贖罪のゼロ   作:KEROTA

8 / 95
第8話 THE WISH 願い

 密航者が小吉の脳天目掛けて、警杖を振り下ろす。1秒と絶たずに全身を襲うであろう灼熱と痛みを予感し、小吉は思わず目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――1秒、2秒、3秒。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が刻々と過ぎていく。しかし、いつまで経っても小吉の体を電撃が駆け巡ることはなかった。不思議に思った小吉が目を開けると、そこに奇妙な光景が広がっていた。

 

「……何だ?」

 

 彼の視界に映ったのは、警杖を振り下ろしたままの姿勢で固まっている密航者。そして頭上まで迫りながらも、未だに自身の頭に振り下ろされきっていない警杖であった。

 

 密航者が情けを掛けたのか? 否、そんなことはありえない。既に小吉以外の四人を倒した密航者が、今更小吉だけを見逃すはずもない。

 

 では、なぜ彼は未だに無事なのか? ――その答えは実に単純。

 

 

 

 密航者の攻撃が阻まれたのである。

 

 張り巡らされた、無数の糸。その中にたった一本だけ紛れ込むようにして配置された、別の昆虫の糸によって。

 

 

 

「小吉! 大丈夫!?」

 

 事態を飲み込めずに困惑する小吉の耳に、聞きなれた声が響いた。

 

「その声、アキか!?」

 

 小吉が首だけを動かして振り向くと、そこには人為変態によって触角と体毛が生えた奈々緒が立っていた。

 右手の人差し指から一本のシルク糸を出し、それを左手で引いてピンと張っている。その糸は小吉と密航者の間に伸び、振り下ろされた警杖をすんでのところで食い止めていた。

 

「奈々緒だけじゃないぞ」

 

 と、凛とした女性の声が響いた。密航者が目を向け、扉の近くに4人の人影を確認したその瞬間、倉庫内に蛍光灯の明かりが灯った。突然明るくなった室内に、密航者の目が一瞬眩む。

 

 数秒後、光に慣れて視界がはっきりとした密航者の目には、変態して両腕が鎌状になったミンミンと、密航者に向けて防犯用の機関銃を構えるフワン、テジャスの姿が映っていた。

 

「副艦長! それに、お前らも!」

 

「災難だったな、小吉」

 

 ミンミンはそう言いながら小吉に近づくと、彼に絡みつく糸を鎌で切り払った。糸の拘束から解放され、小吉は即座にバックステップで密航者から距離をとった。

 

「サンキュー、アキ。また助けられたな」

 

「いいって。あんたが無事でよかった」

 

 それよりも、と奈々緒は警戒している様子を隠そうともせずに、密航者を見つめた。

 

「あんたも含めて、うちの戦闘員が揃いも揃ってやられてるって、どういうこと? アイツ、そんなにやばい昆虫がベースなの?」

 

「いや、ベースだけならそこまででもないんだが……通電式の武器を使う上に、手術ベースが三つもあるみたいでな。次々に新しい技を繰り出してくるんだ」

 

「っはあ!? ちょっと待て、何だそのチートは!?」

 

 小吉の言葉に、奈々緒が素っ頓狂な声を上げた。後ろで銃を構えている2人も、驚きで思わず銃を落としそうになっている。それはそうであろう。バグズ手術の複数ベースなど、聞いたこともなかったからだ。

 確かに、人によっては複数の昆虫が手術ベースとして適合する場合もある。となれば、理論上は複数の昆虫を使ってバグズ手術をすることも不可能ではないが、それはあくまでも理論の話。

 一種類の昆虫の遺伝子細胞を肉体に定着させるだけでも骨が折れるのに、それを三種類もともなると、手術が成功する度合いは限りなくゼロに近いだろう。

 

 しかしその話を聞いたミンミンはさして驚くでもなく、少し意外そうな顔をしただけだった。

 

「なるほど……そのうち誰かが考案するだろうとは思ってたけど、まさかもう実用の段階とは」

 

 けど、とミンミンが密航者に向かって言い放った。

 

「見たところ、どれも戦闘系のベースではないな。例え手術ベースを3つも持っていたとしても、これだけの人数差を覆すだけの爆発力を君は持っていない。違う?」

 

 その目には、確かな確信がこもっている。ブラフやハッタリで誤魔化すのは不可能だと悟り、密航者は作戦を切り替えることにする。

 

「……確かに、ここにいる皆を倒すのは難しいよ」

 

 ミンミンの揺さぶるような言葉を、密航者は肯定した。

 彼女の言う通り、密航者はここから全員を倒して一発逆転を決めることができるような手札を持ってはいない。それは、紛れもない事実。

 

「でも、戦って勝てないなら、戦わなければいい」

 

 ――しかし、密航者は冷静さを失っていなかった。変態薬を打ったことで感情が高ぶり、攻撃性を増加させながらも、彼の知性は健在であった。

 先ほどティンと小吉に挟み込まれた時とは違い、打てる手はまだ残されている。それを、密航者はきちんと把握していた。

 

「こっちには人質がいる。ティンさんやリーさん、ルドンさんにトシオさん。この人たちを傷つけてほしくなかったら、今すぐデイヴス艦長にこの船を地球に戻させて」

 

 

 ――人質。それが、密航者に残された切り札だった。

 

 これは本来ならば戦闘員全員を拘束し、正面から奪還されてしまう不安要素を完全に潰してから使おうと思っていた手段。だが先程はそれに固執した結果、本来使う予定がなかった薬を持ち出さなければならない程に、彼は追い込まれた。

 ゆえに今回、彼は早い段階でこの札を切った。

 

 

 

 ――だが。

 

 

 

 それを聞いても、ミンミンは顔色一つ変えなかった。

 彼女だけではなく、こちらを見据える小吉や奈々緒、他の乗組員たちも、誰一人として焦った様子がない。

 密航者は内心で首を傾げる。

 

「……もしかして、本気にしてない? 確かにボクは皆を絶対に殺さないけど、それでも――」

 

「一つ聞きたいんだが」

 

 密航者の言葉を遮るように、ミンミンが口を開いた。

 

「その人質とやらは、一体どこにいるんだ?」

 

「? 何を言って……」

 

 密航者は背後を振り向き……そして、言葉を失った。

 

 

 

 

 

「何だ? どうした、密航者……ハトが豆鉄砲を食らったような顔してよ?」

 

 

 

 

 

 そこには、ゴッド・リーが立っていた。その手にはめたはずの手錠が破られ、彼の両腕は自由になっていた。

 彼だけではない。ティン、トシオ、ルドン。念入りに拘束しておいたはずの戦闘員たちが全員、いつのまにか解放されて自由の身となっていた。

 

「う、嘘だ……!」

 

 密航者が、上ずった声で叫んだ。

 

「甲虫の筋力でも、その手錠は壊せないように設計されてるのに――!」

 

 彼らの拘束に使っていたのは、U-NASAが開発した特殊な手錠。暴走したバグズ手術被験者を拘束するために造られたその手錠は、材料に特殊な合金が用いられ、専用の鍵でしか開けることができないもの。

 

 だがその手錠は既にその役目を果たしておらず、バラバラになって彼らの足元に転がっていた。

 

(一体どうやって……?)

 

 そんな密航者の思考を見透かしたように、ティンが言った。

 

()()()()()()。そこにいるルドンの特性でな」

 

 指さしたティンにつられるようにして密航者が目を向けると、そこには変態を終えて立っているルドンの姿があった。額から長い触角を伸ばし、顎の両脇から更に生えた甲虫の顎は、ベースとなった昆虫が肉食性であることを顕著に表していた。

 

 

 

 ルドンの手術ベースとなった昆虫は、危険が迫ると『メタアクリル酸』と『エタアクリル酸』と呼ばれる2種類の酸を噴射して身を守る生態を持つ。

 この2種類の化学物質において特筆すべきは、金属に対する強い腐食性。

 変態したルドンはすぐさまこれを分泌、全員の手錠を溶かしたのである。いかに丈夫な合金であろうとも、腐食による劣化には勝てなかったのだ。

 

 

 

 

 

 ルドン・ブルグズミューラー

 

 

 

 

 

 バグズ手術ベース       “ マイマイカブリ ”

 

 

 

 

 

「で、でも! 拘束した時に、ボクは確かに貴方たち4人から薬を取り上げて――」

 

 と、その時。密航者の脳裏を、小さな違和感がよぎった。

 

(……4人?)

 

 何の気なしに口にしたその一言は、奇しくも密航者に別の事実を認識させた。

 

(――そうだ! 小吉さんにとどめを刺す直前にここにきた人は、奈々緒さん以外に4人いたはず!)

 

 そう、蛍光灯が灯る寸前に密航者が見たのは四人分の人影。ミンミン、フワン、テジャス……では、あと一人は?

 

 そこまで考えた時、密航者の頭の中で全てが繋がった。

 

「迷彩能力……! マリアさんのニジイロクワガタ!」

 

 密航者の絞り出すように呟くと同時に、彼の視界の隅で空間がぐにゃりと歪んだ。その直後、今まで誰もいなかったはずのその空間に、変態したマリアの姿が表れる。その両腕部を、金属光沢にも似た輝きを放つ眩い盾へと変化させて。

 

 

 

 

 

 マリアの手術ベースとなったニジイロクワガタが持つメタリックな色調の甲皮には、天敵から身を隠すための迷彩としての機能が備わっている。

 

 本来は木々に紛れて敵の目を欺くためのものであるが、むしろ明るい光源がある場所においてマリアの甲皮はその真価を発揮する。まるで鏡のように光を反射・屈折させることで、森林以上に高い隠密性を発揮できるのだ。

 

 

 

 

 

 マリア・ビレン

 

 

 

 

 

 バグズ手術ベース  “ ニジイロクワガタ ”

 

 

 

 

 

 

「すまない、マリア。助かった」

 

「どういたしまして。それよりも皆、体に不調はない?」

 

 ティンの言葉に、マリアは心配そうな表情を浮かべた。彼女の両手には、変態薬と医療用アルコールが握られている。おそらく、気を失ったリーたちを起こすため、気つけ薬として使ったのだろう。

 

「ああ、問題ない」

 

 気遣うマリアにティンが言うも、さすがに電撃を受けた直後ということもあって彼の足元はおぼつかない。額には脂汗が浮いている。

 

「変態した副艦長と銃を持った2人で陽動、その隙にマリアが蛍光灯の光を使った迷彩で近づく。でもって俺らを叩き起こし、変態したルドンの能力で俺達を解放、か……即席にしては大した作戦だな、副艦長」

 

 リーはそう言いながら、ティンをその背に隠すようにして立った。今の弱っている彼が再び密航者に倒され、人質になってしまうのを防ぐためである。リー本人も全快というわけではないが、最初に攻撃を受けたのが幸いして、既に戦闘が可能な程度には回復していた。

 

「中国軍時代の賜物だ。上手くいくかは賭けだったけど……成功してよかった」

 

 リーの言葉に、ミンミンがほっと安堵の息をつきながらそう言った。

 

 この作戦はかつて彼女が中国軍に所属していた際に、敵を奇襲するのによく使っていた手法を応用したものだ。もっとも最前線で軍が人質を取られた場合、大抵は敵軍諸共吹き飛ばしてしまうので人質の奪還に使ったことはなかったのだが。

 

「さて、頼みの綱の人質はもういないぞ。これが最終通告だ……今すぐ投降しろ、密航者」

 

 密航者は、自分の呼吸が浅くなっていくのを感じた。緊張と恐怖で四肢が震えるのを感じる。状況は最悪も最悪――今度こそ、完全な手詰まりであった。

 

「……それでも、諦めない」

 

 しかし、密航者はそれでも抗う。例えどんなに希望が見えなくとも。今ここで彼が諦めれば、その先には更なる絶望しかないのだから。

 密航者は警杖を強く握りしめると、刺突の構えをとった。それを見た乗組員たちも、各々迎撃のための準備をする。

 

 その空気は、まさしく一触即発。

 

 先手を取ることで少しでも優位に立つべく、密航者が足に力を入れた。彼の脚の歯車が回転を始め、ギリギリという音が倉庫内に響く。

 

「来るぞッ!」

 

 小吉の声に、全員が一斉に身構えた――その瞬間。

 

 

 

 

 

 

「総 員 、 注 目 ッ !」

 

 

 

 

 

 

 よく通る太い声が、倉庫の中に響いた。その声に、乗組員の実ならず密航者までもが思わず攻撃を中断して、声の聞こえた方へと目を向ける。

 

「艦長!」

 

 そこにはバグズ2号の艦長、ドナテロ・K・デイヴスが立っていた。

 

「遅れてすまない。皆、怪我はないか?」

 

 ドナテロはそう言いながら、倉庫の中へ足を踏み入れた。ミンミンは油断なく両腕の大鎌を構えたまま、視線だけを彼に向けて乗組員の状況を報告する。

 

「死者は出ていません。小吉以外の最初に交戦していたメンバーは一度倒されましたが、目立った外傷はなし。本調子ではないようですが、戦闘の続行も可能です」

 

「そうか……よくやってくれた、お前ら」

 

 ドナテロはねぎらいの言葉を口にすると、乗組員たちに取り囲まれている密航者に目を向けた。やや威圧的なその様子に、密航者が僅かにたじろいだ。

 

「さて……随分と引っ掻き回してくれたな」

 

「……デイヴス艦長」

 

 密航者がそう呼びかけると、ドナテロの雰囲気が変わった。表情は一貫して変わっていないが、彼の纏う空気が厳格なものから、どことなく寂しそうなものへと変わる。

 

「デイヴス艦長、か……おかしいな。俺が知っているお前は、いつも俺のことを『ドナテロさん』って呼んでくれているはずなんだが」

 

 ドナテロが優しくもはっきりとした口調でそう言うと、密航者は体を強張らせた。その一言は、ドナテロが自分の正体に感づいていなければ出てこないはずの言葉であったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

「――そうだろう、イヴ?」

 

 

 

 

 

 

 

「ばれちゃったんだ」

 

 正体を隠し続けるのは不可能。そう判断した密航者は、自らガスマスクを脱いだ。その下から表れたのは眩い黄金の髪と、雪のように白い肌を持った少年の顔。

 

「……やはりお前だったか」

 

 見間違えるはずもない。密航者の正体はこの一年の間、ドナテロが何度も予定の合間を縫って会いに行っていた少年、イヴであった。

 

 もっとも、ドナテロの記憶の中のイヴと比べると少しやつれており、加えて水色だったはずの瞳の色はなぜか燃え盛るような紅蓮へと変わっているという相違はあるのだが。

 

「艦長、この子を知ってるんですか!?」

 

「まあな……俺の友人だ」

 

 トシオの質問にドナテロがなんてことないように答えると、イヴに向き直った。

 

「いつからボクだって気付いてたの?」

 

 イヴが聞く。その声は先ほどまでのように淡々とした、あるいは攻撃的な口調ではなく、穏やかでありながらもどこか子供らしいものだった。

 

「リーの報告を聞いた時から、薄々そんな気はしていた。確信したのはついさっきだ。クロード博士から連絡があってな。『バグズ2号に君が乗り込んでいる可能性がある』と言われたよ。お前のこと、凄く心配していたぞ」

 

「そっか」

 

 イヴの瞳が、一瞬だけ水色に戻る。今の彼の心境を表すかのような、鮮やかで優しい色だ。しかしそれも僅かな間の事で、再び彼の瞳は赤く染まった。

 

「……ドナテロさん、この船を地球に戻して。皆を死なせたくなかったら、今すぐに」

 

「駄目だ」

 

 ドナテロが即答すると、イヴは紅蓮の瞳で彼を睨んだ。イヴにとって、ドナテロのその決定はひどく非情なものに思われたのである。

 彼の非難の視線に怯むことなく、ドナテロは毅然と言った。

 

「俺達が退けない理由は二つある。一つはU-NASAから撤退の指示がないからだ。通信でクロード博士が悔しそうに言っていたよ。『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』とね」

 

 ドナテロの言葉に、イヴは頭を殴られたような衝撃を受けた。予想はついていたが、改めて言われるとその言葉は想像以上にイヴの心に重くのしかかった。

 なぜならその指示は、U-NASAが『バグズ2号の乗組員を見捨てる』と宣言したに等しいから。危険がある、などという話ではない。それは文字通り、犬死を強いることに他ならない。

 

 金がないというだけで――そんなにも彼らの命は軽いのか。

 

 イヴの心の中で、怒りと悲しみが混ざり合った暗い感情が渦巻く。こんなにも強く、暖かく、優しい人たちが、金がないというだけで虫けら同然に扱われる。それが、イヴには耐えられなかった。

 

 イヴの様子にあえて何も言わず、ドナテロは更に言った。

 

「そして、もう一つの理由は――俺達の任務に人類の命運が懸かっているからだ」

 

 ――そう、これこそがドナテロが撤退を許さない最大の理由であった。

 

「なぁ、イヴ」

 

 ドナテロは目の前の幼い少年に語りかける。赤く燃え滾る感情で塗り潰され、それでもなお真っすぐなその瞳を見つめつつ、彼は口を開いた。

 

「人類は今、ゆっくりと破滅に向かっている。決して大げさなじゃない、このままだと人類は確実に滅ぶ」

 

 ――26世紀の人類は、2つの大きな問題を抱えていた。人口増加の問題と、それに伴う急速な環境破壊である。

 

 人口の増加に伴う食糧問題や貧富差の拡大、紛争の多発は環境に深刻な被害を与えた。21世紀時点でもこれらの問題はあったが、その被害の規模は当時の比ではない。

 かつては漠然と捉えられていた島の水没や平均気温の上昇といった問題はいよいよ現実化し、人類に牙を剥いている。

 

 遠からず、人類は滅ぶことになるだろう。戦争か、環境破壊か、はたまた疫病か。どのような過程を経て破滅に至るのかは分からないが、他ならぬ人類(じぶんたち)の手によって。

 

「俺達がテラフォーミング計画を成功させられるかどうかで、数十億人の人類の命運が決まるといっても過言ではない。だから、俺達は何もせずに尻尾を巻いて逃げ出すわけにはいかないんだ」

 

 確固たる意志を以て、ドナテロは断言した。

 

 ――彼のその言葉、その使命感、その信念は全て正しいのだろう。

 

 イヴは漠然と思う。きっと彼の決意はどこまでも善いもので、どこまでも高潔で、どこまでも真っすぐで、どこまでも正しいものなのだろう。だがそれゆえに、イヴは彼の主張を受け入れることはできなかった。

 

 見知らぬ『大』のために、大切な『小』を切り捨てるなど。イヴに許せるはずもなかった。

 

「だったら……力づくで、連れて帰るだけだよ」

 

「そうか……」

 

 イヴがそう言うと、ドナテロは微かに目を細めて自らを睨むイヴの瞳を見つめた。燃え盛るような紅蓮の眼の中には、自分の姿が映りこんでいる。

 それからドナテロは、何かを考えこむかのように目を閉じた。少しの沈黙の後、彼はゆっくりと口を開いた。

 

「それなら、イヴ。まずは最初に俺をやれ」

 

 ドナテロの言葉に、イヴの顔が驚愕に染まった。驚いたのは他の乗組員も同じで、ミンミンは思わずドナテロの方へと振り返った。

 

「っ!? 艦長、一体何を――」

 

「例えお前がこいつらを何人倒そうが、俺がバグズ2号を引き返させることはない」

 

 ミンミンの声を遮るようにそう言うと、ドナテロは言葉を続けた。

 

「だからお前が本当に力づくで帰還させるつもりなら、俺からやるべきだ」

 

 そう言ってドナテロは両腕を組むと、仁王立ちになった。それを見たイヴは思わず身を固くする。

 

 ――ドナテロさんに何か作戦があるようには思えない。

 

 イヴは思考する。変態薬を隠し持っているようには見えず、誰かが見えないところで工作をしているわけでもない。ドナテロは完全に無防備だった。

 合理的に考えるのであれば、これ以上ない好機。バグズ2号の乗組員の中でも屈指の戦闘能力を持つドナテロを、一方的に無力化できるのだ。ここで仕掛ければ、あるいはほかの乗組員たちも動揺に付け込んで倒せるかもしれない。

 

 だが――そう分かっていても、彼は攻撃を仕掛けられずにいた。彼の中では確かに、二つの何かが葛藤していた。

 

「どうした? 早く来い、イヴ。俺を倒さずに、他の奴らを倒せるとは思うなよ?」

 

「っ……!」

 

 語気を強めたドナテロが言う。そんな彼の言葉に促されるように、イヴはゆっくりと警杖の先を彼へと突き付けた。同時に、イヴの脚の歯車が音を立てて回転を始める。ギリッ、ギリッという音が倉庫の中に不気味に響き渡った。

 

 

 しかし、ドナテロは動かない。

 

「艦長――!」

 

「止めるな、小吉」

 

 見かねて声を上げた小吉を、ドナテロがそう言って制した。その声は決して大きなものではなかったが、有無を言わせぬ力が籠っていた。

 

 やがて足の歯車がカチリ、という音と共に噛みあった。今ならば、あるいは回避行動も間に合うだろう。しかし、ドナテロはやはり動かない。彼はただ静かにイヴを見つめていた。

 

(――後ろに回り込むのを含めて3歩)

 

 イヴは間合いを測りながら、全意識を標的(ドナテロ)へと集中させる。神経が研ぎ澄まされ、全身の感覚が鋭敏になっていくのが手に取るように分かった。

 

(3歩で、ドナテロさんを倒す)

 

 機械的に、合理的に、無感情に。脳内で自らの動きシミュレートしてから、イヴは深く腰を落とした。白く頑丈な両足に、エネルギーを押し溜める。

 ――攻撃の準備は、整った。

 

 静寂が、倉庫の中に満ちた。実際はたかだか数秒、あるいはそれにも及ばない実に短い時間。されど、その静寂は永遠にさえ感じられた。

 

 

 ――そして、次の瞬間。イヴの脚に溜められた全てのエネルギーが、爆ぜた。

 

 

 

 ――1歩。

 

 イヴの体は放たれた弾丸のように飛び出した。ミンミンと小吉の間を縫うように抜け、ドナテロの前に着地する。その速度はまさしく疾風迅雷。イヴが消えたことを未だ認識できずに、乗組員たちは虚空を見つめていた。

 

 

 

 ――2歩。

 

 イヴは地面を蹴り、ドナテロの背後へと回り込む。即座に身を翻せば、イヴの瞳には、隙だらけのドナテロの背中が映った。

 ようやくイヴが跳躍したことに気付いた乗組員たちが、慌てた様子で振り向く。その動きはしかし、イヴにしてみればのろま以外の何者でもない。彼は既に警杖を上段に構え、両足に力を溜めていた。

 

 

 

 ――3歩。

 

 両脚に込められた力が、再びイヴを勢いよく撃ち出した。ぐんぐんと、ドナテロの背中が彼の目の前に迫る。

 

(――やった!)

 

 イヴは勝利を確信した。ほとんどの者は、初めて目にするイヴの高速移動を捉えることもできないでいるか、目で追えても反応できずにいた。唯一小吉だけが何事か叫んで駆け寄ろうとしているが、遅すぎる。既にドナテロは、警杖の間合いに入ってしまっている。

 どうあがこうとも、彼の攻撃を止めることはできない。

 

(これで……みんなを助ける!)

 

 紅蓮の瞳に、絶望を砕くための覚悟を決め。

 

 イヴは火花を散らす警杖をドナテロの頭へと振り下ろした。そして――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

「……!?」

 

 現実に体が追いつき、動き出そうとしていた乗組員たちは、予想外の出来事に再び動きを止めた。駆け出そうとしていた小吉でさえも、思わずその場に踏みとどまる。

 

「……な、何だ?」

 

 その構図は、つい先ほど奈々緒が小吉を警杖の攻撃から守った時によく似ている。しかし、小吉が横を見ると、奈々緒は困惑気味に首を横に振った。今回は彼女が防いだわけではないらしい。

 

 では一体なぜ――?

 

 

 

 

 

 

 

「だ……ダメだ……」

 

 

 

 

 

 

 震える声でイヴが呟いた。

 

 

「やらなきゃ……ドナテロさんを倒して、ボクが皆を助けなきゃいけないのに……」

 

 イヴの手が緩み、警杖が彼の手中から離れた。カラン、という乾いた音を立てて警杖が床を転がる。その直後、イヴは糸が切れた人形のようにその場で膝を追った。

 

「できない……ッ!」

 

 イヴの声には罪悪感と、悲しさと、悔しさがないまぜになったかのような感情が滲んでいた。その目は大きく見開かれ、心の動揺を表すかのように揺れている。

 

 機械的に、理屈的に、合理的に考えるのであれば、イヴはこの場でドナテロを攻撃すべきだったのだろう。だが、例えそれがその場において最善の行動なのだと理解していても。イヴは、非情に徹しきれなかった。

 

 なぜならば、イヴにとってドナテロは初めてできた友人であり、同時に父親にも似た存在だったから。彼と共に過ごした何気ない日常は、彼の人生の中で最も楽しかった時間だったから。そして何より、他の乗組員と違って、同じ時間を共有していたから。

 

 イヴは彼を攻撃できなかった。

 

「……やっぱりな」

 

 それまで沈黙を保っていたドナテロが口を開く。彼の顔に浮かんでいる表情は先ほどまでの厳しいものではなく、もっと柔らかく優しいものであった。

 ドナテロは振り向いて、背後でへたり込んでいるイヴを見つめた。その目は乗組員たちが未だ見たことがなかったほどに、穏やかなものだった。

 

「できないんじゃないかと思っていたよ、イヴ」

 

 ドナテロはしゃがみ込むと、イヴと視線を合わせた。そんな彼をイヴは憑き物が落ちたような表情で見つめる。

 知らぬ間に、彼の口からはぽつぽつと言葉が零れていた。

 

「火星には、行っちゃダメなんだ。あそこには、怪物がいる」

 

「ああ」

 

「すごく強くて、頭が良くて、一杯いて――残酷なんだ。見つかったら、皆が殺されちゃう」

 

「ああ」

 

「ニュートンさんが教えてくれて……ボク、ドナテロさんにも、皆にも、死んでほしくなくて……! でも、どうすればいいのか分かんなくて……!」

 

「分かってる。お前が今までやったことが全部、俺達の為にやったことだってことは。それにお前が、誰よりも優しい奴だってこともな」

 

 そう言ってドナテロは、不安そうなイヴの頭をくしゃくしゃと撫でた。3週間ぶりのドナテロのごつごつとした掌の感触が、イヴにはひどく懐かしいものに感じられた。不思議とイヴの心にあった不安は薄れていく。同時に、彼の体の変態が解け始め、徐々にその姿が人間のものへと戻っていった。

 

「でもな、もう1人で抱え込まなくてもいいんだ。クロード博士が全部教えてくれた。皆には、ちゃんと説明する。約束しよう、イヴ。バグズ2号の艦長として――俺が絶対に誰も死なせない」

 

 そう言ってドナテロはイヴの体を優しく抱き寄せた。

 

「だから、そんなに苦しまないでくれ。いつもみたいに、無邪気に笑ってくれよ。な?」

 

「う、あ……」

 

 抱きしめられたイヴの瞳から、大粒の涙が零れた。涙は頬を伝い、幾つもの雫となって床へと落ちた。堰を切ったように、とめどなく涙が溢れる。

 最初は微かに漏れるだけだった声は次第に嗚咽となり、嗚咽はやがて号泣に変わっていった。

 その様子は、まさしく年相応の子供のもの。大声を上げて泣きじゃくるイヴを、ドナテロはただ黙って抱きしめていた。

 

 

 

 

 

 ――――――――――――――――――――

 

 

 

 ――――――――――

 

 

 

 

 

「寝ちゃいましたね、この子」

 

「ああ。相当精神を消耗していたんだろう。俺達に見つからないよう、7日も息をひそめていたんだからな」

 

 奈々緒の言葉にドナテロは答えると、そっとイヴの顔にかかる髪を指で梳いた。余程安心しているのか、触れても起きる気配はなかった。穏やかな顔で、すやすやと寝息を立てている。彼の体には、薄手のタオルケットがかけられていた。

 

 ――結局あの後、イヴは一通り泣きはらすと眠ってしまった。まるで、緊張の糸がプチンと切れたかのように。驚くほど速く、ドナテロの腕の中で寝息を立て始めたのだった。

 

「まぁ、しばらくは寝かせておいてやってくれ」

 

 ドナテロの言葉に、他の乗組員たちは頷く。ミーティングルームには既に、全ての乗組員が集まっていた。

 ドナテロが立ち上がると、他の乗組員たちも動き始めた。彼らは部屋の中央に置かれた大きなテーブルを取り囲むようにして座ると、正面に立ったドナテロの顔を見つめた。

 

「……先程、U-NASAのクロード博士から通信が入った」

 

 と、ドナテロは切り出した。全員が真剣そのものの表情を浮かべ、ドナテロの次の言葉を待っていた。

 

「内容は二つ。一つは、バグズ2号の亡霊――イヴのこと。こちらについては、イヴが目を覚ましたら追々説明していくつもりだ」

 

 そこで、ドナテロは一度言葉を切った。深く息を吸い、そして吐く。ざわつく心を鎮め、ドナテロは口を開いた。

 

「本題は、もう一つの方。現在の火星の状況についてだ」

 

 彼の言葉に、察しのいい乗組員たちは眉をひそめた。ドナテロの「現在の火星の状況」という言い回しと声の調子から、火星で何らかの不測の事態が起きていることを理解したからである。

 

「今から、俺が言うことをよく聞いて欲しい。馬鹿げてると思うかもしれないが、全て事実だ。それに、俺達の任務と生存に大きく関わることでもある」

 

 いつになく真剣なドナテロの口調に、誰かがごくりと喉を鳴らした。ドナテロは、皆の視線が自分に集まっているのを確認すると、重い口を開いた。そして次の瞬間、彼の言葉は乗組員たちを凍り付かせることになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「火星のゴキブリが進化している。バグズ1号の乗組員たちは、例外なくそいつらに殺された。おそらく俺達も、このまま対策を怠れば――殺される」

 

 




【オマケ】密航者捕獲作戦の各自の戦果

・ドナテロ:説得を成功させる
・ミンミン:人質奪還作戦の計画
・マリア:人質奪還作戦の実行
・ジャイナ:密航者追い詰め作戦の考案
・奈々緒:間一髪で幼馴染を助ける

―――― 越えられない壁 ――――

・リー:真っ先にやられる
・トシオ:薬を出す間もなくやられる
・ルドン:薬を打つ間もなくやられる
・小吉:搦め手に引っかかってやられかける
・ティン:不意を突かれてやられる

 これを見てどう思いましたか?

ルドン「改めてみると俺達ェ……」

トシオ「……か、火星で挽回するから(震え声)」
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。