贖罪のゼロ   作:KEROTA

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『神や神の属性について概念を持つことは、人間の能力をはるかに超えている』

――トマス・ホッブズ




絶対凱歌EDGAR―12 満たされぬ刃

 

 

「おっと、”そこまで”だ。止まんな、兄ちゃん」

 

 ──西暦2615年、エリゼ宮殿正門。

 

 正門警備隊の指揮を任されたガストン・ドーバントン中尉は、近づいてくるその男に声をかけた。

 

「お前さん、観光客か? 見ての通り、今は厳戒態勢の真っただ中でね。蟻んこ一匹通すなって、統合参謀長直々の“お達し”なんだわ。悪ィことは言わねぇ。そのまま“回れ右”して、ホテルに帰んな」

 

 親切心で言葉を紡ぐ彼だが、男は一向に立ち去るそぶりを見せない。それを目の当たりにしたガストンは全てを察し、「へっ」と不敵に笑った。

 

「そうかよ。だったら“相手”になるぜ……”原始変態”!」

 

 言うや否や彼は懐からパッチ状の変態薬を取り出し、自らの首筋に張り付けた。途端、マッシブな彼の体は分厚い皮膚に覆われ、逞しい両腕からは棍棒とも刺股ともつかぬ武器が生える。

 

「正門警備隊、攻撃態勢ッ! “やる”ぞ!」

 

「「「「「了解っ!」」」」」

 

 部隊長の指示に兵士たちが銃を構え、MO手術を受けている数人が変態する。完全な攻撃態勢への移行を完了させたガストンはゴキリと首を鳴らすと、雷のような声で吠えた。

 

「へっ! 少しは”楽しませて”くれよ!」

 

 

 

 ガストン・ドーバントン

 

 

 

 29歳 ♂ フランス共和国親衛隊 第一歩兵連隊中隊長

 

 

 

 

 ESMO手術ベース“古代哺乳類型”  ――― ブロントテリウム ―――

 

 

 

※※※

 

 

 

「……ガストンの馬鹿。しくじった」

 

 ──エリゼ宮殿エントランス。

 

 乗り込んできた男の姿を認めたレリア・ラングレー中尉は、すぐさま注射器を首筋へと突き刺した。

 

「合図したら私ごと撃って。()()()()()()()()()()

 

 薬が血中を駆け巡る。その背に形成されたのは、四枚の巨大な翅だった。その眼は青の複眼へと変じ、現生種のそれよりも長い触角が頭部から生える。腕から突き出すように生えた大顎は、鋭利な肉切り包丁のよう。

 

 その周囲で、配備された兵士たちは四方八方から銃口を向ける。レリアの言葉通り、射線上に彼女の体が重なるのも構わずに。

 

「私たち兵士は消耗品。顔馴染みを殺されたからって、動揺したりなんかしないけど──」

 

 

 

 

「──これ以上同僚を殺すのも、エリゼを汚すのも許さない。お前はここで、抹殺する」

 

 

 

 レリア・ラングレー

 

 

 

 27歳 ♀ フランス共和国親衛隊 第一歩兵連隊中隊長

 

 

 

 

 ESMO手術ベース“古代昆虫型”  ――― メガネウラ ―――

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「……不甲斐ない限りだ」

 

 ──エリゼ宮殿大統領執務室前。

 

 階下から現れた男の姿を認め、口髭を生やしたその老兵──アルフォンス・ヴァレリー大尉は静かに頭を振った。

 

「ガストン、レリア……皆、若く有望な兵士たちだった。それを、みすみす死なせてしまうとは」

 

 フランス共和国親衛隊の中でも古株の彼は束の間、同僚たちの死を悼み……しかしすぐに、思考を戦闘のそれへと切り替える。

 

「──貴様はここで討ち果たす。でなければ吾は、近衛長に顔向けができん」

 

 不退転の覚悟と共に、アルフォンスは薬を摂取する。ミシミシと音を立てて全身の筋肉が隆起し、その体が赤く刺々しい鱗の鎧を纏う。額から生えた二本の角も相まって、その姿はさながら東洋の鬼のよう。両手両足の指先が変化した鉤爪は、ベースとなった生物の強靭さと獰猛さを言外に、そして克明に物語っている。

 

「同僚を殺したお前に加減できるほど、吾は器用でも心優しくもないのでな」

 

 警戒心を露わにした男に熟練のサバットの構えで対峙しながら、アルフォンスは告げる。

 

「──フランス共和国親衛隊を舐めないでもらおうか」

 

 

 

 アルフォンス・ヴァレリー

 

 

 

 56歳 ♂ フランス共和国親衛隊 第一歩兵連隊筆頭中隊長

 

 

 

 

 ESMO手術ベース“古代爬虫類型”  ――― カルノタウルス ―――

 

 

 

 

※※※

 

 

「……不敬にも、余の命をつけ狙う輩は多い」

 

 ──そして、エリゼ宮殿大統領執務室にて。

 

 事務仕事の際に愛用している眼鏡を外すと、エドガー・ド・デカルトは零した。

 

「無論、一々相手にしていられるほど余は暇ではないのでな。入り込んできた虫どもは近衛に駆除させているわけだが……」

 

 そこで一度言葉を切ると、彼は視線を向けた。

 

 

 

「──ここまで食い破ってみせたのは、貴様が初めてだ」

 

 

 

 執務室の入口に立つ、招かれざる客へと。

 

「クカッ! ならば俺は、上等な虫と言ったところか」

 

 その男──シド・クロムウェルは愉快げに返すと、自らの体を一歩分横へと移動させた。この行動でエドガーの位置からは廊下の状況が諸に見えるようになり……その様相に、思わず彼は眉をひそめた。

 

 開け放たれた扉の先に広がっていたのは、凄惨な光景であった。

 

 荘厳な装飾が施された廊下は天井から壁に至るまで飛び散った赤に塗れ、床の上に現在進行形で広がる血の海には、事切れた兵士たちの死体が浮いていた。

 むせかえるような血と火薬の臭いが流れ込み、執務室の中に死の気配を充満させる。

 

「――衛兵128名、うちMO手術の被験者16名。妙な特性を使う者も数名紛れていたが……見ての通りだ」

 

 シドは片手で引きずっていたもの──事切れた三人の中隊長の亡骸を、無造作に執務室の床へと放った。

 

「警護はよく吟味することだな、大統領閣下。脆い盾ほど信用ならんものない」

 

 そう告げるシドの体は血に塗れながらも、外傷らしい外傷が一切見受けられない。それが意味するのはこの男が単身、ほぼ無傷で100を超える近衛兵を返り討ちにしたという事実。それも手術を受けていない生身の状態で。

 

「クハッ! 随分と図に乗るじゃあないか。鱗を数枚削いだ程度で」

 

 しかしそれを理解してなお、エドガーは全く動じる様子を見せない。それどころか、余裕すら感じさせる仕草で、シドを見やる。

 

「先ほども言ったが、近衛どもの役割は精々虫除けだ。それ以上の役割など、始めから余は期待しておらん……分からんか?」

 

 

 

()()()()()()()()()()。これに勝る守りなど存在しない」

 

 

 

 エドガーが告げた刹那、重圧がシドを襲った。それはさながら、眼前で猛り狂う獅子の咆哮を浴びせられているかのよう。

 

「今宵は近衛長も騎士も不在なのでな……光栄に思うがいい」

 

 ──貴様は余自らの手で潰してやる。

 

「ク──クカカ……!」

 

 およそ人間が発しているとは思えないほどの凄まじい覇気に、さしものシドも身震いせずにはいられなかった。もっともその震えは、恐怖ではなく高揚故のものではあったが。

 

「クカカカッ! それはいい、素敵だ!」

 

 ニュートンの一族と刃を交えるのは、これが初めてではない。だがこの男は、これまでの標的たちとはまるで格が違う。

 

 この地球上で限りなく黄金比に近い、天性の肉体。他の追随を許さない、圧倒的なカリスマ性。そして何より、人間としての枠組みを超えた絶対者としての思考。

 

 そのどれもが、シドがこれまでの生涯で味わったことがないもの。

 

「エドガー・ド・デカルト! 貴公は最高の標的だ──」

 

 己の飢えを満たしうる極上の馳走。それを前にした獣は歓喜の咆哮をあげ、牙を剥いた。

 

「──その命、もらい受けるッ!」

 

「やれるものならやってみるがいい、獣め」

 

 

 

 

 かくして獣は『人』に挑み──そして、惨敗を喫した。

 

 

 

 

「クハハハハ! なんだ、その程度か? 盾がどうのと高説を垂れた割に、その牙は余に届かなかったようだが」

 

 エドガーは嘲笑うと、自らの足元に這いつくばる敗者を踏みつけにする。

 

「ッ、クカカ……その、ようだな……」

 

 靴底の硬さを後頭部で感じながら、シドは同意の言葉を絞り出した。完膚なきまでの敗北であった。仮にここまでの消耗がなかったとしても、きっと同じ結果を迎えていただろう──そう確信できる程には。

 

「もっとも、執務で鈍った体を動かすには悪くなかったがな……さて」

 

 エドガーは一度言葉を切ると、足に込める力を強める。

 

「今から貴様は死ぬわけだが……余の無聊を慰めた褒章だ。最後の言葉くらいは聞き届けてやる」

 

「クカッ、お優しいことだ」

 

 思わず失笑し、しかし。ふと思い至ったシドは問う。

 

「……ならば一つ、冥途の土産に聞きたいことがある」

 

「質問を許した覚えはないが?」

 

「まぁそう言ってくれるな。エドガー、俺は貴公の野望を聞きたいのだ」

 

「ほう?」

 

 その言葉に多少の興味をそそられたのだろう。俄かに真剣さを取り戻した表情で、エドガーは試すように言葉を紡いだ。

 

「貴様のような獣に、余の考えが理解できるとでも?」

 

「ああ、無理だろうな」

 

 あっけらかんと言い放ち、シドは「だが」と続ける。

 

「俺を殺す男がこの先、何を成すのか興味が湧いてな。それだけだ」

 

「……まぁよかろう」

 

 憮然と鼻を鳴らし、エドガーは語り始める。

 

「この星に始まりの生命が誕生したのが、今から40億年前。そこから伸びた系統樹の枝葉にサルが現れたのが4000万前。そのサルが進化を続けて20万年前、サルは人に。そして我が一族が「人間」の品種改良に着手して500年、人は人と成った」

 

 ──ならば、その次は? 

 

「脈々と続く進化の(きざはし)、それを昇り切ったその先で、人は神となる。だが、この二つを繋ぐ道筋は失われて久しい」

 

 これが答えだ、とエドガーは締めくくる。

 

進化の失われた過程(ミッシング・リンク)を見つけ、()は神に成る──これが貴様の言う余の目的だ。すべてはそのための布石にすぎん」

 

「ク、ククッ……クカカカカカカッ! 神、神ときたか! これはまた、野望があったものだ!」 

 

 エドガーの言葉に心底愉快そうに笑いながら、シドは嬉々として切り出した。

 

「だが、面白い。貴公の野望の果て、この目で見届けたくなったぞ! なぁエドガ──―」

 

 

 

 

 

「貴公、俺を【騎士】として登用しないか?」

 

 

 

 

 

「……何を言うかと思えば」

 

 先ほどまでとは一転して軽蔑しきった声で、エドガーは言う。

 

「余の宮殿へ土足で踏み込み、余の配下を皆殺しにし、挙句に余に刃を向けた者を、余の懐刀に登用せよと? 馬鹿も休み休み言え。そのような戯言の命乞いに、余が耳を貸すとでも?」

 

「国家規模のセキュリティを正面から突破し、仮にも精鋭たる近衛を蹂躙し、いずれ神になる男にも臆さない獣の提言だ。そこらの馬の骨ならばともかく……貸すだろうよ、貴公ならば」

 

「……」

 

 エドガーは閉口する。その沈黙を肯定と捉えたシドは、爛々とした眼差しをエドガーへと向けた。

 

「エドガー・ド・デカルト直属の最高戦力、【騎士】。共和国親衛隊の連隊長すら凌ぐ猛者揃いと聞いているが……だからこそ、下手な任務に出撃はさせられんだろう? 何しろ、フランスの幹部(オフィサー)とでも言うべき人材だ。やすやすと補充は効かないからな」

 

 そこで俺の出番だと、シドは言う。

 

「諜報、暗殺、破壊工作、内部粛清……ありとあらゆる無理難題と汚れ仕事を押し付けて、俺を使い潰せ。俺はその全てを遂行し、貴公に有用性を示し続ける。そして神の座に着くその瞬間まで、俺が貴公に刃を向けることはない」

 

 悪くない話だろう? そう言って獣は笑う。

 

「必ずや最高の戦果を捧げてやる。だからこの刃、貴公に捧げさせろ! 神への挑戦者(エドガー・ド・デカルト)!」

 

「……余をここまで唖然とさせるその言、一周回って感心すら覚えるな」

 

 聞いたこともない無茶苦茶な暴論に、エドガーは呆れ果てて呟いた。だがシドの言葉が正鵠を射ていたこともまた事実。汚れ仕事を任せられる特記戦力としては水無月六禄がいるが、既に老境に差し掛かった彼に全盛期程の力はない……で、あるならば。

 

「ならばまずは、騎士たる資格を示してもらうとしよう。貴様にはある生物をベースとしたMO手術を受けてもらう」

 

 この男の提案は、一考に値する。

 

「レオ・ドラクロワがデザインした絶滅生物(E.S.M.O)の中でも、最強の一体だ。これまで誰一人として適合者が現れなかったその生物の因子を、貴様に組み込む」

 

 エドガーは足を退けると、シドを見下ろした。

 

「適合できなければ死。耐え切れなくても死。通常を遥かに下回る生存率の手術を以て、貴様への叙勲の儀とする。まぁ例え生き延びようと、任務をしくじったらその時点で殺すが……よもや吐いた唾は呑むまいな?」

 

「契約成立だ」

 

 不敵に笑うと、シドは自らの剣を執って立ち上がった。それを掲げて見せる彼に、エドガーは挑発するように言葉をかけるのだった。

 

「果たして貴様に、余の騎士となる未来が訪れるのか……見物だな、シド・クロムウェルよ」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「続けようか、スレヴィン・セイバー。二局の理を懸けた、生存競争を」

 

 両腕から生えた白刃を構え、シドは言う。もはやそこに一切の油断はなく、彼の鋭い眼光は標的と定めたスレヴィンを爛々と見据えていた。

 

「っぐ……!」

 

 悲鳴を上げる体に鞭を打ち、スレヴィンは辛うじて立ち上がった。視界の中に星が散り、全身の神経が激痛の信号を脳へと送る。

 

(なんだ……!? 俺は今、何をされた……!?)

 

 形勢は再び逆転した。再び自分は、窮地に立たされている。

 

 それを理解すればこそ、スレヴィンは焦燥を抑え込み、脳を必死にフル回転させた。

 

(奴はあの場を動いていない、つまり単純な物理的な攻撃じゃない! まるで、()()()()()()()()()()──!)

 

「敵を前に考え事とは、悠長なことだなッ!」

 

 スレヴィンの思考は、シドの鬨の声によって中断された。咄嗟に上体を反らせば、猛獣の如き騎士が振るった刃が、スレヴィンの目の前の空間を切り裂く。しかし間髪入れずに繰り出された第二撃が、今度は彼の頬を掠めた。

 

「うオおぉッ!?」

 

 怒涛のように繰り出される斬撃を、スレヴィンは五本の腕を駆使して捌いていく。

 

(さっきよりも動きが速ェ! こいつ、あれで本気出してなかったってのか!?)

 

 だが、恐るべきはシド・クロムウェル。彼は視線誘導やフェイント、姿勢──これらを駆使することで、純粋な技量のみでスレヴィンを追い詰めていく。理性で抑えていた焦燥が、再び鎌首をもたげた。

 

(まずい、押し切られ──)

 

「そら、そこだ!」

 

 猛獣の如き騎士は、その一瞬の隙を見逃さない。反応が僅かに鈍ったその瞬間、シドが繰り出した刃がスレヴィンの腹を貫いた。

 

「がっ……ッ!?」

 

 咳き込んだスレヴィンは、口から苦悶の声を零す。だが腹部が訴える痛みの電気信号を受け取りながらも、スレヴィンの脳は身体へと指令を下した。

 

「──む?」

 

 連撃に移ろうとしたところで、シドは気が付いた。()()()()──スレヴィンの腹に突き刺さった刃が、がちりと固定されている。

 

「もう逃がさねぇぞ、コンチクショウが……!」

 

 スレヴィンは頭足類の筋力を総動員し、腹筋で刃を抑え込んでいた。すかさず彼はシドの残る四肢に触腕を巻き付け、万力を込める。

 

(今のこいつに再生能力はない! このまま手足を引き千切るッ!)

 

 

 

 

 

「――悪手だな、それは」

 

 

 

 

 

 シドの囁くような言葉が、鼓膜を震わせた。だがその意味を理解するよりも速く、至近距離で発せられた不可視の衝撃波が、スレヴィンの内臓を揺らす。

 

「──────ッッ!」

 

 声にならない苦痛の絶叫と共に、スレヴィンの喉の奥から血が噴き出す。辛うじて意識こそ繋ぎとめたものの、三本の触腕には最早シドをこの場に縛り付けておく程の力はなく、あえなく彼は拘束を抜け出してしまった。

 

 だがスレヴィンも、ただでやられるつもりは毛頭ない。

 

「! 刃を折られたか」

 

 離脱の瞬間、妙な感触を覚えたシドが自らの右手を見やれば、腕から生えた刃は半ば程からポッキリとへし折れていた。

 

「ぜェ……くそッ……」

 

 口の周りに付着した己の血を乱暴に拭い、腹から折れた刃を引き抜くと無造作に放り投げた。自らの再生能力で傷口が癒着する感覚を覚えながら、スレヴィンは思考する。

 

(だが、今ので分かった。やつが撃った衝撃波の正体は音波──いや、おそらくは声! となるとこいつのベースは、おそらく――マッコウクジラ!)

 

 蒼海を統べる指揮者(マッコウクジラ)、学名を『Physeter macrocephalus』。ハクジラ類マッコウクジラ科マッコウクジラ属に分類される、大型のクジラの一種である。

 

 本種は音による『反響定位』を行うだけでなく、音波そのものを獲物にブチ当てて気絶させるという、他のイルカやシャチには見られない生態を有することで知られる。これこそがシドの手術ベースなのではないか、というのが今の攻防でスレヴィンのたどり着いた結論だった。

 

 実際彼の推測は、7割方当たっていたといってもいい。

 

 ──しかし同時に、違和感。

 

(だが、だとしたらあの牙は何だ? それに俺が知る限り、マッコウクジラにあんな目立つ背びれはない……)

 

 現生種であるマッコウクジラには見られない身体特徴が、スレヴィンの判断を鈍らせる。そして不確定な情報は歴戦の兵士におのずと警戒心を抱かせ……ただでさえ少ない攻め手の中、更に彼を攻めあぐねさせていた。

 

 ──E.S.M.O.手術の利点は二つ。

 

 一つは現生生物が進化の過程で失ってしまった、極端に『尖った』古代の生物の特性を発現させ、その身で振るうことができること。そしてもう一つが、ベース生物についての隠匿性が極めて高いことだ。

 

 歯鯨(ハクジラ)の名が示す通り、現生のマッコウクジラにも確かに歯は備わっている。しかしそれは、こうして剣として使えるような長くもなければ鋭利でもない。

 

 背びれも同様。現生種では退化し、ほとんど見られなくなったその運動器の存在が、情報を混乱させる。そうして正解がない択の中で、対峙者は推測の堂々巡りを続ける羽目になる。

 

「サメ」「イルカ」「マッコウクジラ」……実際に相手にしているのは、それらよりも遥かに凶悪な生物であるとも知らずに。

 

「攻防どちらにも秀でた手術ベース、素体の戦闘センス、咄嗟の機転、どれも悪くない。ここまで俺の手を焼かせる者も、そう多くはないだろう……だが無意味だ」

 

 そう告げたシドの右腕から、折れた刃が抜け落ちる。そこから一拍の間を置いて、その腕には新たな刃が形成された。まるで、歯の生え変わりを倍速で再生したかのように。

 

「その程度で俺は倒せん。俺はいずれ神に至る男の騎士であり──」

 

 ──この身に宿るのは、その男が創った最強の生物だからだ。

 

 そう告げる猛獣の如き騎士。スレヴィンはその背後に、原始的な恐怖を呼び起こす神獣の姿を見た気がした。

 

 

 

 ──ESMO手術”古代哺乳類型” リヴィアタン(Livyatan)メルビレイ(melvillei)

 

 

 

 それはおよそ1300万年前、新世代中期の海に君臨した海洋哺乳類の名である。

 

 分類学上はマッコウクジラ上科に属し、全長約20m・推定体重60tほど。これは現生のマッコウクジラと概ね一致する数値であり、一見して際立った特徴があるようには思えない。

 

 だが細かな形態やその生態に着目すれば、話は大きく変わってくる。

 

 現生種に比べて遥かに頑丈な作りの大顎。それを動かすための筋肉を格納する側頭窩もまた大きく、極めて強靭な咬合力を有したことが容易に分かる。

 

 更にこの生物の最も際立った特徴として、顎に生えた歯をあげることができる。その長さ、実に36cm。

 これはかの有名な肉食恐竜・ティラノサウルスをも凌ぎ、捕食用に用いるものとしては既存の生物の中では最大の長さとなっている。歯が下あごにしか生えていない現生種と違い、リヴィアタンはこれを両顎に備えていた。

 

 これらの特徴から分かることは何か? それはこの生物が『史上最大級の捕食者』であったという事実に他ならない。それも、獲物は魚群だの大型頭足類だの、そんなチャチな小物どもではない。より大きく、食い応えのある大物……即ち、自分以外のクジラやサメである。

 

 ただでさえ防弾チョッキのように硬い皮膚はその巨体故に分厚く、並大抵の攻撃は通さない。最強の矛と盾を備えたこの生物に襲われれば、メガロドンですらひとたまりもなかっただろう。

 

 加えてリヴィアタンの頭骨の化石には凹みが存在し、大量の鯨蝋を保持していたことが近年の研究で明らかになってきている。つまりこれだけの強さと凶暴性を持ちながら、この生物は反響定位(エコーロケーション)による索敵や、超音波砲(ソニックビーム)による遠距離砲撃すらもこなしていた可能性すらある。

 

 まさに、新生代の怪物。

 

 太古の昔に途絶えたその力は1300万年の時を経て、「マッコウクジラ」「シャチ」「ホホジロザメ」……現代の海の支配者たちの因子を組み合わせ、再びこの地球上に現れた。

 

 

 

『──だが、真に重要なのはそこではない』

 

 

 

 ──半ば死刑宣告にも等しい手術(叙勲)を終え、目覚めたシドにエドガーは言った。

 

『通常、ESMO手術のベースに用いる生物は、被験者に適合するように遺伝子情報を設計する。が……この生物は少々特別でな。余がレオ・ドラクロワに命じた通りに創らせ、適合者が現れれば手術を施すことにしていた。なぜか分かるか?』

 

『被験者の負担を無視してでも、フルスペックで特性を使える戦力を用意するためか?』

 

『それでは適合者がいなかった場合、コストの無駄遣いにしかならんだろうが』

 

 エドガーはシドの言葉にすげなく返すと、答えを口にする。

 

『この生物そのものが、余にとって特別な意味を持つからだ』

 

『……ヨブ記か』

 

『クハッ! 獣にもそのくらいの教養はあるか』

 

 珍しく(といっても、暗殺未遂の一件以外で顔を合わせたのは初めてだが)機嫌がよさそうなエドガーを物珍し気に眺めながら、シドは黙って続きを待つ。

 

『リヴィアタン・メルビレイ。その名は旧約聖書において神が創った最強の怪物、『リヴァイアサン』に由来する。余が命じて最強の生物が創られたのであれば、それは逆説的に余が神であることを証明することになる』

 

『…………貴公、験とか担ぐタイプだったのか』

 

『蒙昧め。これは見立てと言うのだ』

 

 エドガーは小馬鹿にするように鼻を鳴らし、言葉を続ける。

 

『神は無条件に信仰されるのではない。信仰に足る実があって初めて、人は神を敬うのだ。だが下民どもは愚かで浅はかだ。故に分かりやすい箔が必要となる──この生物の存在は、余の神としての力と権威の象徴でもある』

 

 そして神への挑戦者(エドガー)は、猛獣の如き騎士(シド)に告げる。

 

 

 

『その力を振るう以上、貴様に敗北は許されん。あれほどの大口を余に叩いたのだ──失望だけはさせてくれるなよ、我が騎士』

 

 

 

「……ッ」

 

 眼前から差し向けられた殺気に、スレヴィンは後退しそうになった足を咄嗟に踏みとどめる。軍人として数多くの任務をこなしてきた彼にとって、それを向けられること自体は問題ではない。問題だったのは、その純度の高さ。

 

 純黒──そうとしか言いようのない、あまりにも濃密な殺意。

 

 ただ生業として殺しを行うだけではこうはなるまい。ただ享楽として殺しを行うだけではこうはなるまい。いわばそれは、『唯一絶対の手段としての殺し』であるが故に生じたもの。

 

 その男にもまた、曲げられぬ矜持があることを……スレヴィンは理性ではなく、魂で理解した。

 

(……潮時だ)

 

 生存本能が脳内で囁く。彼の体は既に限界を迎えていた。血を流しすぎたか、意識がもうろうとし始めている。外傷こそ回復済だが、度重なる再生で体内の栄養も底を尽きかけている。これ以上の再生は望めない。

 

 それに対し、シドは多少の消耗こそあれど未だ十分な余力を残している。ベースの強さに劣り、ベース同士の相性は最悪。素体の強さも及ばず、装備もほぼすべてを使い切ってしまった。

 

 何一つとして、スレヴィンに勝ち目はなかった。

 

「……んなもん」

 

 それでも、と。

 

 スレヴィンは銃のグリップを強く握りしめる。そして次に己が吠える言葉に、彼が迷うことはなかった。

 

「やってみなきゃ、わかんねぇだろうが!」

 

 たとえ勝ち目がなくとも、彼に撤退の選択肢はない。

 

 ここでこの男を取り逃がせば、グッドマン(キング)への追撃を再開するだろう。そしてこの男は間違いなく、その首を討ち取る。その確信が、スレヴィンにはあった。

 

 即ち今この場における自分の敗北は、アメリカ合衆国としての敗北を意味する。そしてアメリカ合衆国が敗北すれば、ここまでの仲間たちの奮闘と犠牲、その全てが無為に帰す。

 

 それは断じて、看過できることではない。故にスレヴィンは、その銃口をシドへと向けた。

 

「決死の人間ほど、恐ろしいものはない」

 

 シドは静かに呟くと、懐にその手を入れた。

 

「その覚悟に敬意を払おう、スレヴィン・セイバー。そして認めよう……お前はこれまでに俺が相対した、いかなる標的よりも脅威であると」

 

 ──故に。

 

「億に一つの希望すら残さず、お前を抹殺する」

 

 そして彼は、取り出した二枚のパッチ型の変態薬を、自らの首へと張り付けた。

 

 

 

 

 

【あなたはつり針でレビヤタンをつり出すことができるか。

糸でその舌を押えることができるか】

 

 

 

 

 

「ッ、な……!」

 

 一瞬だった。瞬きをした次の瞬間、スレヴィンの視界の中にシドの姿はなかった。

 

(消え──)

 

「……どこを見ている?」

 

 スレヴィンの思考を遮るように、至近距離からシドの声が届く。咄嗟に狙いを定めるが、あまりにも遅い。敵に向けた右腕は、肘から先が斬り落とされていた。

 

 

【わたしはこれが全身と、その著しい力と、その美しい構造について

黙っていることはできない】

 

 

「ここだ」

 

 刃が振るわれる。真一文字に切り裂かれた胴体から血が噴き出した瞬間、スレヴィンはようやくシドが己の懐に潜り込まれていることに気が付く。

 

「ウ、オァアアアアアアッ!!」

 

 スレヴィンを突き動かしたのは、果たして彼自身だったのだろうか。それとも、組み込まれたベース生物(遺伝子)だろうか。

 

 いずれにせよ、彼は内からこみ上げる何かに突き動かされ、切り落とされたのとは反対の腕でM500の引き金を引いた。

 

 轟音と共に50口径が火を噴く。さすがに至近距離では回避する暇もなく、果たして一発の弾丸がシドの胴体に着弾する。

 

 

【その背は盾の列でできていて、その堅く閉じたさまは密封したように】

 

【互に相連なり、固く着いて離すことができない】

 

 

「な、に……!?」

 

 俄かには信じがたい光景が、スレヴィンは目を見開いた。

 

 銃弾を受けたシドの体は、後方に大きく吹き飛んだ──そう、()()()()()()()

 

「ック、カカ……ッ!!」

 

 シドの胴体は未だ原型をとどめていた……どころではなく、銃創の一つも空いていなかった。空白になったスレヴィンの思考にカランと、分厚い皮膚によってはじき返された弾頭が転がる音が響く。

 

 

【つるぎがこれを撃っても、きかない、やりも、矢も、もりも用をなさない】

 

【弓矢もこれを逃がすことができない。

石投げの石もこれには、わらくずとなる】

 

 

 ──仮にこのM500に装てんされていたのがフルメタルジャケット弾であれば、ここで勝負は決まっていただろう。

 

 だがこの時、スレヴィンが装填していたのはホローポイント弾。一度体内に入れば必殺の威力を誇るものの、貫通力という点ではフルメタルジャケット弾に劣る点が災いした。

 

 無論、それでも並大抵の防弾装甲ならば問題にはしなかっただろう。だがシドのベースになったリヴィアタン・メルビレイは、エドガーによる特別製。遺伝子導入により本来の同種をも超える防御力を持たされた皮膚は、スレヴィンの攻撃を完全に弾いて見せたのだ。

 

 まさに聖書に記された、神の言葉の通りに。

 

 

【その首には力が宿っていて、恐ろしさが、その前に踊っている】

 

 

「やはり、侮れん……!」

 

 宙を舞いながら、シドは体勢を立て直す。天井に降り立った彼は、再びスレヴィンに向かうべく足場を蹴った。

 

「──!」

 

 これ以上、近づけさせてはならない。スレヴィンは再び銃の引き金を引く。しかし放たれた弾丸が再びシドを捉えようとしたまさにその瞬間、彼は()()()()()()()()()()()()

 

 

【その心臓は石のように堅く、うすの下石のように堅い】

 

 

(空を、蹴った──?)

 

 ゲームの中でしか起こらないような現象を目の当たりにし、スレヴィンは立ち尽くすことしかできない。

 

 “リヴィアタン・メルビレイの音波砲”──その応用。

 

 足から衝撃波を放ち、通常なら無防備になる空中での高速機動を可能とするというもの。ベース生物との適合率に加え、優れた運動神経とバランス感覚を求められる技巧であるが、シドは長年の鍛錬によりこれを可能とした。

 

 

【その身を起すときは勇士も恐れ、その衝撃によってあわて惑う】

 

 

 再びシドの姿が視界から消える。直後、未だ止まない銃声の残響の中……死が己の背後に降り立つ音を、スレヴィンは聞いた。

 

 

【これは淵をかなえのように沸きかえらせ、海を香油のなべのようにする】

 

 

 時間が、奇妙に停滞したようだった。

 

 

 実際には0.5秒にも満たない、その刹那。振り向いたスレヴィンは、見た。

 

 必死の抵抗を続ける獲物に対し、捕食者がとどめの剣を振るうのを。

 

 

【地の上にはこれと並ぶものなく、これは恐れのない者に造られた】

 

 

 そしてその刃は、狙いを過つことなく──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──スレヴィン・セイバーの首を、刎ね飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【これはすべての高き者をさげすみ、すべての誇り高ぶる者の王である】

 

 

 

『ヨブ記』より、抜粋

 





【オマケ】 エドガーVSシド開戦の掛け合い(没)


「エドガー・ド・デカルト! 貴公は最高の標的だ――」

 己の飢えを満たしうる極上の馳走。それを前にした獣は歓喜の咆哮をあげ、牙を剥いた。

「満たしてくれ、エドガー!」

「……獣め」

 かくして獣は『人』に挑み――そして、惨敗を喫した。


没理由:いかがわしいことをしてるようにしか見えなかった。

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