彼女たちに、新たな仲間との出会いが待っていた
海は闇に包まれていても綺麗だった。月明かりが海面を進む艦たちを照らし、幻想的な光景を映しだす。その様子を、榊原は静かに見つめていた。
敵艦隊を壊滅に追いやった一機艦は、損傷艦に速力を合わせ、トラック環礁から遠ざかりつつあった。
一機艦は、結局二度の空襲を受けた。一度目こそ“隼鷹”の被弾と他数隻の至近弾で済んでいたものの、一制艦の抜けた二度目は、さすがに全てを防ぐことはできなかった。
結果、一機艦が受けた被害は以下の通り。
沈没・・・“隼鷹”
大破・・・“飛鷹”、“五十鈴”
中破・・・“瑞鳳”
小破・・・“赤城”、“秋月”
沈没した“隼鷹”だが、撃沈前に艦娘は“長波”によって救助されており、時間はかかっても艦体の復旧は可能と見られていた。
これだけの被害を受けた一機艦だが、収穫もあった。
損傷艦を庇うようにして航行する“大和”艦橋から、チラリと輪形陣中央を見遣る。そこに浮いている空母は全部で六隻だ。
沈没した“隼鷹”に変わって航行しているのは、戦闘後に邂逅した新しい航空母艦だ。名を“天城”。彼女は健在な各艦に守られながら、“赤城”に寄り添われるようにして初めての海を進んでいる。
―――妙な偶然もあるものだ。
月明かりの中というのもあるのだろう。“赤城”と“天城”、歩調を合わせるかのように進む二隻の空母を、榊原は感慨深げに見ていた。
天城の邂逅者たる赤城が、元は八八艦隊計画内の巡洋戦艦として計画されたのは、有名な話だ。ただし、彼女は一番艦ではない。彼女の姉、すなわち巡洋戦艦のネームシップは、“天城”の名を冠されていた。
ワシントン海軍軍縮条約によって空母への換装が決まったのは、“天城”と“赤城”であった。本来であれば、姉妹は“天城”型航空母艦の一、二番艦になるはずだったのだ。
しかし、“天城”を不運が襲った。関東大震災によって復旧不可能な損傷を受けた“天城”は放棄され、彼女の代わりに竣工したのが、“赤城”と共に第一航空戦隊―――一航戦を構成する“加賀”だ。
以後、“天城”の艦体は解体され、横須賀のポンツーンの資材として使用された。
現在“赤城”の隣を進む“天城”は、“雲龍”型航空母艦二番艦であり、“赤城”の姉妹艦ではない。それでも、天城の邂逅者に赤城が選ばれたことには、何かしらの運命を感じられずにはいられなかった。
「・・・武蔵」
隣でポツリと呟かれた声に、榊原は気が付いた。同じようにして“赤城”と“天城”を見つめていた大和が、その両の瞳から、ひとしずくの涙を流す。
「・・・あっ、ヤダ。大和ったら、何で泣いてるの」
榊原の視線に気づいたのだろう。大和は慌てて小さな水の流れを拭いた。
―――姉妹は、恋しいものだよな。
同じような想いを経験したことのある榊原には、ある程度わかる。
ようやく目元を拭いきったらしい大和は、無理に笑おうとしていた。
「だ、大丈夫ですよ、提督」
淡い月の光が、その横顔を余計に寂しく映しだす。榊原にできることは、これくらいしかなかった。
ポンポン
艦娘たちの頭を撫でるのも、段々と板に着いてきてしまった。残念ながら、榊原はそれ以外になす術を知らなかったのだ。
「大丈夫。必ず、会える」
だから榊原は笑うのだ。言葉を知らない自分の気持ちが、少しでも伝わるように。
大和の頬を、もう一度涙が伝った。
「も、もう。せっかく、止まったと思ったのに」
さめざめと泣く彼女が再び顔を上げるまで、榊原はその頭を撫でていた。
真夜中。日本では、丑三つ時などと言う時間帯だ。仮眠でも取ろうかと思ったが、昼間の戦闘の熱が冷めずに、結局寝付けなかった榊原は、満天の星空が広がる露天艦橋に上がっていた。
原速とはいえ、吹き付ける風は強烈だ。殊に、十一階建てのビルくらいはある“大和”の艦橋トップともなれば、その勢いはすさまじい。ビョウビョウという音が耳で木霊する。
現在の当直は、三直艦を預かる近藤のはずだ。オートナビゲーションによる夜間航行中とはいえ、油断は禁物。何かあった際、最高指揮官が指揮を執れる状態になるまで、臨時に指揮をするのが当直の提督の役目だ。
つい先ほどまでは榊原の役割だったが、〇時を回った時点で近藤に引き継いでいる。
“大和”もオートナビゲーション中であるため、現在の第一艦橋には誰もいない。大和はというと、艦内の風呂に入っている。
―――そういえば、“曙”の時はシャワーだったな。
風呂は真水の無駄ということで、狭い駆逐艦の艦内には用意されていなかった。が、艦体に余裕があり、真水も十分過ぎるほどある“大和”の艦内には、一人用ながら風呂があった。
今頃大和は、昼間の戦闘の疲れを癒していることだろう。
艦橋に上がったはいいものの、やはり手持ち無沙汰な榊原は、ふと、すぐ横を航行する駆逐艦に目を向けた。
“曙”だ。彼女もまたオートナビゲーション中であり、羅針艦橋に人の気配はない。静かに海面を切り裂き、白波を立てている。
と、その艦上に動きがあった。艦橋脇の扉が開き、中から小柄な人影が現れる。風にたなびく長い髪、花の髪止め。見紛うことのない、榊原の秘書艦曙であった。
キョロキョロと辺りを見回した彼女は、どうやら“大和”艦橋からそちらを見ていた榊原に気づいたらしい。大きく振られた手には、何か旗のようなものが見えた。
―――そうか。
彼女がやろうとしていることに思い至った榊原は、露天艦橋を見回して目当てのものを見つけた。赤く塗られた用具入れの中から、曙と同じような旗を二つ取り出し、左右の手に一つずつ持つ。それを、曙に向けて大きく振って見せた。
いわゆる、手旗信号だ。最近はほとんど使われなくなったが、提督候補生時代に教えられたし、以後も万一の連絡手段として記憶していた。
今宵は雲もなく、月の光は海上を美しく照らしている。さらに海面からも反射した光が当たるので、目が慣れてしまえばある程度のものは見える。
曙の両手が大きく動かされた。
「ミ・エ・ル・カ」
榊原も返答する。
「ミ・エ・ル」
それを確認したのか、曙がさらに動いた。月明かりの中でも動きがよく見えるよう、大きくはっきり動いてくれていた。
「オ・ツ・カ・レ・ク・ソ・テ・イ・ト・ク」
榊原は苦笑する。こんな時まで、彼女の呼びかけは「クソ提督」だ。最後に聞いたのはパラオを出撃した時だろうか。それまで毎日聞いてきただけに、どこか懐かしさすら覚えた。
「オ・ツ・カ・レ・サ・マ」
「ネ・レ・ナ・イ・カ」
曙には全てお見通しらしかった。全くもって聡い艦娘である。
「ネ・レ・ズ」
手旗信号の、短い文。それでも、彼女には全てわかってしまうのだろう。榊原が、なぜ眠れないかなど。
「ジ・シ・ン・モ・テ」
曙は、一際大きく、旗を振った。その言葉が、胸の奥底に染み渡る感覚がした。隣にいて、直接言葉を交わしているわけでもないのに、彼女の言葉は、確かに榊原に届いている。それはまさしく、洋上に訪れる曙のような暖かさ。
「ア・リ・ガ・ト・ウ」
しばらく考えた後、榊原は夜空を見上げて、こう信号を付け加えた。
「ツ・キ・キ・レ・イ」
それに対する曙の返信は、異様に早かった。おかげで、その内容を読み取るのに苦労したが、何ということはない。彼女らしい言葉が送られてきた。
「コ・ノ・ク・ソ・テ・イ・ト・ク」
そのまま、彼女はスタスタと艦内に戻ってしまった。後に残された榊原は、その理由に思い至らず、苦笑する。それでも、曙の言葉を聞けて、どこか楽な心持ちになった。上空の星も月も、今はその輝きがぬくい。
しばらく星を楽しんだ後、手旗信号を仕舞い、榊原は露天艦橋を後にした。今更寝るつもりはなかったが、大和が戻るまで、静かな海を眺めているのも悪くない。それには、風の吹きつける露天艦橋よりも、階下の第一艦橋の方がよかった。
柔らかい月明かりが、ラッタルを下がっていく榊原を、そっと見守っていた。
*
手旗信号の会話の後、結局やることがなかった曙は、艦橋でウトウトとしながら、ぼんやりと海を眺めていた。
―――月が綺麗、か。
前甲板を照らす夜の女王は、確かに神々しい輝きを湛えている。満月ではないが、冷たい優しさに満ちた光景だ。嫌いではない。
キラキラとなびいていく波を眺めるうち、時間はすぐに過ぎ去っていった。
一時間ほどが経っただろうか。曙はそれに気づいた。
何かが聞こえる。否、それは耳からではなく、頭の奥底で響いているような感覚だ。何か―――誰かが、彼女を呼んでいる。
瞬時に曙は理解した。ドロップだ。近くに、眠りから覚めようとしている、艦娘がいる。
感覚を研ぎ澄ます。まるで、艦と一体となっているかのような、そんな錯覚。
―――いた。
艦隊の針路から十時の方向。距離は一万五千くらいだろうか。
すぐさま、曙は“大和”に―――クソ提督のいる戦艦に通信回線を開いた。
まだ起きていたのだろう。呼び出しから数秒とせずに応えたのは、艦娘の大和ではなく、榊原だった。
『何かあったか?』
随所に硬さは見えるが、かなり様になってきた。彼は今しも、一人の立派な提督になろうとしている。
「ドロップよ。近いわ」
『位置は?』
「十時の方向、距離一万五千」
『わかった。上に具申してみる』
そう言って、榊原との通信は一端途切れた。
おそらく、“赤城”座乗の塚原に、邂逅の許可を求めているのだ。艦隊の総指揮は“陸奥”の東郷が執るが、一機艦の行動については、全て塚原が任されている。
程なく、もう一度回線が開かれた。
『許可が出た。霞と共に、邂逅に向かってくれ』
曙と同じく一機艦の左翼に位置取る霞が随伴に選ばれた。「了解」と短く答えて、曙は左に舵を切る。鋭い艦首はすぐに振られ、船魂の眠る海域へと向かっていった。
一万五千ともなると、それなりに時間がかかる。霞にも速力を上げるように伝えて、原速から強速へと足を早めた。
海域を包む淡い光が、鼓動のように波打っている。何度も見てきた光景だ。光の中央で、船魂が海面に揺らめいていた。
月明かりに負けない輝きの中へ、二隻の駆逐艦が侵入していく。
「霞、そこで待ってて」
『了解』
並んで進んでいた“曙”と“霞”は、船魂の五百メートル手前で分かれる。“曙”はそのまま船魂に近づき、舵を切った“霞”は“曙”と船魂を見守るように、半径五百メートルの円を描く。
「両舷停止」
頃合いよしと見て、曙は推進機を止める。その後も惰性で進み続けた艦体は、船魂のほぼ真横で動きを止めた。
艤装との精神同調を切断し、羅針艦橋を出て甲板に立つ。邂逅者の存在を察知したのだろう、船魂が海面を飛び出し、さながら人魂のように空中をさ迷う。
―――こっちよ。
頭の中で呼びかけ、両の手を差し出す。拠り所を見つけた船魂は、静かに曙の手に収まった。
それはまさしく、生なる心臓の拍動。波打つ波動は、今にも生命を宿さんとしている、不思議な暖かさに溢れていた。
愛しさと慈しみを持って、曙は船魂に口付ける。瞬間、脈動は一層強くなり、大いなる海原へ解き放てと、曙に急かしてきた。生まれ出でようとするその力強い魂を、曙は月光の海面へと送り出す。彼女が、本来あるべき場所へと。
水蒸気が沸き起こり、辺りが乳白色に包まれる。横方向の衝撃が襲ってきたはずだが、不思議と“曙”の周囲は凪いでいた。
やがて光が収まる。少しずつ晴れていく視界の中から、艦影が姿を現した。
駆逐艦である。全体的にシュッとしたデザインだ。兵装配置は“曙”とも“霞”とも違う。何よりその艦は、連装砲ではなく単装砲を備えていた。
“睦月”型駆逐艦。戦闘能力こそ高くないものの、速力があり何よりも小回りが利く。装備さえしっかりしていれば、対空、対潜とこれほど頼りになる駆逐艦もいない。
―――さて、と。
後は、艦娘が目覚めるのを待つしかない。
甲板で腕組みをし、曙は目の前の駆逐艦が機関を動かすのを待つ。
だが、いくら待っても、機関が動く様子はなかった。不気味な沈黙を保っている。
―――まさか、本当に起こしに行くことになるなんて。
思い出したのは、以前榊原に言ったことだ。言った当初は、自分でやることになるとは思いもしなかった。
強制接舷をするために、艦橋に戻ろうとする。事態が激変したのはその時だった。
何かが風を切り裂く音。高速で迫る物体。曙の直感が、その存在を感じ取った。
ハッとして振り返る。
そう遠くない場所に、白銀に輝く水柱が現出した。
次回急展開!?
ついに、曙と吹雪の過去が(微粒子レベルで)明らかになる!!