かつて世界を救おうとした男がいた。
世界の悲しみを、憎しみを、絶望を、その全てを無くそうとしたのだ。
もちろんそれは叶わなかった。必ず何かを切り捨てなければ、今ある幸福すら守れなかった。
それが何度も、何度も、何度も続いた時、男はついに決心した。
今ある世界全てを焼き尽くしてでも、みんなが笑える世界を造り上げることを。
もう深夜にも関わらず、この建物の明かりは尽きることがない。
ここは時計塔。と言ってもロンドンの有名な観光地ではない。十二の学部に分かれ、数百年の歴史を持つ魔術師の総本山。その内の考古学科のカレッジである。
普段は魔術教会の中でも権力闘争から遠く、その名にふさわしい古風な雰囲気を持つのだが、今日は珍しく不穏な空気が漂っている。それは主に「今にありながら過去にある」と称される考古学部長室から溢れだしていた。
「なぜこんな物が発見されてしまったのか。よりによってわたしが学部長の時に!」
時計塔の考古学部長は頭を抱えていた。きらめく白銀の髪が乱れる。
彼女の名はハインリッヒ・シェリー。物体との同期を得意とする魔術師である。彼女は、歴代の学部長の中でも随一の腕前を持ち、こんな風になるのはとても珍しい事であった。
そのため、何か口実をつけては落ち込む学部長を見にいく研究員が続出していた。
魔術教会の中でも古くから伝わる魔術を研究する彼らの任務の一つに、大英博物館の地下に眠る最初期の工房の探求がある。半分ダンジョンとなってしまっている工房にも昔は多数の魔術師がいた。
しかし、後継ぎがいない研究の多くはその隠匿性によって闇へと消えてしまう。もしそれを回収することができれば、先人の研究をそのまま引き継ぐことができるのだ。
ただトラップに巻き込まれたり、封印されていた魔獣に襲われたりする事故が多発する為、殆どの魔術師には敬遠されており、古代遺跡の探求の方がはるかに人気があった。
故に小学生の夏休みの宿題のような有様だったのだが、『せっ、聖杯戦争の設計図らしきものが発見されました!』と探索班が報告してきたことで大騒ぎになった。
なんでも日本のある都市で地脈を利用してそれらしきものを開くらしい。最近本家のものは何人かの魔術師の手によって聖杯が破壊されてしまい、その解体もそのうちに行われてしまうという。それを受けて考古学科では、普段めったに来ないほどの人数の魔術師たちが奔走していた。
しかしそんな中、やけに呑気そうな顔をした顔をした男がいる。
「すいません。このレポートなのですが」
「君もか。まさか普段全く講義に出ない考古学科の悪夢まで私が落ち込むのを見たがるとは。どいつもこいつも」
「いやぁ」
軽そうな顔と茶髪、それなのに首から下がやたらマッチョな男が、照れたように頭を撫でた。
ログウェル・クック。時計塔の悪夢と呼ばれる彼は同時に探検家としてのスペシャリストでもある。その業績は考古学科でトップクラスではあるのだが、実は未だに学生の身であり、もう三十路半ばを過ぎていたりもする。
その実力は持って生まれた「物の起源」を見る魔眼に起因し、普通なら気が付かない入り口やトラップをたちどころに認識し大量の宝物を手に入れる事が出来る。これは一族代々受け継がれてきた血筋に起因する。まぁその奔放ぶりのせいで勘当されてしまった身なのだが。
普段は時たま研究成果を持って帰って来て、何も言わずにそれだけ置いて帰っていく様な彼であるが、さすがにこんな面白い事件は見過ごせなかったらしい。
「それで何しに来たのだ。『考古学は現地調査が一番、研究所にこもっていたら自分が研究対象になっちまうぜ』などと言って時計塔にもほとんど戻ってこない問題児のくせに。まさか、本当にレポートを提出しに来たわけではあるまい。手短に頼むぞ。私は会議の連続で疲れているのだ。これ以上何か手間を取らせるようなことがあったら、殴り飛ばしてやる」
そう言ってシェリーは拳を振り上げた。
「ロード、疲れすぎてキャラが崩れてませんか。あの天才、ウェイバー・ベルベットみたいになってますよ」
「黙れ、弟子の成長に置いていかれて挙句にグレートビックベン☆ロンドンスターなんて変なあだ名をつけられているヤツと一緒にしないでくれ」
シェリーは振り上げていた拳を思いっきり振り下ろした。
「本当に聖杯戦争が行われているなら、この俺を魔術教会からの管理者として派遣してくれませんか」
その拳をモロに受けておきながら顔色一つ変えずにログウェルは言った。
「は?」
たっぷり十秒ほどの間を置いた後シェリーは口を開いた。
「君、聖杯戦争が一体どのようなものが分かっているのかね。本家でさえ7人の魔術師が手段を選ばずに殺し合い、千人以上が死んだこともあるのだぞ。戦闘向きでない君の魔術でどう戦うのだ。 しかもこれはまだどんなものかも確認できていないのだ。現に、多大な参加人数や、英霊への縛りと現界術式の不完全性など、本物と違う点が続出している。聖堂教会も黙ってはいないだろう。もし使者を派遣して死んでしまったら…」
彼女の頭が高速で回転する、こんなよくわからない聖杯戦争に貴重な研究要員を割いてはならない。ならば、高位の魔術師である自分が行けばいいような気もするが、いかに強大な魔術師であろうとこの争いにおいて生き残れるとは限らない。現に自信たっぷりで出掛けておきながら妻共々死んでしまった元学部長もいるのだ。
その点、この男は適任である、もともと古代遺跡でトラップ相手に映画のようなことをやって生きている奴なのだ。なかなか死なないだろうし魔術の解析にも優れている。もし死んでしまっても、どのみち時計塔に寄りつかないこの男なら惜しくはない。
これだけの事を1秒で考え、シェリーは口を開いた。
「なるほど、それは良い案だ。ほかのロードには私から話しておこう。それで君の目的はなんだね」
「良かったんですが、何かろくでもないことを思われている気が…。歴史上の遺物の回収に行きたいと」
突如飛ばされてきた魔術弾をログウェルは寸前でかわす。
「何するんですかロード、あなたの魔術弾なんか素で食らったらシャレになりませんよ」
なおも魔術弾を連続で飛ばしながらシェリーは叫んだ。
「忌々しい!君は!どうして!どんな願いでもかなうという聖杯に興味を持たないのだ!どうしてよりによってそこで遺物なんぞを欲しがる!」
「だって聖杯戦争ですよ、過去にも強力な英霊を呼び出そうと原初の蛇の抜け殻や、かの征服王の衣服が用意されたらしいじゃないですか。考古屋として、それが手に入れば冥利に尽きるってもんでしょう。だったらロードはどんなものを頼むんですか、金には困ってなさそうですし…あっ、わかりました結婚ですうわっっっっっ!」
数日後、直撃した大量の魔術弾のダメージを回復し、頑丈さに驚かれながらログウェルは時計塔を後にした。
「しかし発動時刻が都合よく来年になっているなんて。タイミングが良すぎるな」
シェリーは一人で呟く。
「まるでわざわざ見つけられようとしているかのような気がする。何も起こらないといいが。まぁそんなことは有り得ないのだけど。私も動かざるをえないか…」
そもそもこの聖杯戦争を起こしたフランマ・ブレドアリナの子孫は今も生きているはずである。なぜ子孫に聖杯戦争の所在を知らせて聖杯を独占しなかったのだろうか。彼女はそんなことを考えていた。
もっとも、魔術協会を躍らせようとしていたなら、それはすでに失敗している。彼女の背中には六十にも及ぶ令呪が静かに光り輝いていた。
二週間に一回は最低でも投稿したいと考えてします。少しだけ書き溜めて置いた分があるので、次回は比較的はやく投稿できると思います。