花は色づき落ちてゆく   作:馮河

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Page.2 花の記憶

『あの日は学会の準備で遅くなったんだ』

 

『教授に頼まれて研究室に残っていたんだ』

 

『先輩に誘われて断り切れなかったんだ』

 

 

 

 あれやこれやと言葉を並べられて、私はうんうんと頷くしかなかった。

 彼が言うのはもっともな理由。

 

 けれど、私が聞きたかった言葉はない。

 行けなくてごめん、と言ってほしい。

 本当は椿と一緒にいたかったって……

 だって、まるで私との約束が後回しのように聞こえるから。

 遅くなるなら連絡ぐらい入れなさいよ、って本当は強くそう言いたい。

 

 ……つくづく子供な考え方しかできないな、私。

 私と研究どっちが大事なの、と聞いたら

 

『研究』

 

 そう即答する人なのに。

 

 

 

「それじゃあ仕方ないね、今度の学会頑張ってね」

 

「ああ、悪いな、今度埋め合わせはするよ」

 

「うん、ありがと」

 

「じゃ」

 

「あ、うん……」

 

 

 

 

 彼は踵を返し、研究棟へと向かっていく。

 ああ、白衣もすっかり板についてきたな。

 そんなことを思っていた。

 

 私は振っていた右手を静かに下ろした。

 

 付き合いが始まって気づいたことはたくさんあった。

 彼はすごく優しくて、いつでも穏やか。

 私と出かけるときはいつも私に合わせてくれる。

 

 

 

 その反面、プライドが高い。

 まず彰一さんから謝るところを見たことがない。

 それを尋ねるといつも、

 

『え?僕は悪くないだろ』

 

 といつも答える。

 確かに彰一さんは自ら謝るようなことはしないんだけど。

 

 

 テーマパークに行った時、アイスクリームを持った小さな子供が彰一さんにぶつかってズボンにアイスクリームがかかってしまい、その子供は泣き出してしまった。

 すると彰一さんは

 

『おい、何泣いているんだ、人にぶつかったら謝るのが最初だろ?』

 

 

 そう強い口調でいった彰一さんを見て子供は走って逃げていったんだ。

 すると、やれやれと言いながら少し悲しげな顔をして、

 

『ちっ……ガキが』

 

 そう聞こえた気がした。

 この時は、子供嫌いなのかなと思ったぐらいだけど。

 

 

 

 そして、ときどきすごく怖い顔をすることがある。

 その顔を見ると、にこやかなあの顔とまるで別人で恐怖を覚える事がある。

 

 初めて恐怖を覚えたのはあの日。

 

 彰一さんに呼ばれて、研究棟へ向かう途中見知らぬ男子学生に声を掛けられた。

 

 

「ねぇ君」

 

「はい?」

 

「君っていつもここにいるけど、どこの学部の子?」

 

「え、えっと看護学科ですけど……」

 

「なんだ、君看護の子だったんだ」

 

「……何か」

 

「俺さ、かわいい子がいつもいるなーって思って見てたんだよね」

 

「は、はぁ……」

 

「俺、色白で髪の長い子が好みなんだよね」

 

「……そうですか」

 

「何、誰か待ってんの?それとも」

 

「おい」

 

「へ?あ、加藤」

 

「何やってんだ」

 

「いや、何って別に」

 

「離れろ」

 

「え、何、怒ってんの?……っ」

 

「ちょっと、彰一さんやめて」

 

「……っ、やめろっ、うっ」

 

「お前……」

 

「やめてって!」

 

 

 

 ギリギリと彰一さんが男の首を絞めていた。

 今まで見たことがないくらい怖い顔をしていた。

 

 それが嫉妬だとわかっていても、

 嬉しいという気持ちより怖い、そう思ってしまった。

 

 

 

「はぁ……」

 

 深いため息をつく。

 最近、疑心暗鬼になりすぎなのかな。

 彰一さんも今は大事な時期だし、仕方ないよね。

 そりゃ私と会うより大事だよね。

 

 将来はお医者さんになるのが彰一さんの夢。

 

 彼の夢は私の夢だ。

 

 だから、私がわがまま言っちゃだめだ。

 

 だめ。

 

 そう思うんだけど。

 

 

 

「えっ、遊ちゃん今日遅いの?」

 

「ごめん、だから先に家行ってていいから」

 

「分かった」

 

 

 

 

 昨日、彰一さんとの会話を遊ちゃんに話したらため息混じりに

 

『じゃあ、あたしの家で作戦練るか』

 

『いいの?』

 

『電話で愚痴愚痴言われるよりマシよ』

 

『う……相変わらず直球』

 

『じゃ、明日6時ね』

 

 

 

 けれど、急な用事が入ったらしく今日は8時にしか帰ってこれないらしい。

 

 

 

 2階建ての古い木造アパート。

 下に6部屋、上に6部屋というシンプルな造り。

 

 私は階段を登ると一直線へと目的のドアの前へ向かう。

 

 

 合鍵を使ってドアを開ける。

 

 無言で靴を脱ぎ始めると、違和感に気づく。

 

 

 でかいコンバースが一足。

 

 遊ちゃんはよくスニーカーを履くけど、このサイズは明らかに男の人のものだ。

 

 一体誰の……?

 

 

 そう思ったそのとき

 

 

「……だれ」

 

 

 低い声が奥から聞こえた。

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 

 私は下を向きながら絶句した。

 

 ヤバイ。もしかして部屋間違えたんだろうか。

 

 いや、鍵が開いたんだからそれは無いけど、とりあえず退散して身の危険を回避しなきゃ。

 

「お、お邪魔しましたー」

 

 

 そのまま反転してドアを開けようとすると

 

 

「遊の知り合い?」

 

 

「!」

 

 

「……ちがうの?」

 

 

 

 

 ドアの前で沈黙する。

 

 

「ちょっと」

 

 

 左手首を捕まれた。

 

 

「ひゃっ」

 

 

 変な声が出た。

 そしてそのまま手首を引っ張られて、振り向くと

 

 

「……ひぇっ!」

 

 

 上半身裸の男が目の前にいた。

 

 

 

 

 

 

「……遊じゃない?」

 

 

 いやいや、見れば分かるでしょ……

 

 

「もしかして、椿さん?」

 

「えっ」

 

 

 そう言われて、目を合わせないように伏せていた顔をあげる。

 

 

「……」

 

「……!」

 

 

 お互いに見つめ合う。

 

 

 瞳がきれいな茶色……

 

 

 

 

「も、もしかして」

 

 

 

「はい」

 

 

 

 

「もももしかして」

 

 

 

 

「ぷっ」

 

 

あははと彼が笑い出す。

 

 

 

「久しぶりです」

 

 

「ほんと、久しぶり……源くん」

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