──コツ、コツ、コツ。
ベッドに腰かけたシモンは、静かに足で床を叩く。
(──時間がない)
リズミカルに足を鳴らしながら、嘆息する。せめて話し相手がいれば気もまぎれるのだが、ミッシェルとスレヴィンは別室に隔離され、ダリウスは現在別施設に幽閉中。残念ながら、この重苦しい沈黙はもう少しばかり続くことになりそうだ。
最後に小さく床を叩くと、シモンはそのまま体をベッドの上に投げ出した。
ヘルメットに中華拳法服の男がベッドの上に大の字になっている光景は、監視カメラ越しに部屋を観察している軍人たちにはかなり珍妙に映っているだろうな、などと考えながらシモンは目を閉じる。
もう少ししたら、事態は動くだろう。あのエドガー・ド・デカルトが、自分たちを軟禁したまま放置するとは考えにくい。二度と自分たちという駒が盤上に上らないようにするため、刺客を送り込んでくるはずだ。
──
事態がこれ以上悪化しないよう祈りながら、シモンは浅い眠りにつく。すぐに訪れるだろう再度の戦いに備え、少しでも体を休めるために。
────────────────────
──────────
──未明、ニューヨーク州ロチェスター市。
人口21万人、ニューヨークやバッファローに次ぐ州内指折りの大都市たるこの街の地下には『ロチェスター地下鉄』と呼ばれる、20世紀に廃線となって以来放置されている地下鉄が存在する。
ホームレスや不法移民が住み着くことによる治安の悪化、更には老朽化による崩落の危険などから地域住民から一刻も早い行政の対応を求められながら、様々な利権や予算の関係で未だ対策が進んでいない、市にとっては頭痛のタネでもある旧世紀の遺構。
その中でも一際人の出入りが少なく、衛星による監視すらも届かない区画に、フランスの尖兵たる黒の陣営の活動拠点はあった。
『フランス国内の現状報告は以上だ』
「随分なお祭り騒ぎになっているようだな、統合参謀長殿?」
盗聴の心配のない専用の回線を使った映像通信。薄暗い裸電球の光の下、シドは通信相手のステファニーに、心底残念だとばかりに告げた。
「赤の枢機卿、赤の宣教団、不死身の修道女に中国の刺客……聞けば聞くほどに心が躍る地獄だ。クカカ、槍の王め! どうせなら、俺がフランスを発つ前に仕掛けろというのだ。1匹残らず解体してやったものを!」
ステファニーの口から告げられたフランス国内の状況は、惨憺たるものだった。
オリヴィエ・G・ニュートンの尖兵によって少なくない被害を受けたパリ市街、文字通り壊滅的な被害を受けたフランス軍、そして何よりもエリゼ宮殿の守護をつかさどる『フランス共和国親衛隊第一歩兵連隊』の長たるオリアンヌ・ド・ヴァリエの戦死。
どれもこれもエドガー政権始まって以来の大スキャンダル、更には阿鼻叫喚の地獄であろうことは想像に難くない。普通ならば「その場にいなくてよかった」、と胸をなでおろすところ、むしろ残念がる人間となるとそう多くはいないだろう。
「……聞きしに勝る狂いっぷりね」
頬杖を突いたゲレルは呟く。その独り言に慌てる小心者の部下たちを無視し、彼女は静かに目を細め、指揮官たるシドを観察する。
──自分たち猛毒部隊は
例えばそれは、かつてヨーロッパ全土を手中に収めたマフィアのボスであったり、あるいはデカルトの暗殺者として名を馳せる八極拳の名手だったり。例を挙げていけばきりはないが、しかしその中で「最も危険な人物は誰か?」と聞かれれば、ゲレルは迷わず目の前の男だと答えるだろう。
嬉々として戦闘に臨む『闘争本能』。ニュートンの一族すら正面から切り伏せる『戦闘能力』。相手の思考を先読みする『知能』。逆境においても平常心を損なわない『精神力』。そして何より──いかなる相手、いかなる戦場にも柔軟に対応する『適応能力』。
これらの要素が高水準でまとまったシド・クロムウェルは極めて優秀な殺し屋であり、生粋の戦士である。ゲレルが狂っていると評したのは彼の思考の話ではない、その能力値の話だ。
もしも盤外戦の勃発があと少し早ければ、今頃エドガーへと差し向けられた刺客たちはこの男が皆殺しにしていたことだろう。
唯一対抗できたとすれば、赤の枢機卿こと『アヴァターラ・コギト・アポリエール』だけだが……
「全くもって口惜しい。まさか、これほどの極上のパーティに参加する機会を逃すことになるとは……こんなことなら、出立を一日ずらすべきだった」
猛獣の如き騎士──シド・クロムウェルほど味方にすれば頼もしく、敵に回せば恐ろしい男もいない。
「不謹慎ですよ、シド」
そんな彼女の隣から、千桐がやんわりと声を上げた。会議中も持参した書道用具を広げて呑気に習字をしていた彼女だったが、どうやら話自体はきちんと聞いていたらしい。
「護国のために散った者たちがいるのです。口にすべきは羨望ではなく弔いの言葉であるべきでしょう。
『……貴様の家系は神道系だったと記憶しているが』
やたらと流暢に祈りを口にした千桐に、ステファニーが呟く。一方でシドは、意外そうに眉尻を釣り上げた。
「力と再生を求め、故国を裏切った女が吐く言葉とは思えんな」
「失敬な。わたくしは自ずから修羅になった浅ましき女ですが、死人を憐れむ情くらいは残ってます」
不本意そうにそう言った千桐は筆を置くと、「それに」と続けた。
「エリゼ宮に入り込んだファンキーちゃんと顔文字君。両者ともかなりの実力者でした。あのレベルの敵を生身の軍人さんになんとかしろと言うのは、あまりにも酷でしょう」
「温いな……酷でない戦場があるものか。強者が勝ち、弱者は死ぬ。それだけだ」
シドが言いながら、ひょいと上体を右に逸らした──その直後。寸前まで彼の眉間があった空間を何かが高速で射抜き、無音で放たれた弾丸が背後の壁に弾痕を刻む。シドは喉で笑いながら、道化でも見るかのような視線を射手へと向けた。
「何の真似だ、ビショップ?」
「ああ……悪いね、クイーン。ちょっと手が滑った」
そう言ってフィリップがへらりと口元に笑みを貼り付ける──だがその目は、全くと言っていいほど笑っていない。取り繕ったかのようなその笑顔は、彼が怒りを抑えているサインだ。
「ところで、聞き間違いかな? あんたの言い方だと、
「その通りだが」
次の瞬間、着座の姿勢からノーモーションで机の上に飛び乗ったフィリップは、対面の男の脳天に踵を振り下ろした。笑顔の仮面を脱ぎ捨てたフィリップが、ぞっとするような無表情でシドを見下した。
「人の戦友を馬鹿にしてんじゃねえぞ、殺し屋風情が」
「クカカ! 何を怒っているのか知らんが、事実だろう」
一方、先の一撃を片手で受け止めていたシドは、いつもと変わらぬ調子で告げた。
「オリアンヌは弱かったから死んだ、
「!」
微かに動揺した隙をついて、シドはフィリップの足を払う。そのまま後転して床に着地したフィリップに、シドは続けた。
「生死と勝敗は別物だ。あの女はエドガーと矜持を守り通し、勝って職務に殉じたのだろうよ。殺しても死にそうにないアレが死ぬとすれば、エドガーに『死ぬまで戦え』と命じられた時だけだろうからな。それともお前は、あの女が何もできずに死んだとでも?」
「……ごもっとも」
フィリップは深く息を吐き、そのままどっかりと椅子に腰を下ろす。そのタイミングで、一連のやりとりを見ていたステファニーが口を開いた。
『同僚想いなのは結構だが、フィリップ。くれぐれも冷静さを欠くなよ? オリアンヌでもセレスタンでもなく貴様が駒に選ばれたのは、その戦略眼を買われてのことだ』
「わかってるよ、統合参謀長──ごめん、ちょっと冷静じゃなかった」
素直に謝罪するフィリップにこれ以上の注意は不要と断じたのだろう、ステファニーはそれ以上の追及はせず、話題を切り替える。
『話は脇道に逸れたが、続けて伝達事項を伝える。まず現時刻を以て──貴様ら黒の陣営の指揮は私が執ることになった』
「ほう」
「まぁ」
「へぇ」
その言葉を聞いたシドが、千桐が、ゲレルが。三者三様に納得したような反応し──。
「ついにエドガーに見切りをつけてクーデターか。いつかやるとは思っていたが」
「では女王様が二人になるので? チェス的にはこれは何と表現すればいいのでしょう……去勢?」
「おっとこれは契約違反。貴女が指揮するとか聞いないんですけどー。あーこれはケジメ案件ですかねー。ほらさっさと違約金出してください参謀長金の切れ目が縁の切れ目ですよ参謀長」
『……貴様らの発想力が如何に残念なのかはよく分かった』
各々トンチンカンなことを口走り始める三人に、ステファニーは普段の五割増しで冷ややかな視線を向ける。しかし直後、「ああ、なるほど」と合点がいったようなフィリップの声が彼女の耳に届いた。
「叔父さん、“ジョーカー”を切ったのか。となると相手はオリヴィエ・G・ニュートンの本拠地『フィンランド』か、横やりを入れてきた『中国』……中国なら叔父さんが掛かりきりになるまでもないだろうし、フィンランドの方?」
『その通りだ、フィリップ──先ほどの私の発言は忘れて構わん。杞憂だったらしい』
先刻の汚名返上とばかりに慧眼を発揮した部下の発言に頷き、ステファニーが告げた。
『三時間前のことだ。大統領と協議の上、”赤の女王”──アストリス・メギストス・ニュートンによるフィンランド侵攻が実行された』
──アストリス・メギストス・ニュートン。
アダム・ベイリアルが地球へ送り込んだ2騎の追加戦力の片割れであり、生態系を尽く蹂躙することを得手とする“悪鬼”と対成す、生態系を病的に淘汰し尽くすことに長けた“妖魔”の名。
数日前、アフリカのリカバリーゾーンに不時着したロケットの中からフランス軍がU-NASAや槍の一族に先んじてフランスが確保した彼女は、多くのトランプゲームにおいてジョーカーが『最強の矛』でありながら『諸刃の剣』であるように、フランスの切り札にして、特大の厄札であった。
ジョーカーを手にした者が勝つ術は単純唯一、『自分以外の誰かに押し付けること』。エドガーはそのタイミングを外すことなく、見事に反撃に転じたのだ。
『攻撃は順調に進んでいる──これを見ろ』
ステファニーの言葉と同時に、電子モニターに映像が表示される。
それはとある森林内を撮影した映像だった。時々混ざる会話音声から、撮影者はフィンランド軍の一員であることが伺える……軍用ヘルメットに取り付けられた、固定カメラから撮影しているものらしかった。
しばしば『森と湖の国』と言われるフィンランドにおいて、美しい木々が作り出す針葉樹林は重大な観光資源である。だが映像が捉えたその光景は、常人の完成であれば口が裂けても「美しい」などとは言えない、およそ非現実的で超現実的な、この世のものとは思えないものだった。
かつて木だったはずの自然物は異形になり果て、ある木の樹皮は象皮に覆われており、またある木は葉の代わりに魚鱗が茂り、またある木には果実代わりに眼球が実っている。
人間の指に変異した木々の枝の上を走るリスは尻尾の代わりに蟹の鋏が生え、片翼が昆虫の脚になった鳥は飛べずに地面でバタバタともがく。
胴体が魚と化してこと切れたハイイログマの死体には、ワニの顎を有したシカが食らいついていた。
前衛芸術じみた気が狂いそうな異界の様相。驚くべきことに、その境域は一分一秒を経るごとにじわじわと拡大しているらしい。フィンランド軍の一団はその中心点を目指し、森林の深く深くへと進んでいく。
突如、一団の先頭を進んでいた隊長と思しき男が進軍停止のハンドサインに、数十人の軍人たちは一斉に足を止める。合成生物の柱と化した木々の影に身を隠し、隊長が示す方向を軍人たちは確認する──そこには事態の元凶たる
もはや原型も分からない程に変わり果てた何らかの生物と、執事服に身を包んだテラフォーマー。
石を簡素に整えただけの円卓を彼らと囲み、彼女は何者かとお茶会の真似事をしているらしかった。時々聞こえる無邪気で明るい声は、何もかもが狂った森林の不気味さを一層際立たせる。
軍人たちは一斉に、手中のアサルトライフルをアストリスへと向けた。そして──映像が傾き回転する。
ゴロゴロと忙しなく転がる映像。数秒経って定まった視点の先には、地面に倒れた軍人たちの姿があった。外傷はない。だが撮影者の同僚である軍人たちの目は力なく見開かれ、身じろぎ一つする様子がない。撮影者も含め、彼らが既にこと切れているらしいことは想像に難くなかった。
『まぁ、お客様が来てくださったのね!』
もはや物言わぬ肉袋となった彼らに、円卓から立ち上がったアストリスはスキップで近づいてくる。彼女は撮影者の顔を興味深そうに覗き込むと、眉尻を下げて大袈裟にため息を吐いた。
『でも残念! 眠りネズミはティーポットに詰めなくちゃ! ウサギさん、手伝ってくださる?』
『●●●●●●●●●●●●』
「ふふ、ありがとう! とっても紳士的なのね!」
頬を桃色に染めてはしゃぐアストリス。画面の端から見切れるように写り込んだのは、もはや原型をとどめぬ変異を遂げた何らかの生物と、ティーポットを携えたテラフォーマー。
「……じょうじ」
テラフォーマーは自分たちの姿を撮影する機械の存在に気づいたらしく、こちらへ手を伸ばし──
──そして、映像が途切れた。
「……B級ホラーの方がまだ現実味がありますって」
──どうやら自分たちは、想像以上に危険な案件に首を突っ込んでいるらしい。
その事実を再認識したゲレルの背を、冷たいものが伝う。自分は特別生物に詳しいわけではない、だがこの光景が明らかに異常であることくらいは分かる。一体何をどうすれば、
およそ人知の及ばぬ、怪奇な特性。しかしそれを目の当たりにして、常識的な反応を示せるだけのまともな感性を有しているのは、この場においてどうやら彼女とその部下だけだったらしい。
「寄生生物型か細菌型……いや、どっちでもないか。まぁなんにしても、あんなのをお見舞いされたんじゃ、サムエル大統領もたまったもんじゃないだろうね」
お手上げ、とばかりに両手を上げるフィリップ。口にした台詞とは裏腹に、フィンランドの惨状を気にかけている様子は全くと言っていいほどに見受けられない。
「……さっきのウサギさん、愛らしかったですね」
ぽやんとした調子でとんでもないことを口走る千桐。ゲレルと猛毒部隊の面々が揃って「あの映像を見た第一声がそれか!?」という言葉を辛うじて飲み込んだ、次の瞬間。
【 キ ャ ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛! 】
突如として響き渡った怪音が、その場にいる全員の耳を劈いた。その不意打ちに千桐とフィリップは不快そうに顔をしかめ、猛毒部隊の面々が殺気立つ。
「っ、敵襲か!?」
「なんだこりゃ……!?」
「落ち着きなさい、馬鹿ども♡ これは……」
動揺する部下たちを鎮めるため、ゲレルが口を開く。だが彼女が言葉を発するよりも早く、事態は収束する。
「誰が哭いていいと言った、『
低く、しかし明瞭な声音で告げたシドは、脇に立てかけた西洋剣の柄へと手を伸ばす。
「──躾が足りんようだな」
その途端、剣の柄から無数の機械的な触手が飛び出し、シドの腕に食らいついた。彼はそれを気にも留めずに柄を掴むと、小規模な地震が発生するほどの勢いで暴れようとするソレを強引に押さえつけた。
十秒ほど続いたその拮抗は、始まったときと同じように唐突に、子供の癇癪が収まるかのように──音と振動は停止する。
『話には聞いていたが……大したじゃじゃ馬だな』
「クカカ! 合衆国の全てを敵に回す任務の相方だ、これくらい気が強い女で丁度いい」
呆気にとられる猛毒部隊を置き去りにして交わされる、シドとステファニーの会話。二言三言の後、どうやら話が終わったらしいステファニーが全員に告げる。
『ともかく、見ての通りだ。大統領はチェス以上に優先すべき仕事が山積み……故に私が、こちらの指揮を任された』
「承知した。ならば問おう、
どこか試すようにシドが、黒の陣営が、一斉にステファニーを見やる。無数の視線を向けられ、しかし彼女は全く動じることなく、次なる一手を指す。
『軟禁した合衆国の主戦力に、全ての
「了解──で、それで終わりじゃないんでしょ?」
『当然だ』
楽しげなフィリップの言葉に、ステファニーは表情を崩さずに返した。
『この
『ホワイトハウスを襲撃し、グッドマンを大統領の椅子から引きずりおろせ。方法は問わん、奴さえいなくなれば、あとは我々の息がかかったものが合衆国大統領に就任し──』
──それで
鋼鉄の薔薇は、確かな確信と共に告げた。
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──────────
「じょうじ」
ゴギリ、と鈍い音を立て、銃を構えたアメリカ軍の兵士の首が折れる。もはや物言わなくなったその死体を投げ捨てると、無数のテラフォーマーたちは院内を我が物顔で闊歩する。
「……クソが」
その様子を確認したミッシェルは、そっと階段の踊り場へと踵を返した。「そっちはどうだった?」と聞いてくるスレヴィンに「駄目だ」と彼女は首を振った。
「どこを見てもゴキブリだらけ……1匹ならまだしも、薬なしにあの数相手すんのは無理だ。こうなったら、窓を叩き割って出るか?」
「それこそ無理だ。窓の外見てみろ」
うんざりしたように告げたスレヴィンの言葉に従い、ミッシェルは窓から外の様子をうかがい、顔をしかめた。
施設を包囲するように飛び交う、数十は下らないテラフォーマーの軍勢。例え薬が手元にあったとしても戦いたくない規模の大群だった。
「1匹みたら30匹なんてもんじゃねぇ。数えんのが億劫なくらい飛んでやがる」
スレヴィンは倒れた兵士から拝借してきた拳銃を撫でる。丸腰よりは遥かにましだが、おそらく対テラフォーマーには気休め程度の効果しか発揮しないだろう。正面突破など夢のまた夢だ。
──テラフォーマーが大挙としてこの施設に押し寄せてきたのは、つい先ほど──スレヴィンが目覚めてからの半日ほど経った頃のことだった。
無論、ミッシェルたちを狙った襲撃は想定内だったが、よもや100を数えるテラフォーマーの大群が、この地球で押し寄せてくるのはさすがに予想外だった。加えて、落ち延びたと思しきテロリストたちの捜索に人手が割かれていたことも災いした。
兵士たちの奮戦も虚しく防衛線も突破され、牢獄が処刑場になったのがつい数分前。異常に気が付いて病室を抜け出しミッシェルとスレヴィンだったが、階を一つ下ったところで手詰まりに陥っていた。
「『槍の一族』をなんとかした途端、今度はフランスが相手とはな……というか、ここまでくると国際問題じゃないか? グッドマン大統領の判断次第じゃ、世界大戦もありえるぞ」
「くそったれなことに、『槍の一族』と違ってフランスがこの件に絡んでる証拠は何もねぇからな。喜んでいいのかは微妙だが、お前が思ってるような大戦争にはならないだろうよ」
ミッシェルの言葉にスレヴィンは返し「さて」と切り出した。
「とりあえず、正面突破は無理。とすれば援軍に期待して籠城するか、一縷の望みをかけて抜け道探すかだが……」
「なら籠城だな──集中治療室に向かうぞ。あそこは他よりも警備が厳重だし、トーヘイとリジーの様子も気になる」
短く意見をまとめ、二人が移動しようとした──その時。上階から黒い影──テラフォーマーが踊場へと飛び込んできた。
「チッ!」
「見つかったか──!」
即座に身を翻して戦闘態勢に移行する二人だが、その直後彼らはすぐに警戒を解くことになる──彼らが目にしたのは、頭部が吹き飛び事切れたテラフォーマーと見慣れたフルフェイス姿の人物だったからだ。
「……よし、何とか間に合った」
「シモン!」
「無事だったか!」
口々に告げるスレヴィンとミッシェルに、フルフェイスごしにシモンは柔らかく笑う。
「ごめん、ちょっと遅くなっちゃった。とりあえず二人とも、コレ」
シモンはそう言って、二人にそれを放り投げた。スレヴィンはキャッチしたそれが、米軍規格の『万能型変態薬』であることに気付くと「ナイスだ、シモン!」と顔を綻ばせる。
「だが、どこでちょろまかした? それなりに俺らも探したが、軍の奴らは持ってなかったぞ?」
「……頼れる助っ人がね、持ってきてくれたんだ」
「助っ人? お前んとこの特別対策室の連中か?」
ミッシェルの問いに「まぁそんなところかな」と笑って言葉を濁すシモン。そのいいぶりからアーク計画の事情を事前に知らされていたスレヴィンは、それ以上その話題を追求することをしなかった。
「タチバナ君とルーニーさんも保護済み。テラフォーマーの駆除と生存者の探索は、このままそっちに任せてくれて大丈夫」
「悪いな……恩に着る」
神妙な顔つきになったスレヴィンに「気にしないで」と告げ、シモンは続ける。
「だけど、急いだ方がいい。スレヴィン君たちを襲ったっていう、敵の主力が見当たらないんだ。つまり──」
「──こっちは陽動か」
シモンの言いたいことを察したミッシェルが言う。これほどの大規模な攻勢──米軍も無視するわけにはいかない。直に米軍から、正規の援軍が送り込まれるだろう。だがそれは、ただでさえ足りていない人手をさらに分割するという悪手によって捻出されるもの。
分散し、分散し、手薄になった全米の警戒網。その隙間を縫って、国を落とさんとする敵が突くのはどこか。
「とりあえず、脱出するぞ。今、米軍はまともに機能してない──止められるのは私たちだけだ」
「だな。シモン、案内頼むぞ」
「うん──こっちについてきて」
ミッシェルとスレヴィンの言葉に頷き、シモンは階段を駆け下りていく。彼が小さく呟いた「あとは任せたよ」という言葉はこの場の誰にも聞かれることなく、ただ彼のバッヂ型の通信機の通信相手にだけ届いて消えた。
※※※
「……任されました、シモンさん」
施設の屋上へと続く階段。階下を目指し階段を駆け下りるシモンたちとは対照的に、ゆったりと昇っていくのは、複数の男女。通信機から聞こえた激励に答えたのは、その中心にいた青みがかった黒髪の少女だった。
──アーク第四団団長、シャウラ・グレイディ。
シモンが床を叩き発信したモールス信号で要請した、制圧に長けた特性を有するアークの最高戦力の一人である。
「いやいや、まさか俺たちにお呼びがかかるとは思わなかったねぇ」
“シャウラ”がおどけたように言う。軽薄そうな男だ。
「他の面々は少々能力が派手すぎるからな。統制がとれるなら、我々が一番手っ取り早い」
その言に、“シャウラ”が答える。こちらは僧侶然とした、落ち着いた風貌の男だ。
「ガルル!」
“シャウラ”が高ぶり吠える。もはや人ではない、クマのような獣だ。
口々に雑談を交わす『自分たち』。人によっては気が散る煩さだが、気の弱いシャウラにとっては大任の緊張をほぐす一種のカウンセリングとして機能していた。
「うるさいぞお前たち、もう少し緊張感を持て……マスター、着きました」
「ありがとうございます」
先導していた女軍人のような“シャウラ”に、マスターと呼ばれたシャウラはぺこりと頭を下げ、屋上へ続くドアのノブへと手をかけた。
「よーし、ぶちかませマスター」
「案ずることはない。我らが共にある」
「グルルル……」
「はい……いきますっ!」
背後から駆けられる半身達の激励に応え、シャウラはドアを開け放つ。一拍の静寂──その直後、屋上に無防備な姿を晒した少女にテラフォーマーたちが殺到した。
大挙として押し寄せる黒い害虫の群れ。彼らに対してシャウラはただ一言だけ、微かに怯みながらも震えのない澄んだ声で告げた。
「
──少女の、軽薄そうな男の、僧侶の、獣の、女軍人の体から、不可視の風が吹く。
そして次の瞬間、上空を覆い尽くさんばかりだったテラフォーマーたちが、
「任務、完了……」
「お疲れ様です、マスター」
気が抜けたのかその場にへたり込んだシャウラの隣から、女軍人のような“シャウラ”が語り掛ける。
「内部の掃討も九割がた完了したと報告が」
「それでは、生存者を確保次第すぐに退散しましょう。米軍に捕まれば、面倒なことになりますから」
──私にできるのはこのくらいです。
御意、と答える“シャウラ”達に微笑みかけてから、シャウラ護国のために走る戦士たちへ、激励の言葉を贈る。
「シモンさん、ミッシェルさん、スレヴィンさん。どうか──皆さんが、どんな理不尽にも負けず進めますように」
そして──反撃の狼煙が、上がった。
【オマケ】
千桐「というわけで、黒陣営の目標を書にしてみました。『全力で戦う』です!」
ゲレル「会議中に何してるんですか貴女?」
フィリップ「あと千桐さん、点が一個多いね? それだと『金力で戦う』だよ」
ステファニー「(あながち間違ってないから突っ込めない)」