手慰み   作:猫毛布

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鉄腕姫1

 鼓膜を揺らす喧騒。首に感じる冷たい鉄輪。動く度に鳴る鎖。

 自身にだけ当てられた光すら見ずに、少女は俯く事もできずただ前を向いていた。

 明るさの象徴だった笑顔も無く。

 未来を見つめる瞳に光も無く。

 細くしなやかな指の付いた腕すら無い。

 肩に厳重に巻かれた包帯が僅かに赤く染まっていた。痛みが無く熱だけ篭もる傷口が少女を現実と夢の狭間に存在させた。

 

『――次の商品です。既にご存知のお客様も居られると思いますが。コチラ、先日に王族全てが処刑された唯一の生き残り。名高い美姫。硝子姫、ヴィヴィアナで御座います』

 

 ヴィヴィアナの顔に笑みなどない。あるのは幻想の希望。彼女がもはや手に出来ない夢。

 どよめきも飛び交う数字も聞こえない。ただ漠然と自身に忍び寄る絶望の足音だけが彼女の心に響いていた。

 ヒタリ、ヒタリと裸足で石床を歩くように。軋む木床を奏でるように。

 

 首輪が引かれ、ヴィヴィアナの顔が上がる。眩しすぎる明かりに影が差し、影の手に鎖が握られていた。

 買われた。

 まるで他人事のようにヴィヴィアナはソレを理解した。無知な娘ではない。それこそ王族としての教養はある。

 だからこそ自身の絶望を理解出来てしまった。

 奴隷。或いは人形。これから先で自身に待ち受けるであろう絶望が頭を過る。けれどそれもヴィヴィアナにとっては既に他人事に等しい。

 薄ら笑いが口を歪める。影はその笑いを見ても、手に入れた美姫を見ても、何も語らず、表情すら動かさない。

 

 いいや、顔に表情など無かった。

 ヴィヴィアナの視界に影の顔が映る。光を抑えた影――意匠の施された仮面がヴィヴィアナの視界いっぱいに映り込んだ。

 

「――仮面卿。お支払はアチラです」

「――ああ」

 

 ようやく仮面から吐き出された音がヴィヴィアナの鼓膜を揺らす。自身のような美声ではない。かと言って王であった父のように威厳のある低い声でもない。更に言えば恋人であった騎士のように規律を重んじる爽やかな声でもない。

 どこか歪みのきいた、耳障りな音であった。言葉の前に小さく母音が聞こえる事も耳障りな要因だろう。

 雑音とも取れる音。その音が言葉として仮面から吐き出されていた。ヴィヴィアナにとってはただそれだけでしか無い。全てを失った自分を購入した仮面を不憫に思う。

 買われている人間は既に無価値にも等しいのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヴィヴィアナの目の前には花畑が広がっていた。いつも見ている、城内の花畑だ。

 恋人である騎士が微笑み、手を差し出す。差し出された手に自然と腕が伸びて、ヴィヴィアナは驚いてしまう。

 そうか、アレは悪い夢だったのだ。

 記憶の底へと放り投げられた悪夢の事など忘れて、ヴィヴィアナは騎士に微笑んで立ち上がる。

 花畑には王である父がティーカップを持って笑い、その近くには見慣れた近衛兵がいる。

 ヴィヴィアナは涙を流しそうになり、空いていたもう片方の手で顔を覆う。

 

「どうしました?」

「いいえ、悪い夢を見ていたのです」

 

 騎士の問いかけに名高い美姫は応えた。そう、悪い夢であったのだ。

 

「おお、ヴィヴィアナ姫。それは違いますよ」

「え?」

「全て、現実です」

 

 爽やかな騎士の声にヴィヴィアナは顔を上げる。花畑は燃え盛り、近衛兵は槍で貫かれ、父の首がティーカップに乗っている。

 慌てて騎士の手を抜け出して、逃げるために扉へ向かう。ドアノブへと腕を伸ばそうとして、気付く。

 

「――ヴィヴィアナ姫。忘れ物ですよ」

 

 ドチャリと花畑を汚した二本の白くて細い何かが赤を彩って転がっていた。

 それはヴィヴィアナにとって馴染み深い物だ。見慣れすぎている。彼女の年齢と同じ年月、視界に入らなかった事などない。

 

 

 

 

「――――ッ」

 

 目を、覚ました。

 掛けられた薄いシーツが身体を動かした事で胸までずり落ちている。

 どうやら椅子に座らされ、眠っていたらしい。僅かに腹部に拘束を感じて背凭れに体重を預ける。

 先の無い肩には真新しい包帯が巻かれている。痛みは、無かった。荒い呼吸を落ち着けて、口に溜まった空気を飲み込む。

 

「お、ぉ起きましたか?」

 

 扉の開く音と共に聞こえた耳障りな音。吃るように母音が口の中で響く音。コココ、と細かな靴の音ともに現れたのは背の曲がった小さな男であった。

 臭い物でも臭っているのが曲がった鼻にギョロリと不気味に大きな瞳。頬に出来た腫れ物がこれでもかと主張をしている。

 男はヴィヴィアナの前に立ち、指を宙で細かに動かして、その大きな瞳をヴィヴィアナと合わせないようにギョロギョロと部屋に這わしている。

 

「お、お加減は、い、かがでしょぅか?」

「…………」

 

 ヴィヴィアナが絶句したのはその男の醜い姿が原因ではない。その耳障り極まりない声が自身を買った仮面の男と同じであったから、驚いたのだ。

 

「わ、わた、私を、おぼ、覚えておいでですか?」

「……いいえ」

 

 男の言葉にヴィヴィアナは数秒程自身の記憶を、姫であった頃の記憶を遡ったが、このような目立つ顔の男はいなかった。この耳障りな声も、聞いたことはない。

 ヴィヴィアナの応えに男は眉尻と肩を下げて落胆した。

 

「私を、どうするつもりですか? この身体を犯しますか? 辱めますか?」

「と、と、ととととんでもない!」

 

 ヴィヴィアナの言葉を聞いて男は慌てたように手を小刻みに横に振って否定した。数秒程目を合わせて、その視線を少しだけ下げてから更に慌てて顔を逸らす。

 

「わ、わ、私はぃ姫様が綺麗で、眺めるだけで、満足でして」

「……なら、私の願いを叶えてくれますか?」

「ええ! ええ! わ、私が、出来るる事なら、何でも」

「なら殺してください」

 

 端的に。単純に。それこそが今のヴィヴィアナの願いであった。

 辱めを受けるでもない。自分を尊守してくれるというのならば、それこそこのまま生きている意味もない。

 泥水のように淀んだ瞳が男を捉える。確かに男に視線が向いているのに、どこか焦点が合っていない。乱れた薔薇の如く赤い彼女の髪が揺れる。

 男は、息を飲み込んで、言葉を口の中で何度も噛んでから、ようやく吐き出す。

 

「そ、それはで、出来ません」

「私が殺せと言っているのよ! さっさと私を殺して! こんな想いはもう沢山よ!」

「…………ど、ど、どうすれば、姫様は生きててくれますか?」

「もう全部嫌なの……全部無くなった。国も、父も、私の腕も! 復讐しようもに剣も取れない! 杖も握れない! 逃げれたと思ったのに……神父様にも、裏切られた……神様なんていないの。もう、嫌なの。殺して……殺してよ……」

 

 男は半狂乱になるヴィヴィアナにどうしていいか分からず、曲げた背中を更に曲げて縮こまる。

 ヴィヴィアナがどうしてあの競売に掛けられていたのか、男はその詳しい事は知らない。あの場はそういう場所でもある。

 だからこそ、男は既に名前の抹消された亡国のヴィヴィアナを手に入れる事が出来た。

 ただ生きていてほしかった。それは男の純粋な願いだった。美しいヴィヴィアナを――いいや、こうして絶望に汚れたヴィヴィアナに対しても感情が傾いていた。

 自身が好きにならない事は分かっている。けれどヴィヴィアナを自分が汚す事など出来ない。だから、生きていてほしかった。ただ、生きていてほしかった。

 

「ふ、復讐、しますか?」

「……無理よ。こんな身体よ」

「……で、出来、出来ます」

 

 男はコココ、と細かい足取りを忙しなく動かして部屋から出ていった。扉の向こうでは慌ただしい音が響き、何かが転げ落ちる音がして、何かが割れる音もした。

 そんな音が鳴り止んで数秒。ようやく現れた男が布で巻いた何かを抱きかかえて、座っていたヴィヴィアナの前に立つ。

 薄汚れた、黒い油染みの付いた布が滑り落ちる。

 

 鈍色がそこには在った。騎士の甲冑よりも無骨。ただその機能だけを追求しただけの鉄の固まり。

 ヴィヴィアナがソレを見たのは初めてであった。いつか男がソレを手に王城へとやってきた時は見ずもせずに男にお帰り願ったのだ。

 だからこそ、ソレを見たのは初めて。けれど、ソレが何であるかは一目見てわかった。

 

「――腕」

「わ、わ、私が開発した、魔導手腕、で、です」

 

 何かを説明しようとした男は息を飲み込むように言葉を飲み込んだ。

 専門知識、それこそ男の独学による知識を多く含む説明を自慢げにひけらかす事を姫は良しとしないだろう。と男の経験からの判断だ。

 ヴィヴィアナは鉄製の腕に目を惹かれた。

 

「それは、動くの?」

「は、はい! 装着者と魔力線を直接繋ぎ自分の腕のように動かせます! 武装も詰め込む事が出来ますし、魔力鉄鋼によって硬度を上げながらも軽量化も図ってます。更にこの術式によって簡易的な魔法の行使も可能になってて」

「……動くのね」

 

 ヴィヴィアナの声に饒舌になっていた男の舌が引っ込む。地の底から這い出てきた美しい声に男は視線をヴィヴィアナから逸して、また口をモゴモゴと動かす。

 

「け、けれど、装着、には、痛みの伴う、手術を直接、その姫様に施さなければ、なりません」

「……アナタ、私に生きていたほしいのよね?」

「は、はい! でも、その」

「なら、生きてあげる。アナタの望むように、私は生きてあげる」

 

 瞳に光が灯る。淀んでいた瞳の奥で何かが燃え盛る。

 希望ではない。絶望ではない。それはヴィヴィアナにとって唯一の感情になった。

 全てを失った自分。突き落とされた自分。

 原因は何だ? 誰が悪い?

 

 

 男は大きな瞳を更に見開いて息を飲み込んだ。力の無い笑いしか浮かべなかった、それこそ死人のようなヴィヴィアナが蘇った。

 男の為ではない事など男自身が理解している。けれど、それでも愛しいヴィヴィアナが生きている。それだけで男は満足した。

 男は頭を下げる。成れもしない騎士の如く、亡国の姫の願いを叶える魔法使いになる為に。

 ただ願われた。それだけで男は満足であった。自分の成果を――生きてきた理由が使われる。

 

「私が――全てに復讐出来るまで」

 

 それが制限つきであったとしても。

 危険の多い未来であったとしても。

 姫の視界に自分が入っていなくとも。

 

 たった二人の反乱。全てを取り戻す為の、全てを奪う為の、全てを壊す為の反乱がゆっくりと始まった。

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