美波と出会ってから、プロデューサーは仕事に充実感を感じていた。先の見えなかったスカウトとは違い、どんな仕事でも美波のためと思えば苦ではなかった。
今日も美波が来るまで、彼女は事務やら何やらを黙々とこなしていく。そこには私情もあったが、美波との時間を大切にし、積極的にコミュニケーションをとって仲良くなることは仕事面でもプラスになる。
そうして時間が過ぎていき、彼女が時計と部屋のドアを気にすることも多くなって(例えは悪いけどなんだか飼い主を待つ犬みたいだ)、ついにそのときが来る。
「お疲れ様です、プロデューサーさん」
扉が開かれ、美波が部屋に入ってきた。今日はラクロスのユニフォームではなく、彼女の私服のようだ。時間がないとき、彼女は急いで部活動の格好のまま来ることがある。
それでそのときの写真はプロデューサーのデジカメの中にあったりもする。
「こんばんは、新田さん。今日は確か、ダンスレッスンだったよね。仕事も大体片付いてるし、わたしも付いていくね」
「はい、よろしくお願いします。まだまだ失敗続きで、完成度も低くて恥ずかしいですけど」
「そんなことないよ。新田さんが頑張ってる姿に勇気づけられるし……それを見られるのはプロデューサーの特権だもん」
「ふふっ、プロデューサーさんは仕事熱心なんですね」
「そうかなぁ、新田さんのほうが頑張ってるからそんな気しないよ」
「仕事に一生懸命なプロデューサーさん、素敵です。私もプロデューサーさんに負けないように頑張ります。……だから、ちゃんと見ててくださいね?」
@ @ @
失敗しても可愛いし、苦手な振り付けに何度でも挑戦する姿が健気だと思いながらプロデューサーは美波のレッスンを見守った。彼女から見てハードめなレッスンで汗をかいても、美波の美しさは損なわれることがない。
濡れ髪に首筋を伝う汗、レッスン後に頬を上気させながらタオルで汗を拭う仕草にプロデューサーは美波を意識してしまい、その度に慌てて首を振って考えを振り払う。
事務所に戻った二人はそれぞれ事務作業をしたり資格の勉強をしたりする。体で覚えることもあれば頭で覚えることもあり、また今日のように単純に次のレッスンまでの空き時間をここで過ごすこともある。
プロデューサーは事務作業をしながら、真剣な顔をして資格の勉強をする美波の横顔を盗み見る。彼女の一生懸命な表情もプロデューサーは好きだった。
「ぷ、プロデューサーさん? その、あんまり見られると集中できなくて……」
それにしてもちょっと盗み過ぎた。プロデューサーの熱視線は美波の知るところとなって窘められる。
「……そうだよね、ごめんね? わたしはわたしの作業に集中します……」
それを受けて、若干しょんぼりしながらプロデューサーが仕事に戻る。美波のことを見ているだけでは終わらない仕事があるのだ。
今日こそこの始末だが、ここ最近の二人はよく話をしていたし、順調に信頼関係を築いていた。
その会話内容の中でも特筆すべきは、美波に彼氏や好きな人がいないことだろう。それを聞き出したプロデューサーが安堵したことは言うまでもない。「それを聞いたらお父さんも喜ぶね」とは満面の笑みのプロデューサーの言だ。
話を戻すが、プロデューサーは割と些細なことで悩むほうだ。今も、さっきの出来事は大したことではないのに心のどこかでもやもやとしていた。
これまでの自分の振る舞いや言ったことのせいで美波に嫌われてはいないか、美波は自分のことをどう思っているのだろうと。
自分から好意を向けているぶん、余計にそれが気になっていた。もしかしたら、その好意自体が美波にとって負担になっていないかと彼女は考えてしまう。
そこまで深刻に悩んでいるわけではない。でも決して軽い悩みでもなかった。
プロデューサーの作業の手は止まり、こちらは窘められたわけではないのになんとなく話しかけることもせず、重い気持ちに引きずられるようにして彼女のまぶたも重くなる。彼女は少しだけ疲れが溜まっていて、ついには眠ってしまった。
彼女の名誉のために言っておくと、こんなことは初めてで、いつもの彼女はいたって真面目だ。真面目だからこそこうして眠ってしまったのだった。
––––––プロデューサーが眠っている間も時計の針は進み、時計の針が進んでもプロデューサーは静かに眠り続け、そのまま二人が帰る時間になった。プロデューサーが眠っていることに彼女は途中から気付いていたが、自分が帰るまでは寝かせておいてあげようと思ったのだ。
美波は静かに立って、プロデューサーのデスクのそばまで近づく。微かな寝息をたてて、あどけない寝顔でプロデューサーは眠っていた。その様子をしばらく眺めてから、美波は起こすのを躊躇う気持ちに打ち勝って彼女を揺り起こそうとする。
と、その前に眠っている彼女の唇が何か言いたそうに動かされて、それから「……美波ちゃん」とはっきり言葉を紡いだ。聞き間違いではない。
それに美波は驚いた。夢に彼女が出ていたこと、そして今まで呼ばれたことのない名前で呼ばれたことに。
でもそこで返事はせずに、美波はプロデューサーを今度こそ揺り起こす。
プロデューサーはすぐに目を覚ました。ずっと眠っていたのに、すぐに起きた辺り繊細なのだろう。控えめな欠伸を噛み殺しながら、まだとろんとした目で自分のことを起こした美波を見ている。
それからだんだんと覚醒してきた彼女は「わたし……寝てた?」と遅まきながらすまなそうな顔になる。
「プロデューサーさん、もう帰る時間ですよ。なので起こしました」
「起こしてくれてありがとう……ねえ新田さん。わたし、寝言で変なこと言ったり、変な顔してたりしてなかった?」
プロデューサーも女の子なのでそういうところを気にする。まして美波の前なのだから余計に気になるのだ。
「いえ、可愛い寝顔でしたよ? いつもより子供っぽくて、ふふっ」
「わ、わたしこれでも大人なんだけど……それで、寝言はどうだった?」
「一度だけ『美波ちゃん』って呼んでいました。プロデューサーさんはどんな夢を見てたんですか?」
「えぇ⁉︎ わたしが寝言で新田さんのことを呼んでたの⁉︎ それも名前で⁉︎ 夢を見てた記憶はないんだけど……新田さんのことを名前で呼んだこともないし。でも他に美波ちゃんはいないから……やっぱり新田さんだったのかな」
プロデューサーは一瞬焦ったような表情になって、それから考えを巡らせてそんなことを言う。
「……それなら、これをきっかけに、私のことを美波ちゃんって呼ぶのはどうでしょう?」
「……恥ずかしくて呼べません」
「さっき美波ちゃんって言ってたじゃないですか! それにこっちのほうがもっと仲良くなれる気がしませんか? 私もそのほうが嬉しいですし」
美波は良いことを思いついたとばかりに提案を続ける。
「新田さんとは仲良くなりたいけど……うう、そんないきなり名前でだなんて」
「じゃあ、お試し期間や練習のつもりで呼んでみてください……駄目ですか?」
「駄目じゃないけど……」
プロデューサーは押しに弱かった。美波のおねだりに勝てるはずもない。
「…………」
美波の期待のまなざしがプロデューサーに向けられる。それを見て取って、プロデューサーが一度目を泳がせた後にその呼び名を口にする。
「……み、美波ちゃん……」
消え入るような声で、耳まで赤くしながら呼ばれたその名に美波が嬉しそうに「はいっ」と答える。
暫く、プロデューサーは美波の顔を見ていたが、やがて「待っててね。すぐに帰れるようにするから」となにかを誤魔化すように言いつつ慌てて帰り支度を始めた。
その帰り道ではプロデューサーが「新田さん」と呼ぶ度に「違いますよ、プロデューサーさん。新田さんじゃなくて美波ちゃんです」と冗談めかして優しく注意され、言い直しをさせられるので彼女はずっと赤くなっているのだった。
続きました。感想への返信に代えて。
ここからはオリジナルです。行き当たりばったり感が強いですが少なくともあと一話は続きそうです。