贖罪のゼロ   作:KEROTA

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第35話 TREMOR 猛威

 

 ――投薬チップ、というものをご存じだろうか?

 

 患者の体内に埋め込み、特定の信号をトリガーとしてあらかじめ充填しておいた薬を自動で放出する極小マイクロチップのことである。

 

 2012年にハーバード大学を中心とする研究チームが開発したこの装置は、27世紀現在の医療現場においても、病気の治療や薬の定期接種のために使用されている。

 

 潜入員(サイドアーム)達の体内に仕込まれていたのも、これとほとんど同じもの。

 

 彼らの体内に仕込まれたチップは彼らの音声をトリガーとして、大きく分けて2つの機能を果たす。

 

 ――1つ、非完全変態と呼ばれる変態状態の制御。

 

 これは潜入員たちがMO手術で与えられた『特性』の完全な発現を抑制することで本来の手術ベースと実力を偽り、非戦闘員としてアネックスに搭乗するために必要だった機能。

 

 無論、これは戦闘時において何の役にも立たないどころか、むしろ足枷となる代物である。ゆえに状況に応じてこれを使い分けるのが、チップの第1の役割。

 

 そして2つめの役割が、変態薬を投与すること。

 

 もしも手元に薬がない場合――あるいは、何らかの要因で薬の接種が難しい場合。音声認識を通すことで、このチップは内部に仕込まれた変態薬を体内に放出する。

 

 これを使えば表向き一般乗組員に過ぎない潜入員たちも、わざわざ見つかるリスクを背負って薬を隠し持つ必要はなく、かつ常時変態が可能な状態を維持できるのだ。

 

 ただし、このチップに仕込める薬の量は決して多くない。濃度を高めることで補ってはいるものの、この方法で変態できるのは多く見積もっても3回だけ。

 

 ゆえに、これを使った変態はやすやすとは行えない。余程切羽詰まった状況でもなければ使うことはない、まさしく『奥の手』である――。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ッ! くっそ……!」

 

 爆発で傾いた態勢を立て直しながら、燈の脳内をいくつもの情報が駆け巡った。

 

 ――まだ火星に到着していないのに、艦内へと侵入してきたテラフォーマー。

 

 奴らは一体何匹忍び込んだ? まともに羽ばたくこともできないはずの熱圏上空まで、一体どうやって到達した?

 

 ――他の宇宙船が衝突したことによる、エンジンの破損。

 

 アネックスにぶつかったあの宇宙船は、なぜこの場所にいた? 現在、火星に至る宇宙船の航路は、U-NASAによって封鎖されているはずなのに。

 

 ――他のエリアにいる乗組員たちの安否。

 

 シーラ、アレックス、艦長(小吉)副班長(奈々緒)――そして何より、百合子は無事なのか? 一刻も早く合流して、安否を確かめなければ。

 

 

 

 考えろ、考えろ、考えろ。慎重に、しかし迅速に決断を下せ。常人ならざる身体能力を持つ自分が、仲間を守るための鍵だ。

 

 非戦闘員が3名、戦闘員であるマルコスも、薬がないために今は戦えない。彼らを守るために、自分はどうすればいい?

 

 考えろ、考えろ、考えろ。今この瞬間、自分がどう動くかで全てが変わる。

 

「……ッ!」

 

 彼の体が正常な姿勢に戻る。それと同時に、彼はこの場において最良と思われる決断を下した。

 

 自分が足止めをしている間に他の者たちを逃がす。

 

 これが現状、最も理に適った選択のはず――!

 

「皆ッ! ここは俺が――!」

 

 無言の帳が降りたその空間に燈の声が響いた――その瞬間。

 

 

 

YES(うん)!」

 

да(あいよ)!」

 

 

 

「……んん?」

 

 キャロルとニコライが威勢よく返した返事に、燈の顔が微妙に引きつった。

 

「あ、あれ? 2人共? 俺まだ何にも言ってないんだけど?」

 

 ――ひょっとして、最初から自分を足止めに使う気満々だった?

 

 燈の脳裏に気まずい考えが走るが、彼の想像はこの直後、よくも悪くも裏切られることになる。

 

「さぁて、ニコライ君。()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「たりめーです。()()()()()()()()()()()()()()()()――」

 

 そう言って2人は呆ける燈たちをその背に庇い――さながら、凱歌を謳うがごとく高らかに、その言葉を発した。

 

 

 

「音声認識『シンデレラ』、非完全変態解除(アンロック)! Synth-METAMORPHOSIS(人為変態)!」

 

「音声認識『ノースウィンド』、非完全変態解除(アンロック)! преобразование(人為変態)っと!」

 

 

 

 

 

 

命令(オーダー)受諾。非完全変態を解除』

 

 ピピ、という電子音。次いで聞こえてきたのは、留守番電話サービスを思わせる無機質な女性の声だった。状況が飲み込めずに硬直した燈たちをしり目に、その声は更に続ける。

 

 

 

 

 

投薬開始(インジェクションスタート)

 

 

 

 

 声がそう告げた瞬間、ミシミシと肉体の歪む音と共に、キャロルとニコライの体が徐々に変異していく。

 

 腕はより太く強靭に、体はより硬く頑丈に――そして体の随所には、各々のベース生物を反映した特徴が表れ始める。

 

 数秒と置かずにそれが収まると同時、キャロルはぐっと伸びをした。

 

「さーて……久しぶりだし鈍ってないといいんだけど」

 

「まったくだ。ま、さすがにテラフォーマー1匹に遅れをとることはねーと思いますが」

 

「……いやいやいやいや!?」

 

 何事もなかったかのように会話を続ける2人に、燈はテラフォーマーと対峙しているという事実も忘れ、思わず叫んでいた。

 

「え? 何で変態してるの、2人とも? しかもキャロル、お前いつもと格好が――」

 

「あ、分かる? さっすが燈くん、見る目あるね!」

 

 そう言って楽し気に振り向いたキャロルの顔には、緑色の筋が走っていた。これは、以前の彼女が変態した際にも見られた特徴。

 

 しかし今の彼女はそれに加えて、以前までの変態に比べて二回りほど太くなった腕が、隊服であるコートを破って露になっている。その手の形はどこか、変態時のミッシェルを彷彿とさせる。

 

「どう? それなりに似合って――」

 

「ッ! キャロル、伏せろ!」

 

 にこやかに話すキャロルに、切羽詰まった表情のマルコスが叫んだ。

 

「テラフォーマーが――!」

 

 しかし、彼が叫び終えるのを待たず、テラフォーマーは目にも止まらぬ速さでキャロルとの距離を詰めた。燈たちが止めに入る間もなく、テラフォーマーはキャロルの無防備な後頭部へと棍棒を振り上げ――。

 

 

 

「じょ、うっ……!?」

 

 

 

 ――次の瞬間、背面の壁へと叩きつけられていた。

 

 

 

「……レディを後ろから襲うのは、マナー違反だよ」

 

 背後に肘鉄を放ったままの姿勢で、キャロルは平時よりもやや低い声で呟く。それを見た燈は、無意識のうちに息を吞んだ。

 

 ――テラフォーマーが叩きつけられた壁に、亀裂が入っていたのだ。

 

 それはつまり、彼女が放った攻撃にはそれほどの威力が込められていたということ。

 

 彼が真っ先に思い起こしたのは、第2班を束ねるミッシェルや、第1班の戦闘員である鬼塚慶次の姿。直接ならばともかく、吹き飛ばしただけで壁を傷つける程の力を持っているのは、日米ではあの2人だけだ。

 

 ――植物型が、果たしてここまでの筋力を発揮できるものなのか?

 

 燈が訝しんだその時、壁に叩きつけられたテラフォーマーがゆっくりと立ち上がった。

 

「おっと……やっぱりちょっと鈍ってるな。今ので倒しきれなかったかー」

 

 意外そうな声音で呟きながら再び体を反転させると、キャロルは「そんな訳で!」と仕切り直すように言った。

 

「ここはアタシに任せて、燈くんたちは他の皆と合流して! ニコライ君は3人の護衛を!」

 

「待て、キャロル! さすがにお前だけ――」

 

 反論の言葉を口にしようとするマルコスだが、キャロルは「いいから!」とそれを遮った。

 

「気遣ってくれるのはありがたいけど、この場で変態できるのはアタシとニコライ君だけ。それに今のアタシは、()()()()()()()()()()()()()()()!」

 

 そう言ってキャロルは、目の前に迫ったテラフォーマーの頭を鷲掴みにした。彼女はそのままもがくテラフォーマーをひょいと持ち上げると、まるで空き缶をゴミ箱の中へと投げ入れるかのように軽々と、シャワールームの中へと投げ入れた。

 

「早く行って! 君たちが行かないで、誰が百合子ちゃんとシーラちゃんを守ってあげるの!?」

 

「ッ!」

 

 ――キャロルの口から発せられたその言葉に、真っ先に反応したのは燈だった。

 

「行くぞマルコス! ヨウさんも!」

 

 彼はそう言うと2人の手を掴み、半ば引きずるように出口へと駆け出した。

 

「キャロルッ! 無茶すんなよ!」

 

「燈くんもね!」

 

 部屋を飛び出す燈たちに、キャロルが叫び返す。その背を追うように出口へと向かいながら、ニコライは軽い調子でキャロルの背に声をかけた。

 

「んじゃ、また後で。万が一やばそうなら、早めに呼んでくださいよ?」

 

「りょーかい! ……けど、いらない心配かな」

 

 キャロルの返事に「そりゃそうだ」と笑い、ニコライは出口を飛び出していった。

 

「これであっちは大丈夫かな……さて」

 

 そう言ってキャロルが見つめた先では、丁度テラフォーマーが立ち上がったところだった。甲皮のところどころに罅が入っているが行動不能とまではいかないらしく、無感情なその目でじっとキャロルを見つめている。

 

「それじゃあ、ゴキブリ君……早速だけど、やろっか」

 

 ――ところで。

 

 そう言ってキャロルは、その口端を釣り上げた。

 

「君、ガラスの靴はご入用かな?」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「燈、キャロルのマーズランキングって……」

 

「『98位』だ」

 

 走りながらマルコスが口にした疑問に、燈が答える。

 

「手術ベース『ノシバ』……ベース生物に至っては、同率の八重子(やえこ)以上に戦闘に不向きな非戦闘員……のはずだ」

 

 自信なさげに言った燈の頬を、たらりと汗が伝う。

 

 ランキングとベース生物に関しては、彼女自身が言っていたことだ。さすがに間違うことはないはず……だが、そう考えると様々なつじつまが合わない。

 

 先程変態したキャロルの姿は、燈の知る変態後の姿よりも遥かに強靭だった。テラフォーマーとの戦闘でも、かなり優位に立っていたように見える。いかに素体が強いとはいえ、明らかに非戦闘員の動きではない。

 

 ――いや、そもそも。

 

「何であいつ、薬も持ってないのに変態できたんだ……?」

 

「お、知りてーんですか?」

 

 独り言のつもりで呟いた言葉に、返ってきた返事。驚いた燈が首を回すと、そこにはいつの間にか追いついていたニコライの姿があった。

 

 頭部にはクワガタを思わせる大顎が生え、その体は黒とメタリックな赤の甲皮で覆われている。その身のこなしは軽やかで、全力で走る燈たちと並走しながらも少しも息を切らしていない。

 

「まーまー、そう怖い顔しねーでください、()()()()()()()()。本当に敵なら、あの場で裏切れば済む話ですからね――状況が状況だ、今はこの説明だけで納得してくれ」

 

 燈にそう言うと、ニコライは間髪入れずに「さて」と切り出した。

 

「俺としては、このまま他の連中と合流して避難してほしいとこなんですが……」

 

 そう言うと、ニコライは燈に目を向けた。

 

「この経路、お前ら薬品倉庫まで行くつもりだな?」

 

「……そうだ」

 

 ニコライの言葉に、燈が少しの間を置いてから頷いた。

 

「倉庫には薬がある。あれさえあれば、俺達も変態して戦える!」

 

 変態さえできれば、燈とマルコスの実力はアネックスの中でもトップクラス。だがその力を発揮するためには、変態薬が必要だ。

 彼らが戦力となれば、状況は一気に好転するだろう。その点、ニコライとしても彼らが倉庫に向かうことには否はないのだが――

 

「……嫌」

 

 ――ここで、ヨウがストップをかけた。

 

()()()()()()。行くなら、あんた達だけで行って」

 

「っ!? 何を――」

 

 思わず足を止めて振り返る燈に、ヨウはその目に涙を溜めて半ばヒステリックに叫ぶ。

 

「あたしは非戦闘員なの! 倉庫に行けば薬はあるかもしれないけど――それまでにゴキブリに遭ったら、殺されちゃうかもしれない! それに、これだけ騒ぎになってればオフィサーも動いてるはず……! 皆とはぐれれば、オフィサーの人たちに助けてもらえる可能性も減るでしょ!?」

 

 ――まぁ、そりゃこうなりますよね。

 

 ニコライは内心で呟くと、思わず肩を竦めた。

 

 彼女が裏切り者ならば、自分達にとって都合よく働きかけているこの状況で、わざわざ敵対者の利となる行動をとらせることはしないだろう。

 

 彼女が本当に非戦闘員ならば、一刻も早く他の乗組員と合流してオフィサーの庇護下に入りたいだろう。

 

 彼女の言葉はどちらともとれる。だがそれは、ある程度事情を把握しているニコライだからこそ分かること。少なくともマルコスと燈は彼女の言葉を真に受けたようで、その顔に躊躇いの色を浮かべていた。

 

「ねぇ、早く皆のところ行こうよ……? お願い、私にこれ以上怖い思いさせないで……!」

 

 目を潤ませて言い寄るヨウに、マルコスと燈がたじろぐ。

 

 ――これが演技なら、主演女優賞もんだな。

 

 心の中で口笛を吹きながら、しかし同時にニコライは頭を悩ませた。

 

 ――意図はどうであれ、彼女の主張は理に適っているし筋が通っている。

 

 だから、断りにくい。ここで強行しても構わないが、そうすれば今度は燈とマルコスから反感を買いかねない。自分の評価が下がるのはまぁよしとして、彼らと同班であるキャロルや大河の株まで下げてしまえば、いらない軋轢を生む。

 

 

「……どうしたもんかねぇ」

 

 妙案が思いつかず、ニコライが頬を掻いた時だった。丁度T字路の分かれ道、曲がり角の向こう側から、彼にとっての救世主となる人物の足音が聞こえてきたのは。

 

 

 

「よっ……と」

 

 

 

 気の抜けるような声と対照的に、機敏なバック転をしながら、その少女は現れた。次いでその後を追うように一匹のテラフォーマーが姿を現すと、彼女に向かって腕を振り上げた。

 

「……遅い」

 

 その腕から繰り出される薙ぎ払いは、命中すれば首を切り落とすほどの威力と速度。しかしそれを少女は易々と回避すると、そのままテラフォーマーの懐へと潜り込む。彼女はそのままテラフォーマーの股間に右手を押し当て……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「喰らえ、西(シイ)直伝――   玉   発   頸   !  」

 

 

 

 

 

 

 

 ――  ド    ン    !

 

 

 

 

 およそ肉を打った音とは思えない轟音が響き渡った。衝撃が空気を震わせ、テラフォーマーの体が曲がり角の向こう側へと吹き飛ばされる。

 

「……他愛なし」

 

 フー、と深く息を吐きながらその人物は呟いた。あまりにも筆舌に尽くし難いその光景にヨウを含む3人が唖然とする中、ニコライだけは乾いた拍手をしながら彼女に声をかけた。

 

「ナイスタイミングだぜ、リンファ」

 

「んむ……? なんだ、ニコライか」

 

 構えを解くと、少女――(フー)鈴花(リンファ)はコテンと首をかしげた。

 

 その体と顔の一部の皮膚が濃紺へと変色し、更にその上に黄色の斑模様が浮かび上がっている。平時よりも少しばかり面積が広がっている黒目も合わせ、今の彼女の姿には、どこかマスコットキャラクターを思わせる独特な愛嬌があった。

 

「ヨウと、日米の2人……随分変わった組み合わせ。何かあった?」

 

「あー……それは話すと、ちょっとばかり長くなるんですよ。悪いが、用件だけ聞いてもらえませんかね?」

 

 ――絶対に覗きのことはばらすなよ。

 

 ニコライが燈とマルコスにアイコンタクトで念を押すと、2人は千切れんばかりに首を縦に振る。先日のジェットの件と今の光景で、2人の中ではリンファ=金的のイメージ図ができあがっている。迂闊なことを言えば、自分達が第3の被害者にならない保証はないのだ。

 

 ニコライは2人の反応を確認すると、リンファにかいつまんで(不都合な部分は伏せて)事の経緯を伝える。

 

「なるほど、なるほど……ZZZ」

 

「この状況で寝るなアホ。で、お前にはこっちの嬢ちゃんの護衛を請け負ってもらいたいんですが、構いませんね?」

 

 うつらうつらと舟をこぎ始めた頭をはたかれると、彼女は寝ぼけ眼で頷いた。

 

「オーケーオーケー、オーケーぼくじょー……ヨウ、もう怖がらなくていい。私が全力で守る。とらすとみー」

 

「あ、うん……」

 

 口を挟む間もなく、とんとん拍子に進んでいく話にヨウは頷くしかない。それを見てリンファは頷くと、「けどまずは……」といって、視線を曲がり角の先へと向けた。

 

「……あれを仕留めるのが先」

 

 リンファが見つめる先には、先程の攻撃から態勢を立て直したテラフォーマー。多少動きづらそうだが敵意は変わらず、攻撃を諦める素振りは微塵もなかった。

 割れた股間部からどろりと零れる肉片を直視してしまい、マルコスと燈は無言で目をそらした。

 

「……西(シイ)の嘘吐き。男なら一発けーおーだって言ってたのに、全然ピンピンしてる」

 

「はいはい。残念でしたね、そりゃあ」

 

 舌打ちするリンファにニコライが面倒くさそうに言った。

 

 お前にテラフォーマーの雄雌区別がつくのかとか、そもそもテラフォーマーに痛覚ねーから意味ねーよとか、さっき技は絶対人間(特に男)に使うなよとか、言いたいことは色々あったが、気にしていてはキリがない。

 

「んじゃ、後は頼みましたよ。俺らはこのまま倉庫行くんで」

 

「おーらい、任された。ぐっどらっく」

 

 のんびりとしたリンファにサムズアップを返すと、ニコライ達はこの場を走り去った。それを見送ると、リンファは緩慢な動きでテラフォーマーに向かってぐいと手を突き出す。

 

「バブルこーせん」

 

 リンファがそう言うと同時、彼女の両掌に野球ボール程の大きさの泡が生成され始める。

 

 

 

 ぷくり、ぷくり、ぷくり。

 

 

 

 次々と作られた泡は順に彼女の掌を離れていき、数秒と経たずに通路を塞ぐ程の泡が空中に漂い出す。蛍光灯の光を受けて無数の泡が極彩に輝くその光景は、どこか妖しい美しさがある。

 

「何これ、シャボン玉?」

 

「綺麗でしょ……あ、でも。死にたくなかったら、触らない方がいい」

 

 相変わらず泡を出しながらリンファが告げた言葉に、ヨウは伸ばしかけたその手を慌てて引っ込めた。

 

「とりあえずヨウ、あれを倒すまで待って。それと――」

 

 ――少しの間、息を止めていてほしい。

 

 リンファはそう言うと、シャボン玉を割りながら近づいてくるテラフォーマーに目を向けた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「おらぁああああああああ!」

 

 ボーンを始めとする数人が持つ銃によって、テラフォーマーの体に次々と弾痕が刻まれていく。

 

 ――だが。

 

「っ! こ、これ以上は無理だ! 逃げろォ!」

 

 その銃撃でテラフォーマーが足を止めることはなかった。

 

 昆虫としての特徴を残す彼らの体には、痛覚がない。ゆえに、普通の人間ならば身もだえして苦しむような怪我でも、痛み故に活動に支障が生じることはありえない。

 

 対人用の雑多な銃火器でも手足の腱に傷をつけられれば、あるいは食道下頸椎を傷つけられれば、動きは止められただろう。だが銃を持つ彼らは素人であり、数人がかりでもそれを遂げることはできなかった。

 

 ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる死。それに恐れをなし、銃で応戦していた乗組員たちは1人、また1人と銃を投げ捨てて方々へと駆け出した。

 

「くっそォ……!」

 

 ただ1人、ボーンだけは銃を撃ち続けた。今、己が銃撃を止めれば、その瞬間に誰かが死ぬだろう。自分か、向こう側で怪我をしている第6班の女性か、あるいは他の者かは分からないが――とにかく、誰かが死ぬ。

 

「認められるか……ッ!」

 

 ――母親は、金と引き換えに自分と弟をU-NASAへ売った。弟は、アネックス計画に参加するために受けたMO手術で命を落とした。

 

 いつだってそうだ、大切なものは彼の手をすり抜けてこぼれ落ちていく。どんなに手を伸ばしても――彼は、最期には必ず奪われてきた。

 

「届け、届けッ……!」

 

 彼が引き金を引き続けたのは、意地だった。

 

 母に捨てられ、弟を亡くした流れ着いた先で出会ったのは、似たような境遇の仲間たち。馬鹿な奴、無愛想な奴、喧嘩っ早い奴……誰も彼も、一筋縄ではいかない曲者ばかりだった。

 

 だが、彼らはどこまでも真っすぐで――彼らと過ごした日々は楽しかった。

 

 だからこそ、彼は誓ったのだ。失意の底で出会った、この宝石のような奇跡を。自分には勿体ない、素敵な仲間たちを決して手放さない、2度と奪わせはしないと。

 

 故に、彼は逃げなかった。例えどんなに無茶でも無謀でも――その手を届かせるためには、立ち向かわなくてはなかったから。

 

 

 

「届けぇええええええええええ!!」

 

 

 

 ボーンがあらん限りの声で叫び、そして――。

 

 

 

 

 

 

 ――カチン。

 

 

 

 

 

 

 そして無情にも、そこで銃弾は底を着いた。

 

 

 

「……は?」

 

 脳が理解を拒み、彼の指先が2度3度と引き金を引く。だが、何度試そうとも聞こえてくるのは小さな金属音ばかり。呆然と銃を見下ろすボーンの視界に、ぬぅと黒い影が映りこむ。

 

 顔を上げたボーンの目に映ったのは、無表情のテラフォーマー。全身に刻まれた弾痕から濁った体液を溢しながら、テラフォーマーはボーンを見下ろしていた。

 

 ――ああ。

 

 テラフォーマーがその両手を顔に伸ばすのをぼんやりと見つめながら、ボーンは絶望と共に呟いた。

 

「また届かなかったのか、俺は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Non(いいえ)――確かに届きましたとも」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 諦めかけたボーンの耳に響いたのは、自らの肉が引きちぎれ骨がへし折れる音――ではなく。1人の女性の声だった。

 

「ギィイィイ!?」

 

 それと同時、ボーンの頭に手をかけていたテラフォーマーが耳障りな悲鳴を上げた。ボーンは視界の隅に、黒い甲皮で覆われたテラフォーマーの右腕に細長い何かが突き刺さっているのを捉えた。

 

「っ、じ……!」

 

 テラフォーマーはボーンの頭から手を放すと、すぐさま『それ』を振り払って天井の隅へと逃げていく。呆気にとられたようにそれを見つめるボーンに、声の主は語り掛ける。

 

「貴方が時間を稼いでくれたおかげで、乗組員は誰も死なず、貴方も傷を負わず……そして、()()()()()()()。全て全て、貴方が手繰り寄せた結果です」

 

 そう言って、その女性――カリーナは、静かな微笑みを浮かべて見せた。

 

「その勇気と覚悟に敬意を……まぁ、少しばかりクールさには欠けましたがね!」

 

 フフン、としたり顔で言い放つカリーナ。彼女の周囲には、黄緑色とも金色ともつかない極細の触手が無数に揺らめいている。それはまるで『風になびく美しい黄金の髪』とも『生を謳歌する植物の蔓』とも言えそうな、幻想的な美しさを孕んでいた。

 

「カリーナ、あんた……」

 

 マルシアの口から漏れたその言葉は、そこから先に繋がらない。彼女の内に沸き上がった疑問の数が、あまりにも多すぎたのだ。

 

 なぜ、薬もない状態で変態できたのか。

 

 なぜ、非戦闘員でしかないはずのカリーナがテラフォーマーを撃退し得たのか。

 

 そしてなぜ、肩の傷が跡形もなく消え去っているのか。

 

 

 

 肉を抉られ、大量の血を流していたはずのカリーナの肩には一切の傷がなかった――否。正確には、()()()()()()()()()()()()

 

 人為変態の原理は、一度人間の体の組織を壊し、超高速でベースとなった生物の細胞を再生させというもの。これによりMO手術の被験者は、変態に伴って骨折程度の怪我ならば直すことが可能だ。

 

 しかしそれにも限界が存在する。あまりに大きすぎる怪我は完治に至らなかったり、見かけ上は治ったとしても後遺症が残ったりする可能性があるのだ。

 

 だが、今のカリーナはどうか。先程まで失血死も危ぶまれる程の怪我を負いながら、今は平然と立ち上がっている。加えて、変態してから数秒と経たずに完治に向かう肩の傷。

 

 ――再生能力。それも、かなり強力な……!

 

 この時点でマルシアは、カリーナが嘘のベース生物を申告していたという事実に薄々感づいていた。その正体を探るべく、彼女はカリーナの肩を凝視した。

 

 おそらく、甲殻類ではないだろう。軟体動物か棘皮動物、あるいは申告通り刺胞動物か……

 

「……ごめんなさい、マルシア。色々と言いたいことはあると思いますが、今は説明してる時間がありません」

 

 カリーナのその言葉に、マルシアの意識は現実へと引き戻された。今の状況を思い出した彼女に、カリーナが告げる。

 

「他の皆さんを脱出機まで避難させてください。エンジンが破損した以上、アネックス計画はプランδに移行するはずです」

 

 カリーナが言い切ると同時、図ったかのようなタイミングで小吉の内戦通信がアネックス中に響き渡った。

 

『こちら艦長の小町小吉! 現在本艦はメインエンジンに支障をきたし、徐々に火星地表へと下降している! 本艦での安全な着陸は困難となったため、着陸プランδに移行する! 総員、直ちに脱出機格納庫まで移動すること!』

 

「……聞きましたね、マルシア? これの相手は私が請け負います! さぁ、早く!」

 

 彼女が急かすように言うが、マルシアはすぐに頷くことができなかった。

 

 現状、カリーナの振る舞いはかなりグレーだ。薬がないにも関わらず変態したことや、申告していたベースとは明らかにかけ離れたその姿。彼女が自分達に危害を加える『裏切り者』である可能性も捨てきれない。

 

 ――彼女を信じても、大丈夫なのか?

 

 数秒の間思考を巡らせた後、マルシアは口を開いた。

 

「……できるの?」

 

「当然です。私、クールビューティですから」

 

 マルシアの質問に即座に返すと、カリーナは「それに」と言いながら、眼鏡をクイと押し上げた。

 

「騙しといて言う台詞じゃありませんが……私達、親友じゃないですか。だから、()()()()()()()()()()()()()()()()――貴方の言った言葉ですよ、マルシア」

 

 至って真剣にカリーナが口にしたのは、先程マルシアがカリーナにかけた言葉。それは言いくるめるにしてはあまりに拙い言葉だったが――けれどそれを聞いた瞬間、マルシアは頷いた。

 

「……背中は任せた。絶対に通さないでよ?」

 

「誰に言ってるんですか? それより……他の皆さんのこと、お願いします」

 

「おバカ、あんたこそ誰に言ってんの?」

 

 言葉を交わした後、2人は一拍の間を置いて笑みを浮かべた。

 

「任せたわよ、親友(カリーナ)

 

「了解です。また後で会いましょう、親友(マルシア)!」

 

 カリーナの言葉に頷くと、マルシアはすぐに行動に移った。彼女はボーンを我に立ち返らせると、きびきびと乗組員たちをまとめ上げると、彼らを連れて広間を出ていく。

 

「さて……テラフォーマー、貴方に言っておきたいことが2つあります」

 

 天井から己を見下ろすテラフォーマーから目を離さず、カリーナが言う。

 

「1つ、攻撃に転じた私の特性は()()()()()()()()()()()()()。他の5人なら一撃で屠ることもできるでしょうが……私と戦うなら、楽に死ねるとは思わないでください」

 

 瞬間、テラフォーマーが動いた。彼は天井から手を放すと、自由落下に任せてカリーナへと飛び掛かる。

 それを見たカリーナは面倒くさそうにため息を吐くと、それを避ける様子も見せず、ただ静かに呟いた。

 

 

 

「2つ目ですが――時間切れ(タイムオーバー)です。よい苦悶を」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「くっそ……! まさか、倉庫までテラフォーマーが入り込んでやがるなんて……!」」

 

 走りながら燈は悪態を吐いた。食いしばった歯がぎりッと音を立て、握りしめた手に血管が浮き上がる。

 

 ――燈たちが向かった、変態用の薬が保管されている倉庫。そこには既に、テラフォーマーが侵入していた。

 

 テラフォーマーたちは燈たちには見向きもせず、変態用の薬を破壊し続ける。ニコライがそれを止めようとしたところで、小吉が倉庫へと現れた。

 

『よく真っ先にここに来た、勇敢だったぞお前ら――後は任せろ』

 

 彼はそう言うと、燈たちを脱出機格納庫へと向かわせた。変態したニコライに、2人のことを任せて。歯がゆい思いをしながらも薬を持たない燈達にできることはなく、やむなく薬品倉庫をあとにした――というのが、今までの経緯である。

 

「とんだ無駄足だった! これじゃあ、俺達は何のために……!」

 

「落ち着けって、燈。四の五の言っててもしょーがねぇだろ?」

 

 悔しそうにつぶやく燈を、マルコスがたしなめる。それに便乗して、ニコライも「そーそー」と口を開いた。

 

「倉庫に向かうって判断は間違ってませんでしたよ。今回はたまたま運がなかっただけ――心配すんな、オフィサーも俺の仲間も動いてるし、死人の情報も今のところは言ってない。だから――おっ?」

 

 そこまで言った所で、ニコライが突然足を止めた。それに倣って足を止めて燈たちを振り返ると、ニコライはニッと笑みを浮かべて『それ』を指さした。

 

「……無駄足ついでだ、お2人さん。ちょいと寄り道しましょうや」

 

 彼の指さす先には、『W』の文字が刻まれた倉庫の扉。それが意味するのは――

 

「武器庫……専用武器か!」

 

 マルコスが思い出したように叫んだ。

 

 

 

 アネックス計画に大規模な兵器や武器の類を持ち込むことは、原則禁止されている。

 

 それは兵器をテラフォーマーに奪われた場合のリスクが、兵器を使うリターンを上回ることがその理由なのだが――これには、例外が存在する。

 

 それこそが、“専用武器”。

 

 マーズランキング15位以内の者に限り、『テラフォーマーに奪われてもあまり脅威とならない』ことを前提として、自らの技術か特性を最大限に活かすための『武器』を持ち込むことが許可されている。

 

「俺の専用武器は背中のパックに入ってる、けど――」

 

「ああ、俺の武器はこん中だ」

 

 マルコスの言葉に、燈は頷いた。

 

 多くの専用武器は、丁度今のような非常事態が発生しても持ち出すことができるように、背中のパックへと収納されている。しかし中にはその大きさ故に背中のパックに収納することができず、武器庫へと保管されているものがある。

 

 燈の専用武器も、武器庫にしまわれている専用武器の1つ。これを回収できれば、彼の実力もより強く発揮できるはずだ。

 

「そういうことでさ。アネックスが墜落するまでまだ少しばかり余裕があるんで、回収しちまいましょう。わりーがお前さんら、少し周り見張っててくれ」

 

 ニコライは言いながら、袖口からコードのような物を伸ばして扉の電子ロック盤へと繋いだ。

 

「あん? 随分ガチガチのセキュリティだな、オイ」

 

 まるで実際にプログラムを見ているかのような口調で、ニコライが言う。手元を動かしている様子はなく、何かの端末や装置を操作する素振りも見せない。ただ彼の双眸は、じっと電子盤を見つめていた。

 

「武器庫ってのはどこもこんなもんなのか? ったく、面倒くせープログラム組みやがって……だが、相手が悪かったな」

 

 ニコライが言うと同時にピーと電子音がなり、扉がゆっくりと開き始めた。ニコライはコードを引き抜くと、深く息を吐く。

 

「俺も俺の特性(あいぼう)も、こういうのにはめっぽう強いんでね。ほれ、入りますよ2人とも」

 

「あ、ああ……」

 

 不可解な手法で電子ロックをこじ開けたニコライに面食らいながら、燈とマルコスは武器庫へと足を踏み入れた。途端、自動で明かりが部屋に灯り、様々な武器が収められた室内を照らし出す。

 

「あんたの武器がどこにあるかはご存じで? あんまり探してる時間はねーから、せめてどのあたりにしまってあるかの目星がつくだけでもいいんですが」

 

「どこにしまってあるのかは知らない……ただ」

 

 ニコライの言葉に首を振ってから、燈は歩き出した。言葉とは裏腹に、その足取りには迷いがなかった。

 

()()()()()()()()()()()

 

 そう言って燈は、部屋の一画にあったロッカーを開けた。果たしてそこには、燈の専用武器である忍者刀が収められていた。

 

「お、ナイス。もうちょい時間がかかると思ってました」

 

 そう言ってニコライが口笛を吹く。その手には、物々しい金属製のレガースが握られていた。

 

「オイ、それって……?」

 

「ああ、これはドイツの……いや、お前さんは音楽関係で顔見知りでしたね。イザベラの専用武器ですよ。俺達の仲間にゃドイツ班の奴もいるんで、そいつ経由で渡してもらおうと思いましてね」

 

 ニコライはマルコスの言葉にそう返すと手近な袋にレガースを包み、ざっと周囲を見渡してから踵を返した。

 

「んじゃ、行きましょうか。もうここには、必要なモンもありませんしね。階段はすぐそこ、早いとこ他の奴らと――ッ!?」

 

 部屋を出たニコライは、通路の向こう側を見てその足を止めた。彼の視線の先、こちらに向かって歩いてくるのは1匹のテラフォーマーだった。

 

 ――もうこんなとこまで来やがったか。

 

 ニコライは舌打ちをして、背後の燈とマルコスに声をかける。

 

「向こうからテラフォーマーが来てる。数は1匹、俺が相手しときます。そのうちに、階段を使って脱出機まで――」

 

「いや、無理だ」

 

 しかし彼の言葉は、言い切る前に燈に遮られた。ニコライは怪訝そうな表情を浮かべ――直後、彼の背中を悪寒が這いずる。

 

「ッ! おい、まさか……ッ!?」

 

 慌てて振り向いたニコライの目に映った光景。それを認識した瞬間、ニコライは己の嫌な予感が的中したことを悟る。

 

「じょうじ」

 

 ニコライ達の背後――今まさに燈たちを向かわせようとしていた階段から、別のテラフォーマーが棍棒を携えて姿を現したのだ。

 

「マジかよ、クソッたれ……!」

 

 ゆっくりと追い詰めるように近づいてくる2匹のテラフォーマー。それを見たニコライは悪態をつきながら、己の『専用武器』を起動した。瞬間、彼の思考が加速する。

 

 

 

 自分が2匹を同時に相手どり、その間に2人を階段に向かわせる――成功率76%。1匹と交戦している間に、2人の内のどちらかが殺される危険性有り。

 

 1匹の相手を膝丸燈に任せる――成功率64%。投薬なしの変態状態で、燈がテラフォーマーに勝てるか否かは未知数。

 

 2人を武器庫に匿い、自分が2匹のテラフォーマーと交戦する――成功率93%。多少時間がかかるが、最もリスクは低い。

 

 

 

 ニューロンが高速で回転し、彼の脳内を一瞬にして計算が埋め尽くす。およそ1秒にも満たない刹那の後、ニコライは燈たちに武器庫の中へと引き返させようと口を開き――指示を口にするその瞬間。

 

 変態に伴って常人よりも鋭敏化した彼の聴覚は、その音を捕らえた。

 

「――っ! お前ら、ここは任せて階段まで走れっ!」

 

 喉元まで出かかっていた言葉を撤回し、ニコライが叫んだ。それを聞いた燈は、思わず眼を見開いて反論する。

 

「おい、無茶だ! いくらなんでも、この狭い通路で俺達を守りながら2対1じゃ――」

 

「問題ねえ」

 

 燈の言葉を遮り、ニコライはその顔に笑みを浮かべた。

 

 

 

()()()()()()2()()2()()

 

 

 

 その瞬間――階段から1人の人間が飛び出した。

 

「オラァッ!」

 

 その人物はテラフォーマーへと駆け寄ると、勢いのまま足を振り抜いた。それを感覚器である尾葉によって察知したテラフォーマーは、それを受け止めようと振り向きざまに棍棒を横に構える。

 

「じっ……!?」

 

 しかしその直後、襲撃者の蹴りを受け止めた棍棒は、あまりにも呆気なく砕け散る。その体は防御ごと吹き飛ばされ、燈やマルコス、ニコライすらも飛び越して、その向こうに転がった。

 バラバラと音を立て、数秒前まで棍棒だったものが床の上に転がる。

 

「やっと追いついたぜ、ゴキブリ野郎……ちょこまか逃げ回りやがって」

 

 苛立たし気に吐き捨てたその人物に、燈とマルコスが驚愕を顔に浮かべた。

 

「大河!?」

 

「おう、燈にマルコスか。その様子を見る限り、無事みてぇだな?」

 

 そう言って襲撃者――東堂大河はゴキリと首の骨を鳴らした。どうやら彼も変態済みのようで、腕からはスーツを突き破って何かの顎か牙を思わせる刃が、額には昆虫のものではない触角が複数生えている。

 

 だが、最大の特徴はそこではない。

 

「大河――お前、いつ髪染めたんだ?」

 

「あん? ああ、これか。ベースの関係でな。完全に変態するとこうなるんだよ」

 

 一番目立つ変化は、彼のリーゼントが黒色から金色へと変わっていたことだった。これまでは黄色中心の配色だった体も、非完全変態の枷を外された今は金色に変化している。

 

「どうだ、イカすだろ?」

 

「そ、そうだな……」

 

 何とも言えない表情で、言葉尻を濁しながら返事を返した燈。大河はそんな彼らとニコライ、そして2匹のテラフォーマーを交互に見やると、獰猛な笑みを顔に浮かべる。

 

「なるほど……とりあえず、状況は把握したぜ。そこのゴキブリ2匹は、俺とニコライで潰しとく。お前らはこのまま、そこの階段で脱出機まで行け」

 

「……大丈夫、なのか?」

 

 燈の言葉に、大河は「おうよ」と頷く。

 

「何を心配してんのかはわかんねーが……俺らのことなら問題ねえ。薄々気付いてると思うが、俺らはかなり強いからな」

 

「おっと、経路の心配も要りませんよ。こっから先、生きたテラフォーマーに遭う可能性はかなり低い」

 

 大河の言葉に、ニコライが続ける。

 

「脱出機の格納庫には、アドルフ班長があてがわれてる。あの人なら、ただのテラフォーマー如きに遅れは取らねーはずです。そんでもって、そこに通じる階段も問題ない。なんたって――」

 

 そして2人は声を揃え、確信を持った口調で断言した。

 

 

 

 

 

 

 

「「階段守ってんのは、我らが指揮官殿だからな」」

 

 

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ――アネックス1F、階段前。

 

 そこにいたのは、1匹のテラフォーマーだった。

 

 20年前、旧バグズ2号の乗組員であるミンミン・リー両名が交戦したのと同じ、力士型のテラフォーマー。幼少時からの動物性タンパク質の接種によって作り上げられたその肉体は、強靭にして頑強。攻撃に転じればその一撃は速く重く、防御に回れば甲皮も合わせ並大抵の物理攻撃は通さない。

 

 言うまでもなく、その戦闘力は通常の個体の比ではない。ミッシェルと共にアネックス1号の副艦長を務めるミンミンや、小吉に並ぶ戦闘力の持ち主であるリーでさえ、当時は仲間の協力なくして勝つことは敵わなかった存在。

 

 

 

 ――その力士型が今、体の何か所かに穿たれた穴から体液を垂れ流しながら、床の上に倒れ伏していた。

 

 

 

「どうした、その程度か?」

 

 頭上から響いたその声に、力士型は顔を上げる。彼はその視線の先、ある階段の踊り場に、己を叩きのめした人間の姿を認める。

 

 

 

 潜入員(サイドアーム)指揮官、バスティアン・フリーダー。

 

 

 

 彼は腕に生えた針――形状的には『杭』と表現するのが的確かもしれない――にこびり付いたテラフォーマーの体液を払い落し、静かに口を開いた。

 

「筋力に瞬発力、持久力……なるほど、どれも一級品だ。相当鍛えたんだろうな、甲殻型でもなければ、お前の攻撃を受ければ一撃で戦闘不能になる」

 

 そう言って、バスティアンは階段を降り始めた。

 

「だが、()()()()()()()()

 

「じょ……ッ!」

 

 徐々に近づいてくる人間を迎撃するため、それを見た力士型は立ち上がる……だが、体が思うように動かない。踏みしめたはずの足はふらつき、握りしめた拳は彼の意思に反して弛緩する。

 

「打たないのか? もう目の前だぞ?」

 

「――!」

 

 目の前に立ったバスティアンに、力士型は剛腕を振るった。力が入らないとはいえ、その一撃はまともに受ければ人間ならば一撃で粉々になる威力。

 しかしバスティアンは体の軸をずらすだけで、それをほとんど動かずにかわしてみせた。

 

「隙が大きすぎる。よく見ておけ……拳はこうやって打つ」

 

 そう言うと、バスティアンは無防備になった力士型の胴体に拳を放った。腕から生えた杭が力士型の体に新たな穴を穿つ。そこから流し込まれた物体に力士型は体を大きく痙攣させると、膝を折った。

 

「む、思った以上に頑丈だな。クローンならとっくに死んでる量を打ち込んだはずだが……」

 

 それを見たバスティアンが思わず感心の声を上げたその時、彼の襟に取り付けた通信機が慌ただしく艦内からの声を運んできた。

 

 

 

『こちら『シンデレラ』! Sエリアのテラフォーマー、討伐完了っ! とりあえず、逃げ遅れた乗組員はこのエリアにはいないみたいだね』

 

『こちら『マーメイド』、私もゴキブリを1体やっつけた。途中で会った劉さんにヨウは押し付けたから、今は1人でパトロールなう。ところで……確かゴキブリって食べれたよね?』

 

『衛生上、止めておいた方が賢明かと。こちら『ラプンツェル』、クルー居住区内に侵入したテラフォーマーをクールに無力化――って、あぁっ!? こら、『マーメイド』! 言ってる側から嫌な咀嚼音を立てないでください!? せめて火を――!?』

 

『相変わらず緊張感のねー奴らですね……こちら『ノースウィンド』、俺も1匹仕留めたぜ。獲れたてホヤホヤ、新鮮な死体を丸ごと先着1名様にお届けだ』

 

『おう、『ゴールドアックス』、1匹討伐。このエリアにも逃げ遅れた奴はいねーみたいだな。で、こっから俺達はどーすりゃいい、『ゴルゴン』?』

 

 

 

「む、先を越されたか……こちら『ゴルゴン』、状況了解。全員、逃げ遅れた者がいないか確認しつつ、直ちに脱出機格納庫まで向かってくれ。俺もすぐに向かう、オールオーバー」

 

 通信機の向こう側の仲間にそう返すと、バスティアンは再び力士型を見下ろした。

 

「では、そろそろ終わりにしよう。何しろこれから、お前のデカい体を担いで最上階の格納庫まで行かなきゃならないからな。ついでだ、冥土の土産に敗因を教えてやろう」

 

 まるで殺虫剤を浴びたゴキブリのように床の上でじたばたともがく力士型に、バスティアンが語り掛けた。

 

「お前は(にんげん)を嘗めすぎた」

 

「じょ、じょう……!」

 

 力士型はその体を起こそうと、手足に渾身の力を込めた。だが、立てない。まるで見えない何かに力を吸い取られているかのように、力んだ側から自慢の筋肉から力が抜けていく。

 

「地力で劣る俺達なら、力押しで何とかできると思ったか? 笑わせるな、戦いはそんな単純なものじゃない。技術、信念、一緒に戦う仲間……どれか1つでも妥協すれば、その瞬間にそいつは敗ける」

 

 バスティアンはそう言って目を細めた。

 

「お前に磨き上げた技術があるか? 死んでも貫き通したい信念があるか? 命を賭しても守りたい仲間がいるか? それがお前の――テラフォーマー(お前達)の敗因だ」

 

 眼前の人間から逃れようと、力士型が後ずさった。しかしそれすらも許さないとばかりに、バスティアンは力士型の足を踏みつけて、力士型の巨体をその場に釘付けにする。

 

「俺達には磨き続けた技術がある。譲れない想いがある。背中を預けられる仲間がいる。だから、俺達はここにいる」

 

 瞬間、力士型の体が微かに硬直した。気圧されたのだ、バスティアンの眼光に。それは久しく、彼らが忘れていた感覚――即ち『敵に捕食される』という、原初の記憶。

 

 最期を迎える直前、彼はそれをその身で以て思い出した。

 

 

 

「覚えておけ、テラフォーマー。例え数で劣ろうと、地力で負けようと……最後に勝つのは、人間(俺達)だ」

 

 

 

 そして次の瞬間、力士型の視界は闇に覆われた。

 

 

 




【オマケ】希望の生物 潜入員編(手術前)

※アーク計画実働部隊に勧誘されるのは戦闘向きの生物に適合する者だが、戦闘向きのベースが複数適合する場合、ある程度選ぶことができる。


大河「ベースの希望? ぶっちゃけ何でもいいが……あ、できれば虎にしてくれ。名前的に気に入ってんだ」

キャロル「アタシは癒し系か可愛い系の生き物で! 任務中は皆の心が荒れると思うから、動物セラピーの真似事ができるといいなー」

ニコライ「ナスチャの好み的に、なるべく機械みたいな奴の方が……待て、冗談だ。おい、そのニヤニヤ顔を止めろ!?」
※アナスタシアの好みのタイプ:心というの名バグを負ったアンドロイド(公式プロフィールより)

リンファ「ニワトリ一択。卵焼き、茹で卵、プリンにケーキ……毎日卵食べ放題、夢が広がる。じゅるッ……だめなら、何でもいいからお腹いっぱいになる奴」

バスティアン「ふむ……可能であれば、肉弾戦ができる生物を頼む。うちの班はどうにも、肉体派が少ないようだからな」

カリーナ「何とは言いませんが、 ク ーーー ル な 生物をお願いしますよ! 何といっても私は ク ー ル ビ ュ テ ィ ですからねぇ! 私のようなクー(略)」



※ベース生物予想、お待ちしています!(ネタバレの都合上、当たっても外れてもはぐらかすと思いますが) 
 感想欄で具体的な生物の名前を出すのが気が引ける場合、メッセージにてどうぞ……




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