というか最終章です
トラック攻略の最終準備に取りかかっていきます
本土防衛艦隊
日本海軍の中にある二つの艦隊。旧海上自衛隊からの流れを直接受け継ぐ本土防衛艦隊横須賀司令部には、“招かれざる”客がいた。
外は雨だ。司令部庁舎(横須賀鎮守府からほど近い場所に存在)内の作戦室にも、窓を打つ雨粒の音が木霊している。雲が空を覆っているためか、電灯が点いていてもどこか薄暗い印象を受けた。
できることなら、この息苦しい空間から早々に抜け出したい。そう願いながらも、それが叶わぬ夢であることは、承知していた。溜め息が漏れそうになるのを押し込め、伊藤整次少将は意識を作戦室内へと引き戻す。そこには、彼を含めて、四人の人物がいた。
作戦室中央、机型の電子パネルを挟むようにして、二組の制服が立っている。
伊藤側に立つのは、彼の他に豊田武富中将。海上自衛隊時代から変わらぬ制服を身に着ける彼らは、日本海軍の中でも、絶滅危惧種となってしまった現代艦船を集めた艦隊、本土防衛艦隊の人間だ。
対して、向かい側に立つのは、秋山中将と吹石少佐。どこか旧帝国海軍を彷彿とさせる制服を身にまとう二人は、現在の日本海軍主力、連合艦隊の人間だ。
同じ海軍内に存在する、二つの艦隊。その間の確執を示すかのように、無機質な電子パネルの上には、冷たい沈黙が横たわっていた。
最初に静寂を破ったのは、豊田だった。咳払いを一つ挟むと、温和な彼には珍しく、険しい表情で話しだす。
「連合艦隊からの要請は、承服しかねます」
たった今、二人に提示されたのは、すでに発動が一週間後に迫った『NT作戦』に関する、連合艦隊からの要請だった。
『IF作戦』において、本土防衛艦隊は連合艦隊への積極的協力を渋った。
深海棲艦の登場によって減る一方だった現代艦船は、さらに連合艦隊の編成と予算捻出のために、新造がままならない状態であった。完成間近だった“はぐろ”(八二〇〇トン型護衛艦)だけは何とか就役に漕ぎつけたが、それ以降の新造艦調達はない。かつては四個護衛隊群を有していた彼らも、今や横須賀と舞鶴に一個護衛隊群ずつがあるのみである。まさに絶滅危惧種なのだ。
これ以上、現代艦船を減らすわけにはいかない。そういう判断があったことは、間違いなかった。
しかし、そうも言っていられなくなってきたのだ。日本海軍内における連合艦隊の発言力が増せば、それだけ本土防衛艦隊の肩身は狭くなる。上のお偉方は、それがどうにも我慢ならなかったようだ。
そこへ飛び込んできたのが、『NT作戦』である。トラック諸島の解放という、太平洋戦線において重大な意味を持つこの作戦に、本土防衛艦隊も一枚噛もうと画策した。
その結果が、伊藤率いる第一護衛隊群の作戦参加である。
深海棲艦を撃沈することはできない現代艦船だが、戦い方を選べばその戦力に対抗できる。そのことは、『IF作戦』における第一潜水隊の活躍が如実に示していた。すなわち、護衛隊群はその本来の目的である、「空母機動部隊を空と海中の脅威から守る」ことだけに徹すればよいのだ。
この企みを、上はあの手この手を使って、何とか『NT作戦』にねじ込んだらしい。
だが、苦労の末に混入された異物を、目の前の二人はいともあっさり、取り去ろうとしていた。
本案件について預かる、横須賀護衛隊司令の豊田中将が険しい表情になるのも、頷けるというものだ。
「皆さんが作戦に参加することの意義は、十分に理解しているつもりです。現代艦船の高い対空戦闘能力があれば、軽減される負担もあるでしょう」
話し始めたのは、秋山ではなく吹石だった。まだ二十歳にも達していないのではという少女は、それでも凛とした声で淡々と話す。
「ですが、実際にやるとなると、非常に困難なことであることは、お二人も理解されているのではありませんか?」
吹石の指摘に、伊藤も豊田も沈黙をもって答える。吹石の話は続いた。
「第一に、敵味方識別の問題があります。ご存知の通り、BOBに関連する装備には、人類が使用する機器の据え付けが一切できません。それは航空機にしても同じです。拒絶反応を起こしてしまう。ですから、連合艦隊の航空機には、IFFが搭載されていません」
それはつまり、護衛隊群が放ったミサイルが、誤って味方機を撃墜してしまう可能性があるということだ。というよりも、そもそもレーダー上で、敵味方の識別ができない。飛んでいるものは、全て「味方ではない」航空機として表示されることになる。
「それでは、対空戦闘中は、そちらが航空機を飛ばさなければよいのでは?対空戦闘についてでは、護衛艦の方が圧倒的に能力が高い。こちらに任せて頂いて結構です」
それが苦し紛れの指摘に過ぎないことは、吹石にはお見通しであったようだ。
「そこで、第二の問題が発生します。確かに、護衛艦の対空能力は、BOBよりも高いでしょう。ですがそれは、『一発の弾で一機を撃墜する能力』が高いということでしかありません。深海棲艦の機動部隊は、一度に百機を超える攻撃隊を放ってきます。その全てを撃墜する能力を、護衛艦隊は有していないでしょう?最終的には、味方戦闘機による迎撃が不可欠になります。つまりどうあっても、私たちは護衛艦隊による対空戦闘中であろうと、こちらの航空機を飛ばさなくてはなりません」
―――元々、無理のあるねじ込みだったのだ。
この作戦が、所詮は机上の空論でしかないことは、伊藤も豊田もわかっていた。
「・・・護衛隊群は、深海棲艦との機動部隊戦において、期待したほどの能力を発揮できないと?」
顔にこそ出ていないが、豊田がどれほどに悔しいかを、伊藤は感じ取った。守るべきものすら守れない。それは、護衛艦乗りにとって、この上ない屈辱と口惜しさなのだ。
豊田の問いかけには答えず、秋山が吹石の後を引き継ぐ。
「第一護衛隊群には、このまま横須賀に残り、従来通り本土防衛の任務についていただきたい。残念ながら、今現在においても、深海棲艦のみが我々の敵であるとは言い切れませんから」
秋山の言わんとしていることは、伊藤にもわかる。連合艦隊の最前線は太平洋かもしれないが、本土防衛艦隊の最前線はいつでも日本海だ。万々々々が一にも、そこから弾道ミサイルが飛んでくるようなことがあれば、これを迎撃しなければならない。そのためには、現代艦船が必要だ。
「『NT作戦』には、『IF作戦』時と同じく、呉の潜水艦隊にのみ、参加していただきます」
それでよろしいですね。そう言うような視線に、二人は静かに頷くしかなかった。
「本土防衛艦隊の上層部には、東郷大将から話をつける予定です。その際に、お二人からも口添えをお願いしたい」
―――これが、発言力の差か。
日本海軍内にできてしまった、歴然とした力の差に、伊藤はまた溜め息を吐きそうになった。
「・・・わかりました。リスクに見合う効果が上げられないと、私たちからも上申しましょう。それでいいかな、伊藤君」
「はい。異存はありません」
「では、そのようにお願いいたします」
そう言い残して、二人の部外者が作戦室を後にしていく。退室時の一礼が妙に華麗で、癪に障る。
作戦室に取り残された二人は、ほぼ同時に緊張感の緩和に由来する溜め息を吐き出した。
「横須賀のマムシ夫婦とは、よく言ったものですね」
横須賀護衛隊内で秋山と吹石を揶揄する言葉を思い出す。
「・・・だが、これでよかったのかもしれない」
電子パネルの上に置かれた制帽を指で撫ぜながら、豊田が言った。
「意地だの権力だの、そんな争いに部下たちの命をかけられるのは、いい気がしない。私たちは本土防衛艦隊だ。最前線で戦うだけが海軍じゃない。連合艦隊にできないことを、私たちはやっている」
現代艦船は、深海棲艦に苦杯を舐めさせられ続けてきた。それでもなお、乗組員たちは腐ることなく、日々己の技量を磨いている。いつか来てしまうかもしれないその日が、永遠に来ないことを祈りながら、研鑽を積んでいる。
それは、並大抵の覚悟でできることではない。
「そういうわけだ、伊藤君。第一護衛隊群は、これまで通り、定期の哨戒と訓練に勤めてくれ」
「わかりました」
伊藤は制帽を取り、作戦室を後にしようとする。第一護衛隊群の旗艦であり、自らが乗艦する“はぐろ”に、このまま戻るつもりだ。
「・・・なあ、伊藤君」
その背中から、豊田が引き止めるように声をかけた。振り返ると、彼は電子パネルの上に置かれた、連合艦隊からの要請書を見つめて、何かを考え込むような仕種をしている。
「どうして、今だったんだろうな。もっと前に、要請をしてもよかったはずだ」
本土防衛艦隊上層部が、『NT作戦』に第一護衛隊群の参加をねじ込んだのは、少なくとも三週間は前のことだ。その後、連合艦隊側からは、特に何も言ってこなかった。それなのに、作戦開始の一週間前になって、突如第一護衛隊群の参加を拒否してきたのだ。
要請をするのならば、もっと早いタイミングがあったはずだ。
「戯言と思って聞いてくれ。所詮は、私の勝手な憶測にすぎない」
そう前置いて、豊田は伊藤の方を見た。
「敵味方識別について、連合艦隊は何らかの解決策を、すでに見出していたんじゃないか?」
「・・・それではなぜ、我々ではなく潜水艦隊の作戦参加を要請してきたのです?」
「どうしても、第一護衛隊群を横須賀に残しておくべき理由があった。そうとしか考えられない。作戦開始一週間前に要請してきたのは、その情報が入って来たのがつい最近だったからか、あるいは私たちに何かを探らせる時間を与えないためか。ともかく、彼らは敵味方識別の解決策を隠し、私たちに要請だけを突きつけた。発言力の違いにものを言わせてね」
一応筋は通っている。それはつまり、伊藤たちにとって、最悪の事態が起こるかもしれないということだ。
「・・・穿ちすぎでは?」
「そうかもしれない。私の悪い癖だ」
苦笑いを浮かべる豊田の表情は、普段通りに温和なものへと戻っていた。
「引き止めてすまなかった。今のは、やはり戯言ということで、忘れてくれ」
「わかりました。それでは、失礼します」
一礼をして、今度こそ作戦室を後にする。廊下の突き当り、階段とエレベーターを見比べて、階段を選ぶ。艦船勤務のせいで身についた習慣だ。エレベーターというのは、どうも落ち着かない。
雨脚は先ほどよりも強くなっていた。雨具を着込み、そのまま“はぐろ”へと駆けていく。舷門に繋がるラッタルの前で足を止め、その艦影を見上げた。“こんごう”型、“あたご”型と踏襲されてきた、大きな艦橋が、そこにはそびえている。
―――君の力を、借りることになるかもしれない。
BOBと同じように、この艦にも宿っているかもしれない船魂に呼びかける。その時が来ないことを、ただ祈るしかなかった。
“はぐろ”は、深海棲艦との戦いが始まってから、この海に生を受けた。生涯戦果〇。実戦経験なしが誇りだった護衛艦の中で、この“はぐろ”だけは、静かな海を知らない。
いや、この海が静かだったことなど、一度もなかったかもしれない。
灰色に塗られた艦体をバシバシと打つ雨と、水平線を覆い隠す霧が、先に待ち受ける“何か”を予感させるようだった。
・・・どうなるんですかね、これ
どうするんですかね、これ
次回からはちゃんとパラオのお話です