今回は、横須賀のお話です
また、作者ワールド全開で参ります
横須賀鎮守府は、作戦前の忙しさと熱気に包まれている。工廠部が騒がしいのは言わずもがな、港湾部でも作戦参加艦艇の入渠と艦体の整備が行われている。提督たちは、図上演習による作戦詳細の確認に余念がない。艦娘たちも、より一層の訓練に励んでいる。
『NT作戦』参加艦艇第一陣の出立まで、一週間を切っている。この賑わいも、無理からぬことだ。
ただし、そんな横須賀鎮守府においても、普段と変わらぬ落ち着きと静けさを保っている者が、少なくとも二名はいた。
昼食を終えた吹雪は、資料室から借りていた資料を返し終わり、執務室へと戻っていく最中だった。その手には、封筒が一つのみ。
今回の作戦、彼女は参加しない。横須賀鎮守府執務室長の秋山も同じくだ。そういうわけで、横須賀―――のみならず、日本海軍を根底から支えるこの二人は、どこか取り残されたように落ち着いた時間を過ごしている。
執務室の扉を叩く。そのまま、秋山の返事を待つことなく、扉を開いた。長年一緒にやってきた二人だからこそ、許されることだ。
「戻りましたよ」
「ありがとう。助かった」
手元の書類から顔を上げた秋山は、笑顔でお礼を言ってくれた。それに頬を緩めて頷く。
「さ、お仕事しましょう」
「吹雪が片付けに行ってる間に、ほとんど終わった。後二枚だけだ。思ったより少なくて助かったよ」
「そうですか。それじゃあ、どうします?」
「そうだな・・・」
書き上げた書類を「済」の箱に入れ、秋山は最後の一枚に取り掛かる。このペースなら、二分と経たずに終わるだろうか。
「とりあえず、お茶淹れますね」
「お願いしよう」
給湯室に入った吹雪は、抱えていたA4サイズの封筒を戸棚の端に差し込んでから、電気ケトルでお湯を沸かす。沸騰するまでの間に、書類を終えた秋山が給湯室に入って来た。間取りの広い横須賀の給湯室には、吹雪と秋山専用と化している、休憩スペースがある。
「お茶請けは、紅葉饅頭でいいか」
机を濡れ布巾で拭き、お菓子が入れられている戸棚を開いた秋山が尋ねる。先日、呉の飯田中将から送られてきたものだ。
「いいですね。食べましょう」
「つぶ餡か、こし餡」
「こし餡で」
電気ケトルのスイッチが上がり、お湯が沸いたことを示す。湯呑みに一度注ぎ、しばらく温度が下がるのを待って、急須へ。三十秒ほどそのままにしておくと、豊かなお茶の香りが漂い始めた。
湯呑みに注いで、秋山の前と、自分の前に出す。
「一息入れるには、少し早い気がするが」
「それもそうですね」
時刻はまだ二時を少し回ったところ。おやつにはまだ早い。二人して苦笑しながら、湯気を上げるお茶に口をつけた。
「・・・なんだか、私たちだけ、のん気ですね」
「留守番だしなあ。それに、トップの俺たちが、今更慌てても仕方ない」
緊張感なく呟いた吹雪に、秋山ものん気な答えを返す。再びお茶を口にして、ほっとするように息を吐いた。紅葉饅頭に手を伸ばす。
「そういえば」
ふわふわとしたカステラ生地をかじりつつ、秋山が口を開いた。
「第七期生の資料が来ていた」
「もう、そんな時期ですね」
提督候補生の第七期生が、いよいよその課程を終えて、各鎮守府に研修を目的として配属となるのだ。また、初期艦の選定と、半年間の訓練スケジュール、最終的な配属先も決めなければ。
提督候補生は、『有資格者』と呼ばれる、妖精が見える人の中から、試験と研修課程を経て、人間性なども含めた総合的な判断のもと選別される。では、その『有資格者』は、どうやって見つけるのか。
最初に確認された有資格者は、言うまでもなく秋山だ。その後、第〇期生と第一期生は、全て手探り状態から、『有資格者』を探し当てた。
旧海上自衛隊内から選ばれた『有資格者』は、第一期生まででたったの七人。半年かけて、これしか見つからなかった。
が、ここである事実が判明する。七人の遺伝子内に、共通した部分が発見された。『有資格者』のみに見られるこの遺伝子(T遺伝子と呼ばれる)は、色覚と空間把握に関わるものと推測されている。この遺伝子があるために、『有資格者』は妖精を見ることができるのだ。
この事実を受けて、『有資格者』の大捜索が始まった。方法は至ってシンプル。「存在する血液サンプルを、片っ端から調べる」のだ。病院での採血や、献血によって確保された血液サンプルの調査が行われた。遺伝子解読技術の進歩があったからこそ、できることだった。
もっとも、『有資格者』の選出にあたって、そんな方法が取られているなどということは、海軍内でもごく一部の人間しか知らないことだ。国家権力の名のもとに、個人の遺伝情報を、勝手に解析したのだから。国家危急の事態だったとはいえ、褒められたものではない。
かくして、第二期生以降の提督候補生は、判明した『有資格者』に、欺瞞を兼ねた軍人や一般人を無作為に抽出して加え、試験と研修を課すことになった。
ただ、根本的なところは、まだわかっていない。
なぜ、そんな遺伝子が存在するのか。単なる突然変異、偶然で片付けていいのか。
―――「艦娘と深海棲艦に関わること、そこにはいつも、何らかの意味と作為があった。『有資格者』に関しても、その可能性が高いとみるべきだ」
それが、吹雪と秋山の答えだ。
否、吹雪はすでに、答えの片鱗を持ち合わせていた。
なぜか。提督の選任にあたって、『有資格者』であることを条件として提示したのは、紛れもない吹雪なのだから。
“彼女”が、吹雪にそのことを教えてくれた。そしておそらく、“彼女”がこの遺伝子を仕組んだ張本人。そのことは、秋山にも教えている。
―――あ。
そこで吹雪は思い出す。ここ数日、資料室の書類等、及び海軍内の協力者を通して集めた情報。先ほど受け取ったばかりのそれは、まだ中身を見ていない。
『有資格者』の調査については、秋山と吹雪で継続中だ。特に、「どこで遺伝子が混じった」のかについて。これまで色々と目処をつけ、仮説を立て、調査を行ってきたが、どれも外れだった。
果たして、今回は。
「さっき、受け取ってきましたよ。今回はどうでしょうね」
二杯目のお茶と一緒に、封筒を取り出して、机に置く。ゆっくりと封を解き、中身を取り出した秋山は、湯呑みを傾けながら中身に目を通し始める。
その動きが、ピタリと止まった。湯呑みを置いた彼は、食い入るように書類を見つめ、めくる。少しずつ険しくなる表情。
「・・・何か、ありましたか」
「・・・吹雪も見てくれ」
秋山の声音は、艦隊指揮官としての、低く冷静なものに変わっていた。差し出された書類。受け取った吹雪は、そこに並んでいる文字列の違和感に、すぐ気づいた。
同時に、戦慄にも似た冷たさが、背中を駆けていく。にわかには信じがたい。それでも、書類を読み進め、紙をめくっていくにつれ、確信へと変わっていく。
読み終えた吹雪は、書類を封筒へ戻し、秋山の方を見る。一息を吐くように湯呑みに口づけた彼は、嘆息にも近い息を漏らす。吹雪も同じ気分だった。
「・・・どうして、このタイミングなのか。本当に、神の悪戯としか思えない」
神の悪戯。そんな言葉を使いたくなるのもわかるというものだ。
書類に記されているのは、調査の結果。今回実施したのは、各『有資格者』の出身地や、家族に関する調査だ。
どの対象にも共通する事項が一つ。書類から読み取れる事実。
胸の内にいる“彼女”は、やはり沈黙を保ったままだ。
「・・・“彼女”は、何か言ってるか?」
「いえ、何も。見てはいると思いますけど」
「そうか・・・」
しばらく考えるようにした秋山は、腕時計を確認して、手元の湯呑みを掴む。一気に傾けて中身を飲み干した彼は、封筒を手にして立ち上がった。
秋山がやろうとしていることを、吹雪はすぐに悟った。同じく立ち上がり、二人分の湯呑みを手早く洗って、片付ける。これで、準備は整ったはずだ。
「行こう。幸いにして、俺たちには直接確かめる手がある」
給湯室を出た秋山は、制帽を被り、執務室の扉を開く。
足早に廊下を歩いていく。艦娘たちは午後の演習に取り組んでいるため、庁舎は静かなものだ。唯一、作戦室からは、塚原と角田のものと思しき声が聞こえてきた。図上演習をやっているらしい。
「灯台下暗し、とはよく言ったものですね」
ポツリと言った吹雪の言葉に、秋山は無言で頷いた。
『有資格者』たちに共通していた事項。それは、全員が四世代前に、太平洋戦争に兵士として参加した家族を持つということだ。もっと言えば、全員が終戦を外地で迎え、戦後の復員輸送で日本に戻ってきている。
それだけなら、決して珍しい事ではない。復員輸送によって日本に戻って来た兵士は、六百万人にものぼる。
問題は、復員輸送に用いられた、船であった。全員が全員、同じ船で、日本へと輸送されていたのだ。
復員輸送船には、旧帝国海軍艦艇、日本船舶、アメリカ貸与船舶の三種類が存在する。合計でおよそ四百隻。その内のたった一隻に、『有資格者』の家族が集中していたのだ。
仮説は、確信へと変わった。やはりこれは、仕組まれたもの。七十年以上の時を経て、私たちの前に姿を現した、隠された真実。
庁舎を出ると、まだ夏の気配を残す、むっとした空気が立ち込めていた。それでも、海の近くであるからか、幾分かは涼しさも感じられる。時折吹く風も、頭を冷やして思考を落ち着かせるには持ってこいだ。
吹雪たちが向かう先、そこにあるのは、大型艦も横付け可能な大埠頭だ。以前米軍が横須賀に居を構えていた際は、排水量十万トンを超える原子力空母まで停泊可能だった。
今でもそこには、空母が艦体を休めている。ただしその大きさは、全長三百メートル強の米原子力空母の半分程度しかない。日本海軍の空母では最も小さく、大型な新鋭機の扱いには適さないとして、現在は対潜哨戒と航空隊の錬成を主任務としている。近代空母の特徴である島型艦橋も持たないため、どこかのっぺりとした、かまぼこのような印象を受ける艦だ。
大埠頭の前まで来て、秋山も吹雪も足を止める。そこには意外な―――そしてあまりにも予想通りな人物がいたのだから。
「そろそろ、来る頃だと思っていました」
普段と変わらず、穏やかな笑みを浮かべている彼女は、やはりいつも通りの優しい声で、静かに言った。後頭部で結んだ髪が、風に揺れている。
「そうか。・・・それなら、話は早い。君に訊きたいことがある」
秋山もまた、真っ直ぐに彼女―――航空母艦娘、鳳翔を見つめる。コロコロとした笑みのまま、彼女は首肯した。
よし・・・何とか、広げた風呂敷が畳めそうだ・・・
鳳翔さんの過去。そこにある、全ての始まり
次回もお楽しみに!