──こんなところで、終われねぇ……!
振り向いた先でシドが刃を振るうのを目にした時、スレヴィンの脳内に浮かんだ言葉はそれだった。
反射的に体は動いていた。この絶望的な状況に陥ってなお、スレヴィンは諦めなかった。
だがそれでも、その行動は間に合わない。防御よりも、回避よりも、反撃よりも先に──猛獣の如き騎士の、とどめの一撃が完了した。
──ああ、畜生。
痛みはなかった。首の中を冷たい何かが横切ったような感覚がして……その直後には、首から下の感覚が消失していた。
──こんなところで。
不自然な浮遊感と共に、スレヴィンの視界が傾く。いかに軟体動物型と言えど、頭部の再生は不可能。彼は不甲斐なさに、歯を食いしばることしかできない。
──こんなところで、終わりかよ。
視界がぼやけ、意識が遠のく。迫る闇の中で目まぐるしく何かが明滅し──そして彼の意識は、その中へと呑まれていった。
※※※
──気が付けば、木々が鬱蒼と茂るジャングルに彼は立っていた。
「──!」
脳が状況を認識するよりも早く、訓練で体に染みついた反応が彼にアサルトライフルを構えさせる。
茂みを挟んだ数十m先からは銃声が響き、時折何かが爆発するような音と共に地響きが鳴る。あたりに漂う硝煙の臭いが、この場所で銃撃戦が繰り広げられていることを彼に伝えていた。
「……ここは」
そこまで観察して、彼は思い至った。ここはかつて、自分が所属する部隊が派遣された南米のとある熱帯雨林だと。そして……部隊が自分を除き、全滅した場所だと。
──アメリカ陸軍特殊部隊・セイバー班。
その日彼らに与えられていた任務は、とある麻薬組織の襲撃だった。
グランメキシコを中心に活動するその組織は、違法薬物の取引で莫大な利益を上げていた。一部の国では麻薬中毒者の激増や、正規軍への襲撃・略奪などの被害が生じており、南米諸国の政府も無視できない影響力を持ち始めていた。
更にある筋の情報によれば、組織は密売ルートを開拓し、アメリカへもその手を伸ばそうとしているという。事態を重く見た合衆国政府は、南米諸国と結託。共同作戦により麻薬組織の壊滅へと乗り出す。この時、前線に投入された襲撃部隊の一つがセイバー班だった。
よくある……とは言わないまでも、西暦2600年代の地球を見渡せば、どこの国に一つや二つはある話だ。ここまでは。
「ッ!」
──記憶が鮮明によみがえる。瞬間、彼は考えるよりも先に駆け出していた。
走る、走る、走る……生い茂る緑の中を、彼はがむしゃらに走った。やがて彼は、比較的木々の少ない開けた場所に出て。
「……あぁ」
血だまりの中に沈む、仲間
──第一次殲滅作戦は失敗に終わった。
部隊の進行ルートが漏れていたのだ。作戦にあたっていたある国の政府高官が組織と繋がりを持っており、情報を売り渡したことが理由だった。
これによりセイバー班を含む連合部隊は逆に麻薬組織による奇襲を受け、全滅。現場からの応援要請により事態を深刻視した各国がすぐさま増援部隊を派兵したことで、最終的には組織を殲滅させることには成功する。
だが損害は当初の想定をはるかに上回り、作戦にあたった当時の軍人たちに苦い記憶を刻むこととなった。
当然、その記憶は彼にもある。むしろ、彼以上に克明に覚えているものはいないだろう。だが分かっていても……分かっているからこそ、彼はその光景を受け入れることができなかった。
「シュタイム」
同僚の名を呼ぶ。よく喫煙室で休憩時間を共に過ごした男は、全身を蜂の巣にされて息絶えていた。
「シャロッシュ」
同僚の名を呼ぶ。つまらないジョークばかり口にしていた男は、頭の半分が吹き飛んでいた。
「アルバ」
同僚の名を呼ぶ。生真面目で何かと反りが合わなかった男は、仕掛けられたブービートラップで全身をバラバラにされていた。
「ハメッシュ」
同僚の名を呼ぶ。この男に恋人ができたと聞いたとき、部隊は総出で冷やかしたものだ。濁った眼で虚空を見つめる彼の屍は、その手で女の写真を握りしめていた。
「シェシュ」
同僚の名を呼ぶ。初任務に意気込んでいた後輩は、燻る炎に呑まれて黒焦げになっていた。
「シュモネ」
同僚の名を呼ぶ。自分に軍人のイロハを叩きこんだ男は、無念の形相で事切れていた。足元に転がった無線からは、こちらの安否を確認するオペレーターの声が虚しく響いている。
「──隊長」
上官の名を呼ぶ。誰よりも尊敬していた男は爆弾を至近距離で食らい、右手を残して肉飛沫に変わっていた。
「うオオオおオオオォ!! 殺してやるァああアああ!!」
怒りが涙となり、両眼から溢れ出す。激情に駆られるまま、彼は周囲の茂みに銃を乱射した。
当然、照準が無茶苦茶なその銃撃が敵を捉えることはない。彼を嘲笑うように茂みの向こうで無数の銃が金切り声を上げ、スレヴィンの全身に次々と銃創を刻み込んだ。
「ク、ソッ……」
体から力が抜ける。体温を失いつつある体は地面へと倒れ込み──。
「──おはよう、気分はどうかね?」
気が付けば、そこは病室のベッドの上だった。
「最悪? 結構。そこまで憎まれ口を叩けるなら、術後経過は良好とみていいようだ」
自らのオペを担当した主治医の男曰く、あのあと自分は増援部隊によって救出され、治療と実験を兼ねたMO手術を施されたのだという。そして辛うじて一命こそ取り留めたものの、免疫寛容臓への適合率の低さから今後は免疫抑制剤を手放せなくなる、とも。
だが、そこは大して重要ではない。本当に重要なのは、このあとであると彼は知っている。
「MO手術を施すにあたり、君の身体の欠損を補完する手術を施した。欠損を補うために使ったのは──」
──
息を呑む彼に対し、なおも説明は続く。
「通常、血液型が合わない者の肉体を移植すれば、拒絶反応が起こるのが常。だが君の場合、免疫寛容臓がそれをカバーしているから問題はないようだ……と、普通の科学者ならば言うところなのだがね」
そこで言葉を切ると、ツンツン頭の中年主治医は眼鏡を押し上げた。
「この理屈には、些かおかしな点があるのだよ」
考え込むように、主治医の男は顎に手を当てた。
「今の君の体は、君自身も含めれば合計8人の人間のツギハギだ。免疫寛容臓は万能ではない。1人2人ならともかく、8人もの拒絶反応を完全に抑えきれるとは到底思えんのだよ」
ふと、眼鏡のレンズ越しにこちらを見つめる青い瞳と目が合った。
「加えて欠損の補完手術には私も携わったが……驚いたよ。君の仲間たちの肉片は、驚くほど素直に君の損傷部位に癒着した。血縁同士でも副反応が起こりうる手術でだ。分かるかね? 今の君の容体は、医学的には説明がつかない状態にある」
──生憎私は、君に起こったこの奇跡を説明する理屈を持ち合わせていないわけだが。
そういって主治医は、決定的なその言葉を口にした。
「まるで君の仲間たちが、『生きろ』と言っているかのようだ……そうは思わんかね?」
ガツンと、頭を殴られたかのような衝撃が走った。思わず言葉を詰まらせる彼に、主治医は続けた。
「コードネーム:スレヴィン……ラッキーナンバー・
「これで勝手には死ねなくなったな。精々生き足掻き給え、『ピース・ラックマン』──それが、未来を託された者の使命なのだから」
「……ああ、そうだったな」
消え去っていく走馬灯を見送り、そして彼は自らが戦い続ける理由を思い出す。
「俺は、まだ死ねない」
──譲れない。
「こんなところで、死んでる場合じゃない」
──譲れない。
「こんなところで死んでいい理由なんざ、俺にはないんだ」
──
さぁ目を覚ませ、
どんなに無様だろうが、みっともなかろうが、知ったことか。例え1%でも可能性が残されているのなら。
──力一杯、その手を伸ばせ。
※※※
「馬鹿な……!?」
シド・クロムウェルは目を疑った。数多の死線を切り抜けてきた彼にとって、並大抵の予想外は想定内だ。不意打ちを受けたことも、手痛い反撃を受けたことも、とどめを凌がれたことも、一度や二度の話ではない。
だが。だが、それでも──
「貴様、なぜ生きている……!?」
──
「ア゛、ア゛あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛あ゛ッッ!」
スレヴィン・セイバーは吠えた。
未だ命の火は消えていない。この命だけは譲れないと。彼は生の咆哮を轟かせた──自らの触腕で、
『タコは9つの脳を持つ』──そんな話を聞いたことはあるだろうか?
中心脳に加え、各触手の根幹部に存在するニューロンの集合体がこれにあたる。
首が切り離される寸前、
それを受け取った神経節は、中心脳からの信号が途絶えると同時に行動を開始。そのうちの一本が宙を舞うスレヴィンの頭部を掴むと、即座に元の位置へと引き戻したのだ。彼の体に埋め込まれた仲間たちの遺伝子が、彼を生かそうとするかのように。
加えてMO手術のベースとなった生物の『型』が彼に味方した。
「ま゛も゛ル……!!」
ガチリと歯を食いしばる。これにより
軟体動物型の人為変態は少々特殊で、カプセル型の座薬という形式をとっている。これと奥歯に仕込んだスイッチを連動させ、歯を押し込むことで投薬を行うのだ。
この方法は即応性がない代わりに、事前に仕込んでさえあれば手足が使えない状況でも──例え頭だけになったとしても、変態が可能となる。
「まもる……ッ! 守るッ……! 守るッ!!」
三つ、四つ……そして、五つ。
スレヴィンの体内で、彼が事前に準備しておいた全ての変態薬が放出される。引き起こされた過剰変態により、彼の体はよりベース生物へと近づいていく。そしてそれに伴い──
「……ッ!」
(切り離した首が癒着している……!)
過剰変態は、再生能力を持たないベースの能力者が、失った手足を唯一再生するケースであるといわれる。その人体修復能力には目を瞠るものがあり、報告では過剰変態中であれば、例え人体が真っ二つになるような攻撃を受けても強引に修復しきって見せるという。
ましてそれが再生能力を持つベースの能力者であれば、なおのこと。各種器官系や神経系といった人体の特に複雑で繊細な部位さえ、完全に修復することが可能となる。
「クカカ! エドガーめ……悪魔祓いが任務とは聞いていないんだがな……!」
シドの喉から飛び出したのは、動揺とも高揚ともつかない声。それに相対する “
「 守 る ん だ よ ッ ! ! 今 度 こ そ ッ ッ ! !」
逃げるへびレビヤタン、曲りくねるへびレビヤタンを罰し
また海におる龍を殺される】
「ならば力づくで、奪い取るまでッ!」
言うや否や、シドは左腕の剣を振り上げた。心臓への攻撃が効かないのなら、狙うは頭部──即ち脳。いかに軟体動物型の過剰変態と言えども、脳が破壊されれば再生は不可能。
そう判断したシドの攻撃はしかし。
「ホオォォ……!」
その腕に絡みついた蛸の無数の触腕によって阻止される。斬り落とされた右腕の断面から生えたそれらは一見すると細めだが、一本一本が過剰変態によって腰から生えた通常の触腕に近い筋力を有している。
引き戻そうにも吸盤が固く吸い付いて離れない。触腕たちは締め付けは凄まじく、シドの左腕は骨諸共に握りつぶされた。
わたしは愚かで悟りがなく、あなたに対しては獣のようであった】
「クカッ! そうこなくてはなァ!!」
だが、シドは動じない。その瞬間、彼の本命である右腕の剣が人間大のマダコの胸に突き刺さる。水平に構えた刃による、神速の刺突。それは肋骨の隙間をすり抜け、スレヴィンの心臓を確かに貫いた。
「ガフッ……!」
食いしばった歯の隙間から血が溢れ出す。だが、スレヴィンは倒れない。その強い意思の光は、未だシドを捉えていた。
『タコには心臓が3つある』──過剰変態により十全の機能を伴って体内に形成された第二・第三心臓が、常人ならば即死するであろう一撃を、今この瞬間に限って完全に無効化していた。
「だろうな……!」
それをわかっているからこそ、シドは向かって一番左の心臓をあえて狙った。
(横薙ぎの一閃で、三つ全ての心臓を一度に叩き潰──!?)
しかし、シドの目論見は外れることとなる。
過剰変態により増強された筋線維。その密度があまりにも高すぎたために、一度突き刺した剣が思うように動かない。一瞬の硬直の隙をついてその右腕を腰から伸びた触腕が叩き据える。ゴギリという音と共に、彼の腕の関節が逆方向に折れ曲がった。
あなたはわたしの右の手を保たれる】
「オ゛オ゛オ゛オ゛!!」
死角から触腕が勢いよく飛び出し、その手に持っていた何かがシドの左胸を刺し貫く。予想外の奇襲に視線を向け、彼は自らを貫いたものの正体を視認する。
(俺の、牙──ッ!?)
それは先の攻防で折損した、リヴィアタン・メルビレイの刃だった。それを握る触腕に力が籠った瞬間、シドはスレヴィンの狙いを察した。
「 ゴ ガ ア ア ア ア ア ア ア ア ッ ! ! 」
シドのとった行動は、音波砲による迎撃。木をなぎ倒し、防火シャッターをも貫く震動がスレヴィンを撃ち抜く。
「──ッッ!!」
口から大量の血が噴き出した。全身の骨にひびが入り、体の芯から臓腑が揺れる。
「ま、だ だ……ッ!」
それでも、スレヴィンは持ちこたえた。満身創痍となりながらも、彼は触腕に込めた力を決して緩めない。
「オオオオオオオッ!」
半ば己の体重を乗せるように、彼は力任せに刺した刃を振り下ろす。弾力による防弾性に特化したリヴィアタン・メルビレイの皮膚も斬撃には耐えきれない。縦に切り裂かれた傷から、鮮血が飛び散った。
「ッぐ、オォ……!?」
遂にシドの口から苦悶の声がこぼれた。よろめいた彼の体はたまらず、数歩後ろへと後ずさる。
「ッ! 俺、は──ッ!」
だが両腕を潰され、体を引き裂かれてなお、その眼光から闘志は消えない。
倒れそうになる体を踏みとどめ、彼は強引に引き起こした。折れながらも原型を保っていた右腕ごと剣を咥え、眼前の標的を目掛けて首の筋力でそれを振りかぶる。
「俺たちは──」
対するスレヴィンもまた、反動に備えて三つの触腕を地につけていた。左腕に構えたM500の照準は、猛然と進撃する騎士へと定められている。
どちらも理解していた、これが最期になると。故にこそ、彼らは叫んだ。
満たされぬ刃に、譲れぬ弾丸に、各々がかけた魂の矜持を。
「あの男のッ、騎士だァァァッ!」
「セイバー班だッッ!!」
そして剣は振り下ろされ、引き金は引かれた。戦いを制したのは──
「…………見事だ、スレヴィン」
シドは笑い、心からの賞賛を口にする──それが、彼の最期の言葉となった。
全身から力が抜け、彼はばったりとうつぶせに倒れ込む。裂傷に50口径のホローポイント弾を撃ち込まれた彼の胴体は、右半身が大きく円形に刳り貫かれていた。
もはやその目から、生気は完全に消え失せている。だがそれでも、彼の表情は少しだけ何かが満たされたような、そんな充実感を湛えていた。
「っ……はぁぁぁぁ……!」
死闘を制したスレヴィンの口から、息がこぼれる。肺の中の息をすべて吐き切って、彼はそのまま騎士の屍の隣に崩れるように座り込んだ。
過剰変態が解けた彼の体は、皮肉にも全ての傷が完治している。人生でも三本の指に入るような疲労感と開放感だけが、彼の体に刻まれていた。
「テメェらにどんな事情があったかは知らねぇが……恨みっこなしだぜ」
懐から取り出した煙草に火をつける。何をするのも億劫だったが、かつての仲間たちと過ごした日々を思い来させる煙が無性に恋しかったのだ。
「──セイバー班、任務完了」
青い煙はただ静かに、一人の生者と一人の死者を取り巻いていた。
【オマケ】
フィリップ(故)「うそだろお前負けたの!? オリアンヌたんとセレスたんの銅像が立たねーじゃん!?」
千桐(故)「ふふ。賭けはわたくしの勝ちですね」
シド(故)「クカカ! 弁明の余地もない敗北だ。これは騎士も返上だな……隣座るぞ」
千桐(故)「どうぞどうぞ。ゲレルさんがいませんが、反省会を始めましょうか」
幸嶋(生)「悪ィ千桐さん、よそでやってくんね? 俺いまオペ中なんだけど(集中治療室)」