贖罪のゼロ   作:KEROTA

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冒涜弔歌OLIVIER-7 狂愛の残穢

 ──ただいま。

 

 扉を開けたダリウスはいつもの癖でそう言った。けれど家の中から返ってくるのは虚無ばかりで、一拍おいてやっと彼は思い出した。彼のにぎやかな日常は、少し前に壊れてしまったことを。

 

「──」

 

 鞄を置き、ダリウスはキッチンに立つ。冷蔵庫を開け、中から取り出した生肉に包丁を入れる。

 

「──」

 

 ──きっとどこかで、自分の歯車はズレていたのだ。

 

 シュウシュウと肉が焼ける音。微かに変わった音でそろそろ火加減を調整すべきか──などと考えている自分に気づいて、ダリウスは思わず笑ってしまう。

 

 今彼が焼いている肉は牛ではない。豚でもない。鳥でもない。それはこの街にありふれた、それでいてどこの肉屋を回っても手に入ることのないだろう食肉──しかも今回の食材はダリウスにとって、この世に唯一無二の高級食材といってもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヒトの肉である──それも、自分を産んだ母親の。

 

 

 

 

 

 

 ダリウスは今、母親を調理しているのだ。

 

 

 

「……」

 

 焼き加減はレア、味付けはシンプルに塩とブラックペッパーで。余計な添え物はせず、素材を味わうための調理法だ。

 

 ステーキを鉄板ごとテーブルに乗せ、ダリウスはナプキンをつけた。誰もいない椅子の上に、ダリウスはまだ親子三人で暮らしていた頃の記憶を幻視する。

 

 ──こいつは歌手になるんだ! と、父の幻影は言う。

 

 ──いいえ料理家になるんです! 負けじと母の幻影は言い返す。

 

 ──どっちにもなるから喧嘩しないで、とダリウスが仲裁すれば、両親の影は困ったように笑って……そして、掻き消える。

 

 

 

 この幸せな夢が長くは続かないことを、彼は知っていた。そして──こんな日が二度と来ないことも、彼は知っている。

 

 それはオースティンという血統に刻まれた『呪い』だった。アメリカがまだ開拓時代だった頃に実在した一人の殺人鬼『エスメラルダ・オースティン』という少女から始まった、悲しくも忌まわしき性。

 

 

 

 オースティンの人間は、ヒトを食肉としてしか愛せない。

 

 

 

 元気な子供が夕飯のオムライスに目を輝かせるように、日々の激務につかれたサラリーマンが仕事帰りのビールに憩いを求めるように。彼らはヒトという極上の肉をこよなく愛する。

 

 果たしてそれが生物学的な突然変異なのか、あるいは本当にオカルトじみた呪いなのか。ダリウスにはわからない。しかし確かなことは彼の父も、そのまた父も――皆、血の呪いに屈してきたということ。そして自分もまた――血の宿命に、抗うことができなかった。

 

「……いただきます」

 

 ダリウスは目の前で香ばしく焼けるステーキをナイフで切り分け、フォークで口に運ぶとゆっくりと咀嚼して飲み下す。

 

 

 

 自分を産んだ女の肉を食べた感想は、これまでに彼が平らげてきた他の人間()と同じく、大差なく。

 

 

 

 

 

 吐き気を催すほどに美味しかった。

 

 

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ただいま」

 

 扉を開けたダリウスはいつもの癖でそう言った。家の中から次々と返ってくるのは「おかえりなさい」という3人の声、次いでドタドタと廊下を走る小さな二つの足音。

 

「おかえり、パパ! 待ってたよ!」

 

「遅いよパパー!」

 

 やがて姿を見せた、2人の愛らしく幼い兄妹。最愛の我が子たちの姿に、ダリウスは思わず顔を綻ばせた。

 

「ただいま、待たせてごめんね」

 

 ダリウスが2人の頭をくしゃくしゃと撫でれば、兄妹はくすぐったそうに目を細めた。子供たちの体温に安心感を覚えながら、不思議なものだとダリウスは思う。まさか自分が、こうして誰かを愛することができるようになるなんて、と。

 

「……ん?」

 

 そして一瞬ののちに、違和感。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 

 

 誰かを愛するなんて、そんなの当たり前のはずなのに。なぜ自分は、違和感を覚えたのだろうか? 

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

 しかしそんな疑問は、家の奥から遅れて姿を見せた人物を目にして霧消する。小走りで現れたのは黄金の長髪を三つ編みに結わえた、エプロン姿の女性だった。一見すると高校(ハイスクール)の女生徒にも見えそうな、やや幼い顔立ち。ダリウスと対をなすかのような真紅の瞳は、まるでルビーのようである。

 

「おかえりなさい、ダリウス様っ!」

 

「おっと……こらこら」

 

 無邪気の飛び込んできた彼女を抱きとめると、子供たちが僕も私も、と騒ぎながらダリウスの脚にしがみつく。3人に抱きしめられる形になったダリウスは、困ったように笑った。

 

「エメラダ、子供たちが真似をしたらいけないからやめよう、っていつも言ってるだろう?」

 

「ふふ、ごめんなさい」

 

 そう言って笑うも、ダリウスの妻──エメラダ・オースティンの顔に反省の色はない。浮かんでいるのは喜色ばかりだ。その幸せに満ち足りた表情を見ると、彼はいつだって何も言えなくなってしまうのだ。

 

 これも惚れた弱み、というものなのだろう。そう、これも思えばあの日彼女と出会って──

 

「……あれ?」

 

 そこまで考えて、ダリウスはまた違和感を抱く。果たして自分は、どういった経緯でエメラダと出会ったのだったか? 

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

「そんなことよりもママ、早くパパのお誕生日パーティ始めようよー!」

 

「お誕生日パーティ! お誕生日パーティ!」

 

 しかしそれについて考える間もなく、子供たちが声を上げる。ぴょんぴょんと跳ねてねだる彼らの声を聴いて、そういえば今日は自分の誕生日パーティをするために早く帰ってきたんだった、とダリウスは思い出す。

 

「パパ、ケーキはー?」

 

「ケーキ! ケーキ!」

 

「もちろん、焼いてきたよ」

 

 そういってダリウスが、レストランのオーブンで焼いてきたバースデーケーキを入れた容器を見せれば、子供たちから歓声が上がる。自分のためのバースデーケーキを焼く、というのは妙な心持だったが、子供たちが喜んでくれるならば焼いた甲斐はあったか、と思い直す。

 

「ほら二人とも、手を洗ってきなさい。その間に、ママがお料理を並べておくから」

 

 エメラダの言葉に「はーい!」と元気な返事をして、子供たちはドタドタと家の中に駆けていく。その様子を見守りながらエメラダとダリウスは玄関をくぐって、扉を閉めた。

 

「……ダリウス様」

 

「なんだい?」

 

 ふと呼び止められて、ダリウスは背後を振り向いた。そこにいたエメラダはいつになく真剣な表情で、彼に問う。

 

「貴方は今、幸せですか?」

 

 吸い込まれそうなほどに深い赤色の双眸が、自分を見つめている。そのあまりの美しさに思わず見惚れて、それから我に返ったダリウスは慌てて返事をした。

 

「勿論だよ。俺の料理を喜んでくれる人がいて、俺の歌を楽しんでくれる人がいて、子供たちがいて──何よりエメラダ、君という可愛い奥さんがいる。これで幸せじゃないなんて言ったら、罰が当たる……君はどう?」

 

 その返答に、エメラダはぱっと顔を輝かせた。それから駆け寄ってきた彼女は、もう一度ダリウスの体に抱き着いて、その頭をダリウスの頭にこすり付けた。

 

「勿論私も幸せです、ダリウス様っ!」

 

「……それなら、よかった」

 

 そんな彼女をダリウスもまた抱きしめ返して、そっと彼女の髪を梳く。ブロンドの髪はきちんと手入れがされているのかとても柔らかで、手に心地よい。おずおずと顔を上げたエメラダのうるんだ瞳に、ダリウスの心臓の鼓動が高鳴る。

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

「ダリウス、様……」

 

 赤く頬を染めたエメラダが切なげに漏らしたその声に、ダリウスは脳の芯が痺れたような感覚を覚えた。彼女の桃色の唇から目が離せない。そっと彼女の顎に手を添えれば、「ん……」と小さな声を漏らしはしたが、抵抗はない。全てを委ねるように、彼女は自身の重さをダリウスに傾けた。

 

 夕刻、黄金の光が差し込む家の中で。ダリウスとエメラダの顔の距離が少しずつ近づいていき──。

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

「パパー! ママ―! まだー!?」

 

 

 

 

 

 部屋の奥から響いた声に、二人はぱっと距離をとった。慌てて声のした方へと顔を向ければ、きょとんとした顔でこちらを見つめる息子の顔があった。

 

「なにしてるの?」

 

「いや……なんでもないよ。すぐに行くから、座っていて」

 

 幸いなことに、ダリウスの言葉に疑問は持たなかったらしい。元気よく返事をすると、彼は大人しく奥へと部屋の奥へと戻っていく。

 

 いけない、どうかしていたようだ。

 

 頭を振って歩き出そうとするダリウス。そんな彼の裾をちょこん、とエメラダは掴む。

 

「エメラダ?」

 

「あっ……え、と……」

 

 顔を赤く染めながらもどこか物足りない様子のエメラダは、落ち着きなく視線を泳がせた。彼女の真意を理解したダリウスは困ったように頬を掻いてから告げた。

 

「続きは……子供たちが寝てから、ね?」

 

「っ!」

 

 湯気を吹き出しそうな顔でコクコクとうなづくエメラダに、こっちまで恥ずかしくなる思いがした。ダリウスは照れ隠しに小さく息を吐いてから、子供たちが待つダイニングキッチンへと向かった。

 

「おそーい!」

 

 ぷくっと頬を膨らます娘にごめんごめんと謝って、ダリウスは席に着いた。正面に娘、隣に息子、斜め向かいに妻のエメラダ。オースティン家が食卓を囲む際の定位置だ。

 

「今日の晩御飯はねー、僕たちも手伝ったんだよ!」

 

「おお、頑張ったね。えっと──?」

 

 自慢気に報告する息子を褒めようとして、ダリウスは気づいた。この愛しくて愛しくてたまらない、最愛の我が子たちの名前は、何だっただろうか。

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

「マイクは添え物のニンジンの型抜き、アンナはサラダの盛り付けを手伝ってくれたの」

 

「……そうか。頑張ったねマイク、アンナ」

 

 疑問が氷解したダリウスが言えば、2人はえへへ、と嬉しそうに笑った。

 

「エメラダもありがとう。君の料理は、いつも美味しい」

 

「っそ、そんな! ダリウス様に比べれば、私なんて全然……」

 

 わたわたと慌てふためくエメラダだが、ダリウスの言葉に偽りはない。確かに一流の料理人である自分に比べれば粗もあるが、彼女が毎晩作ってくれる料理は美味しい。自分では出すことのできない、家庭的な味わいだ。

 

「ねーねー! それよりパパ、お夕飯なんだと思うー?」

 

「うーん、なんだろう?」

 

 うきうきとした様子で息子が見つめているのは、ダリウスの前に置かれた料理だ。銀の皿カバーによって覆われたそれは、高級レストランで出されるそれに似ている。

 

「ママが作ったごちそうだよ!」

 

「開けてみて開けてみて!」

 

「どれどれ……」

 

 子供たちにせかされ、ダリウスは料理の蓋を取った。視界いっぱいに広がる、湯気の白。それが晴れて、ダリウスの目に飛び込んできたのは──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「      」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ステーキだった。

 

 

 

 

 

「あ、え……?」

 

 焼き加減はレア、味付けはシンプルに塩とブラックペッパーで。余計な添え物はせず、素材を味わうための調理法だ。ジュウジュウと音を立てて鉄板の上で焼けていくその肉に、ダリウスは血の気が引く思いがした。ただの料理だ──いや、ただの料理ではない。最愛の妻が、自分の誕生日を祝うためにわざわざ作ってくれた、最高の料理だ。

 

 本当なら胸が躍るほどに嬉しいはずなのに。お腹が空いて空いて仕方がないはずなのに。

 

 

 

 どうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? 

 

 

 

 ──下腹部が熱を帯びる。

 

 

 

「ダリウス様?」

 

「っ! いや、何でもないよ」

 

 心配そうに覗き込むエメラダに、取り繕うようにダリウスは言った。一瞬前の自分が情けない、何をそんなに恐れていたのだろうか? 

 

 しかし──そう言い聞かせても、彼の気は晴れなかった。

 

 子供たちがプレゼントにと書いてくれた手紙と自分の似顔絵をもらっても。みんなでハッピーバースデイの歌を歌っているときも。しつこい油汚れのように、ダリウスの心にはねっとりと生理的な嫌悪感が張り付いて離れない。

 

「「いただきまーす!」」

 

「召し上がれ。ダリウス様も、お腹いっぱい食べてくださいね」

 

「うん……」

 

 そして、実食の時が来た。

 

 ダリウスはナイフとフォークを手に持つと、ナイフを肉に入れる。切り分けた断面はほのかなピンク色で、肉汁がじわりとあふれ出す。火の通った肉と胡椒のスパイシーな香りが鼻をくすぐる。

 

 生唾を飲む。空腹だからではない、むしろその逆──彼の腹は鉛のように重かった。

 

 なぜだ? なぜこんなにも、自分は鉄板の上で焼かれているこの肉を恐れているのか。

 

「パパ?」

 

「食べないのー?」

 

 気が付くと、子供たちが不思議そうに自分を見つめていた。駄目だ、悟られてはいけない。

 

 ダリウスは「食べるよ」と子供たちに笑いかけると、切り分けたステーキを刺したフォークを持ち上げた。一口に収まってしまうほどの大きさだが、異様な重さを感じる。それは命の重みなのだ、とダリウスは思った。なぜかはわからないが、そう思えてならなかった。

 

 口を開く。歯の門を上下に開く顎の動きは普段よりも歪で、その肉を食べることを本能が拒んでいるようだった。いつもならなんとも感じない口の中が、いやにねばついているように感じる。

 

 フォークを口に運ぶ。肉の表面を滴る汁の囁きが恐ろしくて、ダリウスは口を閉じてフォークを引き抜くことを躊躇する。

 

 それでも、食べなければ。自分のために、最愛の妻が作ってくれた料理なのだから。

 

 意を決したダリウスは、まるで嫌いなものを頑張って食べようとする子供のように目をぎゅっとつむると、口を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 ぱ

 

 く

 

 

 り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、ゲ  ホ! ウお、ォえ!」

 

 そして次の瞬間、ダリウスはその肉を吐き出していた。子供たちとエメラダが慌てているが、それに反応する余裕はなかった。

 

 目が血走り、汗が吹き出し、全身に鳥肌が立つ──下腹部が熱を帯びたが、全身を貫く悪寒を前に、そんなものは気にならなかった。

 

 

 

 忘れられない、忘れられるはずもない。

 

 

 

 例え自分が犯した罪の記憶が置き去りにされようと。例え仲間との思い出が忘却の彼方へ追いやられようと。()()()()()()()()()()()()()

 

 吐き気を催すほどの旨味。それまでに食べてきた食材が廃棄物か何かに思えてしまうような味わい。ああ、どうして。どうして自分は、背負った十字架の重みを忘れていた!? 

 

 今自分が口に入れた肉は。

 

 

 

 最愛の妻が自分のためにと作った料理の原材料は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人肉だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胃の底が混ぜっ返されるような不快感とともに、ダリウスの目に映る景色が軋み、そして歪んでいく。 

 

 

 黄昏時のマイホームの景色は、薄暗く飾り気のない調理場の景色に。

 

 目の前で香ばしく焼けていたステーキは、ただの生肉に。

 

 子供たちは、影も形もなく消え失せ──そして。

 

 忘却の海に沈められていた記憶が、堰を切ってあふれ出した。

 

 

 

 

 

 ──襲い掛かる純白の戦乙女から逃れ、ダリウスは女性研究員とともに廊下を走る。

 

『大丈夫ですか、ダリウス様?』

 

『問題ないよ。さすがにちょっと痛むけど』

 

 背負っていた彼女に気丈に笑いかけた。それを見てほのかに顔を赤らめる研究員に首をひねりながらも、ダリウスは口を開いた。

 

『それよりも君、ここの職員だったんだよね? 管制室までの道を知らないかい?』

 

 そういったダリウスの腕にはめられた通信端末の画面は、ジラジラと砂嵐を写すばかり。どうやら通信系統が再ジャックされたらしく、スレヴィンとの通信も再び途絶してしまったのだ。

 

 正規のルートであれば頭に入っているのだが、さすがに回り道のすべてを網羅しているわけでもない。ならばこの場所に詳しいだろう人物に聞けばいいだろう、と考えたのである。

 

『あ、それなら知ってます! ダリウス様、次の曲がり角を右へ!』

 

『オッケー!』

 

 無人の廊下を、ダリウスは駆ける。少しばかり息が上がってきたが、戦況は刻々と変化し続けている。自分がのんびりしているわけにはいかない。

 

『ダリウス様、この廊下の突き当りが管制室です!』

 

『ありがとう! それよりも君──』

 

 ──仰々しく様付けなんてしなくていいんだよ。

 

 そう言おうとして、ふとダリウスの頭を1つの疑念がよぎった。あの時は緊急事態だったから気付かなかった。そこからはあまりに当たり前のように喋っていたから、考え直すまで疑問を抱かなかった。

 

 ダリウスは言おうとした言葉を、飲み込む。代わりに、たった今気づいた疑念を口にする。

 

 

 

『君──なんで、俺の名前を知ってるんだ?』

 

 

 

『いや、なんでって……知ってるにきまってるじゃないですか。テレビで顔写真付きの報道がされるの、見てましたよ?』

 

『ああ、そういえばそうか』

 

 俺の顔、世間に出回ってるんだった──ダリウスは自分の思い違いに羞恥を覚えた。

 

 

 

 殺人鬼ダリウス・オースティン。全米を恐怖に陥れた、いかれた人食い。当時の彼が逮捕されると、新聞やテレビ局はこぞって事件の残虐性と、それに反して年若かった彼自身の犯人像をとりあげていた。

 

 なら、おかしくはないか。

 

 そう思った矢先──今度こそ、ダリウスは足を止めた。先ほどよりも、強い違和感を抱いて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『じゃあ君は──()()()()()()()()()()()()?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死体損壊、大量殺人。これらの犯罪に手を染めたダリウスに課された罪状は、死刑。常軌を逸した殺人鬼には、ときとしてファンがいる。ダリウスもその例にもれず、熱狂的な支持をしているファンがいるのだが……彼らにしても、いざ目の前にダリウスがいれば少しばかりでも恐怖は感じるだろうし、それ以前にこうして死刑囚が出歩いていることに疑問の一つや二つはぶつけるだろう。

 

 なぜこの少女は疑問すら抱かないのだ? 

 

『……私が、あなたを怖がるはずないじゃないですか』

 

 一拍の間をおいて、研究員は「だって──」と口を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あなたは私の王子様で、私はあなたと愛し合うために生まれてきたんですから』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ!? いきなり何を──!?』

 

 そう言いかけた瞬間、ダリウスは己の下腹部が異様な熱を帯びていることに気が付く。咄嗟に服をめくってみれば、彼の腹は黄ばんだ白色をした、ごわごわとした綿のようなものに覆われていた。

 

 それと同時、プゥン! という、耳障りな羽音のような音を彼の耳は拾う。

 

『ずっとずっと、会いたかった……もう一度、あなたに触れたかったんです。さぁ、ダリウス様──』

 

 

 

 ──一緒に、幸せになりましょう? 

 

 

 

 意識が途切れる直前、ダリウスが見たのは目の前に立つ真紅の瞳の女性研究員──否、その恰好をしたエメラダ・バートリーが浮かべた、優しくも暗い笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

「幻覚が……どうしてですか、ダリウス様?」

 

 すべての幻影が払われたその空間で、エメラダは。肩で息をしながら己を睨みつけるダリウスを、悲しげに見つめた。

 

「私ではダメですか? 私は貴方の側にいて、貴方のすべてを愛したいだけ。私は貴方の側にいて、私のすべてを愛されたいだけなんです。たとえ地獄に落ちたとしても、貴方と幸せになりたいんです」

 

 真紅の双眸は狂いなく、そしてどこまでも狂った調子でダリウスを見据える。

 

「あなたはさっき、幸せだって言ってくれました。それなのにどうして、夢から醒めようとするんですか? 私の何がいけなかったんですか? おっぱいが小さすぎますか? それなら豊胸手術を受けます。それとも、もっと細い子が好みですか? それなら私は肉をそぎ落とします。明るい子が好きなら、もっと元気にふるまいます。無口な子が好きなら、何年だって黙りましょう。料理も歌ももっと上手になります。キスだっていっぱいします、子供ももっとたくさん産みましょう。だから、ダリウス様。私と──」

 

 

 

 

 

「──黙れ」

 

 

 

 

 

 ダリウスの口から発せられた、短い否定の言葉。しかしそれは有無を言わせぬ強さがあって、エメラダは口を閉ざした。

 

「体がどうとか、振る舞いがどうとか……そういう話じゃないんだ」

 

 ダリウスは静かに語る。己の罪を独白するように。

 

「お前が俺に見せてくれた夢は、確かに幸せだったよ。あんなふうに誰かを愛せたら、どんなに素敵だろう。あんなふうに誰かを愛せたら、どんなに幸せだろう──」

 

 ──だけど。

 

「俺に幸せになる資格はない。誰かを愛するには、誰かと幸せになるには……俺の手は、誰かの血と脂で汚れすぎてる」

 

 自分の事を嘲ったクラスメイト。見知らぬ人々。自分の歌を聞いてくれた人達。親友。恋人。母親。

 

 そのすべてを彼は食べた、身も心も平らげた。食欲という、もっとも原始的な欲望の赴くままに合わせて。

 

 彼らが末期の瞬間に抱いただろう混乱を、憎悪を、怒りを、恐怖を、困惑を、失望を、諦観を忘れて、自分だけがのうのうと幸せになるなど──あっていいはずがない。

 

 他の誰が許そうと、ダリウス自身がそれを決して許さない。

 

「“エメラダ・バートリー”。お前の名前は、牢の中で聞いた覚えがある。俺と同じ人食いの殺人鬼だって、話題だったよ……なぁ、一つだけ聞かせてくれ」

 

 

 

 ──お前は誰かを食べたとき、何を思った? 

 

 

 

 ダリウスの問いに、エメラダは束の間考えをめぐらす。それから意を決したように、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()()()……って、思いました」

 

 

 

 

 

 

 

 

「そうか……もういい」

 

 ダリウスは失望したようなやるせないような口調でそう言うと、懐から注射器型の薬を取り出して、迷うことなく首筋に打ち込んだ。

 

「──お前は、俺の敵だ!」

 

 ダリウスの怒りに呼応するように、ハデトセナゼミの細胞が発現する。左右の腕に現れた毒針を振り上げて迫る彼の姿に、エメラダは口を堅く結んだ。

 

 ──胸の奥がぎゅっと痛くて、張り裂けそうだった。

 

 今まではただ、走るだけでよかった。憧れの王子様を追いかけて、必死で走り続ければよかった。けれど、やっと追い付いた王子様の眼中に、自分の姿なんて写ってなくて。

 

 おとぎ話のように結ばれるどころか、王子様は追ってきた少女を敵だと言い切って、剣を向ける。

 

 

 

 

 

「……それでも愛しているんです、ダリウス様」

 

 静かに呟くと、彼女もまた注射器を取り出して自分に薬を投与する。背中に薄黒い二枚の翅が現れて、ブゥンと耳障りな羽音を立てる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから──私は何度でも、貴方と共に堕ちましょう」

 

 

「……ッ!?」

 

 次の瞬間、ダリウスの全身に異変が現れた。手足が痺れ、瞳孔が開き、神経系がギンギンと冴えわたり――下腹部がカッと熱くなる。

 

「その手が誰かの血で汚れているのなら、その魂が誰かの脂で塗れているのなら――私は貴方の穢れも愛します。どんなに嫌われても、憎まれてもいい。私は貴方と共に行きます、もう二度と離れない。だって――」

 

 

 

 ワタシトアナタハ、運命ノ赤イ糸デ結バレテイルンデスカラ。

 

 

 

 

 

 華奢な両腕に生えるのは、メスや開創器をまとめて作り上げたかの如き禍々しい槍。背中には薄い二枚の翅が生え、鼓膜をひっかく歪な音色を奏でる。それを携えた少女は残念そうに、しかし異様な確信とともにそう告げた。

 

 

 

 真紅の瞳に、暗く深い愛を灯しながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──“危険生物”。人に危害を加える生物たちを指して、しばしば使用される呼称である。

 

 しかし危険生物と一口に言っても、その種類は実に多岐にわたる。例えば純粋な大きさと獰猛さで人を襲う熊も危険生物だし、人体を侵す毒を有する蛇も危険生物だ。食べれば腹を壊す植物も、見方によっては危険生物だといえるだろう。

 

 では、そうした生物たちの中でも『最も危険な生物』とは何なのだろうか──この問いに解を示すためには、単純明快にして平等な指標が必要だ。

 

 即ち──世界規模でみた場合に、その生物が1年の間にどれくらい人を殺すか。

 

 これほどわかりやすく『人間にとっての危険性』を示す指標もないだろう。この尺度を使った統計的な調査が行われ、2014年にはその結果が『World's Deadliest Animals』という題でインターネット上に公表された。

 

 地球上に現存する、無数の生物。その中で人間を最も殺した生物とは何だったのか? 

 

 獰猛な熊だろうか? 人食い鮫だろうか? 猛毒を持った蛇だろうか? あるいは、大量殺人兵器によって絶えず殺し合いを行う人間だろうか? 

 

 ──否。

 

 殺人数という一点において無数の生物たちの頂点に君臨したのは、先に挙げたどれでもなく──一匹の昆虫だった。

 

 彼女たちは見上げるほどの巨体を持つわけではない。その全長は1cmにも満たない、文字通りの羽虫。

 

 彼女たちは荒い気性を持っているわけではない。通常時の食性は草食であり、自分から他の生物に危害を加えようなどと試みるわけではない。

 

 彼女たちは凶悪な毒を持っているわけではない。投与されれば死にかねない毒蛇や毒蜂に比べれば、ただ腫れてかゆみが出るだけなどかわいいものである。

 

 その虫の生態が人間と交わるのは、産卵のために少しばかり人間から血を拝借する瞬間のみ。

 愛をなすために、ほんの少しの養分を求めるだけ──ただそれだけで、彼らは人を一切の害意も悪意もなく殺めてしまう。

 

 その体に宿した無数の病原体たちを感染させてしまうという形で。

 

 1年の間に世界中で72万もの人間の命の火を、彼女たちは吹き消しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エメラダ・バートリー

 

 

 

 

 

 

 

 国籍:アメリカ合衆国

 

 

 

 

 

 

 

 19歳 ♀

 

 

 

 

 

 

 

 162cm 58kg

 

 

 

 

 

 

 裏マーズランキング 『第1位(同率)』

 

 

 

 

 

 

 

 

 専用武器:体内内蔵型病原体保管・培養装置 『SYSTEM(システム)Mouth of Madness(マウス・オブ・マッドネス)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 羽音感知式病原媒介・病状操作ナノマシン 『SYSTEM(システム)Mana- Yood-Sushai(マアナ・ユウド・スウシャイ)

 

 

 

 

 保有病原体──

 

 

 

 

 伝染する狂気(狂人病ウイルス)

 

 

 恋に恋する毒婦の媚薬(Massospora cicada)

 

 

 昏睡の従者(トリパノソーマ)

 

 

 血みどろの踊り子(エボラウイルス)

 

 

 溶け堕ちる病人(ストーン熱ウイルス)

 

 

 狂乱の番犬(狂犬病ウイルス)

 

 

 魘される旅人(黄熱ウイルス)

 

 

 脳内の散歩者(マラリア原虫)

 

 

 歪な義足(フィラリア)

 

 

 熱を帯びた隣人(デング熱)

 

 

 黒死の伝道師(ペスト菌)

 

 

 

 

 

 ……

 

 

 

 

 

 

 

 αMO手術 “昆虫型”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────── ヒトスジシマカ ────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 狂愛の残穢(ヒトスジシマカ)破滅愛執(フォーリンラブ)

 

 

 

 

 

 

 人喰らいエメラダ(レディ・オースティン)恋慕(マッドネス)

 

 

 

 

 

 




【オマケ】 

ヨーゼフ「クロード博士の力も借りて素晴らしいSYSTEMの理論と運用方法が確立したぞ! 世界よ、これが裏アネックス第一位の専用武器だ!(徹夜明けテンション)」

クロード「散布したナノマシンで病原体を媒介、使用者の羽音信号を合図に一斉に発症する! 致死率100%の病原体なら相手は絶対に死ぬ! 伝染病なら敵陣に容赦なく広がっていく!(徹夜明けテンション)」

レオ「で、その感染拡大はどうやって味方に被害が出ないように制御するんだ?」

ヨーゼフ「……」

クロード「……」

レオ「おい」

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