贖罪のゼロ   作:KEROTA

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【バグズ2号計画結果報告】
・乗組員16名(※このうち1人は非正規の乗組員である)の内、生存者は15名、行方不明者は1名である。
・火星における任務であるゴキブリの駆除は、ゴキブリが進化して生まれた『テラフォーマー』により失敗。ただし、死骸の回収は完了しているため、サンプルの確保自体は成功。
・水質や土壌などの環境調査も完了しており、このことから本計画における目的は概ね達成されたものとして処理する。
・ゴキブリの進化種である『テラフォーマー』についての詳細な説明は、別項において行う。

(U-NASA・バグズ2号計画についての書類より抜粋)




第24話 SIN 罪

 

 

 

 ――それは、(イヴ)にとっての過去の記憶。

 

 

 

『イヴおにいちゃん、かせーってどこにあるの?』

 

『火星? えっとね……』

 

 モニターの向こう側、デイヴス夫人の膝上に抱えられたミッシェルからの質問に、イヴはどう答えたものかと思案する。

 

『……あ、そうだ。ミッシェルちゃん、今お空にお星さまは見えてる?』

 

『みえるよー!』

 

『それじゃあ、窓からお空を見て、緑のお星さまを探してみて?』

 

 わかった! とミッシェルは元気に言うと母親の膝を下り、トテトテと背後の窓まで駆けていく。閉まっていたカーテンの向こう側に小さな体を潜り込ませると、彼女は微笑まし気にデイヴス夫人に見守られながら、「緑のお星さま」を探し始めた。

 

 ミッシェルがいるカリフォルニアの現地時刻は、夜の八時。幸いにして彼女が住んでいるのは郊外で街明かりも多くはないだろうし、この様子ならば空に輝く火星を見つけることができるだろう

 

『うーんと……あ、あったぁ!』

 

 2分ほど空と睨めっこしていたミッシェルは歓声を上げると、カーテンと窓の隙間から飛び出し、嬉々としてイヴの映るモニターへと駆けていく。

 

『イヴお兄ちゃーん! みどりのおほしさま、あった!』

 

『あった? それが火星。ボクとドナテロさん――ミッシェルちゃんのパパが行くところだよ』

 

『きれー! だけど……ちっちゃいんだね』

 

 幼く無邪気なミッシェルの言葉に、イヴは思わず笑みを浮かべた。

 

『あはは、遠くにあるからそう見えるだけだよ。本当は、とっても大きいんだ』

 

 その言葉に、ミッシェルが目を大きく見開いた。

 

『みっしぇるよりもおっきいの? イヴおにいちゃんよりも、ぱぱよりも、みっしぇるのおうちよりも?』

 

『そうだね。もっともっと……ずっと、大きい』

 

 イヴが頷くと、ミッシェルが目を輝かせた。

 

『すごい、みっしぇるもいってみたい! イヴおにいちゃん、みっしぇるもいく!』

 

『え、あー……そ、それはその……ちょっと難しい、かも?』

 

 目の前のミッシェルが実際に火星へと行くことを想定してしまい、思わずイヴが真面目に答える。すると案の定、ミッシェルは途端に機嫌を崩し、その頬を膨らませた。

 

『パパとイヴおにいちゃんばっかりずるい! みっしぇるもかせーにいくー!』

 

『うわわ、えっと、えっと……!』

 

 案の定、駄々をこね始めたミッシェルに、イヴが狼狽する。デイヴス夫人が慌てて諭しているが、ミッシェルはあまり聞く耳持たないようだ。

 

 地球にいる間、イヴはクロードによって心理学から生物学まで様々な知識を教え込まれていたが、当然ながらその中にわがままを言う子供を言いくるめる方法などあるはずもない。

 そもそも出発して何日も経っているから戻れないとか、火星にはテラフォーマーがいて非常に危険だから、などと言っても理解してはくれないだろう(そもそも後者については、乗組員たちに守秘義務が課せられているため、幼児相手とはいえ口外はできないのだが)。

 

『みっしぇるもいく! かせーにいって……』

 

 そこまで言ってミッシェルは、ふと寂し気な表情を浮かべた。

 

『……ぱぱに、あいたい』

 

『あ……』

 

 その言葉に、イヴやデイヴス夫人が思わず黙り込む。私用でバグズ2号のモニターを使う行為は禁止されており、この通信は本来ならば違法行為なのだ。当然、ドナテロもそうおいそれと通信をすることはできず、またできたとしても長い間話していることはできない。

 

 そんな状態が何日も何週間も続けば、それは寂しいだろう。まだ幼いミッシェルならば、それはなおさらのはずだ。

 

『あ、そうだ! じゃあミッシェルちゃん、こうしよう!』

 

 イヴは閃いたとばかりに、ぷりぷりと怒るミッシェルに言った。

 

『この任務が終わったら……ボクとドナテロさんが帰ったら、ミッシェルちゃんに火星のこと、色々教えてあげるよ!』

 

 その言葉に興味を引かれたのか、ミッシェルは駄々をこねるのを止めてじっとイヴのことを見つめた。内心でほっと息を吐きながら、イヴは言葉を続ける。

 

『ボクとミッシェルちゃんのパパが、火星で起こった色んなこと、お話ししてあげる! それでミッシェルちゃんが火星に詳しくなって……そう、火星博士になったら、またみんなで火星に行こう!』

 

 イヴがそう言うと、ミッシェルはおずおずとモニターを見つめた。

 

『……ぜったいにいってくれる?』

 

『うん、ミッシェルちゃんがいい子で待ってたらね』

 

『いろんなおはなししてくれる?』

 

『もちろん! ドナテロさんと一緒に色んなお話をしてあげる!』

 

『……わかった』

 

 ミッシェルは頷くと、『でも』と言ってイヴのことをじっと見つめた。

 

『ぜったい、ぜったいだからね! ぜったいパパと一緒に、みっしぇるもかせーにいく!』

 

『そうだね。うん、約束するよ』

 

 イヴは頷くと、スゥと息を吸い込んだ。

 

『――()()()()()()()()()()()()()()()()()。だから……もうちょっとだけ、待っててね』

 

 そう言って自らを見つめる親子に向かってほほ笑む過去の自分を、ぼんやりとイヴは眺めていた。

 

 この時の自分は、まだ知らない。自分達に襲い来る数多の脅威と、その先に訪れる残酷な結末を。この約束が永遠に果たせなくなることなど――知る由もないのだ。

 

 だから、こんなにも無責任なことが言える。こんなにも無邪気に、未来を信じられる。それが今のイヴにとっては羨ましく、苛立たしかった。

 

 ――20世紀、ある独裁者は言った。

 

『1人の死は悲劇だが、集団の死は統計上の数字に過ぎない』

 

 と。

 

 もしも自分が彼らを助けようとしなければ、こんなにも苦しまないで済んだのだろうか? 大切な友人の死を、統計上の数字として受け入れることができたのだろうか?

 

 いや、そうではない。きっと、そうではないのだ。その時もやはり自分は悲しみ、苦しむのだろう。きっとあの時のように泣きじゃくり、慟哭し――悔やみ苦しむのだろう。

 

 だが、これほどまでに無力感に苛まれることはなかったはずだ。

 

 

 ――助けられた、助けられたはずなのに。

 

 

 もしもあの時ああしていれば、もっと自分に力があれば。後悔と自責の念が、少年の心にドロリと溜まる。誰かを恨むつもりはない、誰かを責めるつもりもない。恨めしく、呪わしいのは――無力な己自身。初めての友人を助けることができなかった自分が、殺したいほどに憎ましい。

 

 楽し気な過去の自分をやるせなく見つめるイヴの耳に、自分の声がこだまする。

 

 それは、あの日から一度たりとも消えたことのない幻聴。

 

 ――例え船が凶星を離れ、母星に帰還しようとも。

 

 ――どれだけ温かい言葉を掛けられようとも。

 

 ――どれだけ後悔と自責を重ねようとも。

 

 胸の奥にはそれが薄れることなく取り憑いて、離れない。悔やんでも悔やみきれない思いが、悪魔のように囁き続け、彼の心を掻きむしり続けるのだ。

 

 

 

 ――ああ、お前(ボク)は、なんて罪深いのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

「……ヴ……イヴっ!」

 

 自らの名前を呼ぶ声に、イヴの意識が現実へと浮上する。それと同時に彼の視界は急速にクリアになり、前の座席から心配そうに自分の顔を覗きこむミンミンの顔を認識した。

 

「あれ、ミンミンさん……?」

 

「大丈夫か? 随分うなされていたようだが……」

 

 どうやら気が付かないうちにうたた寝をして、ミンミンに心配をかけていたらしい。それに気づき、イヴは慌てて首を横に振った。

 

「大丈夫。その……ちょっと、怖い夢を見てただけだから」

 

 自分の体調を案じる彼女にそう言うと、イヴは追及を避けるように、窓の外に見える()()()()()()()()()()()()()()。直に見るのは初めてであるはずの、『U-NASA』の外にある景色。けれどそれを見ても、イヴの心が躍ることはなかった。

 

 

 

 ――西暦2599年6月18日。

 

 

 

 ――ドナテロ・K・デイヴスの遺族に彼の最期について説明をする機会が設けられたのは、火星での激闘を終えてから数カ月が経ってからのことだった。

 

 乗組員に対する聞き取り調査、テラフォーマーの対策会議、バグズ手術の事後経過観察。それら全てから解放されてから、彼らはやっとドナテロの家を訪ねることを許された。

 

 ドナテロの家があるのは、カリフォルニア郊外。舗装された道路を走る車に乗っているのは同行を強く希望したイヴとバグズ2号副艦長であるミンミン、そして――。

 

 

「イヴ。体調が優れないのなら、無理をしなくてもいいんだよ?」

 

 

 ――クロード・ヴァレンシュタイン。

 

 イヴの隣の座席に腰掛けていた彼もまた、イヴを気遣うように口を開いた。

 

「君は生い立ちこそ特殊だが、立場はあくまでバグズ2号の乗組員だ。だからイヴ、君が今回の説明についてくる必要はない。辛いなら、車の中で待っていたっていいんだ」

 

 ――当初、説明にはミンミンとクロードのみが出向く予定だった。

 

 ミンミンはバグズ2号の副艦長として、クロードはバグズ2号計画の総責任者たるニュートンの代理人として、それぞれ説明責任があったためだ。

 

 だが、イヴは違う。彼には立場上、これといった責任はなく、責務もない。だからこそ同行の必要はないのだが――それでもイヴは同行を申し出た。

 

「ううん。本当に平気だから、大丈夫だよ」

 

 ――それに。

 

 と言ってイヴは窓の景色から視線を車内へと戻すと、クロードを見上げた。揺れるその目は、しかしそれでも真っすぐに、クロードのことを見つめている。

 

「どうしても行ってみたいんだ。ドナテロさんが、暮らしてた家に」

 

「そうか」

 

 その言葉にクロードは頷き、イヴの頭を優しく撫でた。イヴは少しだけそれに目を細めると、また窓の外を流れていく街並みへと視線を戻す。その様子を座席越しに伺い、ミンミンは静かに息を吐いた。

 

(――あれから、3カ月)

 

 ミンミンが心の中で呟いたのは、火星を発ってから現在に至るまでに経過した時間。それは通常ならば、1人の人間の死を受け入れるのには十分な期間であったといえるだろう。だが――。

 

()()()()()()()調()()()

 

 ――ドナテロの死は、未だにイヴの心に大きな傷跡を残していた。

 

 一見しただけならば、今のイヴはドナテロの死から立ち直り、以前の彼と何ら変わりなく振る舞っているように映るだろう。

 

 だが、ふとした瞬間に見せる沈痛な表情や、毎夜の如くうなされる姿を知っていれば、イヴが立ち直ったなどとは口が裂けても言えない。

 

 

 

『ボクのせいだ』

 

 

 

 それはあの日、涙も声も枯れ果てたイヴが絞り出すように漏らした第一声。そこから、イヴは更に言葉を続けた。

 

『ボクがあの時、無理にでも地球に帰らせていれば』

 

『ボクがあの時、もっとたくさんのテラフォーマーを倒せていたら』

 

『ボクに、もっと力があれば』

 

 重苦しい沈黙の中で響き続けるのは、自らを引き留めたミンミン達への恨み言ではなく、裏切った一郎たちの糾弾でもなく――懺悔と後悔の言葉。見かねた小吉が静止の声を挙げるまで、彼は壊れたラジオのように自分を責め続けた。

 

 そしてそれは、今なお続いている。

 

 ミンミンを始めとしたバグズ2号の乗組員たちは皆それに気付きながら、しかし見守ることしかできない。自分達が例えどんな言葉をかけようとも、イヴの心を真に癒すことはできないだろうことを、知っていたから。

 

(今回のこれが、イヴにとって、前に進むための契機になればいいが)

 

 ミンミンはもう一度、深く息を吐いた。苦しみ続ける1人の少年に手を差し伸べることすらできない自分に、どうしようもないやるせなさを感じながら。

 

 

 ※※※

 

 

 ――彼らの乗る車が、木でできた一軒家の前で停車したのは、それから更に十分ほど経ってからのことだった。

 

「……着いたな」

 

 シートベルトを外しながらミンミンは呟くと、車のドアを開けてアスファルトの上へと降り立った。彼女にならってイヴも車を降り、目に飛び込んできた景色に思わず息を呑んだ。

 

「ここが、ドナテロさんの……」

 

 イヴは目の前に佇む家を見上げた。2階建ての木製の家は午後の西日を浴び、その影をイヴ達へと伸ばしている。敷地内に敷き詰められた芝生がそよ風に吹かれ、ほのかな草な香りがイヴの鼻腔をくすぐった。

 

「行くぞ、イヴ」

 

 ビジネススーツに身を包んだミンミンとクロードが歩き出し、それを見たイヴが慌ててあとに続く。足を踏み出す度、石畳がコツコツと音を立てた。一歩、また一歩家へと近づくたびに、心臓がうるさく胸を叩く。やがて玄関の扉の前に立ったイヴの顔は目に見えて強張っていた。

 

 クロードが扉の脇に取り付けられたインターホンを押すと、来客を告げる軽快な電子音が響き渡った。一瞬だけ周囲がシンと静まり返り、直後、家の中からこちらへと近づいてくる足音が聞こえてくる。

 今すぐこの場から逃げ出したいという恐怖を押さえつけ、イヴは俯きながらじっとその場に立ち続けた。

 

 間もなく玄関の扉が音を立てて開き、その中から金髪の若い女性――デイヴス夫人が顔を出した。イヴの目に映った彼女の姿は、記憶の中のものよりも少しだけやつれたように見える。

 

「お初にお目にかかります、デイヴスさん。U-NASAのクロード・ヴァレンシュタインと申します。こちらはバグズ2号の副艦長である張明明と、乗組員のイヴ。本日は旦那様の件で伺わせていただきました」

 

 一行を代表して、クロードが名乗る。その言葉を聞くと、デイヴス夫人は痩せた顔に笑みを浮かべ、口を開いた。

 

「お待ちしてましたクロードさん、ミンミンさん。遠いところをわざわざお越しいただき、ありがとうございます」

 

 そう言うとデイヴス夫人は膝を折ってしゃがみ、俯くイヴの顔を覗き込んだ。

 

「直接会うのは初めてね、イヴ君」

 

 その言葉に、イヴが体を竦ませた。自分はこれから、何を言われるのだろうか。呪いの言葉だろうか、怒りの言葉だろうか? 

 

 呼吸が浅くなり、恐怖と不安で胸が締め付けられるように痛む。だが、例えどんな罵詈雑言を浴びせられようとも、自分はそれを甘んじて受けなくてはならない。ドナテロを救えなかった罪は、己にあるのだから。

 

 けれど彼女の口から告げられたのは、イヴを責めるものでもなければ、呪うものでもなく。

 

 

 

「いつも娘の話し相手になってくれて、ありがとう」

 

 

 

 何のことはない、ごくごくありふれた感謝の言葉だった。

 

 

 

 思ってもみなかった一言に驚くイヴにもう一度微笑みかけると、デイヴス夫人はゆっくりと立ち上がった。

 

「どうぞ上がってください。中でお話を伺わせていただきます」

 

 そう言ってデイヴス夫人は、3人をダイニングルームへと案内した。長机の周りにぐるりと置かれた木の椅子にイヴ達を座らせ、自身はキッチンへと向かった。

 

「イヴ君は、紅茶に砂糖とミルクは入れる人かしら?」

 

「ふぇ? あ、えっと……ストレート、で大丈夫……です」

 

 予想だにしていなかった質問に、イヴがたどたどしく答える。デイヴス夫人は「趣味は大人なのね」と笑いながら、クロードとミンミンにも同じように希望をとる。間もなく彼女は、人数分のティーカップを乗せたトレイを持って戻ってきた。

 

「お口に合うかは分かりませんけど、どうぞ」

 

 デイヴス夫人の言葉を受け、ミンミンやクロードが礼を言ってカップを受け取る。同じように礼を言ってイヴもカップをもらうと、そっと口をつけて中の紅茶を口に含む。ふんわりとした紅茶の香りが、口の中に広がった。

 

「あ、美味しい……!」

 

「あら、ありがとう。まだ紅茶を入れるのは練習中だから心配だったけど、大丈夫そうね」

 

 思わず目を丸くして驚くイヴに、デイヴス夫人がほほ笑んだ。

 

「どう、イヴ君。実際にウチに来てみた感想は? くつろげてるといいんだけど」

 

 対面からの問いかけに、イヴはカップの淵から離した口を開いた。

 

「……あったかい、です」

 

 無言で続きを促すデイヴス夫人に対して、イヴの口は自分でも驚くほど軽やかに言葉を連ねていく。

 

「木のテーブルの手触りとか、ミントの柔軟剤の匂いとか……どれも、ボクにとって初めてのものなのに、懐かしいような不思議な感じがして。その……すごく、居心地がいいです」

 

「ありがとう……そう言ってくれて、嬉しいわ。自分の家だと思って、肩の力を抜いてね」

 

 デイヴス夫人の言葉に、イヴの強張っていた表情が和らいでいく。長く見せることのなかったイヴのその顔にミンミンが驚き、クロードはほっと胸を撫でおろした。

 

「あ、あの……デイヴスさん。ミッシェルちゃんは?」

 

 イヴが恐る恐る、といった様子でデイヴス夫人に聞く。途端、デイヴス夫人は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。

 

「あら、ミッシェルのことが気になるの?」

 

「そ、そうだけど、そういう意味じゃなくて……」

 

 困ったように両手を振るイヴに、デイヴス夫人は「冗談よ」と言いながら、3人の正面に腰かけた。

 

「ミッシェルは寝ているわ。丁度、お昼寝の時間でね。ちょっと前までは「イヴ君が来るから」って、頑張って起きてたんだけど……」

 

 ――やっぱり、直接会いたい?

 

 そんなデイヴス夫人の問いに、イヴは少しだけ考え込み――ゆっくりと、首を横に振った。

 

「会いたいよ。だけど、今はダメ。これはボクのワガママだけど……これからする話は、ミッシェルちゃんに聞かせたくないから」

 

 イヴの答えをある程度想定していたのか、デイヴス夫人は驚いた様子もなくただ静かに頷く。それからカップの中の紅茶を一口啜ると、クロードとミンミンに向き直った。

 

「お待たせして申し訳ありませんでした。話しにくいかもしれませんが――主人のこと、聞かせていただけますか?」

 

「……わかりました」

 

 デイヴス夫人に肯定の言葉を返し、それからミンミンはドナテロの最期を話し始めた。

 

 

 テラフォーマーについての情報は、事前にU-NASAから口止めされているため、彼女がデイヴス夫人に伝えるドナテロの死の経緯自体は偽りのものだ。

 

 しかしそれでも、彼女はドナテロが人類のために危険な任務に臨んだこと、命を懸けて自分達を守ったことなど、彼の最期を嘘偽りなく伝えていく。

 

 彼の魂の在り方を、その想いを、知るべき人に知ってもらうために。

 

「――我々からお伝えできることは、以上になります」

 

 彼女がそう言って話を終えたのは、時計の長針が一周し終えた頃だった。カップの中の紅茶はいつの間にか冷めており、窓から見える空は既に朱色に染まっている。

 

「申し訳ありません、私たちの力が及ばず……」

 

「いえ……どうか、そんな風には思わないでください」

 

 頭を下げたミンミンの謝罪を、デイヴス夫人が遮る。目尻には涙を湛えているが、その言葉は震えていなかった。

 

「あの人はいつも皆さんのこと、本当に楽しそうに話していたんです。最後に皆さんを守りきれたのなら、きっと主人は本望だったはず」

 

 デイヴス夫人は目元をハンカチで拭うと、それから3人――特に、イヴに向かってほほ笑んだ。

 

 その言葉はまるで自分の考えを見透かしているかのようで、イヴの心臓が大きく跳ねた。

 

「あの人はきっと、皆さんが自分の死を悔やむことは望んでいません。だからどうか、気に病まないでください。あなた達が幸せになることが――死んでしまった主人が、何よりも望んだことのはずですから」

 

 デイヴス夫人の言葉はふわりとイヴの心に舞い降り、その胸の傷を優しく癒す。

 

 

 ――それは、彼にとっての救いの言葉。

 

 

 大切な人を見殺しにしたという、罪の意識。デイヴス夫人の言葉は、イヴの心にべったりとこびりついた罪悪感の闇の中へ、一筋の光明となって差し込んだ。

 

 胸のつかえがとれたような、心が軽くなったような。安堵にも似た温かい感情で、イヴの心が満たされていく。そんなイヴの雰囲気に気が付いたのか、デイヴス夫人は空気を切り替えるように、明るい声を出した。

 

「さて、イヴ君! お話ししてる間に遅くなっちゃったし、お夕飯食べてって! よかったら、クロードさんとミンミンさんも一緒に!」

 

「えっ? でも……いいの?」

 

 思わず聞き返すと、デイヴス夫人は「勿論!」と頷いた。それから窺うようにチラリとクロードを見やれば、彼は静かに笑みを浮かべた。

 

「いただいて行こうか、イヴ」

 

 クロードの言葉に、イヴが喜色を満面に浮かべた。それを見たミンミンは立ち上がると、「U-NASAの方に連絡を入れてきます」といって外へと出ていった。

 

「よし、決まりね! それじゃあまず、ミッシェルを起こしてこなくちゃ」

 

 ミンミンの背中を見送ってから、自身も椅子から立ち上がり、デイヴス夫人は楽し気に声を弾ませた。

 

「あの子、起きたらきっと喜ぶわよー。さっきも言ったけど、イヴ君が来るのをずっと楽しみに――」

 

 だが振り向いたその瞬間に、彼女は続けようとした言葉を飲み込むこととなった。目を見開いたデイヴス夫人を不審に思ったイヴも、彼女が見つめる先へと目を向け――思わず息を呑んだ。

 

 

 

 ――彼らの視線の先にいたのは、1人の少女だった。

 

 

 

 いつからそこにいたのだろうか? ピンクのワンピースに身を包んだその少女は、二階へと続く階段の前にじっと立ち尽くしていた。俯かせた顔は金髪で隠れていて窺うことができないものの――イヴはその姿に、見覚えがあった。

 

 

 

「ミッシェル、ちゃん……?」

 

 

 

 ――今は亡きドナテロの愛娘、ミッシェル・K・デイヴスがそこにいた。

 

 

 

 束の間、夕日で赤く染まった室内を沈黙が支配する。まるで見えない何かが喉に蓋をしてしまったかのように、その場にいる誰もが言葉を発せなかった。そしてそれが十秒ほど続いた頃、やっとのことでデイヴス夫人が声を上げた。

 

「あ、あらミッシェル! 起きてたの?」

 

 彼女はその顔に笑みを浮かべると、努めて明るい口調で話しかけながらミッシェルへと近づいていく。

 

「丁度良かった、そろそろお夕飯だから、起こそうと思ってたの」

 

 デイヴス夫人はミッシェルの前でしゃがみこむと、その目に視線を合わせた。

 

「ほら、貴方が会いたがってたイヴ君も来てるわよ~。さ、この間練習したみたいにイヴ君に挨拶をしましょう?」

 

 デイヴス夫人が言う。だがミッシェルは彼女の言葉には何の反応も返さず、俯いたまま歩き出した。小さな体はデイヴス夫人の脇を通り抜け、一直線にダイニングへ。やがて彼女はイヴの前まで来ると、そのままピタリと足を止めた。

 

「あっ……こ、こんにちは、ミッシェルちゃん!」

 

 イヴが目の前の少女に言うも、やはり反応がない。困惑しながらイヴが更に話しかけようとした瞬間、ミッシェルの小さな口からその言葉は告げられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 ――その言葉に、イヴはまるで頭を殴りつけられたかのような衝撃を受けた。

 

「ミッシェルはちゃんとやくそくをまもったのに……ずっと、いいこでまってたのに」

 

 体も思考も硬直したイヴの前で、ミッシェルが顔を上げる。唇を固く結び、両頬を涙の雫が伝う。イヴに向けた赤く充血した目には、混乱と悲しみ――そして、強い怒りと敵意の色が浮かんでいた。

 

「おにいちゃんのうそつき! なんでおにいちゃんは、パパといっしょじゃないの!? やくそくしたのに! パパといっしょにって、やくそくしたのに!」

 

 そして消え入りそうな声で、彼女は絞り出すように言った。

 

 

 

「なんでパパは、死んじゃったの?」

 

 

 

「っ……!」

 

 ――その瞬間、イヴは気が付いてしまった。

 

 いつからかは分からないが……この子は聞いていたのだ、自分達と母親が話を。そして理解してしまったのだ、ドナテロが死んだことを。あるいはそうでなくとも――彼が、二度と自分達の下へは帰って来ないことを。

 

「あ、ぐ……」

 

 イヴの顔が青ざめる。同時に手や足がガクガクと震え出し、呼吸は次第に浅く、そして荒くなっていく。言わなくてはならないのに、言うべきことがたくさんあるはずなのに……まるで喉も舌も痺れてしまったかのように、彼の口はただ意味のない声を紡ぐばかり。

 

「うそつき」

 

 そんな彼に追い打ちをかけるように、ミッシェルの糾弾は続く。行き場のない悲しみと怒りは混ざり合わさり、子供ゆえの純粋な憎悪となり果てて、眼前の少年へと向かう。

 

「イヴおにいちゃんのうそつき! ぜんぶぜんぶ、おにいちゃんのせいだ!」

 

「ッ、それは違う!」

 

 ミッシェルのその言葉に、思わずクロードは反論する。一連のイヴの行動を見守っていた者として、彼の想いを知っていたものとして――例え相手が4歳児であったとしても、その発言は看過できなかった。

 

「この子は君のお父さんたちを助けようと、精一杯努力した! イヴは何も悪くない! 悪いのは、彼を火星へと送り出してしまった私達だ!」

 

 クロードの声が響く。それを受けて我に返ったのか、デイヴス夫人ははっとしたような表情を浮かべると、慌ててミッシェルに駆け寄った。

 

「ミッシェルッ! 今すぐイヴ君に謝りなさい!」

 

 デイヴス夫人が怒声を上げるが、ミッシェルは聞く耳持たないとばかりに激しく首を左右に振った。

 

「いや! ミッシェルはわるくない! わるいのは、ぜんぶイヴおにいちゃんだもん!」

 

 自分は間違ってなどいない、自分は正しいのだ。ミッシェルは自分に言い聞かせるかのようにそう言うと震えるイヴの体を、力任せにどんと突き飛ばした。ミッシェルは尻もちをついたイヴを睨みつけた。

 

「……イヴおにいちゃんなんて、だいっっきらい!」

 

 

 ――ああ、そうか。

 

 

「かえして! ミッシェルのパパ、返してよ!」

 

 

 ――この子が待っていたのは、()()()()()()

 

 

 周囲の世界が、急速に色あせていく。窓から差し込む夕焼けが、クロードが、デイヴス夫人が――世界のすべてが灰色に染まり、残響が遠く離れていく。

 

 まるで自分とミッシェル以外の全てが死に絶えたような世界の中、胸の奥から自分の声がポツリと呟いた。

 

 

 

 

 

 ――この子が待ってたのはボクじゃなくて、()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 そう悟ると同時、イヴの目から一筋の涙が流れる。実感が追いついていないのか、その顔には一切の表情がない。だがその思考は、心は、体は……確かに、泣いていた。

 

「おにいちゃんなんてっ……!」

 

 それを見たミッシェルは、思わず言葉を飲み込みかけた。今まで怒り一色だった彼女の顔に、この時初めて、動揺か怯みの様な表情が浮かぶ。

 

 今の状況が、一方的にイヴを苛めているかのように思えたからだろうか? それとも、自分が口にしようとしている言葉の意味を、理解したからだろうか?

 

 その理由は、彼女にしかわからない。

 だが結局のところ――幼い彼女が抱いた僅かな躊躇いは、胸中にひしめく激流と、それらが具現した最後の一言をせき止めるには至らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「イヴおにいちゃんなんて、死んじゃえばよかったのに!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉の意味を理解した瞬間――イヴの心はぐしゃりと音を立てて歪み、呆気なく折れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「                     」

 

 

 

 

 

 

 

 自分は、何か言ったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、イヴは住宅街を全速力で走っていた。まるでビデオの早送りのように、カリフォルニアの街並みがイヴの視界を前から後ろへと流れていく。すれ違う人たちは皆イヴのことを奇異な目で見つめるが、彼はそれを気にも留めずに足を動かした。

 

 まるで何かから逃げるように。何かから逃れるように。

 

 イヴはただひたすらに走る、走る、走る――。

 

「っ!?」

 

 そうして、どれほど走り続けただろうか。息が上がり、肺が乾いた痛みを訴え始めた頃、ガン! という鈍い音と共にイヴの眼前に火花が散った。

 

 脳が揺さぶられ、イヴはフラフラとその場に尻もちをつく。どうやら、電信柱か何かに頭をぶつけたらしい。切れた額からドロリと温かいものが流れ出て、イヴの鼻の脇を伝っていった。

 

「……あ、は」

 

 視界が涙で滲み、鼻水が垂れ落ちる。血が口の中へ入りこみ、鉄臭い風味が口と鼻を満たした。けれど、そんなイヴの口から漏れたのは泣き声ではなく、笑い声であった。

 

「はは、は」

 

 イヴは笑う。数分前までの自分が、どうしようもなく滑稽だったから。

 

 ――自分のしたことを思い返せ。

 

 心の声が囁く。

 

 ――ボクは、ドナテロさんを見殺しにした。彼女たちの誰よりも大切な家族を、火星に置き去りにしたのだ。

 

 デイヴス夫人があの時かけた言葉はきっと、己の本心を押し殺したものだったに違いない。

 愛する人が帰ってこないことを知り、その胸に渦巻く悲しみを、怒りを、悔しさを――黒い感情をひた隠しに隠し、それでもなお自分を気遣って、あの言葉をかけてくれた。

 

 それに気づかず、あまつさえ『許された』と思い込むなど――おこがましいにもほどがある。

 

「ハハハ……!」

 

 イヴは嗤う。今の自分が、どうしようもなく無様だから。

 

 ミッシェルからぶつけられた言葉は、どれも正しい。

 

 今の自分は、弁明の余地なき嘘吐きだ。今の自分は、釈明の余地なき人殺しだ。死ぬべきだったのはドナテロではなく、自分だ。

 

 あの子は自分が目を背けていた真実をつきつけてくれたのに、自分を子供だからと気遣ったクロード達に代わって、自分を裁いてくれたというのに――自分は、彼女から逃げ出してしまった。

 

「アハハハハハハハ――うぐっ、オェ……」

 

 そうしてイヴは、嘔吐した。胃の奥から熱く不快なものがこみ上げて食道を灼き、直後にビチャビチャとアスファルトの上にまき散らされる。肺が酸素を求めて喘ぐのを、どこか他人事のようにイヴは感じていた。

 

「ハァ、はぁ……! う、ウウウウウウゥウ!」

 

 イヴがうずくまり、苦悶の声を上げる。痛むのは肉体ではなく――心。

 

 今まで積み上げてきたもの全てが否定されてしまったような、そんな絶望。

 今の自分に悲しみ、苦しみ、涙を流す資格などないと理解しながらも、イヴは苦痛から逃れえずに、悲痛な唸り声を上げる。

 

「イヴっ!」

 

 不意に聞き慣れた声が鼓膜に届き、イヴはゆっくりと振り向いた。そこにいたのは、スーツ姿のクロード。相当急いで追いかけてきたのだろう、彼は塀に片手をついて息を荒げながら、案じるような視線をイヴへと向けていた。

 

「っ、その血は……!? イヴ、君怪我をしたのか!?」

 

 額から血を流しているのを確認すると、クロードは慌ててイヴに駆け寄った。それから額の傷を診察し、ほっと息を吐く。

 

「よかった、派手に出血してるけど、傷自体はそんなに深くない。これなら車に持ってきておいた救急箱で何とか――」

 

「先生……」

 

 その時、イヴはクロードの名前を呼ぶと、彼の服の裾を弱々しく握った。クロードは言葉を切ると、「何だい?」と優しくイヴに問いかける。

 

「先生が、ボクに優しくしてくれるのは……ボクが実験動物だから? それとも、ボクのことを、本当に気にかけてくれているから?」

 

「……っ!」

 

 クロードは思わず閉口した。答えに迷ったからではない。自らを見上げるイヴの目が絶望に濁り――あまりにも、色彩にかけていたからだ。

 

「もしも先生が、本当にボクのことを気にかけてくれているなら……お願い」

 

 イヴは虚ろに淀んだ目から、静かに涙の雫を流すと、震える声でクロードへと懇願した。

 

()()()()()()()()()()

 

 その言葉に、クロードは表情を強張らせる。何と返すか一瞬だけ迷い、それからクロードは、慎重に言葉を選びながらイヴへと聞いた。

 

「……イヴ。君が自らの死を願うのは、罪の意識から――で、いいのかな?」

 

 コクリ、と頷くイヴ。それを見たクロードは、己の迂闊さを呪った。

 

 イヴが精神的に追い詰められていることは分かっていた。()()()()()クロードは、イヴがこの説明に同行したいと言った時に断らなかったのだ。デイヴス一家に引き合わせ、彼の心の傷を少しでも癒すために。

 

 事前の会話でデイヴス夫人がイヴに対して恨みを抱いていない事は判明していた。ミッシェルがイヴに会いたいと本心から思っていることも確認した。

 

 途中までは、うまくいっていたのだ。だが、たった一つの誤差――ミッシェルが最悪の形で、ドナテロの死を理解してしまったことが原因で、全ての歯車が狂った。結果としてイヴの心の傷はより深くえぐられ、ついには自らの死を乞い願うまでに至ってしまった。

 

 ――考えが甘かった。

 

 クロードは考える。こうなってはもはや、イヴの心の傷を癒すことは不可能だ。罪悪感を拭い去ることのできる唯一の手段である『許し』は剥奪された。

 

 

「そう、か」

 

 ――誤解から生まれた糾弾は存在しないはずの罪を十字架となし、イヴを縛り付ける。おそらく彼は、未来永劫いわれのない罪を背負って生き続けることになるのだろう。

 

 それがどれだけ苦しく、辛いことか――クロードには計り知れない。

 

 だが、今この場でクロードが「君は悪くない」と声を大にしていったところで、気休め程度の効力も発揮しないだろう。

 

 今のイヴを苦しめる、罪悪感の妄執を解けるのは、この地球上にたった一人だけだろうから。

 

「イヴ。君にとって私は、ただ研究者に過ぎないかもしれない。けれど私にとって君は――弟のような存在だ」

 

 クロードが血を吐く様に言葉を絞り出した。

 

「おこがましい考えであることは、重々承知。けど、それでも私は……君のことは、本当の家族のように想っている」

 

 

 

 ――だから。

 

 

 

 クロードはそう言うと、イヴのことをそっと抱きしめた。それから泣き疲れ、虚ろな彼の耳元で、クロードは静かにその言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私は……君を殺すよ、イヴ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ――次回、第一部完結。



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