パラオの曙   作:瑞穂国

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過去編第二弾!

全ては、吹雪の口から語られ始めます


艦娘、吹雪

吹雪、と名乗った少女と、秋山は対峙していた。まだ状況がよく呑み込めていないらしい彼女は、艦橋をきょろきょろと見回して、所在なさげにしている。何か飲み物があった方がよかっただろうかと、秋山は用意の悪さを悔いた。

 

そんな吹雪に、妖精の一人が近づく。やはり、秋山にははっきりとその姿が見えていた。うっすらと月光の差す艦橋で、吹雪は不思議そうに妖精の方を見つめていた。

 

「・・・見えますか。そこの、妖精が」

 

秋山が小声で尋ねると、吹雪はそれがさも当然のことのように頷いた。

 

「見えますよ」

 

「そうですか。どうも、見えない者もいるみたいです」

 

クリクリとした吹雪の目が、まん丸に見開かれた。

 

「・・・そんなことが、あるんですか?」

 

「理由はわかりませんが。少なくとも、この場で見えているのは自分だけです」

 

自分に見えているものが、他人には見えていない。その感覚をいまいち掴めないのは、秋山も吹雪も同じようだった。とにかく、説明のしようがないのである。何とも困ったものだ。

 

―――それは、とりあえず置いておこう。

 

この手のオカルト的な現象には、何らかの科学的考証が入れられるはずだと、秋山は信じている。だが、それは秋山の専門ではない。

 

「あの・・・。それで、秋山さん」

 

寄ってきた妖精を肩に乗せた吹雪は、また辺りを窺って秋山に尋ねた。

 

「ここは、どこですか?」

 

難しい質問だった。

 

「海の上・・・船の上です」

 

「船の上?秋山さんの船ですか?」

 

「いいえ。自分の乗っている船は、あそこに」

 

そう言って、秋山は艦橋の窓から見える“あけぼの”を指差した。臨検隊から逐次入れている報告で、あちら側もこちらの状況は把握しているはずだ。何も言ってこないということは、今は秋山に任せてくれている、ということだろう。

 

「自分は、この船を調査するために、ここに来ました」

 

「・・・臨検、っていうものですか」

 

「そうです。よくご存じですね」

 

「いえ・・・」

 

感心している秋山に、吹雪は曖昧な笑みを浮かべるだけだった。

 

「吹雪さんは、この船について何かご存じじゃありませんか?今のところ、貴女と妖精以外に、乗組員を見つけることができません」

 

問いかけた秋山に、吹雪は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「すみません、何も。なんで、自分がここにいるのかも、わからなくて」

 

―――記憶喪失、ってことか?

 

一体、この船は何なのだろうか。

 

「そうですか・・・」

 

「えっと、この船は、どんな船なんですか?」

 

さて、どう答えたものだろうか。

 

記憶を失った人間に何かを教える時は、慎重にやらなければいけない気がした。

 

「自分たちも、わからないというのが本音です。任務からの帰還中、突然現れましたので」

 

「突然・・・?」

 

色々なことが、益々わからなくなってしまった。

 

―――失敗だったな。

 

目の前で眉を八の字に下げて困惑している少女を見て、秋山は自分の考えの浅はかさに思い至った。

 

ともかく。明らかに一般人の彼女を、これ以上この事態に巻き込みたくはなかった。

 

「吹雪さんの身柄は、“あけぼの”で保護します」

 

「本当ですか?」

 

「はい」

 

まずは彼女に、何か温かい飲み物でも。“あけぼの”の艦内なら、お茶やコーヒーはもちろん、インスタントのスープ類も取り揃えている。肌寒い夜にピッタリだ。

 

「もうしばらく、待っていてください」

 

「わかりました」

 

吹雪の目が、月光のようにきらめいた。

 

一人でいること。目覚めたら、見知らぬ船の中。いたいけな少女にとって、それは大きな精神的ストレスになりかねない。“あけぼの”なら、吹雪の話し相手になる女性自衛官―――WAVEも多い。少しでも、彼女の寂しさを紛らわせるなら。秋山はそう願わずにいられなかった。

 

横須賀に着けば、彼女の身元も判明するかもしれない。なぜ、吹雪がこの船にいたのかはわからないが、今は一刻も早く、海から彼女を離すことが大切だ。

 

「一尉、この船はどうしますか?」

 

横に控えていた隊員が、小声で話しかける。

 

「艦長次第だが・・・現状で曳航するのは、得策ではないかもしれないな」

 

大幅に航路を邪魔しているわけでもないし、この船については、ここに放置していくしかないかもしれない。

 

「わかりました。船内から特に不審なものも出ていませんし、臨検隊に引き上げる準備をさせます」

 

「よろしく頼む」

 

隊員は、すぐに無線機を取り、船内を機関部の方へと向かったB班に通信を送る。了解の返事があり、臨検隊は撤収準備に入った。

 

秋山も、“あけぼの”の中川に状況を報告する。

 

「こちら臨検隊、秋山。不明船内から不審物は見つかりませんでした。撤収作業に入ります」

 

『了解した。今夜の曳航は断念する。見失わないよう、マーカーだけ残しておいてくれ』

 

「了解」

 

中川からの指示を受け、艦首にマーカー用の発信器が取り付けられた。潮の流れはほとんどないが、船の位置が動くことは十二分に考えられる。その時、マーカーの発信源をたどれば、いち早くこの船を見つけられるという寸法だ。

 

あらかたの指示を出し終えた秋山は、改めて吹雪に向き直る。

肩に乗せた妖精と共に、吹雪は不思議そうに臨検隊の動きを見ていた。

 

「もうすぐ、内火艇にご案内します」

 

「あ、はい。お願いします」

 

この船に横付けされた内火艇は、臨検隊の帰還を待っている。小さな艇だが、帰りに少女一人と妖精たちを収容する余裕くらいはあった。

 

甲板の臨検隊A班が撤収を始めている。B班の方も、すぐに機関室から上がってくるとのことだ。艦橋内に残った二名の隊員にも、秋山は撤収を促す。

 

「あの・・・秋山さん」

 

そんな時、秋山を遠慮がちに呼ぶ声があった。

 

「どうかしましたか、吹雪さん?」

 

「これは、何でしょうか?」

 

吹雪が指差したのは、艦橋中央にぶら下がっているものだ。

 

肩紐が二本あることから、リュックのように背負うものだとわかる。設置位置からして、秋山のような大の男が背負うことはできない。それこそ、吹雪ぐらいの背格好の娘が背負うのに丁度いいだろうか。

 

大きさは、登山用のリュックよりも一回りほど大きい。ただ、形状が特殊だった。まるで煙突のようなものがベースとなる部分から伸びており、細いマスト状のものも付いている。側面には、やはり首か肩から提げると思われる紐のついた、主砲塔のようなものが見えた。

 

およそ、無駄なものを極限まで削った船に据え置かれているものとは思えない。決して広いと言えない羅針艦橋のかなりのスペースを、それは喰っているのだから。

 

「よくわからないんですよ。コンソールみたいなものかと思ったんですけど、それらしい働きをするようには見えません」

 

秋山の代わりに、それまで艦橋中央の物体について調べていたらしかった隊員の一人が答えた。

 

「・・・触ってみても?」

 

「大丈夫だと思いますよ」

 

興味が湧いたのだろうか。吹雪は恐る恐るといった様子で、物体に手を伸ばしていく。細くしなやかな少女の指が、金属を思わせる表面に優しく触れて、そっと撫でる。

 

刹那。船上を何かが走り抜けたような錯覚を、秋山は覚えた。

 

視界が真っ白に染まる。一時間ほど前、この船が現れた時の、太陽のような光ではない。秋山もよく知っている、それは人工的で刺すような白い光だ。

 

目が慣れるのに、さして時間は要さなかった。回復した視界の中で、さっきまで薄暗かった羅針艦橋を、はっきりとした光の中で捉えることができた。艦橋内に光が満ちている。

 

―――一体、何が・・・。

 

突然の出来事に呆気に取られていた秋山は、その耳に入ってくる音に気づくのに、しばらくの時間を必要とした。気づいた時には、その音は波の打ちつける音をかき消すぐらい、猛々しく頼もしいものとなっていた。

 

まさしく、この船の息吹。鼓動のような旋律。

 

『機関が始動準備に入っています!』

 

入れっ放しだった無線機に、B班から報告が入る。それまで一切の動きを見せず、沈黙を守ってきたこの船が、今その本性を現そうとしていた。

 

考えられる要因は、ただ一つ。

 

秋山が見遣った吹雪は、自ら手を着いた物体をじっと見つめていた。先までの―――いや、これまでのどの視線とも違う。全てをわかったうえで、彼女は物体を見つめ続けていた。

 

やがて吹雪は、おもむろに物体に背を向け、その肩紐をかける。

 

「・・・秋山さん」

 

覚悟を滲ませたかのような声で、彼女は秋山を呼んだ。

 

「思い出しました。わたしが何者か。何者であったか」

 

すぅ。静かに呼吸を整えた吹雪は、前甲板を見つめて厳かに口を開いた。

 

「ブレイン・ハンドシェイク」

 

ブレイン・ハンドシェイク。精神同調。戦闘機や人型ロボットの制御システムとして研究がされていた分野だ。なぜそんな言葉を、彼女が呟くのだろうか。

 

「機関始動」

 

秋山は何も言えぬまま、黙って吹雪を見つめていた。

 

それまで、小さな鼓動でしかなかった音が、咆哮にも似た爆音を伴って大気を震わせた。紛う事なき、機関始動の音だ。この船全体を震わせたその音に、秋山もまた軽い身震いを覚えた。

 

『臨検隊、何が起きている!』

 

中川から、報告を求める声が届いた。秋山はとっさに決断を下す。

 

「臨検隊は直ちに離脱。俺がここに残る」

 

見届けなければならない。そんな気がした。

 

「現在、不明船の機関が始動。臨検隊は早急に離脱します」

 

『了解した。回収準備はしてある。早急に不明船から離脱せよ』

 

すでに撤収に入っていたA班に加え、機関部のB班も甲板を目指して駆け上がってくる。後は、艦橋に残った三人だけとなった。

 

「一曹」

 

「はい」

 

「俺はここに残る。艦長に状況説明を頼む」

 

一曹はしばらく逡巡した後、「了解」と答えて、艦橋を後にした。

 

いよいよ、残されたのは秋山と吹雪だけとなった。

 

「秋山さん。この船を曳航する場合、行き先は横須賀でいいんですか?」

 

「その通りです」

 

この時点ですでに、秋山は吹雪という少女とこの船の関係に、大体の見当をつけることができていた。彼女が、今から何をしようとしているかも。

 

「現在位置は把握できますか?」

 

吹雪は首を横に振った。

 

「“あけぼの”に先導してもらえると、助かります」

 

当の“あけぼの”は、撤収した臨検隊を回収し、いつでも現海域を離脱できる用意を整えていた。今すぐにでも、この船を先導することは可能だ。

 

秋山は頷いて、再び無線機のスイッチを入れる。

 

「秋山より、艦橋。不明船は航行可能。“あけぼの”による、横須賀までの先導を願います」

 

中川には珍しく、返答に時間がかかった。

 

『・・・了解。不明船を横須賀まで先導する』

 

“あけぼの”の艦尾が静かに泡立ち、艦が前進を始める。並行していた艦体が、完全にこの船を追い抜いたのを待って、吹雪が新たな動きを指示した。

 

「両舷微速」

 

何かが回転する音が、艦体を伝って艦橋にも聞こえる。心持ち、機関の音も高鳴っていた。

 

不明船の主機が、動き始めたのだ。

 

少しずつ、前へと進み始めているのがわかる。先導する“あけぼの”の後ろについて、船は横須賀を目指す航路に入った。

 

「秋山さん」

 

前方を見つめたままの吹雪は、静かに、それでいて機関の音に負けないように、話を始める。

 

「この船は、“吹雪”といいます」

 

―――やはり、そうなのか。

 

やはりこの船は、特型駆逐艦のネームシップ、“吹雪”なのだ。

 

「わたしは、“吹雪”を一人で動かすことができます。そして“わたしたち”は、」

 

リンとした静けさが、艦橋の中に満ちていた。

 

「わたしたちは、深海棲艦と戦える、唯一の戦力です」




人類が初めて邂逅した艦娘、吹雪

後に人類最初の提督となる、秋山

運命的な二人の出会いが、この物語の始まりでした。
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