これから、秋津洲先輩が大活躍します。多分
七月ともなれば、日本の季節は夏になる。ここルソンも同じだ。今日も今日とて、ポカポカ陽気が辺りを満たしていた。
カランコロンという、下駄が規則的に床を打つ音が、軽やかに響いていた。ルソン警備隊の庁舎を、執務室へと向かう瑞穂の心も、下駄の音と同じように軽やかだった。
両手には、今しがた資料室から持って来た紙束を抱えている。瑞穂が愛する提督に頼まれて持って来たものだ。
彼女の提督である相模少佐は、この警備隊の提督長ではないため、本来は執務室に詰めていることはない。普段はもっぱら、周辺海域の警戒活動や対潜掃討作戦、訓練なんかの視察をしている。そんな彼が、今執務室にいるのは、警備隊の提督長、卓己中佐が本土へ出張中であったからだ。臨時に、指揮を任されているわけである。
普段が不真面目と言うつもりはないが、執務室で真面目に書類仕事に勤しむ相模の姿は、いつものフランクな感じとギャップがあって、またかっこいい。生来飲み込みが早いのだろう、ルソン警備隊秘書艦の由良から教わった書類仕事のノウハウとコツを二、三日で会得した相模は、スラスラと書類の山を片付けていた。瑞穂の手伝いがいらないくらいだ。
瑞穂自身、どちらかと言えばのんびりで、飲み込みが遅い方だというのはわかっているつもりだ。そのせいで、相模の足手まといになっているんじゃないか。そんなことを気にした瑞穂に、相模は書類の上にペンを走らせていた手を止めて、その大きな手で頭を撫でてくれた。
―――「書類を片付けるのは、俺の仕事だ。瑞穂のために、今の俺ができることをしたいんだ」
そう言って微笑んだ相模。その表情を思い返すだけで、胸が高鳴り、頬が熱くなる。撫でられた頭が暖かい。口元が緩んでしまうのを感じて、瑞穂は慌てて頭を振った。
―――瑞穂、しっかり。
相模が瑞穂のために頑張るのなら。瑞穂もまた相模のために頑張りたい。そう思ったのだ。
頬の緩みを引き締めて、瑞穂は執務室の前に辿り着いた。扉をノックしようとした彼女は、そこであることに気がついた。
両手が塞がって、扉をノックすることができない。というか、そもそも扉を開けることができない。
―――ど、どうしましょう。
相変わらずどこか抜けている自分に、瑞穂は頭を抱えたい気分だった。
「あ、あの。提督?」
仕方なく、瑞穂は執務室の中にいるであろう相模を呼んだ。程なく、内側から扉が開かれる。中から、相模の優しげな顔が覗いた。
「どーした、瑞穂?」
尋ねた相模が、瑞穂の手元を見る。彼は、それで全てを理解したらしかった。
「・・・あー。それじゃあ、ドアを開けられないよな」
「あの・・・すみません」
「いや、俺もそこに気づかなかったわ。悪かったな。資料、ありがとう」
そう言って、相模は瑞穂の頭を撫でる。代わるもののないその感触に、瑞穂は頬が熱くなるのを感じながらも、笑顔で応えた。
「資料は、どちらに置けばよろしいでしょうか?」
「あそこのスペースに頼む」
「はい。わかりました」
相模に示された位置に、瑞穂は持ってきた資料の束を置く。執務机の方は、すでにほとんどの書類が終わったらしく、積まれていた紙の山が消えていた。
さすがの処理の速さだった。
「提督。瑞穂、お茶を淹れてきますね」
そろそろ仕事が終わることを感じて、瑞穂は申し出る。執務机に戻った相模は、爽やかな笑みで頷いた。
「おう、よろしく」
「はいっ」
瑞穂も元気よく返事をして、執務室の隣に設けられた給湯室に入る。電気ケトルのスイッチを押し、コポコポとお湯が沸く音を聞きながら、お茶っ葉を急須に取った。
お茶の美味しい淹れ方を教えてくれたのも、相模だった。彼のお婆ちゃん直伝の淹れ方だという。そんな他愛のないことでも、教えてもらったことが嬉しい。
―――お茶請けはなし、ですね。
もうすぐお昼時だ。
淹れたお茶が、飲みやすいくらいに冷めるまで待つ。執務が一段落した後の一杯目は、一息にあおるのが相模だった。熱いよりも、少し冷めているくらいがいい。
お茶を淹れ終わった瑞穂が執務室に戻るのと、相模がペンを置くタイミングは同じだった。
「お、来た来た」
瑞穂が持って来たお茶を、嬉しそうに待っている。そんな彼のもとに、瑞穂は足元に気をつけながら、急いだ。
「お疲れ様でした、提督」
瑞穂が差し出した湯飲みを、相模が受け取る。
「いやあ、大したことじゃないって、これくらい」
笑った相模は、湯飲みに口付けて、グッとあおる。
「ん、美味しい」
「それは良かったです」
瑞穂は満面に笑顔を浮かべた。
「美味しいお茶が淹れられて、料理もできて。瑞穂は、いいお嫁さんになるなあ」
「そ、そんな」
そんなことを言われると、照れてしまう。席に着いてお茶を飲むことも忘れ、瑞穂は赤くなった顔をお盆で隠した。
「て、提督だからですよ」
その時、執務室の扉がノックされたのだが、瑞穂も相模も気づいていなかった。
「それは身に余る光栄だな」
相模はまた笑った。よく笑ってくれる提督なのだ。だから、瑞穂も嬉しい。
「瑞穂」
「はい、提督」
笑顔で名前を呼ぶ相模に、瑞穂も微笑みで応える。
「瑞穂」
「提督」
ズバタアーンッ
「お前らいい加減にしろかも!!」
物凄い勢いで、執務室の扉が開かれた。瑞穂が振り向くと、そこには彼女が尊敬する先輩水上機母艦娘が立っていた。
「いつまで待たせる気かも!ていうか人を待たせといて、周りにお花畑オーラ振り撒くなかも!」
そこまで一息に言い切った秋津洲は、ゼーハーと肩で息をしている。
「お疲れ様です、秋津洲先輩。執務、終了しました」
「あ、うん。お疲れ様かも。さすが、仕事が早いかも」
秋津洲が感心したように言った。
「おうっす、お疲れ、秋津洲先輩」
一方、ニヨニヨという擬音が聞こえてきそうなのは、相模だ。彼の軽い労いの言葉に、秋津洲は頬を膨らませる。
「本当にそう思うなら、せめてノックぐらい気づいてほしいかも。ていうか先輩って呼ぶなかも」
「えー。なんで瑞穂はよくて、俺はダメなんだ?」
「瑞穂の『先輩』には愛があるかも。でもアッシーの『先輩』には、茶化してるニュアンスしか感じないかも」
ちなみに「アッシー」とは、相模の初期艦である漣と秋津洲が考えたあだ名である。
「まことに遺憾である」
一瞬だけ真顔を作った相模は、だがしかしすぐに破顔してしまった。秋津洲は、やれやれとばかりに首を振る。そんな二人の様子に、瑞穂もまた微笑んだ。
「それで、用件はなんだ、秋津洲先輩」
「そうそう、それかも」
二人が真面目な話を始めることを悟り、瑞穂は気を引き締めて、相模の隣に控える。それを待って、秋津洲が話を始めた。
「ついさっき、二式大艇ちゃんが帰還したかも」
「そうか」
相模が“秋津洲”所属の二式大型飛行艇―――二式大艇を使って、偵察を行っていることは、瑞穂も知っている。偵察場所は、Z海域。偵察目的は、『IF作戦』時に存在が疑われた謎の艦隊、その根拠地の捜索だ。卓己には許可を得ている。
「それで、今回はどうだった?」
相模の問いに、秋津洲は首を横に振る。
「いつも通り、かも。今回は黎明に超低空から侵入したのに、ものの見事に例の“紫電”に見つかったかも」
実は、“秋津洲”の二式大艇は、すでに三度ほど、謎の艦隊との接触に成功していた。ただし、接触したのは謎の艦隊に所属するBOBでも、彼女たちの根拠地でもなく、おそらくその艦載機と思われる“紫電”改だった。
ただ、その“紫電”改が問題だった。
「今回も写真は撮れたか?」
「バッチリ、激写したかも」
そう言って、秋津洲は現像された写真を差し出す。執務机に置かれたそれらを、瑞穂も相模と共に覗き込んだ。
「・・・やっぱり、違うよなあ」
相模は唸る。
瑞穂が先ほど持って来た資料には、かつて帝国陸海軍が開発し、運用していた機体の詳細が描かれている。その資料をめくり、相模は“紫電”改のページを出す。
この機体は、間違いなくかつての帝国海軍“紫電”シリーズ―――水上戦闘機“強風”から始まる一連の局地戦闘機シリーズの一機だ。ただ、各部の詳細が異なる。
“紫電”シリーズのうち、艦載型とされるのが“紫電”改二、“紫電”改四とも呼ばれる機体だ。だが、写真に写る“紫電”は、その機体詳細と異なる。特に、機首はより太く、発動機の逞しさを感じさせた。
「低翼配置だから、“紫電”改なのは間違いないんだが。どうもこの機首の部分が違う」
「技師長が言うには、二千馬力越えの出力が出る発動機の可能性が高いらしいかも」
それともう一つ。秋津洲は人差し指を立てて、示した。
「今回の件で確信したかも。“紫電”改を寄越した奴らは、電探以外の方法で二式大艇ちゃんたちを捉えてるかも。相当低高度を飛んでたのに、夜明けとともに“紫電”改が現れて、追い払いにかかって来たかも」
今まで、相模たちは様々な侵入方法を試みていた。最初は通常高度での侵入。二度目は日没を狙っての高高度偵察。三度目は夜明けとともに高高度偵察。そして今回の黎明時超低高度偵察。その度に、Z海域内の捜索を試みる二式大艇を、謎の“紫電”改が補足して、海域から出るよう警告してきた。
「いくら二式大艇ちゃんが大きいって言っても、超低高度を飛んでるところを電探で捕捉するのは困難かも。それでもこっちを正確に捉えてきたってことは、何か別の方法を取ったとしか考えられないかも」
別の方法。それが何かを考えるのは、この際後だ。今一番大切な情報は、相模たちの探している相手が、こちらがZ海域内をくまなく捜索する前に、追い出しにかかってくるという事実だ。
「今、もっとも大切な情報は、俺たちがあちらのことを知ることではなく、あちらに俺たちのことを報せることだと思うんだが、どうかな?」
「それは、その通りだと思うかも」
秋津洲と瑞穂も、相模の意見に賛同する。
「どうやって報せたもんかなあ。これっていわゆる、着信拒否状態だしなあ」
相模が苦笑いしながら、そうこぼした。
「着信拒否・・・言い得て妙かも」
「何か、一方的に送り付けられるものがあるといいのでしょうけれど・・・航空機相手だと、そうもいきませんよね。あちらの通信帯もわかりませんし」
「・・・一方的に、送り付ける、か」
瑞穂の何気ない言葉に、相模が何かを考え込むような仕種をした。その頭上に、大きな電球の光が灯ったような気がした。
「それだ、瑞穂!」
「え、ええっと・・・はい?」
状況を飲み込めず、瑞穂は困惑する。そんな彼女の様子には構わず、相模は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、こう言った。
「一方的に送り付けられるかもしれん。名付けて、プレゼント大作戦だ」
さてさて、いよいよ謎の艦隊の正体に迫ってまいります
果たして、彼女たちの目的とは・・・?