遡る事一時間。不気味なほど静まり返った川沿いの住宅地に、佇む一つの影があった。
全身黒色の服に、顔を覆う白い骸骨の仮面。そう、あのアサシンである。
「―――疲れた。早く休みたい」
右肩は血で赤く染まり、不自然な方向に曲がっている。左足は一本の棒になったかのように固まり、それを無理矢理引き摺って歩いている。戦闘で受けた鮮烈なダメージを想起させるその見かけに反して、彼女の口調はあくまで淡々としていた。
『人気がやけにないな……。マスター、辺りを警戒したほうがいい。というか私の宝具を早く使え。その程度の傷なら簡単に治せると、さっきからしつこく言っているだろう』
「―――いちいち魔力は使えない。魔術師でもない私には、そんな余裕はない』
そう言いながらポケットから包帯を出し、無事な方の腕で乱雑に巻き付ける。痛みなど感じていないかのように、その動作には躊躇がなかった。
「―――中々いい場所がない。やっぱりもう一度あそこに戻りたい」
『本気で言っているのか? 死にたくないのならやめておけ。確実に待ち伏せされるし、そうでなくともそれ相応の罠が仕掛けられているはずだ』
「―――今から暗殺すればいい」
『勿論万全の体調で完全な闇討ちなら、ほぼ確実に殺せるだろう。だが傷が癒えてからでも、別に遅くはないはずだ』
「―――ふふ」
アサシンが腹部を抑え、その場でかがみこんだ。肩がわずかに震えている。
『どうした。今更痛みに耐えきれなくなったとか言い出すつもりか。無理はするな、自分が何とか―』
「―――冗談に本気で言い返すなんて、馬鹿みたい」
人目を気にすることなく、大声で笑う。その声は彼女が一人の少女である事を如実に示していた。
と、唐突にそれが止まる。顔を不機嫌そうにゆがめ、ぼそりと彼女は呟いた。
「―――笑ったら、傷口に響いた」
『君は馬鹿か! 少しは状況を考え……、いや、それどころではないな。マスター、どうやら他のサーヴァントがこちらに近付いているようだ』
それを聞き、彼女の顔色が変わった。立ち上がり、口元に笑みを浮かべる。それは戦いに臨むときの気持ちの高ぶりを端的に表した、鮮烈な物だった。
「―――山の翁になる私を奇襲するなんて、いい度胸。返り討ちにしてあげる」
『まぁそう血気に逸るな。相手はこちらを狙ってきているわけではない。いくらなんでも気配を消しているお前を見つけることは不可能だ。ここは穏便に撤退しよう』
「―――そんな事は出来ない。敵と戦わないのは、私の誇りに逆らう」
『お前はアサシンだろう。そんな物は持ち合わせていないはずだ』
「―――そこは笑い飛ばすところ」
『ええい、少しは真面目に話してくれ』
何はともあれ、早くこの場を離れよう。そう思ったアサシンは、闇の中に静かに溶け込んでいった。
それから十秒ほど後に、空から少女がひらりと舞い降りた。全身茶色の服に、赤色の髪。その派手すぎる見かけは、良くも悪くも悪目立ちしている。
「HERMITめ、何も考えず適当に宝具を使うなんて。いきなり全員に喧嘩売って楽しいのかね」
『そう愚痴るなよマスター、俺だってその宝具を持っていたら同じ事をしたさ。沢山の人間が自分が思った通りに動くなんて、一度はしてみたい体験だと思うけど』
『あーあー、そうだな。お前みたいなのが敵じゃなくて本当に良かったよ』
そう言いながら、鞄から古ぼけた革で縛られた真っ黒な本を取り出した。表紙には、CHILDRENS STORYSと赤い大文字で書かれている。
素早く結び目を解き、本を真上に掲げる。すると1ページ1ページが眩く輝き始め、さらに群青色の魔法陣が展開された。
『おお、派手だね。それで、結局何をするんだ?』
「………それは枕元から、或いは隠された入り口から。語るのは両親、或いは世界の案内人。訪れるのは素敵な物語、或いは真実の冒険譚。例えば夢見るお姫様、白銀の正義の騎士、悪い竜に不思議な魔女。くるくる回る夢幻の世界の、奥の奥までつまびらかに」
ゆっくりと詠唱される魔術。それに合わせて、上空に大きな渦が巻きあがる。
『グダグダ長いな。何時になったら終わるんだよ』
「………今回紹介するのは、滅びもたらす魔物の牙。皆がよく知る悪役の力を、我が手中に収める!」
パン、と手を合わせると、其処目がけて黒い奔流が放たれた。彼女の腕の周りを何重にも取り巻いて回り続ける。
『やれやれ、ようやく終わったね。あれだけ長い詠唱して、そんな事しか起きないのか』
「さっきからお前うるさいんだよ! サーヴァントならサーヴァントらしく私の言う事を聞いて黙ってりゃいいの! いちいち口を挟むな!」
怒りのあまり、少女は念話を使わず直接怒鳴りつけた。これからこいつと一緒に勝ち上がらなくてはならないとなると、益々苛立ちが募る。
「とにかく、これでいつでもアイツらを迎撃できる。ようやく起動出来たぜ。この魔術礼装、起動に時間がかかり過ぎるんだよ」
『僕は要らないと言いたいわけか。その程度の力なら、簡単に超えられるよ』
『お前は燃費が悪すぎる。今日中に後もう一回でも使ったら、反動で二日はまともに動けなくなるだろうな』
『大袈裟だな。要は魔力放出を一回も使わなければいいんだろ。それぐらいの調整は出来るはずだ』
『うるさいな。出来ないから使わないんだよ! 少しは考えろ!』
『へぇ、出来ないって、自分で―』
「RELEASE!」
大声で怒鳴ると、服装や髪色が大きく変わった。黒いジャケットに、ナイフで何度もダメージ加工されたジーンズ。ざっくばらんにくくられた、金色の肩まである髪。現代風の魔術師らしからぬ姿が現れる。
「取り敢えずどこかで休むか。そこでのんびりしながら、栄養ドリンクでも飲めば疲れも取れるだろ」
魔女達に見つからないようにするには、空から見えないような場所が必要だ。とはいえ、今からホテルに戻るには時間がかかりすぎるし、奇襲にも対応しづらい。そう考える彼女の目が、ふと橋の下を捉えた。
「そうだな、あそこならちょうど良さそうだ」
ポケットから魔法陣と栄養ドリンクを取り出し、イヤホンをつけて口笛を吹きながら歩いていく彼女の耳には、幸か不幸か、守宮の使い魔が放つ咆哮が届かなかった。
次回、ついにバトルロワイヤルが本格的に始まります