吹雪轟沈の話が短くまとめられたので、話を進めていこうかと
どうぞよろしくお願いいたします
「・・・汗かいて気持ち悪いから、シャワー浴びてくるわ」
そう言って席を立ちあがった曙は、タンスの引き出しを開けて、着替えを取り出し始めた。風呂はすでに閉まっているが、艦娘寮に据え付けられているシャワー室は夜中でも開放されている。汗を流すには丁度いい。
「俺もお暇するよ」
「あっそ」
席を立ちあがった榊原に、曙は普段のそっけない口調で答えた。しかしその顔が、すぐに上がって榊原を見た。
「ねえ」
「?どうかしたか?」
榊原の問いには答えずに。着替えを抱えて立ち上がった曙は、そのまま二歩三歩、パタパタと踵を鳴らして、榊原の真っ正面に立った。パラオの海を思わせる、蒼く澄んだ瞳が、部屋の蛍光灯の光を反射しながら、榊原を見つめていた。
「・・・なんていうか、その」
ほんの少し、言い淀むような間。曙が時々示す、彼女の心の言葉。榊原が言えた義理ではないが、不器用ながらの、精一杯の表現。
「あたしは、クソ提督があたしの指揮官でよかったって、思ってるから」
「・・・随分と、急、だな」
全く予想もしていなかった言葉に、榊原の心臓が跳ねる。
「い、いいでしょ!こういう時じゃないと、言う機会ないし!」
自分で言いだしておきながら、曙は真っ赤になって、早口でまくしたてる。それでも、自分が言ったことを、取り下げたりはしなかった。
衝撃は大きくて。整理が追い付かない頭では、実感も湧かない。
けれども。
彼女の言葉は、いつでも榊原の心を、大きく揺さぶる。
「ありがとう」
何とか榊原は、そう言った。浮かべた笑顔は、まだまだぎこちなかっただろうか。
「はい、終わり!早くシャワー浴びたいから、さっさと出るわよ」
そう言って、照れ隠しをしている曙が、この上なく可愛らしかった。
「曙」
榊原を自室から追い出し、自らはシャワー室に向かおうとする曙を、榊原は呼んだ。シャンと伸びた背中が廊下に立ち止まり、こちらを振り向く。
「君の隣に立てることを、誇りに思う。俺は必ず、曙の隣に経つに相応しい提督になることを約束する」
その言葉に、曙は何も言わず、ただコクリと、小さく頷いた。それから突然駆け出し、群青の髪を揺らして角の向こう側へと消えてしまった。
「・・・戻るか」
一人、廊下に取り残された榊原は、ポツリと呟いて自らの部屋へと戻っていく。新たな想いを、その内に宿して。
なお、この後摩耶に見つかった榊原が、半目の彼女に必死になって誤解を解こうとしたことは、また別の話である。
◇
翌日。午前の執務を終えた榊原は、執務机で“ある物”とにらめっこをしていた。
現在曙はいない。例の、摩耶が主体となって研究していた新防空システム、その確認のために、演習に参加している。書類仕事があった榊原に代わり、演習の監督をしているのは、清水だ。
書類仕事を終えた榊原は、“ある物”を引き出して執務机の上に置き、以来ずっとそれを調べている次第である。
―――・・・さっぱりわからん。
“ある物”とは、トラック沖海戦後に吹雪が残していったものである。銀色のそっけないアタッシュケースだ。開けていない―――そもそも開け方がわからないので、中身はわからないが、持った感じからして、何か書類の束ではないかと思われた。
榊原が悩んでいるのは、アタッシュケースのロック、八ケタの暗証番号である。
腕組みをして、もう一度頭の中身を整理し直す。
吹雪は、秋山からの資料だと言っていた。おそらく彼女と秋山は、この中身を知っている。それから、開けるための暗証番号も。
しかし吹雪は、それを教えてはくれなかった。彼女が残したのは、たったこれだけの言葉。
―――「開けるためのパスワードは、然るべき時が来れば、わかるはずです」
然るべき時とは?謎かけのような吹雪の言葉の意味を、その時は理解できなかった。
だがその疑問は、二週間前の、卓己中佐の一言によって解決された。
―――「“時は来た”」
妙な言い回しだとは思った。頭の中で何かが引っ掛かってはいた。
卓己中佐は、知っていた。どこまで知っているのかはわからない。だが少なくとも、この件に関しては。
彼がルソン警備隊に配属されたのは、単にコミュニケーション能力が高いからではあるまい。
時は来たのだ。然るべき時、今こそがこのロックを開けるとき。そのはずなのに、未だにその鍵を開ける八ケタは見つからないままだ。
アタッシュケースは海軍仕様のもので、三回入力を間違うと、おそらくもう二度と開けることはできない。ミスは許されない。あてずっぽうでやるわけにはいかないのだ。
「・・・どうしたもんかなあ」
然るべき時に開けるようにと言われた代物だ。中に入っているものは、『T・T独立艦隊』に関するものである可能性が高い。すなわち、艦娘と深海棲艦の始まりに関する、何か重要な資料。
世界の真理に迫る手掛かりが目の前にあるというのに、それに手が出せないのは忸怩たるものがある。
「・・・何を、難しい顔をしてるんだ?」
あまりに唐突に掛けられた言葉に、榊原は心臓が飛び出るかと思った。顔を上げると、制帽を小脇に抱えて清水が立っている。演習が終わって、戻って来たらしい。
「終わったか」
「ああ。それで、お前は何をしてたんだ?」
「・・・」
清水に見つかってしまった以上、答えるしかあるまい。隠し通すのは無理というものだ。それに、元はといえば清水は、吹雪の代わりにトラック攻略戦を見届けるための人間である。
本人からそんな話が出たことはないが、この手の話に巻き込んでも大丈夫なはずだ。
「暗証番号がわからなくてな。このアタッシュケースを開けられない」
「忘れたのか?」
「いや、俺のものじゃないんだ。『IF作戦』後に、吹雪さんから預かった。然るべき時が来たら開けろ、と」
「・・・また、回りくどいことを」
ピクリと眉を動かして、溜め息でも吐くように、清水は言った。
「暗証番号を教えてもらってないのか」
「ああ、教えてもらってない。その時が来れば、わかるはずだと」
「なんだ、それは・・・」
呆れに近い言葉を漏らした後、清水は榊原の手元、暗証番号の入力部分を覗き込んできた。もっとも、番号入力用の小さなキーボードがあるだけだが。
「海軍仕様か。面倒だな」
「試し打ちできないからな。慎重に行かないと」
そのまま二人の将校は、アタッシュケースを挟んで考え込む。カチコチ。再び執務室には、時計の秒針の音のみが響くこととなった。
やがて、清水がおもむろに口を開く。
「榊原。今から俺の言う数字を、何も訊かずに入力しろ」
「どういう意味だ?」
「質問は受け付けないと言ったはずだ。一度しか言わないぞ」
「・・・わかった」
この同期主席に、説明が欠如しているのはいつものことだ。誰も考えも及ばないようなことを、唐突に言いだすことが、清水にはある。その真意を理解することは、榊原にも難しい。
榊原が準備した頃合いを見計らったのか、清水がゆっくりと口を開き、八ケタの数字を口にした。
「一、九、四、二、〇、六、〇、八」
―――待てよ、その数字って・・・。
八ケタの数字が意味するところに気付いて、榊原は清水の方を向きそうになった。しかし、結局実際に顔を上げることも、何かを問いかけることもせず、八ケタの数字を入力した。
―――一九四二年六月八日。
日本時間で言えば、ミッドウェー作戦が終了した次の日ということになる。
入力を確認し、ロック解除のボタンを押す。果たして、カチリという鍵が外れる音がして、アタッシュケースに隙間ができた。
開いたのだ。清水の暗証番号は合っていた。
なぜ知っていた、そんな疑問よりも先に。なぜその日付が暗証番号になっていたのか。何も意図するところがないとは思えなかった。
「・・・開いたな」
ただ淡々と、清水は言った。
「これの中身を、知っているのか?」
ポツリと呟く榊原に、清水は首を横に振る。
「その中に入っているものが、何かは知っている。だが、どこまで詳細な資料か、“あの組織”の何を書いた資料なのか、それは知らない」
清水も知りたいのだろう。このアタッシュケースの中にあるものを。
知りたくば、この蓋を開けよ。
意を決した榊原は、アタッシュケースに手を掛け、ゆっくりと引き上げる。蛍光灯の光で影になっていた中身が、少しずつ白く照らされ、明らかとなる。
厳重な緩衝材で保護された中には、A4サイズの書類が束となって入っている。その書類の束の上には、封筒が置かれていた。
封筒の中を確認する。差出人は吹雪。それ以外の情報は、封筒には何も書かれていない。
ペーパーナイフを取り出し、封を切る。中に入っていたのは、小さな便箋が一枚。吹雪が書いたと思われる、綺麗で整った字が、たった一行書かれていた。
『貴方の好きにしてください』
便箋の裏を確認してみたが、それ以上の文言はなかった。ひとまず便箋を封筒へ戻し、榊原たちは書類の束を取り出しにかかる。
決して厚いものではない。束の数は二つ。どちらも、写本である旨が書かれている。
『船魂計画』『刃櫻会』
―――刃櫻会。
その組織の名前を聞いたのは、舞との会談の時。舞はそれ以上の質問を許してはくれなかった。
おそらくは『T・T独立艦隊』の創設にかかわる組織。そして―――
チラリと窺った清水は、何かを探るような瞳で、執務机に並んだ二つの紙の束を見定めていた。その唇が、ポツリと言葉をこぼす。
「・・・まだ、現存していたのか」
榊原の中で、仮説が確信に変わる。
パラオに来たのが、なぜ清水だったのか。吹雪がこの資料を残していったのはなぜなのか。
暗証番号を教えなかったのはなぜだったのか。
全ては、“然るべき時を、吹雪の望むタイミングにするため”。榊原たちの覚悟を確認するため。
清水を見上げた榊原に、彼は目を細める。こちらの考えなどお見通しであるかのように。
「お前の思っている通りだ」
一切の淀みなく、清水はさも当たり前のように、肯定した。
「俺は刃櫻会の人間だ。海軍に入る前からな」
パラオ泊地の執務室は、それまでにない沈黙に包まれる。
手にした資料が告げるもの。
それは過去からの告白。
時間を超越して、紙と言葉は世界を動かす。
・・・うん、迷走感がすごい
早くこの話畳んで、次のステップに進まなきゃだけど、トラック沖海戦に繋がる話でもあるから色々説明しときたい・・・むむむ
次回も頑張ります