なんとかここまでたどり着きました
物語は、新たな展開を迎えていきます
太陽が中天に輝く、正午。蒼く輝く海面に、大きな黒い影が落ちていた。影は悠々としたスピードで、海面を這っていく。
“秋津洲”所属の二式大艇、その内の三号機は、海面すれすれの低高度を飛行している。静かな波面にプロペラの後流が打ち付けるほどの低空飛行は、目標海面が近づいた時点から始めていた。すでに二十分ほどだろうか。
見張りの妖精は、危険海域に近づいていることを知って、さらに周辺への警戒を厳にする。高度を下げていることで、警戒は上方だけに集中すればいい。文字通り目を皿のようにして、彼らは辺りを見回していた。
接近する機影はないか。ウェーキは見当たらないか。水平線まで、あるいは雲居にまで目を凝らす。
“Z海域”と俗称されているその海域は、あらゆる艦船、航空機の侵入を許さない、魔の海域だ。五年前―――深海棲艦が確認された頃から、特に襲撃の頻度が高く、また深海棲艦自体の性能も高いため、国際的に海域への立ち入りが禁止されたのだ。
その海域に、二式大艇は侵入しようとしていた。
“秋津洲”所属の二式大艇は、予備機も含めて五機だ。うち、今回の作戦に参加しているのは、一号機から三号機までの三機。それぞれが割り振られた侵入進路から、超低空でZ海域に迫っている。
航法を務める妖精が、地図とコンパスで現在位置を確認する。ルソンを経って随分飛んできた。そろそろ、Z海域にたどり着く頃合いだ。
二式大艇は、さらに高度を落とす。カツオ節とあだ名される機体の下部に、飛び散った海水の飛沫がかかるのではないかと思うほどだ。
十数分後、二式大艇三号機は、Z海域に到達した。
線が引かれているわけでも、海の上に標識があるわけでもない。それでも、機体の外に漂う雰囲気が、ひんやりと変わった気がした。身を震わせるような空気に、見張り妖精はさらに辺りを注視する。
穏やかな波間に、時折白い波頭が漂う。群青に染まった世界を行く濃緑色の機体は、「火星」発動機の咆哮を引きずって、その波頭を風圧で砕いた。
四基の発動機、プロペラ、ともに異常はない。機長はそのことを改めて確認して、見張りから「機影見ゆ」が報告されれば、すぐに機体を動かせるようにした。
しばらくの間、静かな時間が続く。四翔プロペラが風を切る鈍い音、発動機の唸り。聞こえるのはそれだけだ。
だが、静寂の時間は、決して長くは続かなかった。
見張り妖精が、雲量二の空をこちらへと向かってくる、人工的な輝きに気づいた。青空にきらめいたその光に、見張り妖精は目を凝らす。
間違いない。二つの影が、二式大艇へと接近してくる。雲の合間に見えるその影は、紛うことなき航空機のそれであった。
見張り妖精から航空機の接近を知らされた機長は、臨戦態勢を指示する。機体各所に設けられた、七・七ミリ機銃四挺、二〇ミリ機銃五挺が、いつでも発砲可能なように身構えた。飛行艇であるがゆえに、唯一の弱点となっている機体下面は、超低空飛行によってカバーしている。
機体の向きをわずかにずらしながら、機長は航法要員に機体が飛んできたと思われる方向のメモを取らせる。航法要員の地図によれば、機体が向かってきたのはおそらくタウイタウイ島方面からとのことだった。巡航速度諸々を換算しても、大体勘定が合う。これは、過去三回の接触と同じだ。
おそらく、あの機体の出所は、タウイタウイにある。それも、空母が。
みるみるうちに接近してくる機影を確認する。深海棲艦の艦載機のような、特異な形ではない。胴体から長く主翼が生えており、コックピットと思しき反射も見える。
その繊細なディティールが、肉眼でも見えるようになってきた。
太い機首は、その発動機が現用航空機の主流であるジェットエンジンではなく、レシプロエンジンであることを示している。尾翼根元の一点に向かって絞り込まれた機体は、猛獣のような野性味と鋭さを感じさせた。己の存在を誇示するかのように、主翼は刀の如く研ぎ澄まされている。
海面を這うようにしていたとはいえ、二式大艇ほどの機体が気づかれないはずもなかった。二機の航空機は、一直線に接近を試みている。その動きは、こちらを撃墜せんとするものではなく、単に危険空域に入っていることを報せ、退避させようとするものだ。
だが、二式大艇は退かない。もとより、ある程度の危険を冒しても、この海域を捜索することが、彼らの任務なのだから。
そんな二式大艇の機首上方を、二機は編隊を崩さずに通り過ぎる。素早いその動きは、間違いなく戦闘機のものだ。
“紫電”改。現在、日本海軍ではどの航空母艦も採用していないはずの機体だ。
日本海軍機動部隊の主力艦上戦闘機は、三年間を通して零式艦上戦闘機―――零戦のままだ。もちろん、性能は向上している。初期に使用していた二一型の姿はもはやほとんどの空母の艦上から消え失せ、現在では五二型丙や六四型が、艦隊の空の守りについている。
零戦の後継機となる機体は、少数ではあるが配備が始まっていた。その名は“烈風”。第二次世界大戦中、ついぞ日の目を見ることのなかった幻の制空戦闘機で、零戦の正統な後継機と言えた。
もちろん、中央の工廠部でも、“紫電”シリーズの艦載型―――“紫電”改二は開発に成功している。ただ、性能的に深海棲艦の艦載機を圧倒しうるものではなく、現在は“烈風”の開発に主眼が置かれていた。もっとも、開発も建造と同様、ある種のランダムな要素が関わってくるため、“烈風”の開発中に稀に“紫電”改二が完成することはある。そうした“紫電”改二は、工廠部の倉庫に、万が一の備えとして格納されているとのことだ。
つまるところ、“紫電”改はルソン周辺に配備されていないことになる。
一航過の後、反転した“紫電”改は、再び二式大艇に接近してくる。警告を続けているのだ。その様子を確認した機長は、作戦を次の段階へと移すタイミングだと判断を下した。
目配せをされた照準手が、その指示に頷く。彼は手元にある爆弾の投下レバーに手をかけた。
二式大艇には、爆装や雷装も施すことが可能だ。積載可能重量は決して大きくないが、それでも八百キロ爆弾か航空魚雷を翼下に二発、縣吊することができた。
頃合いよしと見た照準手が、レバーを引く。機構が動く音がして、翼下から何かが投下された。その様子は、二機の“紫電”改からも、はっきりと見えたはずだ。
ニ式大艇から投下されたそれのうち一つは、海面に触れると外郭が弾け、急激に膨張した。浮き袋に入った空気が、海面に浮かぶのを助ける。
もう一つの方は、一旦海中に沈み込んだ後、浮き袋の横に浮かんできた。やがて中から、赤色の煙がもうもうと立ち上る。これが、狼煙の役割を果たすはずだ。
これで、ニ式大艇の任務は完了だ。低空飛行をやめた機体は、“紫電”改の誘導した通りに、Z海域からの離脱にかかる。反転した機体の尾部から、見張りの妖精は浮き袋を投下した地点を見る。赤い煙が立ち上る周辺を、二機の“紫電”改が円を描いて飛んでいた。
やれることはやった。託したメッセージが伝わるかどうかは、神のみぞ知ることだ。
*
相模が「プレゼント大作戦」と名付けた作戦が成功した旨の報告を、瑞穂は彼や秋津洲とともに、作戦室の海図の前で聞いた。
“手紙”を投下した三号機の位置が、海図には書き込まれている。三号機はいつも通りに“紫電”改から接触を受け、海域から退避を始めたとのことだ。
「プレゼントは、無事届いたわけだ」
海図に手を着いた相模は、瑞穂と秋津洲の方を向いて口角を吊り上げた。そんな挑戦的な表情も、相模の魅力だ。ほうっと呆けたように、瑞穂は相模を見つめた。
「でも、まだ受け取ってくれたところを確認したわけじゃないかも」
秋津洲は冷静に指摘する。それに対して、相模はかぶりを振った。
「はい、って渡して受け取ってくれる相手じゃないからな。言っただろ?着信拒否状態だ、って」
だから、相手に受け取らせるのではなく、一方的に送り付ける。それがプレゼント大作戦だ。
二式大艇から投下された浮き袋には、完全防水された容器に入れて手紙が入っている。そこには、相模たちがZ海域に侵入を続ける理由―――謎の艦隊の根拠地捜索と接触を試みていることが書かれている。
「こちらから、メッセージは送った。向こうに受け取る意思があるなら、手紙を受け取ってくれるだろう。そして、こちらと接触する意思があるなら、近日中に反応があるはずだ」
後はあちら任せ。こちらとしては、運を天に任せて、祈るしかない。
「二式大艇は?どれぐらいで戻る?」
三機出した二式大艇各機には、すでに帰投するように伝えてある。
「一時間ちょっとで戻るかも。その時に、色々訊いてみるかも」
それを確認して、相模は作戦の終了を宣言する。緊張を弛緩させた三人は、ひとまず昼食を取るべく、食堂へと戻っていった。
◇
本土への出張を終え、卓己中佐が戻ってきたのは、その次の日のことだった。ルソン警備隊の指揮を、相模は彼に返し、瑞穂も秘書艦の仕事を由良に戻す。ルソン警備隊は、再びいつも通りの活動を再開した。
それから三日は何事もなかった。出入港をする各輸送船や、近海航路等にも異常はなく、平和そのものだ。
だが、四日目に変化は訪れた。
通信室から呼び出しを受け、瑞穂は廊下を小走りに急いでいた。下駄というのは、走るのにコツがいる。脱げばもう少し速く走れるのだろうが、今の瑞穂にそこへ思い至る余裕はなかった。
「お待たせ致しました!」
通信室に飛び込むと、すでに相模と秋津洲は待っていた。普段は通信員が一人いるのだが、相模の意向で席を外してもらったらしい。
瑞穂を迎え入れた相模は、上機嫌だった。その手には、小さな紙片が握られている。
「返事があったぞ、瑞穂!」
「へ、返事・・・?」
何の返事であるか、瑞穂は思い至った。例のプレゼント大作戦だ。
「ほ、本当ですか・・・!?」
「ああ。作戦は大成功だよ!」
そう言って、相模は紙片を見せてくれた。十分前に入電し、相模に届けられたというそれには、以下のような文面が書かれていた。
『発タウイタウイ泊地、磯崎舞特務大尉。宛ルソン警備隊、相模篤少佐。貴官からの申し出をお受けいたします。この電文発信から二十分後、指定した通信帯に回線を開いてください』
指定されていた通信帯は、見たことのないものだった。ただ、海軍の防諜仕様が施された回線であることはわかる。それも、最上級の防御だ。
入電した時刻から換算すると、もう間もなくで通信回線を開く約束の時間だ。
目の前の通信機は、すでに調整が完了しているらしい。そこから、三人分のヘッドセットが繋がっている。
「今から、ファーストコンタクトだ」
さも楽しげに笑った相模は、瑞穂と秋津洲にヘッドセットを差し出し、自らもそれを着ける。二人も続いて装着し、交信の準備は整った。
時間だ。
相模が通信機のスイッチを入れる。十数秒のノイズの後、ヘッドセットの向こうに、相手が出る気配がした。
そして、三人は“彼女”の声を聞いた。
『初めまして。タウイタウイ泊地提督、磯崎舞特務大尉です』
すみません、前にも書きました通り、作者はこれから一か月ほど、リアルで航海に行って参ります。そのため、今回の話をもちまして、しばらくの間投稿を止めさせていただきます
航海中もできるでけ書き溜めはしますので、八月の中旬には再開できると思います
それでは、しばらくの間ごきげんよう