吹雪と秋山の出会いを、三話程度書いていく予定です
全テノ始マリ
彼女の―――いや、彼女と俺の話をしよう。
それが、全ての始まり。三年に亘る、艦娘と深海棲艦の戦いの始まりだった。世界は、俺と彼女が出会ったことで、回り始めたのだから。
*
海は、変わってしまった。
海上自衛隊護衛艦“あけぼの”の見張り所から海を眺めながら、秋山真好一尉はそんなことを思っていた。
“あけぼの”は、自衛隊の水上艦艇としては数少ない生き残りだ。第一護衛隊群に所属している。とはいえ、この第一護衛隊群もほとんど寄せ集めのようなもので、戦闘を生き残った数少ない護衛艦たちは、横須賀に身を寄せ合っている。
近海の哨戒任務から帰還した“あけぼの”もまた、かつての賑わいを失くした横須賀の埠頭に辿り着くべく、その歩を進めていた。
時刻は間もなく日付をまたごうとしている。最新鋭の電波の目があるとはいえ、この暗闇の中を進むのは薄気味が悪い。特に艦橋は、レーダー画面が無い分、目視でこの海を捉えている面が大きく、緊張感は益々高かった。
深海棲艦と名付けられた、正体不明の艦艇群が現れて、すでに二年。日本はそのシーレーンが大きく損なわれ、近海の制海権確保すら危ういほど追い込まれていた。
深海棲艦は強大だった。人類と深海棲艦の初邂逅にして最初の戦闘となったハワイ沖海戦では、第二次大戦級の旧式軍艦の姿を模した深海棲艦艦隊に、リムパック艦隊が敗北を喫した。わずかに、重巡二隻、軽巡四隻、駆逐艦六隻の艦隊にだ。各国の最新鋭艦が、なす術もなく次々と沈められていった。
なぜ、リムパック艦隊は、たかが旧式の軍艦に勝てなかったのか。それは、深海棲艦が、特殊な装甲で覆われているからだった。
ブルーアイアンと仮称されるその装甲は、ミサイルや魚雷を被弾してもすぐに再生して破孔を塞ぐ代物だった。原理、製法等は全くもって不明。現状、深海棲艦のみが運用可能な、特殊鉱物であると推察された。
このブルーアイアンのために、人類は深海棲艦を沈めることができなかったのだ。生起した海戦ではことごとく敗れ、人類は海上でのその版図を急速に失っていった。たった二年で、この有り様である。
海上自衛隊も同じだ。日本の海を守ってきた護衛艦たちも、深海棲艦を沈めることができず、自らが愛してやまなかった海に飲み込まれていった。
人類には、もはやかつての栄光を取り戻す力はなかった。
「当直任務は冷えるな」
同じように見張り所に立つ広瀬武雄一尉が、身振りで寒さを表明する。
「そうも言ってられないだろう。この辺は変温層があるから、ソナーが潜水艦を捉えられないかもしれない」
「うちのソナーが、そんなヘマはしないと思うけどなあ」
“あけぼの”は、残存護衛艦の中では古参の部類に当たる。乗組員の習熟度も練度も高い。ソナーも、変温層の存在は十二分に把握し、対策を講じているはずだ。
だが、万が一ということもある。その万が一に備えるのが、秋山たちの仕事だ。
「こうしてると、静かな海なんだがな」
おもむろに双眼鏡を覗き込みながら、広瀬がポツリと呟いた。確かに、夜に包まれる目の前の海は静寂そのものであり、正体のわからない敵艦たちが跋扈している世界とは思えない。その先を考えることを、秋山は意図的に止めた。
双眼鏡で海を堪能し続ける広瀬と違い、秋山は何をするでもなく、ただ海面を眺めていた。上弦の月は夜空の低い位置にあり、波を照らしだすまでには至らない。それが、何とも侘しかった。
だから、秋山はそれに真っ先に気付いた。
「・・・何だ、あれは」
見つめていた海に、何かが見えた。月のきらめきとは違う。上手く言えないが、どちらかと言えば太陽からの反射に近いように、秋山には思えた。そんな光が、波の先に、一瞬きらめいた。
「どうした?」
双眼鏡を覗いていた広瀬が顔を上げたまさにその瞬間、世界は激変を始めた。
海上に閃光が走った。思わず目を覆ってしまうほど強烈な光に、秋山は目を細める。夜に慣れた目には、あまりに刺激が強すぎた。
「前方に光源!」
秋山は艦橋に向けて叫んだ。その艦橋には、CICからの報告が入る。視界が奪われたせいで、その声がよく聞き取れた。
『CICより艦橋!前方海域で爆轟音!聴音、何も聞こえません!』
―――ソナーがやられた!?
秋山は本能的に身構えた。今この瞬間を狙われたら、“あけぼの”には魚雷を避ける術はない。
必死に目を見開き、前方―――光源の方を見つめる。辺りを乳白色に染め上げた真昼の光は、不思議な波動を放って秋山の心を揺さぶる。どこか懐かしさすら感じるその光の中で、何かが形作られていく様子を、秋山の双眸ははっきりと捉えていた。
『前方に艦影!距離一万!』
艦橋にも、CICからの報告が上がる。艦影の位置は、丁度光源の辺りだ。
目が次第に慣れてきたことで、秋山は改めて前方の海域を視認する。そこには確かに、船らしきものの姿を認めることができた。
「前方に艦影見ゆ!」
再び、秋山は叫ぶ。何が起きているのかは全くわからない。ただ、あの光の中から、船が現れたという事実だけは、理解できた。
その始まりと同じく、光は急速に収束へと向かっていった。辺りを再び闇が覆うのに、大して時間はかからない。月の光が、その支配権を取り戻したのは、秋山が最初に光源を発見した時から、一分程度であった。
「・・・何だったんだ、一体」
広瀬と二人、ただ茫然としているしかなかった。
「艦橋よりCIC。艦影はまだ映っているか?」
艦長の中川一佐が、CICに問い合わせる。秋山も双眼鏡に取り付いて、先ほど艦影が見えた辺りを捜索し始めた。
『艦影一、前方に確認。動いていない模様。距離、九千』
「見張り、どうか」
尋ねられた秋山は、すぐに答えた。
「見えました。前方に艦影を確認」
「深海棲艦か?」
「灯火を落としているため、はっきりとはわかりません。ですが、識別表では見たことがない艦型です」
―――いや、見たことがあるぞ。
秋山には心当たりがあった。それは、深海棲艦の戦術―――すなわち、第二次大戦級の兵器について調べていた時。図書室からかき集めた資料の一つ。
『帝国海軍艦艇総覧』
かつて帝国海軍に所属していた艦艇たちを、写真や側面図などと共に紹介した本だった。その本の一ページに、目の前の艦影は酷似している。
主砲は、前部に一基、後部に二基。シュッとまとまった艦橋に、その後ろのマスト。二本ある煙突のうち、前にある一番煙突の吸気口は、キセル型となっている。そして何より、その艦を特徴づける三基の魚雷発射管が、甲板の中央に直列で並んでいた。
「おい、サネ」
秋山をあだ名で呼んだ広瀬もまた、それに気づいたらしかった。
「見張りより艦橋。前方の艦影は・・・吹雪型駆逐艦と思われます」
荒唐無稽としか思えない報告を、秋山は艦橋に告げた。
速力を落として正体不明の船―――吹雪型駆逐艦に酷似した艦影に近づいた“あけぼの”から、内火艇が降ろされた。
中川艦長の判断で編成された臨検隊を指揮するのは、秋山だ。砲雷科と航海科から選抜された臨検隊は、謎の艦影にさらなる接近を試みる。
近づくことで、より一層そのディティールが鮮明になっていく。現代軍艦とは全く違った存在感を放っていた。それは、自らの目の前にいる敵と対峙するための、穏やかな闘争心に他ならない。かつて大洋を疾駆していた高速重武装駆逐艦の姿が、そこにはあった。
「ラッタルが見えます!」
航海科の一人が報告した。臨検隊を乗せた内火艇は、そのラッタルへと接近していく。駆逐艦の舷側に降ろされたラッタルに艇が横付け、臨検隊が甲板に上っていった。
前甲板に上りついた臨検隊を迎えたのは、小ぶりな連装砲塔だ。おそらく、五〇口径一二・七サンチ連装砲のA型。吹雪型駆逐艦のみが装備していた形式だ。
秋山も、写真でなら見たことがある。だが、よもや実物を見ることになろうとは、思いもしていなかった。
「臨検隊を二手に分ける。A班は甲板、B班は艦内を頼む」
号令で隊が二手に分かれる。秋山は艦橋をチラリと見遣り、A班の隊員二名に付いてくるよう目配せした。
“あけぼの”に比べれば小ぶりな艦橋だが、同時期の駆逐艦の中では大きい部類に入る。天蓋付きの羅針艦橋には、やはりラッタルで上る必要があった。
二名の隊員は秋山を挟むようにしてラッタルを上っていく。上りきった先頭の隊員が、小銃で周囲を警戒して、艦橋に立ち入る。秋山もそれに続いた。
「一尉!」
突然、先頭に立って羅針艦橋に入った隊員が、声を張って秋山を呼んだ。小銃を降ろして唖然としている彼の見る先を、秋山の視線も追いかける。
自らの両目が、一杯に見開かれたのがわかった。それほどの衝撃が、秋山の目の前に横たわっていた。
羅針艦橋の床に、少女が寝ている。穏やかな寝顔で、スースーと心地よい寝息がリズムを刻んでいる。頭の後ろで小さく結ばれた髪が、それに合わせて揺れていた。年の頃は十代前半、中学生か高校生といったところだろうか。呼吸に合わせて、セーラー服から見える胸元が上下に動いていた。
これだけでも、十分に非現実的な光景だ。だがそれと同じくらいに秋山を驚かせたのは、寝ている少女の横で、何かを窺うようにこちらを見つめている小さな人影―――まるで妖精のようなものの存在だ。
よく見ると、あちらこちらにいる。この艦橋内だけで五、六人はいるだろうか。あるものは物陰から、あるものは床の上に立ち尽くして、こちらをジッと見ている。
と、そのうちの一人に、後から入ってきた隊員の足が伸びた。ギョッとして、秋山は声を上げる。
「何をしている!」
その声で妖精が我に返り、隊員の足を避けた。間一髪だ。あと少しで、踏み潰すところだった。
隊員を睨む秋山に、当の彼は困惑の色を浮かべて尋ねた。
「あの・・・どうかしたのですか」
「どうかした、って・・・もう少しで踏みつけるところだったんだぞ!?」
その秋山の言葉にも、隊員は合点がいっていない風に視線を彷徨わせる。なぜ怒られているのか、全くわかっていない様子だった。
―――まさか、見えていないのか?
もう一人の隊員も、妖精のようなものが見えている様子がない。少女の横にいる妖精を指差して、秋山は尋ねる。
「二人とも、あれが見えるか?」
「はあ、女の子です」
「違う、その横にいる、小さいものだ」
その質問に、二人は首を傾げるばかりだった。
―――まさか、本当にこんなことがあるとは。
オカルトの類は全くもって信じていない秋山だが、まさか自らの身の上に降りかかってくるとは。
「・・・すまなかった、俺の勘違いだ。とにかく、“あけぼの”に連絡を入れてくれ。俺は彼女を起こしてみる」
気になることは山ほどある。それらを頭の隅に押し遣り、秋山は床でスヤスヤと寝ている少女の横にしゃがみ込んだ。それまで横に立っていた妖精が、秋山にスペースを空けてくれる。
呼吸があることは確認済みだ。後は意識があるかどうか。
「聞こえますか?」
肩を叩きながら、意識の有無を確認する。二回、三回。呼びかけ続ける。
「・・・んっ・・・ふぁああ・・・ふぅ」
―――意識がある・・・っ!
「大丈夫ですか?」
秋山の呼びかけに、ついに少女が、ゆっくりとその目を開いた。虚ろだった焦点が次第に合いはじめ、視線の先に秋山を捉え始める。
現状をうまく呑み込めなかったのだろう。完全に目を開いた少女は、パチクリと瞬きをした。
「あの・・・えっと」
困惑している様子だ。秋山はまず、自らの名前と所属を名乗る。
「私は、海上自衛隊の秋山です。怪我はありませんか?」
「・・・海上、自衛隊・・・?」
意識がまだはっきりしないのだろうか。少女は小首を傾げた後、思い出したように答えた。
「あっ、はい。ケガとかはない、です」
それから、体を起こそうとする。反射的に、秋山はその背中に手を回して、補助をした。少女の言う通り、体のどこにも異常は無さそうだった。
「君の名前を、訊いてもいいかな?」
半身を起こして、興味深げに辺りを見回していた少女は、秋山の問いかけに若干の戸惑いを見せながらこう答えた。
「吹雪です。わたしは、吹雪といいます」
―――こんな。
こんな偶然があるものだろうか。
正体不明艦が酷似している、かつての駆逐艦と同じ名前を、少女は名乗った。
出会った二人
深海棲艦によって閉ざされた世界が、動き始めた瞬間です