──痛し痒し開戦から遡ること一か月。
アメリカ国防長官であるデイビッド・ジョーンズはその日、シャルル・ド・ゴール空港からフランスへと降り立った。
海千山千、幾多の修羅場をくぐりぬけた政府の重鎮たる彼が身に纏うのは、政府高官に相応しい高級スーツ。それを上品に着こなし、凛然と歩みを進めるその姿勢はエリートそのものだ。周囲を警備するシークレットサービスたちも合わさって、非常に物々しい雰囲気である。しかし彼らの動きはまるで、人目を避けるかのようにこそこそとしたものだ。
「こちらへ」
SPに案内されて乗り込んだ送迎用の車のドアが締められ、数秒の間を空けて、車は音もなく走り出す。誰に見咎められることもなく車が空港を後にしてようやく、デイビッドはため息をついた。
「大変ですな、国防長官」
「……誰のせいだと思っている?」
うんざりしたように彼が返すと、その隣に座っていた黒人系の男性が口元に笑みを浮かべる。スーツ越しにもわかる筋肉質な肉体は、素人目に見ても彼が手練れ以上の実力を持った戦闘員であることを感じさせた。
「誰のせいかと言われれば、貴方の気疲れの要因は間違いなく、エドガー・ド・デカルトでしょう」
「全くその通りだが、その厄介ごとを持ち込んできたのはお前たちだろう? 身内の揉め事に我々を巻き込んでくれるな、ケンロック」
「おや、心外ですね。我々が教えなければ早晩、アメリカは滅んでいたかもしれないというのに」
デイビッドの言葉にそう返し、黒人系の男──アラン・ケンロックは口元に笑みを浮かべた。
「しかも情報を提供するだけでなく、こうして逆転の一矢をつがえる補佐までしているのですから。感謝されこそすれ、恨み言を図れるいわれはありませんね」
「フン……」
そんな彼から面白くなさそうに視線を逸らすと、デイビッドは鼻を鳴らした。食えん奴だ、と心の中で毒づく。
──世界の裏側で暗躍するニュートンの血族たち。
オリヴィエが率いる槍の一族でも、エドガーが率いるデカルトでもない、ジョセフ率いる本家ニュートンの使者がアメリカ合衆国に接触してきたのは、つい先日のことだった。
ミルチャと名乗った浮浪者風の男が言うには、「近いうちにアメリカ全土を戦場とした陣取り合戦が行われる」と。その戦争はオリヴィエ・G・ニュートンとエドガー・ド・デカルトという、ニュートンの中でも異端視される怪物たちによって引き起こされる可能性が高いだろうと。
情報の裏取りにそれほど時間はかからなかった。はじめのうち、ミルチャの言を信じようとしなかった上層部がCIAやFBIを通じて情報を集めれば集めるほど、その情報の正確さが浮き彫りになっていったのは何という皮肉だろうか。
出そろった情報はグッドマン大統領をはじめ、政界の重鎮たちが重い腰を上げるのに十分すぎるものだった。求められるのは迅速な対応──その一環として、デイビッドはフランスに送り込まれた。
メディアには公表されていない、非公式な彼のフランス訪問。その最大目的は、エドガーによるアメリカ侵攻への牽制にある。
「心配いりませんよ、国防長官。貴方がこれからお会いになる“彼女”の情報は既に調べ尽くしています」
彼の護衛としてミルチャから派遣されたアランは、しかめ面を崩さないデイビッドの気をほぐすように語りかける。
「フランス共和国軍の
実に簡単な仕事でしょう、とアランは笑う。
デイビッドはその言に顔をしかめながら、車窓から流れるパリの景色を眺めた。何も知らずに暮らすパリ市民──その呑気さに、少しばかり苛立たしさを覚えながら。
※※※
「ようこそ、ジョーンズ国防長官」
パリから少し離れた町、ヴェルサイユにある小さなホテル。会談の会場に到着したデイビッドたちを出迎えたのは、鉄面の如く硬い表情を保つ金髪の美女だった。
フランス共和国統合参謀長、ステファニー・ローズ。
彼女こそ、フランス共和国大統領でもあるエドガー・ド・デカルトを除いて唯一、フランス共和国軍全隊を指揮する権利を有する人物。軍事の世界で見ればまだまだ若輩といえる年代ではあるが、その差配はまるで機械のように的確で、熟練の軍事研究家をして舌を巻くほどであるという。
本人の美貌と苗字、そして隙も容赦もない手腕から『鋼鉄の薔薇』の異名をとる女傑である。その呼び名に違わず、本人が纏う気配も高貴な花のように近寄りがたいものだ。
「お会いできて光栄です」
「私もですよ、ローズ統合参謀長」
だがデイビッドもまた、魑魅魍魎の蠢く世界で生き抜いてきた猛者である。ステファニーの気配に気圧されることなく、彼女が差し出した手を握り返す。笑顔の仮面で真意を覆い隠し、素早くデイビッドは周囲を観察する。
(……なるほど)
ステファニー側の護衛は男性の軍人が一人だけ。極秘裏の会談というこちら側の意図を汲み、必要最低限を選抜してきたのだろう。しかしたった一人と侮ることはできない──デイビッドはこの男の顔に見覚えがあった。
フランス共和国親衛隊第二歩兵連隊長、『衛士長』セレスタン・バルテ。
数年前のフランスで勃発しかけた『最悪の革命』を未然に防いだ立役者であり、白兵戦において軍内屈指の実力者。彼が護衛を務めているとなれば、こちらは迂闊な行動がとれない。
(だが──
それは決して、侮りや軽視から出た所感ではなく。正しく論理的な思考に基づいた分析の下、デイビッドはそう判断した。
『フランスの三枚盾』の異名と共に、彼らが健在の内パリは落とせないとまで謳われる三人の共和国親衛隊の連隊長。しかしそれはあくまで、『三人揃えば』の話。三枚盾の一人“オリアンヌ・ド・ヴァリエ”はこの場におらず、もう一人の“フィリップ・ド・デカルト”は1年前に事故でこの世を去った。
(一人だけならば、どうとでもなる)
セレスタンはまごうことなき強者であるが、手に負えない程に非常識な戦闘力ではない。こちらが用意した戦力で十分に足りるだろう。
デイビッドが席につけば給仕の男が進み出て、彼とステファニーの前に置かれたティーカップにポットから紅茶を注ぐ。ちらりとデイビッドが背後を見やれば、アランは静かに頷いた。
ニュートンの一族の体質の影響か、平時から嗅覚が鋭いアランのお墨付きである、毒物の心配はないだろう。それを確認したデイビッドがティーカップに口をつける。茶葉の上品な味わいと柑橘の酸味が舌に心地よく、飲み下したのちに味わいが後を引かない。世辞抜きに上等な紅茶であると言えた。
「なんとも爽やかな飲み心地、美味ですな」
「そう言っていただければ、こちらも用意した甲斐があるというものです。気に入ったのなら、お土産としていかがです?」
デイビッドの称賛にステファニーは、無表情を崩さないながらも穏やかな雰囲気で返す。鋼鉄などと言われているが、言われるほどにとっつきにくい人間でもないらしい。穏やかな空気で始まった会談、楽観視は決してできないが、この調子ならば最低限の役割は果たせそうだ。
「ああ、それでは世間話もほどほどにして、本題に入らせていただきますが──」
そう考えたデイビッドが口を開こうとした、その瞬間だった。
「断る」
ステファニーの口から、およそ会談の場に似つかわしくない強い言葉が放たれたのは。
「……は?」
「聞こえませんでしたか? 『断る』と申し上げたのです」
思わず間抜けな声を上げたデイビッドに、ステファニーは機械のように淡々と返した。その顔に先ほどまで見せていた穏やかさは微塵もなく、ただひたすらに鉄仮面の如き無表情のみがあった。険悪な雰囲気を感じ取ったアメリカ側の護衛たちが、懐に潜ませた薬へと手を伸ばす。
「……国防長官はまだ、何も言っていませんが?」
背後に控えていたアランが口を挟む。しかしそれにも怯まず、ステファニーは相変わらず変化のない表情で視線だけを動かして告げる。
「一護衛の身で要人同士の会談内容に口を挟むとは……ケンロック家では、よほどの世間知らずがマナー講師をしているようだ」
「ッ!? 私の身元を……!?」
アランは思わず顔を強張らせた。そう、この場において自分はただの護衛にすぎない──その自分の身元を、なぜこの女が知っている!?
驚愕するアランの前でステファニーは目を閉じ、口を開く。
「アラン・ケンロック──身長177cm、体重89kg。瞳の色は青、アメリカ合衆国オレゴン州に本籍を持ち、本妻以外にマレーシア、イタリア、香港に愛人が1名ずついる。子供は8名、うち1人は五年前に他界している。他の一族の人間と違って目立った功績こそないが、学生時代にヘビー級ボクシングの世界チャンピオンを相手に野良試合で勝利するほどの実力者だそうだな? 大学卒業後にミルチャ・フォン・ヴィンランドにその腕っぷしを買われてエージェントまがいの仕事をしていると聞く。
MO手術のベースは“哺乳類型”アカカンガルー。戦闘スタイルはベースと特技の相乗によるボクシングスタイルで──」
「やめろッ!!」
暗唱するようにスラスラと垂れ流される個人情報を遮るように、アランは声を荒げた。それを見たステファニーは、もはや彼を歯牙にもかけていないとばかりに視線と話を戻した。
「お前たちの狙いは大統領と対立する私を懐柔し、あわよくば私ごとフランス軍を寝返らせることだな? 確かに大統領といえど、自国の軍が一斉に寝返ったとなれば、さすがに冷や汗の一つくらいはかくだろう。なるほど、悪くない……あの男の泡食った顔、一度は見てみたいものだ」
「ならば!」
テーブル上のティーカップを手に取るステファニーに、デイビッドが声を荒げた。
「ならばなぜ、我々と手を組まない!? そんなに、自分の立場を失うのが惜しいのか!?」
「──侮辱も大概にしろ、老いぼれ」
どこまでも怜悧に吐き捨て、ステファニーはカップに注がれた紅茶をテーブルの上にぶちまける。会場内の空気が、急速に凍り付いた。
「私と大統領が不仲なのは、確かにまぎれもない事実。フランス国民の健やかな営み、先人が積み重ねた長き歴史、その全てを己の踏み台としか見ない姿勢は実に不愉快。だが──奴は全国民が見守る中で、フランスの永世繁栄を約束した」
沈黙の中でステファニーは静かに告げる。
「例えその動機がどこまでも傲慢な我欲にあろうと、
「ば……馬鹿げている! そのために、どれだけ罪のない人間を踏みにじるつもりだ!? 犠牲の上にもたらされる繁栄ほど虚しいものはない!」
「見解の相違ですな。真の平和は屍を糧に育まれるもの──どんな犠牲も、繁栄を思えば軽い」
ステファニーの言葉に歯を食いしばるデイビッド、目を見開くアラン。彼らの誤算はただ一つ、ステファニーがエドガー嫌いであるという事実のみに着目し、彼女の並外れた愛国心を軽視したことだ。
フランス国民にあらねば人にあらず、とは言わない。しかし彼女は「フランスのために100万の人間を殺せ」と言われれば、躊躇わず100万の命を地球上から消し去ることができる人間である。
その機械的なまでに冷静で合理的な思考回路と、圧倒的なカリスマを前にしても塗りつぶされることなき愛国心。この二点のみを以てステファニー・ローズは数いる人材の中から選ばれ、エドガー・ド・デカルトよりフランス共和国軍の全軍の司令官を拝命されているのだ。
「もういい、失礼するッ!」
ついにデイビッドは、椅子を蹴って立ち上がった。あちゃあ、とばかりに頭を振るアランの前で、彼はくるりと踵を返して出口へと向かう。
「おや、どちらへ? まだ会談の終了予定時刻までは大分時間はありますが」
「これ以上話すことなどない! 今回の会談の結果はありのまま、グッドマン大統領に報告させてもらう! お前も、気狂いのエドガーも! いずれ正義の報いを受けることになるだろう!」
「おや、それは恐ろしい。もっとも──」
「それは皆さまが無事に帰れれば、の話ですが」
「ッ、国防長官!」
咄嗟に叫び、アランはデイビッドに覆いかぶさるように彼を床の上に押し倒した。それと同時、広間と廊下を隔てていた壁が轟音と共に吹き飛んだ。
懐に忍ばせた変態薬へと手を伸ばす眼前、巻き上がる塵埃の向こうから、その蛮行をなした張本人が姿を見せた。
「──今の言葉、聞き捨てならんぞ賊軍ども」
それなりの身長を持つはずのアランですら見上げるほどの巨体を有する女性だ。その肉体には無数の古傷が刻まれ、降りぬかれた腕はおよそ女性らしからぬ無骨な筋肉に覆われている。
「エドガー様を狂人扱いするなど無礼千万、万死に値するッ!」
「オリアンヌ・ド・ヴァリエだと……!?」
フランス共和国親衛隊第一連隊長、『近衛長』オリアンヌ・ド・ヴァリエ。
セレスタンと並び、フランス共和国親衛隊中でも最強と言われる女戦士がそこにいた。
「馬鹿なッ! この時間はエドガーの護衛任務に就いているはず──」
「エドガー様より緊急の任務を拝命した! 『ヴェルサイユのあるホテルに急行し、不法入国した羽虫どもをねじ伏せよ』と!」
「不法入国だと……!?」
猛々しく咆哮するオリアンヌの言葉を聞き、アランは全てを察した。
流されてきた情報を得て、自分たちがどのように行動し、そして交渉が決裂するという結末に至るまで。全て全て、敵が描いたシナリオをなぞるように踊らされていたのだと。アラン・ケンロックはここに至って、ようやく理解する。
「オリアンヌ、今の話は本当か?」
「当然です、統合参謀長。俄かには信じがたいことですが、
「なるほど。それが事実であれば非常に由々しき事態ですな、ジョーンズ国防長官?」
ステファニーは冷ややかに、そしてどこか白々しく言葉をつづけた。
「申し訳ないが、すぐにお帰りいただくわけにはいかなくなりましたな。いやなに、そうお時間は取らせません。なにせ、
蒼白になったデイビッドと対照的に、アランの顔が憤怒で赤く染まる。正規の記録など残っているはずがない──この会談は公になっていない極秘裏のものなのだから。
このまま座して待てば、待っているのは投獄──下手をすれば、自分たちの存在を建前とした世界大戦の勃発。いずれにしても、ただ無為に敵の策にはまるわけにはいかない。
「全員変態ッ! 半分は俺と国防長官をホテル外まで護送! 残りは足止めだ!」
アランの掛け声で、ニュートンから派遣された腕利きの護衛たちは即座に己の肉体に薬を投与する。
「あくまで抵抗するというのならば是非もなし。オリアンヌ、セレスタン。フランスに刃向かう蛆虫どもを潰せ──有象無象は殺して構わんが、国防長官だけは生かして捕らえろ」
変態し、アメリカの護衛たちがまさに牙剥かんとするその様を目の当たりにしても、ステファニーの余裕は損なわれない。
冷静に下された指令に応え、オリアンヌとセレスタンもまた投薬によって、その身に埋め込まれた太古の因子を呼び覚ましていく。
それを目にした護衛の一人、両腕を大鎌に変異させた男が目にもとまらぬ速さでオリアンヌへと接近した。
ミルチャからの情報によれば、彼女の肉体に組み込まれたベース生物は非常に特殊勝つ強靭なものらしい。正面から戦うなど愚の骨頂──完全に変態しきる前に胴を裂き、息の根を止める!
「シャッ!」
男は右腕の鎌を、オリアンヌの首筋目掛けて振りぬく。そして──
──ゴツッ。
「あ──?」
男の手に伝わってきたのは、予想だにしなかった感触。肉を断つような軟な感覚ではなく、まるで岩を相手に一閃を打ち込んだかのような抵抗感だった。
何が起こったのか? その答えを男が知ることはなかった──オリアンヌが振るった剛腕によって、思考をするための脳ごと頭部が砕かれたためである。次いで突進してきた甲殻型と思しき男を、まるで目障りな蠅でも殺すかのように甲殻ごと叩き潰し、オリアンヌは生き残った二人の護衛を睨みつける。
その全身はごつごつとした分厚い装甲に覆われ、左腕に形成された鉄槌の如き瘤状の鈍器は2人分の人間の血と肉片で赤く染まっている。
「終わりか? ──ならば、こちらから行くぞ!」
オリアンヌはそういうや否や、鈍重そうな見た目からは想像がつかない機敏さで床を蹴った。
無論、彼女に相対する護衛たちもニュートンの端くれ。ただ黙って殺されるのを待っているほど無能ではない──だがそれでも、弛まぬ本人の努力で磨き上げた地力と、ベース生物の強度の差は覆しがたかった。
「このオリアンヌ・ド・ヴァリエがある限り! 何人たりともエドガー様とフランスを汚すことはできないと心得よッ!」
あまりにも暴力的に破壊された四つの死体。その中に立つ近衛長は返り血に塗れながら、勝利の雄たけびを上げるように吠えた。
「そら、どうしたどうしたァ!」
「ぐ、ぬゥッ……!」
頸椎を目掛けて舞うように軽やかに、しかし鋭く繰り出されるセレスタンの蹴り。それを紙一重で躱すと、アランはバックステップで背後へと下がった。
既に投薬によって、MO手術のベースであるカンガルーの特性が万全に発現している。いかに特殊なベース生物といえど、術式自体は通常のMO手術から大きく逸脱するものではない。さほど実力差があるとは思えないが、実際の戦況を見てみればアランが大きく不利だった。
「聞きしに勝る戦闘力……! ニュートンでもない人間と思って侮っていたが、ここまでとは……ッ!」
「あいにく、血筋だけで他人を見下す奴に負けるような鍛え方はしてないんでね」
皮肉交じりに返したセレスタンの体は鳥のような羽毛に、その下の地肌は爬虫類のような鱗に覆われている。しかしそれ以上に特筆すべきは、手足から伸びるナイフのように鋭い牙だろう。
(厄介だな……!)
アランは内心で舌打ちする。現生の鳥類には見られない器官には、強力な麻痺毒が滲んでいるらしく、既に二人が戦闘不能に追い込まれている。ほんのかすり傷であっても致命傷になりかねない毒を仕込んだ牙を、セレスタンは手足の至る箇所から出現させることができる。
甲虫や甲殻類のような防御に特化したベースならばいざ知らず、哺乳類型の自分が彼の一撃を受け止めるのは自殺行為だ。
加えて戦闘が長引けば長引くほど、自分は傷を負い毒の餌食になるリスクが高まっていく。セレスタンの使用武術であるサバットは足技中心の格闘術。拳撃中心のボクシングとはリーチの面でも相性が悪い。
「──なら、短期決戦しかないよな!」
「ッ!」
言うが早いかアランは大きく跳躍する──その身に宿るMO、アカカンガルーの脚力だ。急速に間合いを詰めるアランにセレスタンは蹴りを放つが、その一撃は全身の体重をも支えるカンガルーの尻尾によって受け流される。
「しまった──!」
「討ち取ったり、セレスタン・バルテ!」
アランは既に蹴りの間合いから拳の間合いへと侵入している──この距離から一撃をたたき込めば、確実にこの男を戦闘不能に追い込める。
アカカンガルーの特性を相乗した、一撃必殺の右ストレート。アランの拳がセレスタンの顔面へと迫り──。
「──なんてな」
「ッが!?」
次の瞬間、アランの胴体が地面に叩きつけられ、その首が180°回転した。ゴギリ、という鈍い音共にアランの目があらぬ方向を剥き、一瞬の間をおいて全身からぐったりと力が抜ける。首にかけていた腕を外し、セレスタンはふぅと息を吐いた。
セレスタンが使用するもう一つの武術、プンチャック・シラット。その投げ技を応用した殺傷術である。いかにニュートンの人間といえど、首をへし折られ、心臓を潰されてなお生命活動を続けることはできない。ベース生物によっては例外も存在するが、哺乳類型では不可能だろう。
一仕事終えた、とばかりに肩を回すセレスタンの背後に、ぬっとオリアンヌが近づく。
「終わったか」
「いつも通りにね。そっちもお疲れ様、オリアンヌ」
振り向いたセレスタンはオリアンヌとハイタッチを交わし、顔を見合わせて不敵な笑みを浮かべる。その光景はただの同僚を越えた繋がり──戦友としての二人の絆の強さを感じさせるものだった。
「……友情を確認しあっているところ悪いが」
いかにも満足げなオリアンヌとセレスタンに、ステファニーは底冷えする声で告げる。表情からは分かりづらいが、どうやら何か怒っているらしい──それを察した二人はすぐに姿勢を正して、彼女の次の言葉を待つ。
「私が貴様らに何を命じたか言ってみろ」
「はっ! フランスとエドガー様に盾突く蛆虫を潰せと仰りました!」
「有象無象は殺しても構わない、って話でしたよね?」
「ああ、確かにそう言った。そしてこうも命じたはずだ、『国防長官は生かして捕らえろ』と」
「「……」」
二人そろって「あ、やべっ」的な表情で気まずそうに黙り込んだ瞬間、統合参謀長は頭痛のする思いで額に手を当てた。オリアンヌとセレスタンは両名ともフランス共和国親衛隊が誇る最高戦力だが、その一方で戦闘が白熱すると周囲が見えなくなる悪癖がある。無論、誰にでも長所と短所は存在するものであり、両者の長所はそういった頭脳面ではないのだが……それにしても、もう少しなんとかならないものだろうか。
「まーまー、統合参謀長。そんなに怒らないでって」
と、そんな血生臭い空間を満たす気まずい沈黙を破る、朗らかな声が響いた。三人の目に映ったのは、中折れ帽にスーツという洒落た格好をした伊達男だ。
「護衛の二人はちゃんと始末したし、国防長官は俺の方でちゃんと確保した。任務としてはなーんにも問題ないはずだよ」
「……問題は大有りだが今回は大目に見るとしよう。ご苦労、フィリップ」
表情は崩さないながらも胸をなでおろしたステファニーに笑みを返し、フィリップは右腕で引きずっていたものを床の上に転がした。
「っひ……!」
それは蔦のようなもので縛り上げられた、デイビッド・ジョーンズだった。彼は歯の根をがちがちと鳴らしながら不自由な手足で後ずさり、必死でフィリップから距離を置こうとする。その事実に気が付いたオリアンヌが、怪訝そうに眉を顰めた。
「む、この男……何故こんなにも怯えている?」
「何故も何も、数分前まで生きてた腕利きの護衛は皆殺し。そのうえ、フィリップに捕まったってことは、間近で『アレ』を見たんだろ」
「ご名答。そのせいですっかり怖がられちゃってさ」
フィリップはそう返すと、左腕で引きずっていたものを放り投げた。
それは、人間大のカブトムシだった。
冗談のような規格のそれは、ともすればパーティーグッズか何かにも見えるが、ところどころに残る人体の名残と直前に交わされた会話から、それが護衛だった男たちの末路であることは想像に難くなかった。
もう一人の護衛の姿は見えないが、フィリップの言葉通りならば既に生きてはいないのだろう。そしてデイビッドの怯えようを見る限り、真っ当な最期を遂げられたとも考えにくい。
「惰弱だな。この程度でうろたえる程度の輩が、エドガー様に盾突こうなどと考えていたのか」
「お前基準で考えるなって、オリアンヌ。一般人なら漏らしても可笑しくないもの見せられてるんだからな?」
「オリアンヌたんは筋肉も思考もストイックだからねぇ、肩凝ってるんじゃない? ちょっと大円筋ほぐさせてよ。大丈夫、痛くしないから! むしろ気持ちよすぎて、雄々しいオリアンヌたんでも思わず艶めかしい声が」
「黙れフィリップ、潰すぞ」
「何を!?」
「そりゃお前、ナニだろ」
「いい加減にしろ、貴様ら。任務中に無駄話をするな」
ぐだぐだと続きそうな三人の会話を強引に断ち切り、ステファニーは「さて」と視線を地面に転がされたデイビッドへと向けた。
「フィリップ、盤に上る前にもう一仕事頼みたい」
「御意に。して、俺は何をすれば?」
「アメリカ側への内通者の用意だ」
フィリップの言葉に、ステファニーはそう言って、椅子から立ち上がった。
「大統領曰く、ゲームに持ち込める戦力には制限がかかっている。であるからして、その内通者は『戦力であってはならない』。しかし数十人で一国を落とすという馬鹿のような作戦で有効活用できる内通者となれば、『政府の中枢に近い者が好ましい』。もっというなら、『軍への影響力が強い人間』だ──おや、奇遇だな」
──ここに丁度いい材料がある。
そう言ってステファニーは、自らを見上げるデイビッドを無表情で見下した。
「三日やる。大統領御自ら『尋問において並ぶものなし』と太鼓判を押したその腕で、この男を躾けてみせろ。四六時中その脳裏に三色旗がはためくように、寝ても覚めても
「……さすがに時間が短すぎる。『飴』は使わせてもらいますよ?」
「好きにしろ。使う時までもてばいい」
その言葉に「了解!」と楽し気に返し、あれこれと洗脳プランを考え始めるフィリップと、それを呆れたように見つめるオリアンヌとセレスタン。彼ら三人を背後にステファニーは蒼白を通り越して色を失ったアメリカ国防長官の顔を見下した。
「聞いていただいた通りです、ジョーンズ国防長官。
そう言って彼女は、初めてその表情を崩す。それは『鋼鉄の薔薇』という彼女の通り名にふさわしい──
「──
──薔薇のようにかぐわしく、しかし鋼鉄のごとく冷徹な微笑みだった。
【オマケ① 仲良し】
ステファニー「三人ともご苦労。今日は退勤で構わん」
オリアンヌ「いかに統合参謀長の指示といえど従いかねます! 私はエドガー様の身辺警護に戻らせて――」
セレスタン「よーし二人とも、さっそく飲みに行きましょうすぐ行きましょう! メルシー、統合参謀長!!」
フィリップ「さぁオリアンヌたん、今夜は寝かせないぜー! ボルドーワインにカルヴァドス、めくるめく酒めぐりの旅が君を待っている!」
オリアンヌ「ええい貴様ら、やめろ!? 私が酒に弱いのは知っているだろう!? うおおおおエドガー様ああああああああァ!!??」ズルズルズル
ステファニー「……大統領の警護には代理を当てておいた、楽しんで来い(しかし気持ち悪いくらい仲いいなこいつら)」
※そして深緑の火星の物語コラボ11話回想シーンへ
【オマケ② その後のエリゼ宮殿】
千桐「……」シャカシャカシャカ
エドガー「……」
千桐「……」ヒョイパク、ズゾゾゾゾ
エドガー「……」
千桐「けふっ、我ながら結構なお手前で……あ、異常ありません大統領」←オリアンヌの代理
エドガー「統合参謀長。貴様、後で覚えておけよ?」
ステファニー「警護中に一人茶道に興じる素っ頓狂な人物だとわかっていれば、さすがにオリアンヌを帰したりしませんでしたよ」