贖罪のゼロ   作:KEROTA

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協奏三歌XX-6 終戦後譚

 

 ──ヴォーパルとの戦闘から五日後、U-NASA病棟にて。

 

「入るぞ」

 

 そんな声と共に、引き戸が開く。カツリとヒールの音を響かせながら、ミッシェル・K・デイヴスは清潔感の漂う病室へと足を踏み入れた。

 

「あれ、ミッシェルさん?」

 

 その姿に驚いたのは、ベッドの上に腰掛けるシモンだった。それまでの談笑を中断し、思わずといった様子で目を丸くする。

 

「どうしてここに? 今日って、グッドマン大統領への報告日だったよね?」

 

「これからな。だからその前に様子を見に来たんだが……」

 

 そこで言葉を切ると、ミッシェルは胡乱気に目を細める。

 

「お前……せめて入院中くらい、そのダセェメットは外したらどうなんだ?」

 

「いやー、あははは……」

 

 正論過ぎる指摘に、シモンは曖昧な笑いをこぼすことしかできない。その頭部はいつも通り、ばっちりフルフェイスヘルメットに覆われていた。平時の装いも中々に珍妙ではあるが、今の彼は首から下を入院用のパジャマに着替えて点滴に繋がれているだけに、シュールさが倍増している。

 

「おう言ってやれミッシェル。俺たちが言っても全然聞きやしねーんだ」

 

「……初めてこの部屋に来る看護師さん、必ず二度見しますしね」

 

 同じ病室に入院するスレヴィンとダリウスが声を上げる。先ほどまでの談笑相手に背中を刺され、いよいよシモンは気まずそうに視線を逸らす。

 

「い、一応、先生に許可はもらってるから」

 

「何がお前をそこまでさせるんだよ」

 

 呆れたように言いながら、ミッシェルは手に持っていたバスケットをサイドテーブルの上へと降ろす。中身は山盛りのフルーツだった。

 

「差し入れだ、あとで食え」

 

「いいんですか、こんなにたくさん?」

 

(ババア)が「持ってけ」ってうるさくてな。遠慮すんな」

 

 ダリウスの問いにうんざりした声で答え、ミッシェルはどっかりと椅子に腰を下ろす。

 

「で。調子はどうだ、重傷者ども?」

 

「「「絶好調だ(だよ)(です)」」」

 

「そうか。微塵も信用ならねーからもうちょい具体的に聞くわ」

 

 口を揃える三人に、ミッシェルはぴしゃりと返した。

 

「まずダリウス。お前、腹の調子は?」

 

 ミッシェルがダリウスに問うのは、もちろん食中毒やら胃腸炎やらを心配してのことではない。

 先日の戦いにおいて、αMOによる人為変態と、平時以上に繊細な特性運用を行った結果、見事にぶり返したマッソスポラ菌による症状のことである。

 

「大分落ち着きましたよ。幻聴も随分減りました」

 

 赤毛の青年が苦笑する。ヴォーパル戦の決着直後、気の緩みからか地下水槽内でサイケデリックなせん妄に囚われたのは記憶に新しい。もう少し気付くのが遅ければ、危うく錯乱して特性をぶっ放すところであった。

 

「ところでミッシェルさん、イメチェンしました? 髪もメイクも虹色ですが、大統領に会いに行くのにその恰好はさすがに……」

 

「私はこっちだし幻覚は治ってねーのかよ。抗菌剤飲んで寝ろ」

 

 明後日の方向に話しかけるダリウスにツッコミを入れつつ、ミッシェルはシモンを見やる。

 

「次、シモン。お前は?」

 

「ボクの方はほとんど完t……待ってごめん正直に言うからその手降ろして」

 

 青筋を浮かべながら拳を固めたミッシェルに、シモンは即座に言を翻す。

 

「全身の骨折10か所ちょっとに、右肩から左わき腹に大きめの裂傷がまだ残ってる。一応、人為変態すればすぐにでも治せるけど……」

 

「寿命を削ってまで治す必要ねーだろ」

 

「だよね」

 

 苦笑するシモンに「安静にしてろ」とため息を吐き、ミッシェルは残る一人へと視線を向ける。

 

「で、ピース。お前……は、なんというか、大丈夫なのか?」

 

「おう、この通りピンピンしてる」

 

 軽い調子で応じて、スレヴィンは首をぐるりと回して見せる。

 

「首は完全に癒着して、後遺症もなし。レントゲンでも異常はなかったからな。一応経過観察で入院しちゃいるが、その気になれば明日にでも退院できるレベルだ」

 

「一番死んでなきゃおかしい奴が一番軽傷なのはどういうことだよ……まぁ、大事ないならそれでいい」

 

「というか、ボク達よりもミッシェルさんこそ大丈夫なの?」

 

 あたかも他人事のようにため息をつくミッシェルに、逆にシモンが問いかけた。

 

「大蛇に飲み込まれたって聞いたけど」

 

「ああ。さすがに死ぬかと思ったぜ」

 

「そんなことになってたんですかミッシェルさん!?」

 

 物理的に首が取れた男(スレヴィン)

 寄生菌に腹を侵された男(ダリウス)

 全身を毒槍で貫かれた男(シモン)

 巨大蛇に食われた女(ミッシェル)←NEW! 

 

 ここにきてさらりと発覚した重傷者に、ダリウスが思わず目を剥く。

 

「つっても私の場合は、せいぜい中度の窒息と脱水だ。あとはちょっとした火傷モドキだが、こっちはもう治ってるしな。お前らと違って、二日で退院許可は取れた」

 

「相変わらず頑丈な奴……公民館の爆発に巻き込まれた時を思い出すぜ」

 

「るせぇ」

 

 呆れたようにつぶやくスレヴィンを軽く睨んだミッシェルは「私のことはいい」と、話題を転換する。

 

「時間ねーし、本題に入るぞ。取り急ぎ伝えとくのは、お前らが入院した後の事後処理周りだ」

 

 俄かに表情を引き締めた三人に、ミッシェルは話を始める。

 

「まず放水路でのお前らの戦いを最後に、国内でテロリストどもの不穏な活動は確認されていない。油断はできないが……一連の事態は片が付いたとみていいだろう」

 

「よかった。ここから更にもう一波乱あったら、ボク達も流石に手が回らないとこだったよ」

 

 シモンが打った安堵の相槌に、彼女も軽く頷く。

 

「裏表アネックス計画も控えてることだしな。これ以上、諸外国に付け入る隙を見せる羽目にならなそうで何よりってとこだ。で、一連の事件を起こしたテロリストの生き残り……エメラダ・バートリーとガンボルド・ゲレルの身柄は、アメリカ法務省の預かりになった。当面はMO手術被験者用の刑務所に収監予定だ」

 

「大丈夫かよ、それ」

 

 スレヴィンが疑わし気な視線を向ける。

 

「ゲレルはともかく、エメラダの方はどう考えてもやべーだろ。次同じことが起きたら、今度こそ国が落ちるぞ?」

 

「エメラダは成功率0.3%を切るαMO手術の成功例だ。死刑にしちまうより、生かして今後の研究対象にした方が有益って判断になった。上層部でも大分扱いは揉めたらしいが、この一件であいつ自身は誰も殺してねぇってのと──」

 

 ミッシェルはそこで一度言葉を切ると、ダリウスを一瞥する。

 

「捕縛後のエメラダの行動が、今回の決定を後押ししたそうだ。以前に比べて、精神鑑定や研究への協力態度が大きく改善されたらしい。もういっぺん、同じことが起きる可能性は低いとさ。誰かさんのおかげだな」

 

「経緯が経緯なだけに、素直によかったとは言えませんけどね」

 

 どこか優しげな表情の彼女に、ダリウスは苦笑で返す。その横から、シモンが「ところで」と口を開く。

 

「他の皆……特に第七特務の人たちは? あの後も大変だったって聞いたけど」

 

「ああ、それなんだが……」

 

 投げかけられた問いへの回答として、ミッシェルが語りだしたのはヴォーパルとの死闘を終えた三人が病院送りになった後のことだった。

 

 

 

『脱走した生物兵器、シーザーを捕獲せよ。なお、今度こそ標的の抹殺は禁じる。多額の予算がつぎ込まれた検体であるため、可能な限り無傷で捕らること』

 

 

 

 シモンたちがヴォーパルを下した30分後、第七特務に下された任務である。

 

 ようやく休めると思った矢先に舞い込んだ無茶ぶりに、第七特務の隊員たちは思わず天を仰いだ。定時退社至上主義の約一名は形相が虚無であったという。

 

 治療を受けたとはいえ、隊員たちは全員が負傷状態。今度ばかりは任務を蹴ろうとしたギルダンだったが、U-NASA直属の正規兵はここから更に事態が悪化する可能性を考え、迂闊に動かせない状況。しかしシーザーは存在そのものが歩く機密情報であり、野放しにすれば民間人にも被害を出しかねないために放置するのは論外。

 

 そしてヴォーパルという脅威が配され最優先での対処が求められる以上、現地にほぼフルメンバーで揃っている彼らに選択肢はなかった。

 

 

 

『つーわけで、協力してもらった手前悪ィんだが……大人しく捕まってくれねぇか?』

 

『グオオオオオオオッ*1!!』

 

 

 

 無論、窮屈な檻の中に引き戻されることをシーザーが良しとするはずもない。

 

 かくして、誰も幸せにならない第七特務VSシーザーという仁義なき戦いが勃発。猛獣の体力とパワーに手こずらされながらも、ギルダンやαMO手術を受けた辛くも彼を取り押さえ、収監することに成功したのだった。

 

「そういうわけで、任務が終わる頃には全員半死人状態でな。私と艦長(ヒゲ)の連名で、全員に一か月の休暇療養を許可した」

 

「うん、それは許される」

 

 その措置にすぐさまシモンが頷く。今回、敵対勢力の主力と対決したのは自分たちだが、戦いに集中できたのは彼らのサポートがあってこそのもの。このくらいの贅沢は許されて然るべきだろう。

 

(というか、上層部が現場を軽く見過ぎなんだよね。今度、先生経由で苦情入れておかないと)

 

 脳内の「退院後にやることリスト」に書き足すシモンを尻目に、ミッシェルは続きを口にする。

 

「医療部門も似たような状態でな。サイト66のバイオテロ、フィンランドで発生した生物災害への対処がひと段落して、どいつもこいつもぶっ倒れてる。つーわけで軍事と医療、U-NASAの二大花形は現在開店休業状態だ。逆に総務や経理はフル稼働……ってのは、ウチに限った話じゃねえか。FBIからCIA、ペンタゴンまで総動員で事態収拾にあたってる」

 

「下手な映画より大事になってますね……」

 

「下手な映画よりも大事だったんだよ、実際。極秘軍事施設が二か所壊滅した上、ホワイトハウスが陥落寸前だぞ? 前代未聞だ。むしろこのくらいで済んで御の字ってとこだな」

 

 改めてそう説明されると、ダリウスは納得せざるを得ない。同時に「アメリカの滅亡」という任務前にはどこか荒唐無稽に思えた言葉が、ボタンを一つ掛け違えていればあり得た未来だったのだと実感が追いつき、今更ながらに背筋が寒くなる。

 

「あとは知っての通り、先日のU-NASA襲撃で警備部門から多数の殉職者が出た。その穴埋めに、裏表アネックスクルーから人員を何人か駆り出してる。アルダーソン軍曹を始め上位ランカーと軍隊出身者が中心だが、タチバナとルーニー(スカベンジャーズ)が退院したらあいつらにも入ってもらうつもりだ。本当は幸嶋もここに割り振るつもりだったんだが……」

 

 チッッ!! とドスの利いた舌打ちを病室に響かせ、ミッシェルは不機嫌そのものの声でぼやく。

 

「今回の作戦に半分勝手に協力したうえ、ホワイトハウスにも首を突っ込んで集中治療室送りだとよ。医者の診断じゃ全治半年だそうだ」

 

「何してんだあいつ」

 

 スレヴィンは呆れたように、快活な寮生の顔を思い浮かべる。同室の慶次やジャレッドが大慌てする姿が容易に想像できる。おそらくは診断に反し、二~三か月で勝手に退院して大騒ぎになるのだろう。

 実際二か月後のU-NASA男性寮には、完全に予想通りの事態が展開されて頭を抱えるスレヴィンの姿があるのだが、それはまた別の話。

 

「あのバカは帰ってきたらいっぺんシメる……っと、そろそろか」

 

 腕時計で時間を確認し、ミッシェルは椅子から腰を上げた。

 

「私はもう行く。さっきも言ったが、今U-NASAはとにかく人手が足りてねぇ。さっさと治して戻ってこいよ、お前ら」

 

「おう、半年くらいかけて落ち着いた頃に治すわ」

 

「いってらっしゃい」

 

「お気をつけて」

 

 それぞれの言葉で送り出されたミッシェルは背を向けて歩き出し、しかし病室の扉の前でぴたりと足を止めた。

 

「……今回の件。お前たちの尽力がなければ解決は不可能だった」

 

 そう口にした彼女は振り返ると、三人に向かって敬礼をした。

 

 

 

「アメリカ合衆国宇宙軍を代表して、尽力に感謝する」

 

 

 

 改まった口調と真剣な眼差しで告げる彼女に、三人はただ静かに頷いた。それを見たミッシェルは満足げにほほ笑むと、今度こそ振り返ることなく病室を後にした。穏やかな、しかしどこか気が引き締まるような静寂だけが、その場に満ちた。

 

「……お二人とも」

 

 一分か、二分か。ふと沈黙を破ったのは、ダリウスだった。

 

「フルーツ、いただきませんか?」

 

 せっかくですし、と笑うダリウスにスレヴィンが頷く。

 

「だな。ラインナップは?」

 

「色々入ってますよ。メロンにマスカット、オレンジにバナナ……ひとまずはリンゴにしましょうか。みずみずしいツヤがあって、お尻まで赤い。ちょうど食べ頃です」

 

「ダリウス君、よかったら使って」

 

 赤々と熟れたリンゴを手に取るダリウスに、シモンは横から備品の果物ナイフを手渡す。ダリウスはそれを受取り……ふと、それを差し出す手に目を留めた。

 

「……本当に変態したままなんですね」

 

 ツチカメムシの甲皮に覆われたままのシモンの手を、ダリウスはまじまじと見つめる。αMO手術の『薬を用いない変態』とも違う、常時維持される人為変態状態。

 戦闘中ならば気にも留めない形態が、この日常風景の中ではいやに浮いているように見えた。

 

「不便じゃないんですか? その、力加減とか」

 

「慣れればそうでもないかな。ボクの場合、こうなってからの方が長いし」

 

 シモンは思い出したように「ああでも」と付け加える。

 

「日常生活で皆にばれないようにするのは、ちょっと大変かも。格好もこうしておかないと、すぐに分かっちゃうしね」

 

「何なら、さっきも地味にヤバかっただろ」

 

 スレヴィンが茶化すように言えば、フルフェイスの下でシモンは「まぁね」と苦笑いを浮かべる。

 病室の扉が開くコンマ一秒前、靴音が部屋の前で止まったことを確認したシモンは、目にも留まらぬ速さでヘルメットを着用し、手を布団の中へ。間に合いこそしたものの、もう数秒遅れていたら勘の鋭いミッシェルを誤魔化すことはできなかっただろう。

 

 ごく限られた関係者しか入れない専用病棟だからと油断しすぎた、とシモンは反省する。

 

「話を合わせてくれてありがとうね、二人とも。もし見られてたら今頃ボク、事情を話すまで締め上……問い詰められてただろうし」

 

「違いない。あいつはそういうことするわ」

 

「聞こえますよ、二人とも。あの人、超音波聞き取れるくらい耳が良いんですから」

 

 リンゴの皮をするすると剥きながらダリウスが冗談めかして言えば、二人が思わず吹き出す。朗らかな笑い声が、病室の中に満ちた。そんな和やかな空気の中で、スレヴィンは切り出した。

 

「……なぁ、シモン」

 

 

 

「いつまでそうやって、隠し続けるつもりなんだ?」

 

 

 

 不意に突きつけられたその問いに、シモンの呼吸は一瞬静止する。

 

「それは」

 

 続きを口にしようとして、言葉に詰まる。そこから先、紡ぐべき言葉を彼は持ち合わせていない故に。

 

 ──ヴォーパルとの戦いの後、シモンはスレヴィンとダリウスに自らの過去を明かした。

 

 己の出自のこと、それに由来する体質のこと、バグズ2号でのこと、それが終わってからのこと……余すところなく、そのすべてを。だからこそ、スレヴィンが問わんとする真意はすぐに分かった。

 

「……それは」

 

 耐えきれず、シモンは静かに俯いた。浮かぶ言葉は、どれも言い訳がましい。だからこそ、何を口にしたところで真摯な回答ではないような気がして。開いては結ばれるその唇は、言葉の続きを紡げない。

 

「分かってるさ。これはあくまで、お前ら二人の問題だ。本来、俺が首を突っ込む問題じゃねぇ」

 

 押し黙ったシモンを前に、スレヴィンは「ただ」と続ける。

 

「俺もあいつとは、それこそガキの頃からの長い付き合いだ。あいつの苦悩や後悔も、ある程度は知ってるつもりだ。だから、口ぐらいは挟ませてもらう」

 

 そこで言葉を切ったスレヴィンは息を深く吸い、そして口を開く。

 

「俺は『ドナテロ・K・デイヴス』が嫌いだ」

 

「っ」

 

 弾かれたように顔を上げるシモンに、スレヴィンは「俺の初恋の相手は、ミッシェルの母親でな」と切り出す。

 

「惚れた女を泣かせた奴を好きになれるほど、俺は心が広くねぇ。例えどういう事情があろうとだ。そして似たような理由で、お前にも思うところがある……まぁ、半分八つ当たりみたいなもんだ。お前にしてみれば、いい迷惑だろう」

 

 自嘲するように一度笑った彼は、しかしすぐに真剣な面持ちを取り戻す。

 

「けどな。あいつの魂は、今も過去に取り残されてる。俺と会うよりも前、あいつとお前が最後に言葉を交わした『あの日』に囚われて、今も苦しみ続けてる。俺はそれが、見るに堪えない」

 

 緑色をしたスレヴィンの瞳が、フルフェイス越しにシモンの水色の目を見据える。

 

「今すぐ納得できる答えを聞かせろ、とは言わねぇ。だが、これからもあいつと並び立つつもりなら……それを忘れないでくれ」

 

「……」

 

 どこか懇願にも似たその言葉に、シモンは唇を硬く結ぶことしかできない。そんな二人のやり取りを隣で聞いていたダリウスが、彼は意を決したように口を開く。

 

「──俺は部外者なので、あまり偉そうなことは言えませんが」

 

 そう前置きして、ダリウスは切り出した。

 

「人は大なり小なり、何かしら罪を抱えています。そして、その罪をなかったことにすることはできない。過去を変えることは誰にもできないように……一度背負った十字架は、その人に一生ついて回る。でも、罪にどう向き合っていくかを選ぶことはできます」

 

 ダリウスは一拍分の間を開け、シモンを見やった。

 

「だから結局は、シモンさんがどうしたいかが全てだと思います。お二人の罪は、俺とは違って法では裁けない。だけど、本当の意味で過去の罪に向き合うつもりなら……いずれ、スレヴィンさんの問いに答えを出さなければならない日が来る」

 

 彼はそう言葉を締めくくると、顔にくしゃりと苦笑いを浮かべた。

 

「すいません、意味不明な持論をぺらぺら喋っちゃって。けど、シモンさんにはなんとなく伝えておいた方がいい気がしたんです。俺みたいに、取り返しがつかなくなる前に」

 

「ううん。むしろありがとう、ダリウス君。おかげでちょっと、自分でも整理ができたよ」

 

 シモンは首を横に振ると、ヘルメットを脱ぐ。彼は額に昆虫の触角が生えた、どこか幼さの残る素顔をスレヴィンへと向ける。

 

「ごめんね、スレヴィン君。今はまだ、ミッシェルさんには明かせない。やらなきゃいけないことが、まだ残ってるんだ。だけど、約束する。この戦いが全部終わったら──この悲しみの元を断ち切ったら。その時は必ず、彼女にちゃんと全てを打ち明ける」

 

 決意表明のようにそう告げて、シモンは引き締めた表情をふっと柔らげた。

 

「そうしたらさ、歩いていくよ。ボクが止めてしまった彼女の時間を、一緒にね」

 

「……そうか。ならいい」

 

 思いの丈を聞き届けたスレヴィンは、それ以上追及することはしなかった。彼は満足げに笑うと、からりと声の調子を変える。

 

「よし、やめやめ! オースティン、リンゴくれ! 真面目な話してたら小腹が減ってきた」

 

「そう言われると思って、剥いておきました。シモンさんもどうぞ」

 

「ああ、ありがと……ってうわ、すごい! リンゴが白鳥の形になってる!?」

 

「中々でしょ? 飾り切りって言って、俺も剛大さんに教えてもらって知ったんですけど──」

 

 そんな他愛もない話と共に、病室の時間はゆったりと流れていく。

 

 死闘と死闘の狭間に差し込まれた、日常という名の僅かな平穏の時間。その1ページを、昼下がりの穏やかな太陽が静かに照らしていた。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

 ──その頃、別所にて。

 

「それで。説明してもらえるのだろうね、クロード博士?」

 

 ヨーゼフ・ベルトルトは、左隣の席に腰を下ろす同僚へと視線を投げかけた。眼鏡の奥から覗く目は理性的でありながら、探るような鋭さがある。下手な回答をすれば、ここまで築いてきた信頼関係が無に帰すことは容易に想像できた。

 

(当然か。むしろ事態が沈静化するまで見逃してもらえたこと、U-NASAにもドイツにも報告を上げられていないことに感謝が必要なくらいだ)

 

 確信と共にクロードは気を引き締め、「勿論です」と答える。

 

「しかし、どこからお話ししたものか……」

 

「ならば私から質問しよう。聞きたいことは山ほどあるが……まずは最優先で確認しなければならないことがある」

 

 眼鏡を押し上げたヨーゼフは、困惑と共に尋ねる。

 

 

 

 

 

「──何故我々は、オカマバーにいるのかね?」

 

 

 

 

「あら~! クロード博士ェ~~~!」

 

「お久ぶりねぇ~~ん♡ ところで隣のイケモジ*2はどなたかしら?」

 

「カレシ!?」

 

「きゃあああああ(野太い悲鳴)! 大胆ねぇ!!」

 

「………………私もお断りしたかったんですが」

 

 むさくるしい美女(野獣)達に群がられながら、クロードは遠い目で答える。答えるまでの間が、彼の内心全てを物語っていた。

 

「連れが、この場所を指定したもので」

 

「なぜ??」

 

 心底意味が分からない、という表情を浮かべるヨーゼフ。そんな彼に答えたのはクロードではなく、第三者だった。

 

「勿論、安全性の理由からよ」

 

 鈴のように、よく通る声だった。その声が響いた途端、彼らを取り囲んでいた人垣が一斉に道を開けた。そこから現れたのは、赤いドレスを纏った小柄な女性だった。その姿を捉えたヨーゼフは「ふむ」と目を細める。

 

「君が、クロード博士の“連れ”とやらかね?」

 

「ええ……初めまして、ベルトルト博士。モニカ・ベックマンと申します」

 

 彼女──モニカ・ベックマンは微笑を浮かべると、衣装の裾をつまんで優雅にお辞儀をした。

 

「本件のご助力には、感謝のしようもなく」

 

「そうかしこまらなくてもいい。私はただ自分の仕事をしただけだ。それに最後の件では、ほとんど何もできなかった」

 

「ふふ、ならお互い様ね。こちらもアメリカの戦いには、ほとんど介入できなかったわけだし……マスター、『Red Zone』をロックで」

 

 言いながらモニカはクロードの反対、ベルトルトの一つ左隣の席へと腰掛ける。出されたグラスを傾け、杯を満たす液体の色と香りを楽しみながら彼女は言う。

 

「いいお店でしょう? ウチが経営してる系列店の一つなのだけど、置いてあるお酒の質が中々いいのよ」

 

「……それについては疑いようもないな」

 

 ヨーゼフは肯定して、目の前の空いたグラスを何気なく見やる。万が一にも毒を盛られる可能性を警戒してクロードと同じボトルから飲み始めたが、これが中々に美味でついつい酒が進んでしまった。特別酒好きというわけでもなく、更には味覚が消失しつつある自分でも楽しめる品質であるあたり、彼女の言葉に嘘はないのだろう。

 

「それに身内の伝手で、スタッフも信用できるメンバーを揃えてるから……『秘密のお話』をするのにも最適」

 

「……そちらはひどく疑わしいものだが」

 

 ヨーゼフは辟易としながら、周囲を見やる。遠目に出歯亀する淑女たちの姿が目に映った。

 

「問題ないわ。みんな聞き分けのいい子たちばかりだもの……そういうわけであなた達、仕事に戻りなさい」

 

「いやん! お嬢ったら殺生だわ!!」

 

「そーよそーよ! アタシたちだけ除け者なんてズルいわ!」

 

「恋バナするつもりなんでしょ! 恋バナ!!」

 

 ──聞き分けがいいとは。

 

 大ブーイングの中、そう思わずにはいられないヨーゼフ。一方、モニカは涼しい顔で「しないわよ」と付け加える。

 

「私たちが今日ここに集まったの、アーク計画のことだもの」

 

「「「「な~んだアーク計画かぁ~」」」」

 

「分かったら解散。恋バナはまた今度時間があるときにでもね」

 

「「「「はぁ~~~い」」」」

 

「……いや待ちたまえ。今何か、おそらく極めて重要な機密計画が一言で流されなかったかね?」

 

「ここのスタッフは全員、我々の協力者なので……」

 

 頭が痛そうに「というか一部は当事者です」と付け加えるクロードに、ヨーゼフはそれ以上何かを言うことをやめた。いちいち言及してはきりがないことを察したためである。

 

「それじゃあ、アイスブレイクはここまでにして……本題に入りましょうか、ベルトルト博士。今日足を運んでもらったのはその『極めて重要な機密計画』のことよ」

 

 そう言ってモニカは『アーク計画』の概要について話し始める。クロードによる補足も交え、一通りの説明を終えたのは時計の長針が一周する頃であった。

 

「なるほど。事情は分かった」

 

「ご理解いただけたようで何より」

 

 グラスに口をつけるモニカ。そんな彼女を横目に見ながら、ヨーゼフは眼鏡を押し上げた。

 

「それで……君たちの望みは何かね? まさか親切心から、計画の全容を明かしたわけではないだろう?」

 

「お察しの通りです、ヨーゼフ博士。私たちは貴方に、この計画へと加わってほしいと考えている」

 

 食い気味に答えたクロードに、ヨーゼフは表情を変えずに口を開く。

 

「なぜ私に?」

 

「広域制圧に優れた特性(ベース)、αMO手術を開発した知識と技量……挙げ始めればキリがないですが、私たちがリスクを冒してでも貴方を勧誘する理由はあなたの”人格”です」

 

「フ……これは傑作だな」

 

 ヨーゼフは思わず失笑する。

 

「私の経歴は知っているだろう? アダム・ベイリアルに勝るとも劣らん外道だ。実際、どこかでボタンを掛け違えていれば、そうなり果てていた未来もありえただろう。そんな男を指して“人格”とは……誰かと間違えていないかね? そうでないのなら、早急に睡眠をとりたまえ。疲労で正常な判断ができていないようだ」

 

「不要です。事態収拾後、丸一日睡眠はとりましたからね」

 

 どこか力の無い反論に、しかしクロードは毅然と返した。

 

「もともと、貴方の過去の経歴は知っていました。しかしヨーゼフ博士、私は今回の件を通して()()()()()()()()()。その上で、貴方を信用できる人間だと判断した」

 

「科学者らしからぬ判断だと思うがね。我々が共に過ごした時間は余りにも短く、根拠に乏しい」

 

「科学者ではなく、一人の人間としての判断ですから。それに過ごした時間は短くとも、その中身は平時の何倍も濃い。未曽有の危機を共に乗り切った同僚として、適切な評価だと自認していますよ」

 

「……そうかね」

 

 頑として譲らないクロードに一瞬、ヨーゼフは目を細めた。それはどこか、眩しいものを見るような目に似ていて……彼の口が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

「せっかくのお誘いだが、お断りさせていただこう」

 

 静かに、拒絶の言葉を。

 

「本業が忙しい身なのでね。あれこれと手を伸ばす余裕がないのが実情だ」

 

「……そうですか」

 

 どこか気落ちしたように告げるクロードの隣で、ヨーゼフはグイとグラスの中の液体をあおる。

 

「少々飲み過ぎたようだ。私はあまり酒には強くなくてね。おそらくこの話も、明日には忘れてしまっているだろう」

 

 計画について他言することはないと言外に告げ、ヨーゼフはクロードを見やる。

 

「これは酔っ払いの独り言だが、何か困り事があったら話したまえ。仕事の片手間でよければ、相談には乗ろう。そしてもしも、火星で君たちと肩を並べる状況になったのなら。その時には、全面的に協力させてもらおう。その理念に……未曽有の危機を共に乗り切った、一人の同僚として」

 

「……ありがとうございます」

 

 静かに頭を下げるクロードに、ヨーゼフは「礼を言われる程のことではないさ」と僅かに表情を和らげる。

 

「では、私はこの辺で失礼するよ。本国から報告をせっつかれているのでね」

 

「お忙しい中、時間をお取りいただいたことに感謝を。お会計はこちらで持ちます」

 

「では、お言葉に甘えさせてもらおう」

 

 ヨーゼフは席を立つと、そのままバーを後にする。その背を見送ると、モニカはクロードへと振り向いた。

 

「残念。フラれちゃったわね、博士」

 

「そうだね。ただ、なんとなくこうなるだろうとは思っていたよ。むしろ、多少なり彼の協力を取り付けられた事実は大きい」

 

 クロードは自らのグラスに口をつける。

 

「Mr.オースティンにはシモンが話を通したって。キャロルと任務に当たったMr.島原も、事情を知れば協力してくれるでしょうから……事実上、こちら側はこれで三人かしら」

 

 モニカは酒精にやや赤らんだ顔で、モニカは言う。

 

「『裏アネックス計画』は『アネックス計画』よりも後に立ち上がったプロジェクト。アネックスだけを想定して準備を進めてきた私たちに、今から団を追加編成する余裕はない。裏アネックス側をカバーするには内通者(コネ)が必要……伝手がなくて困ってたけれど、これならなんとかなりそう」

 

 空になったグラスを置くと、彼女は悪い笑みを浮かべる。

 

「あとは心置きなく(裏アネックスの)中に(人員を送り)出すだけね。(潜入員(サイドアーム)を)挿入(いれ)る準備をしなくちゃ」

 

「やめなさい、品のない」

 

 あきれ顔で窘めたクロードは、「ところでモニカ」と話題を切り替える。

 

「今更だが、よくスケジュールを空けられたね。事後処理の目途がある程度経ったのかな? それに、護衛は?」

 

「今日の予定には代役を立てて、明日に詰めたわ。さすがに、今回貧乏くじを引かせた一警護へのお礼に穴は空けられないし。護衛はナシ、お忍びよ」

 

 あきれ顔を渋面へと変容させたクロードに、モニカは「しょうがないでしょう」と悪びれずに返す。

 

「団長たちは下手に動かせないし、百燐お爺ちゃんも療養中。『7位』に頼む? 冗談じゃないわ。そもそもあの自由人、全然捕まらないし」

 

「そう言われると反論の余地はないが……あまり危ない橋は渡らないでくれ」

 

 重く息を吐きながら、クロードは言葉を続ける。

 

「槍の一族、フランス、アダム・ベイリアル……今回の件は彼らにとって、単なる前哨戦。()()()()()()()()()()()()()()()()。今は小休止……いずれ本格化する戦いは本格化する。それまでに、こちらも備えなければ」

 

「そうね。だからこそ、今日は私がここに来たの」

 

 彼の言葉に同意しながら、モニカは小型のタブレット端末を取り出した。液晶画面の上で数度指を滑らせると、そのままそれをクロードへと手渡す。

 

「はいこれ、最重要機密文書……さすがに、他の誰かに任せるわけにはいかなかったの。なにしろ、今まで私たちが相手にしてきた『アダム・ベイリアルを名乗る狂人たち』のヘンテコ技術とはわけが違う──」

 

 静かに、しかし食い入るように画面を見つめるクロード。

 

 

 

「──連中が初めて出した、正真正銘の尻尾だもの」

 

 

 

 ──アストリス・M・ニュートン。

 

 ──ヴォーパル・C・ロフォカルス。

 

 彼の視線の先にあったものは、回収された両者の細胞サンプルについての研究報告。即ち──『黒幕気取りの道化師』自らが創造した、未知なる技術の片鱗であった。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「失礼します。オリヴィエ様、希维様」

 

 時を同じくして、槍の一族の本拠地『神殿』。その最深部にあたる玉座の間に、一人の青年が足を踏み入れた。片眼鏡に白衣を纏ったその装いから、研究職の人間であることがうかがえる。

 

「やあ、フリッツ」

 

「お疲れ様っす、博士」

 

 会話を中断して出迎えるオリヴィエと希维に、青年──フリッツ・アードルングは軽く一礼で返した。

 

「例のサンプルの調査が完了しましたので、そのご報告に参りました」

 

「! そうか」

 

「そっすか」

 

 フリッツの言葉に、二人が返した反応は正反対であった。平素通りの微笑を浮かべながらも、未知の情報を前に科学者の好奇を抑えきれていないといった様子のオリヴィエ。

 

 逆にその隣に佇む希维は『できれば忘れておきたかったが、思い出したからにはやらなければいけないことを思い出してしまった』といわんばかりの、げんなりとした表情。その目は死んだ魚のようであった。

 

 先日、長期の任務を終えて疲労困憊で帰還した希维。彼女を真っ先に出迎えたのは、主による温かな労い……ではなく、黄緑の鱗を纏ったテラフォーマーによる襲撃だった。

 

 何やら時代劇のようなBGMと蛍光色のゴキブリが現れた時には真面目に思考が停止した希维だったが、その直後に彼らが一斉に襲い掛かってきたことで敵襲と判明。半ギレで返り討ちにしたのは記憶に新しい。なおその直後、通信で先の任務の失敗をアダムとエドガーに公表されたことも併せ、この件は彼女の『ザ・消したい記憶トップ10』にランクインした。

 

 一体残らず刻んで燃やそうとした希维だったが、オリヴィエがこれを制止。サンプルとしてフリッツが率いる研究部門に調査を依頼した……というのが、ことの次第だった。

 

「オリヴィエ様は楽しそうでいいっすね、オリヴィエ様は」

 

「新しい技術に触れるのは、いくつになっても楽しいものだとも」

 

 半ば八つ当たり気味に希维が言うが、言われた本人は言外の意味にまるで気づかない。彼は弾んだ声で続ける。

 

「先日のアダム君の中継は、衛星がハッキングされたせいで中断。ぐだぐだの空気のままお開きになってしまったからね。楽しみにしていたテレビ番組が野球中継で中止になってしまった時のような、悲しい気持ちだったんだ」

 

「…………そっすか」

 

 希维は心を無にする。この程度のことで苛立つのも、最早馬鹿馬鹿しい……ある種の悟りの境地であった。そんな二人に資料を手渡すと、フリッツが報告を始める。

 

「まずこれらの個体に組み込まれていたベースですが、分類上は“直接攻撃型”にあたるものでした」

 

 彼は手元のバインダーに閉じた紙の資料をぺらりとめくる。

 

「通常個体との比較では、筋量が約1.2倍。甲皮の上に発現した鱗の影響で、耐久力が若干上がっています。特殊化した翼での飛行速度は、おそらく自転車より若干速い(時速28km)程。他に手首にはフック状の鉤爪を出し入れする機構、口から顎が50cmほど飛び出すといった特性が確認されています。写真は15ページに」

 

「なんでわざわざ写真載せたんすか……うわ、シンプルにキショいっすね」

 

 言われるままにページをめくれば、希维の目に飛び込んでくるのは開いた嘴から盛大にせり出した歯茎と鋭い牙の写真。古典映画『エイリアン』に登場するクリーチャー、ゼノモーフのそれを彷彿とさせるが、歯肉の色は普通にピンクなので生理的な不快指数がとても高かった。

 

「うーん……なんというか、アダム君にしてはパンチが足りないね」

 

「オリヴィエ様、科学はパンチを求めるものじゃないっす……けど、確かに普通っすね」

 

 資料を一読した主の言葉にツッコミを入れつつ、しかし希维もその意見には概ね同意であった。

 

 テラフォーマーの強みともいえる基礎身体能力──筋力、耐久性、速度。これらが満遍なく強化されているため、弱いとは言わない。しかしアストリスやヴォーパルという強大な戦力を見た後では、どうしても霞む。

 

 “なんかショボくね? ”……主従二人の脳内に浮かんだ感想は、奇しくも同じであった。

 

「いいえ、お二人とも。問題はここからです」

 

 しかしそんな二人の考えを否定するように、フリッツは断言する。

 

「まずこれらのMO型テラフォーマーですが、細胞にツノゼミではなく別の甲虫が上乗せされていました。ツノゼミ類が担っていた基本強化に加え、優れた触角に由来する”嗅覚(センサー)”、脂肪体の増加による”持久力(スタミナ)の上昇”など、複数の特性が発現していましたが……中でも特筆に値するのが“単為生殖”と”急速成長”です」

 

 フリッツが資料を更に一枚めくる。

 

「20ページをご覧ください。以前報告した通りですが……研究中、死体(サンプル)のうちの一体の体内から()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ファッ!?」

 

 衝撃的な発言に希维は目を白黒させる。

 

「幼体は近くにいた研究員を攻撃し、三名が犠牲に。ちなみに現れた幼体は、私の方で鎮圧しました。22ページをご覧ください」

 

「わぁグロ……じゃなくてフリッツ博士。なんすかそれ聞いてないんすけど」

 

 自らのあずかり知らぬ場所で大事故が起きてることを知り、思わず真顔になる希维。

 

 怪訝そうに「オリヴィエ様にはご報告したはずですが」と首をかしげるフリッツ。

 

 鷹揚に「そんなことよりもフリッツ、続きを」と先を促すオリヴィエ。

 

「通常の個体は死に際に卵鞘を生むことがありますが、どうやらこちらは()()()()()()()()()()()()()ようです。そして親の死体は栄養源となり、幼体へと成長する頃に腹部の甲皮が解ける。そこから外へと出た幼体は、およそ48時間で成体になると見込まれます。そしてその体には、親のベースが遺伝する……緊急時でこれなので、有性生殖(通常の方法)なら、より多いでしょう」

 

「なるほど、量産型というわけだ。よくできている」

 

 納得したように頷くオリヴィエに、フリッツは何とも言えない表情を浮かべる。

 

「ここまでやる技術力がありながら、なぜメインのベースに、あの微妙な特性を据えたのか理解に苦しみます……それともう一つ。オリヴィエ様。先日、リンネお嬢様のご協力をお願いした件、覚えていらっしゃいますか?」

 

「ああ、そうだったね」

 

 思い出したようにオリヴィエは言う。彼の娘であるリンネは、非常に特異なベースを保有しており、その特性の一つに『他者の特性の取り込み』がある。

 槍の一族にとっての最重要人物に当たる彼女の特性は、平時であればただの調査研究などに用いるものではない。しかし今回に限っては話が別。

 

 なにしろ今までとは違い、()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()サンプルが研究対象。長い付き合いながらも未だに底を見せない、得体の知れぬ『友人』がもたらした望外の贈り物である。その一端を知れるならと、特例としてフリッツに許可を出したのだった。

 

「結論から申し上げます。()()()()()()()()()M()O()()()()()()()()()()()()

 

「────へぇ」

 

 それまでの珍品を面白がるような目から一転、オリヴィエの目は貪欲な研究者のそれへと変わる。

 

「興味深い……非常に興味深い話だよ。リンネ(あの子)がMOを取り込めないなんて、初めての症例だ。フリッツ、理由は分かっているのかな?」

 

「現時点では不明です──が、一つだけ仮説があります」

 

 フリッツは片眼鏡を静かにかけ直した。

 

「より正確には仮説ですらない、机上の空論レベルの与太話ですが……お聞きになりますか?」

 

「うん、聞かせてもらおうかな」

 

 オリヴィエの快諾。それを受け、フリッツは意を決して口を開く。

 

「お嬢様がMOを取り込めなかった原因は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。推測でしかありませんが、このサンプルに用いられたのは──」

 

 そして、彼は口にした。

 

 あまりにも馬鹿馬鹿しく、無茶苦茶な……しかし白衣を着た狂人(アダム・ベイリアル)であればやりかねない、そんな『仮説』を。

 

 

 

 ※※※

 

 

 

「ハハハハハハハ! アダム・ベイリアルめ、随分と未来を先取りしているじゃあないか!」

 

「やかましい」

 

 同時刻、フランス共和国エリゼ宮殿にて。執務室内に響いた客人の高笑いに、エドガー・ド・デカルトは苦言を呈した。

 

「それで、レオ。一応聞くが、この技術は再現できるのか?」

 

「ハハハ、何を当たり前なことを」

 

 雇い主からの問いに、その客人──レオ・ドラクロワはさも当然とばかりに答える。

 

『そんなもの、()()()()()()()()()()()()()

 

「! 貴方ほどの科学者であっても、ですか?」

 

 エドガーの傍らから口を挟むステファニーに、頭を一周する傷を持つその男は「ああ違う違う」と大げさに手を振って見せる。

 

「大前提として、その考え方自体が的外れだと私は言っているんだ。ステファニーくん。君、科学において最も大事な要素はなんだと思う?」

 

 不意にレオから投げられた質問。その意図を掴みかねながらも、ステファニーは一瞬考えこみ、それから頭に浮かんだ回答を口にする。

 

「……実用性」

 

「なるほど。実に君らしい、合理的な答えだ。だが違う。確かに大事な要素であることに間違いはないが、最も重要な要素はもっと別にある」

 

 ビッと人差し指を立て、レオは正解を口にする。

 

()()()()()。ある種の誠実さ、と言い変えてもいい」

 

「誠実さ、ですか」

 

 釈然としない様子のステファニー。そんな彼女をできの悪い生徒でも見るような目で見つめながら続ける。

 

「科学とは天才の閃きによって開拓され、大衆によって維持されるものだ。貧富の差も、知能の優劣も関係ない。条件さえ整えれば、誰がやっても同じ結果になる。だからこそ、科学には価値がある。極論を言えば()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ──それを踏まえて言わせてもらうがね。

 

 と、レオは俄かに声のトーンを落とす。

 

「──『これ』は断じて、科学ではない。あえて言えば芸術の類だ」

 

 そう、芸術。芸術ととらえていたからこそ、先ほどまでのレオは笑い転げていられた。だが、科学として見るのであれば話はまったく別。

 言葉を続けるレオの目は、心底冷めきっていた。

 

「私に『これを再現できるか?』という尋ねる行為は、印刷業者に『モナ・リザを描け』といっているようなものだと思ってくれたまえ。印刷の依頼ならいくらでも聞くが、写生は専門外だ」

 

 閉口するステファニーの隣で、エドガーが「ならば」と口を開く。

 

「質問を変えよう、レオ・ドラクロワ。貴様はこの芸術をどう見る?」

 

「クソ技術」

 

 間髪入れずに彼へと返されたのは、そんな回答だった。

 

「さっきの例を持ち出すが、これは『モナ・リザ』そのものだ。その発想はなかった、とは言うまい。これ以上のものは作れない、とも言うまい。だが……ヨーゼフ・ベルトルト。クロード・ヴァレンシュタイン。本田晃。そしてこのレオ・ドラクロワ。まぁ他にも世に天才と呼ばれる科学者はたくさんいるが、その誰にもこれは真似できない。例え現代で最高の画家を連れてきたところで、『モナ・リザ』そのものを描くことはできないように」

 

「……そうか」

 

 それだけを返すと、何やら思案顔で黙り込むエドガー。長くなりそうだとレオは肩をすくめると、詳細をまとめたタブレットをステファニーへと手渡しながら席を立つ。

 

「では、私は忙しい身なので失礼するよ……まぁどうしてもというのなら、気長に待つことだね。可能性があるとすれば、人類が絶滅するほど長い時間を経た後か、ラハブのような超文明の力を借りるかのいずれかになるだろうから」

 

 そう締めくくったレオは、エリゼ宮殿を後にする。

 

 復興が始まったパリの街並み。そんな風景の中、ラボへと急ぐ天才の頭からは、アダムの『芸術』のことなど綺麗さっぱり消えているのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 ──────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それぞれの決意と思惑を奏でながら、聖戦は幕を下ろす。

 

 重なり合った三重奏は余韻と共に分かたれ、重なり合った十字架はそれぞれの想いと共に別の道へ。

 

 しかし、彼らは決して忘れない。

 

 確かに同じ五線譜の上で、同じ時間を過ごしたことを。志を同じくしたことを。そして、肩を並べ背を預け、共に戦ったことを。

 

 いつの日かきっと、再び運命が交わる予感を胸に秘めて彼らは足を踏み出した。

 

 自分たちの未来──自らの手で奏でるべき、次の曲へと。

 

 

 

*1
断固拒否の咆哮

*2
イケメンモヤシオジさまの略




 ご観覧ありがとうございます。

 長かったコラボ編も次回(とオマケのプロフィール回)で最終回。完結まで実に7年(!!)。

 ここまでお付き合いいただいたししゃも様と逸環様、そして何より読者の皆様には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

 そして拙作のコラボ編、ぜひ最後までお楽しみいただければと思います。
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