「な、んで……!?」
吹き抜ける熱風が、肌をじりじりと焼く。眼前で爆ぜ燃える火柱に飲み込まれた幼馴染の姿に、マルコスはただ茫然と立ち尽くすことしかできなかった。
――バグズ手術 ” ミイデラゴミムシ ” 。
外敵から身を守るため、摂氏100℃の超高温のガス『ベンゾキノン』を噴射するというその特性は、人間大のスケールで行われれば火炎放射器さながらの大爆発を引き起こす。アネックス1号の乗組員、こと日米合同班の面々は、その威力と脅威を嫌という程に知っていた。
なぜならば――U-NASA所属、アネックス計画特別戦闘訓練顧問官 ゴッド・リー。
『火星環境下におけるゴキブリ制圧能力のランキング』――通称『マーズランキング』において3位相当の実力を誇る実力者にして、自分達に凶星で生き抜くための術を教えてくれた人物。
彼に与えられていたベースこそが『ミイデラゴミムシ』だったから。
「嘘だろ、おいシーラ!? シーラッ!?」
幼馴染の凄惨な最期を想像したマルコスの口から絞り出された声は、悲痛なものだった。
至近距離からベンゾキノンの大爆発を受けたのだ、テラフォーマーならいざ知らず、人間が無傷でいられる道理などない。まして、シーラは変態すらしていない生身の状態、一瞬で焼死体になっていることは想像に難くない。
――シーラ・レヴィットは死んだ。
その場にいる誰もが――第1班の班員のみならず、襲撃を仕掛けた2匹のテラフォーマーですらそう確信した。
――しかしその直後、彼らの認識は覆されることになる。
「……?」
最初に違和感を抱いたのは、半透明のテラフォーマーだった。
――MO手術 “軟体動物型” クリオネ
半透明な体と赤い臓器が特徴的な、巻貝の仲間である。『流氷の天使』の愛称で知られるこの生物はメディアで取り上げられることも多く、メジャーとは言わないまでも、知っている人も少なくないことだろう。
その一方、クリオネの食事方法が中々に恐ろしいものであることもまた、トリビアとして有名だ。その所以が、クリオネの口から接触時に伸びる6本の触手、バッカルコーン。肉食性のクリオネはこれによって獲物を捕らえ、心行くままに貪るのである。
当然、暴れる獲物を押さえつけるため、その触手は相当な筋力を有しているのだが――クリオネ型テラフォーマーの口から伸びる、6本のバッカルコーン。そこにかかる重量が妙に軽かったのだ。
異変を感じたクリオネ型はすぐさまバッカルコーンを引き戻し、すぐに気が付いた――いや、この場合はやっと気が付いた、というべきだろうか。
昆虫であるテラフォーマーに、痛覚はない。ゆえに、彼はその目で見るまで気が付かなかったのだ。
直後、ベンゾキノンの煙が晴れて視界が開ける。そこに高熱で焼かれ、変わり果てたシーラの焼死体はなかった。
「――どこ見てんだ、ゴキブリ共」
静寂を破り、朗々とその声は響いた。その場にいた全員が声の方を見れば、先程シーラが立っていた場所から少し離れた位置に、1人の男がいた。
リーゼント頭が特徴的な大柄な青年だ。既に薬の効果は切れて人間の姿に戻っているが、その足元には数秒前までクリオネ型の口から伸びていた触手の断片が転がっている。
そして、変態が解けてなお逞しいその腕の中には――死を覚悟し、目を固く瞑ったシーラの姿があった。
「あ、れ? 生き、てる……?」
いつまで経っても熱や痛みがないことに気が付いたのだろう、恐る恐るシーラが目を開けた。それから一瞬遅れて自分が誰かに抱かれていることに気が付くと彼女は顔を上げ、視界に飛び込んできた意外な人物に目を丸くした。
「大河?」
「よォ、シーラ。災難だったな」
目を白黒させるシーラにそう言うと大河は腕を解き、彼女を庇うように前に立った。彼はそのまま、網に絡まったミイデラゴミムシ型のテラフォーマーを睨む。
――生身の人間など、絶好の的。
そう判断したミイデラゴミムシ型は、すぐさま彼にベンゾキノンの噴射孔を向けるが――。
「じょう」
その行動を相方であるクリオネ型が制止した。その視線の先には、脱出機へと戻りつつある第1班の戦闘員たちの姿があった。
クリオネ型もミイデラゴミムシ型も、白兵戦に特化した特性を持った個体ではない。とてもではないがあの数の戦闘員をさばき切ることは不可能だと、彼は判断したのだ。
「じじじ、じょう!」
軟体動物型の再生能力によって、口から伸びるバッカルコーンを即座に修復。クリオネ型はそのまま、網に囚われたミイデラゴミムシ型を回収すると脱出機から跳躍して距離をとった。
「……マルコス、シーラの側にいてやれ」
「あ、ああ!」
大河の言葉に、我に返ったマルコスがシーラに走り寄る。
それと入れ替わるように脱出機へと小吉が戻ってきたのを見ると、大河はピシッ! と頭を下げた。
「すいません、艦長。戦線を乱すような真似しちまいました」
「あー……まぁ、いきなり脱出機まで大ジャンプをかました時は何事かと思ったけどな」
困ったように頭をかく小吉に、大河がもう一度頭を下げる。
――先程まで大河は、小吉と共に脱出機正面のテラフォーマーと戦っていた。
だが脱出機の異変に気付いた彼は、小吉に「後は任せます」の一言だけを残し、文字通り『ひとっ跳び』で脱出機まで駆けつけたのである。
「まぁ、気にするな。お前のおかげでシーラが死なずに済んだんだ。俺も怪我はしてねぇし、結果オーライってやつだ」
気にするなと手を振り、それから小吉は視線を2匹のテラフォーマーへと移した。
「それにしても、厄介だな……MO手術を施されたテラフォーマーか」
離れた位置から脱出機の様子を伺うテラフォーマー達に、小吉は表情を険しくした。
――そもそも根本的な問題として、なぜテラフォーマー達がMO手術を受けているのか?
小吉は束の間思考し……そして、1つの可能性に思い至る。
「奪われた……いや、
火星には苔とゴキブリ、この2種類の生物しかいない。当然、ミイデラゴミムシやクリオネが生息しているはずはないのだ。となれば、彼らがMO手術を入手したルートが存在していることになる。
例えばバグズ手術やMO手術被験者の死体があれば、技術が『奪われた』可能性も考えられる。
だが、テラフォーマー側で手に入れることができる死体は限られている。先のバグズ1号の乗組員はいずれもただの人間であったし、ドナテロ・K・デイヴスの手術ベースはパラポネラだった。技術が奪われた可能性は高くない。
そうなれば必然的に答えは『何者かによるテラフォーマーへの技術提供』へと収束する。
「どこのバカだ、こんな真似しやがったのは……!」
テラフォーマーへの技術提供。その行為が意味するのは、アネックス計画――ひいては、人類そのものへの裏切りに他ならない。
自国の利益のためだけに、人類の存亡をかけた計画を踏み躙る。虫唾のはしる行為に小吉は拳を固め――しかし義憤に駆られている場合ではないと思い直し、彼は冷静に判断を下した。
「お前ら、下がってろ。ここは俺が――」
「いや、待ってくれ艦長」
だが、大河がそれに待ったをかけた。
「奴らの相手は、俺がやります」
その言葉に小吉は何も言わず、視線で理由を問いかけた。彼の真意を察した大河が、更に口を開く。
「理由は二つ。まず一つ目は、あいつらの様子が妙だってこと」
――それは直感的な、ともすればこじつけにも近い推論だった。しかし大河は、自分のその考えに、確信めいた何かを感じていた。
クリオネ型のテラフォーマーは、戦闘員たちが駆けつけるのを見て脱出機から距離をとった。つまりそれは、戦力差を理解しているということ。
テラフォーマーはバカではない。ゆえに、やみくもに襲い掛からない行動をとること自体には何の問題もないのだが……だからこそ、大河は彼らの行動に引っ掛かりを覚えていた。
偵察ならば、十分に役割は果たしたはずだ。奇襲ならば、既に試みは失敗したはずだ。それにも関わらず彼らがこの場にとどまっている。
「俺、頭は悪いですけど……こういうのはなんとなく分かる。アイツらは多分、まだ何か企んでやがる」
日々他組織との闘争に明け暮れ、日常的に喧嘩を繰り返していた大河だからこそ、手に取るように分かった。
今の空気は、喧嘩相手に逃げ場のない路地裏へ誘い込まれた時によく似ている。じわりじわりと首を絞められているような、重苦しくピリピリと肌を刺されているかのような感覚。もしも小吉が脱出機から離れてしまったのなら、最悪の結末を迎えるかもしれない……そんな確信が、彼の胸の中にあった。
「だから艦長は、脱出機にいてください。奴らの『本命』が当たった時、一番班員を守れるのは俺じゃない。貴方だ」
大河の言葉に小吉は一瞬だけ考え込むと、静かに頷いた。
「わかった……そっちは任せたぞ、大河」
「ウス」
脱出機の縁に足をかけ、追撃のために飛び降りようとする大河。そんな彼を小吉は呼び止める。
「大河、2つ目の理由ってのは?」
「……ああ、それはですね」
小吉の問いかけに一瞬だけ黙り込み――それから大河は、修羅が如き形相で答えた。
「――あのゴキブリ共は、俺の可愛い妹分を殺そうとしやがった。だから……俺自身の手で潰さなきゃ、気が済まねェ」
そう言うや否や、大河は脱出機から身を躍らせた。
かなりの高度があるものの、火星の地面には柔らかい苔が群生している。彼は危なげなくその上に着地。
バッカルコーンを展開して警戒するクリオネ型と、既に網から這い出し、どこからか取り出したナイフを構えるミイデラゴミムシ型のテラフォーマーを睨みつけた。
「そういうわけだゴキブリ共。その気色の悪い面、ちょいと貸してもらうぜ――」
そう言って大河は、ポケットから
「――ま、借りても返さねぇけどな」
――容器内の薬を、摂取した。
MO手術において、変態薬の形状はベースとなる生物の種類によって異なる。例えば昆虫ならば注射器、哺乳類ならばパッチ、甲殻類ならば葉巻や煙管というように。
大河が使った点鼻薬は、手術ベースとして環形動物を用いた者が変態するためのもの。
環形動物と言われても今ひとつピンと来ないかもしれないが、ミミズやゴカイなど釣り餌として用いられる生物を思い浮かべれば、イメージが湧きやすいだろう。
だが、ベースとなった生物を反映した姿へと変異しつつある大河を見れば、間違っても『釣り餌』などという印象は抱かないはずだ。
頭髪は生物の体色を反映した黄金へと染まり、太陽の光をギラリと跳ね返す。
額から伸びる五本の触角は、周囲の様子を探るように忙しなく揺れる。
隊服の袖を破って露になった両腕には、生物に由来する大顎を象った刃。それは『切断する』ためのものではなく、『食らい尽き、引き裂く』ことに特化した、鋸のような形状をしていた。
――その生物は、魚『の』餌になるのではなく、魚『を』餌にする海の捕食者である。
狩りの手段は『黄金』という極めて目立つ体色とは裏腹に、水底に潜みただひたすら獲物を待ち続けるという地味なもの。
しかし一度獲物を見つけたのならば、口の両脇に備えられた大顎と、強靭な筋肉によって発揮される敏捷性で、自分よりも大きな魚にも躊躇なく食らいつく。その威力は時に、魚の肉体を真っ二つに引き裂いてしまうことさえあるほど。
――故に、
極めて獰猛な、まさしく海の処刑人と形容するに相応しい生物。それが、大河に与えられた特性である。
「さて、バグズ手術だかMO手術だか知らねえが……来いよ、ゴキブリ共」
その言葉に、思わず2匹のテラフォーマーは後ずさった。
気圧されたのだ、変異を終えた大河の姿に。
彼の背後に見えた、魔物の名を冠する生物の幻影に。
そして……大河の顔に張り付いた、攻撃性を隠しきれない凶暴な笑みに。
「
東堂大河
国籍:日本
22歳 ♂
180cm 80kg
『アークランキング』13位 (マーズランキング9位相当)
MO手術 “環形動物型”
――――――――――――オニイソメ――――――――――――
&
“ツノゼミ累乗術式” MO手術ver『
――――――――――――ムシャシロアリ――――――――――――
――
【オマケ①】 環形動物型変態薬の制作秘話 ※本編とは関係ありません
候補① ハンドソープ
候補② 歯磨き粉
候補③ 浣腸
クロード「という訳で大河君、一言意見を聞かせてくれ」
大河「 ふ ざ け ん な ! ? 」
クロード「分かりやすい意見をありがとう。実際、戦闘中に手を洗ったり歯を磨いたりお尻を出したりというのも、格好がつかない……というわけで、並行世界のU-NASAから薬を取り寄せた」
大河「!?」
クロード「点鼻薬だ。大事に使ってくれ」
大河「!?!?」
※今回登場した『点鼻薬型』の変態薬は、子無しししゃも様の『深緑の火星の物語』の作中で使われているアイデアをお借りしました。
いきなりの不躾なお願いを快く受け入れてくださり、本当にありがとうございました!
【オマケ②】
マルコス「……いや、初期案に比べれば大分まともだけどさ。戦闘中に薬を鼻に突っ込む絵面も、そこまでかっこよくはな」
小吉「しっ!」