉藤が下がる。
煙幕の内側には、グレンとクレハの二人が取り残されてしまう。
待って。
ちょっと待って。
百夜孤児院の場所知らないんだけど。
調べれば大丈夫かな。
真昼の消えた方を見て、つっ立っているグレンの手には、折れた刀が握られている。
真昼に折られたのだろう。
見れば、そんなに脆いものだとは思えないが……。
それも鬼呪の力だろうか。
と、そこで、急速に煙幕が薄くなり始める。
どうやらその煙幕は、呪術によって張られていたもののようだった。だから《百夜教》の部隊が撤退すると同時に、消えていく。
そして、
「…………」
煙幕が消えた先には赤く染まった校庭が広がっていた。
生徒の死体。
教師の死体。
それらは多くはないが、少なくもない。
そしてその死体の中に、黒スーツのものは見えない
煙幕の中に入る前に、結構な数を始末したはずだが……。
正体がバレないように《百夜教》の連中は、死んだ仲間の死体を回収していったのか。
だがとにかく、戦争の初戦は柊の完敗のようだ。
なにせ柊は襲ってきた相手の正体も分からず、敵にまんまと逃げられてしまい、さらには死人も出ている。
挙句、柊真昼が裏切っているのだ。
私の個人的な見解としては、仲間に裏切られ、憎まれるような組織は、その在り方が間違っていると思うのだが。
「あ、あなたも、生きていたんですね!?」
嬉しそうな女の声が突然、する。
そちらに目をやると、十条美十と五士典人がグレンに駆け寄っていた。
命の恩人がどうとか。
言葉を交わす様子はなかなか楽しそうだ。
なんだ、友達いるじゃないか。
『もう私達はあんな風に楽しめない…。羨ましい…恨めしい』
『いいなぁ、イイなァ。あの子達と遊びたいなァ』
『ねぇ、クレハ。あの子達をこっちに連れてきてよ』
『ねェ』『何で助ケてくれなカッタノ?』『私達を見逃してクレナカッタノニ』『あの子達モ』
『みんな平等ヨねェ』
段々と、グレン達の姿に目の焦点が合わなくなる。
それどころか、景色全体がぼやけて見える。
意識しなくても動くものを捉えて動く瞳。
氷刀を捨てて姿勢を低く下げ、片手を地面につく。
ナイフを構え、地面を踏みしめる脚に力を入れる。
獣が走り出すように、
獲物を捉える視線の先は、
「皆殺シにしよウ」
「てはじメにオマエダ、イチノセグレン」
地面を蹴る。
「………ッ!」
その寸前、誰かがクレハのナイフを持つ腕を掴んだ。
「クレハ、もうやめろ」
その、誰かの声と共に、すぅ、と視界が元に戻った。
と思えば、突然戻った筈の視界が暗転して、体が地面に倒れるのを感じる。
冷たい土の感触を頬に感じ、
そのままクレハは意識を失った。
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Side 一瀬グレン
「グレン様、グレン様、今日からまた、学校が始まる訳ですが、もう絶対、片時も離れませんからね!」
「…………」
「まさかわたくしが入院した翌日に、グレン様が戦争に巻き込まれるだなんて。話を聞いたとき、雪ちゃんとわたくしは顔を見合わせて飛び上がりました。護衛役であるはずのわたくし達が、グレン様が危険に遭遇しているというのに、いったい、なにをしていたのか!と。あの、ですので……」
と、小百合がぴったりと横にくっついてくる。
さらに時雨も、反対側にぴったりと寄り添い、言う。
「ですので、今日から私達は、グレン様から片時も離れないことにしました」
グレンはその、セーラー服姿の従者二人を見下ろして、言う。
「だからといって、くっつく必要はないだろう?」
すると時雨が言った。
「有事ですので」
小百合も言った。
「戦時中ですので」
それにグレンは二人の肩を手で、まるで両開きの扉を開くかのように、押しのける。
「邪魔だ。歩きにくい。第一、おまえら俺より弱いだろうが」
が、小百合が言う。
「あ、離れちゃだめですグレン様!」
続いて時雨が、
「確かに私達の力はグレン様の足下にも及びませんが、弾除けにはなれますから離れないでください」
と、周囲をきょろきょろ見回す。敵がいないか。攻撃はこないか。はたからはもう、ちょっと挙動不審な変人に見えてしまうんじゃないかというほど、二人は緊張しまくっている。
ちなみに彼らがいるのは、いつもの通学路だ。
第一渋谷高校へと続いている道。
あの、選抜術式試験中に、正体不明の組織に襲われてしまう__という事件以来、半月の休校を経て、学校は再開されることになった。
襲ってきた組織の正体は、名前も聞いたことのないテロ組織だった__ということらしかった。
そして、『帝ノ鬼』はそのテロ組織の構成員を一瞬で皆殺しにし、『帝ノ鬼』に逆らう者はこうなる、と、発表した。
それで学校の関係者達は、安心した。『帝ノ鬼』の信徒達の不安も、解消した。
だが、当然、それは嘘だ。
襲ってきたのはこの国最大の呪術組織《百夜教》で、『帝ノ鬼』がすぐにどうこう出来る相手ではないはずだった。
だからそのテロ組織は、《百夜教》によってでっち上げられた偽物の組織か、もしくは、『帝ノ鬼』が襲撃されて、その相手すら分からない__という失態を隠すために作った、やはり仮初めの組織か。
だがどちらにせよ、状況は好転していない。
この国の二大呪術組織の戦争は、始まってしまっているのだ。
そしてその下で、一瀬家率いる『帝ノ月』は、漁夫の利を狙うことに決まった。二大組織が争っている横で、その二つを潰し、上に立つことを狙うのだ。
そしてその二大組織が戦争状態に突入した__という情報は、幹部以外には伝えられていなかった。厳しい情報規制が敷かれ、その水面下で、激しい情報収集戦が始まっている。
各組織の工作員たちが命がけで敵組織を陥れられないかと、動き回っている。
そしてそんな中、
「……もう絶対、グレン様を危険な目には合わせません!」
時雨が、まるで自分に言い聞かせるような決意の声音で、言う。
するとそこで突然、敵からの攻撃がきた。
といってもそれは、命を脅かすようなものではないが。
「……ん?」
グレンは目を上げる。
すると目の前には、コーラの入ったペットボトルが飛んできている。フタが開いていて、当たればきっと、コーラまみれになるだろう。
入学式のときと、一緒だ。
そしてその向こう側では、『帝ノ鬼』の生徒たちが笑っている。馬鹿にしたように笑っている。
こんな、戦時下に__いまが戦争状態だということすら伝えられてない、それどころか偽物のテロ組織を始末した、などという情報で、安心しきった馬鹿どもが__やはり馬鹿面下げて、笑っている。
グレンはそれを半眼で見つめ、
「時雨。防ぐなよ」
と、言おうとする。
ここで実力をバラす必要は、やはり無いのだから。いや、寧ろ、自分の力を秘匿する必要性は、前よりも高くなった。
なにせ、ここでこそこそと我慢する時間も、もう、三年はないかもしれないのだから。
戦争が始まったのだ。
潰そうと思っていたバケモノ組織二つが、都合の良いことに潰し合いを始めてくれたのだ。
なら、自分は侮られていた方がいい。
現界まで馬鹿にされていた方がいい。
あいつらは___
あの、偉そうにふんぞり返る返っている馬鹿どもは、一瀬を侮ったまま、死んでいけばいい。
だから、グレンはコーラを受けようとする。
しかし時雨が反応してしまうのが、見える。彼女は本当に、緊張していたのだ。グレンに近づくものを、主に近づく敵意を、すべて排除しようとクナイを投げてしまう。
そのクナイは、一直線にコーラのペットボトルを破壊しようと飛んでいく。
そしてペットボトルが宙空で破壊されれば、生徒達は黙るだろう。時雨の怒りに触れて。彼女の実力に触れて。
だが、それには意味が無い。
そんなことには意図がない。
だからあとで、説教だな、と、思う。
しかしそこで、
「よっ」
という声がした。
クナイが飛んでいこうとした横で、いつの間にか現れていた柊深夜がそのクナイをつかんでしまう。
と、同時に、コーラのペットボトルが、クナイがなくなったせいで、飛んでくる。グレンの頭に当たる。中身が飛び出して、全身がコーラまみれになる。
それを見て、投げた生徒達は爆笑している。
「コーラまみれでやんの!」
「一瀬のクズめ!だけど、コーラも滴るいい男!」
「消えろ!一瀬のクソネズミが来れるところじゃねぇんだよ!」
なんて、怒鳴られて。
途中に混ざっていた変な言葉はきっと気のせいだろう。
そして最後に、深夜が振り向いた。薄く笑みを浮かべ、
「はっ。相変わらず、ださいなぁ君は。こんなコーラもよけられないのか?」
するとまた、生徒達がより一層盛り上がった。
どうやら深夜は、グレンの演技を手伝ってくれるつもりのようだった。
「貴様っ」
と、いきりたつ小百合と時雨を制して、グレンは言った。
「ご助力どうも」
「いやいや、なにせ僕ら、仲間だからね」
「仲間?じゃあ、おまえは『帝ノ月』に入信するか?」
「冗談言うなよ」
「なら仲間じゃないね」
「ふふ、まあ、同じ敵を持つ者同士、仲良く頑張ろうよ。じゃ、また教室で」
そう言ってこちらに背を向ける。
「ちょっと、ずぶ濡れじゃないですか!」
背後から、別の声がかかった。
「うっわ、ひでぇ。なんだよそれ、グレン」
五士典人まで現れた。
それを見て生徒達が動揺し始める。
「あの髪は……十条の方……」
「五士の方もいるぞ……」
「お、おい、まずくねぇか?」
「関係ねぇよ!征士郎様も深夜様も一瀬が嫌いなはず…」
と、本当にどうでもいい、いじめる派vsいじめないでおく派がせめぎあっている。
そこへ、隣に並んだ五士がグレンを見て、
「おまえ、いじめられてんの?どいつに?こないだたすけてもらったから、お礼に助けてやろうか?」
と、コーラを投げてきた生徒達のほうへと、鋭く目を向ける。
するとその生徒達は、「ひっ」と、声にならない悲鳴を上げて、そのままひそひそ言い合いながら、いなくなる。
グレンはそれをぼんやりと見つめ、五士と美十に向かって言った。
「ちょっと、おまえらに言いたいことがあるんだが」
すると五士が言う。
「お、なんだ?お礼か?」
続いて美十が、
「お礼なんて、いいんですよ。あなたは私を、一度助けてくれたのですから」
それにグレンは頷いてから言った。
「なぜ俺がおまえらに礼を言う?俺が言いたいのは、近づくなってことだ。俺は、友達はいらないんだ」
するとそれに、美十と五士が目を丸くしてこちらを見つめ、それから、
「おまえ、ほんとに照れ屋だよなぁ〜」
と、五士が笑い出した。
続いて美十も、
「まさか近づくと、私達までいじめにあうと心配していると?」
「違……」
「そんなこと、気にしなくていいのに。でも、なんか、少しづつあなたのことがわかってきた気がします」
と、まるで何もわかってないくせに、彼女には勝手に何かがわかったらしい。
続いて美十は、時雨に話しかけ始めると、しつこく時雨を従者として勧誘しだした。
その横で五士は小百合にナンパし始める。
ちなみにもう一度言うが、いまは戦争中だった。
なのに、
「この、平和ボケどもの様子は、いったいなんだ?」
と、グレンは思う。
そこで近くにクレハ=ヴォルガスが歩いているのを見て近寄る。
グレンは、クレハが立ち止まると、鞄から以前、借りていたタオルを出す。
「遅くなってすまない」
「………………」
クレハは差し出されたそれを見て、コーラまみれのグレンを見る。
「またコーラ?」
「俺はコーラが好きなんだよ」
「そう。コーラはあまり飲んだことが無いから分からないけど」
「なかなか美味いぞ?」
「そう」
「それより早く受け取ってくれ」
グレンがそう言うも、クレハは手を動かす気配がない。
その代わりにクレハが言う。
「それはそのままあなたに貸すわ。濡れたままうろちょろされても困るから」
そう言うと、またもやとっとと先へ行ってしまった。
グレンも時雨や小百合、それから美十や五士の所に戻る。
クレハの考えてることは未だよくわからないが、こいつらのことも大概だ。
相変わらずうるさい馬鹿どもを見つめ、グレンはため息をつくと、コーラでずぶ濡れの髪をかき上げる。
空を、見上げる。
無駄に平和そうなその空と、そして、目の前の、あまりに馬鹿馬鹿しい光景に、
「……はは」
と、そう、小さく笑って。
そしてここから、物語が始まる。
戦争。
殺し合い。
騙し合い。
愛と、憎しみ。
それは終始、人間味を帯びていた。
欲望を起点に、なにもかもが回り続ける。
際限なく回り続ける。
そしてしの欲望が膨れ上がり、世界は滅亡していく。
これはその、人類滅亡直前の物語だ。
終わりの
そして物語は破滅後の世界へと続く。
一人の暗殺者が長い長い物語の果てに選んだのは____
さて____
次回『何故グレンがクレハに対してタメ口なのか』