贖罪のゼロ   作:KEROTA

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【バグズ2号計画概要】
・本計画は20世紀に実行された、火星の地球化計画――通称テラフォーミング計画の最終段階として実行されるものである。
・本計画は、宇宙船バグズ2号によって2599年に実行するものとする。
・バグズ2号の主任務は、大容量ゴキブリ駆除剤「マーズレッドPRO」による火星地表のゴキブリの駆除、及びゴキブリの死骸の回収である。
・上記以外に、火星における大気や土壌などの環境調査も任務内容とする。
・バグズ2号の乗組員は任務の速やかな進行のため、人体改造術式『バグズ手術』を受けることを義務付ける。
・バグズ2号艦長にドナテロ・K・デイヴスを、副艦長に張明明を任命する。
・2500年代以降に送られた無人探査機が全て連絡を絶っていることに留意し、細心の注意を払って任務を遂行すること。
                 (U-NASA・バグズ2号計画についての書類より抜粋)




第2話 ENCOUNT 出会い

 西暦2598年。

 その日、宇宙船バグズ2号の艦長であるドナテロ・K・デイヴスはU-NASAの研究施設の廊下を歩いていると、1人の少年が目に入った。

 

 小柄な少年だった。顔立ちは東洋人のそれに近いが、水色の瞳や小麦の様な黄金の髪など、所々に西洋人の特徴も備えている。

 彼は白い壁に背中を預け、床に座り込んでいた。視線は宙をぼんやりと見つめ、自分を見つめているドナテロの存在にも一向に気付く気配がない。

 

 ――こんなところに子供?

 

 ドナテロは、心の中で呟いた。彼が抱いた疑問は至極もっともなものであった。

 今現在彼がいる場所は、主にバグズ手術に関する研究が行われている区域だ。例えU-NASAの職員であっても、一般の職員は立ち入りが制限される重要区画である。そんな場所に、なぜ彼の様な少年がいるのか。

 

 彼のそんな疑問はしかし、少年の衣装を確認した途端に霧消した。その少年が着ていたのは、青単色のパジャマのような、あるいは手術着のような服。ドナテロはその服に見覚えがあった。なぜならその服は、かつてバグズ手術を受けた自分が目を覚ました時に着ていた、U-NASAの手術着にそっくりだったから。

 そして、ドナテロはそれを見て悟る。この少年はおそらく、バグズ手術の研究における何かの調査対象――あるいは実験台なのだと。

 

「そんなところで何をしているんだい?」

 

 気が付くとドナテロは、少年に歩み寄って声をかけていた。突然話しかけられた少年は我に返ると、いつのまにか自身の傍らに立っているドナテロを見上げた。少年は表情を崩すことなく――しかし不思議そうに、大きな水色の瞳を瞬かせた。

 

「だれ?」

 

「俺か? 俺はドナテロ・K・デイヴス。少年、君の名前は?」

 

 ドナテロは少年に名乗り、それから聞き返した。幼い彼を威圧しないよう、娘に話しかける時のような優しい口調を心がけて話しかける。

 その甲斐あってか、幸い少年は彼を怖がるような素振りはなかった。

 

「……イヴ」

 

 少しの間をおいてその少年――イヴが答える。

 ドナテロを警戒している様子はいないが、自分にいきなり声をかけてきた彼にイヴは少々戸惑っているようだった。

 

「イヴか、いい名前だ。それで、君はこんなところで何をしているんだい、イヴ?」

 

 ドナテロの言葉に、イヴは首を横に振った。

 

「何もしてないよ。何も、することがないの」

 

 イヴはドナテロから視線を外すと、再び目の前の何もない空間を漠然と眺めた。

 

「いまは、お休みの時間だけど……ボク、何をしていいのか分からない。だからいつも、ここでこうしてるんだ」

 

 イヴはそう言うと、それっきり黙りこくった。表情は浮かんでいなかったが、その顔はどこか達観的で、そして寂しげであった。その様子を見たドナテロの胸は、締め付けられるように痛んだ。

 

 見たところ、イヴの年齢は大体7歳前後。自分が彼と同じくらいの年齢の時には、友人たちと学校へ行き、日が暮れるまで遊びまわり、宇宙飛行士という将来の夢に思いを馳せていた。

 今となってはおぼろげな記憶だが、その頃の自分が浮かべていたのは紛れもなく、無邪気で明るい笑顔であったはずだ。

 

 それにも関わらず、かつての自分と同じくらいの年の子供が、こんなに空虚な表情をしている。その事実が、ドナテロの心に重くのしかかった。

 

 

 その時ドナテロを突き動かしたのは罪悪感か、同情心か、それとも優しさか。

 

 

「……良かったら少し話し相手になってくれないか、イヴ?」

 

 気が付くとドナテロは、イヴに向かってそう言っていた。

 

「へっ?」

 

 間の抜けた声を上げたイヴの隣に、ドナテロはスーツ姿のまま腰を下ろす。そんな彼の顔を見上げて、イヴは心なしか不安そうな声色で言った。

 

「でも、お仕事とかあるんじゃ……」

 

「今日の仕事はもう終ったから、俺もこのあとは時間があるんだ。それで、どうだい? 君さえ良ければ、俺の暇つぶしに付き合ってくれ」

 

 ドナテロは自らを見上げる水色の瞳に笑いかけた。そんな彼にイヴが迷いながらもコクリと頷くと、ドナテロは話を切り離した。

 

「そうだな……ウチの艦に小町小吉というクルーがいるんだが――」

 

 イヴは、ドナテロの話に耳を傾けた。最初こそどこか落ち着かない様子だったイヴだが、10分程経った時には興味深そうにドナテロに聞き入っていた。ドナテロの方に身を乗り出すイヴの瞳には微かに、好奇心の光が輝いているように思われた。

 

「それで、どうなったの?」

 

「ああ、結局その時はな――」

 

 しかし、その日はここで時間切れとなる。

 

「お、いたいた。イヴ、次の実験だよ」

 

「あ、先生」

 

 1人の科学者が、イヴを迎えに来たのだ。その科学者の、男性にも女性にも見えるその科学者の中性的な姿に、ドナテロは見覚えがあった。

 

「クロード博士?」

 

「おっと、これはデイヴス艦長。意外なところで会いましたね」

 

 クロードと呼ばれたその科学者は、人当たりのいい笑みをドナテロに向けた。西洋人には比較的珍しい、切りそろえられた黒髪が微かに揺れる。

 

「先生、ドナテロさんと知り合いなの?」

 

「ああ、研究がらみでね。色々とお世話になってるんだ」

 

 クロードはそう言って、イヴの頭を撫でた。

 

「先に行って始めておいて。私は少しデイヴス艦長と話をしてから行くよ」

 

「わかった」

 

 イヴは頷くと歩き出そうとし――慌ててドナテロの方に向き直った。

 

「ドナテロさん、一緒にお話ししてくれてありがとう。すごく楽しかった」

 

 そう言ってイヴは微かに、照れくさそうにほほ笑む。この時初めて、彼の無表情の仮面が崩れた。

 

 ――なんだ、子供らしい表情も作れるんじゃないか。

 

 そんな感想を抱きながら、釣られてドナテロも微笑みを浮かべた。

 

「どういたしまして。頑張れよ」

 

 ドナテロがたくましい手を振るとイヴは頷き、それから控えめに手を振り返す。それから2人に背を向けると、イヴは廊下を歩いていく。イヴの後ろ姿が角の向こうに消えるまで、ドナテロは手を振り続けた。

 

「ははは、あんなに楽しそうなイヴは初めてだ。デイヴス艦長、彼に何の話をしていたんです?」

 

「なに、クルーの話を少しな……それよりも」

 

 ドナテロは手を下ろすと、クロードに向き直る。その顔には、先ほどまでの優しい表情とは打って変わって、険しさが刻まれていた。

 

「なぜ貴方が彼に関わっている? バグズ手術研究総合主任――クロード・ヴァレンシュタイン博士」

 

 ――クロード・ヴァレンシュタイン。

 

 その名はU-NASAの職員ならば、誰でも知っているだろう。

 彼はU-NASAにおける『バグズ手術』の総合主任。バグズ2号計画の最高責任者であるアレクサンドル・グスタフ・ニュートンの右腕とまで称される人物だからだ。

 

 2598年現在、バグズ手術の成功率は35%にまで上昇している。

 僅か7年前までは30%だった手術の成功率を5%も引き上げたのは他でもない、クロードであった。

 前任のネイト・サーマン博士をも凌ぐ実力で瞬く間に総合主任の座にまで上り詰めた彼は、U-NASAに在籍する研究者の中でもずば抜けて優秀な人材だ。

 

 それを知っているからこそ、ドナテロは懸念を覚えた。

 

 クロード自らが研究の指揮をとっているということはつまりあの少年――イヴは、それだけバグズ手術において、重要度が高い研究対象であるということだから。

 

「……残念ながら、その問いにお答えすることはできません。機密事項なので」

 

 クロードの返答に、ドナテロの目の険しさが増す。その表情には、幼いイヴを過酷な実験に参加させていることへの非難が浮かんでいた。

 クロードはそれを悟り、居心地悪そうにドナテロから目を逸らす。

 

「心中はお察ししますし、私も貴方には同意見ですが……例え我々が抗議したとしても、上層部は我々を外して研究を続行するでしょう。それだけ彼はこの分野において貴重な存在なんです」

 

 ならばせめて私の目の届く範囲で、可能な限り彼に配慮した研究を進めるのが最善でしょう?

 

 クロードのその言葉に、ドナテロは閉口するしかなかった。

 有史以来、人類と共に科学技術は刻々と発展を繰り返した。しかし、新技術と銘打った華々しい進化の結晶の影には、常に何らかの犠牲が付き添う。

 

 あるいは、ドナテロが割り切ってしまえれば良かったのかもしれない。

 

 バグズ手術という名の新技術にとってその犠牲とは、ドナテロの様なバグズ2号のクルーや、施術に失敗して死んでいった名前も知らない被験者たち、あるいは先ほどまでのイヴなのだと。

 人類史の裏に積み上げられた数えきれない被害者の一人にすぎないのだから、気にすることはないのだと。

 だが、ドナテロはそう考えることはできなかった。

 バグズ2号の長として、一児の父として、そして何より――1人の人間として。

 

 2人の間に、重苦しい沈黙が流れる。

 

「――デイヴス艦長、一つ私からお願いがあるんですが」

 

 長い静寂を破ってクロードはそう言うと、ドナテロに近づいて彼に耳打ちした。

 

「時間があるときで構いませんが――またここに来て、イヴの話し相手になってやってくれませんか?」

 

「! いいのか?」

 

 ドナテロの疑問にクロードは「勿論」と頷くと、若干おどけたような口調で続ける。

 

「彼は実験動物(モルモット)ではなく、あくまで実験協力者(にんげん)ですから。我々は極力、彼に報いなくてはならないんですよ。丁度対人交流のデータも欲しかったので、一石二鳥です。それに――」

 

 そこでクロードは一度言葉をきり、どこか照れくさそうに人差し指で頬を掻いた。

 

「――年相応の表情をあの子が見せたのは、本当に久しぶりでした。個人的に、あの子の笑顔をもっと見たいんですよ。私たちは彼をこの環境から救ってあげることはできないけれど、環境を改善してあげることはできる。あの子のためにできることをしていくのが、個人として――あるいは、研究者として責任だと私は思うんです」

 

 そう言って、クロードはふわりと表情を和らげた。

 

「お願いできますか、デイヴス艦長」

 

「そういうことなら、是非」

 

 ドナテロは、そんなクロードの申し出を引き受けた。その顔から、幾分か険しさを引かせながら。

 

 

 

 

 

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 その日からドナテロは仕事の合間を縫ってイヴに会いに行った。彼の話し相手となり、ドナテロはいろいろな話をした。

 それはバグズ2号のクルーの笑い話だったり、自分の娘の自慢話だったり、昔の自分の思い出話だったり。ドナテロがどんな話をしても、イヴは楽しそうに彼の話を聞くのだった。

 最初のうちのぎこちなさは何度も会って話をしていくうちに打ち解けていき、いつしかイヴはドナテロに自然な笑いを向けるようになっていた。

 

 

 ――時間が過ぎるのは早いもので。

 

 

 そうして日々を過ごすうちにいつしか春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が過ぎ、そして年が明けた。

 

 

 ――西暦2599年。

 

 

 バグズ2号計画実行の日が近づいていた。

 

 

 

 

 

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「おっと、そろそろ時間か。イヴ、今日はここまでだ」

 

 バグズ2号計画の実行をいよいよ二週間後に控えたその日。腕時計で時間を確認したドナテロは、イヴの隣から腰を上げた。

 イヴは座ったまま、名残惜しそうにドナテロを見上げる。

 

「もう行っちゃうの?」

 

「すまないな、この後は計画の打ち合わせがあるんだ」

 

 申し訳なさそうなドナテロに、イヴは首を振った。

 彼は聡明な子供だった。分別の良さでも、知識量でも、少なくとも同年代の子供たちよりは遥かに賢かった。ドナテロが多忙な人間であることは、もうずいぶん前から知っている。

 だからイヴは、だだをこねるような真似はしなかった。

 

「ドナテロさん、次はいつ会える?」

 

 イヴの問いに、ドナテロは顎に指をあてて考え込む。

 二週間後にいよいよ始動するバグズ2号計画。その打ち合わせや最終調整のため、この日以降ドナテロに空き時間はなかった。

 

「そうだな……地球と火星はバグズ2号で往復すると大体80日。任務も大体2ヶ月くらいかかるだろうから……大体、半年後くらいか」

 

「分かった。ドナテロさん、気をつけてね」

 

 不安そうにそう言ったイヴの頭を、ドナテロが少し乱暴に撫でた。金色の髪をくしゃくしゃと撫でる大きな掌の感触が、イヴの心の中の不安をぬぐい去っていく。

 

「当たり前だ。帰ってきたら火星での土産話を聞かせるから、それまで元気でいるんだぞ?」

 

「……うん!」

 

 大きく頷いてイヴは花のような笑顔をドナテロに向けた。

 この一年で随分イヴも変わった、とドナテロは思う。最初の頃は仮面をつけているかのように無表情だったイヴが、今ではこんなにも喜怒哀楽を顔に出すようになっている。出発前に彼が『人間らしさ』を取り戻したことが、ドナテロにとっては嬉しかった。

 

 できることなら彼ともっといたいが、打ち合わせの時間が迫っていた。イヴの頭をもう一度撫で、彼に手を振るとドナテロは去っていった。

 初めて2人が出会った時とは対照的に、ドナテロの後ろ姿をイヴは手を振りながら見送る。やがて彼の姿が見えなくなると、イヴはゆっくりと手を下ろした。

 

 まだ休憩時間中であるためか、クロードの迎えはまだ来ていない。普段ならばここで待つところだが、イヴは実験室へ向かおうと考えた。

 

「ドナテロさんが頑張ってるんだ。それなら、ボクも頑張らなくちゃ」

 

 口に出して言ったことで、その思いはなおも強まった。実験室に向かうため、イヴはクルリと踵を返した。

 

 

 

「こんにちは、EVE(イヴ)くん」

 

 

 

 その途端、イヴの視界に1人の人物が映りこんだ。その正体にイヴの目がギョッとしたように見開かれる。

 

「っ、ニュートンさん!?」

 

 いつの間にかイヴの背後に立っていたのは、アレクサンドル・グスタフ・ニュートンであった。彼は口に咥えた葉巻を吸いながら、イヴを見下ろしていた。

 

「えっと、どうしてこんなところに? 先生に何かご用事?」

 

 恐怖を押し殺し、イヴがニュートンに聞く。ニュートンには数回会ったことがある程度だが、イヴは彼のことが苦手だった。全てを見透かそうとしているかのような彼の目は、イヴの胸の奥で恐怖心を掻き立てるのだ。

 

「いや何、少し散歩をしていただけだ。老人は運動不足になりがちなのでね」

 

 そう言って、ニュートンはしわの刻まれた顔に笑みを浮かべた。ドナテロのそれと違い、見ているものを威圧するような笑みに、イヴは身をすくませた。

 

「それよりもいいのかね、EVE(イヴ)くん?」

 

「……何がですか?」

 

 ザラザラとした何かが自分の中に渦巻くのを感じながら、イヴはニュートンに聞き返す。虫の知らせとでも言えばいいのか、何か不吉な予感がイヴの脳内の警鐘を鳴らしていた。

 

「なに、実に簡単な話だ」

 

 ニュートンはそう前置きして、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

「このままバグズ2号が火星へと発った場合、ドナテロ・K・デイヴス艦長は死ぬぞ?

 それを放っておいて、いいのかね?」

 

 

 

 

 

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 ――――――――――

 

 

 

 

 

 それから二週間後の、西暦2599年2月18日。

 宇宙船バグズ2号は15名のクルーを乗せて、火星へと発った。U-NASA内でも、職員たちがバグズ2号の打ち上げ成功に歓声を上げ、同時にテラフォーミング計画の完了が間近であることを予感した。

 誰もが、世紀を跨いだ大計画の成就を、夢に見ていた。

 

 だからこそ、彼らのほとんどは気づけなかった。U-NASAの内部にたった一つ、しかし決定的な変化が起きたことに。

 ごく一部の例外を除き、U-NASAから一人の少年が姿を消したことに気付いていたものは、誰もいなかった。

 




 閲覧していただき、ありがとうございました。
 
 なお、バグズ2号の打ち上げ期日は単行本やファンブックにも載ってなかったので、一巻の小吉のセリフ『ちょうど今ごろ桜の咲いている』から逆算して決めました。

 原作で明言されたり、確認ミスが発覚したりした場合には修正します。

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