以降の戦いに向け、歯車が回っていきます
パラオ泊地には、トラック沖海戦に参加した各艦が集っていた。
損傷した艦、そうでない艦、別行動だった潜水艦も、第一潜水隊も、パラオ泊地で海戦後の垢を落としていた。パラオ名物となった大浴場は、連日疲れを癒す艦娘たちで大賑わいである。
―――「やっぱり、パラオはこうじゃなくちゃな」
留守を預かっていた木曾は、榊原にそう言って、一週間ぶりの活気に頬を緩めていた。
艦娘だけではない。損傷したBOBもまた、この時のために準備されていたパラオ泊地の四つの浮きドックが、修復に当たっている。もっとも、基本的には航行に支障のない程度の修復を行って、本格的な修理は内地の各所属鎮守府で実施される予定だった。
現在ドック入りしているのは、大破して航行能力が著しく低下している“飛鷹”、後部の損傷が激しい“五十鈴”の二隻だ。両艦とも、内地回航が可能な程度まで修復が完了するのに、あと三日ほどと見積もられている。それを待って、各艦隊はパラオを発つ。
さて、当のパラオ泊地提督である榊原は、パラオ泊地の医務室に足を向けていた。
トラック攻略戦時の最前線基地だけあって、パラオの医療施設は整っている。病棟のベッドの数も多い。
その病棟の一室。真新しい白の扉の前で、榊原は深呼吸をする。制服の乱れを整えて、扉をノックした。
この時ほど、緊張することもない。しばらくして、中から返事があった。
「どーぞ」
随分と投げやりな返事が、部屋の主の機嫌を如実に示していた。
―――・・・やっぱり、怒ってるか。
半ば予想していたことである。それだけの覚悟をもって、榊原は扉を開けた。
部屋の内装と同じ純白のベッドには、パリッと糊のきいた患者服に身を包む、パラオ泊地秘書艦がいる。明らかに不満げな表情の彼女は、入室してきた榊原を半目で見つめていた。
「何の用?このクソ提督」
―――相変わらずだな。
元気そうで何よりである。
「執務が一通り終わったから、顔を出そうと思ったんだ」
「顔を出す前に、あたしをここから出しなさいよ」
曙はそう切り返した。
「どこに怪我があるわけでもなし、さっさと秘書艦に戻しなさい。作戦終了後で、ただでさえ書類が多いでしょうが」
こうして投げやりな言い方をしていても、心配するのは榊原のことだ。責任感が強いというのか、単に世話焼きというか、榊原としてはむず痒い限りだ。
「それは心配ない。摩耶が手伝ってくれてる」
「ふーん。・・・あっそ」
なぜか、曙の機嫌が急降下を始めた。
艦隊の帰還から一日。曙がこうして病棟の一室に押し込められているのは、榊原が念を入れたためであった。曙自身は強硬に大丈夫だと言い張っていたのだが、彼女は榊原の前で一度倒れており、心身ともに大きな負荷がかかっていたのは間違いない。数日間の休養がてら、榊原は彼女に入院を命じたのだ。
曙のことだ。体が何ともなければ、榊原の下で秘書艦業務をやろうとするはずだ。こうでもしなければ、彼女にゆっくりと休養を取らせることができない。
目の前の彼女の様子を鑑みるに、榊原の判断はあながち間違いではなかったようだ。
大破した“曙”の艦体の方はというと、四番浮きドックに入渠している。強制活性化まで用いて、無理に艦体を維持したため、修復には相応の時間がかかると見積もられていた。
どっちにしろ、彼女には十分な休息を取るだけの時間がある。
「思えば、これだけゆっくり休めるのは、パラオに来て初めてじゃないか?」
「そーね。暇で暇でおかしくなりそうだわ」
「まあ、そう言わないでくれ」
榊原は苦笑するしかなかった。本当に、真面目な艦娘なのだ、彼女は。榊原も脱帽である。
「今度は、もう少し普通の休みが取れるといいんだが」
病棟に押し込められていては、本当にゆっくりするしかない。休息らしい休息とは、言えないだろう。
榊原の言葉に、曙はしばらく黙ったままだった。やがてゆっくりと、その口を開く。穏やかな、包み込まれるような声は、彼女がときおり見せる優しさだった。
「いつか取るわよ。全員揃って」
「・・・そうだな」
全員で。曙の言った「全員」には、パラオや『IF作戦』参加艦艇だけではなく、戦いに赴く艦娘たち、そして提督たちも含まれているような、そんな気がした。
「クソ提督の奢りで、どっかバカンスね」
せめてもの誤魔化しのように、曙はそっぽを向いて言った。榊原の苦笑が益々大きくなる。
「それまでに、予算を貯めておかないといけないな」
榊原の切り返しに、患者服の天使が温かに微笑んだ。
「甘い奴だ、お前は」
しばし曙との雑談を楽しんで、病室を後にした榊原に、棘のある声が突き刺さった。こんな言い方をする知り合いを、榊原は一人しか知らない。
丁度榊原が差しかかろうとした廊下の曲がり角、妙に様になる寄りかかり方で、第一種軍装の男が立っていた。細いその双眸が、榊原を捉えている。
清水はおもむろに動き、榊原の前に立ちはだかる。相変わらず、その視線からは何を考えているのか、読み取ることはできなかった。
なぜ、ここにいるのか。榊原が尋ねるのを遮るかのように、清水が口を開いた。
「お前には先に言っておく。近いうちに、俺はパラオ泊地の提督になる」
あらゆる思考が、一瞬のうちに吹き飛んだ。榊原は思わず目を見開く。
「お前が提督に!?」
「何か問題があるか?」
問題はない。何を考えているのかわからない清水だが、頭は切れるし、状況判断能力も高い。それは、第五期生の同期として、榊原もよく知ることだ。艦娘たちを指揮する提督として、これほど適任な人物もいまい。
とはいえ、清水は現在連合艦隊司令部付きの将校であり、その能力は司令部のような、作戦そのものを統括する組織において最も発揮されるはずだ。そのことは、清水も理解しているはずである。
榊原の疑問に答えるように、清水が話を続ける。
「長官に具申して、認められた。いくら秋山中将のお墨付きとはいえ、お前一人にこのパラオを任せておくのは荷が重すぎる」
「だが、お前の実力は、司令部の中でこそ発揮されるべきだろう」
「新米少佐の意見など、司令部での扱いには高が知れている。で、あるならば、現場の指揮官になった方が、戦局に与える影響は大きい」
なるほど、一理ある。清水が言うと、妙な説得力があった。
「そもそも、俺の志望は提督だった」
「そうだったのか!?」
初耳である。いや、そもそも清水は自分のことをまず喋らないし、榊原やあの相模も、積極的に踏み込もうとはしない。司令部配属と聞いた時も、勝手に清水の第一志望が通ったのだろうと思っていた。
―――成績がいいからといって、第一志望が通るわけではない。
あの噂は、本当だったのだ。
「主席は、司令部から声がかかるらしい。過去の首席は、全員司令部付きだ」
そんなことも知らないのかと言いたげな様子で、清水は言った。
彼の話は続く。最大の用件は、どうもここまでのことではなかったらしい。
「本題はここからだ」
清水はそう切り出した。
「お前、養成学校時代に、機密情報の持ち出しをしただろう。いや、パラオの提督になってからも、か」
「・・・知ってたのか」
まあ、この男に限って言えば、それほど驚くほどのことではない。そもそも機密情報は、司令部の管轄だ。司令部付きの清水なら、それを知る手はいくらでもあるはずだ。
もっとも、清水がそのことを、上に報告している可能性はゼロに近い。そんな不合理なことを、この男がするはずがなかった。
「実行は相模だろう。あいつなら、そういうのは得意なはずだ」
意外と、同期をよく観察している奴だ。
「だが相模は、今回の作戦が終わった時点で、ルソンへの配備が決まっている。お前は、以後の機密情報を入手するルートを、開拓しなくてはならない」
榊原は沈黙のまま、清水の言葉に耳を傾けている。だんだんと、この主席の言わんとしていることがわかってきた。
「俺なら、それができる」
つまり、そういうことなのだ。
少し考えればわかることだ。榊原の周囲で、司令部管轄の機密情報へと繋がるルートを見つけるなら、清水からしか辿ることはできない。
「俺は司令部付きだ。機密情報に触れるのは相模より容易いし、そのためのツテもある」
どうだ?そう問いかけるような視線が、榊原よりも少し高い位置から向けられた。
―――是非もなし、だな。
清水が何を考えているのかはわからないが、何の理由もなくこんなことを言いだす奴じゃない。
「お願いしたい」
「・・・そうか」
清水の返事は、やはりそっけなく、静かなものだった。
「俺は、お前とは違う。俺にとってBOBと艦娘は、不完全な兵器でしかない。感情という不確定要素を持った、人類最後の希望だ」
「・・・」
「残念だが俺には、彼女たちを人間と同じだと思うことはできないし、扱うこともできない」
それは、清水の一方的な呟きだった。言葉を挟むことはできず、榊原は彼と対峙していた。
「だが、目的は同じだと思っている。目指すところは、全ての提督と―――お前と同じだと思っている。だから、俺はお前や彼女たちと共に戦う」
それだけ言い切った清水は、話はこれで終わりと、踵を返す。その背中に向かって、榊原は少しだけ、言葉を投げかけた。
「彼女たちは艦娘だ。一人一人が、たった一つの意思を持っている。想いを持っている。だから、彼女たちは俺たちの仲間だ。人間と同じ、頼れる戦友だ」
それを、お前もわかってくれると信じている。最後の言葉は、喉から出る前に飲み込んだ。今の清水には、きっと届くことのない、榊原の私的な願いだったからだ。
清水は振り返ることなく歩いていく。その行く道は、まだまだ榊原とは遠いものなのだろう。
「・・・やっと行ったか」
そんな呟きと共に、物陰からひょっこりと顔を出したのは、相模だ。清水の方を見て、「桑原桑原」と手を合わせる。
お前もどこからやってきた、というツッコミは、この悪友に対して野暮でしかないので、榊原はしないことにした。
「難儀な奴だ、まったく」
清水が消えた廊下の先に向かって、相模は呆れたように溜め息を吐いた。
「ああいう友人を持つってのも、大変なもんだ」
「・・・友人、か」
相模の何気ない言葉を反芻するように、榊原は呟く。果たして、俺たちと清水は、友人と言えるのだろうか。
「確かに、友人だな」
「そうだよ」
何の躊躇いもなく、相模は笑って肯定した。
形の違いはあるにしろ、三人が三人とも、同じ目標に向かって進んでいる。表現の違いはあるにしろ、三人はお互いの存在を強く意識している。
「ま、何にしろよかったじゃないか、機密情報持ち出しの同志が見つかって」
「結構最初の方からいたんだな、お前」
「こういうのは得意なんだよ」
相模はひらひらと手を振った。
二人の将校は、どちらからともなく歩きだす。日本は梅雨の季節だが、ここパラオの廊下に差す光は今日もいい日和だ。染み一つない白い廊下に、二人分の足音が木霊する。
「で、どうだった。お前の初期艦は」
「元気そうだ。無理矢理医務科に押し込んだから、恨まれてるかもしれないけど」
「お前って、やることがたまに強引だからなあ」
「ひとのこと言えないだろ」
「まあな」
相模が笑う。
「彼女によろしく伝えておいてくれよ。できれば、素面の時に会いたかったが」
「・・・わかった」
相模は、まもなくルソン警備隊の配属となる。おそらくもう二度と、パラオ泊地を訪れることはない。次にいつ会えるのかは、お互いにわからなかった。
「元気でやれよ、相模」
「何だよ、まだ早いって。後三日はここにいるんだぞ」
「そうだな」
二人は医務室を後にする。西に傾き始めたパラオの太陽が、前途多難な若き将校を励ましていた。
次回か、その次辺りで、もう一度吹雪について触れられるといいのですが・・・