ZOIDS ~Inside Story~   作:砂鴉

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幕間その2:兄貴の喧嘩 後編

『丸一日だ』

 

 意識を取り戻してすぐ、あの男はコーヒーを啜りながら言った。

 

『こいつに感謝しろよ。俺は今すぐにでも殺してやるつもりだったけど、この甘い義妹(いもうと)が助けてやってくれっていうからさ。自分を人質にしやがった畜生をだ。おまけにこのひと騒動で風邪も余計に悪化したってのに』

 

 相変わらず底冷えした瞳で、刃物を突きつける様に男は告げた。生かされた。それもお情けで。情けなさすぎる。

 

『オーガノイドにガキ。宝と重荷、リスク背負ってなんで平気な顔してられんだ。お前は』

 

 率直な疑問だった。ただでさえオーガノイドは俺のような悪党を呼び寄せる。奪うだけの価値がある。なのに、その奪う隙になりかねない、戦えもしない少女を連れて、たった一人で危険な裏業界を渡り歩く。

 普通の人間なら、絶対にとらないだろうリスクを背負っている。

 

『まぁこいつには借りがあるからさ。その分、守ってやろうって決めたんだ』

 

 なのにこいつは、こともなげにそういった。借り一つでここまで危険を冒すか? 到底、信じられない。

 

『それにさ、コイツがいるから、俺は踏み越えちゃいけない線を越えずに済んでるんだ。感謝してる。そう思えるようになったのも、あの村長の狙いだったのかね』

『どういう意味だ? しかも、途中から何の話だよ』

 

 さぁてね。そう、男は笑っていた。

 当時は分からなかったが、今なら分かる。

 この男は、俺よりも黒い。

 俺も賞金稼ぎなどと野蛮な身の上に墜ちたが、奴は違う。もっと深みに墜ちて、見てきているのだ。そして、真っ当に取り繕おうと足掻いている。

 

 ほとんどの奴が気づいていないだろう。この男は、もがいているのだ。真人間であろうとしている。しかし、奴の本質は、異常者のそれだ。

 俺に賞金稼ぎのイロハを教え、そして墜ちて行ったあの人のように、狂気を孕んでいる。それを押さえつけて、今を生きているのだ。

 

『コイツに免じて今日は見逃す。けど――次はねぇぜ』

 

 解っている。オーガノイドを狙ってゾイド戦を仕掛け、負けた。甘く見ていたのが仇になった。納得できず、主義に反するのも厭わず少女を人質にとった。その結末が、このザマだ。

 

 立ち上がるとぐらりと視界が歪んだ。相当強く頭を打ちつけられたらしく、出血も多量だったとか。だが、これ以上コイツの世話になるのは嫌だ。

 

『おい』

 

 とっととこの場を後にしようと言うのに、男が声をかけてくる。

 

『俺はローレンジ・コーヴ。いちよう、あんたのことも教えてくれよ』

 

 なぜこのタイミングで、敵同士なのに。そう思ったが、男はこちらの疑問を見透かしたように続けて言った。

 

『昨日の敵は今日の味方。その逆も然り。俺の師匠が教えてくれたんだ。あんたなら、業務上の信頼はおけそうだ』

 

 テメェの大事な義妹(いもうと)を人質にとったのにかよ。そうツッコミかけ、男が――ローレンジがそれを理解した上で言っているのだと把握する。

 大物なのか肝が据わっているのか、それとも……。理解しがたい思考に惑わされそうになりながらも、俺は「けっ」と吐き捨てながら、背を向けた。

 

『アーバインだ』

 

 結局、この日以来、こいつと直接やりあう機会は来なかった。

 

 

 

***

 

 

 

「時間は五分。五分経ったら、コイツを投げ入れられる。先に王手かけた方の勝ちだ」

 

 そう言ってローレンジが取り出したのは二丁の拳銃だ。もちろん中身は空。使用する弾倉(マガジン)にも弾は入っていない。

 五分の間は目いっぱい殴り合いに興じ、叩きのめして拳銃を突きつけるも良し。拳と蹴りで隙を作ってこめかみに押し付けるも良し。ルールはシンプルだ。歪獣黒賊(ブラックキマイラ)内部での喧嘩が発生した時に決着をつける時に使うルールなのだとか。

 眼帯を審判役に預ける代わりに拳銃を受け取る。アーバインはしげしげと眺め、感触を確かめる。不自然な箇所はない。いたって普通のものだ。ガイロス帝国で流通しているもので最も一般的な品。ただ、使い勝手も必要最低限はそろっている。そこは流石のガイロス製。信用の薄い共和国製とは大違いだ。

 

「普段からやってんのか?」

「まぁな。うちの決闘スタイルさ。納得いかねぇなら体動かしてはっきりさせんのよ。その方が、気も晴れる」

 

 そんなもんか。と呟きながらアーバインは腕を軽く回し、調子を確かめる。対人格闘は久しぶりだ。賞金稼ぎとして相手にする賞金首は、もっぱらゾイドに乗って襲ってくる奴がほとんど。アーバインもそれを想定し、ゾイド戦の練度は高めている。デスザウラーの一件後も、ライトニングサイクスの整備を欠かしたことはない。ただ、対人格闘となれば、その経験は少し不安が残る。

 もちろん、一介の賊に負けるような不様を晒すような気はかけらほどもない。

 だが、とアーバインはローレンジを見た。

 

 同じように腕をクルクル回し、次いで全身を軽く伸ばす。ただの準備運動のようだが、その実、ローレンジの集中が少しずつ高まっているのが分かった。子ども相手の訓練ではない。一流の賞金稼ぎであるアーバインを相手にするための気迫を作っているのだ。

 

 ――それもフリだろうが。

 

 ローレンジの恐ろしさは良く分かっているつもりだ。初めて奴と出会い、そのオーガノイドを狙った時に思い知らされた。この男は、アーバインよりもずっと深く、『業界』の闇の部分を知り、その深淵まで堕ち、身に宿してきた。

 この男は、そうと決めれば何食わぬ顔で人の命を奪える。何人でも、何十人でも、何百人でも。例え、それが見知った相手だろうと。

 そんな男が、一々準備を必要とするはずがない。そうと決めれば、一瞬で殺戮モードに移れるだろう。

 

「そうだ。なんか報酬でもつけようか」

 

 思いついたとばかりにローレンジが言った。何がいい? と表情で問いかける彼に、アーバインは口端を持ち上げる。ちょうどいい。直球に訊いてやろう

 

「なら、一つ訊かせてもらおうか」

「なにを?」

「テメェがこんなことを始めた理由さ」

「ふーん。なら、俺からも訊かせてくれ。あんたがなんでバンに着いて行ったのか」

「そんなことかよ」

「お互い様。孤高の賞金稼ぎサマが心揺れた理由、ちっとばかし気になってたのさ」

 

 そう言い放つとローレンジは審判役を担った少女に視線を投げた。

 

「えっと、それじゃ頭領にアーバインさん。準備はいいですか?」

「おう」

「ああ」

 

 審判役を当てられた少女――クルムといったか――の確認に応え、アーバインは身構えた。ローレンジも構えをとる。といっても普段通りだ。ぶらりと両手を垂らし、自然体でアーバインを見つめる。

 

「それじゃ、始め!」

 

 開始の合図がなって直ぐ、二人は動かなかった。慎重に様子を見るアーバインに対し、ローレンジは何食わぬ顔で先ほどと変わらぬ態度だ。

 それから二人とも動かず、しばしの時が経った。ごくりとつばを飲む音が嫌に響いた気がする。じゃりと砂を踏みしめる音――これはクルムのか――が響き、ローレンジが小さく息を吐いた。そして、徐に腰を落とす。

 

 ――来るっ!?

 

 迎え撃つ覚悟を決めたアーバインは小さく舌を打った。

 ローレンジが姿勢を崩し、攻めに転じる。そう予感した時、彼はすでに()()()()()()()()()()。右手が引かれ、一気に掌底が突き出される。狙いは、顎だ。

 受ける余裕もなく、アーバインは半歩身を引いてそれを躱す。だが、ローレンジの右手は途中で止まった。読まれていた。アーバインが回避に意識を割いた隙をつき、くるりと身を回し、体重の乗った回し蹴りが叩き込まれる。これも受けきれないと判断し、アーバインは身をさらに引いた。

 左足で地面を蹴って後ろに跳び、その勢いを殺すために右足で砂埃を上げる。回し蹴りを躱されたローレンジはその隙に体勢を戻し、戻した軸にした右足で軽く溜めを作るとさらに踏み込んできた。今度は右のひじ打ち。これを左手で受けるも、そのひじ打ちもジャブ程度の軽いものだ。すぐに左手の掌底による追撃が来る。

 これはいける。そう判断し、身を傾けてその腕を掴む。そしてアーバインは攻勢に出た。

 左拳を握りしめ、身を低くしたローレンジの顔面に叩き込む。しかし、ローレンジは右手でそれを受け、押し込む。

 押し合いだ。ぎりぎりと音が響きそうなほど互いの腕を、拳を握り、体勢を崩すべく力を籠める。しかし、これでは埒が明かない。一度離れる。

 タイミングは同じだ。互いに跳び離れ、次の隙を探す。

 

 ここまでの攻防で、アーバインはローレンジの組み立てを見切ったつもりだ。

 アーバインは防戦、カウンター重視だ。相手に攻めさせ、それを防ぎ、躱し、凌ぎながら隙を探す。攻め込み、踏み込み過ぎた相手に自ら隙を作らせ、その隙に一撃を叩きこみ、制するのだ。

 対するローレンジは攻め重視だ。矢継ぎ早に攻め手を叩き込み、相手の防御や回避の態勢を崩し、崩した瞬間を狙って必殺をねじ込む。事実、先ほどの攻防でも二発目の蹴りと最後の掌底以外にはそれほど力が籠っていない。

 これだけのことなら、アーバインが凌ぎ切って隙を作らせるか、ローレンジがアーバインの防御を崩すかどうかの勝負だ。だが、そう単純ではないとアーバインは理解していた。

 

 ――最初の踏み込み、反応できなかった……。

 

 ローレンジが最初に踏み込んだ時、アーバインは気を許したつもりはなかった。だというに、ほんの一瞬でローレンジはアーバインの懐まで踏み込み、攻め立てたのだ。

 繰り返すが、油断したつもりは毛頭ない。ただ、自然な動作で、こちらのほんの僅かな緩みに合わせ、呼吸の隙間を見極めた様に、当然の如く踏み込んで来たのだ。その一瞬で、こちらの全てを見極められたかのような錯覚を覚える。

 断言する。もしもあの時ローレンジがナイフなり拳銃なりと暗器を潜ませていたのなら、最初に踏み込まれた時点で肉塊と化すのはアーバインだ。あの一瞬で、

 

 

 

 殺されていた。

 

 

 

 ――くそっ!

 

 殺されていた。自覚した瞬間、恐怖が身を強張らせる。それが隙となり、再度ローレンジに踏み込まれる。

 次は凌ぎ切れるか分からない。ローレンジの一挙手一投足に注意し、それを凌ぐことに全てを集中する。だが、

 

 ――なに!?

 

 足元の感覚が無い。足首の感覚が掬われ、気付いたら視界には青い空が広がっている。それを理解するのと背中に硬い地面に叩かれる感触を感じたのは同時だった。今度は足払いか。

 この隙はデカい。マウントポジションを取ったローレンジの拳が一切の躊躇なく顔面に叩き込まれるそれに対し腕をクロスさせて防御し、片足を持ち上げて背中を蹴り込む。すぐに転がって起き上がると、ちょうど顔を上げた所に蹴りが飛んできた。

 一体どうやってその体勢に戻ったんだと悪態を吐きたくなるが、そんな暇はない。十分な勢いの乗った足を防御し、逆に掴み、全身を使って引き倒した。

 今度はこっちが上を取った。だが、攻め込まない。何かを予感する。

 身を引くと同時に砂煙が舞った。ローレンジが転んだ拍子に握りしめ、そして追撃に合わせる様に投げつけたのだ。

 だが、これはローレンジの視界をも奪う。この間にこちらも乱れた呼吸を整え、迎え撃つ体制を作る。

 

 しかし、ローレンジは舞い散る砂埃など構うものかと突っ込んだ。砂埃の中に居る間は目をつぶり、抜けた瞬間に開く。その間にアーバインに攻められていたらなどと考えていないのか、あるいはその程度は予測の範疇とでもいうのか。

 開いた双眸をぎらつかせ、多少目が傷つくことなど気にも留めず、拳を叩きこむ。

 今度は躱せない。中指を突き出した右の拳が鳩尾に叩き込まれ、アーバインの視界は一瞬白に染まる。腹から突き抜ける衝撃が胃の中身を揺らし、内臓を吐き出してしまいそうだ。

 吐きそうな胃の中身を呼吸ごと下腹部に押し込み、アーバインは腹筋を籠めてローレンジの拳を押し出すと、反撃に右こぶしをアッパーカット気味に顎へと向かわせる。

 入った。感触からしてクリーンヒットだ。ローレンジもアーバインの反撃は予期していなかった……のか?

 腹への拳はそれだけの必殺だったのだ。事実、アーバインが意識を保てたのも奇跡に近いと自覚している。

 だが、反撃を直撃させられたのは、運だけではない。

 

 互いに距離を取り、一呼吸おく。

 

「……へぇ、やるじゃねぇの」

 

 そう語るローレンジの表情は、楽しげだ。まるで好物を見つけた子供のような顔。普段のすまし顔で平然としている彼の裏の本性が垣間見える。どれほど取り繕おうと、本来の気質は異常者のそれなのだろう。

 

「テメェこそ、一体何をやったらんな戦い方が出来るんだよ」

「なんのことだ?」

「避けなかったな。さっきの」

 

 先ほどのカウンター気味の一発、ローレンジはわざと受けたのだ。その理由は分からないが。表情からしてこちらの本気の一発を受けてみたかったといったところか。

 

「さぁ、躱せそうにないから諦めただけだけど」

「そうかよ!」

 

 僅かな会話で呼吸を整え、アーバインは攻め込む。今度はローレンジが守勢、だったはずだが、あっさりと切り替えし、反撃された。そこからは怒涛の攻め込みだ。すでにこちらの動きは読まれている。いや、瞬間的に、本能的に判断し、攻勢に出ているのだ。

 それから何度打ち合っただろうか。ふと鼓膜が震えた。「カラン」と乾いた音が届く。この戦いを終わらせるアイテムが投げ込まれたのだ。

 

 ふっと息を吐き、アーバインは膝蹴りを見舞った。勢いの乗ったそれを、ローレンジが両手で受ける。

 膝を引き戻し、同時に振り抜かれた腕を捉える。そろそろ、頃合いだ。

 

 捉えた腕を支柱に、アーバインはローレンジを持ち上げる。そのまま自分はあおむけに倒れ込み、ローレンジを投げた。背後でローレンジが倒れる音を聞きながら、アーバインは自分の右側に落ちている拳銃を掴んだ。起き上がりながら弾倉(マガジン)も拾い、填める。

 

「これで!」

 

 拳銃を突きつけ、気付いた。

 アーバインはローレンジの額に向け、右手の拳銃を構えた。だが、その一連の動作が終わった時、射抜かれるような殺気を覚える。

 自分の胸元、ほんの少し右にずれた位置――ちょうど心臓を射抜く直線状に、銃口があった。ローレンジが握ったものだ。

 ローレンジは投げられた時、ちょうどその位置に落ちていた拳銃と弾倉(マガジン)を拾い、アーバインと同じように構えていたのだ。

 

 いや、違う。アーバインがその位置にローレンジを投げたのだ。誘導されていた。

 

 少し身体を動かすと、ローレンジの銃口はピタリと心臓を射抜くように動いた。外さないという殺意が、ごく自然に付きまとってくる。

 

「最初の報酬の件だけどさ。やめだ」

「なに?」

「結果は関係なしに話してやる。久々に楽しめた礼だ。でも、まだ足りねぇよな」

 

 そうローレンジの口が動く。アーバインは「ああ」と呟き、拳銃を捨てる。ローレンジも同じだ。

 立ち上がったローレンジはロングジャケットを投げ捨て、その下の肌着も脱ぎ捨てた。審判役だった少女が顔を赤らめてそっぽを向きかけ――目を見開いたのが視界の端で見える。

 半裸になったローレンジの姿は、その感想は――よく五体満足で生きてられるな。というものだった。銃傷、切傷、打撲痕の痣……。引き締まった体躯に刻み込まれた数々の傷跡は、それだけの修羅場と死線を乗り越えてきた勲章であり――同時に、ローレンジ・コーヴという男が、アーバインの想像もつかぬ日々を生き抜いてきた証である。

 そんな男に、アーバインは勝てるのか? いや、違う。勝ち負けではない。この男は、心の底から気に入らない。その心を、ぶつけるのだ。

 立ち上がり、互いに顔を見合った。そして、ぐっと拳に力を籠める。

 

「どうだ、やるか?」

「ああ、上等だ!」

 

 右拳が振りかぶられ、お互いの顔面に突き刺さった。

 

 

 

***

 

 

 

 久しぶりに、馬鹿なことをし過ぎたか。

 体中から鈍い痛みが発せられ、肉体が悲鳴を上げている。ここまで生身の殴り合いに興じたのは初めてだ。

 惑星Zi人の身体は頑強だ。自分たちにも流れているだろう地球と言う星からやってきた異星人のそれに比べて、ずっと。ゾイドと同じく金属細胞を――ゾイドよりは少ないものの――内面的に有しているからか、ちょっとやそっとの殴り合いで骨折したり内臓に大ダメージを負ったり、なんてことは少ない。そもそも、虚弱な身体だったら人の何倍も巨体で、操縦時の負荷も多大なゾイドに乗って戦うなどできやしない。格闘戦で機体が振り回され、倒れる下手すればそれだけで死に至る可能性が地球人にはあるのだと考慮すれば、生身の格闘など造作もない。

 この星での喧嘩はゾイド戦が一般だ。生活の一部と言えるまでゾイドの存在が浸透しているのだから、それも当然。賞金首との戦いも大概はゾイド戦に終始することがもっぱらだ。

 だから、こうして身体が根を上げるまで殴り合ったのは初めてだったはず。

 

「よぉ」

 

 軽い口調でローレンジがやってきた。奴も同じくボロボロで、身体のあちこちに傷跡を隠す包帯が巻かれ、つんとする薬の臭いが鼻を突く。と、それは自分も同じか。

 ローレンジは右手に酒瓶、左手にコップ二つを抓んでおり、アーバインの横に腰を下ろすと有無を言わせずコップに酒を注ぐ。

 

「おい、てめぇと飲む気なんてねぇぞ」

「俺もねぇよ。でもな、タリスにこっぴどく叱られて気分が冷めちまった。こんなザマじゃ、お前の質問に答える気にはならねぇぜ」

 

 そう言って、ローレンジは酒の入ったコップをアーバインに押し付ける。

 

「酔いが回れば口も滑る。話してやるさ、俺がここを作った理由をな」

 

 確かに、あの喧嘩の途中でをれを話すと約束はした。だが、本人にとっても簡単に語るような内容ではないのだろう――もとい、語るには少し気恥ずかしいのかもしれない。気分が高揚していた喧嘩の最中ならともかく、ローレンジの部下が大勢いるこの場では語り辛い話かもしれない。

 アーバインはちらりと背後を見た。縁側と呼ぶらしい室内と外をの境界を曖昧にする場所に腰掛けた二人の背中には、にぎやかな談笑の音が投げかけられている。

 アーバインの提案した喧嘩の後に力尽きた二人は手当てを受けたのち、せっかくだからとそのまま歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の晩餐に同席することとなった。アーバインが敵対した経験もある賞金稼ぎや賞金首が肩を並べて夕食を取る場所に相席するなど正直気が乗らない。しかし、ローレンジによって半ば強引に押し込まれた。

 ふっと様子を窺うと、机の端の方でレイヴンがもそもそと食事をとっている姿が見えた。結局、彼はまだ孤立しているのかと思ったが、何人かの男たちが酔った勢いで絡みに現れる。その相手をするレイヴンの顔には、穏やかな笑みがあった。

 さらに視線を動かすと、リーゼが数人の少女に囲まれて笑っていた。

 

「……元々はさ、ヴォルフの助けになるためだったんだ」

 

 アーバインが歪獣黒賊(ブラックキマイラ)メンバーの様子を見つめていることに気づいたのか、しばし間を開けてからローレンジは語り始めた。

 

鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の中核ってのも考えたんだけどさ、これからの向こうはもっと明確な上下関係のある組織になる。国を作るんだからな」

 

 意識の半分ほどでその話を聞いていたアーバインの琴線が弾かれる。国を作る。そんな噂があり、鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)がそれを目指しているのはほぼ確信していたが、実際に当事者から訊くと驚くべきものだ。

 

「俺はヴォルフの親友だ。そうありたいと思ってる。けど、あいつが国の頂点に立ったら、政治の構成員の立場で、あいつに従順でなけりゃならねぇ。そういう立場として。それじゃダメだ。だから、そこから一歩外れた部外者がちょうどいい。そのための、歪獣黒賊(ブラックキマイラ)だ」

 

 曖昧な立場になっちまったけどな。そう自嘲気味に溢す。彼の呟きには、俗称としてつけられた『鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)四天王』の存在があるのだろう。あの呼び名があるから、それを否定しきれていないから、一歩引いた部外者の立場に成りきれていない。

 アーバインには、それが酷く不安定に見えた。地盤が固まっていない。部外者であろうとし、しかして鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の中心的存在に押し込まれている。この微妙なバランスは、いつかローレンジを苦しめるのではないか。

 行きつくところまで行くと、彼の破滅へと。

 

 ――それはないか。

 

 ローレンジ・コーヴは強い。それは今日、そして以前にも直接戦ったアーバインもよく分かっている。

 

「で、一つ組織を作ろうと思ったんだが、ここも難航したよ。形を作るのは悩まなかったぜ。傭兵団の前例はあったし、実際に活動してたFESってとこからノウハウを盗めた。問題は、構成員だよ」

 

 そこでローレンジは背後に視線をやった。振り向く際に見えた彼の顔は少し赤い。見ると、すでにコップの中身は空、いや、瓶の中身も減っているところからするとすでに何杯かは飲んでいる。

 速いと思ったが、違う。意図してペースを上げ、無理やり酔っているのだ。そうまでして自分からは語りたくないのか。

 

「同業者の先輩方を見てさ、結局、俺はレイヴンみたいな奴しか信用できねぇんだなって思った」

「……どういう意味だ?」

「満たされた奴は信用ならねぇってことさ。潤った暮らしに慣れた奴は余計な欲があって、それが組織の歪みになる。レイヴンは、あんな生き方しかできなかった。戦うことしかできなかった奴だ。他の連中もそうさ。程度の差はあるが、世間から非難されるようなことをしてでも、それをするしか、生きる術を見いだせなかった」

 

 そう語るローレンジの目には、同情の念があった。おそらくだが、彼もそうだったのだ。何かを失い、生きるために、他人を蹴落とし、日々の糧にしてきた。

 

「俺が信じられるのは、ただ生きたいってだけの純粋な【信念】を持ってる奴だけさ。満たされてる奴は余計な邪念があっていけねぇ。だから、俺は非難されるならず者(あいつら)を信じる仲間に選んだ」

鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の奴らは、どうなんだ?」

「あいつらもそうさ。今は大したことないかもしれないが、心のどこかに【嘗ての敗戦国の民】って重荷を抱えてる。羽伸ばして生きるために自分たちの国を欲した。それを掲げたヴォルフに、みんながついてきた。俺も含めてな」

 

 強い。

 アーバインは思った。鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)の結束は、その流れを汲む歪獣黒賊(ブラックキマイラ)の絆は、とても固く、強い。おそらく、その堅固さだけで、ガイロス帝国とヘリック共和国。二大国の国力とも張り合える。

 もし、万が一にも、二大国と鉄竜騎兵団(アイゼンドラグーン)が戦うことになるとしたら、分からない。結果がどうなるか。全く。

 

「これが俺の歪獣黒賊(ブラックキマイラ)を作った理由だ。ここまで来たら、あとはあいつらをヴォルフの作りあげる国に連れてくことだな。……さて、交代だ」

「あ?」

「次、アーバインの番だ」

「……なんのことだ?」

「バンについてった理由さ。元々はジーク狙いだったんだろ? それがなんで、相棒になってんだ?」

「……俺は話すなんて一言も言ってねぇぞ」

「こっちは話したんだ。フェアに行こうぜ」

 

 それを訊いたところでなんになる。そう言いたかったが、それはアーバインが訊きたがった事と同じだ。お互いの興味以外に、なんてことはない。

 ちらりとアーバインは手元のコップに目をやった。徐に持ち上げ、中身を呷る。アルコール独特の味が喉を刺激し、麦酒の炭酸が脳を叩く。突き出したコップに新たに注がれ、今度はちびりと舌を濡らす程度、口に含む。

 

「……最初は、確かにジークを手に入れるためだった。オーガノイドは相当なパワーアップに繋がるからな」

「俺のニュートを狙ってきたくらいだしな」

 

 意地悪く当時を思い出させる言動にアーバインは睨んだ。コマンドウルフをヘルキャットで叩きのめされ、直接対決でも威圧され、一撃で伏せられた。あげく恐怖に尻尾を巻いて逃げる羽目になった。もう思い出したくもない黒歴史だ。

 思えば、あの日出会った時から、ローレンジが妹を連れて旅をしていると知った時から、アーバインはローレンジが気に入らなかった。その理由は、今なら分かる。

 ローレンジは多くのならず者を従えた。だけでなく、たくさんの孤児を引き込み、また救った。両者から信頼を勝ち取り、組織を作り上げたのだ。

 そして、こいつは初めて会った時から。妹を支え、導き、守る(俺にできなかった)ことを成し遂げて来た。

 

 だから気に入らないんだ。

 こいつは、ローレンジは、アーバイン(おれ)が守れなかった(もの)を守り通している。その上さらに、アーバイン(おれ)と同じ境遇(孤児)だったり経歴(裏稼業)だったものを引き込み、仲間にし信頼を築き上げてきた。

 

 俺の中に燻っている後悔を、こいつは見える形で成し遂げている。俺が出来ず、やろうともしなかったことを成している。

 単純な話、俺はコイツに嫉妬していただけなのだ。

 

 ――まぁ、だからどうしたって訳でもねぇが、分かっただけここに来た価値はある、か。

 

 なら、話してもいいだろう

 

「……なりゆきであいつに手を貸すことが増えてな、そしたらなかなか面白い野郎だって思った。気づいたら、あいつに入れ込んでた」

 

 バンは、最初はただのターゲットだった。オーガノイドを手に入れるための。だが、一緒に旅をするうちに彼の性格に、自分とは違う人のぬくもりに満たされたバンが世間の厳しさに揉まれ、飲み込まれていくのを見ていられなかった。気づいたら少しずつ手を貸し、今となっては、

 

「英雄の相棒さん、か」

「やめろ。むず痒い」

 

 いつの頃からか、デスザウラーを二度倒した英雄の一番の友として、そんな渾名がつけられていた。

 

「俺さ、ちょっとお前が羨ましいんだぜ」

「ああ?」

「義賊って形で、世間様に認められたお前がさ。俺たちの理想系なんだ」

「らしくねぇこというな。それより、テメェこそずいぶんとレイヴンに入れ込んでいるじゃねぇか」

「気づいたらほっとけなくて、いつの間にかこの有り様よ」

 

 苦笑を浮かべて肩をすくめる。しかし、ローレンジはそんな今を嫌っている風ではない。そんなことはもう分かりきっている。

 

「満足か?」

「ああ。酒の肴にはなったよ」

 

 こいつは……。そう思うが、出て来るのは悪態ではなく、苦笑だ。これは、俺も歪獣黒賊(ここ)の連中と同じく、誑かされているのかもしれない。

 そうはいかない。生憎と、話を聞いた今でも、俺はこいつが『気に入らない』。

 嫉妬だろうがなんだろうが、負けっぱなしは癪だ。

 

「そういや、もうひとつ教えてくれ」

「あ?」

「お前と初めて会った時、なんで俺を始末しなかった?」

「あー……前話さなかったっけ?」

「もう一度言え。お前の義妹を人質にとったヤロウを、なんで助けた」

 

 手当したのは感謝している。

 

「フェイトに助けてやれってせがまれた」

「……なんであんなの連れてた」

「最初は頼まれて仕方なくだったけど、今なら言えるな。フェイトは、義妹(いもうと)だから。だから連れてくんだ。俺の傍に

「妹……」

「それに、あいつは俺にとってのストッパーだ」

「へぇ……」

「昔みたいに、やり過ぎちまわないように……な」

 

 昔みたいに。そう自嘲気味に語るローレンジ。その態度から、アーバインはある噂を脳裏に呼び戻す。

 嘗て存在した最悪の殺し屋。何時の頃からか姿を消し、すっかり都市伝説にまでなった一人の男。奴は、まだ生きている。今、ここで――()()()で、安い麦酒を呷っている。

 

 ――殺し屋『暴風(ストーム)』か。その実態が義妹に孤児に社会的弱者に、とんだ甘いヤロウだとはな。

 

「アーバイン」

「――なんだ?」

 

 物思いにふけりかけた思考に投げかけられた声は、冷や水をぶつけられたようだった。少し慌てながら返すアーバインに、ローレンジは赤らんだ顔のまま――しかし眼光鋭く――

 

()()()()()()()殿()によろしく言っといてくれ。酔って忘れんじゃねぇぞ」

「……テメェ」

「うちの視察の代役ご苦労さん」

 

 これだから油断ならねぇ。

 せっかくの酔いが冷めちまう。そう心中で呟いたところ、冷め始めた意識に背後から近づく音に感づく。

 

「おい頭領。何黄昏てんだよ。こっちで騒ごうぜ」

「そうそう。おめぇも来いよ」

 

 すっかり酔った歪獣黒賊(ブラックキマイラ)のメンバーだ。ちらりと横を見ると、ローレンジは「しゃーねーな」と呟きながら立ち上がった。

 

「アーバインは? どうするよ?」

「俺はいい。騒がしいのは嫌いなんだ」

「そうか」

 

 にやりと嫌味な笑みを浮かべ、ローレンジは片手を挙げて背を向けた。

 嘗ては同じように独りだっただろうに、自分と別の道を歩く男は、仲間に囲まれていた。

 アーバインと同じように失い、しかし手に入れた家族に囲まれた男は、満たされていた。

 

 そんな男に思うことは、ただ一つ。

 

「……気に入らねぇよ。テメェは」

 

 久しぶりに飲む酒の味は、悪いものではなかった。


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