ガイロス帝国首都、ガイガロス。
官邸に築かれた一室で、一人の男が優雅に夕食をとっていた。灰色の髪が老けた印象を持たせるが、その顔からは若さが感じられる。いや、一つの思惑に向けて邁進する若さだろうか。
室内にノック音が響く。扉が開かれ、一人の女性士官が入室する。
「失礼します。ご報告があり、参上しました」
男は食事の手を止め、静かに頷く。
「レッドラストに派遣した者より報告です。実験はやはり失敗。しかしデータの回収は成功した、とのことです。研究班の者たちも、これで大きく進歩するとのこと」
「うむ」
「それから、ザルカ博士は魔獣と運命を共にしたと」
「分かった。ごくろう」
「はっ!」
男は報告を聞き、黙考する。今後の展開を思惑しているのだろう。しばしの後、女性士官が残っていることに気づき顔を上げる。
「気になっているのか?」
「は、ザルカ博士はあの研究において欠いてはならぬ存在かと。なぜそれを……しかも、あのような男に始末を任せて――」
「――ハーディン准将」
銃を突きつけられた錯覚を覚え女性士官は――ハーディン准将は緊張する。
「ザルカ博士の持つ知識はすでに我々と共有している。もはや用済みだ。それに、我らの内情を知る奴を生かしておく理由は無い。そして、あの少年は私の息子が最も信頼する男だ。仕事はきっちりこなすだろう」
「ですが! 奴は閣下に一度刃を向けた――」
それ以上。ハーディンは口にできなかった。射抜くような視線に、恐怖を覚える。
「報告は以上か? では退出したまえ」
「……は、失礼します」
来た時と同じように、ハーディンは静かに退出する。男は、一瞥すらせず、食事を再開した。
***
「どうして、オレは生きてるんだ?」
「感謝しろよ。気絶したお前をこの村まで連れて来るの、大変だったんだから。ああ、コマンドウルフの御蔭か?」
アースコロニーの村長宅。そこにパリスとローレンジは居た。二人ともボロボロで、立って歩くことも困難。というわけで、急遽用意された布団に寝かされていた。
「まったく、生き残りがオレとお前の二人きりなんて……最悪にもほどがある。部隊のみんなは全滅で、オレだけが生き残っちまった」
「おーい、感謝しろよー。誰のおかげで唯一の生き残りになれたと思ってんだ?」
「中佐、みんな……すまねぇ」
「あー、大の大人がめそめそと……情けない」
結果的に、二人は生き残ったのだ。崩落する遺跡の中、オーガノイドの力で復活を遂げたヘルキャットと満身創痍のコマンドウルフに乗って。そうして村に帰りつき、その瞬間に倒れたのだ。
「パリスさん、ローレンジさん。大丈夫ですか?」
器を二つ乗せた盆を持って、フェイトがやってくる。中身が重いのか、ふらふらとした足取りが怖い。
「ああ、フェイトちゃんか」
「何か嫌な予感が……フェイト、転ぶなよ」
「だーいじょーぶっ――!?」
瞬間、フェイトの脚が絡まりよろける。盆が傾き、中身のお粥が――二つまとめてローレンジの顔に被さる。
「あーあ」
「……えっと、だいじょぶ?」
「…………ははははは、大丈夫~……な訳ないだろ! あっつい! めっちゃあっつい!」
「ごごご、ごめんなさ~い!!!!」
大慌てで布巾を手に取る。だがそれはお粥の入った器の下に敷かれていたのでかなりの熱を蓄えていた。
「あついっ!?」
直に触り、思わず放り投げられた布巾。それは、狙い違わずパリスの顔面を直撃。
「ぎゃーーーっ!!!!」
「ま、また…………わ、わたしし~らないっと」
いったい何をしに来たのか、フェイトは器用に口笛を吹きながら足早に去って行った。残されたのは、目覚めて早々灼熱を浴びせられた二人のゾイド乗り。
「ご迷惑をおかけしましたかな」
しばらく熱に悩まされていた二人の前に老人が現れた。この村の村長だ。
「この度は、本当にありがとうございます。お二方のお話で大体の事情は察したつもりです」
「いや、こっちが迷惑ごとを持ち込んだというべきか……そもそもザルカをここに放り出した帝国の介入が無かったのも……なぁ?」
「知るか、オレは共和国の人間だ」
不貞腐れた様に、パリスはそっぽを向いた。
「まぁ、しばらくは村でゆっくりされるといいでしょう。それで、お二人はこの後どうするおつもりで」
「軍に要請を出したから、一週間後には迎えが来ます。そうしたら、この“犯罪者”を連行して出ますよ」
「そうですか……」
パリスの言葉に、ローレンジはすっかり忘れていた現状を思い出す。そう、怪我の所為で身動きが取れない今、今度こそ逃げることはできない。
――俺の人生、ここまでかな。
小さく、誰にも見つからないように嘆息する。
「分かりました。ではそれまでのあなた方の世話は請け負いましょう。ごゆっくり」
村長はそれだけ言うと席を立つ。
夜が更けたころ、土を踏む音でローレンジは目を覚ます。瞼を持ち上げると、村長とフェイトが居た。
「……またか。もう一度逃げろと? さすがに、気力がないですよ」
「いや、今回は依頼に来たんじゃ」
村長の言葉にローレンジは目を丸くする。依頼ということは、すなわち……
「こんな状況で、しかもあなたが俺に依頼とか……あんまり気が乗りませんが?」
「まぁそういいなさんな。ではお願いでどうじゃ」
「まぁ、お願いなら」とローレンジは口の中で愚痴ると視線を向ける。
「――君にフェイトを預けたい」
「…………は?」
まさに、予想の斜め上を行く頼みだった。こんな状況で、こんな時に、一体このジジイは何を言い出すんだ? ローレンジの頭に、疑問符が多数浮かぶ。
「以前にも話したように、この子には両親がおらん。この村で静かに、幸せに暮らすのがよいと思ったが……」
村長はフェイトを見つめる。そのまなざしはどこまでも柔らかく、優しい光を湛えている。
「この子は、この村で一生を終えてほしくない。たくさんの経験、たくさんの出会いを通じて、強く育ってほしい。じゃから、この出会いに賭けようとワシは思う」
「んなこと言ったって、フェイト本人の意思は……」
「わたしもいつか世界中を見てみたかったんだ。あとこれ」
フェイトは一冊のノートを指し出す。何かの手記のようなそれには、古代遺跡の写真やら、古代文字が数多く記載されている。
「わたしのお父さんとお母さんが残した調査記録なんだ。わたしね、ここに書いてある秘密を解き明かしたいの! そのためには、誰か信用できるゾイド乗りの人と一緒がいいからね」
ペラペラとローレンジはノートをめくる。ローレンジ自身も、フォレストコロニーを滅ぼした原因を探るために遺跡を巡ってきた。少しは、古代文字についての知識も持ち合わせている。
そして、ノートに記された言葉の一つが目に留まった。
「……へぇ、ゾイドイヴねぇ」
「それならローレンジさんが適任でしょ? それに、わたしはローレンジさんと一緒がいい。他の人と一緒なんてイヤ!」
「イヤって……第一、俺は殺し屋だから……そんな汚い道にこいつを――」
「――だったら、いい加減やめりゃあいいだろうが」
最後の言葉は村長を挟んで向こう側から響いた。
「殺し屋の
「パリスまで……」
そろいもそろって強引過ぎだ。ローレンジはそう言いたかったが、同時に思うこともあった。「これは、きっかけなんじゃないか?」と。薄汚れた人生を歩んできた自分が、別の何かに生まれ変わる、そのきっかけなんじゃないか、と。
パリスは寝返りを打つと、盛大にあくびをした。
「ふわぁ~あ。やべぇ、だーいぶ眠くなってきた。今日は寝言をよく言いそうだ」
「……パリス?」
「共和国軍の応援が来るのは一週間後。オレの任務はそれまで殺し屋
それ以降、パリスが何かを言うことは無かった。
「だ、だけど……俺しばらく動けそうにないぜ? ヘルキャットのとこまで戻れればいいけど、それは……」
「だったら大丈夫! おーいニュート~」
自信満々なフェイトが外に呼びかける。すると、特徴的な機械音と共に一体のゾイドが現れる。四足のオオトカゲ型ゾイド。それは紛れもなく……
「あの時のオーガノイドじゃねぇか!?」
「気づいとらんかったのか? お前さんに引っ付いてここまで来たぞ。フェイトにすっかり懐いたがのう」
「ニュートだよ。この子に乗って行けば、ヘルキャットのところまで余裕だよね?」
気持ちのいい笑顔で告げるフェイトに、ローレンジはどこか負けた気になる。「はぁ~~」と盛大に溜息を吐くと、痛む体にムチ打って立ち上がった。フラフラとおぼつかない足取りで、ニュートとそれにまたがるフェイトを連れて外に出る。
夜の砂漠の冷気が肌に浸みる。だが、不思議と先日よりは暖かい気がした。
余計な荷物は全てヘルキャットの中だ。後は、ローレンジとフェイトが向かうだけ。
「フェイトの事、頼みますぞ。ローレンジ・コーヴ殿」
「はい。まぁ俺にできる限りは尽くさせてもらいます」
「おじい! また来るから、間違っても転んで死んじゃったりしないでよ!」
「はっはっは! ワシはそんなに柔じゃないぞ」
村長の笑い声を背に、ローレンジはニュートの背を撫でる。
「そんじゃあよろしく。……ニュート」
「キィー!!!!」
砂煙の立ち込める夜。こうして二人は村を去って行った。
二人の若者を見送り、村長はゆったりとした足取りで家に戻る。
「おや、起きてていいのですかな?」
「今日は、寝れる気がしませんので」
家の中では、パリスが起きだし、窓から外を見上げていた。ちょうど、惑星Ziの二つの月がのぞける位置だ。
「本当なら、おぬしもついていきたかったのでしょう?」
「ローレンジがこの出会いを機に真っ当な道を歩くなら、それを見守る大人が必要ってか? オレはいらねぇだろ。ローレンジは――アイツはすぐに変われるさ。殺し屋だのポリシーだの言っといて、何度も人のこと助けようとするお人よしだ。グダグダな奴だからな」
そう言って、パリスは肩をすくめた。そして、流れ始めた滴を隠すようにそっぽを向く。
「……それに、今オレが共和国を去ったら、仲間たちの死は誰にも伝わらない。それじゃダメだ」
パリスは手を握りしめた。強く、赤い液体がポタポタと零れ落ちるほどに。
「オレは、軍に戻る。……アイツのことを追いかける気はもうないさ。アイツには、何度も助けられちまった。これで借りが返せたわけじゃないからな。だけど……今は……」
「仲間を失ったショックとは大きいものじゃ。彼は手にし、お主は失くした。恨む気持ちもありましょう。今は、その気持ちを吐き出しても構いませぬぞ」
「……はっ、ジジイの胸借りて泣く趣味は、オレにはねぇ」
「これは失敬」
パリスの瞳から大粒の涙がいくつも流れ落ちる。
月は、煌煌と輝いていた。まるで、これからの物語を期待するかのように。
***
村から少し離れた地。そこにヘルキャットは隠れるように鎮座していた。
「あ! ローレンジさんのヘルキャットだね!」
「ああ。さてと、一週間以内にあいつらと合流して、さっさと逃げないと」
ぶつぶつと呟きながら、ローレンジはニュートから降り、フェイトに肩を借りながらヘルキャットに近寄る。すると、ヘルキャットのコックピットが開き、人影が姿を見せる。
「フハハハハ! 遅いぞローレンジ! このワタシを凍え死にさせる気か!」
「……ちっ、そのまま冷凍されてたら運びやすかったのに」
ヘルキャットから飛び降りたその人物は老人だった。だが、とても老人には見えぬほどの身のこなし。
「ローレンジさん、この人は?」
「ああ、ザルカだよ。聞きたいことがあったんで生かしといた」
「何を言うか! お前たちを崩れゆく遺跡から出口へ導いたのはこのワタシなのだぞ!」
ザルカはヘルキャットの横に着陸しているゾイドを指差しながら言う。カブトムシ型のゾイド――サイカーチスだ。
「うっわあサイカーチス!? わたし初めて見るよ!!」
「おや? ローレンジ、なかなか可愛らしい連れが居るではないか。お前の妹か? 殺し屋には似合わんぞ」
「妹じゃない。それと殺し屋は廃業だよ。これからは賞金稼ぎで食っていくかなぁ」
ぼやきつつも、ローレンジの顔に暗い所は無い。初めて見た時よりも晴れ晴れしている。ザルカには、そう見えた。
「さてザルカ。あんたは世間じゃ死んだ身だ。これからは、俺の所属する組織に来てもらうぞ。……ただ、気に入らなかったら俺が消す」
ローレンジの本気の殺気が籠った眼光。それをザルカは意にも介さず、相変わらず愉快気に豪快な笑い声をあげた。
「フハハハハ! なに、ワタシはゾイドの研究が出来ればどこでも構わん。デスザウラーは死んだ。封印などという半端ではなく、真に殺されることで悠久の安らぎを得たのだ。プロトタイプとは言え、満足しただろう。ワタシにも未練はない。……それに、お前たちはワタシの研究成果を見下す気はないのだろうからな。して……その組織の名は?」
「あ! わたしにも教えて! ローレンジさんの仲間たちがいるんでしょ」
ザルカとフェイトの二人が期待に目を輝かせてローレンジを見つめる。その背後には、面倒そうにあくびをするニュート。いつの間にか増えてしまった仲間たちの前で、ローレンジは苦笑しつつ組織の名前を口にした。
「
二年後。ガイロス帝国皇帝が亡くなり、へリック共和国とガイロス帝国の間で和平が結ばれる。
惑星Ziで続いた長き戦いの決着、そして幼き皇帝の即位を巡る戦いが、この物語の新たな始まりを告げる。
さて、これにて『ZOIDS ~Inside Story~』第一章は完結です。
この章の後書きも用意したので、良ければそちらもご覧ください。