贖罪のゼロ   作:KEROTA

82 / 95
絶対凱歌EDGAR―11 古き波濤の冥王

 

 ──満たされぬ。

 

 心の飢えが囁いた。

 

 それを自覚したのは、果たしていつだっただろうか。正確な時期は思い出せないが、その程度には昔から抱いていた感覚だった。

 

 イギリスの上流階級に生を受けた彼は、非常に恵まれた環境で育てられた。一流の教育を施され、望んだものは全て与えられた。

 

 だが、男は生まれついての獣だった。

 

 万人が羨む幸福も、彼にとっては不自由な枷でしかない。あるいは『社会』という枠組み自体が彼にとっては極めて不健康な環境であった……とでもいう方が、適切だろうか? 

 

 ──満たされぬ。

 

 心の飢えが囁いた。獣の本性が、闘争を渇望していた。

 

 名門大学を首席で卒業した彼が、その足で軍の門を叩いたのはある意味必然だっただろう。後にその能力の高さから、イギリスの秘密情報部(MI6)に引き抜かれたのもまた。

 

 国への忠誠は欠片もなかった。しかし鎖に繋がれることへの不満も、特にない。

 

 彼は粛々と任務に打ち込んだ。そしてとある案件の最中、初めて他者の命を刈り取った時……生まれて初めて、彼は自らの小腹が満たされていることに気付いた。

 

 ──満たされぬ。

 

 心の飢えが囁いた。そこからは本能の駆り立てるまま、ひたすら任務へと臨んだ。常人なら精神を病んでもおかしくないようなスケジュールも、嬉々として受け入れた。

 

 危険度が高い任務があてがわれるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 

 人類社会の暗部を、彼は鼻歌交じりに歩む。弱肉強食の理、力がものをいう27世紀の闇。命の保証も尊厳の担保もない過酷な世界だったが、退屈な表社会に比べれば随分と生きやすい。

 気が付けば、腹も八分目程までに満たされていた。だが──。

 

 ──満たされぬ。

 

 幾人の死体を積み重ねようと、満腹には至らない。心の飢えを満たす『何か』を、彼は渇望し続けた。

 

 ──満たされぬ、満たされぬ、満たされぬ。

 

 心の飢えが駆り立てるまま、斬って斬って斬り捨てた。

 

 そして数多の獲物を貪りつくしたその果てで、獣はついに出遭った。この世で唯一、己の魂を満たしうる極上の獲物に。

 

 その名は、エドガー・ド・デカルト。

 

 天国へのきざはしに片足をかけた、神への挑戦者である。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

『痛し痒し』より数年後、とあるMO技術が開発されることになる。

 

 日本の天才、本多晃によって確立されたその技術の名は『C(キマイラ).B(ブラッド).技術(オペレーション)』。

 

 通称“天異変態”と呼ばれるその技術は、テルムス・アクウァーティクスという微生物の特性でMO能力者のDNAを複製・増殖。これを体内に取り込むことで一時的に他者能力を使用可能にするというもの。

 

 複数の特性を行使可能とする技術自体は既に存在していた。しかしそれらを加味してなお、C.B.技術は画期的な発明だった。

 

 ヨーゼフ・ベルトルトのαMO手術、レオ・ドラクロワのE.S.MO手術、クロード・ヴァレンシュタインのMO手術ver『Chimera』『Hyde』、アダム・ベイリアル・ハルトマンのMO手術ver『魔女の脚(バーバヤーガ)』……能力の複数行使を可能とする既存技術はいずれも、独自の強みと引き換えに成功率の低下という共通リスクがあった。更にベース細胞の侵食、再現性の限界、組み合わせの制限、発現部位の限定など、技術ごとの欠点もある。

 

 しかしC.B.技術には()()()()()

 

 人体改造手術ではないため成功率という概念自体がなく、ベース細胞の侵食は受けない。能力は完全に再現され、同種の生物以外でも掛け合わせ可能。そして当然、下半身のみ変態して上半身は生身のまま、などということもない。強いて挙げれば持続時間の短さは気になるが、それも立ち回り次第で十分にカバーが利く。

 

 人道の観点から、日本は“兵士の量産”も”兵士の改造手術”にも着手することはできなかった日本が、後に起こる国際的なMO軍拡競争で後れを取ることがなかったのも、ひとえにこの技術の存在あってこそ。

 

 総評して天異変態という技術は、良い意味でリスクとリターンが釣り合っていない技術である。従来の戦力を掛け合わせることで戦力を強化する。コストパフォーマンスに優れたこの技術は、まさしくMO技術界隈のイノベーションである。

 

 

 

「僕さぁ、コスパって言葉嫌いなんだよね」

 

 

 

 そしてその十数年前、アダム・ベイリアルはコストを踏み倒そうとしていた。

 

「『DNAを増幅して取り込ませよう!』『よーし、PCR検査でおなじみのテルムス・アクウァーティクスくんを活用しちゃうぞー!』……着眼点は悪くないけど、その発想は60点かな」

 

 図らずも本多晃と同じ結論に至った同士の一人に、アダムは言った。

 

「え? でもこの生物が一番DNAの量産効率がいい? この大馬鹿野郎っ! 何のために僕たちがいると思ってるんだっ!」

 

「『もっと効率がいい新種の生物創って!』くらい言えよ! 僕たちは仲間だろう!?」

 

「てことで、早速スレ立てて安価しようぜ。久しぶりの祭りになりそうでテンション上がるなぁ~!」

 

 ──かくして闇科学者の集合知と悪ノリにより、寄生性巻貝の一種『ヤドリニナ』を改造して決戦兵器は創造された。

 

 獲物の血肉を取り込みやすくするため、咀嚼器官は可変性と鋭利さに特化。テルムス・アクウァーティクスの遺伝子導入により、細胞単位でDNAを増幅させる特性を実現。そして足糸には点滴のような器官を備え、DNAを宿主へ注入することを可能とした。

 

 ここから更に何世代もの改良と改造を繰り返すことで、MOH兵器・AI・新種合金などと共生進化()()()()()生物こそが『元帥(マーシャル)』の正体。

 

 ──人の力なくして生きられない蚕のように、機械の力なくして生きられない軍用生物。生物としては明らかな劣等生である彼女たちは、しかし汎用兵器としてはこの上ない優等生。

 

 刃毀れや折損の問題──なし。

 生体・死体を問わず、斬った相手の血肉を刃の材料とすることで、戦場においてその剣はいくらでも修復可能。またこの特性上、刀身はその形状を宿主の思うがままに変化させ、あらゆる戦況へ柔軟に対応して見せる。

 

 持続時間の問題──なし。

 量産したDNAを宿主へ注入し続けることで、取り込んだ生物の特性は半永久的に宿主に発現する。『元帥』が外付けの免疫寛容臓として機能するため、MO手術を受けていない人間でも天異変態が可能というおまけつき。

 

 使い手の力量の問題──なし。

『元帥』のAIが宿主の戦闘をサポートすることで、例え素人であっても達人並みの剣技の行使が可能。アダムが無作為に選出した一般人に『元帥』を装備させて戦闘テストを行ったところ、下は8歳から上は72歳まで、全被験者がマーズランキング15位圏内という結果を叩き出したほど(テスト終了後に全員が精神に異常をきたしたが)。

 

 斬れば斬るほど、殺せば殺すほどに使い手を強化する生物(武器)。その生態(性能)はまさに『魔剣』──その猛威が、スレヴィン・セイバーへと牙を剥く。

 

「餌の時間だ、『元帥(マーシャル)』──」

 

『イヒッ! キャハハハ!』

 

 シドが呼びかけに耳障りな音で応じながら、魔剣は彼の手中でその姿を変じさせる。

 

「存分に喰い荒らせッ!」

 

『 ギ ャ ハ ハ ハ ハ ! ! 』

 

 騎士が剣を振り抜けば、刃は鞭の如き軌道を描いてスレヴィンへと斬りかかった。

 

 ──蛇腹剣、と呼ばれる武器がある。

 

 これは複数節の刃をワイヤーなどで連結したこの武器は『剣の剛性』と『鞭の柔性』を併せ持ち、通常の剣士が不得手とする中・遠距離から敵に有効打を与えることを可能とする。

 

 強度や使い勝手の観点から実用性は低く、いわゆるロマン兵器として取り上げられることの多い武器だが、『元帥(マーシャル)』の変形機構はこれを実戦レベルの実用兵器として再現することが可能。

 

「う、おっ!?」

 

 腱で繋がれた歯牙の連刃が壁を抉り、スレヴィンに迫る。咄嗟に体の軸を逸らすことで、彼は辛うじてその奇襲をかわすことに成功した。

 

『キャハッ、ギャハハハ!』

 

 だが、猛攻は止まらない。刃の蛇は空中で不規則にうねりながら、執拗にスレヴィンをつけ狙う。巧みな身体運びでスレヴィンはそれを捌くが、全てを裂けることは不可能。刻々とその身に刻まれる裂傷の数は増え、ジリジリと体力を削られていく。

 

「クソっ……!」

 

 スレヴィンはホルスターから乱暴にサブマシンガンを引っ張り出した。狙いを定めている暇はない。大体のあたりをつけて引き金を引けば、金切り声を上げた銃身が無数の弾丸をまき散らす。しかし、それがシドの肉体を傷つけることはなかった。

 

 

 

「“天異変態”」

 

 

 

 そう呟いた彼の肌が、薄茶色の体毛で覆われる。次の瞬間、シドを目掛けて飛来する弾丸がスローモーションになった。

 

「なるほど……()()()()()()()

 

 ──より正確には、そう思えるほどに()()()()()()()()()

 

 緩慢に流れる時間の中で、シドは鉛の雨を悠然とかい潜る。そうして彼は、次なる指令を自らの凶器へ下した。

 

「盾」

 

 途端、魔剣は瞬きの内に刀身を凝縮させ、人一人が姿を隠せるほどの盾へとその姿を変じる。分厚い骨組織に阻まれ、残りの弾丸は一発たりとも役目を果たすことなく地面へと転がった。

 

「ッ、ネズミか……!」

 

 空になったマガジンを放り捨てながら、スレヴィンは見覚えのある能力に悪態を吐く。

 

 “ネズミの体感時間”──大型の生物に比べて脈拍が速いネズミにとって、人間の1秒はその何倍にも長く感じられるのだという。この体感時間の長さを利用した精密行動は、スカベンジャーズの立花東平が得意とする戦闘手法だ。

 

「タチバナはオメーにゃ斬られてなかったはずだが!?」

 

「クカッ! 拠点が廃墟でな、ネズミ(エサ)には事欠かん!」

 

 ──その辺の生物からでも奪えんのかよ。

 

 その規格外さに顔をしかめたスレヴィンに、盾の陰から伸びた三本の尾が襲い掛かる。

 ”イエローファットテールスコーピオンの毒尾”──シドが斬り殺した猛毒部隊の隊員の手術ベースだ。

 

(サソリの毒! これ以上喰らうのは不味い!)

 

 既にスレヴィンの体には、先ほど受けたツマアカスズメバチの毒が回り始めている。そこにサソリ毒が加われば、体内でどんな反応が起こっても不思議ではない。

 

 毒の三連撃を再生した三本の触腕でいなし、スレヴィンはバックステップを切る。そして次なる一手を打とうとし──不可視の何かが、彼の身体を縛り上げた。

 

「んなっ!?」

 

(ワイヤートラップだと!?)

 

 ギョッと自らの体に視線を走らせれば、スレヴィンの全身には細く頑丈な糸が絡みついていた。鉛筆程度の太さに束ねれば飛行機も繋ぎとめるクモ糸の罠──そこに彼は、まんまと誘い込まれたのだ。

 

(やられたッ、サソリの尾はブラフ! 仕掛けたのはあの時か──!)

 

 スレヴィンの脳裏に浮かぶのは、先ほどの蛇腹剣の一撃。今思えば、必要以上に壁や天井を傷つけていたのはこの罠を仕掛けるためだったのだろう。スレヴィンは、己が判断ミスを犯したことを察する。

 

「そら前方注意だ、スレヴィン・セイバー!」

 

「っ!?」

 

 はっと視線を戻せば、スレヴィンの眼前には盾を構えたシドが迫っていた。

 

 盾による打撃(シールドバッシュ)──その名の通り、本来は防具である盾を用いた打突である。銃火器が発達した現代社会では、せいぜい機動隊が暴徒鎮圧に用いる程度の『穏当な』攻撃だが、そこに天異変態で発言した生物特性が加われば話は変わる。

 

 哺乳類型“Japanese Black”──和名を“黒毛和牛”。

 

 多くの人が一度は耳にしたことがあるだろう、高級肉牛の一種である。食用としての印象が強いこの生物は、あまり知られていないが野生の特性が比較的色濃く残っている種でもある。

 

 ウシの武器は二本の角と、()()()()()()+()()()()()()()()()()()()

 

 この特性は、黒毛和牛にも健在。

 実際、日本の宇和島では黒毛和牛の雄牛が闘牛用に飼育されている他、2022年には牛舎から脱走した黒毛和牛の突進を受けた男性2名が大怪我を負わされたという記録も残っているほど。

 

 その威力が上乗せされたシールドバッシュは、言うまでもなく『穏当』などという優しい攻撃委ではない。まともに受けようものなら、再生能力持ちのスレヴィンといえども戦闘不能となる猛攻と化す。

 

「クソッ──!」

 

 そして盾による剛撃が、スレヴィンの体を打ち据えた。車同士が衝突事故を起こしたような轟音に、彼の肉体を縛り付ける蜘蛛糸が軋む。

 

「っ、ぶねぇ……!」

 

 だが、スレヴィンは無事だった。間一髪で己と盾の間にタコの触腕を滑り込ませ、衝撃を吸収したのだ。

 

「触腕をクッション代わりに凌いだか、悪くない。だがどうする? このままでは喰われるぞ?」

 

 試すように言うシドの腕の中で、白色の盾は文字通り牙を剥く。裂けた大口から涎が滴り落ち、生臭い呼気がスレヴィンの頬を撫でた。

 

『 あ ハ ヒャ ハ はァ ! ! 』

 

 けたたましい笑い声と共に、魔剣が顎を振るう。そして……

 

「……そう来るだろうと思ったぜ」

 

 スレヴィンの体は()()()()()、糸の拘束から逃れた。

 

『あ アぁ ?』

 

 ガギン! という音を立てて、『元帥』の牙と牙が打ち鳴らされる。その刃が標的の肉を捉えることはない。空を切ったその隙に、蜘蛛糸を糸楊枝のように食い込ませるばかりだ。

 

 ──軟体動物はその名の通り『軟らかい体』を持つ生物群の総称だ。

 

 中でもタコの柔軟性は群を抜いており、腕一本分も隙間があれば水槽や生け簀から難なく抜け出してしまう。実際に多くの水族館や研究施設で『タコが脱走した』という事例は報告されており、人々を驚かせている。

 

「少し足をとられはしたが……」

 

 シドの目と鼻先で、自由の身となったスレヴィンは言う。

 

「俺を捕まえたけりゃ、タコ壺でも持って来るんだな」

 

 シドが左腕から生えたツマアカスズメバチの毒針を構えたのと、スレヴィンが口から蛸墨を吐き出したのはほぼ同時だった。

 

「チッ!」

 

 視界が漆黒に塗り潰される中、シドはあたりをつけて毒針を繰り出す。正確無比に繰り出されたその一撃はしかし、予測に反して肉を貫いた感触を伝えることはなかった。

 

(外した? 俺が、この距離で?)

 

 疑問を抱くと同時、シドの脳はコンマ秒の内に起こりうる可能性を提示していく。思考は即座に、その中から正解を導き出した。

 

(──マダコの重心移動か!)

 

 頭足類は骨格を持たず、身体活動は柔軟かつ強靭な筋肉に頼っている。それゆえに、彼らの体では人間では考えられない角度・速度で重心が移動する。

 これを応用することで、通常ならば間に合わないタイミングの攻撃を回避することも十分に可能。

 

(ならば、ソナーで探知を──)

 

「遅ェ!」

 

 だがシドが特性を使用するよりも早く、背後から彼の両腕と胴をマダコの触腕が絡めとった。

 

「ッ、ぐ……!?」

 

 拘束を振りほどこうとシドは力を籠めるが、吸盤の一つ一つがシドの皮膚にピタリと吸い付き、僅かな抵抗すらも許さない。この瞬間、勝利の天秤はスレヴィンへと大きく傾いた。

 

「おォッ!」

 

 自らの体を後ろへ逸らし、そのまま倒れ込むようにシドの体を抱え上げる。

 

 柔道においては裏投げと呼ばれるその技は、受け身に失敗すれば頸椎を損傷する可能性がある技だ。完全に動きを封じられたシドに、もはや成す術はない──かに思われた。

 

 

 

「……クカッ」

 

 

 

 ──天秤は再び均衡を取り戻す。

 

 シドは吸い付いた吸盤ごと、()()()()()()()()()()()()()()()

 

(だっ)──ッ!?」

 

 思わず口にしかけた瞬間、スレヴィンの眼球に突然痛みが走る。

 

(不味い!)

 

 それは一般人の基準で考えたとしても、そう大した痛みではなかった。そしていかに不意を突かれたとて、スレヴィンはその程度の痛みに怯むような男でもない。

 

 問題だったのは感覚ではなく、生理反応だった。

 

「目に異物感がある」「なら洗い流してしまおう」という、至極真っ当な反射によって引き起こされた涙の分泌という現象。

 

(クソッ、視界が──!)

 

 スレヴィンの視界が文字通り、涙に滲む。それに伴い彼の両瞼は、正常な視界を確保するために降下を始めていた。

 

 意趣返しのように仕掛けられた目潰し。それが作り出した好機を、この猛獣の如き騎士が見逃すはずもない。

 

(何か来るッ!)

 

 スレヴィンが直感的に飛び退くのと、シドの背中を突き破って十数本の毒槍が飛び出したのはほぼ同時だった。

 

「う、おッ!?」

 

 致死毒が滴る槍の穂先が、勢いよくスレヴィンへと迫る。しかし彼が跳躍した距離の分だけ僅かに届かず、槍は一瞬前まで標的がいた虚空を抉った。

 

「クカッ、これも躱すか!」

 

 “オニダルマオコゼの毒槍”を体内へ引き戻しながら、シドは「だが」と言葉を続ける。

 

「これで詰み(チェックメイト)だ、スレヴィン・セイバー」

 

 その言葉と同時に、スレヴィンの平衡感覚が唐突に薄れた。思わず膝を折ったスレヴィンは、己の目に映る景色が徐々に歪み始めていることに気が付く。ガンガンと頭の奥に響く動悸は、まるで鼓膜のすぐ裏側に心臓があるかのようだった。

 

「遅効性の、毒……!?」

 

 スレヴィンは驚愕と共に呟く。彼が知る限り、スズメバチの毒に幻覚の作用はない。先ほどのスズメバチ以外にも、何らかの毒を盛られたことは明らかだった。

 

 勝負ありと言わんばかり、目の前で悠々と眼鏡を拭き始めたシドを、スレヴィンはにらみつける。

 

「テメェ、いつの、間に……!」

 

「クカカ、さぁな」

 

 再び眼鏡をかけたシドはそんなスレヴィンを見下ろし、「さて」と口を開く。

 

「最期に言い遺すことがあれば聞いてやろう。ああ、だが……一言二言で頼むぞ?」

 

 シドは彼の首筋へと魔剣を突き付けた。

 

「なにしろ『元帥(コイツ)』が、お前を喰いたくてたまらんようでな。押さえつけておくのも骨だ」

 

『ギャハッ! アハハハハハ!』

 

 自らに付着した蛸墨を舐めとりながら、魔剣はけたたましい鳴き声を上げた。時々カタカタと振動する刀身は、シドの言葉通り今にも獲物に襲い掛からんばかりだ。

 

(……なるほど、読めてきたぜ)

 

 耳障りな顔をしかめながら、スレヴィンの脳は思案する。

 

(MO手術の被験者同士の戦いってのは、早い話がじゃんけんだ。相手の特性を把握し、対処できない一手を押し付けた奴が勝つ)

 

 思考する。勝ち筋を見出すために。

 

(だがこの剣(?)があれば、コイツは一方的に後出しができる! これをどうにかしねぇ限り、俺は勝負の土俵にもあがれないまま敗北する!)

 

 思索する。生き残る術を探るために。

 

(賭けにはなるが……やるしかない)

 

 そして彼は、口を開いた。

 

「なら一つだけ……伝言を、頼まれちゃくれねぇか?」

 

「ほう。誰に?」

 

「女だ」

 

 スレヴィンのその言葉に、シドは面白がるように口端を釣り上げた。

 

「いいだろう、一言一句逃さず伝えてやる。言ってみろ」

 

「ああ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『そんなに食いたきゃ食わせてやる』──そのクソ女に伝えとけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その言葉と同時に、彼の背後から勢いよく()()が飛来する。シドの優れた動体視力はいち早くそれを視認し……そして、あからさまな落胆を顔に滲ませた。

 

(何をするかと思えば)

 

 彼の目が認めたものは、ぶどうの房のようにまとめられた手榴弾の束だった。その中の一つは既に安全ピンが抜けており、5秒後に引き起こされる爆発の連鎖を予告していた。

 

「自爆か」

 

 目潰しが利いている間に仕込んでおいたのだろう、シドが出した蜘蛛糸をくすねて用意した即席のワイヤートラップがその投擲手だった。

 よくよく目を凝らせば、スレヴィンの腰から生えた触腕のうちの一本に、トラップを作動させるための糸が巻き付いているのが見て取れる。

 

「くだらん」

 

 シドは手中の『元帥』を再び盾へと変じさせた。ズラリと生え揃った牙の盾が、まさしく牙城とでも言うべき物々しさと堅固さを醸し出す。更にシドはその表面をエナメル質でコーティングし、至近距離で手榴弾が炸裂しようとビクともしない強度まで引き上げた。

 

 あとは目の前の男が、自分が仕掛けた罠で死ぬのを見届けるだけ……そう考えていた矢先。

 

 

 

「どーしたァ? 今更淑女ぶるじゃねぇか」

 

 

 

 ──スレヴィンは再び、口からタコ墨を吐き出した。

 

(この期に及んで、墨? 自棄になったか……いや)

 

 訝しみながらも、シドは脳裏をよぎった想像を否定する。

 

(勝ちを諦めた男の目ではない。何か企んでいる)

 

 スレヴィンの思考を推し量ろうとする彼の眼前、噴射された墨と手榴弾がぶつかり合う。当然のように墨は空中で四散し、独特の臭気と黒い飛沫を一面にまき散らす。

 

(だが、一体何を──)

 

 そして。

 

 

 

 

 

 

「遠慮しないで食えよ、クソ女」

 

 

 

 

『キャハ、キャアアアアアアアアア!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

()()()()()()()()()()、難攻不落の牙城は自ら()を開けた。

 

 

 

「なッ!?」

 

 その不可解な挙動に、流石のシドも顔色を変えた。だが彼が制止する間もなく、『元帥』は飛来した手榴弾の房を丸呑みにしてしまった。

 

 ──スパゲッティ、リゾット、パエリア。

 

 これらの料理はしばしば、ソースの材料としてイカ墨を用いることがある。

 

 なぜあんな真っ黒でドロドロとした、いかにも不味そうなものを料理に使うのか? 理由は単純明快、『見た目に反して美味いから』の一言に尽きる。

 

 アミノ酸、グルタミン酸、アルギニン酸。俗に「旨味成分」と呼ばれる物質をイカ墨が多く含むことがその理由なのだが……同量で比較した場合、タコ墨は実にイカ墨の3倍近い数値でこれらの成分を含んでいる。

 

『キャ、キャッ!』

 

 そんな旨味の塊をたっぷりと浴びせられた物体を、健啖の魔剣が咄嗟に『ご馳走』と判断してむしゃぶりついてしまうのは無理からぬ話であった。

 

 そして飯が不味い国(イギリス)出身であり、殺しを生き甲斐としてきたシドにとって……その自殺行為を予測することなど、絶対に不可能。

 

FUCK(クソッ)!」

 

 

 だが、そこからの判断は迅速だった。

 

 シドは爆弾と化した『元帥』を寄生された己の右腕ごと切り離し、全力で後退。そしてその僅か0.6秒後──爆発のカウントダウンはゼロへ至る。

 

 ボゴォ、というくぐもった音と共に、刀身が歪な風船のように膨らんだのを、スレヴィンは折り畳み式の防弾シールド越しに見た。だが、それも一瞬のこと。

 

『はギャッ』

 

 対人決戦兵装『元帥(マーシャル)』は次の瞬間、内側からの爆風に耐え切れず破裂した。短い断末魔を挙げながら、それこそ空気を入れすぎた風船のように。

 

「ッ……!」

 

 飛び散った手榴弾の破片や『元帥(マーシャル)』の残骸が、防弾シールドに当たって弾かれる。やがてそれが収まった時、白衣を着た悪魔が作り出した傑作は跡形もなくなっていた。

 

「ク、カカッ……! これは、一本取られたな」

 

「あれで死なねぇのかよ」

 

 そしてその先に、手負いとなりながらも健在で佇む黒の女王(クイーン)の姿を見つけ、スレヴィンは思わず呟いた。

 

「首の皮一枚、といったところだがな」

 

 そう言ったシドの腰から、ボトリと何かが落ちる。飛び散った破片を正面から受けたのだろう。ズタズタに引き裂かれたそれは、スレヴィンのものと全く同じ、三本のタコの触腕だった。

 

「その要因を提供したのもお前自身というのは、なんとも皮肉な話だ」

 

 笑うシドの右肩口から、切断された腕が再生する。調子を確かめるように手を開いては閉じてを繰り返す彼の姿に、いよいよスレヴィンは渋面を作る。

 

俺のMO(マダコ)も当然、ストック済みってわけか。だが……形勢逆転(チェックメイト)だ、テロリスト」

 

「ほう?」

 

 スレヴィンは『M500』の銃口をシドへと突き付けた。

 

「お前の手術ベース、感知系だろ? おそらくサメかイルカ……どっちにしろ、白兵向きの直接攻撃型じゃねェ。流石に武器を失くしたお前に後れを取るほど、俺も弱くはない」

 

 大人しく投降しろ、とスレヴィンは続ける。

 

「そうすりゃ、この場でミンチにゃしないどいてやる」

 

「……クク」

 

 それに対してシドが返したのは、押し殺したような笑いだった。

 

「……何がおかしい?」

 

「クカカカ……ああ、気にするな」

 

 油断なく銃を構えながら真意を問うスレヴィンに、シドは手をひらひらと振りながら答える。

 

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 その瞬間、不可視の衝撃波がスレヴィンを襲った。

 

「ガッ──!?」

 

 あまりの威力に悲鳴をあげることすら叶わない。大きく後方へと吹き飛ばされ、スレヴィンの体は床に転がった。

 

「無理もないがな。E.S.M.O.(俺が受けた)手術は、そのためのものだ」

 

 肺の中の空気が押し出され、それでも足りぬとばかりに口から血を吐き出すスレヴィン。そんな彼に語り掛けながら、シドは懐からパッチ型の薬を取り出すと自らの首へと押し当てた。

 

 

 

「 E l d e r() ― M E T A M O R() P H O S I S(変     態) 」

 

 

 

 ミシミシと音を立てながら、シドの肉体には古代の因子が再び反映される。

 

 口から覗く歯は鋭く研ぎ澄まされ、背中には尖った背びれ。両腕からはエナメルの刃が双剣の如く伸び、全身を覆う純白の分厚い皮膚は騎士が纏う鎧のようにも見えた。

 

「だが謝罪しよう、スレヴィン・セイバー。どうやら俺は、手に入れたばかりの玩具に浮かれていたらしい。ここからは、遊び抜きで行かせてもらう」

 

 シド・クロムウェルは告げる。圧倒的力の差を前に地へ伏しながら、それでもなお諦めることなき強敵へと。

 

「さぁ続けよう、スレヴィン・セイバー。二局の理を懸けた、生存競争を」

 

 その背後に悪魔とも神の化身とも謳われる、最強の生物の亡影を従えながら。

 

 

 

 

 

 

 

 シド・クロムウェル

 

 

 

 

 

 

 

 国籍:イギリス

 

 

 

 

 

 

 

 38歳 ♂

 

 

 

 

 

 

 

 178cm 73kg

 

 

 

 

 

 

 

 ESMO手術 “古代哺乳類型”

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────── リヴィアタン・メルビレイ ────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──古き波濤の冥王(リヴィアタン・メルビレイ)君臨(ランページ)

 

 

 

 

 

 




【オマケ①】シドが使った天異変態のMO一覧

ツマアカスズメバチ:使用用途は毒針。入手経路は斬り殺した猛毒部隊の隊員。変異中はただでさえ高い本人の凶暴性が一層強まる。

ドブネズミ:使用用途は思考加速。入手経路は拠点に住み着いていたネズミ。『元帥』が勝手に喰ってた生物で、気付いたらなんか使えるようになってたMOその1。ルイス戦で毒槍を捌いてカウンターを決めるのに一役買ったりした影のMVP。

イエローファットテールスコーピオン:使用用途は毒尾。入手経路は斬り殺した猛毒部隊の隊員。生え方は尾てい骨から一本、頭部から二本。使用中は誰得なツインテールと化す。

ジョロウグモ:使用用途は糸。入手経路は拠点に住み着いていたクモ。気付いたらなんか使えるようになってMOその2。拠点の掃除中、天井のクモの巣を『元帥』で払ったときにつまみ食いしたと思われる。遠くのテレビのリモコンをとるときに便利。

黒毛和牛:使用用途は突進。入手経路は昨日の夕食の和牛ステーキ。最初は自分で焼こうとしたがイギリス人であることを不安視した千桐が待ったをかけ、彼女が代わりに焼いた(※英断)。最後の一口を『元帥』に食われたことは未だに許していない。

タイワンハブ:使用用途は脱皮。入手経路は斬り殺した猛毒部隊の隊員。脱皮のコツは上着を脱ぐような感覚を意識することらしい。

タマネギ:使用用途は脱皮の補助と催涙物質の散布。入手経路は今朝の朝食のポトフ。ちなみにポトフはフィリップ作。

トマト:使用用途は毒素の散布(トマトは葉から殺虫成分を含む香りを放出する)。ジャガイモと併用。入手経路は今朝の朝食のポトフ。味は普通に美味しかった。

ジャガイモ:使用用途は毒素の生成(ジャガイモの芽に含まれるソラニンには幻覚作用がある)。トマトと併用。入手経路は今朝の朝食のポトフ。最後の一口を『元帥』に食われたことは未だに許していない。

オニダルマオコゼ:使用用途は毒槍。入手経路はルイス。何回か使っても背中を突き破って槍が飛び出す感覚には慣れない。

マダコ:使用用途は自切と防御と再生。入手経路はスレヴィン・セイバー。『元帥』が壊れた直後も数十秒は天異変態が使える。これ以降はDNAの供給が途絶えるため、天異変態は不可能。


【オマケ②】シドがあえて使わなかった能力一選
ヒト(オリヴィエ・G・ニュートン):変態すると各種身体能力がニュートン水準まで向上するが、なんか気持ち悪いので使っていない。入手経路はルイス。シドは槍の一族の事情を知らないため、αMO手術の貴重な追加枠を使ってオリヴィエと融合したルイスをちょっとキショいなと思ってる。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。