今回はちょっと遡って第一章が終わって直ぐのお話です。つまり、主役はローレンジとフェイトの二人。
それと、今回は作者自身も自分に「なんて話作ってんだ」と言いたくなるくらい黒いです。おまけだというのに本編以上に真っ黒。これまで形を潜めてた(と思ってます)残酷描写、真っ暗な背景が表に出て来ます。
正直、原作の『ゾイド―ZOIDS―』の印象を大幅に崩すのでは?と不安になるくらい。
過剰な心配かもしれませんが、それだけ私はビクビク投稿します。
では、どうぞ。
あれは……“結び役”とでも言うかな。まぁ悪いもんじゃない。
その件がやってくるのは唐突だが、成そうとしたら繋ぐ奴とその相手のことをよく調べなきゃならねぇ。結構大変だが、まぁそこは伝手を使えば難しくないさ。それに探偵みたいで楽しいんだ。そして、つながった絆を見届けるのは、まぁ気分がいい。
でもな、あったんだよ。やっちまったってことが。良かれと思ってやったことが、予想外の結果を残したってことが。ま、それに気づいた時には手遅れだったんだが。だから……仕方ねぇって開き直ったさ。それにな、よーく考えたんだが、別に悪くねぇんじゃねぇかと思ったんだ。だって、その結果って奴に誰一人気づいちゃいねぇんだ。俺以外な。
だったらさ、最初っから誰にも言わなきゃいい。誰も、なんにも気づかないまま、その話は終わって行く……、だれも、何も知らない。断ち切られたそれに、な。
それだけで、奴らの周囲は安泰だ。
ん? 話が見えないって?
はっはっは、気にしなくていい。ただの独り言さ。当事者は知らず、第三者が気づいちまってほんのちっと後悔しちまった。それだけの話。
だから、お客にはなにも話さないでくれよ? 店長からの命令だぞ?
(風の都の揚げ物屋店員が聞いた、店長の独白より)
―――――――――――――
とある町中。
多くの人々が買い物をしに商店街を練り歩き、そこから少し離れた貴重な水場では主婦たちの井戸端会議が開催される。どの顔も、幸福そうに微笑んでいる。
どこにでもあるような、とある町の光景だ。
……通りに茣蓙を敷いて物欲しそうな目をする者がいることを除けば。その人物の目が、どんよりと落ちくぼんでいることを除けば。幸福を甘受する者と、それを受けられない者の目が正反対であることを除けば。
南エウロペへの出入り口とも言われるジオレイ山脈の麓に築かれた小さな町。ガイロス帝国領のはずれに位置するそこは、そういう町だった。
その町中を、まだ10にも満たないような年頃に見える少女が一人歩いていた。新緑の木々の葉を思わせる髪色に、翡翠色の目を持つ少女。
「……どうしよう」
少女は誰にともなくポツリとつぶやいた。その目に宿るそれは、周囲の落ちくぼんだ表情で歩く人々と似ているようで、微妙に違っている。
それもそうだろう、人々がそんな表情なのはこの町に不安があるから。少女がそんな表情なのは、ある少年への申し訳なさから、だ。
発端は小さな憤りだ。
少女――フェイトはひと月前からある少年と旅をしている。ローレンジという、元殺し屋の少年だ。
ふとしたことで出会い、運命的な何かを感じたフェイトは、それまで自分を養ってくれたおじいと話し、ローレンジと旅に出ることを決めさせた。目的はフェイトの両親が残した遺跡の記録の真実を見つけ出すこと。そのためには、ローレンジと一緒が一番いい。フェイトには、そうとしか思えなかったのだ。
その旅もひと月が経つ。最初の頃はザルカという風変わりな老人が一緒だったが、かれもローレンジが所属する
不満ばかりなわけがない。このひと月、自分の町を出たことのなかったフェイトには驚きの連続だった。深い森の不気味さ、湖を望む景色の美しさ、高い山脈からの雄大な絶景。砂漠の町で暮らしてきたフェイトには、どれも新鮮そのものだった。
だが、たった一つだけ不満があった。
二人の会話が、思ったようにはずまないのである。
理由はフェイトにも分からない。ただ、ローレンジはどこか遠慮しているようなきらいがあった。何と言えばいいのだろう。とにかく、フェイトとの間にどこか溝がある様に感じ、そこが不満で仕方なかったのだ。
フェイトは、もっと親しい間柄で居られると期待していたのに。
そしてとうとう我慢できなくなったのが昨日の事。この町の近くで野宿となった日だ。
まだ8歳のフェイトには耐え難かったその溝が爆発し、ローレンジに不満をぶつけてしまった。しかし、ローレンジは申し訳なさげに口を噤むだけで、それが、余計不快に思わせた。最終的にはフェイトの一言に我慢の限界とローレンジも言い返し、結局その場で喧嘩別れの形になって、フェイトは彼の元を飛び出してしまった。
――ローレンジさん。怒ってるかなぁ……
拳を握り込んで言い返さなかったローレンジの姿が脳裏を過った。ローレンジは何かを溜め込むように堪え、最後の最後まで声を荒げて言い返すことはしなかった。それが、余計にフェイトを腹立たせたのだが、考え直せば自分にも責があるのでは?とも思う。
いや、
「ううん、それはない。わたしは悪くないもん」
なんとなく認めたくなかった。強がりだ。でも、それも認めたくない。
「……あれ?」
ふと、気づく。
感情のままにローレンジに怒鳴って飛び出して来たけど、なぜ自分はそこまで怒ったのだろうか。
どこか
「ねぇねぇ、今日のご飯なに?」
「ふふふ、今日はあなたの誕生日だからねぇ、楽しみにしてなさい」
「うん! やったぁ!!」
ぼんやりと空を見上げていると、ふと耳にそんな声が入ってきた。ちらりと目線をそちらに向けると、とても楽しそうな顔をした自分と同年代の少年の笑顔と、満足げなその母親の姿。どこにでもある、幸福な家族の一風景。そこに仕事帰りの父親が加わることで、“理想の家族”の姿はますます強くなる。
『――よし、明日からの調査にはフェイトも連れて行こうか』
『ちょっと、フェイトはまだ3歳よ。まだ早いって……』
『なーに、俺たちと一緒に行くんだ。しっかり見とけばいい。それに、いっつも遺跡調査の時はフェイトを一人にしているからな。いい加減、家族で居る時間を増やしたいんだ。いいだろ?』
『わたしもおとうさんとおかあさんといっしょに行きたい! ね、いいでしょ?』
『うーん……フェイトもそこまで言うなら、分かったわ。それじゃ、村長さんにフェイトのことは大丈夫って言ってくるわ』
『やったぁ! 明日からみんなで旅だね!』
『ははは、ああそうだ。家族みんなで旅か……うん、いいな!』
「お父さん、お母さん……」
心の底から蘇るあの時。フェイトが覚えている、両親との団欒の時だった。
フェイトの両親がまだ健在だったころ。普段は畑仕事をこなし、その合間に古代遺跡の研究を行っていた両親。なぜ、それを行っていたのかをフェイトは知らないが、それも両親の仕事の一つだった。
そしてあの日。普段は遺跡調査で長いこと家を空ける両親が調査に出かける前日、久しぶりだった一家団欒の時に父が提案したことを、フェイトは勢いで肯定した。
両親が自分の知らないところで何をしているのか知りたかった。そんな好奇心に突き動かされた。でも、最も大きいのは、両親と一緒に居る時間が増えることだった。
だが、それは一夜にして崩れ去る。
村への突然の襲撃。村の中でも有数のゾイド乗りだった父は、普段移動で使う飛行用のゾイド――シュトルヒではなく、もう一機の見たことの無い造形のゾイドを駆って戦闘に出た。母もそれに追従し、レドラーで戦場に出て行った。
そして、帰ってこなかった。
襲撃したのは野良ゾイドだったのか、はたまたどこかの盗賊だったのか、もしくは……それはフェイトも分からない。いや、そもそもあの日以前の記憶もほとんど残ってないのだ。
覚えているのは、幸せだった家族団欒のひと時、それだけ。
それからは両親が遺跡調査に行っている間世話になっていた村長の元に身を寄せた。
不満はなかった。村長とはそれまでも何度も付き合いがあったし、なにより祖父のように感じていた
両親は亡くしたけど、決して不幸ではない日々だった。
「……あれ、なんで今、涙が出るんだろ……?」
気づいたら、頬を滴が伝っていた。拭おうと腕を持ち上げ、涙を拭く。だけど、自覚したら止めどなくそれは流れ、止まらない。
もう五年も前のこと。心配をかけたくない一心で、気丈にふるまってきたのに、たった一人で、孤独に立っているからか、抑えが効かなかった。拭っても拭っても、溢れ出して治まらない。
「これ、使う?」
「あ、ありがとう」
唐突に差し出されたそれを取り、涙を拭いた。あまり清潔ではない、むしろ汚いと言った方が近いような汚れた布だったが、今のフェイトはそれを気にすることもなかった。
「君、どこの子? 町の人じゃないみたいだけど……ああ、ゴメン。それ、けっこう汚れてるよね。使い古しのボロボロしかないんだ」
「ううん……ありがとう」
涙が治まってきてからそれを返し、フェイトは顔を上げる。そこに居たのは、フェイトと同い年……それより二つ三つ年上の少年だった。
日に焼けた肌が良く目立つ、金髪の少年。どこか寂しげな印象を覚えさせる少年の体の至る所に、傷痕が色濃く残っている。隠そうとも隠せない青痣が痛々しい。どうやってついた傷痕なのかはフェイトには分からなかったが、それを聞くのも憚られるような酷い傷だった。
「えっと……」
「ああ、僕は……スレクスっていうんだ君は?」
「フェイト」
「そっか」
短く言葉を交わし合い、フェイトは続く言葉を探す。どうしてもスレクスの身体に残る傷跡が気になり、つい目線がそちらに行ってしまう。スレクスもそれに気づいたのか、自嘲気味に口を開く。
「気になるよね。これは……ちょっと鞭に打たれてさ、その傷さ」
「鞭……」
言葉だけは聞いたことがある。ただ、それがどのような用途の物なのか、フェイトには分からない。ただ、自分の呟きで空気が重くなってしまったのは否めなかった。
「ねぇ、フェイトは町の人じゃないみたいだけど……」
「あ、うん。町の外から来たんだ。人と一緒に」
「……ご両親?」
「…………ううん。もう、いない」
なぜ急にそんなことを聞くんだろう。フェイトは酷く疑問に思った。だが、対するスレクスの表情にはどこか深刻さが浮かんでいる。何かを悩むように下を向いている。それもほどなく、スレクスは顔を上げて言った。
「フェイト、一緒に来て、こっち!」
「あ、スレクス!?」
いきなり手を掴まれ、そのまま町の路地裏から路地裏に走って行くスレクス。フェイトが転ばないようにという思考はあるのか、手を引きつつもフェイトのことを気にしてスピードは抑えている。だが、狭い路地裏を進むのはフェイトにはかなり辛い事だった。
スレクスは、路地裏の隅の隅まで走ると、崩れかけの石壁を潜り抜け、他人の庭先を一気に駆け抜け、人の目につかない方へと進んで行く。フェイトは、なぜか必死そうなスレクスから、離れることが出来なかった。
町のはずれは、中心街と比べたら貧相だ。あちこちから漂う臭いは不快なモノばかりで、あまり長居したいとは思えない。そこかしこの道端に座り込む人々も、どこか落ちくぼんだ目をしていて怖い印象を覚える。
そんな場所の一角、ボロ板で壁をされた場所にスレクスは入って行った。
一瞬の躊躇、だけど、すぐにフェイトもついて行った。
「あ、スレクスだぁ」
「スレクスー、おなかすいたぁ、ご飯まだぁ……」
そこにいたのは、たくさんの子供だった。フェイトよりも若いのではないかという間だ年端もいかない子供たち。だれもが襤褸切れのような布を纏い、脚は裸足で痛々しいくらいに汚れ、傷ついていた。
そんな自分よりも幼い子供たちを見てフェイトは呆然となる。豊かとはいえないが、穏やかで喧騒のない静かな村で暮らしてきたフェイトにとって、そんな痛々しい姿は見たことがない。
スレクスが背負っていた麻袋をおろし、中から粗末なパンや芋を取り出し子どもたちに渡す。食べ物を受け取った子供たちが嬉しそうに走って行くのを見届け、スレクスは辛そうに言った。
「みんな、親なしなんだ。ほら、ここって貧富の差が激しいから。それに……ううん」
何かを言いかけ、スレクスは頭を振って言葉を切る。そして、フェイトの顔を見て言った。
「君が、どうして一人でこの町に来たのかは知らないけどさ、行くところがないなら一緒に暮らさないかい?」
悲痛な表情だった。笑顔を見せているようだが、心の底からのそれではない。どこか迷いがあるようなそれは、フェイトの同行を許した時のローレンジの表情と同じだった。だから、フェイトは逡巡したのちに答える。
「ちょっと、考えさせて」
日が暮れてきたため、その日はスレクス達と過ごすことになった。その場の子供たちと色々な話をしながら過ごす夜は、これまでになく楽しく感じられた。フェイトは少し充実感を覚えながら、その日を終える。
スレクスの姿が見えないことに疑問を覚えながら。
***
小さな町の寂れた一軒の店。そこに、ローレンジは居た。
――分からねぇ。アイツの考えてることがさっぱり。
こういう時、大人ならば酒を飲むなりして愚痴るのだろうが、あいにくローレンジはまだ十六。二年早い。彼自身の経歴からして法律など知ったことかと言えるかもしれないが、ローレンジはこういうところは素直に守る。
「ほらよ。ちったぁ落ち着いたか?」
出されたお茶を口に含み、ローレンジは「あー」とため息を吐いた。
「なんだよ。いつもなら茶を一杯飲めばそれですっきり。違うか?」
「うっせぇ。アダムスこそ、なんでこんなしけた町にいるんだ?」
ローレンジの相手をする店員――アダムスは自嘲気味に笑う。どろりとした液状の粉をまぶした野菜を油の中に投下し、じっくり揚げ具合を見極めながらアダムスは言う。
「修行中さ。来月には別の町に店を出す。準備は整ってるからな。この店に居座るのも、今週が最後だな」
油から持ち上げた天麩羅は、食欲をそそる薄黄色の厚い衣をまとっている。しばらく網目の上に乗せて油をきると、手際よくどんぶりご飯の上に盛っていく。そこに特性のたれをかければアダムス特性の天丼の完成だ。
「そらよ。お待ちどう」
「……サンキュ」
ローレンジはさっそくそれを口に持っていき、乗せられた天麩羅を一口。厚い衣と揚げられた食材が程よく絡み合い、そこにかけられた天丼のタレがまた絶妙だ。
「あいつにも食わせてやりてぇなぁ……」
「だったら今日から三日の内に連れて来るんだな。三日目が、俺の居る最後の日だ」
つい呟いてしまった言葉にローレンジは顔を顰めた。ただ、アダムスはそれに気づかぬふりでそう言うと、器具の片づけに移った。時刻は夜の十一時。客はローレンジだけであり、他は誰もいない。
たっぷり時間をかけて完食したローレンジから食器を受け取り洗う。その様子を、どうでもよさげにローレンジは眺めていた。
「それで、その子のことはどうするんだ?」
「向こうが勝手にキレたんだ。知るかよ」
口をとがらせ、ローレンジは茶を啜った。
どういう風に接すればいいのか分からない。師匠たちと過ごした日々以外、ずっと一人で暮らしてきたローレンジは、八つも年下の少女の扱いに手を焼いていた。その苛立ちから――最初は自制していたのだが次第に抑えられなくなり――売り言葉に買い言葉になったのだ。
発端は、フェイトがローレンジの過去を聞きたがったこと。ローレンジはそれを話す気は無くて、しかしフェイトも譲らない。結果、喧嘩別れだった。
『どうせ、ロクでもないことなんですよね。自分で汚れたって言うくらいだから』
『あんだと? 人の昔話を根掘り葉掘り聞き出そうとすんじゃねぇ! デリカシーってのを覚えとけ!』
『……もういい、ローレンジさんのバカ!』
『バカはテメェだ! もう知らん。好き勝手しやがれ!』
「“親しき仲にも礼儀あり”だろうが。たくっ、あいつは……」
茶を飲み干し、机に置きながらローレンジは呟く。片づけが終わったアダムスはそれにおかわりの茶を注ぎ、自身の分も用意してローレンジの横に座る。
「いやいや。俺は詳しくは知らねぇがよ、なかなか遠慮がない子なんだな。ローレンジに甘えたくて仕方がないと」
「は?」
なぜ今の話の流れでそんな結論が出せる?
そうローレンジが表情で問いかけると、アダムスは天井を見上げながら答えた。照明の明かりが、店内を鈍く照らす。
「そうだろ? お前の昔を知りたいってことは、お前ともっとお近づきになりたいってことじゃねぇか。いやいや、まだ八歳の子だってのに、ストレートにアタックするんだな」
「……その言い方やめろ。なんか違う方向の話になってるぞ」
「そうか? 分かりやすくしたつもりなんだが。まぁいいさ。要するにだな、そのフェイトって子はお前に魅かれる何かを感じたんだろ。幼くして
「……足りないもの……?」
その言葉にローレンジは考え込む。そんな姿を珍しく思ってか、アダムスは気分を良くして話を続けた。
そんな思考が駄々漏れの表情だとローレンジは思うが、追求しようとは思わなかった。
「聞けばお前のオーガノイドもそうらしいじゃねぇか。似た者同士“類は友を呼ぶ”ってな。お前らが亡くし、欠損したものはなんなんだろうね? あの子はそれを無意識に補おうとし、共通するそれを確かめようとした。いったいあの子は何を求めたのか。ローレンジ、お前はあの子をどう見たんだ? ただ引き取っただけのガキ? 違うね。お前だって求めてんだろ? 失った者を。何年経とうと忘れることの出来ない暖かさを。鉄竜騎兵団だって、お前にとっては
「…………」
「殺し屋は廃業したんだろ。ちょうどいいじゃねぇか。お前はもう泥まみれの道から離れようとしている。なら、受け入れてもいいんじゃないのか? 新しい――を」
ガタッと音を立てて椅子を引き、ローレンジは立ち上がった。無言のまま、出口に向かって歩き出す。
「どこに行くんだ?」
アダムスは言葉を投げかけた。背中を押すような言い方だった。癪だが、今は素直に従おう。
そして、ローレンジは顔を向けないまま返す。
「あんたの依頼、片づけてくる」
扉を開ける音が小さく響き、そして彼が出て行くとそれを待っていたかのように扉が閉められる。
扉が閉まると同時にアダムスは一つ伸びをし、欠伸をしながら自室に戻る。その耳には、扉が閉まる時に小さく告げられた言葉が残っていた。
『ごちそうさま。それと、ありがとよ』
「……いいことした後は気分がイイねぇ。今日は、良い夢見られそうだ」
***
朝日がスラム街に突き刺さる。普段から倦怠感に満ちているこの町の一角の、変わり映えしない朝が始まろうとしていた。
だが、今日は違った。朝日が訪れさせたのは変わらない鬱屈した日常ではなく、喧騒と悲鳴だった。
子供の悲鳴だ。まだ幼い、十にも満たない子供たちの悲痛な叫びが響き渡る。
フェイトもすぐに異変に気づき、硬い地面に横たえていた身体を跳ね起きさせた。フェイトは崩れそうな木の板の陰で寝ていたため、うまくその姿が隠されている。木の板の陰に潜み、恐る恐る外の様子を見た。
そして、思わず口元を押さえた。
数人の大人の男たちが隠れ家のようなこの場に入り込み、子供に暴行を加えている。殴る蹴るだけならまだしも、鉄パイプなどの鈍器も用いて一方的な暴行を加えていた。悲鳴に交じって鉄棒が子どもの未発達な脚を殴打する音、それに骨の砕ける嫌な音まで響き、反射的に耳を押さえる。
「こんなに逃げてやがったか。たくよぉ、苦労かけやがって、奴隷風情が。お仕置きが必要だなぁ」
男の一人が苛立たしげに愚痴った。
奴隷。その存在を始めて知ったフェイトにはそれがどういう存在なのかは分からない。だが、目の前で行われていることの悲惨さは伝わってきた。
こんなこと間違っている。それだけは分かるが、あの場に自分が出ても他の子と同じように乱暴されるに決まっている。怖くて、出て行くことが出来なかった。
凄惨な光景から目を逸らすと、一人の少女と目があった。昨日の夜、遅くまで話をした子だ。名前は聞いていない。だけど、ここで暮らすのも悪くはないんじゃないか、そう思わせてくれた子だった。
その子がフェイトに気づいて手を伸ばす。物陰に隠れているフェイトを見て、昨日のことを思い出して、助けを求めるように……だが、
ゴッ!
その子の脳天に小さなパイプが叩きこまれ、女の子はガクリと力を失って倒れた。それをなした
――……なんで、どうして……? どうして……
少女の視線を追い、スレクスの虚ろな目がフェイトを捉えた。瞬間、身震いする。
逃げなきゃ。
そう感じとったフェイトはその場から離れようとする。だが、一歩早くスレクスが言葉を告げる。
「こっちにもいますよ」
「――ッッッ!?」
スレクスが、フェイトを指差して冷徹に告げた。すぐさま男たちが反応し、隠れていた木の板がはがされてフェイトの存在が顕になる。
「おいおい、こんなガキ、奴隷に居たか? 身なりも真っ当じゃねぇか」
「さぁ、どこから来たかは僕も知りません。でも、彼女も親無しらしいですし、奴隷にしたって誰も文句言いませんよ」
男たちの疑問に対し、スレクスは淡々と告げる。その言葉に男たちは納得する。が、当然ながらフェイトは納得がいかない。よく見れば他の子どもたちが傷ついている中スレクスだけは平然としていた。
「スレクス……どうして、なんであなたは!?」
「フェイト。君には言ってなかったけどさ。僕ら、奴隷として売られる途中だったんだ」
奴隷。またその言葉だ。
「奴隷って言うのはね、誰かの下で死ぬまで働かされるみじめな人の事さ。僕は、親に借金の肩代わりで売られたんだ。元々僕は捨て子だし、あんな奴ら、親なんて認めたくないけどね。――だから、逃げたんだ。ここにいるみんなと一緒に」
みんな。それは、今暴行を受けている子どもたちのことだ。スレクスの説明は続く。
「だけどさ、僕らはまだ子どもなんだよ。大人から逃げ切れるわけがない。それで、僕は囮になった。そうして捕まったんだ。……ほとんど諦めた時、この人たちが提案したんだ。僕が皆の居場所を教えれば、僕だけは奴隷にしないって」
「そ、それって……」
「絶望しか見いだせない奴隷の身から、助けてもらえるんだよ。こんな嬉しいことはないじゃないか。それに、君って言うお土産もつけれたしね」
「お土産……? わたしが……?」
「だって、親いないんでしょ。君を心配してくれる人なんて誰もいないんでしょ? なら、君が奴隷になったって気にする人はいないじゃないか」
スレクスは壮絶な、乾いた笑みでそう告げた。どこかで見たことがあるような気がするその顔は……そう、
すでにその場で動ける者はいなかった。男たちとスレクス、そして、フェイトを除けば。
今全力で走れば、もしかしたらフェイトは逃げ切れたかもしれない。だが、フェイトは逃げなかった。いや、逃げられなかった。ほんの一日だったけど、スレクスのことを信用した。ここにいる皆は、自分と同じ両親を亡くしているから、同情の想いから、ここに居るのも悪くないと思った。なのに、それがたった一夜で裏切られたのだから。
「おーい、準備できたぜ」
離れていた男たちの一人が声を上げた。そちらにはドラム缶があり、中では燃えたぎる炎が舞っている。
「奴隷の証拠になる焼印さ。熱そうだね。まぁ、僕は関係ないけど」
スレクスが得意げに説明する。呆然とするフェイト、激痛で動くことも出来ない子供たちを睥睨し、スレクスは悠々とこの場を去ろうとする。
「それじゃあ、僕はこれで」
これで自由だ。スレクスの表情にはそんな希望が溢れていたのだろう。だが、男の一人がそんなスレクスの腕を掴んだ。そして、彼を絶望に叩き落とす一言を告げる。
「なに言ってんだ? これからお前に焼印入れにゃならんのに、逃がす訳ねぇだろ」
その時のスレクスの顔は、何を言われたのか分からないと言いたげなほど唖然としていただろう。
「え? なんで……?」
「バカなガキだぜ。逃がす訳ねぇだろ。まぁ、お土産まで用意してくれたんだ。一番はお前にしてやるよ」
一瞬ポカンとした表情で、慌てて逃げようとするスレクス。だが逃れられない。彼の言った通り、子供の力で大人から逃げられる訳がないのだ。
「いやだ! やだよ! 奴隷なんて嫌だ!」
「なに今更言ってやがる。テメェらは売られた時点で奴隷確定なんだよ。お前らが逃げたせいで、俺らの給料が減ったんだ。これ以上面倒かけさせんな」
スレクスの腹部に鉄パイプが叩きこまれ、呻きながらスレクスは倒れた。その背中にゆっくりと熱せられた印が近づく。
「いや……だ、やだ……」
うわ言のようにスレクスは呟き続ける。
そんな彼を見ながら、フェイトも絶望に包まれていた。こんなことになるなんて、どうして自分は逃げて来たんだろう。どうして一人になったんだろう。どうして、ローレンジに苛立ちを覚えてしまったのだろう。
「たす、けて……とうさん、かあさん……――に……ちゃ……」
スレクスが涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら言った。
その言葉で気づいた。フェイトは、ローレンジに近づきたかった。表面上は飄々としながらも、どこか寂しさを胸の内に秘め、それを振り払うように、強がるように狂気の自分を演じているようなローレンジに、自分と同じものを見たのだ。
両親を亡くして、でも心配をかけたくないからと強がってきた自分に。そして少しずつ察してもいた。ローレンジにも、もう家族はいないことを。
だから、フェイトはローレンジを同行者でも旅の仲間でもなく、
――でも、もう遅いよね。
もっと素直に言っておけばよかった。意地張って、ローレンジに態度を改めさせるのではなく、自分からそれを望み、伝えればかったと思う。
でも、もう遅い。
スレクスの背中に熱せられた鉄棒が押しつけられる。その瞬間が、まるで自分の人生の終わりの様に感じられ、フェイトは目を瞑る。
――瞬間。轟音が響き渡った。
ドラム缶が派手に倒れ、辺りに熱と湯気を撒き散らす。
突然の出来事にその場の誰もがドラム缶のあった場所に目を向ける。
そこにはナニカがいた。炎が揺らめき、その向こう側が陽炎のようにユラユラと揺れ動く。そして、陽炎を透かしたその先に、怒りの炎を宿し、憤怒をほとばしらせる眼光があった。この世の物とは思えない唸り声が低く轟く。
「ギィィィィ……」
地獄の釜の底から悪魔か魔物か、恐ろしいナニカが現れたと思わせるような低い唸り。歪んだ笑みを浮かべていた男たちも、恐怖と痛みに顔を歪ませていた子どもたちも、全てが震え上がった。ただ一人、フェイトを除いて。
「……ニュート……?」
揺らぎの向こう側から、灼熱の鉄棒を踏みしめて機械的な蜥蜴が姿を現す。純白の身体は、ところどころ炎に熱せられて焦げ目を見せているが、それが内から溢れ出す怒りの様で、男たちに恐怖を植え付けた。
機械の蜥蜴――オーガノイドのニュートは低い唸り声で威嚇し、足元の鉄棒を一つ咥えてあっさり噛み砕く。熱を持った鉄棒の欠片を、日向で水分を抜かれた泥の塊の様に前足で踏み砕く。鉄棒はボロボロと脆く崩れ去った。
男たちは突如として現れたそれに面食らった。腰が抜け、立ち上がることもできない。そんな男たちを睥睨し、ニュートは見せつけるように口から炎を吐き出した。天に向けて放たれたそれは、朝日に照らされたスラム街を一瞬灼熱に染める。
放射され、荒れ狂う灼熱の
「な、なんでこんなやつがここにいるんだ……もうやってられねぇ!」
一人が泡を食ってその場から逃れようと走り出す。だが、それは叶わなかった。木の壁の隙間から逃げようとした男を、ふらりとその場に現れた
痛む顔面を押さえる男の腹部を容赦なく踏みつけ、ついでとばかりに男の手足に腰から抜き取ったナイフを突き立てる少年は、酷く無表情だった。一切の情けを見せず、絶叫を上げる男の口内にナイフを突きつけた。灼熱の空気が渦巻く中、氷点下の眼差しを持った少年は口内に突きつけたナイフを一切動かさず、ただ冷たい眼光を突き刺す。そして、男が抵抗の意志を無くすのを見届けたのち、腹に薄くナイフを突き立て、少年は目線を持ち上げた。
ふつふつと煮立つ怒りを抑え込むように、少年は徐に口を開く。
「…………さて、この場の全員に、いくつか言わねぇと気がすまねぇが……、とりあえずそこのガキ」
少年は、這う這うの体で逃げ出そうとしていたスレクスに言葉を投げた。それだけで、スレクスはびくりと飛び跳ね、恐怖を宿した震える瞳で少年に視線を向ける。
少年は、どこまでも底冷えした――深淵まで冷え切った氷点下の眼差しでスレクスを見下ろし、言う。
「いい経験になっただろ。世の中うまい話なんざありはしない。一緒に逃げた仲間を見捨てるような真似して、見ず知らずだった奴を巻き込んで、あまつさえそれを保身に捧げて、そんなテメェだけが自由と幸福を掴めるワケねぇんだよ。一度罪に身を染めたら、一生背負う覚悟を決めるんだな。ガキだからなんて言い訳は通じねぇぞ。――それができねぇなら、幸福を手にする権利はない」
投げやりだが、どこまでも底冷えした表情だが、その言葉はスレクスを慰めているようだとフェイトは感じた。
スレクスはすっかりおびえ、恐怖と安堵の涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら何度も頷く。そんなスレクスに少年は一瞬――ほんの一瞬だけ優しい笑顔を見せ、「それとこれとは別にして」と言うと、次の瞬間には憤怒の感情を噴出した。
すっと息を吸い込み、呼吸を止めて全身の力を右の拳に注ぎ込み――それが突き放たれる。拳がとび、スレクスの顔面に叩きつけられる。悲鳴を上げながら、スレクスは瓦礫の山に突っ込んだ。
少年は拳を振り下ろすと、鋭い眼光を周囲に投げた。委縮していた男たちが、その眼光に晒されて再び震え上がる。そして、少年は軽く息を吸い込み吐き出した。
「覚えとけよ。この俺……賞金稼ぎローレンジの“妹”に手出ししやがった奴は、容赦しねぇッ!!!!」
***
奴隷が逃げた。その情報はある孤児院に伝わった。
逃げ出した奴隷は、全員生きていくために両親に捨てられたみじめな子供――年端もいかない少年少女たちだ。孤児院で保護するという意思はあったものの、南エウロペの北端に位置するその町にすぐに向かうことは出来ず、奴隷の買い手も怒り狂って配下に捜索をさせていた。逃げた奴隷を保護することは困難だったのだ。
そんな話を聞きつけたのはアダムスだ。自身が住む町に奴隷が逃げ込んで来たのを知った彼は、昔の伝手を伝ってローレンジに連絡。そして、近くに来ていたローレンジが奴隷の保護に向かった。
それが、ローレンジがこの町に入った理由だ。
現場を遠くから見つけたローレンジは奴隷の子どもに交じってフェイトがいることも確認。すぐに乗り込もうと思ったが、スレクスと男たちの関係が聞こえたため、あえてしばらく観察。振り上げたい拳と激情を必死に宥め、スレクスの絶望を見たのちにニュートを突入させる。ニュートが吐いた炎を合図にして、自らも突入し場を制圧した。
奴隷社会は未だに根強い。特にガイロス帝国では敗戦国であるゼネバス帝国の民を奴隷として――戦場では捨て駒として――扱ってきた過去があり、へリック共和国よりもその根は深かった。奴隷という存在が否定される社会が広まりつつあるのも事実だが、地方の一都市であるここにはまだ浸透していない。だから、奴隷という蔑むべき制度が残っていた。この地の領主もそれを容認しており、この地から奴隷制度がなくなるにはまだ長い月日を要する。
「スレクスのやったことは、偉そうに非難はしねぇよ。あいつもまだガキ。目の前に迫る恐怖から逃げようと他人を蹴落とす行動に出るのは当然のことだ。それに、真っ当な大人だって恐怖に駆られたら同じことをしただろうさ。痛みと恐怖には、誰も逆らえないからな。……ま、そのツケは一生ついて回るが」
奴隷の身から解放された子どもたちを孤児院からやって来た職員に引き渡し、去って行く子どもたちの背を見つめながらローレンジは語った。
今回の一件で、ローレンジはスレクスを責めるようなことはあまり言わない。スレクスも奴隷社会の被害者だと捉えているからだ。
スレクスは孤児院に保護されたものの、今は孤児院の誰とも孤立し、孤独な生活を送っているそうだ。職員たちはなんとか彼も引き戻そうとしているが、スレクス自身が孤立を選んでいること、そして他の子どもたちも彼を嫌っていることから彼が孤独から抜け出るのにかかる時間は計り知れない。もしかしたら、一生孤独を貫くのかもしれない。
当然だが、フェイトもスレクスのことを肯定的には捉えられない。ローレンジはスレクスを擁護することも出来るが、あの場で言ったこと以上の弁護をするつもりもないようだった。彼がどっちつかずな態度を選んだ理由は、無論、あの場での激昂が物語っている。
それが、今回の依頼の顛末だった。
「あいよ、お待ち!」
正午。
稼ぎ時だというのに閑古鳥が鳴くような寂しさの店内に、威勢のいいアダムスの声が空しく響いた。机に出されたのは天丼、それも二杯。そのどんぶりを前にするのは、ローレンジとフェイトだ。
だが、二人はすぐに箸をつけようとはしなかった。
ローレンジは何と言ったものかと片肘を突いて、手の上に顎を乗せ明後日の方向に視線を泳がす。フェイトはフェイトで、机の下に視線を落とし自分の足先を見つめている。
二人の様子を見て、アダムスは「はぁ」とわざとらしくため息を吐いた。
初めて会うが、フェイトの様子を見てアダムスはなんとなく彼女の心境を察する。なるほど、仕方ないな。
「なぁあんたら。もう
その言葉に二人は面白いほど反応した。ローレンジは「ガリッ」と歯を噛み鳴らし、フェイトは「はっ」と顔を上げる。ローレンジはアダムスに射殺さんばかりの眼光を浴びせるが、アダムスは素知らぬ顔で料理の後かたづけに入った。やがてローレンジは視線をゆっくり横に向け、じっと見つめていたフェイトと視線をぶつける。
「ローレンジさん。あの時、その……妹って、言い……ましたよね」
「……言った、な」
すこし、間が空く。その間を裂いたのはローレンジだ。普段の自信を持った言動とは違い、苦悩を見せながら言葉を紡ぎ出した。
「嫌だったら謝るさ。ただ……なんつーか、フェイト。もう他人行儀な態度は止めようぜ。なんか、その……むず痒いというか……落ち着かないというか……ああいや、それなら俺も態度を改めたりとかあるけどさ」
「…………」
「俺、さ。分かってるだろうけど、家族……もういないんだよ、どこにも。俺が六歳の時に、村ごと炎に飲まれて消えた。師匠は、まぁ厳しい人だったし……親代わりにはなりゃしねぇしよ。……だから、俺もお前も両親を亡くした者同士、これからは……兄妹ってことでやってかないか?」
まるで喧嘩別れした恋人を口説いてよりを戻そうとしているみたいだと思い、アダムスは口元を隠して笑いがばれないようにする。一瞬、またローレンジの鋭い眼光が飛んだ。まだ殺し屋時代の癖が残っている所為か、あるいはそれは一生消えないのか、その本気の眼光は元帝国兵だったアダムスでさえ冷汗をかくほどだ。先ほどの睨みとはまた違う。彼が情けを捨てた時の眼光。
向けられたのはほんの一瞬、だがその効果は絶大だ。アダムスは背筋が凍りつくような錯覚を覚える。
その行動と、昨日の男に対する一切の容赦のない残虐行為。それを思い出してかローレンジはバツが悪そうに「あー……」と呻いた。
ローレンジが視線をフェイトに戻すと、フェイトは変わらず彼を見つめていた。先ほどと変わらないが、その瞳は僅かにうるんでいるようにアダムスは感じた。
「まぁ、昨日見たようにさ……俺は、ああいう人間だ。お前が今まで見てきた世界とはまるっきり違うし、人道なんか完全に無視してる。それに、この
「――いいの?」
フェイトが震える声で口を開いた。手も震えているよう。そんなフェイトに、僅かな躊躇を見せつつも、ローレンジは今の自分にできる最も柔らかい笑顔で、肯定した。
「お前がそれでいいならな。そーゆー関係で居た方が、俺達にとってはいいと思う。さっきも言ったように、本当の家族を亡くした者同士、な」
「キィイ!」
そんな光景を見ていたのだろうか。店の扉を押し開けてニュートが乗り込んで「ぼくもいるよ!」と主張するようにフェイトにすり寄ってきた。先ほどから店の扉のガラスの向こう側にその姿が見えたので、来店者がいないのはこのオーガノイドの責任かとアダムスは苦笑した。店の奥にいるであろう店長から睨まれているが、気にしたらダメだ。
ニュートも現れ、とうとう我慢できなくなったのだろう。フェイトの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ち、
「ロー……ジぃ!」
ひしとローレンジに抱き着いた。ローレンジ自身もそれを受け入れ、その小さな背を優しく撫でる。
客もいない静かな店内に、少女の嬉し泣きがいつまでも響いていた。
そんな二人の客に、アダムスはのんびりと言う。
「……早く食わねぇと、冷めるぞ?」
***
それから二年と少しの月日が経った。帝都では伝説に語られる
今は住民の復興作業を経て、少しずつ嘗ての穏やかさを取り戻しつつある。
『ロージぃ! 早く早くー! お店がいっぱいになっちゃうよー!』
『キッキキィー!』
『あーうるせぇな。そんなに騒がなくても店は逃げねぇよ。それに、まだ時間が早いっての』
はしゃいで兄を呼ぶ妹の声が店の外から聞こえ、彼は二人の来店を悟る。
彼は一ヶ月前、久しぶりに古巣に戻り、嘗てリーダーと慕った男の誕生日会に出席した。その時にあの兄妹と再開した彼は、今はこの風の都で店を構えていると伝えている。
以前は天麩羅にこだわっていたが、今は揚げ物全般全てを網羅できる店になっている。最近では、串カツと酒を求めて帝国兵がよく来店する店だ。
帝都の復興はもうすぐ終わるが、帝都復興に尽力していた兄妹が店を訪れる時間を取れるのは今日くらいなのだろう。仕込みは大体終わったし、すぐにでも調理に取り掛かる準備は整っている。厨房の確認を終えたちょうどその時、
「こんにちはー!」
「キィー!」
開店と同時に元気よく入店した少女とオーガノイドに従業員がぎょっとするが、店長である彼はまったく動じない。先んじて入店した少女とオーガノイドを笑顔で迎え、すかした顔で最後に堂々と入ってくる青年を見届けて、告げるのだ。
「いらっしゃい!」
二年前に結んだ兄妹の絆が、より強くなっていることを期待して。
いかがだったでしょうか?
第一章ラストではフェイトのことを「妹じゃない」と苦笑していたローレンジが、第二章では妹と認めている。そのことに疑問が生まれるのでは? と思い、完成したお話です。二人に兄妹の絆が生まれた切っ掛けの物語ですね。
主役はもちろん兄妹ですが、書いてたら“彼”もかなり光ったなと思いました。
そんな彼――今回登場しましたアダムスは『妄想戦記』からの出演です。設定的に使いやすかったので。彼は元
さて、実はこのお話では裏側にもっと暗い設定があるのです。ヒントは冒頭のセリフ。彼は黙秘を貫いているので、あれ以上のことは語られておりません。あとは、ここまでの物語(第一章、第二章)の中にあります(ほんの僅かですが)。正直、これは分からないだろうと思ってます。ここまでのお話だけで気づく人は名探偵じゃないですか?
ネタバレとかはしませんよ。じっくりお待ちいただきます。ただ、このネタが発覚するのってかなり先を予定しているんですよねぇ(汗)
それではまた。