贖罪のゼロ   作:KEROTA

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協奏三歌XX-3 反撃開始 -フェーズ3-

 

(足場の強度はそこまで高くない上に、不安定)

 

 足裏で、自らが立つ車の屋根を軽く叩く。返ってきた感触に、シモンは微かに眉をしかめた。

 

(震脚は使えない。至近距離まで近づかせるのは自殺行為)

 

 ──あらゆるスポーツ・格闘技において、「踏み込み」の重要性は語るまでもない。

 

 特にシモンが使う八極拳において、その傾向は顕著。中国拳法でも屈指と言われる破壊力は、時に地を震わす程の威力を伴う踏み込みによって支えられていると言っても過言ではない。

 そしてそれが使えない以上、車上においてシモンは徒手で十全の威力を発揮することはおろか、満足に技を放つことすら困難。

 

(なら、ボクがとるべき戦法は牽制とカウンターを軸にした中-遠距離戦。こっちの体力は温存しながら、できるだけ向こうを消耗させる)

 

 方針を固めたシモンは、静かに口を開いた。

 

「──拘束制御装置第1号・第6号、解錠」

 

 シモンの声に応じ、彼の戦闘能力を制御する機構のうち2つが解錠される。途端、彼の背を突き破ってセミの翅が生え、両腕の筋骨が平時の倍以上の大きさに膨れ上がる。人為変態とも過剰変態とも異なる様相に面食らうスレヴィンに対し、シモンは短く呼びかける。

 

「スレヴィン君! 運転、任せたよ!」

 

「っ! 了解──!」

 

 スレヴィンが我に返ったことを確認し、シモンの自らの手中に収めた槍を構える。悪鬼は既に、その息遣いさえも分かるほどの距離にまで追い付いている。ぎらついた殺意を、その身にみなぎらせながら。

 

「 追 レヽ イ寸 レヽ ナニ ァ !! 」

 

 先に仕掛けたのは、やはりヴォーパルだった。ハイブリッド恐竜に由来する強靭な筋力にものを言わせ、力任せに地を蹴る。一瞬にして距離を詰めたヴォーパルは、シモンを車ごと叩き潰さんと鉤爪を振り上げ──

 

 

 

「そこだ」

 

 

 

 気が付くと彼の目と鼻の先に、槍の穂先が迫っていた。

 

「ぬ、ウッ!?」

 

 咄嗟に体を捻り、攻撃をかわすヴォーパル。その巨体が、アスファルトの上を転がった。勢いのまま跳ね起きて追走を再開するが、車との距離は大きく開けられていた。

 

 ──中国武術と呼ばれる流派の多くは起源を戦場に持ち、そのほぼ全てが拳法のみならず武器術の修得を求める。

 

 八極拳における武器術とは、即ち槍術。その中でも『六合大槍』と呼ばれるものは、3mにも及ぶ長大な槍を用いることで有名である。

 

「どうしたの?」 

 

 シモンは手のひらを上に左手を突き出し、指を内側に折り曲げて見せる。

 

「追い付いたっていう割に、距離が空いてるみたいだけど」

 

 シモンの挑発に、スレヴィンはハンドルを握りながら口笛を吹く。一方、ヴォーパルの額にはビキリと青筋が浮かんだ。

 

「ムカ着火ファイアァァ!」

 

 ヴォーパルは再び距離を詰め、その爪牙を我武者羅に振るう。一撃でもその攻撃を受ければ、シモンの体が一瞬にして肉飛沫と化すのは想像に容易い。だが、そうはならなかった。

 

(シモンの奴、ほとんど動かず奴の攻撃をいなしてやがる……!)

 

 ハンドルを握りながら、スレヴィンは内心で舌を巻いた。バックミラー越しに彼が目にしたものは、ヴォーパルの猛攻を最小限の動きで捌くシモンの姿。暴風さながらに吹き荒れる打撃の嵐を、彼は槍一本で器用に受け、流し、そして挫いていく。

 

 八極拳は数ある中国武術の中でも特に実用性に重きを置く流派であり、「花招(見せかけの技)」が全く存在しないとされる。

 

 拳においても槍においても基本の構えは「静」であり、各動作は簡素にして最低限。最小の動きで最大の威力を引き出すことこそが、この武術の真髄。中国武術でも屈指とされる破壊力の源泉は、極限まで効率化された力や運動エネルギーの利用方法にあると言ってもいい。

 

 例えばそれは、『回転』。

 

「ッ!?」

 

 シモンへと伸ばした腕が、明後日の方向へと弾かれる。この短い攻防の間に幾度となく起きた現象に、ヴォーパルは苛立ちを隠しきれない。

 

 中国槍術における基本の動作に、「(ラン)」「(ナー)」「(チャー)」と呼ばれる動きがある。このうち前者2つは崩しの動きであり、槍の穂先を外から内へと回転させる(ラン)、反対に内から外へと回転させる(ナー)によって、自らへ迫る武器を勢いよく払い飛ばすのだという。

 

「マジアリエンティィ!」

 

 怒りに任せたヴォーパルの攻撃を、シモンは2つの回転を使い分け、巧みに凌ぐ。勢い余ったヴォーパルは束の間、自らの胴を無防備に晒すこととなる。

 

「そこっ!」

 

 そしてその隙を穿つように、シモンは槍を押し通す。(チャー)と呼ばれるその動きは、見かけこそ地味ながら勁を纏うことで必殺の威力を帯びる。経験者によれば敵をただ『突き刺す』のではなく、思い切り『ぶっ刺す』感覚に近いという。

 

「っグゥ……!?」

 

 シモンが繰り出した穂先が、ヴォーパルの脇腹を抉る。分厚い皮骨をものともせず体内に侵入する冷たい痛みに、悪鬼は俄かに目を見開いた。

 

(! 一発入れた!)

 

「──いや、浅い」

 

 スレヴィンの内心の驚嘆に返すように呟いて、シモンはすぐに槍を引き戻す。

 

「それに、このくらいじゃかすり傷にもならないみたいだ」

 

 その視線の先で、ヴォーパルの腹に穿たれた傷周辺の細胞がうごめいた。映像を早送りしているかのような速度で細胞は血をせき止め、孔をふさいでいく。そこから微かに零れる不自然な人工の光に、シモンは表情を険しく引き結んだ。

 

「再生能力だぁ!? インチキにも程があるんじゃねえかオイ!?」

 

『インドミナス・レックスのDNAには、急速な成長に耐えれるようにコウイカの遺伝子が組み込まれてる。けど、妙ね』

 

 スレヴィンの悪態に続け、どこかモニカは煮え切らない様子で呟く。

 

『本元のインドミナス・レックスに、あそこまでの再生能力はないわ。これは──』

 

「……多分、専用装備だ」

 

 ヴォーパルの爪による攻撃を弾きながら、シモンがモニカの疑問への解を口にする。

 

「傷が治るとき、あいつの体内で見覚えのある光が見えた」

 

「──『SYSTEM』の発動光か」

 

 呻くようにスレヴィンが呟く。

 

 過剰変態に近い出力と、通常のMO手術では適性を持てないことも珍しくないαMOの奇々怪々な特性。これらを制御・強化するというコンセプトの下、U-NASAで開発された技術兵装には『SYSTEM』のコードが与えられる。

 

 αMO手術の産みの親たるヨーゼフのもう一つの発明だが、この技術を盗用したアダム・ベイリアルが独自のそれを開発していても不思議ではない。

 

「アホみたいに盛られちゃいるが、奴の特性はあくまで『直接攻撃型』。オースティンと違って、装備は強化の意味合いが強い。それに、あのアダム・ベイリアルが半端なものを持たせるとも思えねぇ……今の状況も合わせれば、考えられるのは『遺伝子の発現率の増強』ってとこか?」

 

「多分ね。こうなるといよいよ、ボク一人じゃ手に負えそうにないな」

 

 そう呟くシモンの気は重い。今しばらくは、保つだろう。だが一合、また一合と打ち合うたび、彼の手の内は徐々に読まれていくだろう。そうなれば、あとはジリ貧だ。無尽蔵の体力を持つヴォーパルの力押しに、シモン達はいずれすり潰されることになる。

 

「確かにな。だがシモン、諦めるには早いぜ。一対一は厳しいかもしれないが──」

 

 暗い表情のシモンに話しかけながら、スレヴィンはチラリと運転席の脇に取り付けられたサイドミラーを見やる。

 

 

 

「──こっからは団体戦だ」

 

 

 

 そこにはカーチェイスを繰り広げる彼らを高速で追走する一台のバイクが映っていた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「目標を確認……作戦行動を開始します」

 

 法定時速を軽くぶっちぎる猛スピードで、眼前を車が通り過ぎる。それと同時に、ガンマワンのコードネームを与えられたその女性は、バイクを急発進させた。彼女は巧みなハンドルさばきで公道を駆ると、自らが騎乗する車体ごと疾走してきたヴォーパルの前へと躍り出る。

 

「!」

 

 その瞬間、ヴォーパルの体が不自然な力によって引き留められる。その全身には、無数の糸が絡みついていた。

 

「自分から罠に飛び込んできてくれて助かったわ。おかげで、手間が一つ省けた」

 

 女性はバイクから軽やかに飛び降りると、アスファルトの上に着地する。何本かの糸でハンドルを操られたバイクは操縦者不在のままドリフトし、張り巡らされた糸ごとヴォーパルの体を後方へと牽引する。その巨体が引きずり倒されることこそないが、それは確かな足枷となって悪鬼をその場へと縛り付け──それを待っていたかのように、建物の影から一人の青年が飛び出した。

 

()ッ!!」

 

 文字通り一足跳びにヴォーパルへと迫った彼の足は人為変態により、その体に組み込まれたベース生物の特性を発現させていた。彼は勢いのまま、怪物の胴へと強力な蹴りを叩き込む。

 

「ご、ガッ!?」

 

 脚力に特化した特性による一撃。さすがのヴォーパルも無傷とはいかず、あまりの威力にその口からも苦悶の声が漏れる。

 

「『ジャパンランキング』6位──」

 

 格闘技とは違うアクロバティックな動きでヴォーパルの背後へと回り込みながら、青年は軽やかに姿勢を立て直す。一瞬遅れて、ヴォーパルの鼻から噴出した血と折れた数本の歯が、アスファルトの上に散らばった。

 

「“タイガーショット”の本郷丈一。ここから先は通行止めだ、化け物」

 

 

 

本郷丈一

『ジャパンランキング』”6位”

MO手術ベース“昆虫型” ―サバクトビバッタ―

 

 

 

「「高橋ッ!」」

 

「君ら、コードネームの意味分かっとる? あと呼ぶにしても名字呼びはやめろて、いつも言っとるやろ」

 

 鋭く呼びかける2人の声に、どこか緊張感のない大阪弁が応じる。声の主は、彼らと同じ制服に身を包んだ、長い癖毛が特徴的な男だ。

 

「佐藤、鈴木に次ぐ日本の名字ランキング3位やで? 日本に何十万人、タカハシさんおると思とんねん」

 

 やれやれと言わんばかりに首を振りながら、彼はオーケストラの指揮者のように腕を掲げる。するとそれに呼応するように、彼の背後からは幾つもの黒く小さな卵状の物体が飛び出し、ヴォーパルへと殺到する。

 

「どーせ呼ぶなら──」

 

 そして、着弾。彼が特性による合図を発すれば、それらは一斉に爆発を引き起こした。吹き抜けた爆風に、男の長髪がなびく。

 

「ジャパンランキング『4位』、“ピラニアン・ローズ”の高橋舜と! ギャラリーに伝わるよー、はっきりしっかり称えなさい!」

 

 ──まぁ今回は誰も聞いとらんし、ワシントンにタカハシさんが何人おるかは知らんけど。

 

 そう付け加えて、男は緩ませた口から白い歯をのぞかせた。

 

 

 

高橋 舜

『ジャパンランキング』”4位”

MO手術ベース”哺乳類型” ―マッコウクジラ―

使用武器:対テラフォーマー音力発電式アクティブホーミング弾

『ストライカー・ピスケス』

 

 

 

「──私達の任務は『個人情報の保護(機密の厳守)』と『交通整理(足止め)』。ただしその中には『安全確保(脅威の排除)』も含まれている」

 

 女は背負った鞘から大太刀を引き抜く。もうもうと黒煙が立ち込め、ヴォーパルの姿は見えない。だが、何の支障もなかった。

 身動きの取れないヴォーパルの体の位置は、完全に把握している。

 

「奴らに造られた兵器に……()()()()()()()()()()、足止めなんて生っちょろいことをするつもりはない。この世界を守るために、お前はここで殺す」

 

 言うや否や、彼女は軽々と空中に太刀を放った。クルクルと回りながら宙を舞う刀身には一本の糸が結い付けられており、その回転を助長する。

 

 滑車の原理の応用と、遠心力による威力の増幅。武器自体の切れ味も加味すれば、テラフォーマーを複数体まとめて両断しうる破壊力を帯びた大太刀を、彼女は眼前の怪物へと振り下ろした。

 

「(株)一警護所属、ジャパンランキング『7位』の”サムライソード“──この名を刻んで死ね、ゲス野郎」

 

 

 

サムライソード

『ジャパンランキング』”7位”

MO手術ベース”昆虫型” ―ツムギアリー

使用武器:対人・対テラフォーマー滑車式大太刀

奪還工芸師(ジャスティス・ビーバー)

 

 

 

 子気味良い風切り音と共に、回転する太刀が煙の中へと吸い込まれる。攻撃のタイミング、軌道ともに完璧。つまり彼女の目算通りであれば、ヴォーパルは割られた竹のように真っ二つになっているはずだった。

 

(……手応えが軽い)

 

 ──だが、違和感。

 

 いかに糸ごしとはいえ、肉を切った感触はダイレクトに使い手へと伝わる。それがない、ということは避けられた? だが、奴は間違いなく拘束していたはず。不可解な事態に警戒するサムライソードの前で、煙が晴れていく。そうして明らかになったことの全容は、彼女たちの斜め上を行くものだった。

 

「──は?」

 

「なッ!?」

 

「マジかいな……!?」

 

 揃って立ち尽くす3人。彼らの耳が、敵から発せられた息の音を拾い上げた。

 

「ハァァァァァ……」

 

 やはり、というべきか。案の定、ヴォーパル・キフグス・ロフォカルスは健在であった。もっとも、それ自体はさほど問題ではなかった。

 

 日本におけるMO戦力の中核、『ジャパンランキング』の上位ランカー。そこに名を連ねる彼らもまた、表裏アネックスやアークの乗組員たちにも劣らない歴戦の戦士。その程度の可能性も考慮できないような愚鈍ではない。

 

 問題だったのは。

 

 

 

ふふぁんふぁ(つまんな)

 

 

 

()()()()()()()()()ヴォーパルが、あろうことか()()()()()()()()()()()()()という、冗談のような光景だった。

 

「「「ッ!」」」

 

 即座に臨戦態勢をとりながら、彼らは三者三様に不覚を察する。

 

(バッタ)の蹴りと、高橋の爆撃をモロに喰らってこれか!? コイツ、どんだけ頑丈なんだ!?)

 

(ちゅうかなんやねん、口で真剣白刃取りて!? 顎と首の力どないなっとんのや!?)

 

(見誤った……あのイカレどもの兵器を、普通の生物の尺度で量るべきじゃなかった──!)

 

 

 

第七特務(さっき)より、全然弱いんですけど」

 

 

 

 咥えていた大太刀を吐き捨て、ヴォーパルが全身に力を籠めれば、彼の体を縛り上げていたはずの糸は一瞬にして千切れ飛ぶ。

 ツムギアリの糸は、本来獲物を捕らえておくためのものではない。故にその強度はクモの糸ほどではなく、テラフォーマーが力を籠めれば精々数秒で切れてしまう程度。

 本気を出せば世界最強の糸を紡ぐ蜘蛛(ダーウィンズ・バーク・スパイダー)の拘束を脱することすら可能なヴォーパルにとって、この程度は束縛のうちにも入らない。

 

「さて──」

 

 解放された怪物の視線が三人へと向く。瞬間、彼らは一斉にその場を飛び退きヴォーパルから距離をとる。

 

「ここまで簡単に抜けられると。作戦立案者としては責任感じるで……」

 

 冷や汗を流しながら舜がぼやく。本命の策が破られた。ヴォーパルは解き放たれ、しかも戦闘に支障をきたす程の傷は負っていない。つまり──。

 

()()()()()()()()()()()! できるのか、俺達に!?)

 

 いつでも飛び出せるよう身をかがめながら、本郷は危惧する。敵は“怪物”──槍の一族とフランスの尖兵を倒し、第七特務と未知の兵器を下し、人類最強と痛み分けてなお進撃を続ける、正真正銘の怪物。

 

 臆したつもりはない。だが、この場の人員だけで勝てると思い込めるほど、彼は楽観的でもなかった。

 

 続行か、撤退か──示された二択に本郷が生唾を飲んだその時、凛とした声が沈黙を裂いた。

 

「上等よ。むしろ分かりやすくなって丁度いい」

 

 努めて冷静に言い切って、サムライソードは太刀を平正眼と呼ばれる姿勢に構える。

 

「殺すと言ったら死ぬまで殺す。来い──この刃、ムカつくお前の心臓にぶっ刺してやる」

 

「あー、この()はホンマにもう……しゃーない。ちょい気合入れるで」

 

 殺気立つ女剣士に困ったように頭を掻き、それから舜は腹をくくったように専用武器を起動する。それを前に、ヴォーパルは──

 

 

 

 

 

 

「くあぁぁ……あふ……」

 

 

 

 

 

 ──いかにもつまらなそうに、欠伸をしてみせた。

 

「貴様ら全員、ナシ寄りのナシ。マジつまらん」

 

 予想外の反応に面食らう三人を前に、ヴォーパルは心底退屈そうに言い捨てる。

 

「貴様らのような雑魚ピに構っている暇はない……じゃ、おつハムニダ」

 

 そしてヴォーパルは、シモンとスレヴィンの追跡を再開する。格下と見なした三人には、目もくれることなく。

 

「ッ! 待て──!」

 

 いち早く我に返ったのは、やはりサムライソードだった。自分たちを敵とすらみなしていないヴォーパルの振る舞いに激昂した彼女は、太刀を手に駆け出そうとする。

 

「やめとき、サムライソード」

 

 そんな彼女の肩に手をやり、制止したのは舜だった。

 

「気持ちは分かる……なんて、軽々しいことは言わんけどな。新幹線並みの足で走っとる奴にどうやって追いつくつもりやねん」

 

 それに、と付け加えた舜の目が、真っ直ぐにサムライソード見据えた。そこに平時のおちゃらけた色はなく、真剣そのもの。

 

「仮に追い付けたとして、ありゃ俺達の手には負えん。下手しなくとも全滅間違いなしや……お前にとって、本命はあいつやないやろ? お姉さんの仇を討ちたいなら、今は耐えるべき時や」

 

「っ……!」

 

 その言葉に、サムライソードは何も言い返せなかった。「お前に何が分かる」……喉元までこみ上げた言葉が、しかしその口から飛び出すことはない。一から十まで、彼の言葉は正しい。そしてそれが、自分の境遇を気遣ってのものであることも、サムライソードはよく理解していた。

 

「……部長に連絡を」

 

「お、それもそうやな。本郷、頼めるかー?」

 

 煮えたぎる屈辱と無念を腹の底へ飲み下し、サムライソードはようやくその言葉を絞り出した。それを汲んだ舜は空気を切り替えるように本郷へと呼びかける。

 

「了解」

 

 連絡を託された本郷は、すぐさま懐から通信端末を取り出した。スイッチを入れた彼は、端末の向こう側にいるだろう人物へと報告を始めた。

 

「部長ですか? こちらガンマスリー、目標がポイントAを突破しました。じきにポイントB(そっち)に差し掛かるかと。対応をお願いします」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ポイントAを通過したヴォーパルは、全力で公道を疾走しながら鼻をヒクつかせる。

 

「近い……!」

 

 標的(シモン)との距離が間違いなく近づきつつあることを、再び濃くなり始めた匂いが告げている。

 

 ──先ほどは妙な邪魔が入ったが、今度こそ逃がさない。

 

 ヴォーパルは擬態の特性で周囲の景色と同化すると、そのままシモンとスレヴィンが辿った道からは外れたルートを走り始めた。姿を隠して先回りすることで、奇襲を仕掛けようという魂胆だ。

 

 不可視となったヴォーパルは建物の外壁をよじ登り、屋根から屋上へと飛び移っていく。今や彼の眼下には、スレヴィンが走らせるフォード車があった。車上に立つシモンも、ヴォーパルの接近に気付く様子はない。

 

「殺す……!」

 

 狙いを定めた彼は屋根を蹴り、空中へと身を躍らせた。自由落下の速度も相まって、その爪には途方もない破壊力を帯びる。着地と同時に、シモンは彼を乗せた車ごと木っ端みじんに消し飛ぶだろう。

 

 勝利を確信し、ヴォーパルは笑みを深める。だが、彼の思惑が実現することはなかった。

 

 

 

 

 

「なんじゃ、考えることは同じじゃの」

 

 

 

 

 

 次の瞬間、ヴォーパルの死角から何者かが飛来した。聞こえた言葉の意味を彼が理解するよりも早く、振り上げたヴォーパルの右腕が鋭い何かによって深く抉り裂かれる。

 

「──ッッ!?」

 

 直後、ヴォーパルの体は押し寄せた風圧に煽られ、シモン達からは離れた場所へと墜落した。

 

「屋根の上は通行禁止じゃけ。大人しく道路(こっち)を通ってもらおうかの」

 

 そこから少し離れた位置に、一つの影が降り立った。独特の広島訛りで言いながら、彼は眼鏡の奥で目を細めた。

 

「ま──そう簡単には通さんけどな」

 

「貴様……我が見えてる系か」

 

 男と切り裂かれた腕を交互に見やりながら、ヴォーパルは呟く。

 

 受け身が間に合ったこともあり、落下のダメージはほぼない。腕の傷も、数秒もすれば治癒する。

 だが完全であったはずの擬態を見破られたという事実が、ヴォーパルの心を少なからずかき乱していた。それも先に交戦した幸嶋と違い、この男は明らかに自分の姿が見えている。一体なぜ? 

 

「不思議そうな顔しとるのォ。せっかくじゃけ、()る前に一つ教えちゃる」

 

 もはや無意味と擬態を解いたヴォーパル。その疑念に答えるように、男のからりとした声が響く。

 

「火星とは違った意味で、地球の生存競争は熾烈じゃ。『その場にとどまるためには、(It takes all the running you can do, )全力で走り続けなければならない(to keep in the same place)』っての。何億年っちゅう時間の中で、どいつもこいつも生き残るために必死こいて進化してきたわけじゃ。んで……」

 

 男は眼鏡を押し上げ、口を開いた。

 

恐竜(お前)から進化したんが(ワシ)じゃ。お前より良い眼ェ持ってんのは当然じゃろがい」

 

 ──円偏光。

 

 人間の目にはただ『暗い』『明るい』としか分からない光も、動物たちはその波長の偏り=偏光を認識することができる。

 

 そして猛禽類──とりわけフクロウの視力は、人間の100倍ともいわれる感度を誇る。その眼は、捉えた景色の内に生じた僅かな違和感も見逃さない。

 

「朝太郎、そいつけ?」

 

 そんな彼の背後から、しわがれた声がかかる。

 

「おウ、親父け。なんじゃ、随分遅かったの」

 

「阿呆。空飛べるワレと一緒にすんなや」

 

 軽口を叩きながら現れたのは、作務衣姿の老人だった。彼はヴォーパルを目にすると「ほー」と感心したような声を上げる。

 

「事前に聞いちゃいたが、こりゃまたデカい図体じゃのぉ。何食えばあんなになるんじゃ?」

 

「さぁの。少なくとも、手羽先と生卵が秘訣ってわけじゃなさそうじゃ」

 

 その古木のような老人を目にした瞬間、ヴォーパルの警戒心は最大限に跳ね上がった。身長、体重、筋肉量……どれをとっても、己に勝る点などない。確かに鍛えられてはいるが、それだけ。

 しかし『それだけ』であるにも関わらず、悪鬼はその老人を明確な脅威だと感じとっていた。

 

「ガアアアアッ!」

 

 ヴォーパルは本能のまま、即座に老人へと飛び掛かった。疾駆する巨体の一撃を躱し、老人は「いきなりじゃの!」と飄々とした笑みを浮かべる。

 

「鈍っとらんじゃろうな、朝太郎!」

 

「当たり前じゃ! 伊達で免許皆伝は名乗っ取らん!」

 

「ならええ! タイミング合わせェ──!」

 

 一際大ぶりな振り下ろしをいなすと、二人は怪物の懐に飛び込んだ。そしてほぼ同時に、まるで心臓マッサージをするかのように自らの手を重ね合わせると、その掌を怪物の胴体へと押し当てる。

 

 

 

「「膝丸心眼流──双手木砲(もろてもくほう)撃ち!」」

 

 

 

「ッッ!!」

 

 次の瞬間、重く鈍い衝撃がヴォーパルの内臓を揺らす。

 

「グッ、オォ……ッ!?」

 

 中国武術においては『発剄』、日本の古武術においては『鎧通し』。

 

 様々な武術体系において奥義の一つとされ、堅い防御を無視して内部に衝撃を通す技術。人類が研鑽し続けたその一打は、確かにヴォーパルの全身を覆う鎧を貫いた。

 

「ちゅうわけで、お前はここで一回休みじゃ。少しワシらと遊んでもらおうかの」

 

 男はにこやかに笑うと、眼鏡を押し上げた。薄茶色の羽が周囲に舞い、腰に締めた『膝丸神眼流』の帯が風にたなびく。

 

「株式会社『一警護』本店地球警護部部長。『ジャパンランキング』3位、“免許皆伝(バトルマスター)”の草間朝太郎じゃ。やろうか、恐竜モドキ」

 

 

 

草間(くさま) 朝太郎(あさたろう)

『ジャパンランキング』”3位”

MO手術ベース”鳥類型” ―ワシミミズク―

使用武器:対テラフォーマー圧縮空気式飛翔補助ウイング

父喰羽(ふくろう)

 

 

 

「同じく『一警護』顧問、“奥義開眼(マーシャルアーツ)”の草間紫暮」

 

 老人は十文字槍を担ぎ直し、ヴォーパルを見据える。その佇まいは自然体。暴風もそよ風も等しく受け流す、悪鬼とは対照的な柔の構えであった。

 

「懸けるのは、ほうじゃな……『最強』の看板でええ。今日で下ろしてもらうで」

 

 

 

草間(くさま) 紫暮(しぐれ)

『ジャパンランキング』”? 位”

 

 

 

「マジ卍──邪魔をするな、雑魚ピどもッ!」

 

 血混じりの唾を吐き捨てると、ヴォーパルは再び眼前の二人へと飛び掛かり……攻防が幕を開ける。

 

「グァルルル!!」

 

 ヴォーパルは縦横無尽に地を駆り、爪牙による攻撃を間断なく繰り出す。一方、朝太郎と紫暮はそれを軽やかに掻い潜り、隙あらば怪物の胴体へと攻撃を打ち込んでいく。

 

 傍から見ればその光景は、怪物が二人に翻弄されているように映るだろう。だが当事者たちに言わせれば、実態はまるで違う。

 

(コイツ、話には聞いちょったが……!)

 

 ヴォーパルへと肉薄した朝太郎は、紅蓮の髪が生えた悪鬼の頭を鷲掴みにする。時に人間の子供すら餌として喰らうと言われる猛禽、ワシミミズク。その握力で固定された急所へと、専用武器による加速で威力が倍増した膝蹴りが炸裂する。

 

「全然、効かないぽよォ」

 

 ──が、しかし。悪鬼、健在。

 

 申し訳程度に鼻血を流したヴォーパルはニタリと笑い、そのまま朝太郎の足を噛み砕かんと牙を剥く。寸でのところで足を引き戻した彼に、五本爪の追撃が襲い掛かる。

 

「──膝丸神眼流、空蝉」

 

 朝太郎は羽織っていた上着をヴォーパルに向けて放ると同時、体の軸を後方へと傾けた。目くらましと姿勢変更による二重の回避。果たしてヴォーパルの一撃は空振りに終わり、ズタズタに引き裂かれた布が紙吹雪のように宙を舞う。

 

「おっと、そっちにばっかり気ィとられとってええのか?」

 

 すかさず、その横合いから一閃が割り込む。紫暮の十文字槍が唸り、蛇のような軌道でヴォーパルの指を切り飛ばした。

 

「む──!?」

 

 宙を舞う己の指に、ヴォーパルの動きが僅かの間だけ停止する。その間に二人は彼の間合いから離脱すると、呼吸と態勢を整えた。

 

「こいつはまた、面倒(たいぎい)の」

 

「じゃな。鱗がとにかく分厚くて敵わん。その上、あの再生能力じゃ」

 

 息子のぼやきに同意しながら、紫暮は指を顎に当てる。彼の視線の先では、ヴォーパルが今まさに己の指を再生させているところであった。

 

「何本とったところで、こがぁにぽんぽん治されたら話にならんの」

 

 当事者として今の状況に彼らが下す判断は『拮抗』──しかも、打開の糸口がひどくか細い拮抗である。

 

「朝太郎。どう見る?」

 

 紫暮はどこか試すように問えば、朝太郎は「どうもこうもないじゃろ」と鼻を鳴らす。

 

「打撃、関節、締め技は基本全て無効。仕込み武器の類もまともに通らん。なら急所への集中砲火か、双手木砲打ちで内臓にダメージを入れ続けるしかない」

 

「ほうけ。ワシの考えも同じじゃけ、その方向で攻めるか」

 

 短く打ち合わせると、再び臨戦態勢に入る二人。一方、それに対峙するヴォーパルは痺れを切らしつつあった。

 

 インドミナス・ラプトルの特性を逆手に取ったモニカの策で、今の彼の目的意識は『シモンの抹殺』へと向いている。平時であれば彼にとって娯楽となるだろう強者との戦闘も、この瞬間に限っては自分の行動を妨げる邪魔でしかない。

 

 故に彼は、最も手っ取り早い選択肢を選ぶ。

 

「スゥゥゥ──」

 

 肺に、腹に、空気を取り込む。吸って、吸って、吸う……己の体が風船のように膨張し、体形が変わるまで。そして──

 

 

 

「ゴガアアアアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 

 悪鬼の口から衝撃波を伴う咆哮が放たれた。大気中を伝わる振動に周囲のガラスが砕け、電線が激しく揺れる。

 

(なんちゅう声量! まともに聞いたら耳をやられる!)

 

 歴戦の武人二人の判断は早かった。即座に耳をふさぎ、鼓膜と三半規管損傷による戦闘不能を回避する。だが、防御による一瞬の硬直が命取り。

 

「ごはッ──!?」

 

 テラフォーマーの瞬発力で地を蹴ったヴォーパルの回し蹴りが、朝太郎の体を直撃した。まるでサッカーボールのように朝太郎を蹴り飛ばし、更には振り抜いた足のシックルクローに引っ掛ける形で、隣に立っていた紫暮の手から槍を弾き飛ばした。

 

「! 器用じゃの」

 

 思わず呟いた紫暮の眼前に迫るのは、成木を薙ぎ倒す威力を秘めた尾の一撃。電光石火の攻勢を前に、さしもの彼も迎撃の姿勢に移行し切れてはいない様子。

 

 ()った──ヴォーパルが確信したのと、紫暮がひょっとこのように口をすぼめたのは同時だった。

 

「ピュッ!」

 

 風切り音と共に、老人の口から何かが発射された。直後、ヴォーパルの眼球に猛烈な痛みが走る。

 

 ──含針術。

 

 読んで字のごとく、口内に含んだ針を敵に吹き付けることで視界を潰す術。忍術としてしばしば語られる小技ではあるが、その一部を取り込み成立した膝丸神眼流にもこの技巧は存在している。

 

「ッ、ぐゥオォ……!?」

 

 予想外の痛みに、ヴォーパルの重心が僅かにずれる。それを見逃さず、紫暮は交差した両腕で尾の一撃を受け流す。

 

「噴ッッ!!」

 

 すかさず両腕でヴォーパルの尾を抱え込むと、紫暮はその遠心力を利用し悪鬼の巨体を投げた飛ばした。地面を二、三転したヴォーパルはそのまま飛び起きると、眼球に突き刺さった針を鬱陶し気に抜く。

 

「ほいで……まだやるけ?」

 

 ヴォーパルの目のピントが、柔術の構えを取る紫暮に定まった。いい様にされた怪物の脳は殺気立ちながらも、老人の問いへの答えを思索する。闘志、敵意、殺意……渦巻く衝動と計算。

 

「──おつハムニダ」

 

 やがて数秒の思考を経てヴォーパルが選択したのは、シモンの追撃再開だった。

 

 忌々し気に吐き捨てると、ヴォーパルは紫暮へそれ以上攻撃を加えることなく、その場を走り去った。紫暮もまた追撃することなく、その後ろ姿を見送る。

 

「……肝が冷える立ち合いじゃったの」

 

 そうごちた彼の左腕は青黒く鬱血し、鈍い痛みと灼熱感を訴えかけていた。やむを得なかったとはいえ、許容範囲外の威力を無茶な体勢で受けた代償だった。

 

「おー痛ってて……野郎、無茶苦茶しよるの」

 

「無事け、朝太郎」

 

「なんとかの」

 

 背後の声に振り向けば、そこにはこちらへと歩いてくる朝太郎の姿があった。頭を切ったのか額から血が流れているものの、重傷というほどでもないらしい。

 

「すまんの、親父。ヘマした」

 

「ええ。目標分の時間は稼いだことじゃし……そもそも、ワシもお前のことは言えん」

 

 そう言って紫暮は、左腕を挙げて見せる。それを見た朝太郎は「親父で流せんとは馬鹿力じゃの」と苦笑しながら、ポケットから通信端末を取り出した。次の地点で待つ仲間に、状況を伝達するために。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

『ガンマフォーからガンマシックス。目標がポイントBを突破した。全速力でそっちに向かったけ、用心せぇ』

 

「ガンマシックス了解。お二人共、怪我は?」

 

『そこそこ、ってとこかの。手当でなんとでもなる範囲じゃ。問題(せわ)ない』

 

 通信端末から返ってきた言葉に、サングラスをかけたその男──“スネークアイズ”の日向強は、思わず眉間にしわを寄せた。

 

「……それほどの相手ですか?」

 

『ああ。依頼人の嬢ちゃんが話を盛ったかと思っちょったが……こりゃ、それ以上じゃの』

 

 そう答えた朝太郎の声には、若干の疲労が滲んでいる。それを読み取った男──警戒を強めた。

 

 ポイントBを担当していた草間親子は、一警護の幹部(オフィサー)とでもいうべき人員である。そんな彼ら二人を同時に相手どり、手傷を負わせて逃げおおせる程の相手。いよいよ尋常ではない。

 

『パワーも脅威じゃが、厄介なのはタフネスじゃ。分厚い皮骨板(よろい)に再生能力、底なしのスタミナ。認めんのは業腹じゃが、ワシらみたいに技で攻めるタイプとは相性が悪い』

 

「ならば奴の攻略法は──」

 

『耐久を上回るパワーで一気に削りきる、じゃろうな』

 

 朝太郎の声に、日向は「だったら」と笑みを深める。

 

()()()()()()()()()()()。奴の天敵が揃ってる」

 

 ノートパソコンのキーを叩く。表示されたマップの上では、敵の接近を示すマーカーが急速に移動している。もうじき、彼が担当するポイントCへと到達するだろう。

 

「目標が警戒範囲内に接近しました。ポイントC、これより迎撃にあたります。オーバー」

 

『了解。気ぃつけての』

 

 オーバー、という言葉を最後に通信が切断される。日向は一度深く息を吐くとパソコンをしまい込み、カウントダウンを開始する。彼の目は車道の向こうからこちらへと走ってくるヴォーパルの姿を捉えていた。

 

「10、9、8……」

 

 接触までの時間を測りながら、変態薬を摂取する。瞳孔が細くなり、全身を滑らかな鱗が覆い尽くす──日向強の細胞に組み込まれたベース生物、“ニシダイヤガラガラヘビ”の特性である。

 

「7、6、5……」

 

 彼自身はヴォーパルと交戦できるほどの戦闘能力を有してはいない。だがヘビ類にはヤコブソン器官やピット器官といった、優れた感覚器官が多く備わっている。

 これらを駆使し、このポイントCで一警護が誇る『最高戦力』をサポートする……それが彼に与えられた役割だった。

 

「4、3、2……」

 

 日向の存在に気付きながらも、ヴォーパルは速度を落とさない。走行の勢いそのまま、彼をひき殺さんと悪鬼はむしろ地を踏みしめる足に力を籠め。

 

 

 

「──“1”」

 

 

 

 直後、彼の両脇から強烈な拳撃と蹴りが打ち込まれた。

 

「ガッ……!?」

 

 ヴォーパルの肺から空気が漏れる。転倒を免れて地を踏みしめるもその威力は凄まじく、身長2mを超す彼の巨体は後方へと押し戻された。そんな彼の前に立ちはだかったのは、またしても2人の日本人だった。

 

「俺はアメリカの法律にゃ疎いし、警察でもねーけどよォ……いくらなんでも速度違反じゃねーの、それ?」

 

 よく通る声がヴォーパルの耳に届く。2人のうちの片割れ、額にバンダナをまいた男が発した言葉だった。

 

「交通誘導を任されてる身としちゃ、さすがに見過ごせねぇ。こっちも仕事なんでね、補導させてもらう。ただし補導といっても──」

 

 男は変態薬を摂取すると同時、ヴォーパルへと肉薄。人為変態によって増強された筋力に物を言わせ、彼は何発もの拳を一気に叩きこんだ。

 

「ゴ、か──ッ!!」

 

 皮骨板、その表面に隆起する無数の鈍角の棘、そこへ上乗せされたテラフォーマーの甲皮──三重の鉄壁を正面から打ち砕く、重い破壊力。それを諸に喰らったヴォーパルはたまらず白目をむき、片膝を折った。

 

「──俺の場合は言葉じゃなく、(これ)だがね」

 

 “人類最強”と双璧を成す、もう一人の日本の切り札。戦闘力という一点においてジョセフ・G・ニュートンと互角とされる男はバンダナを締め直すと、頑強な握り拳をかざして見せた。

 

 

 

染矢(そめや) 龍大(たつひろ)

『ジャパンランキング』”2位”

『マーズランキング』”同率1位”

MO手術ベース ”??? ”

 

 

 

 ──幸嶋隆成に次いで現れた、自らの命を脅かしうる強者。応戦のためにヴォーパルが立ち上がろうとしたその時、彼の足に一本の矢が突き刺さる。その鏃はヴォーパルの足の甲の中心を正確に貫き、アスファルトへと縫い付けていた。

 

「っぐッ……!?」

 

 出鼻をくじかれたヴォーパルは、痛みと苛立ちに精神を逆撫でされながら射手を睨みつける。

 

「よかった。この状態の俺の矢なら、奴の装甲は貫けるらしい」

 

 それを成したのは染矢の背後、日向の隣に佇むもう一人の日本人青年だった。長大な和弓に矢をつがえるその所作は、およそ品性という言葉とは無縁なヴォーパルをして堂に入っていると思わざるを得ないもの。

 

 だがその姿形は、ヴォーパルがこれまでに出会ってきた地球人の中でも特に異質だった。背中からは鳥類の翼と昆虫の腕が生え、体は深い毛に覆われている。つま先は馬のそれを思わせる蹄へと変化。腰の付け根から伸びるのは、尖端にはハリネズミを思わせる無数の棘が生えた爬虫類の尾。

 

「援護は任せてくれ、染矢くん。必要な場所に必ず当ててみせる」

 

 過剰変態によ様々な動物の特性が発現した、妖怪の如き異容。それに似つかわしくないひどく落ち着いた声音で、彼は宣言した。

 

「それが俺の──風邪村(かぜむら)一樹(いっき)の役目だ」

 

 

 

風邪村(かぜむら) 一樹(いっき)

『ジャパンランキング』”1位”

MO手術ベース ”複合実験型”

―女郎蜘蛛+烏+アナコンダ+コモドオオトカゲ+ヤマアラシ+ムネマダラトラカミキリ+モウコノウマ+本土狸……

 

 

 

「無理しないでくださいよ、風邪村さん。アナタ、まだ病み上がりなんですから」

 

「分かってる。ただ、少しくらいは体を張らせてくれ」

 

 油断なく拳銃を構えながら告げる日向に、一樹は返す。

 

「君たちが頑張ってる時に俺だけ寝たきりっていうのは、どうにも居心地が悪い。それに……今回の一件、どうやら身内が迷惑をかけていたようだしね」

 

 そう付け加えた彼の脳裏に浮かぶのは、数年前に忽然と姿を消し、今回の戦いでフランスの尖兵として刀をとったという従姉の顔。身内が起こした不始末は身内で始末をつけるのが道理──それが一樹の考えだった。

 

「例えそれが俺の預かり知らないところで進んでいて、手の届かないところで終わっていのだとしても……こうして弓をとる理由には十分すぎる」

 

 つがえていた第二矢を射る。全身から虫の腕だの鳥の翼だの、人間には存在しない器官を全身に生やしているとは思えないほど優雅に、そして正確に。放たれた矢は先ほどとは反対の足の甲へ的中し、昆虫標本のピンのようにヴォーパルを完全にその場へ射止めた。

 

 ──風邪村一樹、弓道段位『八段』。

 

 全日本弓道連盟が定める審査規定において『技能円熟』『射品高雅』『射芸の妙を体得したもの』と認められた場合に与えられる段位である。これより上の『九段』と『十段』は審査委員会による推薦制(ちなみに2021年時点で九段合格者は全国1名、十段に至っては0名)であることを考えれば、事実上の最高位であるともいえる。

 

「チッ……!!」

 

 風切り音すら発さず、脳天を貫く的中の軌道で第三矢が飛来する。それを腕で弾き飛ばし、ヴォーパルは己を固定する矢を強引に引き抜いた。

 

「もう怒ったかんなァ! 許さないかんなァァ!! 橋本かーんガはッ!?!?」

 

「べらべらとうるせぇ奴だな」

 

 そしてその瞬間を狙いすました染矢のストレートが、ヴォーパルの顎を打ち抜く。

 

「生物最強だかなんだか知らねーけどよ。人間(おれ)たちは命かけて戦ってんだ、無礼(ナメ)てんじゃねぇぞ、トカゲ」

 

 頑強な皮骨板と棘による損傷も厭わず、染矢は怒涛の勢いで鉄拳を繰り出す。それを防ぎ、躱し、時に打たれながら、ヴォーパルは空気を体内へと取り込み始めた。

 

「スゥゥゥ……」

 

 度重なる戦闘の中で、彼は学んでいた。地球人にとって、感覚器官とは極めて重要なものであるらしい。一つ失っただけでも戦闘行動に支障をきたす。故に、損傷の危険があれば()()()()()()()()()

 

 草間親子との戦闘において勝負の潮目となった咆哮が、再び放たれようとしていた。だが結果として、その行動は不発に終わる。

 

「ゴガ────ッ!?」

 

 発声の瞬間を見計らったかのように放たれた矢が、ヴォーパルの喉を貫いたためだ。反射的に首を捻り脊椎への直撃は避けるが、声帯が損傷したことで彼は声を発すことができない。

 

「──俺達はな、失敗から学ぶ生物なんだ」

 

 何が起きたのか分からず瞠目するヴォーパルに、日向は言う。

 

「これまで戦った奴らがどうやられたのかは確認済。きちんと対策は練ってあるさ。広域制圧の特性なんて、なおのことな」

 

「ッ!」

 

「よそ見してんじゃねぇぞ、おらァッ!!」

 

 ヴォーパルが動揺を見せたその瞬間、畳みかけるように染矢の剛撃が胸の中心──鳩尾を穿つ。ヴォーパルの巨体は今度こそ吹き飛ばされ、アスファルトの上に転がる。

 

「ぐウゥ、オォ……」

 

 苦し気に呻きながらも、ヴォーパルは立ち上がった。首に刺さった矢を引き抜き、衰えぬ闘志で足を踏み出す。だが、その足取りは覚束ない。それでも二歩、三歩と染矢に向かってヴォーパルは歩みを進め──

 

「……ガフッ!!」

 

 口から多量の血を吐きだした。ぐるりと、眼球が白目を剥く。そして一度だけ大きく体を痙攣させると、彼はうつぶせに倒れ込み──そして動かなくなった。

 

 三人は警戒を解かず、倒れ込んだ怪物を見つめる。だが十秒、二十秒と時間が流れても、ヴォーパルが動き出す気配はない。

 

「……日向、どうだ?」

 

 静寂を破ったのは、染矢の問いだった。それを受け、日向はサングラスの奥で目を細めた。

 

(状況的には、まず決着とみていいだろう)

 

 いかに化物じみた耐久と再生能力があろうと、これまでのダメージは着実に蓄積しているはず。そこから更に一樹の矢で喉を潰し、染矢の拳を何十発と叩き込んだ。

 傷口は再生していない。ピット器官でも、ヴォーパルの肉体から刻々と熱が失われつつあるのが見て取れる。

 

 日向が認識している全ての情報が、ヴォーパル・キフグス・ロフォカルスは死んだと伝えている。

 

 ──だが、何かが引っ掛かる。

 

 事前情報に比べて、呆気なさすぎる。こじつけにも近い懸念が、どうしても拭いきれない。

 

(思い出せ。何か見落としはないか? この違和感の正体のヒントが何か──)

 

 時間にして十秒ほど。脳内で情報を洗い直した日向は、ゆっくりと口を開く。

 

「……風邪村さん。もう一度、奴の頭を射てくれ。それではっきりする」

 

「! いいのか?」

 

 その指示に一樹は思わず問い返した。鹵獲して脳を分析にかければ、一連の事件の黒幕に関する情報を抜き取れる可能性はとても高い。死亡確認のためだけにその情報源を捨てるのは些かリスクとリターンが釣り合っていないようにも思える。

 

「ええ、構いません。これが杞憂であれば何も問題はない。ただ俺の予想があってれば──」

 

 日向の声を聞きながら、一樹は和弓の弦を引き絞り狙いを定める。パッと指を離せば、その矢はヴォーパルの頭部を串刺しにする起動で放たれ。

 

 

 

「……奴はまだ、ピンピンしてるはずだ」

 

 

 

 ヴォーパルが振り払った尾によって、肉を貫くことなく弾かれた。

 

「「!!」」

 

「あー、アー、ンンッ……マジバビったんですけど。まさか我の迫真の演技が見抜かれるとは」

 

 ヴォーパルがムクリと上体を起こす。瀕死の演技をやめた彼は喉を再生させると、日向を見つめる瞳孔を細めた。

 

「なぜ我が生きてるとわかった?」

 

「古典映画のメジャーどころは履修済みでね。お前に組み込まれた生物の情報と組み合わせれば、高度な擬死も可能だと思ったのさ」

 

 あえて再生をとめることで死を偽装し、日向のピット器官をアマガエルの赤外線放射抑制で欺く。テラフォーマーの遺伝子で獲得した気門を使って直接酸素を取り込むことで、気道が塞がっている状態でも生命維持は可能。

 

「──呆れた生命力だな。これだけ集中砲火を受けて、まだ戦えるか」

 

「なに、いっぺんブッ叩いて駄目なら何回でも繰り返せばいい。幸い、時間はこっちの味方だしな」

 

 一樹は矢筒の矢へ手を伸ばし、染矢は力強く拳を握り込む。そんな彼らに、ヴォーパルは口を開く。

 

「……愉快。本当にそう思っているのか?」

 

「あ?」

 

 怪訝そうな染矢の声。それにニヤニヤと笑いながら、ヴォーパルは応える。

 

 

 

「──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という話だぽよ」

 

 

 

 その瞬間、染矢の体がぐらりと傾いた。

 

「ッ!?」

 

「龍っちゃん!?」

 

 予兆なく訪れた染矢の不調に、一樹と日向が息を呑む。染矢は足を前に踏み出し、染矢は転倒をこらえるが、彼の体を襲う異常はそれだけにとどまらない。視界がぼやけ、意識が朦朧とし始める。何かが垂れる感覚に鼻を拭えば、ぬるりとした血が付着した。

 

「! 日向、毒だッ!」

 

 状況を理解した染矢は、すぐさま日向に情報を伝達する。

 

「そのなんちゃらレックスってのは、毒を持ってるか!?」

 

「毒……マムシか!」

 

 多くの日本人にとって最も身近な毒蛇、と言われればおそらくマムシが挙がるだろう。プロテアーゼ、ホスホリパーゼA2などのたんぱく質で構成されるその出血毒は、ハブの2~3倍強力な毒性を持つ。

 

(それに奴は、アマガエルのDNAも持っている! 体表に毒を分泌した状態で、わざと染矢の攻撃を受けたのか!)

 

 あまり知られてはいないが、日本でよく目にするアマガエルは、体表に微量の毒を分泌する機能を持つ。ヴォーパルはこれにより出血毒を分泌、攻撃時に棘で生じた傷口から染矢の体内へ毒が侵入したのだ。

 

「へッ、上等じゃねぇか……!」

 

 ここが正念場と踏ん張り直し、染矢は笑って見せる。

 

「毒が回りきる前に、テメーを倒す!」

 

「面白い……やってみるぽよッ!」

 

 染矢は駆け出すと、万力を込めて腕を振り被った。それを見たヴォーパルもまた、同じく拳を握り締める。

 

「「おォッ!!」」

 

 そして雄たけびが重なり、拳の応酬が始まる。互いの打撃が頬に、胸に、腹に打ち込まれ、血飛沫が舞い。両者互角の打撃戦──それを制したのは、ヴォーパルだった。

 

「ぐッ!?」

 

 がら空きになった染矢の胴体に、ヴォーパルの尾がめり込む。死角からの攻撃を諸に染矢の体は、そのまま地面に投げ出された。

 

「こんなもんっ──!?」

 

 すかさず立ち上がり戦線に復帰しようとする染矢だが、異変に気付く。()()()()()()()()。加えて鼻も効かなくなっていた。

 

(もう毒が回ったのか!? いや、いくらなんでも早すぎる! それにこれは──)

 

「まじジワる毒だ。盗っておいてよかったぽよねェ」

 

 ヴォーパルは言いながら、用済みとなった暗器──針が何本もついた金属板のようなものを地面へと放り捨てる。

 

(! あれは部長の……!)

 

 日向はそれに見覚えがあった。朝太郎が任務用のスーツに仕込んでいた、毒が塗り込んである暗器の一つだ。視覚と嗅覚を一時的に奪う、非殺傷性の毒──だがこの状況において、それはあまりにも致命的だった・

 

「死ねぽよ」

 

「! させるか──!」

 

 すかさず追撃に移ろうとするヴォーパルだが、一樹が矢を射かけそれを妨害する。放たれた矢を手で掴み止めると、ヴォーパルはわざとらしく溜息をついた。

 

「いい加減マジうっとうしいんですけど」

 

 彼は顔だけを一樹へと向けると、口を開く。直後、そこから高速で長い舌が飛び出し、一樹の和弓にその先端が接着した。

 

「! しまっ──」

 

 一樹が不覚を悟るが、遅い。予想外の射程から撃ちだされた舌は、引き戻される勢いそのままに、彼の手から弓を取り上げた。ヴォーパルはそのまま弓を口に咥えると、これ見よがしにバリバリと噛み砕いた。

 

「あげぽよォ!」

 

 ヴォーパルは跳躍で一樹との間合いを一息に詰め、固く握りしめた拳を振り上げた。

 

「ッく!」

 

 一樹はそれを受け止め、被弾を防ぐ。攻撃を押し込まんとするヴォーパルと、それを食い止める一樹。組み合う形になった二人の力関係はそのまま拮抗にもつれ込む。

 

 病み上がりである彼の身体能力は本来、染矢に遠く及ばない。だが複合実験型という特殊な手術形式と、常に過剰変態で戦うという彼の戦闘スタイルが、ヴォーパルとの打ち合いを可能にする。しかし、それも長くは続かなかった。

 

(! 不味い、変態が……!)

 

 薬の効果が切れ、一樹の人為変態が解け始める。全身に生じた生物の特性が次々に退化を始め、彼を辛うじてヴォーパルと同じ土俵へ押し上げていた過剰変態というアドバンテージが失われていく。もう数秒もすれば、彼はヴォーパルの圧倒的な贅力に押し潰されることになるだろう。

 

「フっ──!」

 

 一樹は未だ特性が色濃く残る脚部──”モウコノウマの蹄”でヴォーパルへと回し蹴りを食らわせる。そしてヴォーパルとの距離が空くと同時、一樹の人為変態は完全に解けた。

 

「くっ!」

 

 日向は拳銃の引き金を引くが、その程度でヴォーパルの肉体に傷をつけられるはずもなかった。

 

「無力だな、人間……じゃ、おつハムニダ」

 

 もはやこの場に己の追撃を妨げる存在がいないことを把握したヴォーパルは、そのままポイントCを離脱していく。少し遅れて、麻痺毒の効果が切れて立ち上がった染矢が「クソッ」と悪態をつく。

 

「逃がしたか……」

 

 その言葉に一樹は頷くと、険しい表情で口を開く。

 

「奴はこっちの継戦可能時間まで計算に入れていた。さっきの死んだふりといい、部長からくすねた仕込み武器といい……ふざけた言動に反して、頭が切れる」

 

「ええ。ですが、度重なる戦闘で奴も大きく消耗したはず」

 

 言いながら日向は、染矢に注射器を投げ渡した。

 

「龍ちゃん、それ打っといた方がいい。マムシもニシダイヤガラガラヘビも『マムシ亜科』のヘビだ。俺用の万能血清が効くはず」

 

「おう、助かる」

 

 血清を打ち始めた染矢を尻目に、日向はノートパソコンを取り出した。

 

「アンドルーズ基地で幸嶋隆成、ワシントンで第七特務と未確認の生物兵器、そして俺達。これだけ連戦を重ねれば再生能力があろうと疲労は蓄積するし、ある程度手札も割れる」

 

 忙しなく指を動かしながら、日向は続ける。

 

「奴の力を削ぎこの大捕物の本命たちに貢献できれば……任務完了だ」

 

 タン、と彼がキーボードを叩く。ポイントAからCで判明したヴォーパルの情報が無事送信されたことを確認し、日向は「なんにせよ」とノートパソコンを閉じる。

 

「俺達にできるのはここまでだ。七星さんからも撤収命令が出てる。あとは信じるしかない……日本(ウチ)の同盟国の勝利を」

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「スレヴィン君! ポイントXまでの距離は!?」

 

「あと4kmだ!」

 

 ──ワシントンD.C.郊外。

 

 建造物も少なくなり始めた車上で槍を振るうシモンの声に、スレヴィンが怒鳴り返す。

 

「いけるか!?」

 

「ッ、持たせてみせる……!」

 

 シモンは絞り出すようにそう言うと、再び追いついたヴォーパルへと意識を戻す。ここに至るまでに相当な激戦を繰り広げたらしく、さすがの怪物も息が荒いように見える。だがその闘志に陰りはなく、むしろ凶暴性に拍車がかかっているようにも見受けられた。

 

「はァあああっ!」

 

 迫るヴォーパルの魔手から、シモンは槍と特性を駆使して車を防衛する。だが──

 

 

 

「捕まえたァ!!」

 

 

 

 ──ポイントXまで、残り300m。

 

 ついにヴォーパルの鉤爪が車の荷台へと突き立った。

 

「ッ!」

 

 二百キロ近い重量と馬鹿力による負荷。車は更に100m程走ったところで、完全に停止してしまう。

 

『! まずい、そこじゃ駄目!』

 

「分かってる!!」

 

 モニカの悲鳴にスレヴィンがアクセルを踏み込むが、タイヤは空回るばかりでそれ以上先へ進まない。

 

「このッ!」

 

 シモンが槍を突き出すが、本領を発揮できない単調な攻撃軌道は完全に見切られていた。ヴォーパルはハエでも払うかのような動きで、急所を目掛け繰り出される刺突を弾いてしまう。

 

「ちょこまかと逃げ回ってくれたな。マジで切れる5秒前(MK5)……だがそれも、ここで終わりだ」

 

 ググ、とヴォーパルが腕に力を籠めれば、前輪ごと車体が浮き上がる。ついに獲物を捕らえた歓喜に、ヴォーパルは牙をむきだして笑った。

 

「さァ……死ねぽよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ──東洋医学並びに伝統的な格闘技にはほぼ必ず、共通する人体の急所が伝わっている。

 

 

 

 

 

 

「おっと……その手、放してもらうぞ」

 

 

 

 絶体絶命の窮地に、突如として何者かが飛び込む。目を丸くするシモンの前で、彼は腕から生えた円錐状の毒針を構えた。

 

 

 

 標的箇所──『八打八不打(Bada・Babuda)』より、『八不打点』! (熟練者であっても不用意についてはならない八か所の点)

 

 使用技──日本空手道伝統の型『最破(サイファ)』より、『直突(ちょくづき)』! 

 

 

 

「オオオオォッ!」

 

「ッッガ……!?」

 

 目にもとまらぬ速さで繰り出された八連続の刺突が、ヴォーパルの急所を穿つ。皮骨板に阻まれ攻撃そのものは通らないが、衝撃で彼の鉤爪が荷台から外れたことで、再び車が解放される。

 

「小吉さん!」

「艦長かッ!」

 

 シモンとスレヴィンが同時に叫ぶ。そこに立っていたのは、表アネックス計画においてアネックス1号の艦長を務める男──小町小吉だった。

 

「2人とも、そのまま進めッ!」

 

「ッ! 了解!」

 

 小吉の指示に我に返ったスレヴィンが再びアクセルを踏み込むと、今度こそ車のタイヤは金切り声をあげながらも、走行を再開した。それを確認した小吉は振り向かず、背後に立つ人物へと声をかける。

 

「俺達はこのまま奴を押し込む。行けるな、リー?」

 

「誰に口利いてんだ」

 

 ぶっきらぼうにその人物、ゴッド・リーが応じる。既にミイデラゴミムシの特性を発現させた彼は、既にナイフを抜き放ち戦闘態勢に入っている。

 

「まだいたのかお邪魔虫ィ!!」

 

 怒れるヴォーパルが、邪魔な羽虫を潰そうと振り返る──だが小吉は、反撃に転じる隙を与えない。

 

「ぜァッ!」

 

 次々と空手の技を繰り出し、彼の胴体を文字通り蜂のように刺していく。

 

「ッ、この!」

 

 反撃に振るわれた鉤爪を小吉がバックステップで躱せば、入れ替わるように彼の背後からリーが飛び出す。

 

「大振りだな。そんな攻撃じゃあ、ハエも殺せねぇぞ」

 

「ぬ……!?」

 

 すれ違いざま、彼はナイフでヴォーパルの手首の腱を切り裂く。腕の自由が効かなくなったことにヴォーパルが怯んだその瞬間、リーは彼の顔の前に、オレンジと黒の甲皮に包まれた腕を突きだした。

 

「吹っ飛べ、デカブツ」

 

 そして、爆音と閃光。火炎放射さながらの大爆発を起こしたベンゾキノンが、ヴォーパルの巨体は大きく吹き飛ばされた。

 

「──デルタワン、聞こえるか? こちらガンマナイン。目標がポイントXに到達した」

 

 それを確認した小吉は、即座に通信端末で上空を飛行するヘリへと連絡を入れる。

 

「『クロスピン』オペレーション、最終フェーズだ。頼んだぞ──」

 

 

 

 ──ダリウス・オースティン。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「デルタワン、了解しました。あとは任せてください」

 

 ポイントX上空。待機していたヘリの中で、青年は短く応じると通信を切断した。

 

「チャーリー。俺が飛び降りたら、すぐに離脱してくれ。一応、専用武器は君たち側に展開するつもりだけど、俺の特性だと巻き込みかねない」

 

「了解。けど、こっちの心配はいらねえよ。俺もリックも、それなりの訓練は受けてんだ。アンタが思ってるほど(ヤワ)じゃねぇぞ」

 

 気楽に、しかし力強く返されたその言葉に、青年は「ありがとう」と返す。自分は本当に部下に恵まれた──そんな感慨と共に。

 

「ハッチ開放! 降下5秒前! 4、3……」

 

 開け放たれたハッチから大量の風が吹き込む。それを全身に浴びながら彼は精神を研ぎ澄ます。

 

「2、1……降下! ぶちかませ、()()!」

 

 

 

 そして合図と共に、彼は空中へと身を躍らせた。刹那の浮遊感の後、青年──ダリウス・オースティンの体は地上への落下を開始した。

 

(シモンさんとスレヴィンさんは有効射程圏外、艦長たちも離脱した! タイミングは完璧──奴を仕留められるかは、俺次第!)

 

 パラシュートの開放スイッチに手をかける。だが、それを引くのはもう少し後──特性を発動してからだ。

 

「──あァ?」

 

 異変に気付いたヴォーパルが顔を上げ、ダリウスを視認する。だがヴォーパルは、彼の特性を知らない。知る由もない。故に彼は気付けない──絶滅した恐竜たちが、飛来する隕石を見て死を実感できなかったように。

 

 上空から飛来する彼こそが、己にとっての『死』そのものであることに。

 

「お前に恨みはないが、こっちにも守らなきゃならないものがある。悪いけど──」

 

 ダリウスは注射器型の変態薬を取り出すと、自らの首筋に突き立てる。特性の発現を確認した彼は、大きく息を吸い込む。

 

「──ここで死んでくれ」

 

 そして、呪歌の残響が響き渡る。

 

 泣き叫ぶような絶叫が木を薙ぎ倒し、大地を抉り、ちっぽけなヴォーパルの体を押し潰し……全てを破壊し尽くした。

 




U-NASA予備ファイル『サムライソードの過去』

 原作の時系列だと丁度この頃に一警護で手術を受けることになるだろうサムライソードだが、本作では様々なバタフライエフェクトによって既に手術済み、かつ概ね原作の程度の実力を持つ。
 またこれに伴い、サムライソードの姉の仇はハンニバルではなくアダム関連になっている……この辺はおいおい本編にて。
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