贖罪のゼロ   作:KEROTA

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Route_IF-Armageddon(後編)

 

 

 

 ──エリゼ宮殿内部。

 

 

 

 白い壁に金の意匠が施された壁、レッドカーペットが敷かれた床。フランスという国家の歴史と格調高さを象徴するかのようなその回廊を、オリヴィエ・G・ニュートンは進む。

 

 背後に続く戦闘員の数は、希维を含め僅かに三人のみ。他の者は脱出経路の押さえや『騎士』の足止めといった理由から別行動をとっており、出撃時に比べその数を半分以下にまで減らしていた。

 

「初めてきたけれど、いいところだね」

 

 しかし、オリヴィエの足取りに重さはない。まるで観光でもしているかのような気楽さで、彼はのんびりと敵の本拠地を闊歩する。

 

「神殿とはまた違った趣があるなぁ」

 

「第二帝政期様式っていうらしいっすよ。なんでも、色んな建築様式のいいとこどりした手法だとか」

 

 隣を歩く希维(シウェイ)が、これもまた緊張感なく相槌を打つ。

 

「全体的な外観は絢爛豪華なバロック様式、ディティールは数学的な調和を重んじるルネサンス様式。反対に宮殿内の(ピラスター)や装飾なんかは、イオニア式やドーリア式……要はシンプルな統一感でまとめられてるっす」

 

 言いながら彼女はタン、と床石を靴底で軽く叩いた。

 

「床石は大理石。白いタイルがアプアン・アルプスの『カッラーラ大理石』、赤いタイルはフランス南部の『ルージュ・ド・フランス』らしいっす。ベルギー王室も御用達の逸品なんだとか。そこの燭台は名のある職人のオーダーメイド、あっちにあるのはロダンの彫刻……いやー、お金かかってるっすねぇ。目につくものだけで、おいくらユーロになることやら」

 

「おぉ。希维ちゃんさん、物知りだな」

 

 三人の内、肩に戟を担いだ巨漢が感心したような声をあげ、パチパチと拍手する。その賞賛を一身に受けながら、希维は「それほどでもあるっす」と得意満面に胸を張ってみせた。

 

「呑気だな、お前ら。緊張感ってもんがねぇのか?」

 

 気の抜けるやり取りに呆れたような声を上げるのは、三人の内最後の一人、トレンチコートを纏う傭兵だった。奇襲に絶えず気を配りながら、彼は言葉をつづける。

 

「その辺にしとけ……着いたぞ」

 

 そんな彼の言葉を肯定するように、先頭のオリヴィエが足を止めた。ふむ、と顎を撫でながら彼がしげしげと見つめるのは、上品な装飾が施された両開きの扉。

 

 

 

 ──エリゼ宮殿本館、“SALLE DES FETES(祝宴の間)”。

 

 

 

 それはかつて、宮殿の西棟に存在していた部屋。

 

 改築によって25世紀に本館へと移設されたその空間は、大統領の就任式や晩餐会といった公式の催事が行われる会場としての機能を持つ。

 

「……どうやら、ここで間違いないようだ」

 

 数秒の後、中の音へと耳を澄ませていたオリヴィエは確信と共に頷く。

 

「では諸君、行くとしよう」

 

 まるで気負いのない声でそう告げると、オリヴィエは扉へと手をかけ力を籠める。見た目通りの重厚な質感、その手応えと共に扉は左右へと開かれ──

 

 

 

 

 

 

 

「──来たか」

 

 

 

 

 

 

 差し込む照明の光の中から響く傲岸不遜な声が、彼らを出迎えた。

 

 宮殿内で最も広い空間でもある、祝宴の間。その奥のステージ上に用意された玉座を思わせる椅子には、一人の人物が腰掛けていた。

 

 

 

 ──エドガー・ド・デカルト。

 

 

 

 フランスという国家の頂点にして、この宮殿の主。その傍らには、フランス側の最高戦力たる『騎士』の面々の姿もある。

 

「余の国で随分と好き勝手してくれたようだな、泥人形」

 

 黒を基調とするスーツに身を包んだ彼は、祝宴の間へと入場するオリヴィエたちを睨みつける。

 告げるその声に、平時のような怒りの色はない。最早、そのような次元は超越しているのだ。

 

 今の彼がオリヴィエに対して抱く感情は、ただ一つ。

 

 

 

 

 

「よほど命が惜しくないと見える」

 

 

 

 

 

 純黒の殺意、である。

 

 

 

「!」

 

「おォ!?」

 

「チッ!」

 

 ひどく無機質な、しかし心臓を握り潰すかのような威圧と共に発せられる言葉。その強圧を前にした希维たちは、エドガーが指を一本たりとも動かしていないにも関わらず、反射的に臨戦の構えをとった。

 

「久しいね、エドガー君。こうして顔を合わせるのは、『痛し痒し(ツークツワンク)』以来かな……あれから三年が経つわけだけれど、どうだろう」

 

 吹き荒れる嵐の如き覇気を前に、平静を保っていられたのはオリヴィエただ一人。彼は無感動な笑みを浮かべると、自らにとっての最大の障害へと問いかける。

 

 

 

 

 

「──気の利いた遺言は思いついたかな?」

 

 

 

 

 

 泥のような凶気と悪意が滲む。静かにあふれ出したそれは、絶対的な支配者が放つ覇気を塗り潰し、拮抗状態にまで押し返した。

 

「いかがなさいますか、旦那様」

 

 いよいよ不機嫌そうに鼻を鳴らすエドガーに、騎士の一人──燕尾服と眼鏡が特徴的な女性が剣呑に問う。

 

「ご命令とあらば、首を献上いたしますが」

 

「不要だ。奴は余自らの手で始末する……侍従長、武器を」

 

 エドガーのその言葉に女性は頷き、彼に一振りの剣を差し出す。刀身には幾何学的な文様が刻まれ、柄には何かの装置と思われる複雑な機構を備えた、近未来的な意匠の西洋剣だった。

 

「さて、泥人形よ。元より歓談をするような仲でもあるまい。貴様如きにこれ以上の時間を割くのは惜しいのでな」

 

 エドガーは椅子から腰を上げるとそれを手に取り、正眼の構えでその切っ先をオリヴィエへと向ける。

 

「貴様が歩む楽園への道、この剣を以て余が直々に閉ざしてやろう。復楽園などありはしない。スペアはスペアのまま、ここで朽ち果てるがいい」

 

「──それはこちらの台詞だよ」

 

 応じたオリヴィエもまた、自らの得物を構えた。まるで鉄格子を編み上げたかのような、あるいは鳥籠を鋭く引き伸ばしたかのような形状の槍は、不気味に鼓動する肉塊をその内に納めている。

 

「串刺しにしてあげようとも、エドガー君。息絶えた君の臓腑をこの槍で抉り、その血の一滴までも私の糧とする……挑戦者は挑戦者のまま、志半ばに散るのがお似合いだ」

 

 いつかのように言葉を交わす両者。しかしかつてと違うのは、両者がモニター越しではなく、直接相対しているという点。不倶戴天の天敵は今、己の手が届く範疇にいる。

 

 

 

 そしてもし、神へ至らんとする者同士が相対すれば……両者は決して、分かり合うことはできない。

 

 

 

 人間とゴキブリが互いを嫌悪せずにはいられないように……彼らもまた、殺し合う運命にある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「では、始めよう」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──かくして、この星で最も熾烈な生存競争が幕を開けた。

 

 

 

 火蓋を切るのは、両陣営の大将同士の衝突。先手を取らんとほぼ同時に飛び出した両者は、丁度広間の中央でぶつかり合う。ホール内に金属同士を打ち合わせた音が高らかに響き、同時にそれを合図として戦況は一気に動き始める。

 

「よォし! そんじゃあいっちょ、ブチかますぜ!」

 

 その身に特性を発現させ、大地を蹴ったのは巨体の男だった。

 

 ジャージにTシャツという、およそ戦場には似つかわしくないラフな格好。しかしそれは決してふざけているわけではなく、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という自らの戦闘力に対する自負に由来するもの。

 

 ──その男は、槍の一族のとある研究によって生み出された失敗作である。

 

 本来であれば、即座に廃棄処分となるはずの彼が生かされている理由はただ一つ、『強いから』。その白兵戦能力はニュートンの一族と同等以上であり、ゲガルドの中ではトップクラスの身体能力を持つ希维すら、不意を突かれれば彼の一撃を躱すことはできない。

 

 彼こそは古代の中国において「人中にその人あり」と謡われた英雄の名を冠する男。血管が腕に浮きだすほどの万力を込め、歴史の残滓は戟を振り上げた。

 

「俺たる呂布の一撃、止められるか!?」

 

 

 

 

呂布奉先

”槍の一族『特記戦力』”

αMO手術ベース”???型”

―???―

 

 

 

 

「さすがに、通すわけにはいきませんな」

 

 当然のように敵方の大将首を狙い、猛進する呂布。その前に立ちはだかったのは、『騎士』のうちの一人である老紳士だった。

 

「“人為変態”」

 

 老紳士は短く告げると、自らの右腕に注射器を突き刺した。途端、高級スーツを突き破り、ベース生物の特性によって増強された肉体が露になる。

 

 全身を覆う真紅の甲皮は至る所に鋭いスパイクを生やし、更には全体に埋め込まれるように小さな結晶質の物体が散っている。その両腕に備わるのは、ククリ刀を思わせる湾曲した昆虫の大顎。

 

「 オ ラ ァ ッ ! ! 」

 

「フッ!」

 

 人体を容易く抉り穿つ威力で放たれる、呂布の一穿。それを静かな、しかし鋭い呼気と共に紅蓮の双刃で受け止め──紳士はそれを、押し返した。

 

「う、オッ!?」

 

 予想外の膂力に仰け反る呂布の眼前で、老紳士はすかさず反撃に転じる。胴部を目掛けて振るわれる二連の鋭撃を戟で防ぎながら、呂布は目を輝かせた。

 

「ハハ! 俺たる呂布を、力勝負で打ち負かすか! やるな、アンタ!」

 

「かの英傑にそう言っていただけるとは、恐悦ですな」

 

 互いの武器を弾き、火花と共に両者は飛び退く。間合いを取り直した老紳士は優雅に両腕の大顎を構え、現代に蘇ったかつての最強を見据える。

 

「呂布奉先が相手となれば、こちらも腕が鳴るというもの……胸をお借りするつもりで参りましょう」

 

 

 

 

 

コンスタンス・アベラール

”フランス共和国最高戦力『騎士/第一席次』/『共和国首相』”

旧式人体改造”バグズ手術”ベース

―???―

 

 

 

 

 

 

 猛々しく突撃を敢行した呂布と、それを迎え撃つコンスタン。その反対側で、音もなくエドガーへと魔手を伸ばすのは希维だ。

 

(あのエドガー様と言えど、さすがにオリヴィエ様と戦いながら私を捉えることは不可能。混乱に乗じて、オリヴィエ様を援護するっす──!)

 

 希维は素早く腰のホルスターから二丁の拳銃を抜き放ち、その銃口の狙いをエドガーの頭へと定める。だが真正面からの暗殺という彼女の暴挙に、誰も気づく様子がない。αMOとして組み込まれたベース生物が、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは体色を変化させ周囲に溶け込むなどという次元ではない。希维という存在にそもそも気付けなくなり、仮に気付いても道端の石以上の解像度で彼女を捉えることができない。

 

 現世との(つながり)(うすめる)、まさに隠密の権化とでもいうべき能力。不可視のヴェールを纏った今代ゲガルド家の当主は、その引き金を引いた。

 

 

 

 

希维・ヴァン・ゲガルド

”槍の一族『ゲガルド家当主』”

αMO手術ベース”???型”

―???―

+

MO手術ベース”???型”

―???―

 

 

 

 

 ──拳銃から弾丸が発射され、標的に着弾するまでの時間。僅かに0.1秒。

 

 ──人間が何かを『見て』『反応し』『体を動かす』までの最高速度、これもまた0.1秒。

 

 この時点で、希维が放った凶弾はエドガーに対する必中の一射となる。ましてエドガーは今、彼女の姿を捉えられていない。反応の起点となる『見る』ができていない時点で、それは外れるはずのない弾丸だった……が。

 

 

 

 

「させるとでも?」

 

 

 

 

 ──()()()()()()()()()()()()()0().()0()5()()

 

 

 

 

 射線上に割り込んだ巨大な大鎌が、希维の弾丸を弾き飛ばす。思いがけない迎撃に思わず目を丸くする希维。その眼前で、乱入者の視線が確かに希维を射抜いた。

 

「──そこですか」

 

「!」

 

 押し寄せる殺気に、希维は咄嗟に跳躍して間合いをとる。刹那、先ほどの大鎌が希维の前髪とその残像を薙ぎ払った。そのまま棒立ちになっていれば、今頃希维の体が上下に泣き別れていただろうことは想像に難くない。

 

「びっくりしたっす。ってうわ、プリティな私のおでこが露に!?」

 

 軽やかに着地した彼女は、その乱入者──先ほどエドガーと言葉を交わしていた燕尾服の女を見やる。

 

「で、なーんで分かっちゃったんすかね? オスカルちゃんの時と違って、バレるようなヘマはしてないと思うんすけど」

 

「さて、どうでしょう。生憎と、敵に手の内を明かすほど私は親切ではありませんので」

 

「そりゃ残念っす」

 

 肩をすくめながら希维が言う。しかしその言葉とは裏腹に、彼女は概ねアタリを着けていた。

 

(あの特性、カマキリか何かっすね。つまり立体視が使える……感知の種は十中八九、これっすね)

 

 カマキリの眼は昆虫類の中でも発達しており、人間と同様に立体視が可能な作りになっている。しかし本来、立体視は非常に脳への負荷が大きな機能。それをニューロン数100万程度*1のカマキリが使うためには、機能を削ぎ落し効率化していくことが必要となる。

 

 その結果として彼らが残したのが、動体検知という能力。彼らの立体視は動くものに限定して発揮され、人間ほど複雑に機能するものではない。

 

 先に述べた通り、希维の特性はあくまで存在感を希薄化するものであり、姿自体を消し去るわけではない。故に脳が彼女の存在を正しく認識ができずとも、何かが動いているという情報を認識することはできる。そしてそれが分かれば、周囲の状況から間接的に希维に気が付くことが可能。

 

「旦那様の宮を土足で荒らすこと、何人も罷りなりません。ましてその命を狙うなど、言語道断」

 

 ポニーテールを揺らしながら、女執事は眼鏡の奥の眼を細める。

 

「即刻、排除します」

 

 

 

 

セリーヌ・ジュワン

”フランス共和国最高戦力『騎士/第二席次』/『エリゼ宮殿侍従長』”

ESMO手術ベース”昆虫型”

―???―

 

 

 

 

 セリーヌはそう告げるや否や鎌へと変じた腕を構え、背中に生えた二枚の翅を広げる。そこに描かれた、黒い縞模様。その構造色がホール内の照明の光を受け……激しい閃光を放った。

 

「にょわあっ!?」

 

 不意を突かれた希维が間の抜けた声を上げる。眩しい光が瞳孔を貫き、彼女の視界が真っ白に染まった。

 

(現生種には見られない特性! 分かってたっすけど、やっぱりESMO(絶滅種)っすか!)

 

 一般的に、人間の動向が眩しい光に慣れる──いわゆる明順応を完了させるまでには、数秒から1分程度の時間を有する。無論、ニュートンの血筋である希维のそれにかかる時間は、常人よりも遥かに短いが……セリーヌにとってそれは、十分すぎる隙だった。

 

「死になさい、身の程知らず」

 

 一息で希维との間合いを詰めたセリーヌが言う。涼し気な表情の下に微かな、しかし確かな不快感をにじませながら。

 

「予備品如きに味方した、己の愚を噛みしめながら」

 

 そうして彼女は、鎌へと変じた右腕を振り下ろし。

 

 

 

 

 

「ちょーっと聞き捨てならないっすね、それは」

 

 

 

 

 

 その一撃は、希维が放った蹴りによって弾かれた。

 

「な──」

 

 躱されることは想定内だが、防がれることは想定外。微かに瞠目する騎士の目と鼻の先に、銃口が付きつけられる。

 

「身の程知らず? こっちの台詞っすよ……我が神に沈められる、小舟如きが」

 

 消音銃に特有の空気が抜けるような小さな音。銃口から飛散する硝煙で微かに髪を焦がされながらも、彼女は撃ちだされた弾丸は辛うじて避ける。

 

「ふーん……それなりにやるっすね。もしかして、親戚(ご同輩)っすか?」

 

 先ほどまでと変わらない同じ口調。だが、その言葉を紡ぐ希维の表情は一転して無表情。その目はまるで泥を丸めてはめ込んだかのように、無感動な光を湛えている。

 

「くっ……!」

 

 セリーヌはすかさず次撃を放つが、またも防がれる。返す刃、逆手の鎌……そのどれもが、機先を制するかのように初動を潰され、あるいは防がれる。

 

(速い! 身体能力や技術では説明がつかない反応速度──これもあの女の特性か!)

 

 それを理解した彼女が取った行動は、希维を目掛けて蹴りを放つ。それを察知した希维は、セリーヌの脚を踏みつけて妨害しようとする……が、直前で何かに気付いた彼女は大きく飛び退いた。

 

「鋭いですね。貴女が気付かなければ、これで決まっていたんですが」

 

 セリーヌが言う。ほぼ垂直に振り上げたその足は爪先から脛まで、鎌を組み合わせた義足のような形状へと変化していた。

 

「どうやら威力特化の形態は貴女と相性が悪いようで」

 

 その言葉と共に、両腕の形状が人間のそれへと戻っていき、代わりにその肘から大鎌が突き出す。変異を終えた彼女は、自らの腰の両側に差した鞘から二振りの剱を抜き放った。

 

「ここからは、スピードと手数特化でいかせていただきます」

 

「足も含めて六刀流、ってとこすか? 舐められたものっすね」

 

 希维はどこか苛立たし気な表情で吐き捨てる。

 

「そんな曲芸剣術で、私を倒せると思ってるんすか?」

 

「曲芸かどうかは、実際に確かめていただくのがよろしいでしょう──その身を以て」

 

 セリーヌは涼やかにそれを流し、剱を構える。六本の刀刃を前提とする独特のその構えは前後左右、あらゆる死角をカバーする堂に入ったもの。

 

「……上等っす。後で吠え面かかないことっすね」

 

 冷徹に告げた希维もまた瞬時にリロードを終わらせ、二丁拳銃をセリーヌへと向ける。

 

『神』に仕える者同士の対峙。瞬きほどの静寂の後──凶刃と凶弾は交差した。

 

 

 

 

「やれやれ……どーにも気乗りしないねぇ」

 

 ホール内で繰り広げられるそれぞれの死闘を尻目に、残った騎士──無精ひげの中年男性が口を開く。

 

「昨日呑み過ぎて二日酔いだし、さっき僕ん家に爆弾落ちたの見えちゃったし。しかも相手はむさいオッサンだし。どうせならあっちの可愛いコちゃんがよかったなぁ。はぁ、帰りたいねぇ~……まぁ帰る家が吹っ飛んだんだけども」

 

「……フランスの最高戦力(騎士サマ)の言葉とは思えねぇな」

 

 ぼやくように泣き言を漏らすその男に、対峙するトレンチコートの傭兵は警戒を解かずに言う。

 

「率直に言って意外だぜ。騎士ってのは、お堅い連中の集まりだと思ってたんだが」

 

「あっちの二人みたいにかい? まぁ間違っちゃいないよ。ただ僕はどっちかというと、騎士の中じゃムードメーカー担当さ」

 

 傭兵の言葉に、騎士は肩をすくめて見せた。

 

「見ての通り、僕は平和主義者でね。可愛い女のコ達に囲まれて、美味しいお酒とご飯を食べていたいだけの小市民なんだ。本当は殺し合いなんてしたくない。まして敵がαMO手術を受けた特記戦力なら猶更ね。だから──」

 

 そこで少し言葉を切ると、男は傭兵の眼を窺うように見据えた。

 

「ここは退いちゃくれないかい、()()()()()()()()()()()。オリヴィエ本人や他はともかく、君にはギリギリ酌量の余地がある」

 

「……酌量ねぇ」

 

 傭兵──ギルダン・ボーフォートは、男の言葉に思わず失笑する。その脳裏に思い浮かべるのは、彼にとってトラウマも同然の忌まわしい記憶。

 

 ──男も、女も、古参も、新入りも、実力者も、半人前。かつて共に視線を潜り抜けた広げた仲間たちが、凄絶な表情で事切れている。

 

 血に塗れ倒れ伏す第七特務の隊員たち。その中にただ一人佇むのは、自らを隊長と慕う彼らの大半を()()()()()()、その首を手土産にオリヴィエの傘下へと下った、浅ましく浅はかな自分自身だ。

 

「本気で言ってんなら……中々おめでたい奴だな、アンタ」

 

 その口からこぼれたその言葉には、彼の隠しきれない悔恨と虚無が滲んでいた。

 

「俺が何をしたのか、知らねぇわけじゃねぇだろ」

 

 

 

 

 

ギルダン・ボーフォート

”槍の一族『特記戦力』/『元U-NASA第七特務隊長』”

αMO手術ベース”昆虫型”

―???―

 

 

 

 

 

「知ってるさ。ただし君の場合、動機が動機だ」

 

 一方、男は調子を崩すことなく宥めるように言う。

 

()()()()()()()()()()()()()()。同じ父親として、至極当然の願いだと僕ぁ思うねぇ」

 

 ギルダンは思わず閉口する。男が口にしたのは、彼がかつての仲間たちを裏切りオリヴィエへと与した理由そのものだったからだ。

 

「なんで知ってる? って顔だね。なに、情報ってカードは、時に単純な戦闘力よりも重要ってことさ。しかも今回は、割と共感できる話題ときた……ま、僕ん息子(トコ)のはとっくに成人してるから、君と比べるのも少しあれだけど」

 

 苦笑交じりに、男は肩をすくめて見せる。

 

「そりゃね、組織を裏切るのはよくないことさ。実際ウチでやったら、粛清待ったなし。僕かシド君あたりが即日送り込まれる案件だろう。ただねぇ……今回君が裏切ったのはU-NASAで、殺したのは元同僚と元部下でしょ? 僕ら的には「で?」って話なわけ」

 

 男は困ったように頭を掻く。

 

「飼い犬のリードを握れなかった間抜けな飼い主が、自分の詰めの甘さで腕を食いちぎられた。これはそれだけの話。僕に言わせれば対岸の火事ってやつでしかなくてね。それに見たところ、今回の侵攻で君はウチの国民を一人も殺してない。だから今なら、ギリギリ君を見逃せるってわけさ」

 

 ピンと右手の人差し指を立て、男は続ける。

 

「どうだい、狂犬くん。ここは一つ、プライドを捨てて逃げちゃわない? 後始末は僕の方で上手いことやっとくからさ……君は息子さんの下へ帰れる。僕は君の相手をしなくて済む。ついでにこの戦いで僕らが勝てば、君に追っ手はかからない。WIN-WINだと思うんだけど」

 

「……悪いが、飲めない話だ」

 

 僅かな逡巡の後、ギルダンは力なく首を横に振った。

 

「こんな裏切り者のクソ野郎にもな、通すべき筋ってもんがある。それさえ捨てちまったら俺ァ……何のために生きてるのかすら分からなくなる」

 

 そう告げるギルダンは、まるで死に場所を求めているかのようだった。

 

「……そうかい」

 

 どこか憐れむような感慨と共に、男はため息交じりに零す。伏せたその目は、これから殺す相手に向けた哀悼にも見え──。

 

 

 

「残念だよ、本当に」

 

 

 

 ──次の瞬間、彼は攻撃を終えていた。

 

 目にも留まらぬ速度で投擲されたのは、透明なダーツを思わせる凶器。中に何かの液体が満たされたそれが複数本、連星のように連なってギルダンへと迫る。

 

「!」

 

 ギルダンがそれに反応できたのは、彼が一瞬たりとも眼前の男から視線を逸らさなかったからだろう。腕から生えた大顎でそれらを払えば、砕けた針から液体が飛散する。

 

(毒か!? 浴びるのは不味い!)

 

 直感的にそれを危険だと判断したギルダンは、コートを翻して飛沫を防ぐ。そのまま一息に男との距離を詰めた彼は、喉を掻き切らんと腕に形成された凶器を繰り出す。

 

「おっと! 物騒だねぇ」

 

 それを拳鍔(ナックルダスター)を装着した拳で食い止めながら、男は飄々と呟く。警戒を怠っていなかったにもかかわらず、いつの間にか変態を終わらせていたその姿を、ギルダンは注意深く観察する。

 

(額から突き出した棘状の角、顔面に浮き出た花みたいなタトゥー(紋様)、肌には緑や紫の脈……植物型か?)

 

「おぉ、さすがは『無双』と名高い傭兵だ」

 

 その鮮やかな身のこなしに、騎士はマイペースに軽口を叩く。

 

「いやぁ、怖いねぇ」

 

「そりゃこっちの台詞だ。平和主義者じゃなかったか?」

 

「平和主義者さ。ただ不戦主義者ってわけじゃあないんでね……和解できないなら、殺すしかないじゃない」

 

 全くトーンの変わらない調子で言いながら、男は反対の拳を繰り出した。袖口に仕込んだ金属の板でそれを防ぎ、ギルダンは微かに眉を顰める。

 

(重い……直接攻撃型じゃねぇってのに、大した膂力だ)

 

 仕切り直すために距離を置くギルダン。そんな彼の前で、男は諦めたように長い溜息を吐く。

 

「男が一度決めたことに、外野があーだこーだと口を挟むのも野暮ってもんだ。だからまぁ、君がそういうんじゃ仕方ない──」

 

 男は両手の指の間に新たに針状の凶器を握り込んだ。

 

「死んでもらうよ、ギルダン・ボーフォート。息子さんには悪いけどね」

 

 ただの一本でも身を掠めれば、それだけで命を落とすほどの劇毒が込められた、致死の凶器を。

 

「ああ、そうそう。個人的にはそのまま動かないことをオススメするよ。見ての通り、僕の特性は手加減できるタイプのやつじゃない」

 

 男はそれをダーツのように構えながら、付け加えるように告げる。

 

「狙いが逸れると、即死できるものもできなくなるんでね」

 

 犬を殺処分するような冷徹な目で、かつての猟犬を見つめながら。

 

 

 

 

ジョルジュ・ル・ジャンドル

”フランス共和国最高戦力『騎士/第四席次』”

”フランス共和国国家憲兵隊『対MO手術被験者特殊作戦群総隊長』”

MO手術ベース”植物型”

―???―

 

 

 

 

 

 

「どうやら、君の部下たちはしばらく手が離せないようだ」

 

 配下が繰り広げる戦闘を横目に、剣の一閃を受け止めたオリヴィエが口を開く。

 

「今際の際が近付いてきたんじゃないかな?」

 

「ああ……貴様のな」

 

 対するエドガーは、剣を握る両腕に一層の力を込める。

 

 ここに至るまでに幾度かの打ち合いを経ているものの、両者とも未だその体に傷はない。オリヴィエの槍がエドガーの体を貫くことも、エドガーの剣がオリヴィエの体を切り裂くこともなかった。

 

「元より貴様を殺すのに、騎士たちの援護など不要。余一人で事足りる」

 

「ふむ……いかにも、身の程知らずの挑戦者らしい言葉だ」

 

 だが、ここまでのやり取りは所詮前哨戦。相手の力量や出方を図るための様子見に過ぎない。戦いのギアは、これより加速を始める。

 

「その余裕がいつまで続くか、見物だよ」

 

 先に仕掛けたのは、オリヴィエだった。

 

 自らの上体を覆っていた布の衣類、トーガ。脱ぎ捨てたそれを目眩ましのように大きくはためかせ、オリヴィエは死角から槍の刺突を繰り出す。

 

「フン、下らん小技を」

 

 対するエドガーは、これを意にも介さない。呆れたように鼻を鳴らした彼は、その穿撃を手中の太刀の腹で受け止める。これまで同様に完璧な対処。

 

 だからこそ、()()()()()()()()()()オリヴィエは笑みを深め。

 

「君なら、そう来るだろうと思ったよ」

 

 瞬間──格子状の槍身から、肥大した肉塊が氾濫するように外へと溢れ出す。

 

「!」

 

 肉塊は無数の透き通った触手へとその姿を変じるや否や、すぐさまエドガーの太刀へと絡みつき、その動きを封じた。一方、拘束に参加しない触手たちはその尖端に鋭い毒針を構えながら、その鎌首をもたげて狙いを定める。

 

「さて。どうする、エドガー君?」

 

「……不敬者めが」

 

 オリヴィエの言葉に、渋面のエドガーが返す。それと同時、牙を剥いた毒蛇たちが一斉にエドガーへと襲い掛かり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰が余の剣に触れていいといった?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 突如現れた光輪が、その到達を阻んだ。

 

「おや」

 

 宙を舞うゼリー状の触手の残骸たち。オリヴィエがそれを知覚する頃、彼の左腕は烈光によって切り飛ばされていた。

 

「ふむ、これは……」

 

 次いで首を狙って放たれるは、光の刃による一閃。どうやら先ほどの光輪は、これを高速で振るったがために現れたもののようだった。

 

 辛うじてそれを受け止めた右腕の槍が、先ほどまでとは一線を画す巨大な火花を散らす。地に落下した触手や己の腕が断面からプスプスと煙を上げ、焦げたような臭いを周囲へと漂わせていた。肩の傷口は断面が焼き付き、一滴も血が流れていなかった。

 

(刀身の超高温化。摂氏は体感3000度ほど……これがエドガー君の専用武器か)

 

 長時間打ち合えば、こちらの武器が破損する。そう判断したオリヴィエはエドガーの光刃を受け流し、距離をとるように後方へと飛び退いた。

 

「はて。余裕がどうのと宣っていたはずだが……どうやら、余の聞き間違いだったらしい」

 

 体勢を整え直すオリヴィエの眼前、悠然と光剣を一振りしたエドガーはせせら笑う。

 

「随分と安い神もあったものだな、オリヴィエよ。その程度か?」

 

「まさか。本番はここからさ」

 

 宿敵の挑発を一笑に伏したオリヴィエは左腕を再生させ、変態薬を取り出した。

 

「予定より少し早いけれど……お披露目と行こうか」

 

 エドガーにとって、見慣れない形の変態薬。オリヴィエはそれをためらうことなく、自らの体に打ち込み。

 

 

 

「私が手にした、禁断の果実──その真髄を」

 

 

 

 ──そして、変質が始まる。

 

 

 

 尾骶骨が伸長し、現れるのは一本の尾。オリヴィエのαMO手術のベースとなった生物の外見特徴であるそれは、「尻尾」という単語から連想する犬やトカゲのそれとは違い、どこか無機質で機械的なもの。

 

 その右腕は銀灰色の金属片で形成された手甲に覆われ、一度解けた左腕は無数の細い触手が絡まり合うことで再構成される。

 

 腰を突き破り飛び出す、頭足類のそれを思わせる複数の触手。螺子のように歪に捻じれた触腕の先端には人間の手が形成され、薄く体毛が生えている。

 

 眼前の敵を見据える左眼球に刻まれるのは、まるで夜空に散らばる星を思わせる無数の瞳。

 

 その背からは羽根の一枚一枚がまったく異なる生物のそれで象られた、一対の異形の翼が姿を見せた。

 

 燕の、梟の、鷹の、鷲の、鵯の、駒鳥の、鴎の、鸚鵡の、鵜の、鶉の、鶯の、鵲の、目白の、鴨の、川蝉の、雉の、鵠の、鸛の、鷺の、鴫の、雀の、鵆の、鶸の、鶫の、鶴の、鳩の、雲雀の、鵯の。

 

 蜻蛉の、虻の、蠅の、蜉蝣の、蛾の、蝶の、蟷螂の、螽斯の、螻蛄の、鍬形の、蟋蟀の、蜂の、玉虫の、七節の、飛蝗の、蛍の、椿象の、天牛の、蚊の、水黽の、金亀子の、筬虫の、蟻の、蝉の。

 

 ただ一つとして同じ形のない羽吹雪が舞い散り、その手に携えた格子状の槍は内より溢れた肉塊を以て目まぐるしく生物の器官を形成し続ける。

 

 

 

 新たなる神の生誕を言祝ぐかのように。

 

 

 

 ──禁断の果実。

 

 それはかつて人類が暮らしていたエデンの園に存在した、二つの果実を指す言葉。人類はこのうち『知恵の果実』を食べたことで善悪の知識を手に入れ、そして楽園を追放された。

 

 そうして青き命の星にヒトが満ちて、幾星霜。ついに一人の男が、もう一つの果実を手にした。

 

『生命の果実』。それを食した彼は、かつて神が懸念した通りに、全能に等しい力を手に入れた。

 

 

 

 ──もしも神に誤算があったとすれば。

 

 

 

 それはヒトという生物が、長い生命の歴史の中でその純粋さを失っていたことに他ならない。

 

 かつてエデンという揺り籠の中で神の寵愛を一心に受けた、赤子のように無垢な人類は最早いない。善を知り悪を知った彼らは「より善いもの」を求め、道具を、社会を、技術を、規範を、そして自分たち自身を改良し続けた。

 

 改良して、改良して、改良して、改良して、改良して、改良して……その果てに生まれ落ちた、たった一滴の汚点(エラー)

 

『生命』と『知恵』。

 

 禁じられた二つの果実を唯一口にした異端なる人類は今、最新最悪の神としてこの世に新生する。

 

 

 

「別れを告げるといい。この星の、全てのものに対して」

 

 

 

 この星に住まう全生命体と、その理。それら全てを解しうる全知の力を発現させたオリヴィエは、邪悪さと神聖さの両方を纏いながら、異形の瞳孔でエドガーを見つめた。

 

「君という存在を排し──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私が、唯一絶対の神となる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オリヴィエ・ゲガルド・ニュートン

”槍の一族『始祖』/『神の泥人形(スペア)』”

αMO手術ベース”細菌型”

―■■■■・■■■―

+

MO手術ベース”哺乳類型”

―ヒト/発生初期胎芽―

 

使用武器:生体器官複合型重機械槍

『ペルペトゥム・セフィロート』

+

脳神経接続型量子通信装置

定足感知(クオラム・センシング)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──知恵の果実(ヒト)

 

 

 

 

 

 

 

 ──生命の果実(■■■■・■■■)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──淵澱の造物主(オリヴィエ・G・ニュートン)萠芽(ジャーミング)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──薄気味の悪い姿になりおって」

 

 悪態を吐きながらも、剣を握るエドガーの手には無意識に力が込もる。生物としてありえざる容貌、その身に発現する明らかに複数の特性。その異様さに本能的な嫌悪と警戒を抱いた彼は、油断なくその姿を見据える。

 

「そうかな? 私は──」

 

 そして、ただ一度の瞬きの後。

 

「──美しい姿だと、自認しているのだけどね」

 

 オリヴィエはエドガーが反応する間もなく彼の目と鼻の先、己の槍の間合いにまで踏み込んでいた。

 

「できれば、すぐには死なないでおくれ。貴重な検証の機会なんだ」

 

 ゆるりと言うや否や、穢殿の王は蠢く異形の槍を振り抜いた。先ほどと同じように、しかし先ほどまでとは桁違いの速度で。

 

「ッ!!」

 

 エドガーがそれに反応できたのは、血筋に裏打ちされた身体能力と日頃の鍛錬の賜物であったというほかない。もしもオリヴィエに対峙していたのが彼以外だったら、この一合で勝負はついていただろう。

 

 咄嗟に上体を逸らし、穂先を回避する。しかしその頃にはエドガーの眼前にオリヴィエの姿はない。

 奴はどこへ消えた? そんなエドガーの疑問に答えるように、背後から繰り出された槍が彼の肩口を抉る。振り向きざまに光剣を振るうが、その刃はただ虚空を裂くばかり。

 

「おや、どこを狙っているのかな?」

 

 その真横で佇みながら、オリヴィエはエドガーの耳元で囁いた。

 

「私はここだよ」

 

 ──MOベース、細菌型“Methanocaldococcus(メタノカルドコックス) jannaschii(ヤンナスキイ)”。

 

 深海2600mの熱水噴出孔に棲息する、超好熱性のメタン菌である。モデル生物としても知られるこの生物は高い遊泳能力を持ち、その最高速度は実に体長の600倍弱もの距離を一秒の内に移動する程。

 

 ロドリゲスへと下賜された“ブデロビブリオ”を遥かに凌駕する速度を発揮する、強力な特性。しかしそれは、今のオリヴィエがその身に宿す()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──!」

 

 吐き捨てたエドガーが三度振るった剣。オリヴィエはその刃を、右腕に発現した銀灰色の金属装甲で以て受け止めた。

 

 ──MOベース、細菌型“Halomonas(ハロモナス) titanicae(ティタニカエ)”。

 

『鉄バクテリア』と呼ばれる内の一種であるその細菌は、鉄イオンを素材として酸化鉄の殻を生成し、これを纏うことで知られている。

 特にこの生物は、その名の由来となった沈没船『タイタニック号』を急速に分解する高い鉄還元能力で知られ、有識者によれば5万トンの鉄塊を完全に腐食させきるまで僅か200年ほどの時間しかかからないという。

 

(防がれた? いや、それ以前に──)

 

 衝突の振動が脳へ伝わるまでの刹那の間に、エドガーは素早く、しかし冷静に思考する。

 

()()()()()。生体金属如きで余の刃を留めるなど、絶対に不可能なはず)

 

 そう、ありえないはずなのだ。

 

 高熱化したエドガーの西洋剣の刀身の温度は、実に3000℃強にまで達する。金の融点が1064℃、鉄の融点が1536℃、マグマの温度でさえ精々1300℃程度と言えば、その規格外さが分かるだろうか。

 

 これほどの超高温が自然界において発生することはまずない。必然、そのような超高温に耐えうる生物など、地球上には存在しないのだ。

 

「そう驚くほどのことじゃない。プラズマ級の高温に耐えられる生物はいなくても、耐えられる物質なら地球上に存在するだろう? そしてその物質にかかわり深い生物も、探せばいるものさ」

 

 刃を振り払い、オリヴィエは悠然とほほ笑む。

 

「融点3400℃──重金属“タングステンの鎧”。それを纏わせれば、君の斬撃を数秒受け止めるくらいはわけもない」

 

 ──MOベース、細菌型“Pseudomonas(シュードモナス) saccharophila(サッカロフィラ)

 

 微生物を利用した環境浄化(バイオレメディエーション)において、研究対象となっている生物の一種。

 この菌はタングステン酸ナトリウム水溶液に対して高い除去能を示し、単なる除染のみならずレアメタルの回収に役立てられる可能性があるとして研究が進められている。

 

「……!」

 

 形勢の不利を悟ったエドガーは、仕切り直しのために後退を選択する。しかし、それを黙って見過ごすオリヴィエではない。

 

「逃がさないよ」

 

 無機質な殺意に鳴動するように、左腕の結束が緩む。幾本もの触手状に分裂した腕は、その一本一本から音速をも超える速度で何かを発射する。

 

 ニュートンの動体視力でさえ、その速さに反応することは不可能。

 

 エドガーができたことといえば、近くにあったテーブルを攻撃寸前にオリヴィエへと向かって蹴り飛ばすことのみ。しかしその努力をあざ笑うかのように、それは射線上のテーブルを粉砕した。

 

「ぐ……!」

 

 その先にいたエドガーの顔に苦痛が滲む。足や腕に食い込んだそれを、筋肉の隆起で傷口から体外へと押し戻せば、カラコロと地面に転がったのは黒い弾丸状の金属片であった。

 

 ──MOベース、細菌型“Desulfovibrio(デスフォルビオ) magneticus(マグネティカス)”。

 

『マグネトソーム』と呼ばれる、磁性を帯びた硫化鉄の細胞小器官を有する細菌。本種の場合、マグネトソームは弾丸のような形状になっているという。

 

「老婆心で忠告しておくけれどね。戦場で止まってはいけないよ、エドガー君」

 

 そんなエドガーへ咎めるように、宥めるように、そしてせせら笑うよう言いながら、オリヴィエは彼を指さした。

 

 触手を収束させた左腕と、先ほど切り落とされエドガーの背後に転がるもう一本の左腕で。

 

 

 

「どうぞ殺してくださいと、言っているようなものだ」

 

 

 

「ッ──!?」

 

 点と点、二本の指を繋ぐように紫電が奔る。雷速で放たれた攻撃は回避の暇を与えず、エドガーの体を灼いた。

 

 ──MOベース、細菌型” Geobacter(ジオバクター) sulfurreducens(スルファレデューセンス)”。

 

 本種を含む嫌気性細菌のいくつかは代謝の際に電流を発生させ、その特性から燃料電池の素材として注目を集めている。

 2025年に日本のとある研究プロジェクトで発見されたこの種の近縁株は、発電細菌の中でも特に多量の発電を行う『スーパー発電細菌』の可能性があるとして学会に報告がされている。

 

「旦那様ッ!」

 

「アッハハ! よそ見してていいんすかぁ!?」

 

 主人の危機に、セリーヌが焦燥の悲鳴を上げる。しかし彼女が駆け付けようにも、対峙する希维がそれを嗜虐的に妨げ、救援を許さない。他の騎士たちも似たような状況で、誰もが閃光の中で焦がされていくエドガーをただ見ていることしかできない。

 

「こんなところかな」

 

 オリヴィエが電撃を止めれば、そこにはボロボロになったエドガーの姿。破れたスーツから覗く肌は見るも無残に焼け爛れ、ブスブスと音を立てながら白い煙を噴き上げている。

 

 それでも王者の意地か無様に斃れることはしないエドガーへと、オリヴィエはにこやかに語り掛ける。

 

「気分はどうだい? ああそれとも、もう聞こえてはいないのかな?」

 

「……なる、ほど」

 

 戯れのようなその問いに答えることはせず、エドガーは静かに口を開く。

 

「読めたぞ、オリヴィエ。貴様の特性が」

 

「……へぇ。せっかくだし、聞かせてもらおうか」

 

 面白がるように、オリヴィエは続きを促す。あえて獲物を前に舌なめずりをするようなその行為を裏打ちするのは、己の力への絶対的な自負か、あるいはこれから死ぬ宿敵へ対する最後の情けか。

 

 そんなオリヴィエを静かに睨みながら、エドガーはその解を口にする。

 

 

 

「『遺伝子の水平伝播』──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それが貴様の特性だな?」

 

 

 

「ご名答。さすがはエドガー君だ」

 

 ピタリと真実を言い当てた挑戦者に、泥人形は形ばかりの賛辞を手向けた。

 

 通常、多くの生物の遺伝子は親から子へ、子から孫へと『垂直方向』に継承されていく。しかし自然界では時に個体同士、あるいは別生物間という『水平方向』で遺伝子の移動が起こる例がある。この現象を『遺伝子の水平伝播』という。

 

 特にミクロの世界において、この生理現象の影響は顕著。一部の細菌はこれを能動的に用いて周囲の遺伝子を取り込み、世代を経ることなく自らを進化させていく。

 

 その特性がもしも、MO手術によって人間の体に組み込まれたのならば──それは最早、尋常の生物と呼べるものではない。

 

「この星に存在する、あらゆる生命。その理を識ることができる、全知の力。それこそが、私のこの特性の本質さ」

 

 遍く命を飲み干し、究極の生命へと至る『全にして一』なる存在と成るだろう。

 

 

 

「もっとも、今更理解したところで手遅れだけどね」

 

 

 

 オリヴィエの嘲るような言葉と共に、彼の腰から生える触腕が一斉に掴みかかった。何mも離れているはずのエドガーへと、目にも留まらぬ速さで触腕そのものを伸長させながら。

 

 ──MOベース、繊毛虫型“ロクロクビムシ”。

 

「くっ……!」

 

 迎撃の態勢をとろうとするエドガーだが、その動きはどこかぎこちない。運動失調、麻痺、冷温感覚の反転……明らかに電撃以外の要因による、身体の異常。それをぬるく見守るオリヴィエの体は所々に赤緑の模様が浮かび上がり、表皮を通じて体外に何かの気体を放出していた。

 

 ──MOベース、藻類型“シャットネラ”。

 

 強烈な異変に抗いつつも体に鞭打ち、エドガーは異形の手による組み付きを巧みに避け、あるいは受け流す。電撃と毒を受けた満身創痍で、なおオリヴィエのその攻撃を捌き切る手腕は流石の一言に尽きる。

 

 だが、彼をつけ狙う悪意は執拗だった。

 

 躱し、あるいは弾いたはずの触腕たちはすぐさま軌道を変え、再びエドガーへと向かう。変幻自在の柔軟性で襲い掛かるその姿は、まるで一本一本が意思を持つ悪魔のよう。

 

 ──MOベース、軟体動物型“マダコ”。

 

「次から次へと……!」

 

 予想だにしなかったその挙動に虚を突かれながらも、エドガーの判断は早かった。

 

 切り落とさない限り、この攻撃は続く。そう判断した彼は剣を振るい、しかしその刃はただの一本たりとも触腕を断ち切ることはできない。

 

 平時の何倍もの精度に拡張させた時間知覚と、対象の動きを的確に捉える動体視力。この二つを発現させたオリヴィエにとって、今のエドガーの攻撃を躱すことなど赤子の手を捻るよりも容易なことだった。

 

 ──MOベース、哺乳類型“ドブネズミ”。

 

 ──MOベース、哺乳類型“イエネコ”。

 

「ッ」

 

 巧みに反撃を逃れた腕々は今度こそ彼の体を捉える。その手指は赤茶の強靭な鉤爪に変化し、本来は樹皮に突き立てるそれを釣り針のようにエドガーの肉体へ食い込ませた。決して逃がさないと、言外に標的へ告げるかのように。

 

 ──MOベース、昆虫型“オオキバウスバカミキリ”。

 

「さて、名残惜しいがそろそろ終幕としよう」

 

 晴れやかな声と共に、触腕たちは本体の下へと勢いよく引き戻される。当然エドガーは拘束を解こうと力を込めるが、抵抗は無意味に終わる。触腕に込められた力はあまりにも強く、いかにニュートンの屈強な肉体であろうと、生身で抗えるようなものではなかったからだ。

 

 ──MOベース、昆虫型“チャイロクチブトカメムシ”。

 

 ──MOベース、昆虫型“ヒゲナガカメムシ”。

 

「君に相応しい幕切れを用意したよ、エドガー君」

 

 まるで収納スイッチを押したメジャーのように、勢いよく自らへと引き寄せられるエドガー。そんな彼に、オリヴィエは薄くほほ笑み。

 

「磔だ。気に入ってくれると嬉しいな」

 

 次の瞬間、その腹を突き破って無数の穂先が飛び出した。

 

 

 

 ──“■■■の魔槍”。

 

 

 

 細菌学において『分泌装置』と呼ばれるその構造体は、形は違えども多くの細菌に備わる器官。この生物は体内のタンパク質を合成し、時に菌体以上の長さにまで伸長する針状の分泌装置、“VI型分泌装置”を作り出す。

 

 分泌装置は一般的に、自らの毒を標的の細胞に効率よく打ち込むことで感染を広げることを目的として機能するもの。しかし、この生物が造り出す“VI型分泌装置”に限って言えば、その用途は別に存在する。

 

 即ち、その用途とは“交戦”。

 

 それは競合相手となる他の細菌を抹殺するための、純粋な殺傷兵器。旧石器時代の人類がマンモスを狩るよりもずっと前から、この細菌は同族を殺すためにこの凶器を用いていた。

 

 そしてそれは人間大となり、異端の人類(ニュートン)の身に宿ろうともその役割を違うことなく。

 

「がッ──」

 

 ──今、同族(ニュートン)の肉体を貫いた。

 

 全身に空いた無数の穿孔から血を噴出し、抉れた頭蓋から脳漿をまき散らしながら崩れ落ちるエドガー。それを見下ろすオリヴィエの下へ、戦いを終えたエインヘリャルたちが集結する。

 

 ──老紳士の首級。

 

 ──女執事の射殺体。

 

 ──軍人の欠損死体。

 

 各々の戦果を、その手に収めながら。

 

「おやすみ、エドガー君」

 

 オリヴィエ・G・ニュートンは愚かな挑戦者へ、囁くように告げた。

 

「君の死体は数万年経後、化石になった頃に発掘してあげよう」

 

 無感動な嘲笑を冥途の土産として手向け、そして──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「オリヴィエ様、後ろっす!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──鼓膜を貫く部下の警告に、()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

Bonjour(おはよう)、オリヴィエ・G・ニュートン」

 

 

 

 

 小馬鹿にするような声が、背後から響く。今しがた己の手で下したはずの男の声。だがオリヴィエがそれに反応するよりも早く──突き立てられた炎の剣が、オリヴィエの胸を焼き抉る。

 

「──いい夢は見れたか?」

 

 驚愕に目を見開くオリヴィエの胸から剣を引き抜くと、エドガー・ド・デカルトは返す刃でオリヴィエの右翼を切り落とした。咄嗟の反撃に振るわれた尾の一撃を悠然と躱すと、彼はそのまま胴体へ蹴りを放つ。

 

「──っ!」

 

 柔らかい腹に叩き込まれたその威力に、オリヴィエは大きく吹き飛ばされる。クルリと一回転して片膝を地面についた彼の口から、ゴポリと血が溢れた。

 

(! エドガー君の死体がない。これは……)

 

「余を差し置き、神にならんとする傲慢。その罰として片翼を失い、地に膝をつく……クハハハ! なんともお似合いの姿じゃあないか! 中々絵になっているぞ?」

 

 自らを襲った不可解な事態にも取り乱すことなく、落ち着いて状況を分析するオリヴィエ。そんな彼の眼前、エドガーはこれまでの意趣返しとばかりに嗤い、床に落ちた異形の翼を革靴で丁寧に踏みにじった。

 

「専属の画家にでも描かせて、宮殿のエントランスに飾ってやりたいほどだ」

 

 嘲るようにそう告げてから、エドガーは「もっとも」と語調を切り替える。

 

「αMOを潰されても死なんゴキブリ並の生命力には、さすがの余も驚嘆せざるを得んがな」

 

「……それはどうも、と言っておこうかな」

 

 トーンの落ちた声で返すオリヴィエ。炎の剣によって付けられた胸の傷は、既にじわじわと修復が始まっている。オリヴィエのもう一つの手術ベースたる“ヒト”。その胎芽に由来する“分化多能性”によってなしうる業だ。

 

 ただし、αMOは本来どれほど高い再生能力を有していようと修復できる部位ではない。それを可能とするのは、ベースとなった■■■の特性で後天的に埋め込まれた臓器と完全に融合し、これを自らの一部として肉体が認識しているから他ならない。

 

 生命の果実(■■■)知恵の果実(ヒト)。その二つを食らった(取り込んだ)彼だからこそできる、反則技だった。

 

(……とはいえ、少し不味いな)

 

 左腕で口元の血を拭うオリヴィエ。表情には決して出さないが、その内心には昆虫の生存本能のような、無機質な焦燥があった。

 

(ただ壊されたならともかく、今の攻撃でαMOの7割が焼失してしまった。炭化した臓器の修復には、さすがに時間がかかる……それに肋骨が数本と、いくつかの内臓も損壊したようだ)

 

 戦闘できるほど回復させるには、時間を要する。冷静に結論を下したオリヴィエは、ゆっくりと口を開いた。

 

「……正直、少し意外だったよ」

 

「?」

 

 怪訝そうな表情を浮かべるエドガーに、オリヴィエは続ける。

 

「君のベースの話さ」

 

 ゆったりと、相手を己のペースに引き込むように。彼は言葉を紡ぎ、語り掛ける。

 

「幻覚作用のある毒」

 

 先ほど確認した通り、床に転がっていたはずのエドガーの死体は周囲の血痕ごと消えていた。何らかの特性で再生・蘇生したとしても、負傷の痕跡さえ焼失しているのは不自然。よってオリヴィエは、自らが幻覚を見せられていたのだと判断する。

 

「私を吹き飛ばすほどの脚力」

 

 オリヴィエのすぐ背後には、ホールの壁があった。先ほどまで立っていた位置からこの場所までの距離は、およそ10m弱ほど。これもまた特性によるものだろうと、オリヴィエは断定した。

 

「いかに君が一族の中で完成度が高い個体だしても、さすがに生身の人間にできる芸当じゃない。そのベース、直接攻撃型だろう? 候補としては有毒のバッタ、それか二枚貝あたりかな。火傷を治していないところを見ると、前者の方が可能性は高そうだ」

 

 オリヴィエは煽るように、言葉をつづける。

 

「君ともあろう人間がまさか、そんな凡庸な生物を選ぶとは思わなかったよ。それとも、適合するベースが他になかったのかな」

 

 ──己が口にしている言葉が正しいかどうかは、はっきり言って二の次だ。

 

 もしもエドガーが激し、新たな情報を口走れば御の字程度のもの。だが、あながち的外れなわけでもないはず。

 

 だからこそ、神経を逆撫でするように、逆鱗に触れるように。

 

 人の心をまるで解せず、されどその構造を誰よりも熟知している泥人形は丁寧に、言葉を選んで告げた。最大限の毒を込めた、その言葉を。

 

 

 

「拍子抜けだよ。その程度で神を名乗ろうだなんてね」

 

 

 

 それに対し、エドガーが見せた反応は──

 

 

 

「……クハッ!」

 

 ──失笑、であった。

 

「おや、何かおかしかったかな?」

 

「ククク……ああ、いや。貴様の思い違いがあまりにも滑稽でな」

 

 大方、耳障りとばかりに聞き流すだろう……そんな予想とは異なる反応に首を傾げるオリヴィエ。しかしむしろ好都合と、オリヴィエはその会話の流れに乗る。

 

「ふむ。そこまで言うのなら、正解をご教授いただきたいものだね」

 

「よかろう。神の偉大さは、凡百には理解できんものだからな。その見え透いた時間稼ぎに付き合ってやる」

 

 ダメ元で口にしたその言葉に、エドガーは特に悩む素振りも見せず応じる。どうやら、本当に機嫌がいいらしい。

 

 そしてそれは、オリヴィエにとってひどく都合が悪い事実の暗示に他ならない。彼の不死性と、無限の能力。それを目の当たりにしてなお、泰然とした態度を崩さないということは……この男は全能となった自分を下す手段を握っているということに他ならないからだ。

 

「筋力や硬度、運動能力を始めとする基礎スペックの向上。これに加えて毒と棘、そして脚力強化。確かに貴様の言う通り、これらはMO手術に由来するものだ。確かに貴様の洞察は当たっている……が、前提を履き違えている」

 

 だが、一体誰が予想できただろうか。

 

「それは余の手術ベースとなった生物の片鱗ですらない」

 

 不意を打ったとはいえ、槍の一族の始祖たるオリヴィエに致命傷を与える、直接攻撃型としては一線級の特性。

 

 それが──。

 

 

 

()()()()()()()()

 

 

 

 ──ただの手術の副産物でしかないなどと。

 

 

 

 

 

 

「──Synth-Métamorphose(人為変態)

 

 

 

 

 

 そう告げたエドガーは変態薬を自らの体へと投与──()()()。傍目にはエドガーがただ独り言を呟いたようにしか見えなかっただろう。

 

 だが彼の肉体を構成する細胞たちは主の勅命を受け、変異を開始する。自らを超人へと変身させる薬を打ち込まれた時、まるで同じように。

 

(薬を用いない人為変態──)

 

 オリヴィエは信じがたいその光景を感心半分、驚愕半分を以て迎えた。αMO手術、という考えが脳裏をよぎるが、彼はすぐにその選択肢を排除する。

 

 自分のように()()()()が効くわけではない。まして、完璧主義と合理主義の権化のような男だ。エドガーがαMO手術のような不完全な技術に手を出すとは考えづらかった。

 

 ならば、中国が開発した紅式手術か? あるいは蛭間一郎のように通常時でも能力が発現する、ベースとの親和性が高い手術形式? 

 

 様々な可能性を考慮しつつ、オリヴィエは注意深くエドガーの変貌を観察する。

 

 その頭に芽生えるは二本の棘、腰からは伸びるは細長い尾。肉体は黄金の体毛を思わせる器官に覆われ、雄壮に茂る頭髪は獅子の如き気品と野性味を引き立たせる。

 

 しかし最も顕著な変化はそのいずれでもなく、もっと別の場所にあった。

 

 端麗とはいえ、老いたエドガーの顔立ち。そこからしわが失せ、肌が張りを取り戻し……まるで時計の針を巻いて戻すかのように、エドガー・ド・デカルトの肉体は()()()()()()()辿()()()()()

 

 老年から中年へ、中年から壮年へ、そして壮年から青年へ。

 

 そうして最盛の時を取り戻し、逆転を止めたその姿は、太古の原始宗教で崇拝された神性──大自然(豊穣と狩猟)生命の循環(死と再生)、そして男性性(力強さ)を司るとされる『有角神』そのものであった。

 

「見せてやろう、オリヴィエ・G・ニュートン」

 

 若獅子は青く厳かな声で告げると、その口端を凶悪に釣り上げた。

 

「本物の神が、いかなるものか」

 

 直後、オリヴィエの視界一杯に靴底が広がる。

 

「おっと……!?」

 

 咄嗟に彼が飛び退くのと、エドガーの脚が振り下ろされるのは同時だった。豪脚が広間の壁を砕き、その破片が飛び散る。回避が遅れていれば、そこにオリヴィエの脳漿と頭蓋が混ざっていただろう。

 

「クハハッ! そら、潰れるぞ!」

 

 その姿がぶれ、苛烈に笑うエドガーが追撃を仕掛ける。首筋を目掛けて振るわれた炎刃をオリヴィエが躱すや、僅かに重心がずれた頭を目掛けて鋭い蹴りが繰り出される。

 

「やれやれ、足癖が悪いね」

 

 完全な回避は不可能と考えたオリヴィエは、瞬時に脚力を強化する因子を発現させる。幸いにも、この数秒でαMOの修復は完了している。迫るエドガーの脚を、オリヴィエは同じく強靭化した右脚で迎え撃った。

 

 ──MOベース、昆虫型“ワタリバッタ”。

 

 空中で両者の脚が交差し、打撃が相殺される音が響く。

 

「若い頃は意外にヤンチャだったのかな?」

 

「さてな。生まれてこの方、生き方を変えたことはない!」

 

 短く言葉を交わした両者は、弾かれたように移動を開始する。高速で展開される機動戦の中、オリヴィエはジワジワと熱を訴える右脚へチラリと意識を向ける。

 

(素体のスペックを考慮しても、凄まじいパワー)

 

 バッタの特性を発現させた脚力勝負が引き分けた事実を受け、オリヴィエは警戒度を引き上げる。

 

(こんなことなら、ツノゼミもしっかりと吟味しておくべきだったかな)

 

 ここにきて若干の後悔を覚えるオリヴィエ。ツノゼミによる身体強化を「申し訳程度」と軽視していたために、彼はエドガーの地力を押し上げるツノゼミの正体を掴みかねていた。

 

 ──MO手術の被験者であれば、誰もが上乗せされるベースである“ツノゼミ”。

 

 カメムシ目に属するこの生物は奇々怪々な形状でその名を知られる一方、それ以外の特性で注目されることは少ない。

 

 だがカメムシ類が多様な特性を持つことは、これまで幾度となく触れてきた通り。そしてそれは、ツノゼミもまた例外ではない。実に3200種にも及ぶツノゼミの仲間の中には、特筆すべき生態を持つ種も存在する。

 

 そしてその中でも一際戦闘に長けた特性を備えている種こそが、エドガーが手術によって上乗せした“Alchisme grossa(アルキズメツノゼミ)”である。

 

 鋭い棘と頑丈な甲皮で武装するこの昆虫は、捕食者に対し応戦反応を見せるという。外敵には羽を鳴らして威嚇し、棘の生えた胸板を振り回して寄せ付けず、それでもなお近づく不届きものには強烈な蹴りをお見舞いし、これを撃退するのだ。

 

 加えて彼らの主食はキダチチョウセンアサガオ──俗に“エンジェルストランペット”の園芸名で知られる有毒植物。即ち彼らは、チョウセンアサガオの仲間である植物から取り込んだ複数の幻覚毒(アルカロイド)を、体内に蓄積している。

 

 アルキズメツノゼミにとって、それらは捕食者を遠ざけるための単なる自衛手段(お守り)にすぎない。だがMO手術による特性の強化を受けた者にとって、それは敵対者に対する立派な攻撃手段(兵器)となる。

 

 これだけでも下手な直接攻撃型より厄介な特性だが、この他に未だ本命のベースが控えている。

 

(普段なら様子を見るところだが、相手はあのエドガー君。下手に遊ぶのは危険──仕掛けるとしよう)

 

 僅かな時間で思考をまとめ上げ、オリヴィエは攻勢に転じる。

 

「ぐゴぽっ」

 

 その喉が嫌な音を立てて蠢き、その直後。オリヴィエは膨らんだその口から、胃液の弾丸をマシンガンのように連射した。

 

 ──MOベース、軟体動物型“ヤリイカ”。

 

 頭足類が泳ぐ際に用いる水のジェット噴射能力、それを攻撃へと転用した奇襲である。

 

「悪あがきにしても、品のない技だ」

 

 軽蔑したように呟くエドガーは、弾幕を最低限の動きで躱し、それでも避けきれない最低限を渋々西洋剣の刀身で受け、蒸発させることで無力化する。

 

 ……無力化『してしまった』。

 

「!?」

 

 刹那、エドガーの周囲の空気が前触れなく炎上した。まるで、ガスの引火爆発でも起こしたかのように。

 

 ──MOベース、細菌型“『日本原産』Oleomonas(オレオモナス) sagaranensis(サガラネンシス)”。

 

 静岡県に存在する相良油田から発見された、二酸化炭素を原料として軽油によく似た物質を産生する石油産生菌の一種。京都大学の研究チームによれば、この細菌は当油田の形成に関わっている可能性があるという。

 

 オリヴィエが吐き出した弾丸は、ただの胃液ではない。この特性により産生した軽油であった。

 

 軽油は45℃以上の熱に晒された場合に引火の危険がある第4類危険類。これがエドガーの剣に接触したことで、連鎖的に爆発を起こしたのだ。

 

「宮殿内は火気厳禁じゃなかったかな、エドガーくん」

 

 小馬鹿にするような発現と同時、大気中の高熱に反応した室内のスプリンクラーが作動し、室内に人工の小雨が降り注ぐ。狙いを察したエドガーが跳躍したのと、オリヴィエが再び電撃を放ったのは同時だった。

 

「……フン」

 

 間一髪で感電死を免れるエドガーだったが、その端正な顔が苛立たし気に歪む。跳躍先に選んだテーブルにたどり着くことはなく、その体が宙吊りになったからだ。

 

「貴様、最初からこれを狙っていたな?」

 

「そうだよ。ぶっつけ本番だったけど、上手くいってよかった」

 

 そう笑うオリヴィエの尾からは、無数の糸が伸びていた。四方へ張り巡らされたそれは即席の蜘蛛の巣を形成し、エドガーの体を雁字搦めに捕える。尾の角度を反転させれば、糸は一層強くエドガーを縛め、その手中から取り落とされた剣が床へと落下した。

 

 ──MOベース、節足動物型“オオヒメグモ”。

 

「では、畳みかけさせてもらおう」

 

 電気による磁力操作で剣を遠くへ弾き飛ばすと、オリヴィエは手中に構える槍へと信号を送った。途端、槍に内蔵された肉塊は沸騰したように溢れ出し、メキメキと音を立てながら槍を肉付けしていく。

 

 そうして完成したのは、無機質な槍と有機的な砲が一体と化した巨大な凶器。例えるなら『昆虫の腹部をソーセージに見立てたフランクフルト』とでも言うべきだろうか。黄色と褐色の甲皮に覆われたそれの出来栄えに、オリヴィエは満足そうに頷いた。

 

「火炎放射器さながらの大爆発……君の体は何発まで耐えられるかな?」

 

 ──MOベース、昆虫型”ミイデラゴミムシ”。

 

 槍をひと撫すると、オリヴィエはその尾部(砲口)を吊り上げられたエドガーへと向けた。

 

「余に一杯食わせたことは褒めてやろう」

 

 二つの化学物質が混合し、槍の外部を覆う虫の腹が膨張する。その様を眺めながら、エドガーはふてぶてしく笑った。

 

「だが、浅はかだな」

 

 そして、槍の尖端が砲火を炸裂させる刹那。

 

 

 

 

 

 

 

「これで余を捕えたつもりか?」

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエは、エドガーの体が糸の拘束からするりと抜け落ちていく様を見た。

 

「──!」

 

 異変が起ころうと、化学反応は止まらない。破壊光線のような一条の灼熱が、虚空を焼き払う。吹き荒れる熱波の中、エドガーは危なげなく床へと着地する。その肉体はさらに若返り、少年のそれへと変貌していた。

 

(身体形状を変形させる特性──!?)

 

 オリヴィエが再び狙いを定めようとするが、それよりもエドガーの行動の方が速かった。彼は両腕を突き出すように構えるや、その指先から()()()()()()()()()()()()()

 

「っ……!」

 

 各指から一発ずつ、総計十発から成る鮮血の散弾。高速で撃ち出されたそれらは、オリヴィエの脳天を射抜く。勿論、常人なら即死するだろうその攻撃も、”ヒトの分化多能性”を持つ彼にとっては掠り傷にすぎない。

 

 だが、弾丸の内の数発は思考を司る大脳を破壊。これによりオリヴィエは、脳を再生させるまでの数秒間、思考停止を余儀なくされ……2秒弱の後に意識を回復させたとき、既にエドガーは目前にまで迫っていた。

 

(のろ)い!」

 

 アルキズメツノゼミの脚力で蹴り出された足が槍の側面を捉え、オリヴィエの手から武器が弾き飛ばされる。続けざまエドガーは追撃のための拳を振りかぶった。だが、その顔から余裕が損なわれることはない。

 

「残念、それは悪手だよ」

 

 オリヴィエは表情を崩さず、懐に飛び込んできたエドガーを見つめる。

 

(おそらく先に届くのは、エドガー君の攻撃だろう。だが構わない。後れを取ろうと、私の攻撃を通せば勝てる)

 

 その腹がボコリと蠢く。近接戦闘におけるオリヴィエの最強のカウンター、分泌装置による槍衾の予兆だ。

 

(先ほどこれを使ったのは、あくまで私が見た幻覚の中。エドガー君にこの手は割れていない。つまり──)

 

 繰り出された拳が頬骨を砕き、折れた歯が景気よく外へ飛び出す。だが体格が小柄になっていることもあり、その一撃は本来のエドガーが放ったものに比べて随分と軽い。それを受け止めたオリヴィエは、勝利の核心と共に特性を発動する。

 

(──彼の回避行動は、必ず遅れる!)

 

 オリヴィエの体を突き破り、分泌装置が外へと飛び出す。同族を抹殺するその殺戮兵器が、再び(初めて)エドガーへと牙を剥き──。

 

 

 

 

 

 

「……クハッ」

 

 

 

 

 

 

 ──否、()()()()()()()()()()()

 

 

 

「っ、これは──」

 

 ──何が起きた? 

 

 反撃が不発に終わる。結果として無防備に殴られただけの形になったオリヴィエは、そのありえざる事態に、一拍遅れて目を見開いた。

 

(槍が、発生しない……?)

 

 腹の神経に意識を向ける。身体に何ら異変はない──()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「クハハハハ! 傑作だな、その表情!」

 

 エドガーの機嫌のいい大笑が広間に響く。

 

「貴様にもまだ、人間らしい感性の類は残っているらしい」

 

「……何をしたのかな?」

 

 感情が抜け落ちた顔でオリヴィエが問えば、「そう睨むな」と言葉が返される。

 

「余を誰と心得る? 貴様のベースなど、おおよそ察しがついておるわ。手札が割れたのなら、やることは一つだろう」

 

 嘯くエドガーの肉体が、成長を早送りするように急速に巨大化していく。その身長は元の大きさへと戻り、そして()()()()()

 またその変身に付随するようにして、彼の全身を構成する筋骨も強靭に隆起していく。

 

「さて、貴様の底も見えた」

 

 やがて身長190cmのオリヴィエを見下ろせるほどの体格、そしてかのシルヴェスター・アシモフに勝るとも劣らない筋肉を得たエドガーが、静かに腰を落とす。

 

「ここからは、殴り合いといこうか!」

 

 エドガーは床を蹴り、一足飛びに眼前の敵へと肉薄する。攻撃を予期したオリヴィエは即座に『鉄バクテリア』の特性を展開し、全身に金属の鎧を纏い備える。

 

 だが、丸太のような豪腕から繰り出される打撃は強烈だった。その一打は鎧を軋ませ、装甲を介してなおオリヴィエの胴へと衝撃を伝える。

 

(先ほどより重い……が、問題はそこじゃない)

 

 鎧に罅が入り始めるのに、そう時間はかからなかった。それ自体は問題ではない。問題はその後。

 エドガーの拳が何度か叩き込まれた後、オリヴィエが纏う鎧が急速に朽ち始めたのだ。多少なり亀裂が入ったとはいえ、完全に砕けるほどのダメージは受けていないにも関わらずである。

 

(やはりそうか)

 

 崩壊していく護りを見ながら、オリヴィエは確信する。

 

()()()()()()()()。何らかの方法で、遺伝子の発現を抑制されている……!)

 

 その顔が微かに歪む。取り込んだ数々の特性を頼みに戦うオリヴィエとは相性が悪い……という説明は、少々的を外している。より正確に言えば、MO手術という技術体系そのものが、エドガーの特性と致命的に相性が悪いというべきだろう。

 

 MO手術のベースは、一人につき一種が大原則。αMO手術を筆頭とする例外を用いても、精々数種類が限界。それを封じられれば、被験者は己の身一つで戦うことを余儀なくされる。

 

 しかも、その相手はエドガー・ド・デカルト。真っ向勝負で相手になるのは人類の到達点(ジョセフ)路上最強(幸嶋隆成)程度と称される、ニュートンの上澄み中の上澄み。更に知識と経験は据え置きのままに肉体は最盛を取り戻し、MO手術で得た特性というアドバンテージを一方的に握った状態の彼に、生身で挑むこととなる。

 

 まさに被手術者同士の白兵戦における、究極の鬼札(メタ)

 

 むしろオリヴィエだからこそ、ここに至ってなお勝負が成立していると言っても過言ではない。封じた端から新たな特性を発現させることができる彼はこの世で唯一、エドガーの天敵となりうる。

 

(鼬ごっこは避けられない。何か手を考えなくては)

 

 時間を稼ぐため、オリヴィエは新たな遺伝子をその身に発現させる。

 

 MOベース、甲殻型“アメリカザリガニ”。

 

 代替となる装甲で全身を固め、オリヴィエはエドガーの猛攻に臨む。

 

 ──装甲に罅が入り始めるのに、そう時間はかからなかった。

 

 それ自体は問題ではない。問題はその後。エドガーの拳が何度か叩き込まれた後、オリヴィエが纏う装甲が急速に朽ち始めたのだ。多少なり亀裂が入ったとはいえ、完全に砕けるほどのダメージは受けていないにも関わらずである。

 

(やはりそうか)

 

 崩壊していく護りを見ながら、オリヴィエは確信する。

 

()()()()()()()()。何らかの方法で、遺伝子の発現を抑制されている……!)

 

 その顔が微かに歪む。まさに被手術者同士の白兵戦における、究極の鬼札(メタ)。むしろオリヴィエだからこそ、ここに至ってなお勝負が成立していると言っても過言ではない。

 

(鼬ごっこは避けられない。何か手を考えなくては)

 

 時間を稼ぐため、オリヴィエは新たな遺伝子をその身に発現させる。

 

 MOベース、軟体動物型“マガキ”。

 

 代替となる盾を構え、オリヴィエはエドガーの猛攻に臨む。

 

 ──盾に罅が入り始めるのに、そう時間はかからなかった。

 

 それ自体は問題ではない。問題はその後。エドガーの拳が何度か叩き込まれた後、オリヴィエが纏う盾が急速に朽ち始めたのだ。多少なり亀裂が入ったとはいえ、完全に砕けるほどのダメージは受けていないにも関わらずである。

 

(やはりそうか)

 

 崩壊していく護りを見ながら、オリヴィエは確信する。

 

()()()()()()()()。何らかの方法で、遺伝子の発現を抑制されている……!)

 

 その顔が微かに歪む。まさに被手術者同士の白兵戦における、究極の鬼札(メタ)。むしろオリヴィエだからこそ、ここに至ってなお勝負が成立していると言っても過言ではない。

 

(鼬ごっこは避けられない。何か手を考えなくては)

 

 時間を稼ぐため、オリヴィエは新たな遺伝子をその身に発現させる。

 

 MOベース、細菌型“Pseudomonas(シュードモナス) saccharophila(サッカロフィラ)”──

 

 

 

「……どうした? 防がんのか?」

 

 

 

 だが、その体を覆うはずの酸化鉄の鎧は発現しない。

 

「がっ……!?」

 

 エドガーの拳が、棒立ちになったオリヴィエの鳩尾に叩き込まれる。

 

(っ、やはりそうか)

 

 その威力にノックバックされながら、オリヴィエは冷静に考察する。

 

()()()()()()()()! 何らかの方法で、遺伝子の発現を抑制されて──いや)

 

 そこまで考えて、オリヴィエは脳裏を走ろうとした思考に待ったをかけた。自らの考察に無視できない違和感を覚えたからだ。

 

 ──この程度の結論に至るのに、なぜこんなにも時間がかかっている? 

 

 エドガーの攻勢に対し、オリヴィエはその特性を探るため見に徹していた。そこから現在に至るまで、およそ2分弱……それは彼の思考速度を考えれば、ありえない遅さだ。

 

(そもそも私は、なぜカニ(甲殻)カキ()の特性を発現させた? 単なる防御なら鉄バクテリア()だけで事足りる。なぜ最初からそうしなかった? いや、そもそも鎧は人為変態直後に顕在化させていたはず──)

 

 ニューロンがつながり、違和感を浮き彫りにしていく。そしてその直後、彼の脳に流れ込んできた()()()()()

 

「……まさか」

 

 真相にたどり着いたオリヴィエが、顔を上げる。それは些か飛躍した、ともすれば突拍子の無い推論。しかし彼は、ある種の自信と共にそれを口にする。

 

「君の特性……()()()()()()()()()()()()?」

 

「──クハッ」

 

 その問いかけに、エドガーは答えない。代わりに彼はあえて追撃の手を止め、嘲笑交じりに問い返す。

 

「恐ろしいか、泥人形? 余という未知が」

 

「……いいや」

 

 一方のオリヴィエは、ゆるりと首を横に振る。

 

「むしろ、年甲斐もなくワクワクしている最中だよ」

 

 笑みを深め、ぺろりと舌なめずりをするオリヴィエ。その目は、格好の獲物を見つけた捕食者のように爛々とした好奇の色を宿していた。

 

MO手術(この分野)には、これでも一家言あるつもりだったのだけれどね。特性を封印し、記憶を操る……そんな生物、聞いたこともない」

 

 科学者としての(サガ)が疼いて仕方がない。そう言わんばかりに、彼は声を弾ませる。

 

「予定変更だ。君はただ殺すには、あまりに惜しい。丁寧に解剖して、体の隅から隅まで調べ尽くし……ホルマリン漬けで永久保存にしよう。貴重なサンプルとして」

 

 さしあたって、とオリヴィエは笑みを深める。

 

「君の特性の正体を暴かせてもらうよ」

 

 その宣言と同時、ホールの扉が再び開く。増援か、と周囲で戦う騎士たちは入口へ視線を向け──

 

「……!」

 

「なッ!?」

 

「っはは……こりゃあ、おったまげだ」

 

 ──目の当たりにした異様な光景に、思わず息を呑んだ。

 

「おまたせ、()。どうやら想像以上に手こずらされているようだね」

 

 彼らが目にしたのは、扉をくぐって現れた5()()()()()()()()()G()()()()()()()()()()。今まさに彼らの主君と一騎打ちを演じている敵の首魁。それと全く同じ姿形をした人物が複数人、ぞろぞろと祝宴の間へ踏み入ってくる。

 

「保険にすぎない私たちまで動員するとは」

 

「待っていたよ、()()()。試したいことがあるんだけど、体が足りなくてね。手伝っておくれ」

 

 新たに現れたオリヴィエの内の一人の言葉に、元々エドガーと戦っていたオリヴィエが答える。

 

「ご自慢のクローン(贋作)か」

 

 全く同じ姿の人間たちが言葉を交わす……その異様な光景を前にしても、エドガーの態度は変わらない。

 タネの割れた安っぽい手品でも見ているかのように、彼はつまらなそうな視線を向けるばかりだ。

 

 ──『一族最新の遺伝子の、効率的な保護』。

 

 500年前、当時の一族当主だった『オリヴィエ・ゲガルド・ニュートン』が提唱した方針(ドクトリン)

 これを実現すべく築かれた施設こそが『神殿』と呼ばれる槍の一族の本拠であり、その最奥にはとある機構が存在する。

 

 スーパーコンピュータ接続型積層造形装置。世間一般に『3Dプリンター』と呼ばれるものである。

 

 現代でも移植用の臓器のなどの観点から、医療・科学技術への応用が検討されている3Dプリンターだが、槍の一族が擁する積層造形装置は出力の桁が違う。

 

 大気中の分子の動きすらエミュレート可能なスーパーコンピュータ。それに接続したこの装置を使えば、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 もしもその代の当主が遺伝子を残さず不慮の死を遂げた場合、登録した遺伝情報を用いて()()()()()()()()()()()()真作(本人)に限りなく近い贋作(クローン)を用いて、次世代への遺伝子継承を担保する……()()()()()()()()()()()()

 

「贋作とはひどいなぁ」

 

 ──無論、実態は大きく異なる。

 

 それは当時のオリヴィエが、自分という存在を不死化することを目的として創造したもの。即ちその実態とは、()()()()()()()()

 

「ここにいる私たちは、まぎれもなく本物だよ……私にとってはね」

 

「フン……つくづく度しがたい感性だ」

 

 エドガーは粘土細工の如き人間へ、心底の軽蔑を吐き捨てる。

 

 ──淵殿の造物主、オリヴィエ・G・ニュートン。

 

 その正体は、プリントアウトした歴代当主の予備の肉体に自らの記憶と人格を引き継ぎ、半世紀もの時間を延々と生き続けてきた不滅の怪物。

 

 本来であれば、この方法で不死を実現することなどできないなど言うまでもない。もしも目の前に自分と全く同じ姿、同じ記憶、同じ人格を持つ存在がいたとして、多くの人間はそれを自分自身であると認識することなどできないからだ。

 

 人間が『己』を定義する物は、あくまで個々人の主観。自分と同一の存在が目の前にいたとしても、それはどこまでいこうと『自分に近い他人』でしかない。

 

 だが、オリヴィエは違う。

 

 自分という個我(主体)に一切の執着を持たない彼は、それを完全に自分自身であると定義できてしまう。

 

「君に理解してもらおうとは思っていないさ。ただね、こう見えてとても便利なんだよ」

 

 仮に『■■■■・■■■』の特性を奇跡的に発現させた個体が死のうと、究極的にはそれを「すごく困る」で済ませてしまうだろう。なぜならそれは、『オリヴィエ』という存在そのものが滅びを迎えるわけではないから。

 

「普通なら危なくて仕方ない特性相手も、こうやって身を以て体験できるわけだしね」

 

 ──だから、こういうことができる。

 

 総体(オリヴィエ)としての目的を達するため、個別の肉体を捨て石にするという、虫のような戦法をとることが。自らを刷り直せる限り、彼に死が訪れることはないから。

 

「さて、ここからはもう私に記憶改変は通用しない。他の私と同期すれば、改変された記憶も即座に補正できるからね」

 

 その言葉と共に、観測手役のオリヴィエが安全圏となるホールの壁際へと後退していく。彼が監視カメラのようにホール全域を俯瞰し、他の自分たちへと情報を伝達することで記憶改変に対抗するという作戦だ。

 

「これで私も一手、君の手札を潰したわけだ」

 

 準備が整ったらしい彼は、感情のない笑みを浮かべた。

 

「ではエドガー君、続けようか……君のいう殴り合いとやらをね」

 

 その言葉を合図に、オリヴィエたちは槍を手に一斉に駆け出した。

 

 瞬間、エドガーは足元に転がっていた瓦礫を、アルキズメツノゼミの脚力で蹴り出す。正確無比なその一打は先頭を走るオリヴィエの脇腹を抉るも、その傷は破損した端から逆再生のように修復されていく。

 

(再生能力は据え置き。水平伝播(奴の特性)の複雑さを考えれば、後続にαMOは発現していないとみてよかろう)

 

 オリヴィエたちの攻撃射程圏内まで、あと4歩。目を細め、エドガーは思考する。

 

(つまりこの贋作どもへの対処は至極単純。特性を封印した後、一体ずつ始末すればよい。無駄にこちらの手を明かすのは愚策。だが──)

 

 

 

 

 

 ──()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエたちの攻撃射程圏内まで、あと3歩。エドガーは真っ先に浮かんだ安全牌を矜持で以て握り潰し、迫る泥人形たちに臨む。

 

「クハハハ、よかろう!」

 

 オリヴィエたちの攻撃射程圏内まで、あと2歩。ぎらついた笑みを浮かべ、エドガーは口を開いた。

 

「貴様の挑発に、あえて乗ってやる」

 

 オリヴィエたちの攻撃射程圏内まで、あと1歩。しかしエドガーは何ら行動を起こさない。その必要がないと分かりきっているかのように。

 

「目に焼き付けるがいい──」

 

 そして、あと0歩。オリヴィエたちは一斉に、手中の槍をエドガーへと突き立て──。

 

 

 

「──宇宙を統べる、神たる余の力を」

 

 

 

 硬質な手応えと共に、その全てが弾かれた。

 

「おや──」

 

 まるで甲殻型の能力者を攻撃したかのような、想定外の感触。オリヴィエの内の一人が思わず目を丸くするが、彼がそこから先を口にすることはなかった。エドガーが繰り出した貫手が、その頭蓋ごとオリヴィエの脳を破壊したからだ。

 

「神を神たらしめる要素とは何か? 答えは簡単」

 

 崩れ落ちるオリヴィエを尻目に、エドガーは手についた血を払い落とす。よく見ればツノゼミの甲皮覆われたその指先──ひいては彼のその全身は、半透明の結晶質でコーティングがされていた。

 

「圧倒的にして理不尽なまでの力だ」

 

 エドガーの重心が傾き、その像がブレる。そして次の瞬間、エドガーは自らの挙動に反応することすら許すことなく、自らを包囲するオリヴィエたちに一撃を加えていた。

 

「っ──!?」

 

 エドガーの右から攻撃を仕掛けたオリヴィエが膝を折る。顔は青ざめ、尋常ではない量の脂汗が全身に噴き出す。まるで水中で溺れるように、激しい呼吸と共に彼はもがき……やがて窒息によって息絶えた。

 

「こ、れは……!」

 

 エドガーの左で隙を伺っていたオリヴィエが、攻撃の勢いに尻もちをつく。その端正な顔を象る皮膚は見る見るうちに垂れ下がり、髪からは色素が抜け落ち、足腰が弱っていく。立ち上がろうともがくが、その肉体は言うことを聞かず……やがて老衰によって息絶えた。

 

「か、ふ……!?」

 

 エドガーの正面に陣取っていたオリヴィエが、おもむろにその口から血を吐き出した。苦悶に目を見開きながらも一矢報いようと槍を手にとるが、痙攣する体は動くことさえもままならないといった有様。やがて臓器不全によって息絶えた彼の肉体は、糸が切れたように力を失い──。

 

 

 

「待っていたよ、この瞬間をね」

 

 

 

 ──その肉体を目隠し(ブラインド)として、最初にこの宮殿へと乗り込んだオリヴィエがエドガーへと迫っていた。

 

「その程度の浅知恵、見抜けん余とでも思ったか!?」

 

 無論、それを察せぬエドガーではない。既に迎撃の耐性を整えていた彼の脚が、オリヴィエの腹を直撃し──そして、己の予想が外れたことを瞬時に悟る。

 

「なにッ……!?」

 

 エドガーが相貌を崩した。己の特性を使用したにもかかわらず、オリヴィエの肉体は未だ健在であったためだ。

 

(何が起きた? ただの装甲で、この特性を防げるはずが──)

 

 そこでようやく、思考に身体反応が追いつく。ニューロンが処理を行うのは肉を打つ感覚に加えてもう一つ、まるで潤滑油を思わせる奇妙な()()

 

「“■■■の莢膜”──予想はしていたけれど、やはり化学物質の類のようだ」

 

 ■■■を始めとする一部の細菌は、莢膜と呼ばれる防御のための粘性層を体表に形成することができる。

 

 これによって人体にとっての侵入者である細菌たちは、その警備兵である免疫たちの食作用を回避することができる。また外部からの抗生物質や殺菌作用に対しても一定の効力を発揮するという。

 

 その性質は先ほどまでオリヴィエが纏っていた『鎧』や『装甲』といった物理的なものではなく、むしろ汚染や有毒物質を想定した『防護服』のそれに近い。

 

 エドガーが特性によって引き起こす不可思議な事象の数々。それに対してオリヴィエが切った手札は、対症療法としての最適解。それは科学者として確かな知見と観察眼の賜物だった。

 

「さて、エドガー君。図々しくて申し訳ないのだけれどね……」

 

 狙い通りに、密着状態まで持ち込んだオリヴィエ。自らの腹にめり込んだエドガーの脚へ指を這わせながら、彼は深淵の如き眼でエドガーの瞳を覗き込む。

 

 

 

 

その力を私に寄越せ(君の特性をいただくよ)

 

 

 

 

 ──シンクレティズム。

 

 日本語で「習合」あるいは「混交」。宗教学において、異なる二つの思想や信仰が融合する現象を指す。

 

 不変の教義、などというものは有史以来存在しない。人と人が交流する以上、宗教もまた混ざり合い、時代と共に変質していくのは自明の理。そして教義と信仰が形を変える以上、それらによって定義される神もまた形と性質を変える。

 

 大神ゼウスが、名前すら失われた矮神の逸話を取り込んだ結果として、貞操観念にだらしのない浮気性な神と成り果てたように。

 

 天照大神が、後に伝来した仏教との整合性の観点から、大日如来の仮初の姿と成り下がったように。

 

 ゲガルドという神話における本尊オリヴィエ・G・ニュートンは、エドガー・ド・デカルトという異教の神の力を吸い上げ、新たなる力を手に入れた。

 

「散々手こずらされてしまった上に、随分と私自身を消耗してしまったけれど……」

 

 MO能力の発現において必要とされる遺伝子の発現量は、実は想像以上に少ない。煙管の吸い口についた唾液、その程度でも十分。

 

 今、オリヴィエは直接接触により、肌に付着した僅かなエドガーの遺伝子を体内に取り込み、そのMOベースさえも己の手中に収めた。これが意味するのは『特性を封じる特性』をオリヴィエが使用して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 エドガーに組み込まれたベースは、MO手術の大原則から外れることなく一種のみ。それを封じてしまえば、あとは消化試合……それがオリヴィエの思惑だった。

 

「ゲームセットだよ、エドガー君」

 

 そう囁くオリヴィエの体を、エドガーのものと同じ黄金の体毛が覆っていく。クローンたちの入場からここに至るまで、全てオリヴィエの思惑通り。まさしく思い浮かべた絵図に現実が運んだ全能感に浸りながら、彼は勝利の方程式に最後の解を加えようとし。

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 

 

 

 

 

 たった一つの誤算のために、その全てが瓦解した。

 

 

 

 

 

 

 

 オリヴィエの口から、思わず子供のような疑問の声がこぼれる。確かにその体に、エドガーから奪ったMOベースは発現していた。しかしそれにも関わらず、彼は『特性を封じる特性』を使うことができなかったのだ。

 

(──ありえない)

 

 真っ先にオリヴィエの脳を支配したのはその一言に尽きた。

 

 何が起きたのか理解できなかったわけではない。理屈がわからなかったわけでもない。何がどういう理屈に基づいて起きているのか、なぜ自分がその特性を使えないのか。

 

 それを理解したからこそオリヴィエはその瞬間、ともすれば数世紀ぶりに心の底から驚いていた。

 

(だが、それ以外の可能性こそありえない。ならば、彼は──)

 

 

 

 

 

 

「──薄汚い手で、余に触れるんじゃあないッッ!!」

 

 

 

 

 

 その思考は激昂したエドガーの怒号と、再び腹部へ叩き込まれた膝蹴りによって強制的に打ち切られた。

 

「が、ふッ……!」

 

 ノックバックしたオリヴィエの胴体には、風穴が穿たれていた。それはエドガーが膝に形成した“アルキズメツノゼミの棘”によって生じたもの。

 

 そしてわざわざ莢膜を貫通させたその攻撃に、エドガーが何も仕込んでいないはずがなく。

 

「ッ、これは……」

 

 末梢神経が伝えた僅かな違和感。全身が冷え込むような感覚に、オリヴィエの表情筋が硬直する。その現象に覚えがあったためだ。

 

(不味い!)

 

 オリヴィエは直感的に、再生系のベース生物の特性を総動員する。“プラナリア”、 “ヒドラ”、“メキシコサンショウウオ”、“ヒメツリガネゴケ”──一見過剰にも思えるほど量の生物因子を発現させたその直後、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「──っ!」

 

 溶解した細胞が、血漿と共に雪解け水のように体から零れた。崩壊は皮膚を、筋繊維を、そして臓腑を侵し、その真下に隠された人体の骨組みを露にしていく。

 

 だが、オリヴィエは寸でのところで持ちこたえた。

 

 壊死した肺の代わりに昆虫類の気門で酸素を取り込み、多重発現した再生系の特性で細胞を高速分裂させる。こうして細胞死を上回る速度で再生を行うことで、オリヴィエは全身の完全崩壊による死を強引に防いだ。

 

「っ、フゥゥ……なる、ほど」

 

 肺の再生を待って息を吸ったオリヴィエは、言葉を絞り出す。

 

「確かに理解したよ、エドガー君。君の特性の本質を」

 

 全身を走る寒気と、滲む脂汗。それは今受けた攻撃に対する反応であると同時に、エドガー自身に対する反応でもあった。

 

 

 

()()()()()()()()()。それが君の力の正体か」

 

 

 

 オリヴィエが口にした聞き馴染みのないその言葉は、一般的に「DNA塩基配列を変えることなく、後天的な要因による遺伝子の働きを制御する仕組み」と説明される。

 

 人間の体に約2万~2万5000程存在するといわれる遺伝子。そこには無数のスイッチが存在しており、そのオン・オフの組み合わせが各細胞の働きや役割、性質を決定する。

 

 つまり目の遺伝子には目の遺伝子の、歯の遺伝子には歯の遺伝子の、そして脳の遺伝子には脳の遺伝子の『スイッチの組み合わせ』が存在する。しかしその組み合わせは同じ生物であっても個体ごとに微妙に異なり、これが体質の差として生物に表れる。

 

 この組み合わせを後天的に制御する技術こそが『エピジェネティクス』。

 

 最新の研究によれば、ガンや精神疾患、糖尿病、自己免疫疾患といった病気の発症リスクにも、この組み合わせが深く関わっているという。

 現代においては研究段階にある学問領域だが、2621年の地球では医療や創薬の分野を中心として積極的に活用されている実用技術。

 

 無論──

 

 

 

「──無論、MO手術もだ」

 

 無言のまま続きを促す超越者に対し、オリヴィエは淡々と自らの推理を披露する。

 

「ベース生物の発現に関連する遺伝子のスイッチ制御。自分に使えば薬を使わず人為変態ができるし、相手に使えば強制的に変態を解くこともできる」

 

「記憶改変の仕組みは、RNAへの干渉だろう。ご当主様のおかげで、記憶とRNAの関係は実証されているからね。細かい調整は無理でも、記憶の一部を飛ばすくらいなら短時間の接触でも可能」

 

「槍を弾いたのは、エナメルの鎧。本来は歯を守るための物質だけど、君はそれを全身に発現させて槍を防いだ。私の防御系の特性を砕いたのも、エナメルで拳を保護していたからだろうね」

 

「溶血による酸素吸入の阻害。体内の赤血球の破壊とヘモグロビンの分解を異常促進し、地上にいながら人間を溺死させる技だ」

 

「老化現象の高速化。私のベースによる「テロメアの生成」を止めた上で、細胞の老化現象を加速させた」

 

「免疫系の異常活性。モザイクオーガンの免疫寛容を上回る数値に活性化させれば、臓器不全で私を殺すことができる」

 

「そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ああ、よく知っているとも。リンネ(あの娘)が好んで使う能力の一つだからね」

 

 目を細めたオリヴィエの脳裏に浮かぶのは、槍の一族の最高戦力にして愛娘であるリンネが保有するベースの一つ。

 

 MOベース、細胞小器官型“ミトコンドリア”。

 

 理科の授業で、その名を聞いたことがある人も多いだろう。その名が示す通り、それは細胞内に存在する極小の器官──いわば細胞を構成する部品の一つである。

 その役割はエネルギーの産生。酸素を使って栄養素を分解し、生命活動に必要なアデノシン三リン酸(ATP)を作る……と、多くの教科書には記される。

 

 だが、この細胞小器官には一般的な授業では触れられないもう一つの特性が存在する。それが『プログラムされた細胞死(アポトーシス)』の制御だ。

 

 健常な人体で不要な細胞や有害な細胞が一定以上に増殖することを防ぐため、能動的な自壊現象を引き起こす現象、アポトーシス。これを管理するのも、ミトコンドリアの役割。

 

「それをもし正常な細胞に、狙って引き起こすことができれば……相手がどんなに強くても、一瞬で殺すことができる。まさか私自身が死にかけることになるとは思わなかったけれどね」

 

 無論、エドガーのベースはミトコンドリアではない。彼の特性はそれだけでは説明がつかない程に多彩であり、それ以上に精密。だが、引き起こされた事象の一つが間違いなくアポトーシスであったことから……オリヴィエはその核心を理解した。

 

「これらの事実から導かれる答えは一つ。君はホルモンや酵素の分泌・投与を介し、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……違うかな?」

 

「フン、それがどうした?」

 

 鼻を鳴らしたエドガーは、オリヴィエの考察をあっさり肯定する。隠す程のことでもない、といった様子で。

 

「あれだけヒントをくれてやったのだ。科学者の端くれなら、この程度の真相には辿り着けて当然。鬼の首を取ったような顔で、何が言いたい?」

 

「異常だと言いたいのさ。君の言う科学者の端くれとしてね」

 

 そう告げるオリヴィエはここまでの戦いで得た情報から、エドガーの手術ベースとなった生物の正体を完全に突き止めていた。

 

 ──テロメアの合成がもたらす寿命の伸長。

 

 ──細胞やDNAの損傷に対する再生能力。

 

 ──休眠(シスト)による環境耐性。

 

 加えて身体形状の変化と、ホルモンの生成・貯蔵──これらが、エドガー・ド・デカルトの手術ベースが保有する特性。

 

 字面を見れば極めて強力にも思える能力だが、この生物に対するオリヴィエの評価は決して高くない。理由は単純、各特性の性能が求める水準に対して低すぎるためだ。

 

 テロメアを合成できようと、その出力は不老には至らず。ベニクラゲのように永遠を生きられるわけではない。

 

 再生能力があろうとも、その出力は不死には届かず。プラナリアのように頭部を破壊されても死なないわけではない。

 

 休眠があろうとも、その出力は不滅には及ばず。ネムリユスリカのようにあらゆる環境に耐えうるわけではない。

 

 形態変化は片手で足りる程度のパターンを切り替えるだけ。ホルモンの生成も、人体における生理活動を多少活性化させる程度。

 

 だからこそ──

 

「これほどの精度でエピジェネティクス(それ)を成立させることは、通常は不可能だ」

 

 ──エドガーのそれは、神業と言わざるを得ない。

 

「どれだけ訓練を積み重ねたところで、ベース生物だけでこの域に達することはない。極限まで特性との親和性を高めたうえで、人体をフルマニュアル操作できるほどの『ボディイメージ』と『ボディコントロール』が必要になる」

 

 ニュートンの一族に連なる者は幼年期からの訓練により、完全な『ボディイメージ』と『ボディコントロール』──いわば『やりたい動き』と『できる動き』を一致させる方法を身に着ける。

 

 彼らの超人的な身体能力の根幹をなす要素であるだが、エドガーはこのコントロールを脳から足のつま先まで、極めて精密に行うことができる。即ちそれが意味するのは、彼はその気になれば人体のあらゆる活動を自らの意思で管理できるということ。

 

 指先はまるでマニピュレータのように、ミクロ単位での精緻な挙動をやってのけ。

 

 アスリートでいう「ゾーン」のような集中状態に、任意のタイミングで移行することもできる。

 

 そして(気質上絶対にありえないが)仮に生きることをやめたくなったのなら……心臓を自らの意思で緩やかに停止させるという、道具要らずの自殺すらも不可能ではない。

 

「そのレベルで自分の体を動かすことは、私やジョセフ君でもできない。だから、奪ったところで使えない……特性への理解も、素体の練度も足りていないからね。まったく、つくづく君が規格外だということを思い知らされるよ」

 

「ぺらぺらとよく動く口だな。不愉快極まりない……が、その身を以て余の偉大さを理解したことに免じて、及第点くらいはくれてやろう」

 

 尊大に言い放ち、エドガーは眼前の身の程知らずに真相を説く。

 

「余が目指す神の像は「完全」に他ならない。そして完全とは、全てを兼ね備えていることを意味する。この極致に最も近かったのが、本家のジョセフ・G・ニュートンだ」

 

 ──人間が持つ「全ての個性を備えさせ」「向上させる」ことを目的とし、人類の品種改良を続けるニュートンの一族。

 

 ただしその命題を言葉通りに解釈すれば、「あらゆる個性が一個人に備わることなど絶対にありえない」という矛盾に行き当たる。

 

 男であるという個性と、女であるという個性は矛盾する。

 

 背が高いという個性と、背が低いという個性は矛盾する。

 

 幼いという個性と、老いという個性は矛盾する。

 

 勿論、彼らは何も「背が高くも低くもあり、幼く老いた雌雄同体の人類」などという珍妙な新種を目指しているわけではない。実際はあくまでより強く、優れた人類の可能性を模索しているというだけのこと。

 

 そしてその到達点、一つの答えこそがジョセフ・G・ニュートンという傑物。

 

 ゲーム的に例えれば「あらゆるステータスが100点中90点」という極めて高い水準でまとまっている彼は、まさに人類の理想値であるといえるだろう。

 

「業腹だが、アレの人間(ヒト)としての完成度は余や貴様よりも高い、が……その奴ですら、真の意味で完全とはいえない」

 

 しかし特定の項目に絞れば「100点満点中100点」というステータスでジョセフを上回る人間は確かに存在する。

 例えば余興の席とはいえ、アネックスの幹部間で行われた腕相撲大会で、ジョセフを破って優勝したシルヴェスター・アシモフのように。

 

「貴様の言う通り、余の特性の8割は余自身の体質や技能の副産物だ。手術で組み込んだベースは、所詮最後のピースに過ぎん」

 

 そして厄介なことに、人間のステータスの一部は努力だけでは補いきれない。遺伝といった先天的な要因のみならず、栄養、睡眠、ストレスといった環境要因にも左右されるためだ。

 これを踏まえれば「真に完全な人間(全ステータス100点)」とは、事実上到達不可能な領域。

 

「だがそのピースこそが、余を『人類の極限』から『神』へと押し上げる決定打となる」

 

 そう告げるエドガーの姿が、めまぐるしく変わっていく。屈強な青年は豊満な肉体を持つ女性のそれへ。あどけない幼児になったかと思えば、次の瞬間には老獪な老人へ。

 まるで映像をコマ送りにするように、あるいは画像をスライドショーで切り替えるように、彼は己の形を次々に造り変えて見せた。

 

 そしてこれこそが、彼の回答。

 

 身体というハードウェアを作り変え、内分泌を始めとするソフトウェアを調整し、各能力値の点数を必要に応じて割り振ることで、流動的ではあれど完全性を実現する。

 

 これがエドガーの出した答え。

 

「人という枠組みの中、限界まで鍛え上げたボディイメージとボディコントロール。その限界をMO手術で埋め込んだベースで取り払い、人体の全てを支配する力を手に入れた」

 

 テロメアの産生、高度な自己再生、シストの形成、形態変化。

 

 そのいずれも、人間がどれだけ努力したところで身に着けられない特性。それらを取りそろえたこの生物がエドガーに適合したのは、まさに運命というほかない。

 

 そして、自らの体質とベース特性。極限まで鍛え上げたこの二つは相乗効果により、エドガーの己に対する支配度は更に高まる。

 そのボディコントロールは最早細胞単位──否、遺伝子単位にまで深化していた。

 

「己だけでなく、他者に対してもな」

 

 補足するように付け加えたエドガーの背後で、倒れていたオリヴィエが立ち上がった。先ほどの包囲攻撃の際、脳天に貫手を受けた個体だ。

 

 ヒト胚芽の特性で再生したらしい彼の頭部に、傷らしい傷はない。しかしまだ不調が残っているのか、やや緩慢な仕草で頭を振っている。

 

「起きたようだな」

 

 それに気づいていながら、エドガーは振り向かない。自らの敵に対して無防備に背を向けながら、彼は素っ気なく言った。

 

「エドガー・ド・デカルトが命ずる──()()()()()()G()()()()()()()()()()()()()()()()()G()()()()()()()

 

「……あぁ」

 

 端から聞けば、何から何まで無茶苦茶な命令。それに対し、エドガーの背後のオリヴィエは吐息のような声を漏らし。

 

 

 

「了解したよ、()()()()()

 

 

 

 次の瞬間には、拾い上げたその槍をエドガーに対峙するオリヴィエに対して繰り出していた。

 

「ッ!」

 

 ギィン、という金属同士の衝突音と共に火花が散る。寝返ったオリヴィエの槍を止めたのは、観測手役のオリヴィエだった。二対一は流石に分が悪いと判断し、元からエドガーと戦っていたオリヴィエに加勢したのだ。

 

「クハハハ! 醜いものだな、泥人形。無駄に増えるからこういうことになる」

 

 自らの増援を逆手にとった逆襲に、黙り込むオリヴィエ。一方、それをけしかけた張本人であるエドガーは胸がすいたように笑う。

 

「血の弾丸や拳では精々記憶の一部を飛ばすだけだが、より多くのRNAを注入すれば、こういうこともできる。加えて貴様の『同期』とやらで正気に戻されんよう、少々細工を施しておいた」

 

 エドガーに上乗せされたアルキズメツノゼミが含有するアルカロイド。その中でも一際凶悪な毒が『スコポラミン』という物質だ。

 

 この成分は摂取した者から正常な判断力を奪うことで、どんな命令にも従う操り人形に仕立て上げてしまう。

 軽く吸引しただけでも効果を発揮するそれを、直接脳に投与されればどうなるか──その問いの答えが、オリヴィエの眼前で起きている自分自身の同士討ちだった。

 

「では、邪魔者も消えたことだ──」

 

 それを尻目にエドガーは青年の姿へ戻ると、オリヴィエを睥睨する。まるで害虫に向けるような、冷めきった殺意と共に。

 

 

 

「神罰を続行するとしよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『科学技術は神の領域に突入した』。

 

 

 

 21世紀初頭、急速に進歩を遂げていく科学を目の当たりにした誰かが言った。

 

 科学がそう呼ばれるきっかけとなったのは、『ゲノム編集』を筆頭とする技術分野の台頭。そしてこれらの根底に存在する遺伝子工学や分子生物学といった学問分野の発展に、無数の生物たちが関わっていることは言うまでもない。

 

 その最たる例が、モデル生物と呼ばれる生き物たち。

 

 これは生命現象の研究に用いられる生物全般を指し、『飼育・繁殖や観察がしやすい』『世代交代が早い』『遺伝子情報の解明が進んでいる』など特定の条件を備えた種が選ばれる。今日の我々が科学の恩恵を受けられるのも、彼らの献身があってこそ。

 

 エドガーの手術ベースに選ばれたのも、そんなモデル生物の中の一種。そしてその中で最も生命現象の解明に寄与し、今後も貢献し続けると目される生物である。

 

 

 

 ──それは聖なる数字を冠する生物。

 

 

 

 肉眼では見えない小さなその体には、二つの核・三相の形態・七つの性……人類の常識が全く当てはまらない、神秘的で不可思議な生態の数々が宿っている。

 

 彼らについての研究を通し、世界的な権威ある賞にその名が列せられること、実に二回。永遠(テロメア)神の言語(ゲノム)生命の真理(RNA)──彼らの存在なくして、生物学の歴史を語ることはできない。

 

 彼らこそが、『人の技術』にすぎなかった科学を『神の御業』にまで昇華した立役者。()()()()()()()……即ち、『ミッシングリンク』。

 

 オリヴィエ・G・ニュートンが、生命の果実を口にしたように。

 

 エドガー・ド・デカルトもまた、失われた進化の道筋を探し当てていた。

 

 

 

「祈るがいい、オリヴィエ・G・ニュートン。最期の瞬間くらいは、せめて人間らしく」

 

 人体という名の、小宇宙(ミクロコスモス)。それを完全に掌握する全能の力。

 

 それを手中に収め『一にして全』なる存在となった絶対者は、狂猛な笑みと共に告げた。

 

 

 

「──神へ挑んだ愚かしさを、噛みしめながら」

 

 

 

 神を騙る不届きものに対する、聖滅の宣告を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エドガー・ド・デカルト

”フランス共和国『大統領』/『神への挑戦者』”

MO手術ベース”???型”

―■■■■■■―

+

MO手術ベース”昆虫型”

Alchisme grossa(アルキズメツノゼミ)

 

使用武器:対テラフォーマー反物質充填式光子コーティング西洋刀

『ラハット・ハヘレヴ』

+

対生命体形質表現制御補助機構

『カルテジアン・ミッシングリンク』

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──生命と業の書(■■■■■■)

 

 

 

 ──極天の全能者(エドガー・ド・デカルト)臨界(ドミネイト)

 

 

 

*1
人間のニューロン数がおよそ1000億とされる




 なんと! 中編と後編に分けても! 書きたいものが! 納まりきりませんでした!(すみません…)

 というわけで後日もう1パート、拙作の本編にもリンクする本当のラストパートを投稿します(これで本当に最後です)。

 アダム側の敵幹部のちょいみせなどありますので、なにとぞお付き合いいただければ幸いです。
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