いよいよ、北東水道突破をかけた戦いに決着がつきます
二隻の戦艦から放たれる両用砲弾が、雨霰と降り注いでいた。
口径五インチの両用砲は、速射性能に優れている。四秒から六秒おきに小さな砲炎を瞬かせ、敵戦艦はこちらを妨害しようと両用砲を放つ。
精度はさして高くない。両用砲の射撃指揮装置は、主砲のものほど精密ではないのだろう。
それでも、数が多いうえに、射撃間隔が短い。反復が早いことで、確実に精度が上がっていく。
「右一斉回頭。針路一二〇」
弾雨の中に、榊原の声が響く。マイクを掴んだ彼は弾着の様子と彼我の距離、敵駆逐艦隊の動向を逐一確認しながら、弾幕を避けるように舵を切る。
「面舵一杯、針路一二〇!」
榊原の指示を受けて、曙が転舵を号令した。操舵機の油圧ポンプが舵を回していく。艦体周りの水流が変わり、すぐさま艦首を右に振る。その艦首を掠めるようにして、新たな射弾が弾着した。
「舵中央、戻せ!」
針路一二〇で“曙”が直進に戻る。細く研ぎ澄まされた艦首が波を切り裂き、飛沫を噴き上げていた。その飛沫の先に、敵戦艦を捉える。
より活発に射弾を送り出しているのは、無傷の敵四番艦だ。こちらを指向する左舷十門の両用砲が、活火山のように炎を振りまく。
敵三番艦の様子は、少し違う。主砲の火力も、発揮する速力も変わりはないが、“長門”型姉妹による統制砲撃の影響が確実に出ていた。左舷両用砲群からはうっすらと煙がたなびいており、放たれる弾量も控えめだ。
が、それでも水雷戦隊にとって脅威であることに変わりはない。
「距離九〇(九千メートル)」
ジワリジワリと詰めてきた距離を、“曙”が読み上げる。
―――誤魔化しも、ここまでか。
「投雷距離を五〇とする。左一斉回頭、針路一〇五」
左舷を掠めた両用砲弾には目もくれず、榊原は新たに転針の指示を出す。最早偽装も、回避も無意味だ。投雷距離までの四千メートルを、いかにして乗り切るか。
“木曾”を先頭とした単縦陣を再び形成しつつ、五水艦はもとの針路に戻る。ここからは、時間と、根性との勝負だ。
「っ!“陸奥”さらに被弾!」
曙が叫んだ。
統制砲撃を続けていた“陸奥”だが、向かい合う敵四番艦からさらなる射弾を食らったのだ。
「“陸奥”、速力低下、左に傾斜中!落伍する!」
―――やられたか・・・!
日本海軍屈指の殊勲艦は、真夏の入道雲もかくやというほどに大量の黒煙を噴いている。前部甲板は火の海だ。高初速一六インチ砲弾が、“長門”型姉妹の片割れを浮かぶスクラップに変えてしまった瞬間だった。
「敵戦艦面舵。反転する」
「こちらと距離を取るつもりか」
“陸奥”を仕留めたことで、砲戦を一度仕切り直すつもりなのだろう。二隻の敵戦艦は緩慢な動きで右へと舵を切っていく。それはつまり、五水艦との距離が開くことを意味していた。
「右逐次回頭。針路一七五」
敵戦艦の動きに合わせ、榊原は五水艦の針路を修正する。彼我の距離は変わらず、およそ九千メートルのままだ。
「敵駆逐艦はどうする?」
曙が尋ねる。戦艦部隊の護衛についている敵駆逐艦は、今もってこちらに接近中だ。距離は五千メートルを切っている。
チラリ。榊原は五水艦と並走する二隻の巡洋艦を見遣る。“摩耶”も“足柄”も、いまだ敵巡洋艦と交戦中だ。駆逐艦に砲門を向けている余裕はあるまい。
「五水艦で迎撃する。四〇で発砲」
「了解」
回頭が終わった五水艦の左舷から接近する敵駆逐艦に、五水艦各艦が主砲を向ける。多数の一二・七サンチ砲の砲口がきらめいた。
おそらく敵駆逐艦は、魚雷を使った妨害を試みてくるはずだ。深海棲艦の水雷戦隊が使用する魚雷は、速力四十二ノットで馳走距離およそ五千メートルとされている。実際には、もっと近づかなければ話にならないので、投雷距離は三千メートルから二千メートルということになる。
戦争の最初期こそ、深海棲艦の水雷戦隊が魚雷戦を仕掛けてくることもあったが、三千メートルまで接近する間に甚大な被害を受けることから、最近はあまり行ってこない。
代わりに、深海棲艦の駆逐艦は、主としてこちらの水雷戦隊の妨害に魚雷を使うようになった。
島嶼解放戦において、日本海軍は何度も、この駆逐艦に悩まされ続けてきた。
現状で巡洋艦の援護を得られないのは痛いが、ともかくここは、五水艦だけで凌ぐしかない。
「任せた」
「ん、任された」
曙との短いやり取りがあった直後、敵駆逐艦との距離が四千メートルを切った。
「撃ち方始め!」
「てーっ!」
左舷を指向した“曙”の主砲が、一斉に炎を上げた。交互撃ち方などと、悠長なことをやっている暇はないし、必要もない。駆逐艦の中でも特に練度の高い曙なら、第一射から命中弾を得ることも可能だ。
“曙”の発砲を皮切りに、五水艦各艦が次々と主砲を放つ。各艦の艦上で連続的に砲炎が迸り、海面に反射したオレンジが鮮やかに網膜に突き刺さった。
初速の早い一二・七サンチ砲弾は、すぐに四千メートルを飛翔する。ほぼ水平に海面の上を飛んでいった砲弾が、連続して敵駆逐艦の周囲に水柱を立てた。曙が目標に定めたのは、最も右手に見える敵駆逐艦だ。
「命中!」
曙が弾んだ声で報告する。曙は一射目にして、さっそく命中弾を得たのだ。その練度には脱帽する他ない。
敵駆逐艦も砲撃を始める。前甲板の単装砲を振り立て、五水艦に向けて射弾を放つ。五インチ砲弾の軽やかな飛翔音が聞こえてきて、左舷海面を沸騰させた。
それだけではない。回頭が終了した敵戦艦も、両用砲の砲撃を再開した。駆逐艦数隻分の五インチ砲弾がまとまって飛んでくる。
入り乱れる砲火。弾雨と呼ぶにふさわしい海域の中を、五水艦は突き進んでいく。
「行き足止まった!目標を変更!」
連続した砲撃で目標の駆逐艦を沈黙させると、曙はすぐさま次の敵艦に狙いを定める。測敵完了と共に発砲。前甲板一基、後甲板二基の一二・七サンチ連装砲が咆哮し、小太鼓を打ち鳴らすような音を響かせる。
「一斉転舵、針路一九〇!」
「“霞”被弾!」
「砲撃を再開!」
「敵戦艦四番艦に命中弾!“大和”からの砲撃よ!」
自らの命令と、曙からの報告が、連続して艦橋に木霊する。砲声の中でも確実に声が届くよう、お互いに声を張っていた。喉が急速に乾いていく。
『三制艦より、五水艦。援護する』
入れっ放しにしていたスピーカーから、清水の声が聞こえてきた。敵巡洋艦を片付けた“摩耶”と“足柄”が、五水艦への援護射撃を行うという。
程なく、右舷前方から砲声が聞こえてきた。並走する二隻の巡洋艦が砲撃を始めたのだ。
“曙”の頭上を飛び越えるようにして、二〇・三サンチ砲弾が飛翔し、敵駆逐艦の周囲に弾着する。“曙”のものよりも二回りほど大きな水柱が、小柄な駆逐艦を包み込んだ。視界から消え去った駆逐艦が轟沈したような錯覚を受けるが、実際にはそれほど都合よくはいかず、数秒後に健在な姿を現す。
「距離三〇!」
その報告と同時に、新たに二隻の駆逐艦から火の手が上がった。射弾が集中し、みるみるうちに炎の塊となっていく。
「目標を変更!」
スコアをさらに一つ更新した曙は、新たな目標を指示する。再度砲撃が再開されると、チラリ、こちらを窺ってきた。
魚雷回避のタイミングはいつか。そう問うているのだろう。
―――まだだ。
敵駆逐艦の位置と、魚雷の馳走距離、予想針路。それらを逐一頭の中でシミュレートする。
“摩耶”の砲撃が命中し、敵駆逐艦の前甲板にぽっかりと穴が開いた。
“満潮”と“霞”が砲撃を集中し、敵駆逐艦一隻を浮かべる鉄塊に変える。
五水艦とて無傷ではない。何十発という砲弾が入り乱れる中で、“霞”、“陽炎”、“長波”が相次いで被弾している。各艦とも、航行や戦闘に支障が出るような被害は幸いにしてないが、“陽炎”の甲板では火災が発生していた。
「距離二五!」
「砲撃止め!左一斉回頭、針路一〇五!」
榊原の号令で、五水艦からの砲撃が止む。単縦陣を形成していた六隻の軽艦艇は一斉に取舵を切った。
次の瞬間、敵駆逐艦もまた、転舵した。魚雷の発射を完了したのは明白だ。
「見張り員、海面に注意!」
艦橋両脇の見張り所から双眼鏡を覗いている妖精たちに、曙が下令する。榊原自身も、波打つ南国の海面に目を凝らした。
やがて、それが現れる。
「艦首方向より、航跡接近!」
榊原の目も捉えた。敵駆逐艦の放った魚雷だ。
すでに五水艦各艦とも、魚雷への正対面積を最小にしている。後は命中しないことを祈るばかりだ。
―――当たるなよ・・・!
魚雷の接近という事態は、三度目の経験となる。やはりいつでも、嫌なものだ。
できることはやった。拳に汗を握り締め、榊原は航跡を追う。
海面を切り裂くような、真っ白い航跡が、視界から消える。艦首のシアーに隠れて、見えなくなったのだ。
ゴクリ。生唾を飲み込む。
「・・・!魚雷通過!」
曙が歓声に近い声で報告する。敵駆逐艦から放たれた全ての魚雷は、五水艦に当たることなく、後方へと抜けていったのだ。
―――よしっ。
これで、障害を一つ、乗り越えた。
「右一斉回頭、針路一七五!このまま投雷距離まで接近する!」
もはや小細工は不要だ。後は敵戦艦からの両用砲が当たらないよう、祈るのみ。
その敵戦艦は、一制艦との砲戦を続けている。主砲発射の砲炎が沸き起こったかと思えば、逆に被弾による火柱が立ち上る。flagshipの名に違わぬ戦いぶりだ。
現在、敵三番艦に対しては“長門”が、敵四番艦に対しては“大和”が砲撃を行っている。もっとも、“長門”の四一サンチ砲ではflagship戦艦を相手取るのに威力不足であり、敵三番艦がこれと言って堪えた様子はない。
そもそも、手数が足りていない。“大和”も“長門”も、やっと三斉射を放ったところであり、各々命中弾は三、四発。これでは話にならない。
それでも、両用砲の弾幕は、少なからず薄くなっている。艦橋のほぼ正面に見ることのできる敵戦艦は、舷側の辺りから黒煙を噴く。装甲の薄い両用砲の類が爆砕されたことは、容易に想像できた。
「っ!」
それでも、一発が“曙”を捉えた。距離は六千メートル。投雷まで後一分もない。
「大丈夫、このまま突っ切って!」
その言葉から数秒後、明らかに“曙”を狙っているであろう両用砲弾の集団が、襲いかかってきた。
撃ってきたのは、タイミング的に見て敵四番艦だろう。“曙”の両舷に小さな水柱が連続して上がり、異音と衝撃が後方から襲ってくる。
「っ!」
駆逐艦の装甲など、無きに等しい。バイタルパートなど存在するはずもなく、被弾はそのまま被害の発生を意味する。すなわち、その痛みが、直接曙を襲う。
彼女は歯を食いしばり、痛みに耐えていた。
数秒後、再び敵弾が“曙”に降り注ぐ。今度の被弾は一発。艦首右舷の揚錨機が爆砕され、主錨が脱落して海に吸い込まれた。
ジリジリと艦体が抉られ、被害が蓄積していく。それでも、今、突撃をやめるわけにはいかない。
『やろう、ふざけやがって!』
そんな声が、スピーカーから聞こえてきた。並走していた“摩耶”と“足柄”は、そのまま突撃に加わっている。彼女たちもまた、その甲板に魚雷発射管を備えていた。
声の主は、摩耶だった。次の瞬間、“摩耶”の主砲が砲炎を上げる。目標としているのは敵戦艦のようだ。
『そうこなくっちゃ!』
“足柄”もまた、それに加わる。さらに、ようやく命中弾を得た“武蔵”までもが、敵戦艦に射弾を集中する。
まさに決戦だ。これで、全てが決する。
「距離五〇!」
痛みに負けじと、曙が声を張った。自然と背筋が伸びるのを、榊原は感じていた。
「左逐次回頭、針路一〇〇!右魚雷戦用意!」
五水艦の六隻、さらに“摩耶”、“足柄”が左に舵を切る。敵戦艦に右舷を見せる形だ。そしてそこには、魚雷を備えた細い筒の束が見える。
魚雷戦指揮能力を最大限まで高めた“木曾”が、五水艦全艦に適切な射角を割り振っている。準備は完了していた。敵戦艦に、逃れる術はない。
「魚雷発射始め!」
「てーっ!」
圧搾空気が重量物を放出する音が連続する。火災炎が燻る“曙”から、九本の九三式魚雷が射出された。
「針路そのまま!撃てるものは撃ち尽くせ!」
欺瞞と妨害を兼ねて、あらゆる火器の使用を命じる。五水艦各艦から残った全ての砲が放たれる。それも一分ほどで取りやめ、左一斉回頭により離脱。
すでにこの時点で、榊原は勝利を確信していた。
魚雷の到達時間を計るストップウォッチが、零になる。次の瞬間、敵戦艦の舷側に、次々と水柱が立ち上った。
やっと一段落です
次回は軽く南水道の二挺艦について触れようかと