「面舵三四。針路二二三」
摩耶の横に立つ第二種軍装が、静かな声でこの艦の艦娘に告げた。その様子を、摩耶は腕組みをして聞いている。今鏡が手元にあったら、摩耶の表情は誰が見てもわかる仏頂面であるに違いない。
「了解ぴょん!」
清水の指示を受けた卯月が適当に復唱し、舵を切り始める。ふざけた返事にも、清水は特に何も言わなかった。
排水量の小さい“卯月”は、すぐに舵が利き始める。旋回半径も小さい。“睦月”型駆逐艦が船団護衛に最適な駆逐艦と言われるのも頷ける。
「・・・想像以上に小回りが利くな」
回頭を終えた“卯月”に、清水がぼそりと感想を漏らす。
「ふっふー、うーちゃんの本気はこんなものじゃないぴょん!」
褒められたと受け取ったのだろう、卯月が得意げに胸を張る。普段なら、その仕種に苦笑するところなのだが、今の摩耶はそんな気分ではなかった。
摩耶と清水が揃って“卯月”に乗り込んでいるのは、艦娘とBOBに関する説明と慣熟を、卯月の訓練と同時並行して行っているからだ。
清水を―――人間を自らに乗せることを良しとしない摩耶が、考えた方法だ。
―――提督は、何考えてんだ。
清水の初期艦に、摩耶が選出されたのは昨日のこと。それからあれこれと考えてはみたが、結局榊原が摩耶を清水の初期艦に指名した理由は未だわからずじまいだった。
何か考えがあるらしいことはわかる。その考えを、少なくとも曙は理解していることも。だが自分のこととなると・・・どうも、鈍感になるらしかった。
「・・・摩耶」
摩耶を呼ぶ声が、隣から鋭く聞こえた。考えに耽っていた摩耶は、ハッと我に返って声の方を見る。清水が、いつも通りの細い目でこちらを見ていた。
「そろそろ昼食の時間だ。泊地へ戻るぞ」
「・・・ああ、そうしてくれ」
操艦の指示の出し方や、艦隊運動の基礎は、海軍出身のこの将校は一通り身に付けている。その辺りは教え込む必要がなかった。おそらく残りは、通常艦船とBOBの操作性の違いによる感覚のずれをすり合わせていくことになるだろう。
「取舵一杯。針路〇八五」
「了解だっぴょん!」
清水の指示に、卯月がこれでもかと舵を利かせて、急速に回頭を始める。細い“卯月”の艦首が一気に左に振られて、艦が針路を変える。回頭が終わると、艦橋の正面には丁度天頂の太陽に照らされるパラオ泊地が見えていた。
「お腹すいたぴょん~」
艦の操作を行いながら、卯月がお腹の辺りをさする。一か月ほどの訓練でかなり慣れてきたとはいえ、まだまだ摩耶たちほど、自らの手足のように艦を操ることはできていない。それなりに集中力と体力を消耗するはずだ。
“卯月”の鋭い艦首が、穏やかな海を割いていく。泊地への入港は、後十分ほどと摩耶は見積もった。
◇
「終わったわよ」
お昼前。そろそろ書類に終わりが見えだした頃、曙が榊原に声をかけた。彼女に頼んでいた分が終わったらしい。曙専用と化している秘書官机の上で、書類がきれいに整理されて並んでいた。
「ありがとう。こっちもすぐに終わる」
「了解。お茶、いる?」
「頼む」
榊原がラストスパートをかけている間に、曙が給湯室へと向かう。そしていつも通りに、榊原が書類を終えた丁度そのタイミングで、曙がお茶の入った湯呑みを二つ持って来た。今日はお昼が近いので、お茶請けはなしだ。
「ねえ」
受け取った湯呑みに口を付けようとした榊原に、曙が呼びかけた。上げかけた湯呑みを下ろし、榊原は曙を見る。そのまま、彼女は話を始めた。
「なんで、清水少佐の初期艦を、摩耶にしたの」
切れ長の目の奥、蒼い瞳が榊原を捉えている。
曙のことだ。どうして、榊原が摩耶を選んだのか、ある程度理解しているはずだ。その上で、その真意を確かめようとしている。生半可な答えは許されないし、そもそもそんな気は榊原にはなかった。
「・・・そうだな」
手に持った湯呑みを置き、軽く息を吐く。
「きっかけが、必要だと思った」
「きっかけ?」
摩耶が、胸の奥底に抱えているもの。普段の彼女は、泊地の良き姉御として、明るく振る舞っている。だがそのその内には、何か大きな壁がある。それを、摩耶はいまだに越えられていない。
その壁が、摩耶が旗艦を断り続ける―――否、自らに人間を乗せることをよしとしない理由に繋がっていることはわかる。
「・・・いい意味でも、悪い意味でも、清水と摩耶はお互いを強く意識している」
乗り越えられない壁に向かい続ける、葛藤した摩耶の感情。自らの信念なら、感情すらも押し殺す清水。
「多少強引な手だけど。摩耶が自分の中の“何か”を乗り越えられるとしたら、そのきっかけは清水だと思う」
そう言ってから、榊原は少し考え、こう言い換えた。
「摩耶が欲しているのは、“彼女自身の”新しい提督だ」
言い切った榊原を、曙は静かな目で見つめていた。何かを見定めようとする、深い蒼の瞳。
やがて、その小さな唇がゆっくりと開かれる。出てきたのは、まったくもって彼女らしい一言だった。
「・・・いつの間に、一人前の提督みたいなこと言うようになってんのよ」
「まったくだ、な」
苦笑するしかない。だが、自分の考えが間違っているとも思っていない。
「クソ提督の考え、わかったわ。こっちでも、フォローできるとこはフォローする」
「よろしく頼むよ」
曙は、時たま見せる柔らかな笑みを浮かべて、榊原の頼みに答えた。
「秘書艦として当然のことよ。クソ提督は、あたしの―――あたしたちのクソ提督なんだから」
曙の言葉が、榊原の心を打つ。言った本人は、照れたように頬を掻いて、そっぽを向いている。
―――それは殺し文句だよ。
目線の合わない曙の横顔に、榊原は微笑む。
彼女こそ、榊原の秘書艦であった。
正午を回った食堂には、昼食を取る十人の艦娘と、二人の提督がいた。釣掛以下食堂部員が作ってくれた料理に、全員が舌鼓を打っている。課業上がりのご飯は格別だ。
「ねえ、そういえばなんだけど」
青じそドレッシングをチョイスしたサラダを頬張りながら、陽炎が榊原と清水の方を見遣った。
「清水少佐のことは、なんて呼べばいいの?」
「呼び方・・・?」
陽炎の質問に、清水は照り焼きチキンに伸ばしかけた手を止めて、怪訝な顔になる。
「どっちも『司令』とか『提督』じゃわかりにくいじゃない」
「・・・それもそうね」
満潮もそれに同調した。
「普通に、『清水少佐』でかまわないと思うが」
当の清水は、興味なさげにそう言った。だが、陽炎がそれで納得するわけもなく、口を尖らせて考え続ける。
「『清水少佐』じゃ味気ないじゃない?だからもっとこう、『司令』みたいに親しみの湧く二つ名がある方がいいと思うけど」
陽炎の「司令」呼びは二つ名感覚だったのか。
「・・・『将軍』、とか?」
陽炎の提案に、満潮がツッコミを入れる。
「それじゃ陸軍っぽいじゃない」
「そうよねえ・・・」
再び悩んでしまう二人。代わりに元気よく手を上げたのは、卯月だった。
「はいはい!『キャプテン』とかかっこいいと思うぴょん!」
「海賊っぽいわね。ていうかそれ、木曾さんでしょ」
パラオ泊地には、すでにキャプテン・キッソがいたので却下。考え込む艦娘が三人に増えてしまった。
「なあなあ、じゃあさ」
続いての挑戦者は長波だ。自信ありげに、八重歯をチラつかせて提案する。
「『頭領』、とかいいんじゃないか?」
「水軍?水軍よね、それ」
「何?ダメ?」
「水軍と海軍じゃ違うでしょ」
却下ということになってしまった。四人の駆逐艦娘が再び考え込む。
「・・・なあ」
うんうん唸る四人を尻目に、清水が怪訝な表情のまま、榊原の方へ小声で呼びかける。榊原もそちらへ身を寄せ、清水の言葉に耳を傾ける。
「このくだり、必要なのか」
ごもっともである。
「・・・まあ、楽しそうだから。いいんじゃないか」
苦笑いする榊原は、実は完全に他人事と思って楽しんでいた。清水が軽く溜め息を吐く。
「お前は、相変わらず甘いな」
そうこうするうちに、今度は満潮が柏手を打つ。何かを思いついたようだ。
「『アドミラル』ってどう?」
「それ英語。あたしら日本語」
まだまだ続きそうな気配だった不毛な争いに終止符を打ったのは、意外にも霞だった。白米の入った茶碗を平らげた彼女は、完全に投げやりに、こう言い放った。
「何、くだらない事で悩んでんのよ、あんたたちは」
まったくもって、彼女の言う通りである。
「そんなの、最初から決まってるでしょうが」
・・・ん?
どういう意味だろうか。
「こっちが『クソ』なんだから、そっちは『クズ』に決まってんでしょ」
それでいいのか霞さん。というか、決まっているのか。
前言は撤回せざるを得ないのかもしれない。霞もまた、何だかんだとこの会話を楽しんでいたようだ。
「なるほど・・・」
霞の言葉に、四人の駆逐艦娘が納得したように腕組みをして頷いている。他の艦娘たちも、苦笑いこそしているが、やはり納得してしまったようだった。
「・・・」
一方、「クズ」とあだ名を付けられかけている清水は、微妙な表情で沈黙したままだ。その微妙な表情のまま、清水は榊原の方を向く。
「・・・お前、『クソ』って呼ばれてるのか」
その瞳の奥に、「お前は一体何をした」というニュアンスが含まれているのを、榊原は読み取った。
この件に関して、榊原は上手く説明をすることができない。苦笑のまま、曙の方を―――榊原を「クソ提督」と呼び始めた彼女の方を向く。チラと視線を合わせた彼女は、何も言うことなく、プイとそっぽを向いてご飯を口に運んでいた。
「まあ・・・色々あってな」
榊原が誤魔かしている間に、箸を置いた霞が決を採ろうとしている。
「それじゃあ、以後は『クソ提督』と『クズ司令官』ということで」
異論の声はどこからも出なかった。代わりに、清水はさらに榊原に尋ねてくる。
「・・・駆逐艦娘って、こんなに口が悪いものなのか」
これには、榊原も乾いた笑みを浮かべるしかなかった。
「そういうことになったけど、いいでしょ秘書艦」
霞が最終的な確認を曙にする。昼食を食べ終わった彼女は、手を合わせて「ごちそうさま」と言ってから、完全に投げやりな口調で、
「それでいいんじゃない、別に」
そう決定した。
ここに、二人の提督が、パラオ泊地に誕生した。ただし、その二つ名は、お世辞にも格好のいいものとは言い難かった。
書いた後思いました
「このくだり、本当にいる?」
必要だったんです・・・はい