時間は少し戻る。
「大変な事になりました」
私はそう呟くと、少し歩調を遅めにして、クラブハウスの出口へと向かっていた。オレンジペコさんが歩調を合わせ、隣に並んだ。
「断っても良かったんですよ。ダージリン様も無理強いはお嫌いですし」
私は彼女のその言葉を耳に入れながら、立ち止まった。悲しいことに捻くれた自我が、その言葉を裏読みしてしまう。
「オレンジペコ様」
彼女に対する返答の声が、自分でも予想外に無感情になっていることに驚いた。私の思考がマイナス方向に沈んでいるのを察したのだろ。彼女は、柔らかい声色で、私が次の言葉を発する前に主導権を握る発言をする。
「同学年で同輩です。敬称はつけなくて良いですよ。ラミンさん。もしかしたら、そちらは戦車長なので私が様付けで呼ぶ必要があるかもしれませんね」
「私の方が新顔ですので、その必要は無いかと。オレンジペコさん。確かに、戦車と同じく後退は出来るでしょう。私は挑戦したいと思っています。なので、辞退はいたしません。幸運の女神の前髪に触れる機会を得たのです。できるだけ長く触れていたいと思います」
そう言って、癖毛の前髪を少しいじる。車長として、コメットに乗る時は姉からのプレゼントを使わせてもらおうと、脈絡もなく思った。
「では、努力しないといけませんね。私も微力ながらお手伝いいたしますよ」
そう言って彼女は微笑む、自然と私の表情も柔らかくなった。この辺りが人徳の差なのだろうか?
「よろしくお願いいたします。苦労を共にして下さる方が、最初から居てくれるのはうれしいことです」
「その代わり」
彼女は普段見せないであろう。小悪魔めいた笑顔で私に微笑みかける。
「私の苦労も共に背負ってもらいます」
「つまり、共犯者と言う事ですか」
「そう言う事です」
私たちはクスクスと笑いあった。
私は彼女と笑いながら、大切なことを聞き出すのを忘れていることに気が付いた。
「オレンジペコさん。戻ります」
私は彼女が聞き返す前に、走る寸前の速度で歩き出した。
「どうしたんですか」
「何をしていいかを聞くのを忘れました」
そう答える頃には、既に部屋の前にたどり着き、控えめなノックをしていた。
「どなたかしら」
「ラミンです。少し、お伺いたい事があり。戻りました」
「どうぞ」
「失礼します」
音を立てずに、部屋に滑り込み。扉を閉めながら室内を見渡す、室内にはダージリン先輩とアッサム先輩のみ、好都合だ。
あれ、ドアノブを握る手に強い圧力が…あ、オレンジペコさんを締め出してしまった。慌てて、力を抜き、扉から離れる。
「失礼します」
オレンジペコさんは、派手な音も、コミカルな入室演出もなく、静かに入出する。流石はノーブルシスターズ。私とは格が違う。
「それで、聞きたいこととは」
「その前に、これから礼儀を忘れてしまうと思うので、その点はご容赦ください」
私がそう言うと、ダージリン先輩は意外そうな顔をした。
「随分、切羽詰まっているように見えるけど、どうなさったの」
「私にとって、時間との戦争がはじまったのです。故に手段を選んでいる余裕がありません」
「随分物騒ですわね」
アッサム先輩が少し驚いた様に視線をこちらに向ける。
―よし、イニシアチブはこちらが取れた―
私は内心の喜びを隠しながら、徐々に余裕が失われていく様に演技しつつ続ける。
「要するに私には何が、どこまで許されて。それが何時まで許され続けるかを聞き忘れたのです」
私は目ざとく、室内にあったチェス盤を持ち出し、先輩方のテーブルに載せ、白のルークを手に取ると盤面を滑らせる。
「コメットをどれほど動かし、どれほど砲を撃ち。どれだけの予備部品を消耗させて良いか。人員は私が選別するのか、それとも先輩方が指名した人員を使うのか。また、それを何時までに終了させるか。その範囲をお聞きしたいのです」
私は尋ねる。戦車と言う存在は、所々に無理をしている精密部品の集合体であるから、手荒く扱うには整備が必須であり、そして潤沢な予備部品があるのが望ましい。それに、英国の車両は米国やソヴィエト・ロシアの工業製品よりは、機械的信頼性は低い。無論、ドイツ製の工業製品よりは信頼性は高いが。
現代の技術で作られているから、信頼性はWWⅡよりは上がっているが、本質的な無理は依然存在する。故に、どれほど動かしてよいかの確認が必要になる。試合で使えない状態になっては、乗員を訓練した意味がない。
「なるほど、さらに言えば。貴女は既に運用法を考えついていて。その方向性で許可を貰おうとしている」
ダージリン先輩は優雅にカップを置きながら、私に言う。
―そこまでお見通しですか。なら、これから先言いたいこと、予想済みですよね?―
私はそのような意思を持った視線を彼女に向けつつ、もう一つの白のルークを手に取り、先に盤面に置いた白のルークと並べる。
「えぇ、冷静に考えれば、コメットの運用法は、大きく分類すると三つしかありません。一つ目は、クロムウェルと同じ小隊に配置する。砲が強力で、砲塔の装甲が違いますが。極論すれば、コメットはクロムウェルのバリエーションでしかありません。ならば、同種の車両と組んで動かすのがセオリーです」
私はそこまで言うと、黒のポーンを手に取り、白のルークの片方を倒した。
「しかし、この場合、外見上の差異から、真っ先に撃破される可能性が高いです。また、砲が違うので、運用面で相互の利点を殺すことになる可能性があります」
立っている白のルークの横にキングを並べながら、話を続ける。
「二つ目は、隊長車、またはフラッグ車の直掩兼予備兵力。このケースでは運用はドイツの独立重戦車大隊のようになります。強力な砲力を活かせ、また、その機動力で火消し役になれる。言うなれば、ワーテルロー‐ウォータールーでも構いませんが―で、皇帝老近衛隊の突撃を止めた第52軽歩兵連隊的な役割です。しかし、欠点は、巡航戦車はどこまでも巡航戦車であり。ドイツ製の肉食獣の様な厚い皮膚は持ってない」
私はそこまで言うと、黒のクイーンを先頭にその後ろにキング、キングの左右にナイト、ルーク、ビショップでパンツァー・カイルに見えるものを作る。その前面に白のポーンを二列して横隊を作り上げ、その後ろにキングとクイーンを並べる。
「我が校の基本戦術は、要約すれば、戦列歩兵の歩兵戦車」
黒の陣形の横に白のナイトとビショップの楔形陣形を新たに置く。
「騎兵たる。巡航戦車の二つになります。コメットはこの騎兵に分類されますが、一両では突破力の足しにはなるでしょうが、相手に優先的に撃破されるでしょう。まぁ、敵の砲弾を消費させ、再照準の時間を作らせると言う効果がありますが」
私がそこまで言うと、ダージリン先輩は、私が第三案を言う前に口を開いた。
「貴女は第三案を現実的な案として考えている。察するに」
彼女はそこで言葉を区切り、倒れている白のルークを手に取り、黒の陣形の横と後ろの駒にルークを軽く触れ合わせて、黒の陣形の後ろに置いた。
「砲と装甲、そして機動力を活かした威力偵察。しかる後に後方攪乱」
「ご明察です」
やはり、これからは様付けで呼ぼうと内心で決意した。
「私も貴女と同程度の知能と知識は持っていますわ。それに、経験はそれ以上です」
彼女は不機嫌そうな顔でそう言うと、急に表情を変えた。一般的には笑顔とされる顔に。
「合格です。時間も私の予想より、幾分か早かったですわ。乗員は一年生の志願者から選別します。貴女の納得のメンバーを集めてください。コメットはそれまでは自由に動かしてかまいません。できれば、オーバーホールは一桁にして下されるとう嬉しいですわ」
「砲手と通信手の選別以外は、志願者の組み合わせを変えて、走り回ります。転輪のゴムがボロボロになるのと時間との競争ですが」
私は今まで試されていた事に対して思う事はあったが。より現実的な問題に対して、話すことに集中していた。
「何時までに、どれくらいの練度まで仕上げれば良いですか」
それが問題だった。ダージリン様が、車両の使用自由を許す理由は、素早く実践に投入可能な練度にする必要性があると言う事だ。
「来月の半ば、大洗との練習試合まで。あの合同エキシビションでは無いわ。日数にして、二八日。最低でも貴女の運用方針を最低限こなせる程度に。できで?」
戦車道履修者だから、必要最低限度の技量はある。後は、いかにチームとして完成させ、車両に適合させるかである。
「最善を尽くします。しかし、確約できるほど私は、自分を信頼していません」
現時点では、そう答えるのが私の限界だった。
「それで、結構ですわ。冷静に自分を評価できるのでしたら問題は無いでしょう。必要ならば助力しますし、助言もいたします。」
見れば、アッサム先輩もオレンジペコさんも肯いている。
私は良い先輩と同期に恵まれたらしい。
「では、乗員の選別は今日…いや、この時間ですと、明日からですね。今夜中に通達を出していただけると嬉しいのですが」
時計を素早く確認して、頼み込む。隊長からの通達であれば、戦車道履修者全員に間違いなく伝わる。
「かまいません。出しておきます。今日は帰って、ゆっくり休んで明日に備えてください。ペコ」
「はい」
「彼女を玄関までお送りして、そのまま帰っても構いません。同級生同士の交流も良いでしょう」
ダージリン様は、含みがありそうな笑顔を彼女に向けていた。
「わかりました。ラミンさん、しばらくお待ちください」
オレンジペコさんが急いで荷物を纏めている間に、私はダージリン様に姿勢を正して向かい合う。
「ありがとうございます」
私は深く頭を下げた。
「必要としている人間に必要とされるものを与えるのは、当然ですわ。お礼は、練成終了後まで、取っておいてください。貴女は貴方のなすべきことをしなさい」
「了解いたしました」
遂に、聖書の引用かと思いながら。私はオレンジペコさんを夕食に誘う算段を立てていた。
その夕食の場所で、思いがけない人物に遇うとは知らずに。
意外に早く、書き上げることができました。
やはり、勢いと言うのは重要な物なのかもしれません。
これにて、ダージリン様のラミンに対するテストは終わりです。
と言っても。戦車はまだ足しり出していませんので、これからもテストは何回もあるでしょう。
次も、可能な限り早く、書き上げるようにベストを尽くそうと思います。